その昔、昭和の時代には”お見合いオバサン”なる存在がいたらしい。
近所や親戚で未婚の男女をみつけてはお節介を焼き、お見合いを斡旋する。そんなありがた迷惑の権化ともいえる人間だ。今のようにインターネットもない時代ならおばちゃんネットワークによる仲介事業は役だったのかもしれないが、今やスマホのマッチングアプリで済む時代である。更に言えば、若者の結婚離れが叫ばれる昨今、親戚や会社の上司から異性を紹介するなんてお誘いはハッキリ言って大迷惑なのだ。こちらが断り辛い立場だから尚のこと、それは顕著であると言える。なんならもうパワハラの領域と言ってもいい。五十代バツイチかまってちゃんとかマジやめろ。ケンカ売ってんのか。滅びればいいのにこんな世界。…………失礼。脱線した。
「……はぁ」
カッコーンと鳴り響く鹿威しの音色。窓から覗く日本庭園。どこぞの料亭か旅館を思わせる格式高そうな和室。
なんてベタなんだろう。テレビドラマでも観ているかのようなテンプレな舞台セッティングに思わず溜息がこぼれる。
「それでは、私たちはそろそろ……」
「そうですねぇ……。後は若い者同士でってことで……」
そう言って、二人の女性が自分たちの娘を残して席を立つ。片や凍えるような微笑を漂わせた女傑、こなた柔和な笑みを浮かべる人妻。対照的な印象を受ける二人の女性はしかし、仲良さそうに揃ってこの部屋を後にした。
いや、ちょっと待って。そろそろも何もまだ顔合わせたばっかりなんですけど。なんなのこれ。展開が早過ぎて八幡ついていけない。
「んじゃ、私もお暇しますかね」
「え……」
いやいや、もうちょっと寛いでってもいいのよ、お母様。心細さの余り、思わず縋るような眼差しをマイマザーへと向けてしまう。
俺にこの状況をどう捌けと? むしろ裁かれる側なのでは? なんかもうあれだ。『まな板の上の鯉』ってこんな心境なんだなと思いました(小並感)。
ふぇぇ……。かあちゃーん…はちまんも一緒にかえるぅ……!
「……八幡」
そんな俺の気持ちが通じたのだろうか、立ち上がって襖に手を掛けた母ちゃんがクルリと振り返り、神妙な面持ちで俺に向き直った。
きた! 絆きた! 親子の絆きた! これで勝つる!
「骨だけは拾ってあげるから、精々がんばりな」
ダメだ。全然気持ちが通じてなかった。
無慈悲にも襖を開け放ち、我が子を置いて部屋から去ってゆく母親の後ろ姿を見送り、俺はその場で項垂れる。
そんな俺の態度が気に食わなかったのだろう。俺と同じように動揺していたはずの彼女たちが、怒気のこもった声音で俺の名前を呼んだ。
「……比企谷くん」
「……ヒッキー?」
途端に重苦しい空気に包まれる和室。
やだもう。これ絶対あれだよ。瞳からハイライトが消えちゃってるパターンのやつだよ。サイドエフェクトで言われるまでもない。
俺は意を決して頭を上げると、黙して語る……というより、プレッシャーを放つ二人へと口を開く。
「ご、ご趣味は……?」
これは、大学生になった俺と元部活メイトとのある日の物語。
* * *
──青天の霹靂。
まさにそんな心境だった。
「……パードゥン?」
「だから、これから外食に行くって言ったの。あ、あとドレスコードあるところだから。大学の入学式で買ったスーツあるでしょ? あれ着なさい」
休日の早朝。惰眠を貪る俺の部屋に乱入した母親がぬっくぬくの布団を引っぺがし、有無を言わせぬ表情で告げた外出宣言。
十八年以上も親子をやってきたのだ。こういうシチュエーションで抵抗しても無駄だということは経験則で分かる。だから俺は大人しく寝間着を脱ぎ捨てて、寝ぼけ眼でYシャツへ袖を通した。しかしながら、ひとつ言わせていただきたい。
「突然すぎだろ。理由くらい説明してくれよ、母ちゃん」
「……行けば分かる」
どうしてそこでふいっと視線を逸らすんですかねえ……。
俺はモヤっとした気持ちを押し殺し、むくむく肥大化する疑念をなるべく考えないようにした。だって考えたところで拒否権なんてないんだもん。ならば『押してダメなら諦めろ』が座右の銘の俺である。考えても仕方がないことなら考えない。その結果訪れるであろう未来については、未来の俺がきっとなんとかしてくれる。がんばれ、未来の俺! 今の俺は応援することしかできないけどね!
