ところで、マグルには知られにくい「こちら側」で生きているのは、何も魔法族だけではない。
現代を生きる魔法族には、ゴブリンと言えば、グリンゴッツ銀行で慇懃無礼に働く無愛想な種族というイメージがあり、歴史的には魔法史の教科書でごく数行記述される複数回に渡る「ゴブリンの反乱」くらいしか記憶に残らない。
実際にはゴブリンは非常に知的で、普通に魔法も使いこなすし、契約と約束を重んじる高度な社会を築いている種族でもある。
だが、魔法族は、長くゴブリンを同等の能力と権利を持つ種族として認めず、数の優勢をもって彼らを虐げてきた。
反乱は故のないことではなく、マグルのイギリス人がアフリカに攻め入って無辜の民を鎖に繋ぎ、船に載せて新大陸で売り飛ばしたように、魔法族はしばしばゴブリンの集落を気ままに襲撃し、狼や鹿、狐の代わりに狩りたてたり、奴隷として働かせるために連れ去ったりした。
あまりにもひどい虐待に死んだ方がましだと思われたとき、或いは一方的に劣等種族として彼らの魔法のために杖を持つことを禁止されたとき、彼らはたびたび反乱を起こしたが、数の劣勢により、長期的にはいつも失敗に終わった。
ゴブリンにとっては古代、人間の金銭の取引ではなく、庇護の代わりに奉仕をもって魔法族と共存することを選んだハウスエルフという種族がいたことも不幸の原因だった。
ゴブリンは本来は独立自尊の気風の高い種族だが、魔法族は自分たちよりも小柄な種族だというだけで、ゴブリンを身長並みに自分たちよりも低劣な種族だと見做し、さらにハウスエルフには奉仕の代わりに庇護を与えることになっていた古代の約定を忘れて、ゴブリンにも奉仕、それも庇護も金銭の対価も提供しない奉仕を要求した。
グリンゴッツ銀行は、魔法族側の視点では、金持ちのゴブリン、グリンゴッツがどうやったらより金儲けが出来るか考えて設立したかのように記載されているが、真実はそうではない。
彼はゴブリン社会の貴族であり、真にノーブルな人物だった。
彼はたびたび魔法族に蹂躙される同族を憂い、どうすればいいのか考えた。
戦いを起こすのではなく、銀行を興して魔法族の財産の管財人になればいいと考えついたのはどれほどの天才だったのだろう。
彼はグリンゴッツ銀行を建て、多くの魔法族の財産を握り、必然、ゴブリンが尊重されるように社会の流れを変えた。
だが、ともかくそれは後世のことで、グリンゴッツ銀行はまだない。
一千年以上前、ゴブリンの集落は今ほど隠されておらず、イングランドのある地方には首長が王と呼ばれるほどに大きな集落が存在した。
彼らは彼ら自身の規範を持ち、彼ら自身の技術を持ち、その最高のものを保持した者が当代の王と呼ばれた。
この時代の王はラグヌック一世であった。
彼は、自分のためにルビーの嵌め込まれた全てを斬ることのできる剣を打ち、王権の証とした。
それはゴブリンの頂点に立つものとしての象徴であり、売り物ではなかった。
彼は王だった。
つまり、すでに裕福だったので、単純に生計のための商売はしていなかったのだ。
彼らにとっての災いは外から来た。
ゴドリック・グリフィンドール。
彼の魔法の腕前は、その雑駁さにも関わらず本物だった。
魔法族の魔法使いには見つからないように入念に編まれた結界を探り当て、門番を排除してゴドリックが王宮とは呼べない瀟洒な屋敷にたどり着いた時、ほとんどのゴブリンは虐殺と略奪を覚悟していた。
こういう言い方をしていいのかどうか、おそらく現代にはそぐわないが、ゴドリックには自分が非道を働いているという認識はなかった。
彼は、ゴブリンをやたら鍛冶が得意な低劣な人もどきとして認識しており、後世知られている平等主義的な先進的な人物像とは違って、その時代の平均的な魔法族がゴブリンを足蹴にするよりはましかもしれないという扱いをしているだけだった。
ゴドリックとしては門番をのしただけで彼は全く友好裡に訪れたつもりで、ゴブリン的には門番を殴って昏倒させられて全く威圧的に侵入された心持ちで、それでもゴルヌック一世はゴブリンの、彼自身の妻子を含む全同胞を見捨てて逃げるような心根はしていなかったので、この傍若無人で陽気な侵入者と、ゴブリンの繊細な細工で飾られた屋敷の大広間で謁見する運びになった。
「よう、あんたがゴブリンの王様?
