タイガーマイヤー戦記・第一部 ――ネメシスの動輪―― 作:茅葺
腹ばいに伏せた肘に、地面から半分ほど顔を出した石塊が当たっている。
普通は痛むはずだ。だが、今この瞬間においてそれが全く意識に上らないのは奇妙な事と言えた。
戦いを前にした静かな高揚のせいなのか。
物陰に停めたレンタ7号にはアリサを見張りに残して、グレッグはロックヘッドを見下ろせる崖の上から双眼鏡を使っていた。
ここからは廃墟がよく見渡せる。発見されないように身を低く潜めていても、普通の町の一ブロック分ほどの、崩れたコンクリート製建築物の塊がほぼ余す所無く双眼鏡の視界に収まった。
多分ホワイトリバー上流の「死せる都市」と同時代の物だろう。足場が悪くてスカベンジャー達も手が出せなかったのだろうか、建物の所々にはアルミ製の窓枠がガラスを嵌めこまれたままで、もはや存在しない部屋を吹き荒ぶ風から空しく守っている。
鉱石からの精錬技術が失われた現在、アルミニウムは貴重な金属のひとつだ。錆びず、軽量で、加工しやすくそこそこに丈夫な灰色の金物。 偵察用の軽戦車や装甲車のボディに使われている事も多い。
このロックヘッドや「死せる都市」のことが知られるようになったのも、アルミを求めて多くのスカベンジャーやハンターが入りこみ、そしてそのうち何割かが帰ってこなかったからだ。
こうした廃墟には、だいたい
敵は少なくとも三人、数の上の不利は戦術で補うしかない。
しかも、グレッグはサマンサの救出も成し遂げなければならないのだ。綿密な偵察が何にも増して必要だった。
今この岩場からは、ヴォネガットたちの戦車「ゲパルト」が、瓦礫の間の周囲が開けた場所に駐車しているのが見える――
「……いや、停車だな」
グレッグは呟いた。ゲパルトの砲塔後部のレーダー・アンテナがゆっくりと回転しているのだ。誰かが乗車して周囲を警戒しているのに違いない。乗員三人のうち、少なくとも一人が。
(俺が奴らの立場だったら、どのような布陣を敷く?)
グレッグは自問自答してみた。ヴォネガットたちが依頼者と合流するまで今からほぼ三十時間ある。夜陰に乗じて忍び寄り、ゲパルトを無力化できればグレッグにも勝機がある。
それは向こうも解っているはずだ。夜の間、彼らは張り詰めた状態で追跡者に備えなければならない。だから彼らはこの日中の時間帯に、交代で休息をとることだろう。
(問題は、奴らがロックヘッドのどの辺りにサマンサを監禁しているかだが……)
交代の際にゲパルトを空にするようなヘマは、彼らはするまい。とすれば監禁場所は停車位置からごく近い場所だ。
ゲパルトから二十メートルほどの所には、途中五階ほどの高さでへし折れたビルがある。その残った下半分が、いかにも隠れるのに都合がよさそうだった。
(恐らくあそこだろうな……おや、あれはなんだ?)
双眼鏡の視界に入ったものは、ゲパルトの周囲何か所かの高い建造物の上に設置された、簡易レーダーのアンテナらしき物体だった。
用心深いハンターの何人かが、野営の際などに似たものを使っているのを見たことがある。さほどの能力は無いが、単一のレーダーでカバーできない地形においては、それなりに有効な物だ。
「万全の備えと言うわけだな」
グレッグは苦笑した。おかしな話だが敵の周到さがかえってグレッグに作戦のヒントを与えてくれたのだ。古傷を抱えた右膝をかばいながら、グレッグは下で待つアリサの方へと崖の裏手の急斜面にそって滑り降りて行った。
* * * * * * * *
アントノビッチはコンソールのスイッチを切り替えた。交代まであと三時間。それまでの間三分おきに、設置した簡易レーダーと車載の広域監視レーダーとを切り替えつづけなければならない。
急場に作りつけたシステムだから、ゲパルト本来のレーダー画像とのは同時に表示できず、その切り替えも手動だ。
「俺のハインリッヒをこんな使い方させやがって……」
アントノビッチは毒づいた。このゲパルト――「ハインリッヒ」は明らかにヴォネガットの所有物だが、購入以来二ヶ月の間、おおよそ最高のコンディションを保てているのは、彼の行き届いた綿密なメンテナンスの成果だ。
チリ一つ無く磨かれた、射撃統制装置のコンソール。大破壊前の精緻な電子技術の産物たる、究極の芸術品――この砲塔は、いわば彼の城だった。
三十五ミリ機関砲と言えば、頭の古いハンター達は大概が鼻で笑って相手にもしない。それはそうだ、もともと対空用で、対装甲用の武装ではないのだから。
だが、このハインリッヒの場合、機関砲は対地攻撃用に連射速度を押さえつつ、強装薬の翼安定式徹甲弾を発射するように改造を施してある。
機動力を生かして側面に肉迫し連射を叩き込めば、たとえ目下の仮想敵、グレッグ・マイヤーの「ファブニール」といえども持ちこたえられはすまい。
化け物じみた装甲だけが取り柄の、旧時代の遺物などに遅れはとらない――そう自負している。
専属のメカニックとしてヴォネガットに付いて数年になるが、車を愛する事にかけては彼の方が、あの男装趣味のわがまま娘よりは上を行っている――そう思っているからこそ、「俺のハインリッヒ」などという言葉が出てくるのだった。
そのアントノビッチの目の前で、突然レーダーのモニター画面が死んだ。一瞬後にくぐもった爆発音。
コンソールの表示を確認する。死んだのはビルの上に設置したアンテナ方だ。
「何だ……? 近くに火器を積んだ車がいるのか?」
あわてて本体の広域監視レーダーに切り替えたが、それらしい反応は無い。生身で来たのか、あるいはレーダーの死角か?