「あれ、そういや小町は?」
「……小町は置いていくわ。ハッキリ言ってこの戦いにはついてこれそうにないもの」
「なにそれこわい」
ただでさえ休日の安眠タイムに叩き起こされてテンションだだ下がりなのに、俄然行きたくなくなった。
しかし、そんな俺の心情を慮ってくれるような母親ではない。いや、こう言うと語弊があるな。……あれだ。部屋の掃除をしにきた母親が、ベッドの下に隠してたHな本をキレイに整頓して机の上に置いておくような、そんな無用の気遣い。そう、慮ってはくれるのだ。ただ、慮ったうえで、あえて息子の心情を汲んでくれないだけで……どっちにしろダメじゃん。
「……八幡」
「あ?」
「寝癖。直してあげるから、後ろ向いてそこ座りなさい」
「……何を企んでやがる?」
「うるさい。いいから、さっさと座れ馬鹿息子。あんまり時間もないのよ」
「あ、はい」
体が勝手に反応して正座待機してしまう俺。あれだよね。いくつになっても母親には逆らえないものだよね。決して俺がマザコンとかそういうことではない。断じてない。大事なことなので二回言いました。
「……」
「……」
無言で俺の髪を梳かす母親と、黙って母親に頭を撫でられる俺。
表現の違いは主観によるものですので悪しからず。
「……大丈夫よ」
「……」
「最悪、あんた一人くらい私が死ぬまで面倒みてやるから。だから…後悔だけはしないようにね」
「母ちゃん……?」
照れ隠しなのかなんなのか、最後に俺の頭のつむじをグリグリと指圧した母親が手を放し、俺から離れると部屋の扉に向かってさっさと歩き出す。
慌てて立ち上がって後を追う俺に、こちらを振り向くこともなく、前を歩く母ちゃんが笑い混じりに俺の名を呼んだ。
「ねえ、八幡」
「な、なんだよ?」
「ちゃんとトイレ行っときなさいよ」
「……それ迷信だからな」
そうぼやきながらも、念のためトイレへと駆け込んだ俺。そんな俺を爆笑しながら見送る母親とはこれ如何に。
兎にも角にも、そんなこんなで俺は母親同伴で何処とも知れぬ外食へと旅立ったのだった。
* * *
そうして母親に連れられて到着した千葉県某所。
従業員に案内されて通された一室で、俺は唖然としてポカンと口を半開きにしたまま固まってしまう。
「ゆ、雪ノ下? 由比ヶ浜?」
「ど、どうして……比企谷くんと由比ヶ浜さんが?」
「ゆきのん? ヒッキー? え、なんで? だって今日は……」
どうやら俺だけでなく、彼女たちもこの事態に困惑している様子だった。
そんな俺たち三人を置いてけぼりにして、勝手に挨拶を始める保護者連中。そう、俺と同じように、雪ノ下と由比ヶ浜も母親同伴でこの場に来ている。更にいえば、二人ともちょっとお高そうな着物で着飾っており、これではまるで……。
そこまで考えて、この状況にピッタリな表現に思い至った俺は、ツツーと冷や汗が頬を伝っていくのを自覚する。
「比企谷くん。私の思い違いでなければなのだけれど……」
「言うな、雪ノ下。お前が今日なんて言われてこの場に来たのかは知らないが、少なくとも俺は何も聞かされちゃいない。ただ外食するとだけ言われて、ここに連れて来られただけだ」
「そ、そうなの……」
「でも、ね。あの、あたしは…その……」
「あー……、由比ヶ浜。その、なんだ。何となく察してるから大丈夫だ」
「う、うん」
なにこれ気まずい。あと雪ノ下たちがちょっと落胆してんのは何故だ。
狼狽する俺たち三人は、互いにチラチラと視線を向けてはすぐに逸らし、目が合っては赤面し、見つめ合っては黙り込むというローテーションを三度ほど繰り返して、そんな俺たちの様子を見兼ねたのか、それとも単なる愉快犯か、微笑ましそうに口の端を僅かに持ち上げた三人の母親たちが示し合わせたように口を開いた。
「それでは」
「はじめましょうか」
「うちの愚息と、そちらのお嬢さんたちとのお見合いを……!」
こうして、男一人に女二人という三つ巴のお見合いが幕を開けた。
* * *
緊張に黙り込む俺。動揺から目を泳がせる雪ノ下。混乱から右往左往する由比ヶ浜。
そんな俺たち三人を置き去りにして、母親トリオはそそくさと部屋を後にしてしまう。その探偵並みに早すぎる展開についてゆけず、俺があまりにも狼狽えてしまったからなのだろうか。対面に座る雪ノ下と由比ヶ浜がムッとした表情でプレッシャーを放ち、俺は遂に白旗を上げた。兎にも角にも、この鉛でも含んでんのかと言いたくなる重たい空気のままなのはいただけない。俺は灰色の脳細胞をなんとか唸らせてお見合いの常套句を捻り出す。
「ご、ご趣味は……?」
おずおずと尋ねた俺に、真顔の雪ノ下が応える。
「読書と映画鑑賞。あとは、乗馬を少々……」
雪ノ下に触発されたのか、由比ヶ浜も固まった表情筋を解すことなく、淡々と口を開く。
「カラオケ、あとは料理鑑賞を少々……」
なんだろう、これ……。お見合いって、こんな殺伐とした感じなの? テーブルの向かいに座った相手といつ喧嘩が始まってもおかしくない、刺すか刺されるか、そんな雰囲気なんですけど……。やだ、なんか俺が知ってるお見合いのイメージと全然違う!?
