タイガーマイヤー戦記・第一部 ――ネメシスの動輪―― 作:茅葺
立ち込める埃の渦と、淀んだ空気に混ざった古オイルや塗料の悪臭に、グレッグは口元を袖で押さえて顔をしかめた。
「ひどいな、こいつは……」
「何せ三十年ほど開け立てしとらんからな。さあ、この奥はこの博物館最大の秘密区画――展示車両のための復元工房だ」
先ほどの展示室よりはやや狭いが、それでもかなりの広さを持つ薄暗い部屋。
天井からは大小幾つかのクレーン装置が奇怪な果物のようにぶら下がり、あちこちの片隅には鋳造された物やプレスで打ち抜かれた物など、さまざまな種類の資材や部品が積み上げられて、鈍い光を放っている。
その間に巨体を横たえる、一台の戦車があった――いや、正確には自走砲というべきだろうか。ファブニールとは対照的に転輪の数が少なく、簡素な印象を受ける車台。その上にほぼ箱型の巨大な固定戦闘室が後部寄りのレイアウトで設けられ、前面装甲から主砲が無造作に突き出していた。
「これは?」
「ファブニールよりもほんの少し古い時期に設計された重駆逐戦車だ。無論ここで建造したレプリカだが、ハンターオフィスへの登録形式名は『マンムート』、この博物館でのコードネームを『フェルナンド』と言う」
グレッグは老人の説明をうわの空で聞きながら、その主砲を凝視した。ファブニールの物と寸分違わぬそれは、間違い無く88mm砲だ。71口径の長砲身を誇る、ファブニールの牙。
「あれを……くれるのか?」
「こいつとファブニールで砲を交換すればいい。展示車両に積む砲は、形さえまともなら事足りるからな」
「……判らないな」
グレッグはぽつりと呟いた。コンラッドがいぶかしげに振り返る。
「何がだね?」
「これだけの戦車を建造していながら、なぜ『展示車両』なんだ? 実用可能な大砲が作れるなら、エンジンだって作れるんじゃないのか。察する所、この博物館の技術は大破壊前に近い水準のようだが――」
「――ああ。君はこの世界で人類が置かれてる状況を、あまり知らんようだな」
老人は皺の奥から鋭い光をたたえた目で、グレッグを見据えた。
「……まあ、実際その通りだ。十五の年まで家畜同様に暮らしていたし、その後も戦車や兵器のこと以外は最低限しか学ぶ機会がなかった」
グレッグは静かにそう答えた。
コンラッドはぷいと『フェルナンド』の方へ向き直り、グレッグから顔をそむけて話しつづけた。
「……端的に、大雑把に言えば大砲はしょせん鉄のパイプに過ぎん。一方、エンジンは絶えず回転して摩耗し、高熱にさらされて機械的負荷にあえぎ続けるものだ。実用に耐える物を作るには、大砲よりも遥かに高度な技術が必要だ。88mm砲を作ったドイツ国でさえ、当時は敵国の戦車が装備したアルミ製ディーゼルエンジンをコピーすることができなかった」
「そういうものなのか」
「うむ……で、この博物館の目的というのは人類の培った軍事技術の数々を収集し、評価し、現在の我々に再現および運用が可能な物から順次、フォンダ市のような工業都市を通じてフィードバックする事だ。そして、このフェルナンドやファブニールは、建造しては見たものの、当時すぐに一般に普及させるには運用が難しい車輛だったことは、さっき話した通りだ」
――現在は、それほどでもないがな、と老人はつぶやくように引き取った。
そうか、とグレッグは納得した。四十年前の時点でファブニールを使った館長の義弟は、故障したらそれっきりと割りきって持ち出すしかなかったのだろう。
今はどうにか修理ができる。彼の不運は、転じてグレッグ自身には幸運となった。
「今こそが、ファブニールが真価を発揮できる時代、ってことか……ならば、このめぐり合わせに感謝しよう。コンラッド館長、71口径88mmを、ありがたくいただきます」
自然に敬語になった。
「うむ。さて、そうと決まったらここへファブニールを持ちこまねばならんな」
老人は工房奥の一角を指差した。
「あの奥に車両用のエレベーター・リフトがある。上まで上がると、さっきファブニールを停めた地下駐車場だ。ここで待っているから
言われるままにグレッグとアリサは工房の奥へと進んだ。
恐ろしく巨大なリフトだった。ファブニール級の大型戦車が楽々と納まる床面積がある。そして横の壁のパネルに注意書き――
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大型車両用エレベーターリフト
過重注意!
安全重量 55t
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アリサが失望の叫びをあげた。
「駄目だわ! このリフトにファブニールは乗せられないわよ、あれはどう見積もっても六十トン以上――」
展示室からの逆光でぼやけた影になったコンラッドがそれに答えた。
「心配は要らん! 君の見積もりには決定的な誤りがある。ファブニールの主装甲材は、鉄――炭素鋼ではない。チタン合金だ! 第三次植民で使われた恒星間宇宙船からリサイクルしたものだよ」
(何だって……?)
――チタン合金。
――第三次植民。
――恒星間宇宙船?
予想もしなかった、耳慣れない言葉。それ自体の意味は理解できる。だが言葉が意味する「事実」は、また別だ。
それらの言葉が伝える「事実」は、グレッグをひどく混乱させた。
(恒星間宇宙船で植民……まさか……ここは地球じゃないってことか? じゃあ大破壊は? 「第二次世界大戦」は? ファブニールを、いや『キングタイガー』を作った『ドイツ国』は……ここには存在しなかったのか?)
――いや、そもそも今は、『いつ』なのだ?
不快な汗が背筋をつたって落ちる。
意識しないうちに体のバランスを崩して、転倒しかけていたらしい。気が付くとグレッグの右腕をアリサがしっかりと抱え込んで、彼の体重を支えていた。
すがることのできる何かを求めてさまよったグレッグの指は、アリサの太ももの肉を探り当てて容赦無く食いこんだ。アリサは彼の腕を抱いたまま、声にならない抗議の叫びを上げた。
「……あんたの言ってることの意味が俺にはまるで解らん。説明してくれ、館長」
「混乱させて済まん。一般のハンターが知らんのは当然だな、口を滑らせてしまったのはうかつだった。本来はハンターオフィスのごく上部の者しか知らんことだが、話してやろう……だが、決して他所にもらしてはならんぞ。この事実は、今の人類に向けて公にするには過酷過ぎる。あまりにもな」
「……聞いてから判断する」
グレッグの答えに、コンラッドは小さくため息をついて、そしてうなずいた。
「『大破壊』といわれる一大破局は、かつて確かに起きた。……ただし、ここではない別の惑星―『地球』の上で。正確な数字はもはや判らんが、今から少なくとも二百年以上前のことになるはずだ……」
それは、長く奇怪な物語だった。