アンテナの設置位置から考えて、死角に入っていた車輛が居るとは考えにくい。ヘッドセットのスイッチを入れて、仮眠をかねて待機中のブロンスキーを呼び出した。
「おい、敵襲だ。馬鹿が仕掛けてきたらしい。お迎えにいってやりな」
〈ああ、爆発煙が見えた。四十ミリグレネードみたいだったが……いや、待て〉
徒歩戦闘に特化した
〈四輪の軽装甲車がいる! 乗っけてくれ、追うぞ!〉
これまでどこに隠れていたのか、対地用のカメラも走り去る軽装甲車の姿を捉えていた。アントノビッチは操縦系を半自動モードに切り替えた。
(陽動じゃないのか?)
そんな疑念が頭をかすめる。だがマイヤーが一匹狼である事は確認済みなのだ。相棒とおぼしい運び屋は目下のところ負傷でまともに動けない様子だった。もう一人、さらってきた女科学者には娘がいたが、あれはどう見てもただの小娘の筈だ。
マイヤーたちが戦力を分散できるとは考えられない。
いかつい体つきをしたソルジャーはもう、ハインリッヒの車体の上だった。砲塔の追尾した方向へ車体を向けて走る半自動モードでは、さすがにヴォネガット本人の操縦には遠く及ばない。それでもあの程度の速度で走る車輛を追うのは、わけもないはずだ。
* * * * * * * *
「アリサ、上手くやれよ」
双眼鏡でゲパルトの離脱を確認しながら、グレッグは呟いた。遺失物ロッカーから借りてきた、擲弾筒付きアサルトライフルの四十ミリグレネードはあと三発ある。これとライフル本体の五.五六ミリ弾が百発、それにアリサに貸してあったリボルバー。
何とか戦えるだろう。無論戦わずにすめばその方が良いが。
ショットガンと対戦車ロケットはアリサが持っていった。彼女には一時間の間、ゲパルトを引っ張りまわして来いと指示してある。その間にサマンサを救出し、先ほどの崖の下で合流する予定だった。
あの老人には悪いことをしたが、燃料集積所に寄ったのは正解だったようだ。燃料に余裕がなければこの作戦は立てられなかった。
だが、本来対空戦車として航空機に対抗できるように造られたゲパルトに対し、軽装甲車一台でどこまで渡り合えるものか。
いくら操縦が上手くても、アリサは所詮ハンターではない。娘と言っても良いような年頃の少女を、母親の奪回のためとはいえそんな危険にさらす事など、本来ならば問題外だ。
結局、自分可愛さと復讐への執着が自らにそれを許してしまっているのか。
「俺はやっぱり、人でなしかもな」
自嘲気味に呟いて、周囲を警戒しながらビルへと向かう。
もしかしたら、燃料集積所でアリサの不気味な一面を垣間見た事が、意識しないうちに彼女を自分から遠ざけるように仕向けていたのかも知れなかった。だとしたらなおの事、グレッグは己を恥じずにいられない。
(とにかく博士の救出だ。こいつが上手く行かんことにはどうにもならん)
ビルの側面の崩れた壁の穴から中へ滑り込む。特にトラップの類はないようだ。だが崩れた瓦礫の山を越えて床に降り立ったとき、廊下の奥の暗がりに大きな長い物がすべるように音もなく動いた。
全長五メートルほどか、蛇のようなフォルム。それがグレッグめがけて鎌首をもたげる。次の瞬間空気が震え、爆ぜた。
とっさの判断で辛うじて身をひねり、直撃をかわした。右膝が悲鳴を上げる。背後のコンクリート壁が、直径一メートル、深さ十センチほどの範囲で細かく粉砕された。
そのあとに残ったのは、くっきりした円形の穴。
「ソニックコブラか!」
首の下に広げたカサの部分に強力な超音波発生器官を備えた、蛇型の
「ここにトラップが無いのは、こいつがいるからって事か!」
銃声を立てたくはなかったが仕方がない。グレッグは蛇にアサルトライフルの銃口を向けた。
三点射。だが既にその地点に蛇は居なかった。
「くそっ!」
辺りを見廻しつつライフルのセレクター・スイッチをフルオートに切り替える。次は外せない。
薄暗がりの中を見回すグレッグの後方で、瓦礫がコトリと音を立てる。
蛇はそこにいた。大柄な体にそぐわないすばやい動きでグレッグの左側面に廻りこみ、距離を詰めてくる。再び空気が震え、円錐形に密度変化した空気の塊の、形まで見えたような気がした。