「そ、そうっすか……」
「……」
「……」
俺の適当な相槌に反応することもなく、無表情を貫く雪ノ下と由比ヶ浜。
なにこれ。なんの戦いなの。将棋とか囲碁の名人戦やってるんじゃねえんだぞ。なんでこんな緊張感に包まれた雰囲気になってんの。
「…………二〇秒・一・二・三」
「っ! ……ぶふぅっ!」
「ゆ、ゆきのん!?」
あまりにも重たい空気に耐え兼ねた俺が挟んだ小ボケに、雪ノ下が堪え切れずに噴き出した。残念ながら由比ヶ浜には通じなかったようで、突然笑い出した雪ノ下に困惑している。……というか、雪ノ下でも将棋の中継放送とか観るのね。
とりあえず、あれだな。今も肩を震わせて必死に笑いを堪えようとしている雪ノ下に畳み掛けるか。
「んんっ! 比企谷くん、唐突になにを言って……」
「先手、7八飛車」
「ふっ…くっ……だから、将棋から離れなさ……」
「後手、2八猫にゃー」
「や、やめて…っ……。もはや将棋ですら…くくっ…ないじゃない……っ!」
「先手、8三パンさん成る」
「それはちょっと語呂が悪いわね……」
「急に素に戻ったっ!?」
俺が適当にボケを放り込み、雪ノ下が生真面目に反応し、由比ヶ浜がツッコミを入れる。そんなかつての部室のようなやり取りに、固くなっていた空気が少しだけ弛緩したように感じた。
ちょうどそのとき、場の空気を切り替えるように外の庭園から鹿威しの奏でる音色が俺たち三人の間に鳴り響く。
「……ふぅ。似合わないわね」
「あ?」
「あなたのスーツ姿。見るのはこれで二回目だけれど、スーツに着せられているというか……絶望的に似合っていないわ」
「安心しろ、自覚はある」
「ヒッキー、それ安心できる要素が微塵もないから」
「由比ヶ浜が……『要素』なんて言葉を知ってる…だと!?」
「由比ヶ浜さんが……『微塵』なんて単語を使った…ですって!?」
「どういう意味だっ!?」
驚愕する俺と雪ノ下に憤慨する由比ヶ浜。
いや勿論冗談なんだけど、なんだけど……ねえ?
「……そうだよな。由比ヶ浜だってセンター試験を突破してきちんと大学に合格したんだもんな。がんばったんだよな」
「そうだし! あたしだって勉強がんばって……」
「……雪ノ下が」
「あたしじゃなかったっ!?」
「あのときは苦労したわ……。ええ、それはもう…自分の受験がイージーモードに思えるほどだったもの。二度とやりたくないわ」
「ゆきのんまで!? そ、そんなこと言わないでよー!」
遠い目をして当時のことを思い出したらしい雪ノ下が黄昏る。雪ノ下にそこまで言わせるってどんだけだよ。
うわーんと半泣きで雪ノ下に縋りつく由比ヶ浜を尻目に、俺はゆるゆりご馳走様ですとばかりに茶をしばこうとして、そういえば湯呑もなにも出されてなかったことに今更ながら気付く。あらためて和室を見渡してみれば、部屋の片隅に急須やポットのセットが置かれているのを見つけた。
よく見れば雪ノ下たちにも何も用意されていなかったので、ついでに全員分の湯呑を取り出す。いそいそとお茶の用意に取り掛かかろうとしたのだが、そんな俺に雪ノ下が待ったの声を掛けた。
「……代わるわ。それは…私の役目だもの」
「そう、か…。そうだったな。んじゃ、頼むわ」
「ええ。それに比企谷くんが適当に淹れたお茶なんて、渋くて飲めそうにないでしょうし」
「人生が苦渋に満ちてるからな。自然と滲み出るんだろ」
そんな俺の返しに苦笑しながら、雪ノ下は俺から受け取った湯呑にお湯を注いで温めながら、急須に茶葉を入れる。
「ほえー。ゆきのん、紅茶だけじゃなくて緑茶も淹れられるんだ」
「……素直に褒め言葉として受け取るべきか、それとも、侮られていると憤るべきか悩むところね」
「前者だろ。由比ヶ浜だし」
「うえっ!? いや、そのなんてゆーか…ゆきのんが紅茶淹れてくれるときも思ってたけど、所作ってゆーのかな。ひとつひとつの動作がキレイっていうか、洗練されてるっていうか……」
由比ヶ浜のその言葉を受けて、俺も改めて雪ノ下を観察してみる。
和装しているというのもあるのだろう。ただお茶を淹れているだけなのに、やたらと気品のようなものを感じる。
「……その、あまりジロジロと見ないでもらえると嬉しいのだけれど」
「あ、悪い。つい……」
「むっ! うーん……。あたしも茶道とか習った方がいいのかなぁ…」
茶道と日本茶の淹れ方は別物じゃね? まあ、所作って点では通ずるものはあるんだろうけど。俺は茶道を嗜む由比ヶ浜を想像してみるが……五分位で足が痺れたと音を上げる姿が容易に思い浮かんだ。由比ヶ浜はあれだな。正座より、女の子座りの方が似合うな。あれって絶対膝の関節に悪そうだけど、痛くないのかね?
そんな風にぼーっと思考に耽る俺と、むむむっと唸る由比ヶ浜の前に雪ノ下が静かに湯呑を置いた。
「どうぞ」
「あ、ありがとー! ゆきのん!」
「ども」
少しばかり息を吹きかけて冷ましてから、ずずずっと雪ノ下が淹れてくれたお茶を啜る。同じくお茶を飲んだ由比ヶ浜がくわっと目を見開き、なんか真面目くさった顔で雪ノ下に向き直った。
「むむっ! 結構なお手前で!」
「……由比ヶ浜さん。無理してそれっぽく褒めようとするのは止めなさい。その…普通に言ってもらえるだけで嬉しいから」
「そうだぞ、由比ヶ浜。ふむ……、このお茶は雁が音がきいてるな」
「比企谷くんも知ったかぶるのは止めなさい。雁が音は茶葉の種類であって、褒め言葉ではないの。これはただの煎茶よ」
俺のにわか知識が撃沈した。マジかよ。せっかく世界を大いに盛り上げる為の団長が憂鬱になるラノベで覚えたのに……。おのれ本名不詳許すまじ!