今打てる中で、一番いい剣を売って欲しいんだけど。」
ゴドリックは場の緊張にそぐわない明朗な調子で告げた。
この街で魔法族に売っているものはないと、魔法使いを叩き出せるものなら、ゴブリンはそうしたろう。
だが、実際、警備の者を叩きのめして目前に立つ魔法使いを力で退けるすべはない。
現代で言えば、マシンガンや何か武装した人物が警備員が丸腰の建物に侵入したようなものだと言えば想像しやすいだろうか。
人格はともかく、ゴドリックは間違いなく当代で一流の魔法使いの一人には間違いなかった。
「──宝物庫から剣を出せ。」
ラグヌック一世は腑が煮えくりかえるような思いを飲み込んで、側に控えていた廷臣に申し付けた。
「陛下、そんな──。」
「出せ。早く行け!」
部下や一族が傷つけられることを疎んで、ラグヌック一世は不本意ながら、ゴドリック・グリフィンドールが要求するものを提示することにした。
「いい奴何本か持ってきてくれよ、見て選ぶからな。」
傍若無人なゴドリックの声を、ラグヌックに忠実な部下も、ラグヌックも意図的に無視した。
やがて、運ばれた剣はいずれも負けず劣らずの名剣だった。
視線だけで殺せそうなゴブリンたちの殺意をよそに、ゴドリックは運ばれてきた剣を無遠慮に物色していた。
「いい剣はこれで全部なのか?」
ゴドリックの問いに、ラグヌック一世は苦い顔で首肯した。
「うーん、なんかこうぴんと来ないんだよなあ・・・。
──いや、おい、あるんじゃないのか、これ以上の剣がさ。」
「何を言ってる。
何も隠してはいない。
ここにあるのは、宝物庫にある剣の最上級のものばかりだ。」
ラグヌックの答えに、ゴドリックはにやりと悪い顔で笑った。
「あるじゃないか、そこに。
あんたの得物が、この国で一番いい剣なんだろ?」
言うが早いか、ゴドリックはゴブリンの王へ向けて動き出していた。
ゴブリンの衛兵が王を守ろうとしたが、魔法の追い風を受けたゴドリックの動きには到底ついていけず、ラグヌック一世もまた最高の鍛治師兼銀細工師であっても、最強の戦士ではなかった。
ゴドリックは、あっという間に王に迫ると、彼が背中に負っていた剣を奪い取って、彼を組み伏せた。
小柄なラグヌックは手もなく組み伏せられ、膝で抑えられて、ゴドリックがルビーのついた王権の証である剣をしげしげと検分するのをどうしようもなかった。
「動くなよ、動いたらお前らの王様、間違って踏み潰しちまうかもしれないからなあ?」
ゴドリックが牽制しながら、ラグヌックの背に置いた膝をにじると、ラグヌックはたまらず痛みに呻いた。
「陛下!」
その場に居合わせたゴブリンは全員がゴドリックを殺してやりたいと思ったが、彼らにできることは何もなかった。
「ふうん?
つまり、これが一番いい剣だろ?
明らかに桁違いの業物だもんな?
よっしゃ、これは俺がお買い上げだ!」
「何だとそれは売り物じゃない!」
「この傲慢な魔法使いが!」
ゴドリックの下敷きになっていたゴルヌック一世も、周囲のゴブリンも思わず一斉に抗議の声を上げるが、ごり、と、してはいけない音がゴドリックに抑えられたゴルヌック一世の背中からしたとき、王を慕う臣下は憤怒の表情でありつつも黙り、王はふたたび呻き声を上げた。
「売らないとは言わないよなあ?
なあに、金を払わないとは言ってない。
な、売るだろ?」
やたら明るい声を上げるゴドリックだが、奪った抜き身の剣を、ゴルヌックの押さえつけた手首に突きつけている。
手を。
鍛冶師としても銀細工師としても、手はなによりも大切な生命線だ。
言葉にして切り落とすというより明確な脅迫にゴルヌック一世から血の気が引く。
「や、やめろ!
それだけはやめろ!」
「売るよなあ?」
ゴドリックはにやにや笑っていた。
「ぐ、分かった、持っていけ!
そして二度と姿を見せるな!」
ゴルヌック一世の言葉に、ゴドリックは歌うように続けた。
「持っていくさ。
その前に、俺のものには名を刻まなきゃなあ?
