実りの季節を待ちながら 実りの季節シリーズ2 作:きゃら める
余章 ~実りの季節が近づいて~
* 1 *
ちょうど新しいコーヒーが入ったときだった。
カランカランと扉にくくりつけたカウベルが鳴り、店に人が入ってきた。
「よぉ、雅史。久しぶりじゃねぇか」
「そうだね。結婚式以来かな? あ、その後にちょっとだけ会ってたね。店を出したっていうのは聞いてたんだけど、海外に転勤になってたから一度もこれなかったんだよ」
「あぁ、聞いてたさ。んで支店長にでもなって帰ってきたのか?」
「まだ支店長代行だよ。あ、今コーヒー入ったとこ? それもらえる?」
オレのちょうど正面のカウンター席に座った雅史に、淹れ立てのモカをカップに注いで出してやる。
「充分エリートコースじゃねぇか」
「そう言う浩之だって順調みたいじゃない。志保から噂、聞いてるよ」
「まぁ、けっこう繁盛してるよ」
雅史はブラックで一口コーヒーを飲み、オレも自分のカップにコーヒーを注ぎながら笑みを返した。
マルチと別れてから、三年が経っていた。
あの後オレはすぐに会社を辞め、マルチのために貯めてた分とかき集めた金で喫茶店を開いていた。
店の名前は、「喫茶マルチ」。
あいつの名前をどこか近い場所に残したくて、オレは自分の店にその名前をつけた。
もとの仕事での経験を充分に活かし、立地も店の内装もずいぶん工夫した。それが功を奏したのか、店はそこそこ繁盛してるし常連客もかなりの人数いた。
身体つきにじゃなく、雰囲気から貫禄がにじみ出るようになってきた雅史と同じように、オレもどうにか成功を収めつつある。
マルチに託された夢を、オレは少しずつだが実現していこうと努力していた。
「これも志保に聞いたんだけど、浩之と話をしに来る常連が多いって、本当?」
「まぁ、そうみたいだが……」
人が微笑むのを見たくて、オレは客に積極的に話をするようにしていた。ただの世間話から悩みの相談まで、オレはどんな客とでも話をしている。そんなことをしているうちに、うちの常連は学生なんかを中心とした話好きな奴らやら、その噂を聞いてやってきた物好きなんかが集まるようになっていた。
今日はまだ朝早いから雅史の他に客はいないが、近くの高校の下校時間ともなると、店内はBGMが聞こえなくなるくらいの声で溢れる。そしてみんな、楽しそうに話を交わしている。
店が暖かい雰囲気で包まれる瞬間。オレはそれを眺めるのが好きだ。
この先も同じように成功し続けるとは限らないが、オレにとっては少しでも笑みが増えるようになるならそれで一番だった。
「よかったね、浩之」
「まぁな」
雅史にさわやかな笑みをかけられて、恥ずかしくなったオレは頭の後ろに手を回してそこを軽くかいてごまかした。
「みのるぅ~。走っちゃだめでしょっ」
そんな声が店の奥から聞こえてきた。
声に追われるように奥に続く扉から小さな男の子がよたよたと飛び出してきた。
「みのる。ダメだぞ、母さんを困らせちゃ」
「ん~」
口をとがらせて、みのるはうなり声を上げる。
「ほら、捕まえた」
後からあかりも出てきて、みのるを抱き上げむっと怒った顔をした。
怒られても笑みを絶やさないその子は、オレとあかりの子供。
本当は「みのり」と名前をつけてやるつもりだったが、男の子だから、「みのる」つけてやった。
「育児はたいへんそうだね。そろそろアルバイトの娘でも入れないといけないんじゃない?」
「そうだな。そろそろ考えないとな」
――もし雇うなら、マルチみたいな娘にしたいな。
そんなことを考えながら、オレはじゃれてるとしか思えないあかりとみのるの様子に、雅史と一緒に微笑みを漏らしていた。
ささやかなものだが、オレはいま幸せな生活をつかんでる。そして自分なりに微笑みが増えるよう努力もしてる。
――マルチ。オレはお前の夢を実現させていってるぜ。
今はもう会うことができない彼女のことを思い、オレは目をつむって空を仰いだ。
* 2 *
廊下の突き当たりにある「社長室」の札がかかっている扉をノックした。
「おぅ、開いてるぜ。入ってきな」
砕けきったその声に扉を開く。部屋の奥には、もう執務用とは思えないほど豪華な机に、相変わらずピッシリしたスーツで身を固める男がついてた。机と同じく豪華絢爛な黒革張りの頭まで隠れるような椅子に座っている彼は、机の上に投げ出した両足を高く組んでいるという、社長らしからぬ格好でスポーツ新聞を読んでいた。
「帰ってきたか。案外早かったな」
三年の間に少し歳を取ったように見える音山だが、まだまだ元気らしい。唇の片端をつり上げて笑い、新聞を放り出してちゃんと椅子に座った。
「んで長瀬。どうだった?」
沈黙を守ったまま私は彼の前まで寄っていき、抱えてきたひと綴りの書類の束を差し出した。
その書類の一番上には、「新型メイドロボ 企画草案」という文字が印刷されていている。
受け取って眼鏡をかけ、内容を読み始める音山。
しばらくして内容を読み終えた彼は、企画書を投げ出して言った。
「おめぇよ。これのどこがメイドロボだって言うんだ?」
立ち上がった彼の鋭い視線が私に向けられる。それでも私は何も言わず、彼の視線を受け止め続ける。
「っざけんじゃねぇ!」
音山の力一杯の拳が、机の上に振り下ろされた。