なんて下らないことを考えながら、暫し黙って少し温くなったお茶に舌鼓を打つ。
「……」
「……」
「……」
いつの間にか、お喋りしていたはずの雪ノ下と由比ヶ浜の二人も無言となり、再び静けさに包まれる和室。
先ほどまでのような重たい沈黙ではないけれど、どこか落ち着かない様子の雪ノ下と由比ヶ浜。そんな二人に訝しげな眼差しを向けたからだろうか、雪ノ下が意を決したように口を開いた。
「……何も聞かないのね」
「なにが?」
「あたしたちが、今日ここに来たこと」
「……お見合いだからだろ」
そう言葉を返して、どうして雪ノ下たちがそわそわとしているのか、ようやく察することができた。
なんというか、そこまで気にしなくてもと思うが、そういう問題ではないのだろう。不安そうな顔を隠しもしない彼女たちの表情を見て、なんとなく居た堪れなくて、思わず頭をガシガシと掻いて目を逸らしてしまう。
「……大丈夫だ。ちゃんとわかってる。お前らが望んで今日ここに来たんじゃないんだろ」
「う、うん! ママから断ってもいいから、会うだけでも会ってあげてって何度もお願いされて、仕方なく……」
「私も由比ヶ浜さんと似たようなものね。先方の面子もあるから、顔合わせだけでもって無理矢理……。まさか、こんな企みだったとは夢にも思わなかったけれど」
俺の言葉に由比ヶ浜が嬉しそうに頷き答えて、心なしかほっとしたような表情をみせた雪ノ下もそれに続く。
誰とも知れない相手とのお見合いにほいほいやってきたと思われるのが嫌だったのだろう。そう確信している自分がなんだか自惚れているようで、そこはかとなく小っ恥ずかしい。俺は誤魔化すように湯呑を掴み、残っていたお茶を一気に呷った。
「……ふふ。比企谷くん、おかわりは?」
「あ、頼む」
「ええ。由比ヶ浜さんは?」
「あたしもお願い!」
俺と由比ヶ浜から湯呑を受け取ると、雪ノ下が急須から再びお茶を注ぐ。由比ヶ浜は何やら鼻をすんすんさせながら辺りをキョロキョロしたかと思うと、テーブルの下から御茶請けとして用意されていたらしい和菓子を見つけて目を輝かせていた。犬か。
「やたっ! ねえ、見てゆきのん。お菓子みつけたー!」
「小学生じゃねえんだから、落ち着けよ」
「えー……。じゃあ、ヒッキーは食べないの?」
「いや、食う。つーか、よく考えたら朝飯も食ってなかったわ」
「えー、どうしよっかなー? このお菓子はあたしが見つけたんだから、一割はあたしのものだよねー?」
「……よし。なら残りの九割は俺と雪ノ下で等分だな」
「あたし大損してるっ!?」
「はあ……。遺失物ではないのだから、素直に三等分すればいいじゃない」
そうして三人で和菓子を摘まみながら、暫しの間、まったりと雑談に興じる。
「あ、そうだ」
「どした、由比ヶ浜?」
「ねえ、ヒッキー。この振袖…どうかな?」
「あ? あー……、まあ、その、似合ってんじゃね?」
「むー。どうしてそこで疑問形になるかなー」
プンスカと頬を膨らませる由比ヶ浜。そんな彼女が着る振袖は、薄桃色の地色に色々な花と御所車……だったか? なんか平安時代とかの貴族が乗ってそうな乗り物が描かれた柄があしらえていた。なんというか、ちょっと意外である。色のチョイスはまあ由比ヶ浜らしいと思えるのだが、柄の方はもっと桜とかの花が大きく描かれたものを好みそうな気がするのだが……。
「この振袖をレンタルするときさ。あたしは違う柄のを選ぼうとしたんだけど、ママがこっちの柄にしておきなさいって言ってね」
「……そうなの?」
「うん。あれ、もしかしてゆきのんも?」
「ええ……。母さんがこちらの柄にしなさいって。特にこだわりもなかったから大人しく従ったのだけれど」
そう言って両腕を広げてみせる雪ノ下の振袖は、藍色に手毬の柄が描かれたものだった。さすがの雪ノ下でも着物の絵柄にまで造詣が深いわけではないらしく、由比ヶ浜と二人揃って首を傾げている。
そんな二人の目を盗むように、俺はこっそり背広の内ポケットからスマホを取り出すと『着物 柄 意味』で検索をかけてみた。いくつかのサイトを巡ってようやく雪ノ下たちが着ている振袖と同じ図柄の説明を見つけ、そこに記載されていた内容に思わず苦笑する。
「ヒッキー?」
「比企谷くん?」
「ナンデモナイデス」
なんというか、外堀を埋められている感がハンパない。いや、こんな場を設けられている時点で既に本丸まで攻め込まれてるようなもんだけど。それはともかく、あれだな。親の心子知らずってやつなんだろうな。特に雪ノ下。親子揃って不器用すぎるだろ。まあ、親子間の問題に俺が土足で踏み込むのもどうかと思うので、口には出さないけども。
それにしても、二人の母親が選んだ柄ってことだったけど、なんとなく雪ノ下が御所車で、由比ヶ浜が手毬の方がしっくりくる気もするんだが……。母親目線だとまた違うものなのかもしれんね。
そうして俺が一人うんうんと訳知り顔で頷いていると、どことなく不貞腐れ気味な雪ノ下が口を開いた。
「……ところで、比企谷くん」
「あん?」
「その、私に何か言うことはないかしら」
「は? いや、特には……」
無い、と言いかけて、慌てて口を噤む。だっていま体感温度が五度くらい下がった気がしたもの。これ選択肢を間違うと即An○therな展開のやつだ。
考えろ、比企谷八幡。大丈夫、俺ならやれる。伊達に神様だけが知ってるセカイの漫画を読破していない。あれだ、ギャルゲーみたいな選択肢を思い浮かべればいいんだ。カモン、選択肢!
