「…という訳よ」ペルゼ、というかペオース本人はそう言った「私の本名をお前に教えると、貴方は今すぐに私の事を綺麗さっぱり忘れる。だからペルゼでいい」
「…それにしてもペルゼから出た物だとはいえ、私はとんでもないものと戦っていたんだね…」
「私がヤツの知覚妨害と細かい誘導をしなければ、貴方なんて最初の一撃であの船のシミになってた所ね。感謝しなさい」
「あ。ありがと…」
なるほど。
途中で色々と不可解な事が起きて、それによって危機一髪命が助かったのはペルゼのお陰だったという訳だ。
「そう言えば…ここは?」
ミューゼは辺りを見回す。
下を見下ろしても、しっかりとした地面がある。船の上だとは思えない。
「砂漠だった場所。…私が全部元に戻したわ」ペルゼは両腕を広げた「私の魔力をぜーんぶ使って、ね」
ミューゼは目を丸くした。
「そ、そんな事して大丈夫なの!?」
「だからきっと、私の存在は貴方しか知らない。そして貴方がこの場所を去る時には、私の事は忘れてしまうでしょうね」
「…そんなっ…!」
「別に悲しいことじゃないわ」ペルゼは斧をポンと叩いた「この自然を取り戻すことが出来た。これは、私のやりたかった事なの…これが…私の願いだから…」
「ペルゼの…願い。」
ミューゼはうつむいた。
私は?
私は何がしたいのだろうか。
私の願いは、魔王を倒して…
それで…
「…」ペルゼは空を見上げた「私の事は忘れてしまうだろうけれど…一つだけ貴方には覚えていて欲しい事がある」
「…?」ミューゼは顔を上げた。日の光を受けてエメラルドグリーンに輝く斧をミューゼに見せてペルゼは口を開く。
「心器は本来は魔王が与える物じゃない。現在存在している心器は大抵、【女神】の信託を騙った魔王による【与えられた心器】よ。…でも世の中には私の心器のように、自らの魂の声、そして願いを物質化した心器がある。貴方の心器はそれに似た魔力を感じるわ」
「…んん?」ミューゼは首を傾げた「でも、ちょっと待って。私は魔王からこの心器を…あれ?」
…待てよ。魔王は私に心器を与えたのではない…これは私自身の心だと言った…
「魔王はこの事実を隠してる。そうやってこの世界を支配しているのよ…恐らく魔王から与えられた心器では魔王は倒せない…だからこそあの魔王は貴方を呼び、【自らの元に辿り着けるか】という試練を与え、貴方の来訪を待っているのよ。己の衝動を力に出来る剣…貴方からその心器を奪えば、それこそ本当に世界を征服出来る。人類が彼に対抗する手段は無くなる」
「つまり…私は…」ミューゼは顔をあげる。その表情は怒りに満ちていた「魔王の世界征服のために、魔王城に向かわされてるの…?ここまでどれだけ沢山の大切な人達を犠牲にしてきたと思ってるの…?ふざけるなよ…そんな事のために…皆が!私が!…そんなのって…!」
「貴方がどのような経緯でその心器を錬成したかは分からない。でもこれ以上魔王によって世界が混沌に陥ったら、貴方のような不幸な人が増えてしまうのは間違いない。ミューゼ、魔王を倒して。…これは貴方だけの問題じゃない、世界の問題なの」
ペルゼはミューゼの手を両手で握る。
「…」ミューゼは頷いた「アイツは人が死ぬことを何とも思ってない…そして私が負の感情を込めれば込める程にこの剣は力を増していく…。なるほど、そういう事だったんだね…絶対に許さない。許すもんか。アイツは私が…私が…絶対に倒す!」
「それでいい」ペルゼは寂しそうに笑った「世界を救って。ミューゼ…魔王の元に辿り着いて、その心器を砕くことが出来れば…あの人も救われるだろうから」
でもそれは、彼女にとっては酷なこと。
人を失うことを嫌う彼女には、あまりにも荷が重い災厄を引き起こすことになる。
だが。それでもやらなければ、
いずれはこの世界は滅びてしまう。
だから…
「さようなら。ミューゼ…」
私はただ、ここから見ている事しか出来ないけれど。貴方の未来にどうか救いがあらんことを。
「…ペルゼ。また、来るから」
「今度は世界を救った後かしら」ペルゼは笑った「しぶとく生きなさい。自分をしっかりと持って…。そうしないと、貴方は魔王の膝元にすらたどり着けないから」
★
ペルゼと別れ、街道に出た頃には確かに、ミューゼは彼女の事を忘れてしまった。
覚えているのはペオースを倒し、最後の三神柱の一人を倒して魔王を倒す。
何故目的が変化したのか…誰に魔王の目的について聞いていたのか…。
何故だか思い出せない、しかしミューゼはそれでも歩を進めた。
止まっている暇はない。
何が何でも魔王を止めなければ…!
