タイガーマイヤー戦記・第一部 ――ネメシスの動輪―― 作:茅葺
村に近づくにつれて、シートと尻の間の辺りに重くわだかまっていく絶望感が、アクセルを踏んだその足から力を奪い去っていくようだった。
だがその分冷静さも戻ってきた。村の入り口に数台の車が停まっているのが見え、グレッグはバギーを村の東側に茂る低木の林のほうへと迂回させた。
先程の隊列の中にいたものと同様のトラックが二台。そして軽武装のジープ。
正面から突っ込むような愚は避けるべきところだった。相手の戦力は未知数だ。
グレッグは慎重に車を林の中に乗り入れて停めると、ダッシュボードの蓋を開けて、銃身を切り詰めたショットガンとナイフ、それに大型の手榴弾を持ち出した。
DDパイナップル――高性能の爆薬を使用したこの『手榴弾』は、広範囲に広がる強力な爆発を起こす。グレッグは携行火器での射撃は得意ではないから、こういうものを使わざるをえな
い。
どうやら彼らは隊列を離れて物資の調達に来ているらしかった。トラックの荷台に麦の袋が積まれていてその周りに十人程の男達が動き回っているのが見える。
村の人々が汗水たらして杉林を育て製材し、ペトラの業者に売ったその金で買った貴重な麦だ。吹っ飛ばすのはしのびなかったが、グレッグはDDのピンを抜き、投げた。
一人が四散し、三人ほどが打ち倒され、そして何人かは横倒しになったトラックの下敷きになった。トラックの搭乗人数から考えて、敵の三分の二はこれで倒したはずだ。
グレッグは残る敵と、そして生存者を求めて村の奥へと進んだ。
あちこちの建物から火の手が上がっていた。
トラックの乗員達は物資の調達に際してずいぶんと手荒い手段を取ったらしい。グレッグの頬は炎の照り返しで紅く染まり、熱気で灼けた。辺りには木材のこげた匂いとその他のもっと忌まわしい匂いが立ち込めている。それは死と恐怖の匂いだった。
物陰から物陰へと縫うように進みながら、大声で家族の名を呼びそうになるのを、グレッグは必死でこらえていた。まだ村の中に残っている敵がいるかもしれない以上、不用意に自分の所在を明らかにする事は出来ない。ひどい緊張のせいでまた吐き気がこみ上げてくる。
「くそっ」
グレッグはかぶりを振った。
(俺の胃袋ときたら、何だってこうもデリケートに出来てるんだ)
誰かが倒れている。見覚えの有るその顔は水車小屋に住んでいる、粉屋のテッドだった。
可哀想なテッド。ついこの間父親になったばかりだったというのに。
もともとはジェインの学校の生徒で、グレッグ達の結婚と前後して卒業し、村に帰った。シーダーレイクにグレッグが移ってきたのも彼の勧めあってのことで、グレッグ達の引越しの車には彼もちゃっかりと便乗していたものだ。
それから五年。父の跡を継いで村で粉屋を始め、幼馴染の娘と一緒に所帯を持った。それなのに。たったの十八歳で殺されてしまうとは――
「……父親?」
脳裏に浮かんだその単語が、グレッグにさいぜんから気にかかっていた事が何なのか気づかせた。
「子供は……子供たちはどこへ行った?」
シーダーレイクには十歳未満の子供が、リサも含めて少なくとも二十人はいたはずだった。だが村がこんな事態に陥っているときに、なぜ子供の悲鳴や泣き声が全く聞こえないのか?