A.雪ノ下。一回、きちんと母親と話し合えよ。
B.着物って胸が小さい方が着こなせるらしいな。似合ってんぞ、胸囲的に考えて。
C.なあ、着物のときは下着は穿かないって本当?
……詰んだ。
俺が脳内選択肢の鬼畜具合に絶望していると、俯いて冷気を発してる雪ノ下の横に座る由比ヶ浜が焦った表情で何やら必死に口をパクパクさせていた。なにそれ、鯉のモノマネ?
「──! ──!」
どうやら口パクで何かを伝えようとしてくれているらしいのだが、生憎と俺は読唇術の心得なんて持ち合わせていない。とりあえず、母音に変換して考えてみればいいか。ええっと……。
『イオオ! オエエ!』
……気分でも悪いのだろうか。いや、母音だからか。これを今の状況に適した単語に変換していけば由比ヶ浜の言いたいことも分かると思われる。
イオオ…イ、キ、シ、チ、ニ、ヒ……ヒ? ヒオオ……ヒモ………ヒモノ? 『ヒモノ! オエエ!』……違うな。これだと全国の乾物屋に喧嘩売ってるだけだわ。俺が途方に暮れて由比ヶ浜に視線を送ってみると、今度はなにやら自分の着物の袖をクイクイと引っ張って……って、そうか。
「……キモノ」
「っ……!」
俺がぽつりと呟いた言葉に俯いていた雪ノ下が凄い勢いで顔を上げ、期待に満ちた眼差しを向けてくる。
あー……、うん。流石の俺でも由比ヶ浜が何を伝えようとしてたのかようやく分かったわ。間違っても『キモノ! オエエ!』とかではない。つーか、言ったら殺される。
「その、雪ノ下が着てる振袖も似合ってる……んじゃね?」
「そ、そう?」
「おう」
「だから、どうして最後が疑問形になるし」
「うるせぇよ。察しろ」
目を泳がせてそっぽを向く俺に、由比ヶ浜が呆れたような眼差しを向けてくる。しかし、その表情はどこか安堵しているようでもあり、なんというか手間のかかる我が子を見守る母親っぽい微笑みがなんともこそばゆいのでその表情やめてくださいお願いします。
ちなみに、雪ノ下は俺が視線を逸らすのと同時に小さくガッツポーズしてた。見えてるから。そこはちゃんと隠して。でないと俺が恥ずか死んじゃう。
* * *
それからも、俺たちはぽつりぽつりと言葉を交わした。
元々、俺も雪ノ下も口数が多い方ではないし、自分から話を振るような性格でもなかった。なので、会話の切っ掛けはどうしても由比ヶ浜頼みだし、その話だって特別盛り上がったりするようなこともない。
でも、きっとそれでいいのだ。思い返せば、かつての奉仕部での日々も似たようなものだったように思う。雪ノ下や俺が読書に耽って、それに由比ヶ浜が文句を言って、雪ノ下が折れて、俺も巻き込まれて……。そうやって、俺たち三人だけの世界は廻っていた。
なんだかあの頃に戻ったかのようなこの空間に、知らず俺は居心地の良さを感じていて、そしてそれは俺だけじゃなかったのだろう。
「あ、あれぇ……?」
不意に、楽しげに笑っていた由比ヶ浜の頬を涙が伝う。
「由比ヶ浜?」
「由比ヶ浜さん?」
「あはは……。おかしいな。あたし、なんで泣いて…っ……!」
まるで堰を切ったように、涙が由比ヶ浜の目元から溢れてはぽろぽろとこぼれ落ちてゆく。
「ちがっ、ちがうの……。ただ、また奉仕部の頃に…っ……あの頃に戻れたみたいだなって、そう思ったらっ……」
由比ヶ浜は何度も何度も振袖の袖で拭うけれど、止め処なく流れる涙は枯れることなく溢れ出す。
「嬉しくて…うれしい、はずなのに……」
「……由比ヶ浜さん」
懸命に涙を堪えようとして嗚咽をもらす由比ヶ浜。そんな彼女に寄り添うように、雪ノ下が横から優しく由比ヶ浜を抱きしめた。
それがトドメだったのかもしれない。雪ノ下に抱きしめられた由比ヶ浜が、まるで幼子のように声をあげて泣きじゃくる。そして気がつけば、俺も雪ノ下も静かに泣いていた。理由なんてわからないし、理屈で説明もできやしない。どういう感情で泣いているのかなんて表現できないけれど、不思議とこれは必要なことなんだと思えた。
本当なら、もっと早くこうやって三人で向き合うべきだったのかもしれない。タイミングならいくらでもあったのだから。それなのに何もしてこなかったのは、俺が恐れていたからだ。
一度背を向けた二人に、再び向き直るという後悔が。今更どの面下げて会えばいいのかという葛藤が。手を伸ばしたら、今度こそ壊れてしまうんじゃないかという不安が。俺は、また二人から逃げ出してしまうんじゃないかという焦燥が、二人に連絡するという選択肢を俺から奪っていた。
あれから二年近くの歳月が過ぎ去って、どんなに表面上は取り繕ってみせても、こうして三人だけになればすぐにボロがでる。
時間がすべて解決するというのは嘘だ。だからいま由比ヶ浜も雪ノ下も、そして俺も泣いている。有耶無耶にもできず、風化もせずに、俺たち三人の問題は今もここにあり続けていた。
* * *
………
……
…
きっかけがなんだったのか、今ではもう覚えていない。
きっと些細なことで、至極どうでもいい、何てことはないありふれたものだったのだと思う。
「……帰るか」
高校三年生になって四月ももう終わろうかという時期だった。