これ以上、悲しい人を出す前に…!
「よう、いつぶりだぁ?一晩寝てた間によくわかんねぇ事になってんよなぁ」
…よく聞く声が聞こえた。目の前に透明な外套を被った男が現れる。
「ホーク…」
「ペオースも死んだか…そして、どぅうやら顔つきも変わったみたいだなァ」
「…ホーク、教えて」ミューゼはホークを真剣な表情で見つめた「あなたは魔王が私の心器を強化して自らの物にするために魔王城で私を待っているって事実を…」
「…ほう、気づいたのか」
ホークはミューゼを睨む。
「ねぇ、ホーク」ミューゼの声色が低くなる「なんで教えてくれなかったの…そのせいでどれだけの人々が犠牲になったと思ってるの!?事前に知っていれば魔王の側近だろうと何だろうと躊躇しなかった!対話を図ろうとして仲間を惨殺されたり、拷問されたりする事も無かったんだよ!?」
「ハァ…ミューゼ」ホークは剣を抜いた「何故俺がこんな強力な心器を持ってぃるにも関わらず、お前に三神柱の居場所を教えるのか…そぅ思った事はねぇのか?」
「あぁ、ホーク…やっぱりそうなんだね」ミューゼも剣を抜いた「今回の一件で最悪の思い違いをしていた事に気づいたわ…貴方は魔王軍の…!」
「ぶっ…ハハハハハハッ!」ホークは高笑いすると、曲刀を構えその場で回転する「ミューゼ、お前は最後の三神柱を倒した後、この事実を教えて殺してやるつもりだったが…死に急いだなァ!」
ホークの姿が消えた。
「仲間だと…思っていたのに…!」ミューゼは剣に力を込める「ホーク…このっ…裏切り者ぉぉ!…ぐっは!?」
ミューゼは背後から衝撃を受けると、地面に突っ伏す。見上げるとニヤリと笑い、曲刀をミューゼの胸元に当てたホークの姿が見えた。
「ヒャハッ!威勢が良いが、ミューゼ…お前は俺にはかてなァいぜ?心器を持っている人間…その全てから身を隠すことの出来る外套。これが有る限り、おまぇの攻撃なんか当たるはぁずがない」
「くっ…くそっ!」ミューゼは抵抗するが、ホークは馬乗りになっていて、完全にミューゼの命を握っている。
「グラヴィード様はお前の心器が目的だ…しかし心器の強化の話を聞けば、お前はその剣に負の感情を注ぐのを止めるかもしれねぇだぁろ?予定変更だな…そうなる前にお前を殺して、心器だけグラヴィード様に渡してしまえばイィ。それでグラヴィード様はこの世界を納め、俺は魔王軍から名誉と地位を手に入れられる…どうだ、最高なアイデアだと思わネェカィ?」
ホークはそう言って曲刀を振り上げる。
「この…下衆が!お前みたいな自分勝手なヤツがいるから、優しい人が犠牲にならなきゃいけないんだよ!…お前はッ…」
「ミューゼ…死ね!」
「死ぬのは…お前だぁぁっ!」
…刺し違えてでも構わない…こいつだけは…絶対に許さないッ!
