タイガーマイヤー戦記・第一部 ――ネメシスの動輪―― 作:茅葺
「よし、これで二十八個――」
ていねいに土を払い落としてチップの状態を確かめる。比較的状態が良いものであることがわかると、グレッグはチップを布袋の中に放り込んだ。
今日は調子がいい。
カイルの口ぶりだと「巣守り」とか「女」とかいうのはとにかく人間であるらしい。そして、自分と同じ宿舎に住むことになるヤツでもあるらしい。
そういうことなら何か美味い物でも、鉱奴向けの売店で買って行くとしよう。「お近づきのシルシ」とかいうヤツだ。グレッグは決して人間が嫌いではなかった。
三十個目のチップを袋に放りこもうと振り向くと、鼻つまみ者のガープがグレッグの袋にそうっと手を伸ばす所だった。ガープはグレッグより二歳年下だが、手癖が悪くて皆から嫌われている。
「こいつ!」
軍手をはめた手で、ガープのぶよぶよした頬げたを殴り飛ばす。地面に転がった彼は卑屈な調子で弁明した。
「み、見せてもらおうと思っただけだよ、な、な、良いだろ、減るもんじゃ無し」
「お前に見せたんじゃ減りかねねえ。失せろ」
この程度の殴り合いには、監視員達もわれ関せず、十歳過ぎるまではグレッグもああいった手合いに泣かされたものだった。
ガープは這うように自分の持ち場まで戻って行く。骨ばった、というより痩せこけた体つきの多い少年達の中で、あれだけ太っているのは、きっと作業の後も何かろくでもない副業に精を出しているのに違いない。
(ジョッシュのやつが泣かされない様に、カイルに頼んでおく必要があるな)
作業終了のサイレンを聞きながら、グレッグはその事を心に刻み込んだ。
作業場を出るときに、鉱奴達は一列に並んで電子部品の検品所を通る。一人づつ持ち込んだ袋の中身をカウンターにあけ、部品の種類ごとに複数のチェッカーに嵌めこんで通電すると、使い物になる良品なら規格表の通りの信号が出力されてくる。
このチェックをパスしたチップだけが、その日の鉱奴達の稼ぎとなる。たまには平均の数割増しの収入になることもあるが、大抵はそれを下回る。全体で言えばおおむねカツカツだ。
稼ぎがなくても、晩飯だけは配給所で怪しげなSレーションや残り物を煮込んだ粥などを配ってくれる。ひどい味だが飢え死にすることはどうにか避けられる。ジョッシュも要領を飲み込むまではそんな生活が続くだろう。
今日のグレッグの稼ぎは格別だった。チップだけでなく、複雑な美しい配線がプリントされた大きな基板が、ぼろぼろになったボール紙のパッケージから無傷で出てきたのだ。検品所の係員が目の色を変え、グレッグには普段の二倍近くの
検品所を出るときに、後からカイルが声をかけてきた。
「よお、いい稼ぎだったらしいな」
彼自身も機嫌がよさそうだ。そこそこの稼ぎだったに違いない。
グレッグは財布から一掴みのトークンを取り出し、カイルの手に握らせた。
「カイル、これを受け取ってくれよ。こんなモンじゃとても足りないけど、今までの礼と、あとジョッシュのことを頼みたいんだ」
カイルはクックッと笑いながら応じた。
「わかった、わかった。全く甘チャンだな。いいとも、小僧の事は俺に任せな」
要領のいい、一人前の鉱奴に仕込んでやるさ。そう言いながらカイルは自分の宿舎へ消えて行った。
後姿を見送りながらグレッグはふと思った。
(カイルの所にも、巣守りとかってのが居るのかな?)
カイルとはついぞそんな話をしたことが無かったが。
朝方教えられた新しい宿舎を、照明の少ない居住区の中で探すのは骨が折れた。結局、辿り着くのに二十分ほど掛かったろうか。
剥き出しのコンクリートで作られた、殺風景な外観の建物が並ぶなかに、今夜からのグレッグのねぐらもあった。
入り口の前に誰かがうずくまっている。グレッグはポケットから小型の懐中電灯を出して、その人影を照らした。
「誰だ?」
答えは大体予想がついた。こいつが「巣守り」だろう。定格に足りないバッテリーの電力が生み出した弱々しい光の輪の中で、薄汚れた服をまとった髪の長い人間が、まぶしそうに目を細めている。
「ここの巣守りよ。グレッグって人が帰るのを待ってんの」
日ごろ聞きなれた鉱奴仲間よりも高くて細い声。しいていえば小さな子供の声にも似ているが、体つきや手の皮膚の感じからすると、グレッグと同じかもう少し年上だ。こんな人間は始めて見る。
これが「オンナ」とかいうやつなのか?
「俺がグレッグだ。なぜ部屋の中で待ってない?」
日が暮れると居住区だって物騒だぞ、と言うと、巣守りは答えた。
「だ、だってカギを持ってなかったもの」
あたし、ケイっていうの。そう自己紹介する少女を伴って、グレッグは新しいねぐらに足を踏み入れた。
「前より広いな」
初めて入るという点ではグレッグもケイも変わりはない。部屋は誰かが掃除しておいたらしく、ガランとして静まり返っている。
家具らしい物は、部屋の片隅にしつらえられたコンクリートを四角く固めたベッドと、粗末な木製のテーブルくらいだ。
あとは特にこれといった物は見当たらない。ただ、部屋の反対側の小さなキッチンと、その奥のドアとが二人の目を引いた。
「……開けてみていい?」
ケイが尋ねる。もうすでにノブに手がかかっていた。
「いいとも」
中を覗きこんで、ケイは歓声を上げた。
「シャワーだわ、素敵!」
「シャワーだって?」
グレッグも少し声が上ずった。シャワーなどめったに浴びる機会がない。作業場に隣接した小屋にほんの五基ほど備え付けてあるが、有料だし浴びようとしても大抵は誰かが占領している。それ以外のシャワーを見るのは初めてだった。
「自分の部屋で体が洗えるなんて、すごいな」
死なないように気をつけてきて、本当に良かった――
「多分、お湯の割り当ては決まってるよね……私、浴びてもいいかな?」
おずおずとケイが尋ねた。
「ああ、いいよ。食事は済ませたのか?」
「まだ。というよか、今朝から何も食べてないわ。引越しで作業場に行けなかったから」
「そうか」
オンナ達は普段どんな作業をさせられているのだろう?