この国一番の彫り師は誰だ?」
その言葉に、ゴブリンは皆で顔を見合わせて、年長の者が不本意そうに答えた。
「この国一番の細工師も彫り師も、今貴様が押さえつけている。
一番は陛下に決まっている。」
ゴブリンの答えに、ゴドリックは目を丸くして、だが、ゴルヌックを解放することはしなかった。
「おお?
そうか、じゃあ仕方ないな。
二番目の奴でいいや、道具持って来いや、ここにな。
剣身に刻んで欲しいんだよな、俺の名を。」
傲岸な魔法使いの要求に、ゴルヌックが絞め殺されるような声を上げたが、彼の命を盾にとられてゴブリンは結局ゴドリックの要求に屈した。
「ここな。
この剣の背のとこ、いい感じの流麗な書体で『ゴドリック・グリフィンドール』って入れてくれ。
彼の要求は容れられ、ゴブリンの技で名を入れた剣を満足げに一振りしたゴドリックは、ここでやっとゴルヌック一世を解放した。
「陛下、大丈夫ですか!」
廷臣が王に駆け寄る。
臣下がゴルヌックを助け起こす間に、ゴドリックは窓際に素早く移動して口笛を吹いた。
「貴様、よくもー!」
衛兵が斬りかかるより早く、ゴドリックは懐からひとつかみの金貨を掴み出し、相手に向けて投げつけ、あたりに金貨をばらまいた。
「対価は払ってやるって言ったろ!
そうかりかりするもんじゃないぜ!」
窓の外から、天馬の羽ばたきが聞こえ、ゴドリックは窓を乗り越えて、馬上の人となった。
気ままに飛び回っていた不死鳥も彼の周りを旋回する。
ゴブリンにとって、金貨ひとつかみというものが正当な対価であるとはとても言えなかったが、ともかくゴドリックはそうやってゴブリン製の宝剣を手に入れた。
これらのことは、ホグワーツ開設の5年目が始まる前の夏休みに起きた出来事である。
5年目の新学期が始まる前、サラザールは、地方が一緒なので、ブラック家の三兄弟と、レストレンジの長男と一緒に、まあ正直に言えば引率してホグワーツに戻った。
夏の間、サラザールはバジリスクをホグワーツに置いて去った。
バジリスクは非常に強力な魔法生物なので、その目を閉じずに気ままに徘徊させるのは周囲にとってあまりに危険だった。
サラザールは、固有名詞というほどのものではなかったが、蛇語で時々その蛇のことを[[rb:蛇の王>レックス・アングイス]]と呼んでいた。
夏の間、バジリスクと相性の良くない不死鳥は、ふらふら放浪するゴドリックについて回ることが多いので、それについてだけは心配していなかった。
誤解されがちなことだが、不死鳥は特に人間の基準での正義や聖なることに惹かれるのではない。
強力で特殊な魔法生物ではあるが、所詮鳥である。
それが好むのは非常に強い陽の気、特に火、炎であるので、ゴドリックに纏わり付いているのは、炎の気配、要するにご飯目当てである。
考えても見て欲しい、活火山でもなければ自然の世界では意外と火の気配は薄いのだ。
ともあれ、サラザールはホグワーツに戻ってきて、彼の「秘密の部屋」を開ける前に、パーセルタングで話し掛けた。
『レックス・アングイス、いる?
開けても大丈夫?』
中からはすぐに応えがあった。
『大丈夫。
サラ、お帰りなさい。』
サラザールが秘密の部屋を開けると、少しだけ成長したバジリスクがちょろりと這い出てきた。
目を閉じているので、目以外の感覚器官を使って進んでいる。
『ん。怪我もないし、大丈夫そうだな。
話し相手もいなくて退屈じゃなかったか?』
『大丈夫。大半寝てたし、ちょっと前にゴーントの子が来てくれたから。』
なんとバジリスク、活動が必要ないと思ったら、気ままに休眠できるらしい。
そして、生徒の中で、唯一パーセルタングが話せるモーフィアス・ゴーントだけは、バジリスクに事前に目を閉じてもらえるよう予告できるので立ち入りを許可していた。
サラザールは、ほのかな笑みを浮かべると、少し屈んでバジリスクが彼の腕を登るのを助けた。
長寿のバジリスクは成長が遅く、まださほどの大きさでもなかった。
バジリスクを肩に巻き付かせたまま、サラザールが部屋を出て大広間に向かうと、何やら人の気配が騒がしい。
学期の前で、教師も生徒もだいぶ戻ってきているが、なんの騒ぎだろうかと足を早める。
着いてみると喧嘩などではなく、ゴドリックを中心に生徒たちが盛り上がっていた。
「どうした?
