タイガーマイヤー戦記・第一部 ――ネメシスの動輪―― 作:茅葺
もう何人もの鉱奴の手を経てきたであろうツルハシが、斜面になった岩だらけの地面をほんの三十平方センチほど突き崩した。
汚染雲の厚いカーテンを開けて顔を覗かせた太陽が、グレッグの皮膚をジリジリと灼いた。
監視員の目を盗んで空を見上げる。雲の向こうにある空は、目に痛みを覚えるほどに青い。
新しくまわされた作業場は、吹きさらしの屋外だった。町を取り囲む防壁の外で、採鉱区域の拡大のために岩と瓦礫におおわれた荒地を平らにする。それが、グレッグの新しい仕事だった。
以前から作業に従事している大人の鉱奴達が、白くさらした再生繊維で出来た体をすっぽり覆うスタイルの服を着ているのをグレッグは目にとめた。
「あれはたぶん、早く買わなきゃダメだな」
あの日よけ着があれば、「ぶっ壊れたオゾンソウ」を突き抜けてくるという、太陽からの有害な光線を防げるのだろう。
どんな影響があるのか知らないが、大人達が恐れるからにはそれなりの理由があるはずだ。土の毒と同様、気をつけておかねば。
(死ぬわけには行かないんだ)
グレッグは心の中でそう繰り返した。理由は二つだ。
一つ目の理由はケイだった。夜が来るたびに、グレッグの疲れた体を温めてくれる、やわらかな体をした不思議な生き物。
細い腕と傷つきやすそうな肌をした、母のぬくもりの記憶を呼び覚ましてくれる「オンナ」。
――俺が死んで、あいつが別の誰かの「巣守り」になるのはイヤだ。
多分そうしたオンナへの愛着が生じて、鉱奴の男達が逃亡や反抗を企てられなくなる――そのことを見越してフェルナンデスが「巣守り」をあてがっているのだということくらいは、年よりは幼いグレッグの頭でも、おおよその想像がついた。
だがグレッグの中では、ケイの存在は別の結果も生み出していた。彼女の肌が呼び覚ました母の印象が、執拗な叫びを上げ続けるのだ。
ここが自分の本当の住みかではないこと。
自分が住んでいた世界、母が自分を生み出してくれた世界が、防壁の外にあるということを。
それが、死ぬわけにはいかない二つ目の理由だった。
いつか、ここから抜け出す。フェルナンデスの思惑とは裏腹に、ケイをきっかけにしてこそグレッグにその決意が生まれていた。
「私は町の外で生まれたのよ」
着替えながらケイはそう答えた。丁度シャワーを浴びて出てきたところだ。生い立ちについて尋ねたグレッグへの、それが答えだった。
「幾つまで?」
「ここに来たのは六歳のとき。誕生日の八日あとだったわ」
するとケイは外の世界がどんなだか、少なくとも自分よりも知っているのだ。そして、母親とは、家族とはどんなものなのかも。
足の裏にトゲが刺さるような、不快さを伴う感情――嫉妬と羨望がわき上がる。
そんなグレッグの心の中を見透かしてかどうか。
「外は酷いトコよ。町から少し離れると、あちこちに化けもんがうろついてるわ。あたしの家族も旅の途中で、砂の中から出てきたミミズみたいな奴らに、体中を穴だらけにされて死んだの」
事も無げにそう言い放つと、作業服の上から最初の日にも着ていたポンチョを羽織って、ケイは作業に出て行く。
「新しいやつがあっただろ?」
着替えも持たずに自分の部屋に来たケイの為に、トークンをはたいて買い与えた物をなぜ着て行かないのかと、グレッグは不満をあらわした。
「フェルナンデスの手下達に目をつけられたくないの」
――キレイにしてるあたしは、もうグレッグにしか見せないよ。
ケイはそう言いながら、肩越しに振返って少し笑った。
(キレイだ)
グレッグはケイを見送りながらそう思った。物心ついてからずっと男ばかりの環境で生きてきて、女性の美醜に対する基準の観念などあるわけもなかったが。ケイに感じる好ましさを言い表すならば、それがおそらくグレッグが知る唯一の言葉だった。
昼食の短い休憩。本来の品質基準に照らしても乾燥し過ぎの、ボール紙のような味のSレーション――水で流し込んでも、なお喉をこすってつっかえるそれを、グレッグはボリボリと咀嚼しつづけた。
ボール紙の味など、グレッグ自身もそもそも知りようがなかったのだが、大人たちはそう形容していた。
屋外の現場といっても、ここはフェルナンデスの庭のようなものだ。ごく緩やかなすり鉢状になった作業区の周辺ほぼ全体が、すっぽりと監視搭からの視界に収まっている。少しでもおかしな動きを見せれば、据え付けられた重機関銃が鉱奴たちを肉片に変えるだろう。
すり鉢のその向こうはもう外なのに――
苛立たしい気持ちでその監視搭の一つを見上げると、なにやらあわただしい空気が漂っているのがわかった。切迫した調子の声が響き、大きな雨どいのようなものを持った監視員が一人、大慌てでその鉄骨で出来た搭の上へはしごをのぼっていくのが見えた。
(何だ?)