見た目はともかく、体力は衰えていないらしい。部長時代よりもさらに豪華で頑丈になったはずの机がギシリと音を立てた。
「こんなもんはメイドロボなんて呼べねぇ」
「えぇ。そうでしょうね」
「これはもう、メイドロボを越えてるじゃねぇか」
刺さるほどに鋭かった視線が和らぎ、彼特有の笑みが口に浮かんだ。
「それにこれは、確かにマルチの娘たちだ」
「だから、帰ってきました」
私もまた、微笑みを浮かべた。
成体クローン研究への参加は無駄ではなかった。三年の間に充分な知識と技術を得、私は帰ってきた。みのりとマルチと私の夢への一歩を携えて。
「あらためて、お帰り。ゲンゴロウ」
「約束通り帰ってきましたよ、ショージ」
微笑みが笑い声にかわった。
誰はばかることのない社長室で、私たちは息が詰まるまで笑い続けていた。
「それでゲンゴロウ。みのりちゃんとマルチは、どうなったんだ?」
笑い疲れて応接セットに座ったところで、音山がおもむろに切り出した。
「みのりの復活は阻止してきました。今後永遠に彼女を復活させることはできないでしょう。それからマルチについては……」
「ん?」
またも笑みをこぼす私に、音山の訝しむような視線が向けられる。
「実はですね、私に、娘ができたんですよ」
「ほぉ。結婚でもしたのか?」
「婚期は研究で逃してしまいましたからね、まだ一度もしていませんよ。法律的には養女です。研究の方が追いつかなくて、設定上は一二歳と若返ってしまいました。あともとの名前は使えませんでしたから、『みのり』という名前になってしまいましたけどね」
「そりゃ、おめぇ……」
それ以上の言葉を口にすることはなく、音山はまた笑った。
「んであいつは今どこに?」
「彼女はいま頃……」
窓の外に広がる秋の風景を見、私はいま頃再会を果たしているだろう彼女に思いを馳せた。
* 3 *
風を感じる。少し冷たい、秋の風。
目に見える草や木も、もう秋の色に染まりつつある。それから空気にも、秋が混じり始めているのが感じられた。
どことなくまだ違和感がある身体だけど、わたしは微笑む。
もと住んでいた場所から近いから、いま歩いてるこの辺りはよく知ってる。それなのになぜか、見えるものも、聞こえるものも、感じるものも、すべてが前に見たときと違っているみたいだった。
スキップして歩きたかった。でもまだこの身体になれきってないから、ゆっくりした歩調で地面を踏みしめて歩いていく。
そのうちに、目的の場所が見えてきた。
「喫茶、マルチ……」
わたしはそこにかけられた看板の文字を読み上げて、笑みを漏らす。
聞いてはいたけど、実際見ると感動が違っていた。
――そしてこの中に、あの人がいる。
胸を躍らせながらわたしはお店の扉を押し開けた。
『――次のニュースです。秘密裏にクローン研究を行っていた研究所が先日摘発されました。同研究所では本格的なクローン研究が行われており、その裏には巨大な組織が存在するものと思われるため所内検査や書類押収による詳しい調査が連日行われています。今回摘発が行われたのは内部の人間による広範囲に渡る告発があったものと見られ――』
「クローンの研究か。んなもん実際どこまでできるんだかなぁ」
「どうなんだろうね。牛とか豚では品種の保持だけじゃなくて、何とか培養法とか言うのを使ってすぐ出荷できるくらいのの身体をつくるって実験もしてるらしいよ」
「げぇ~。気持ちわりぃ」
昼の時間にはまだ少し早かった。平日の今日はよほど悩みを抱えてる奴じゃない限り、この時間に学生が来ることもない。いつもより客の入りが悪いような気がしていたが、そんなことは気にせず久しぶりに雅史と一緒に学生時代に戻った気分でテレビを見ながらダベっていた。
「いらっしゃい」
カウベルの音にオレは反射的に声をかけた。だが視線はニュースを流してるテレビに向けたままだった。
「んなことして美味い肉が取れんのかねぇ~。……ん?」
いつまでも扉の前から動かない客に気づいて、オレはそっちに目を向けた。
すぐに、彼女が誰であるか思い出した。
若い長瀬さんと一緒に写真に写っていた女の子、みのり。
なぜか彼女と見間違うほど似ている娘が、入り口の前に立ったまま、今にも泣きそうな顔をしていた。
「まさか、まさかそんな。ホントに、ホントなのか?」
驚いてる雅史は置いといて、オレはカウンターから出て彼女のもとに寄っていった。
長い髪と小柄な身体。それは写真で見た長瀬みのりのものだった。
だが彼女の涙に揺れるその瞳は――。
「マルチ。マルチ、なのか?」
名前を呼ぶと、彼女の顔は一気に崩れ、広げたオレの腕の中に飛び込んでくる。
「また、またまた会えました。わたし、帰ってきたんです。帰ってくることができたんです!」
身体は違っても、泣き虫なその中身はマルチだった。
泣きじゃくるマルチの身体を抱き締める。
「ただいま、ただいまですー」
涙があっという間にオレの顔を濡らした。
オレはささやかな幸せをつかむことができた。少しずつだが、マルチに託された夢を自分の夢として実現させて行ってる。
そして今、オレの腕の中にはもう一つの幸せが帰ってきた。
「お帰り、マルチ」
メイドロボじゃない、人間として帰ってきたマルチを、オレはいつまでも抱き締め続けていた。