えらく賑やかだが。」
サラザールが集団に声を掛けると、何人かが振り向いた。
「あ、サラザール先生!
すごいんだよ、ゴブリン製の剣だって!」
興奮しているのはグリフィンドール最年長のイグネイシャスで、ゴドリックの狩りにも良くついて行っているので、剣にも興味があるのだろう。
同じ寮で学年のフロドリー・ぺべレルはやや研究者気質が強いようで、ゴドリックの剣にはめ込まれた赤い宝石をしげしげと眺め、「なんだろう、何かの魔法が掛かってるみたいなんだけど。」
と呟いていた。
「おう、サラザール、ピーブズでも斬れそうな剣を手に入れてきたぜ。
まあ、やってみないと分からんが。
その肩に載ってる子蛇だって斬れるんじゃないか?」
ゴドリックがにやつくのに、サラザールは微妙に眉を寄せたが、ハッフルパフのオッファンが剣身を見て、緊迫感の全く感じられない驚きの声を上げた。
「これ、先生、ゴドリック・グリフィンドールって彫ってある!
先生、でもこういうの、抜き身に彫っちゃったら剣の強度が弱るって言いませんか?」
ゴドリックが答える前にフロドリーが答えた。
「いや、ゴブリンの業物はその辺が並の製品と違って、細工をしても強度が下がったりしないらしい。
叔父さんが言ってた。
それどころか、この赤い石とか多分ゴブリンの特殊な魔法とか掛けてあるから、何か付加ですごい効果が付け加えてあったりするんじゃないかな?」
バジリスクを斬れるという発言に不快感を抱いたサラザールだが、剣身に名を刻んであると聞いて、純粋に驚いた。
「すごいな。
ゴブリンはなかなか武器は売ってくれないという話だが。」
この時点でサラザールはゴドリックとゴブリンの経緯を知らないので、普通に取引に応じてもらったのだろうと思って、感嘆の視線を投げた。
滅多にないサラザールからの賞賛の視線に、ゴドリックは得意げに胸を逸らした。
「な、すげえだろ。
なんでも斬れるって、ゴーストまで斬れるかは分かんないんだがな。」
去年の騒ぎを思い出して、サラザールはため息をついた。
「そういうのを試すのはやめておけ。」
ゴドリックがそれを聞くかどうかは分からなかったが、とにかく、ゴブリンの業物は本当に見事だった。
ロウェナは、のちの校長室、Pensieveの設置された部屋で、魔法評議会からの書簡を受け取って、こちらはこちらで眉を潜めていた。
魔法評議会からの穏やかな交渉は、実質、営利に目が走った要求でもあった。
魔法学校を設立するという志を掲げた時には、彼らは実質静観という名の無視をしていた。
学校教育という概念が薄かった英国魔法界で、魔法という一律の目的があれど、採算と経営が成り立つか不明な事業に手を出すことを恐れていたのはわかるが、軌道に乗ってきたこの時期に、わずかばかりの援助予算の申入れを行うのと引き換えに、ホグワーツの学校教育の方針に口を挟もうという魂胆が見え透いていた。
ホグワーツは独立自尊、その気風で行こうとは最初から決めている。
だが、全土に力及ぶわけでもない魔法評議会でも、完全に無視して物事を進めるには厄介な相手であり、頭の痛い問題だった。
「ロウェナ?
何を読んでいるの?」
ヘルガが、部屋に入ってくる。
ヘルガとサラザールはは割とまめに薬草学や魔法薬の知識を残しにこの部屋に訪れる。
「魔法評議会からのお手紙。
支援金を出すからありがたく思えっていう内容よ。」
噛み砕いて言えばそういう内容だった。
「ああ、ものついでに運営内容に口を出そうって言うわけね。
お爺ちゃんたちの考えることは代わり映えしないわねえ。」
ヘルガもウェールズの地元では領主夫人なので権力者との付き合いには慣れている。
「まあ、適当にあしらってあまり冷たくし過ぎないようにすることね。
ホグワーツは間違いなく発展してる、いつか彼らは自分たちの子供や孫がホグワーツなしにはまともな教育を受けられなくなっていることに気づくわ。
ホグワーツを評議会の手先にするつもりはないでしょう?」
「そうね。
適当にあしらうわ、ヘルガ文面考えるの手伝ってくれる?
ゴドリックじゃ直接的過ぎて角が立つし、サラだとちょっと親戚が評議会に近過ぎて名前を出さない方がいいって言われたのよね。」
ロウェナは書簡を一旦畳んで机に置いたが、表情はまだうかない顔をしていた。
「何?