そう思った次の瞬間。爆音と共に監視搭の上半分が姿を消した。
とっさに頭をかばって伏せたグレッグのそばを、長さ一メートルほどの鉄骨の破片がかすめる。左手の甲に痛みを覚えて目をやると、別の小さな破片が軍手に突き立っていた。
そっと抜き取るとじわりと血がにじんだ。幸い傷は深くないようだし、血もじきに止まるだろうが――
再び爆音が上がった。防壁の一角が其の壁面を大きく削り取られ、コンクリートの微粒子が煙のように舞う。どこかで「センシャだ!」という叫びが聞こえた。あたりを見まわすと、今叫んだらしい中年の鉱奴が、作業区の外側、すり鉢の縁辺りを指差している。
なにか大きなもの――作業用の重機と同じようなエンジン音をたてる、怪物のような機械がすり鉢の稜線を乗り越えてくるところだった。 光沢のない薄い灰色の車体が、陽光に照り映えて銀色に輝いて見えた。
宙へ大きく乗り出すような形になった次の瞬間、壊れそうな音と共に車体を斜面に叩きつけ、だが恐るべき事には損傷を受けた様子も無く、そのまま同じ速度で這うように進んでくる。
防壁の各所に取り付けられた拡声器が「センシャ」と鉱奴たちの両方に警告を発してどなりたてた。
「第七作業区の全作業員は最寄りの通用口から待避せよ。繰り返す、作業員は待避せよ――そこの戦車」
拡声器の口調が変わった。
「貴様は、ドン・フェルナンデスの私有地である、このパインブリッジの境界線を侵している。九十秒やる。直ちに出てうせろ!」
屋外で作業していた数人の鉱奴達が、慌てふためいて防壁のほうへと走っていく。そうこうするうちにセンシャはすり鉢の緩斜面を降りきって、グレッグのすぐ脇までやって来た。
そいつは長い金属製のパイプを備えた上部構造をゆっくりと回転させ始めた。
轟音と共にパイプの先端から炎と煙がほとばしり、一瞬の後に防壁の向こうの、コンクリート製の大監視搭が破片をまき散らしながら崩れ落ちた。センシャの間近にいすぎたグレッグは、発射音と衝撃でその場に打ち倒され、意識を失った。
* * * * * * * *
頬に何かが当たるさらさらとした感触――
(ケイ?)
居住区のあの殺風景な部屋にいるのだと思った。先に目を覚ましたケイが、長い髪の毛先が軽く触れるほどの高さから、寝ているグレッグを覗きこんで起こそうとしているのだと。
だが、何かがおかしい。自分の部屋のベッドならば、衣料工場から出た繊維クズを詰めた粗末な、だが柔らかなマットレスが敷かれている筈だった。だが、今体の下に感じるのは熱気を帯びた硬い金属の塊のようだ。
そう。さっきのセンシャのような―
(……センシャ!?)
さっきまでの状況が意識の中に甦る。ハッと見開いた視界の中で、周りにかかっていた灰色の靄が洗われて溶けたように消え失せ、目の前には見知らぬ男の顔があった。
「気がついたか。安心しろ、オレは敵じゃない。そんな不安そうな顔をするな」
「俺は……?」
「オレの戦車が主砲を撃ったときに、気絶して倒れたんだ。もっと安全確認に気をつけるべきだった、済まない」
そうか、とグレッグはようやく状況を把握した。体のあちこちに意識を集中して、ひどい痛みや麻痺が無いことを確かめる。どうやら深刻な負傷はしていないようだ。
そこは先ほどの戦車の車体の上だった。エンジンはこの下にあるらしく、微かな振動と熱気が感じられる。
起きられるか、と問いながら手を差し伸べるその男をグレッグは見上げた。整った顔立ちと、手入れの行き届いた肌と頭髪のせいで判りにくいが、年齢は三十前くらいと言ったところだろうか。
背中まで伸ばした癖のない長髪はほとんど銀色に見えるほどの薄いブロンドで、眉間に刻まれた深いしわとあごの下に剃り残したわずかな髭とが無かったら、「オンナ」と見間違えそうな容姿だ。
彼は半ば光を透過させる軽そうな材質の防具を、上下がつながった灰色の服の上に着込み、膝の高さまでのブーツを履いていた。
「あんたは……?」
「オレはモンスターハンター、キルロイ・シルヴァーバーグだ。シルバーでいい」
グレッグの問いに長髪の男はそう答えた。
「……グレッグだ。モンスターハンターってなんだ?」
その説明は長くなるな、と男は笑った。
「おまえはここの『鉱奴』か?その割に眼はまだ死んでないようだが」
「鉱奴だ。それで合ってる」
「そうか、じゃあ――カイルって男を知らないか?」
「カイル? 一人知ってる。チップ拾いの作業場にいるよ……そういえばあいつ、あんたと同じ位の年みたいだったな」