ある日、いつものように登校して、自分の教室の前までやってきた俺は、閉じられた教室の扉を何故だか開けることが出来ず、踵を返してしまった。
体調が悪かった訳ではない。イジメられていた訳でもない。ただなんとなく気分が乗らなくて、軽い気持ちで学校を後にして、そのまま学校を休んで帰宅した。
幸か不幸か、三年生へ進級して新しくなったクラスに知ってる奴はおらず、また新しいクラスメイトも俺に関わろうとはせずに、平塚先生のように積極的に俺へ関わろうとする教師もいなかった。
次の日は、昇降口から下駄箱へと辿り着いたところで、どうにも靴から上履きへ履きかえることが億劫で、そのまま家に帰ることにした。その次の日は、校門まで来たところで自転車から降りるのが面倒で帰宅した。そんな風に、まるで何かに流されるようにフラフラと自宅と学校の間を行っては来たりを繰り返して、いつの間にか自分の家から出ることすらできなくなった。
学校には毎回それっぽい理由を告げていたからか、俺の不登校がすぐに露見することはなかった。
朝は小町よりも先に家を出ていたし、奉仕部が無くなったことで、俺が小町より先に家へ帰ってきていても、特に不振に思われることは無かった。……いや、訝しんではいたのか。俺が学校をサボり始めてから、小町はやたらと雪ノ下や由比ヶ浜のことを聞いてくることが多くなったのだから。そんな小町に辟易して、俺は受験勉強を理由にして家に居る間は極力自分の部屋へ引っ込んでいることが多くなった。
俺が学校を休み始めてから一週間が経過して、学校から両親へと連絡がいき、俺が学校を休んでいることが家族に露呈した。
その日の晩、親父と母ちゃんに理由を聞かれたけど、俺は答えることができずに押し黙った。ただ、イジメだとかではないことを説明して、休んでいる間も勉強もきちんとすることを条件に、俺は両親から学校を休む許可をもらった。
そして、その日を境に俺は自分の部屋に引き籠ったまま、一歩も外へ出ることはなくなった。
…
……
………
* * *
由比ヶ浜のすすり泣く声だけが響いていた室内に、雪ノ下の少し上擦った声が割って入った。
「比企谷くん」
「……なんだよ」
さり気なく目元を拭った雪ノ下が、少し赤くなった目で俺をじっと見据える。
「全てが自分の責任だなんて自惚れているようだけれど、それは違うわよ」
「違わねえだろ」
「違うわ」
俺の否定を、雪ノ下が断ち切るように否定で返す。
だが、こればかりは俺の問題で、その全ては俺に帰結するべきだ。
「俺が何もかも投げ出して、お前たちから逃げ出した。それが事実で真実だ。それ以上でも、それ以下でもない」
「ええ、そうね。けれど、あなたがそうなってしまった要因は私たち二人にあるわ」
「ねえよ」
「あるのよ。ある。結局、私たちは…私は、またあなた一人に押し付けただけ」
「違う! あれは俺が弱かったからっ」
言い争う俺と雪ノ下を遮るように、それまで泣いていた由比ヶ浜が声を荒げる。
「違くないっ! 違く、ないんだよ……。そうじゃないの。ヒッキーだけのせいじゃない。あれは、あたしたち三人ともがダメだったんだよ……」
由比ヶ浜が再び目尻にじわりと滲んだ滴を着物の袖で拭い、涙声で切実に訴える。
「本当なら…プロムナードの依頼が終わった後に、もっと踏み込むべきだった。向き合うべきだったの」
「だから、それは俺が逃げ出したからっ!」
「あたしだって逃げたもん! あのとき、ヒッキーの想いが誰に向いてたのか、ゆきのんの気持ちがどう動いてたのか、わかっちゃったから……それに耐えられなくて、あたしはヒッキーにも、ゆきのんにも一歩踏み出せなかった」
「それを言うのなら、私もそうなのでしょう。知らぬ存ぜぬで無知な振りをして、ただただ全てに甘える雛鳥のように、与えられるのを待っていただけ」
懺悔するように、悔恨に苛まれる由比ヶ浜と雪ノ下の姿に、臍を噛む。
止めてくれと、俺はお前らのそんな表情は見たくないのだと、そう言おうとして、それすら自己保身で自分勝手なエゴであることに気が付いて、そんな自分の浅ましさに嫌気が差す。
「……あなたが今自分に対して抱いている自己嫌悪の感情を否定するつもりはないわ。私だって自分のこの弱さは嫌いだもの」
「あたしだって自分のこんな醜い感情なんかイヤだよ……。でも、そこから逃げちゃったら、結局は二年前と同じになっちゃう」
何度も歩み寄っては、大事なところで躊躇して足踏みして擦れ違う。それが二年前の俺たちだった。
なにかと理由をつけて、言い訳を繰り返して、怯えて縮こまる毎日。そうこうしているうちに、俺たちは平塚先生の転任を機に居場所を無くしてしまった。
あのとき雪ノ下が向き合おうとして目を逸らした気持ち。由比ヶ浜が踏み込もうとして踏み出せなかった一歩。そして、俺が手を伸ばそうとして手放してしまったナニか……。
「俺…は……っ!」
* * *
………
……
…
奉仕部が廃部となっても俺たち三人は、当初は楽観していた。
いや、違う。今思えば、そう思い込もうとしていただけだったのかもしれない。
