今回のお話は人間性と感情皆無の夢魔マーリンと、主人公に懐疑的な職員との対話でした。
ウ―パール―パーやらグランドロクデナシやら雑言ばかり使用して申し訳ありません。この場を借りてお詫びします。
今回言いたかったことは、
良くも悪くも人を救いなれている
救えた人々に対する喜びではなく、救えなかった人々に対する悼み、後悔です。
死者を悼むことは、ヒトにとって当たり前ですが、
救えたということに対して無機質だと思うのです。
さも、“救えるのは当たり前”とでもいうように。
ソーシャルゲームという媒体のため、主人公である
「一般性」と「普遍性」でした。
某菌糸類曰く、「実はこんなのでした、というのはない」そうなので、おおよそ間違いではないと思います。
この点において、そのコンセプトから
あの様な作品になりました。
さて、皆さんがお待ちかねかどうかは分かりませんが、ざっくり考察タイムです。
今回のネタは前回からの続き、ということで、
「オルガマリーは異聞からの巫女か、ビーストⅦか」です。
2部1章をクリアした方々は、空想樹を取り除いたあの子を覚えていらっしゃるでしょう。
今回はあの子=オルガマリー説と、オルガマリー=ビーストⅦ説を比較していこうと思います。
根拠①ビーストⅠに、カルデアスにぶち込まれた
根拠②オルガマリーは自己顕示欲が非常に強い
根拠③ビーストⅠ、フラウロスの台詞より「カルデアスの中で死に続ける……」
この説はオルガマリーこそがビーストⅦである、というモノ。
根拠の①は、ギルガメッシュの「Ⅰが居るのならⅦももう居る」(要約)というのを元にしたものです。
Ⅰのフラウロスによって、オルガマリーがⅦになったとするなら、この発言と合致します。
根拠の②は、これは“自己愛”という名の
人間の善性と悪性の粋を集めた部分なのでらしく感じますね。
根拠の③は、死に続けるということは生き続ける事と同義であるとして、単独顕現の力の一端だと推察したもの。
この根拠を元に考察をしてる方もいますね。
では、反論を考えてみましょう。
①については、彼女が取り込まれたのは観測モデルのカルデアスであるため、滅ぼすような事は出来ないのでは?
②については、自己愛という観点において、殺生院キアラという前例者がいるため厳しいのでは?
③については、彼女が死を感じる時間が長いだけで現実では一瞬であった可能性がある。レフの台詞も比喩では?
どうでしょう、どちらもらしい、といえばらしいので悩ましいですね。
根拠①アニメ「ロストルーム」でのオルガマリーに伸びる複数の手
根拠②2部におけるキリシュタリアの語り掛け
根拠③[[rb: 彼/彼女>藤丸立香]]を助けるような動き、また諦めかけた際の侮蔑的な感情
この説は先述した通り、オルガマリーが巫女なのではないかという説になります。
根拠の①は、E検体という異聞の巫女にあたると思われるモノへの人体実験ではないか、という考察。
本編において巫女がオルガマリーであるとは認められていない頃のアニメであったため、オルガマリー(正体)を
使ってE検体を表現したのではないでしょうか。
根拠の②は、オリュンポスでの定例会議におけるキリシュタリアの語り掛けについて。
「机上の空論だというマリスビリーの理論を完成させる。見ているがいい……」という部分などが含まれます。
根拠の③は、2部1章と5章での動きについて。
元になった人間、ないし人格がありそれがオルガマリーではないかという考察です。
恒例的に反論を考えましょう。
①については、これは刻印に関する表現でE検体とは関係ないともとれる。
作り上げた当人以外には血族であっても毒になる刻印。そのメンテナンスともとれなくはない。
②については、これは独り言としてもとらえられる表現なので良い切りはできない。
ただし、5章アトランティスの発言のみを切り取るのであれば語り掛けと言い切りはできる。
③については、未だ明確に彼女の立ち位置が明かされていない以上どうとでも取れる。
1章の空想樹切り取りについてはともかく、5章の侮蔑については敵対しているとも普通にとれるだろう。
さて、筆者がどちら寄りの結論をもっているかと聞かれれば後者です。
前々からあとがたりで言っているように、ビーストⅦは
もしくは並行世界の
ぜひ皆さんの意見もコメント欄でお聞かせ願います!反論も肯定意見もじゃんじゃんください!
長々と書いてきましたが、今後
戻る保証もない汎人類史、「カルデアの者」の忠告、武蔵守の先のない未来……。
できれば筆者は
彼らの旅路に喜びと幸がもたらされることを願っています。
次回はツイッターで公開していたネタを消費していきます。