まだ他に気になることでもあるの?」
ロウェナは視線を彷徨わせた。
彼女を迷わせているのは、この時代ににおいてすら既に頑迷で旧弊だと言われていた魔法評議会の老人たちではなく、むしろ真逆の若い女の子だった。
「ううん、評議会とは関係ないんだけど。
ヘレナが最近そっけない気がするのよね。」
ため息をついたロウェナに、ヘルガが思ったことは「今更?」だ。
魔法使い気質というか、研究者気質というか、富裕な領主階級であることも相俟って、ロウェナは子育てに関わる率が低い。
関心がないどころか、ヘレナのために最高の教育をと思ってホグワーツ魔法学校を思いつくくらいには娘のことを愛しているが、いかんせん、小さな子供が察せる類の愛情ではないことも多く、ヘレナは入学2年目頃から既にロウェナにそっけなかったとヘルガは思う。
「まあ、年ごろだしね。
色々難しいんじゃない?
もう少ししたら落ち着くわよ、きっと。」
大抵の場合、このアドバイスは当てはまるだろうし、何人もの子供を育ててきたヘルガの経験則でもあった。
「そうね、あんまり気にしないようにしとくわ。」
ロウェナはそう言って笑ったが、この時、きちんと肚を割って話しておくよう助言すべきだったのではと、はるか後年、ヘルガは長く悔やむことになる。
さて、ここで、一千年後のホグワーツでも「血みどろ男爵」として知られることになる、イドワル・デハイバースの心情についてもいくらか説明しておこう。
彼は入学の時点で生徒の中では最年長であったがそれでもたった14歳にしか過ぎず、5年目を迎えてもまだ18歳、今年度中には19歳になるという若者だった。
5年目ということは、のちのO.W.L.ー、魔法使いの一般的な試験を受けるにふさわしいとロウェナたちが規定した年齢であるし、彼は実際に自分の実家であるデハイバースの領主家からはそろそろ戻ってきて惣領としての仕事を始めるように言われていたから、彼は試験を受けた後は、ホグワーツにとどまることなく、実家に帰らねばならないだろうと思っていた。
イドワル以外にも、まだこの時代は5年目の認定試験を受けたらホグワーツを卒業しようという魔法使いは何人かいた。
旅程は馬鹿にならず、設備に対する富裕者の寄付や、ハウスエルフからの奉仕協力などで削れる費用は削っていたが、各家庭に対する費用負担そのものが安価でお手軽とは言いがたいのは仕方ないことだったからだ。
だが、彼は本当はホグワーツを去りたくはなかった。
彼は魔法の力を持っていて、まだ魔法の世界とマグルの世界はそれほどはっきりと分離してはいなかったから、彼の両親は魔力暴発を起こす彼らの子供を魔女と噂されるハッフルパフの領主夫人に相談し、彼はホグワーツに来て自分の力を制御し使いこなすようになる機会を得た。
一般的に魔法族の親を持たないマグルはそれほど幸運ではなかった。
だが彼も、そんな風に理解ある彼の両親さえ、心の中では彼のことを化け物扱いしているんじゃないかと感じるのを抑えることはできなかった。
彼が実家に戻ったら、ほぼ魔法を使うことはできないだろう。
周囲が魔法を使えない中で、それを見せることは危険だと両親からも言い含められている。
ホグワーツは魔法使いばかりで満たされ、彼は自分の魔法を抑圧することなく過ごしていられた。
マグル出身で最初は戸惑うことばかりだったが、少なくとも初年度の仲間は少なく彼はそれらの差異に慣れる猶予を持つことができた。
それから、彼は同じ寮に配属された少女を見た。
ヘレナ・レイブンクロー。
最初は小さな女の子が頑張っている、くらいの気持ちだったが、少なくとも彼女は美人の母親に似て、年を追うごとについて、徐々に美しくなっていた。
彼は、心無い周囲の囁きはおいて、彼女が頑張っているのを間近で見ていた。
彼自身も「マグル出身なのに頑張っている」と言われる以上に「マグル出身のくせに」と侮蔑的に囁かれることもあり、彼女が「レイブンクローの娘のくせに」と噂される気持ちが分かると思った。
その気持ちを素直に彼女に伝えていればまた違ったのかもしれないが、元が寡黙な彼は最初から彼女に伝えるのを諦めてもいた。
それは、彼自身が跡取りである以上に、彼女がここレイブンクローの跡取り娘であって、彼女を望むことができないだろうという気持ちからだった。
そして彼は、気持ちを伝えることもなく、結局この最後の年度を過ごす。