雪ノ下は元々在籍している科が違うし、俺と由比ヶ浜も文理選択の関係もあって別々なクラスとなった。
それでも、偶に昼食を共にしたり、放課後に三人で勉強会をしてみたりして、奉仕部という繋がりが無くなっても、俺たちは大丈夫だと思おうとした。
でもそれは、きっとただの強がりで、悪足掻きだったのだ。
居場所を失った不安は日に日に大きくなっていき、やがて不安はありもしない恐れや不満を呼び寄せた。
最初に押し潰されたのは、由比ヶ浜だった。
「ヒッキー……。今日は、二人で遊びにいこ?」
喪失感を埋めるように、由比ヶ浜はその隙間を俺との時間で埋めようとした。
「ひ、比企谷くん。あの、ちょっとお願いが……」
そしてそれは、雪ノ下も例外ではなかった。まるで競うように、二人は俺との関係を深めることで失ってしまったナニかを誤魔化そうとしていた。
「比企谷くん」
「ヒッキー」
砂上の楼閣のように、俺たち三人の関係は脆くも崩れ去った。
学校で会うたびにいがみ合う雪ノ下と由比ヶ浜。お互いが、相手のことを恐れていたのだと思う。それは幼い姉妹が自分の母親を取り合って喧嘩するような。相手に奪われたら、もう自分のことは見向きもしないのではないかという疎外感と、自分だけを残して何処かに行ってしまうのではという焦燥感、一人ぼっちにはなりたくないという孤独感。そういった感情が疑念に代わり、やがては憎悪となってすべてを狂わせた。
「雪ノ下、由比ヶ浜」
そんな風に徐々に変わってゆく二人を前に、俺は何もできず、ただ流れに身を任せているだけだった。
俺が手を伸ばしたら更に悪化してしまうんじゃないかと恐れて、俺が踏み出したらもう後戻りできないんじゃないかと怖くて、そんな言い訳を並べて現実から目を逸らしているだけだった。
『大切』だから、失いたくなかった。
失いたくないから、『大切』にしていた。
そのはずなのに、気が付いたら何が『大切』なのか分からなくなっていた。
そうして、雪ノ下とも、由比ヶ浜とも、自分とも向き合うことなく、俺は全てを放り出して逃げ出した。
…
……
………
* * *
「俺…は……っ!」
ふと、高校を卒業してから今日に至るまでの日々が脳裏を過る。
──材木座の依頼で、俺はまた二人の前に立つことができた。
──陽乃さんたちのおかげで、俺は一人ぼっちになることがなかった。
──平塚先生と再会して、俺は今の自分を受け止められた。
──一色と小町の二人が、俺の背中を押してくれた。
それだけじゃない。戸塚も、川崎も、三浦や海老名さんだってそうだ。あの日、俺がすべてを投げ出してしまったときからずっと、色々な人が俺の傍にいてくれた。
ときには笑って、ときには怒って、ときには叱ってくれて、そうして俺はあの暗い部屋から出ることができたのだ。
「いまだに、『本物』が…なんなのかなんて、俺にはわからない」
かつて、二人の前で咄嗟に口からこぼれた『本物』という言葉。
あれほど渇望したそれは曖昧模糊としていて、結局は存在するのかもわからないナニか。
「雪ノ下に抱いた感情が、由比ヶ浜に向けた想いが、その答えなのかどうかも判然としなくて」
結局、俺はどうしようもなくガキだったのだ。
いくら図体ばかり大きくなっても、本の虫になって知識を詰め込んでも、肝心な部分は何一つ成長していやしない。
「目に見えないから怖くて、手で触れることもできないから恐ろしくて、それが何なのか理解できないから怯えていた」
自分以外の誰かを受け入れるということが、どういうことなのか。
自分を他の誰かに受け止めてもらうということが、どういうことなのか。
「いくら考えても論理も理論も理屈も通じなくて、通じないからそれが何なのか理解できなくて、また思考の海に溺れていく。ずっとその堂々巡りだった」
それはまるで、なんでどうしてとあらゆることに理由を求める幼い子どものようなもので。
そこに意味なんてないのに納得できなくて、意義もないのに固執して、嫌だ嫌だと駄々をこねる。
「雪ノ下」
「……比企谷くん」
あのとき俺が雪ノ下に抱いた憧れは、『恋慕』と呼ばれる感情なのかもしれない。
「由比ヶ浜」
「ヒッキー……」
あのとき由比ヶ浜に向けた親しみは、『親愛』と呼ばれる想いなのかもしれない。
「おかしいと笑ってくれてもいい。ふざけるなって怒ってくれてもかまわない」
それでもこれが俺の偽らざる気持ちで、本音なのだ。
碌でもないし、解決もしなければ、解消もされない。ああ、まるでいつか読んだラノベ主人公のようだ。ヘタレで、優柔不断で、一貫性もなくブレてばかりのクソみたいな主人公だった。けれど、今なら共感できる気がする。あれほど嫌悪した存在のはずなのに、自分がそうなろうとしていることに思わず自嘲してしまう。
「俺、比企谷八幡は──」
理屈じゃなければ、理論も論理もありはしない。理由なんて知るか。説明なんてできる訳がない。考えて考えて考えて考えて考えて考え尽くして結局理解できないまま最後に残った感情がこれだったんだ。
「雪ノ下雪乃に恋をして、由比ヶ浜結衣に惚れている」
* * *
言ってやった! 言ってやった! 後のことなんて知るかバァーーーーカ!!