「丁度いいや、売店で大豆チキンを買ってあるんだ。用意して待ってるからな」
「あ、ありがと」
汚れた顔にかすかに戸惑ったような笑みを浮かべると、ケイは薄暗いシャワー室の中へ
消えて行った。
大豆チキンは水耕栽培で育てた大豆のタンパク質を加工して作る、よくできた「モドキ」食品だ。売店ではこれを塩焼きにして売っている。
本物のチキンよりは汚染物質の蓄積が少ないし、何より、鶏を育てるよりも効率よく大量のタンパク質を生産できるため、鉱奴の稼ぎでも口に入る。
キッチンの粗末なコンロでチキンを温めなおすと、独特の油染みた匂いが部屋中に立ち込めた。殺風景な室内に生活のぬくもりとでもいったようなものが宿るのが感じられた。
グレッグはこんな温かさをどこかで知っていたことがあるような気がした。もしかすると、それはもうたどる事もできない、幼い日の遠い記憶だったろうか?
売店で無理を言って一つ余計にもらった紙皿にチキンを取り分ける。巧い具合におおよそ等分に出来たところで、シャワー室のドアが開いた。濡れた髪から湯気を立て、胸から下に幅広のタオルを巻いただけの姿でケイが出てきた。
「いい匂いね」
意外と色白な肩の辺りが、何やらひどくまぶしく見える。
「着替えないのか?」
「さっきまで着てたやつを洗わないと、替えなんてないわ」
「仕方ないなあ。オンナの作業場はあんまり稼げないのかい?」
ケイはうつむいて少し顔をそむけた。
「フェルナンデスの部下たち相手に稼いでる人達は、もっといものを着てるけどね」
声が硬い。どうやらマズい事を聞いたらしかった。だが、敏感に察して謝るほどの知識も器量も、グレッグには無かった。
「食おうぜ」
「うん」
チキンを咀嚼するかすかな音だけが、部屋の中に響く。
「巣守りって何をするんだ?」
食事を終えたグレッグは何気もなくケイに尋ねた。ケイがハッと体を硬くしたのが判った。
「知らないの?」
「ああ。大人たちの話の中に巣守りは出てはくるけど、詳しいことは誰も話してくれなかった」
「巣守りはね……鉱奴が働きに出てる間に部屋を掃除したり、洗濯や食事の支度をしたりするの。そして残りの時間は工場で、再生繊維のこういった服を作ったりするのよ」
「俺たちよりも忙しそうだな……」
「そしてね……」
ケイは体に巻いたタオルを取って床に落とした。
「ねえ、
目の前で展開する光景に本能的に落ち着きを奪われて、グレッグはただガクガクと頷いた。
「……こうするのよ」
微笑んだケイの両手がグレッグの右手を捉え、筋肉ではない物で隆起した胸に引き寄せる。皮膚と脂肪の層の下から、規則正しい鼓動が伝わってきた。
なにかのダンスのように、二人はゆっくりとベッドの方へ近づいていき、ケイがそのまま仰向けに倒れこんだ。一瞬息をのんだが、コンクリート製のベッドの上には繊維くずを詰めた粗末なマットレスが敷かれていて、彼女が怪我をするようなことはなかった。
グレッグがケイの上に覆いかぶさる形になる。彼女の腕がグレッグを抱き寄せ、熱い唇がグレッグの口を塞いだ。
その後はケイにされるに任せるよりほか、グレッグにはどうすることもできなかった。
* * * * * * * *
砂丘を越えるそのときに、車体が陽光を反射して鈍く光った。
それを見ているのはただ、上空を飛ぶ
随伴する車輌も歩兵も見当たらない。
汚染された空にたれこめる雲の色によく似た、光沢のない灰色に塗られたその車体は、前から見たシルエットが極端に小さなくさび形の砲塔を備えていた。
* * * * * * * *
部屋に一つきりのベッドの上。初めて触れた少女の中でグレッグは果てた。
なぜ「巣守り」が成年に達した男にあてがわれるのか、という問いの、それが答えだった。
そしてグレッグの幾つかの疑問もそれで解けた。
この一年ほどの間に、朝ごとに硬く屹立して排尿を困難にするようになった、自分の体の一部の事も。そしてなによりも、口に含んだケイの乳首の感触が、十年以上の間忘れていた言葉とその意味を、グレッグの中でおぼろげに甦らせた。
(ああ、そうか――「オンナ」って「おかあちゃん」のことだったんだ)
蘇ってきたのは、グレッグの心の下層にうずもれていた幼子のころの意識だった。知らないうちに涙が頬を伝う。二つの乳房の上にあずけられたグレッグの頭を、ケイの二本の腕がやわらかく包み込んだ。
だが記憶の底をどんなにさらっても、幼い日に乳を含ませてくれた人の――母の顔は思い出せなかった。