息を潜めているにしても、これだけ火が燃えていればいつまでも家の中にはいられない。何が起こっているのか判らなくなってきて、グレッグは汗でぬめったショットガンのグリップを何度も握りなおした。
その場所から移動しようとしたとき、グレッグはテッドの右手に
どうするか――
残敵の正確な人数がつかめない事と、子供達の事が彼を不安にさせていた。武器は多いにこした事はない。そろそろと建物の陰から這い出すと、グレッグは若者の亡骸に近づいた。この位置まで来ると、通りの向かい側のくすぶりつづける民家の残骸の陰で、テッドの妻が血溜まりの中に倒れているのも見て取れた。
「俺はこいつの扱いが得意じゃないんだが、残弾は有効に使わせてもらうぞ」
そう呟きながらグレッグはテッドの右手をこじ開け、腰のガンベルトに拳銃を挟み込んだ。
不意に右足に衝撃を受けて、グレッグは転倒した。一瞬遅れて銃声がこだまする。村の中央広場の方から、小口径のライフルを構えた男が走って来るのが視界の隅をよぎった。
トラック乗員の片割れらしいその男は、倒れたグレッグがよく見える距離まで来ると、油断なくこちらへ銃口を向けた。
グレッグは死を覚悟した。ショットガンではあまり殺傷効果の無い距離に男は居たし、拳銃でこの距離で命中させるのは、グレッグには無理だ。右足の銃創は膝の近くを砕いたようで、耐えがたい痛みがじわりと脊髄を這い上がってくる。
オイホロカプセルが欲しい、とグレッグは思った。闇マーケットなどで高額で取引される鎮痛剤――というよりは、ありていに言って麻薬である、オイホロトキシンを製剤したものだ。
過酷な戦闘に生身をさらす
生まれつき酒なども受け付けない体質のグレッグにとっては、用量次第では命取りになりかねない代物だ。それでもこのまま動けないでいるよりはましだと思えた。
不意に銃声が響いた。
後頭部を撃ちぬかれてゆっくりと男が崩れ落ちるのを信じがたい思いでグレッグは見守った。
一ブロック先の雑貨店のドアが音を立てて開き、長い銃身の
「ヘレン小母さん? ……ありがたい、命拾いしたよ」
夫を事故で亡くした後も村で一軒きりの雑貨店を切り盛りしつづけている、気丈な寡婦だ。土曜日の午後になると、店には人工甘味料のソーダ水を求める子供達が詰め掛け、彼女はさながら魔法の泉の女神のように慕われている。腹部に銃弾を受けたらしく、彼女は血に染まったスカートの裾を引きずっていた。
「グレッグかい。お急ぎ、奴らの一人があんたの家へ向かったのを見たよ」
「小母さん。何があったんだ、子供達はどうなった?」
「……あたしの小さなお客さんたち!!奴らが突然やってきて何人も殺されちまって、生きていた子は連れて行かれたよ。……何てこったい、何て」
「リサは?」
「さあね、店には来てなかったけどねえ」
「そうか……ありがとう」
グレッグは右足を引きずって自宅へと向かった。傷は痛むが、そんな事はこの際後回しだ。最低限の処置として、腰のポーチから回復カプセルを取り出し、水無しで飲みこむ。
含有された極微量のオイホロトキシンが痛みを和らげ、短期分解性のナノマシンが傷をある程度修復してくれるはずだ。昔ハンター仲間から教わった呼吸法も併せて試みると、足はどうやら言う事を聞いてくれそうな感じになってきた。
よろけながらなりふり構わずに進むグレッグの後で、ヘレン小母さんのライフルがもう一度響き渡った。
自宅の前まで来てグレッグは家が燃えていない事に安堵した。だが、それはまだ中に敵がいると言う可能性を示してもいる。ドアは開け放しになっていた。ショットガンから拳銃に持ち替えて、グレッグは中に踏み込んだ。
足音を殺して進んでいくとキッチンのほうから人の息遣いが聞こえて来る。
案の定と言うべきか――ズボンを膝まで下ろした男がキッチンの床の上で動いていた。白い足を男の両脇に力なく投げ出して、女が横たわっている。