「じゃあ多分そいつだ。昔の相棒なんだが、この辺りを一人で旅しててそのまま行方知れずになった。もう十年になる」
危険なんだろうに、どうして一人旅なんか。グレッグが尋ねるとシルバーは答えた。
「ちょっとつまらんことで喧嘩しちまってな。あとあと考えてみればあれはオレが悪かったんだが――」
死んだものとばかり思っていたカイルの消息をシルバーが知ったのは、一ヶ月前のことだったという。このパインブリッジの町にコンピューターの部品を買いに来たハンター仲間の一人が、たまたま迷い込んだ鉱区の柵の中から、カイルに声をかけられたというのだ。
なんとか監視員に見咎められずにその場を離れたハンターの報告で、かねてから奴隷使役の噂のあったパインブリッジの実態が明らかになった。オフィスはパインブリッジに対して解放作戦を発動することになった。
「この戦車を町に入れたい。だが、あの防壁はちょっとやそっとじゃ破れそうにないな」
シルバーはそう言いながら鋭い眼で防壁を見つめた。その横顔に向かって、グレッグはおずおずと声をかけた。
「あのさ――」
「ん、何だ?」
グレッグには今やありありと理解できた。この男には力があるのだ。フェルナンデスを倒すことのできる力、自分たちを自由にしてくれる力が。
「あっちの北側の壁面にゲートがあるんだ。オオガタシャ用ってフェルナンデス達が言ってるやつさ。もしあんたのために開けてやったら――」
シルバーはクスリと微笑んだ。
「取引というわけか。何が望みだ?」
「……あんたといっしょにここを出て、外の世界を見たい。連れてってくれないか」
「こいつはたまげた。案外、お前はハンターになるタイプかもな……」
シルバーはグレッグの眼を覗きこんで尋ねた。
「人を殺せるか?」
グレッグは答えられずうつむいた。
「恐らく一人は殺さずには済まないぞ。銃か、ナイフを使ったことは?」
「殺したことはないけど、ナイフなら……何とかなると思う。」
「よし」
使うのは簡単だが、人間を刺すのは自分も痛いんだがな――内心そう呟きながら、シルバーは愛用のナイフの一丁を、グレッグに手渡した。シンプルな造りの丈夫な木製の鞘に収められた、やや反身のブレード。
昔倒した「ヤクザ」とかいう組織の、幹部の一人が使っていたものだ。
それに加えて打ち上げ式の発煙弾を一個。
「ゲートを確保したら、こいつを打ち上げろ」
「わかった。やって見せる」
待ってるぞ。
シルバーの声を後ろに、グレッグは仲間がさっき逃げ込んだ通用口へと走っていった。防壁上の監視所からはちょうど死角で、グレッグがセンシャの上にいた様子は見られていないはずだ。
「早く入れ。もう通用口を閉めるところだったぞ」
通用口の奥のドアを通るときに監視員の一人が声をかけてきた。
「す、すみません」
慌てふためいた風を装って、グレッグはその男の前から走り去った。
――早くシェルターに入れよ。敵襲だぞ。
横合いから別の声がして、グレッグは片手をあげてそれに応えて見せた。
大監視搭が吹き飛ばされたこともあって、シルバーの戦車の砲撃はひどい混乱をパインブリッジの町にもたらしている。何人もの監視員や、これまで見たことも無いような重武装の男達が辺りを走り回っていた。シルバーの乗ってきたセンシャよりはずっと小ぶりの機械に、何人もの男達が乗りこんで第七作業区の方へ向かっていくのも見えた。
(あそこのゲートは狭いから、シルバーのセンシャは通れないな……)
人の流れと反対に走って、グレッグは北側のゲートのそばまでたどり着いた。ゲート横の詰所はドアが開けっぱなしで、中には
「何だって?状況を知らせろ、どうなってるんだ?!」
通信は一方的に切られたらしく、男は「糞っ垂れ!」と毒づいて箱を置いた。
「助けて!」
そう叫びながらグレッグは男に駆け寄った。
「何だ? おまえ、鉱奴じゃ……」
男の誰何には答えず、そのまま左腰の辺りにむしゃぶりつく。鼻先にすえた汗の匂いがした。
「おい落ち着け、何でこんな所に――」
男の言葉はそこで途切れた。サイズの大きすぎる作業服の中に隠し持っていたナイフで、グレッグは男の脾腹を深くえぐっていた。
「こ」
こん畜生、とでも言いかけたのか。その先の言葉はもう出ない。
グレッグが男から身を離しながら、腹からもぎ取るようにナイフを抜き、血に濡れたその刃物で今度は男の喉笛を切り裂いたのだった。