ミューゼは剣のオーラを使い、背後からホークを襲った。
「ぐ…ガ…っ!?あぁ…なんだこりゃ」
曲刀が地面を転がる。
ミューゼの放ったオーラは蠍の尾のように曲がり、確実にホークの胸を背後から貫いていた。
「な、なんで腕が…俺の…腕…ガ」
ホークは自分の右腕を見つめていた。その手は何故かツタ状の植物に覆われ、その動きを完全に封じていた。
「コッこんな馬鹿ナ…俺は…食う側になったんだ…こんな場所で死ぬ筈…グハァっ!ああ…ぁ…ァ」
ホークは地面に倒れ、動かなくなった。
そしてミューゼはホークの身体から、ピッ…という機械音を聞いた。
「うそ…ッ!?」
ミューゼは反射的に身を護る。
瞬間、ホークの身体は大爆発した。
「うああああッ!?」爆風でミューゼは地面を転がった「…ぐっ…ホーク…」
幸い大した怪我は無かった。
爆風から身を護るため、
全方位に薄くオーラを展開した為に、
多少の傷が増えた程度だ。
体を起こし、ホークのいた場所を見る。
そこにはもうただの布切れが燃えているだけだった。
「あぁ…どうして、また…」
怒りが退いたミューゼは呟いた。
なんで私は…
私が関わった人は…皆…
「死ぬなよッ!なんで皆死ぬんだよ!私は…私は何でこんな惨めに生きてなきゃいけないんだよッ!」
地面をありったけの力で殴り付ける。
「あぁ、でも私は今…ホークを殺そうとしてた…でも、これは…違う…違くて…」
傍らに転がる漆黒の剣。
ミューゼは虚ろにそれを見つめる。
「お前の…せいだよ…」
ミューゼは立ち上がった。
「お前が!居なければ!私はこんな目に遭わなかったんだ!」
そのまま大剣を置いて駆け出した。
ドクン。
ドクン…!
ドクン!!
「ぐっ…あうっ…」
ミューゼは地面に崩れ落ちた。
心器はその人の心、そのもの。
故に一定距離所有者から離れれば…
所有者に苦痛と死が訪れる。
「はぁ…ぐうっ…イヤ…ヤメロ…」
嫌だ。
やめてくれ。
嫌なのに。
それなのに身体は心器を求める。
苦痛から逃れようと
みっともなく地面を這って、
そしてこの手に戻ってくる。
「…もうやだ……」
ミューゼは泣き出した。
街道は誰も通らない。
誰も彼女の涙を知るものは居なかった。
★
少し離れた場所で、ホークが使っていた形跡のある小さな小屋を見つけた。
そこには彼が肌身離さず持ち歩いていた情報を走り書きしているメモ帳が、
簡素なテーブルの上にそのまま置かれ、
夕焼けの光を映していた。
最後の3神柱の情報も、この手帳に書いてあるであろう事がなんとなく、ミューゼには理解できた。
「馬鹿…」
彼が肌身離さず持ち歩いていたメモ帳を、何故ここに置き忘れたのか、または敢えて置いたのか…それは分からないが。
…初めて会った時、ホークは両親を魔王軍に殺され、魔王軍に対して復讐を誓っていた。そんな彼がどうして魔王軍に加入してしまったのだろうか。
…食われる側から食う側に…か。
彼も追い詰められていたのかも知れない。自分が手に入れた心器では魔王に太刀打ち出来ない。このまま反乱を続けるよりも従属を受け入れ、魔王軍のエージェントとして動いた方が賢い生き方だ。
恐らくそう思ってしまったのだ。
グラヴィードはその思いを利用し、私が迷うことなく三神柱と相対できるように誘導し、必要であれば自らも魔剣の糧となるようにホークに命じたに違いない。
…許せない…!
もう一人として犠牲を出す訳にはいかない。ミューゼは立ち上がった。
そして服についた埃を払い、剣を布に納め背中に背負う。
「…行こう」
その先には、苦痛しか待っては居ないのかもしれないけれど。また誰かを失うことになるのかもしれないけれど。
それでも。
私は止まらない。
みっともなく、足掻いてやる。
「それでいいんだよね、ペルゼ…」
いつか無くしてしまった、
その中の一人の名前を呟き、
ミューゼは小屋を後にした。
緑色の髪をした少女が、
それを近くの木の上から見送り、
やがて木に溶けるように姿を消した。
【続く】