そう開き直っていた三分前の自分をぶん殴ってやりたい。
「……比企谷くん?」
「……ヒッキー?」
「落ち着け。話せば分かる」
やっぱりダメですよね。知ってた。
いや、違うんだ。別にハーレムルートだとか、二股かけるとかそういう意味じゃないのよ。俺にそんな甲斐性は無い。なんなら自分を養う甲斐性すら無いまである。……我ながら情けねえな、おい。
「……はあ。それが、今のあなたの本心、ということでいいのかしら?」
「まあ、そうだな」
「サイッテー」
「ぐっ……」
ですよねー。正直、俺もこの結論はどうかと思うし。反論の余地ないわ。
でもですね。君らモテない男の心理というものを甘く見過ぎだよ。どうして物語の中の自称平凡主人公がハーレム状態になったときにウダウダぐずぐずして煮え切らない態度してると思う? 結論なんか出せる訳ねえんだよ。これまで一度も好意なんてものを向けられたことのない人間が、それを手放せると思うか? やっと見つけた居場所を自分で壊す勇気があると思うか? ねえよ。ない。そんなんあったら、とっくにリア充してるわ。どこぞの『え? なんだって?』なプリン野郎をみてみろ。ああやって何もかもグダグダにして、最後には全ての人間関係が崩壊して十年後くらいに後悔するのが関の山だ。
「わかってる。物語の世界じゃねえんだ。そんな答えが現実で受け入れられるなんて思っちゃいない」
そうだ。それが分かっていたから、あのときの俺は逃げ出した。俺が選ぶことによって、どちらかが傷付くと知っていたから、選ばないという選択肢を選んだのだ。
その結果、雪ノ下と由比ヶ浜の二人ともを傷付けて、一色や小町といった多くの人を巻き込んだ。
「だから、お前たち二人にひとつ依頼がしたい」
俺の言葉に、雪ノ下が肩を震わせ、由比ヶ浜が目を見開いた。
「手伝ってほしい」
「手伝い?」
「俺たち三人の答えを見つけるために。その手伝いをしてほしい」
「手伝いでいいの?」
「ああ。『餓えた人に魚を与えるのではなく、捕り方を教えて自立を促す』それが奉仕部の理念だろ?」
「そう、ね」
雪ノ下が考え込むように瞑目し、由比ヶ浜は何かを堪えるように俯いた。
「……期限は?」
「答えが見つかるまで」
「ホントに見つかるの……?」
「見つける」
いくつかの応答の後、暫し黙考していた二人が目を開き、顔を上げた。
「……条件があるわ」
「あたしも」
「おう」
目を細めて鋭利な眼差しでこちらを見据える雪ノ下と、眉根を寄せて頬を膨らませる由比ヶ浜。
「あなたたちに紅茶を淹れる役目は、私だから。譲らないわよ」
「むしろ、雪ノ下以外に適任がいないだろ」
「お菓子はあたしが持ってくるから。ちゃんと食べてよね」
「黒焦げじゃなければな」
「今度、あなたがオススメの本を教えてほしいのだけれど」
「任せろ。材木座の小説よりはマシなやつはいくらでもある」
「本ばっかり読んでないでさ。たまには、あたしにもかまってよ。ゆきのんもだからね!」
「ええ、分かったわ」
「分かったよ」
気がつけば、三人揃って苦笑しながら、また泣いていた。
きっと他の人から見れば、俺たち三人の在り方はひどく醜い関係なのかもしれない。共依存のように歪で、妥協と打算と惰性で構築された唾棄すべき繋がりのようなもので。それは俺が最も忌み嫌っていた上っ面だけの関係に似ているはずなのに……。
「比企谷くん。それに、由比ヶ浜さん。二人に伝えておきたいことがあるの」
「……うん。あたしも、ヒッキーとゆきのんに聞いてもらいたい事がある」
雪ノ下が居住まいを正して、俺と由比ヶ浜に相対する。それと同じように、由比ヶ浜も向き直って俺と雪ノ下を見つめ返す。
「私、雪ノ下雪乃は────比企谷八幡に好意を寄せて、由比ヶ浜結衣を慕っています」
「あたし、由比ヶ浜結衣は────比企谷八幡が愛おしくて、雪ノ下雪乃が大好きです」
そうして、どうしようもなく面倒臭くて、間違いだらけな俺たち三人の青春は再び動き出す。
これは、そんな俺と雪ノ下と由比ヶ浜のある日の物語。