渾身のジャンプ。体がほぼ床と水平になるような姿勢で跳び上がる。
そのまま空中で一連射、今度はソニックコブラの頭部からカサの辺りまでを過たず消し飛ばした。受け身を取れずに右肩から床へ叩きつけられる。衝撃が右半身を揺さぶり、肝臓と膝を走り抜ける。呼吸が一瞬止まりかけた。若い頃でもこんな無茶な動作を自分に強いた事はない。
脇の壁に手をついて立ちあがった。内臓が悲鳴を上げているのがわかる。喉の奥からこみ上げてくる唾液とも胃液ともつかない粘液が、うつむいた口元から滴り落ちた。
今の銃声はヴォネガットにも聞こえた筈だ。
「急がなけりゃあな」
足を引きずりながら奥へ向かった。情けなくて涙が出る。右足の古傷があるとはいえ、背負った装備の重さと先ほどの転倒のダメージで、もうへとへとだ。
なまったものだ。もっと若い頃ならこんな事は何でもなかった。
引退していた五年の間、村の周りのパトロール程度で事足れりとしていたのが悔やまれる。あの辺りに居た程度のモンスターなら、何もバギーを借り出すほどの事も無かったのだ。こんな事で本当に、デュランの一党を相手取って、ジェインの仇を討つことが出来るのか。
(馬鹿な。何を弱音を吐いている、俺はハンターだ。車さえあれば俺は大抵の事はやってのけてきた)
鋼鉄の装甲を身にまとい、鉄の車輪で大地を駆ける、炎の長槍で武装した騎士。徒歩でソルジャーと同じように戦える必要など無い筈だ。
「そうとも! 俺はハンターだ!」
通算三つ目のドアを、蹴り開けながら吐き出すように叫ぶのと同時に、部屋の中央からドアに向けられた、大型ライトの強力な光がグレッグの視界を奪った。
とっさに身を伏せる。銃声が一発響いたが、それは一瞬前までグレッグが立っていた辺りをかすめたようだった。
徐々に目が光に慣れ、ライトの向こうに二つの人影が浮かび上がった。手足を拘束されて床に転がされた女と、手にした大型拳銃をこちらに向けた人物。床に転がされているのはサマンサ・スチュアートだった。もう一人も女のようだ。
二十台半ばと言ったところか。ひざ下を絞った形の細いズボン――大昔の乗馬用のものに似たそれと、上半身には実用性の疑わしい、真っ赤な合成皮革の短いジャケット。
パインブリッジの駐車場でちらりと見かけた、ゲパルトの乗員の一人のようだった。ふんわりとカールした細い金髪を肩までたらしている姿は、どこの富豪の娘かと思わせる。だが、全身から立ち昇る雰囲気は見間違え様がない――硝煙の匂いだ。
「ふうん。意外と手強いのね」
女が口を開いた。笑うような口調だが、目は全く笑っていない。鋭い視線でグレッグを見下ろす、その額を汗が伝い落ちた。
この角度からだと、女からは床に伏せたグレッグの身長に対し、実寸の半分以下のシルエットしか狙えない。対してグレッグからは女の全身を見上げる形で狙うことが出来るのだ。
「あのソニックコブラを排除してここまで来るとは思わなかった」
「なめるな、これでも十五年選手だ」
無言のまま数秒が過ぎる。
「……ヴォネガットの愛人か? 武器を捨てろ。先生を返してくれれば俺はそれでいい」
女はキッと不機嫌そうな表情になった。
「こいつめ。床に寝そべって言う事か? それに――」
叫びと拳銃の発射とは同時だった。
「
寝転んだまま、身体をよじって横へ転がる。当たらない。ヴォネガットの放った九ミリ拳銃弾は、床を削ってどこかへ跳びはねて消えた。グレッグはヴォネガットの手を狙ってライフルの引き金を絞った。ごつい造りの大型拳銃が女の手から跳ね飛ばされ床に転がる。グレッグの射撃の腕からすると奇跡に近い。
すかさず立ちあがって拳銃を部屋の隅に蹴り飛ばし、腕を押さえてへたり込んだ相手に銃口を突きつけた。殺さずにおいて情報も得られればそれに越した事はない。
「よし。腕を頭の後に組んで、そのまま動くな」
ライフルを向けたまま後すざりにサマンサの方へ寄る。手首を固定した手錠の鍵を、リボルバーで撃ち抜いた。ナイフを手渡すと、長時間の拘束でこわばった手を懸命にさすって血行を回復させながら、サマンサは足首や膝を縛ったロープを切り始めた。