ジェインだった。頭の辺りに血溜まりが広がっていた。
「よかったか?」
グレッグは男の頭にテッドの拳銃を向けたまま声をかけた。
「そいつは俺の女房だ。料金は高いぞ、お前にとってはな」
自分のズボンに膝の所で足を縛られた形になって機敏に動けず、男は恐怖に顔を歪めた。
「ま、待ってくれ」
ジェインは胸を撃たれて絶命していた。口元から流れ出した血が泡だって、その赤い海の上に、虚ろな眼を開いたままの顔が浮かんでいる。
絶望と足の傷の痛みがグレッグを現実からもぎ取っていきそうになる。敢えて冷酷な男を演じ諧謔を弄んででもいなければ、意識を保っていられそうにない。今ならいくらでもサディスティックに振舞える気がした。
「悪いが、ツケ払いには出来ないんでね」
そう言い放って男の両膝と両手首を順番に撃ち抜く。
ほんの一瞬、何が起きたのか判らなかったかのような顔をした後、男は苦痛にのたうちながら呪詛の言葉を吐き散らした。
「痛ぇ!痛ぇよ。ち、畜生。俺が戻らなかったら、た、大佐が黙ってないぞ」
「大佐だと?」
グレッグは怪訝な顔になった。
「何だそいつは」
「大佐は……デュラン大佐は英雄だ。われわれ人類を真にあるべき世界へと導いて下さるんだ」
途端に夢見るような表情を見せた男に、グレッグは異常なものを感じた。こいつ、おかしな薬物でも使われてるんじゃないのか?
「子供達をどこへやった?」
さらに問い詰めたが、返事はなかった。男はいつの間にか、歪んだ笑顔のまま事切れていた。
何らかの方法で、敵の手に落ちたら自決するような条件付けをされていたらしい。顔を近づけるとアーモンドのような匂いがする。青酸化合物のカプセルを奥歯に仕込んでいたに違いなかった。
腹いせに残り一発の銃弾を男の頭に撃ち込むと、緊張の糸が切れてグレッグはがっくりと床に崩れ落ちた。そしてジェインの亡骸にくちづけをすると、無残な姿になった妻の上に、近くに落ちていたテーブルクロスをかけてやった。
グレッグはその上に突っ伏して声も無く涙を流しつづけた。
家のどこにもリサの姿は無かった。村の中にも。
痛む足を引きずってグレッグは娘の名を叫びながら辺りをさまよった。だが応えは無く、村には生存者もほとんどいなかった。
ただ一人、銃弾を腹の中に埋め込んだまま銃を撃ちつづけていたヘレン小母さんも、割れたソーダファウンテンの傍らで数時間後に息を引き取った。村は殆ど抵抗らしい抵抗も出来ずに踏みにじられたのだった。
その夜、シーダーレイクはグレッグの手で火葬に付され、この地上から消えた。
* * * * * * * *
「いよう、グレッグじゃないか。しばらくぶりだな」
旧知の客を迎えた酒場のマスターの愛想のいい笑顔が、次の瞬間曇った。
(確かにそろそろいい年の筈だが、この男はこんなに老け込んだ顔をしていただろうか?)
目の奥に何か暗く澱んだものがあるのに加えて、右足を引きずる様子がひどく痛々しい。
「あんたは酒はダメだったな。水と代用コーヒー、どっちがいい?」
「水をくれ。あまり金がない」
グレッグはかすれた声で答えた。
「……何があった?」
グレッグはそれには答えず、ハンターオフィスにつながる電話のほうへ目をやった。
「電話、借りられるか」
「構わんが――」
しばらくぺトラのオフィスと通話したあと、グレッグはマスターのほうへ向き直ってゆがんだ笑みを作った。
「現役に戻ることになったよ。またよろしくな」
グレッグの復帰はさまざまな憶測を呼んだが、彼の身に何が起きたのか知りえた者はごく少なかった。
しばらくして、予備役から復帰したグレッグが戦車を欲しがっているという噂が流れた。
どこかに取り残された大破壊以前の戦車や装甲車は無いか。引退するハンターが戦車を売りに出していないか――顔見知りに会うたびに、グレッグはそんなあての無い問いを繰り返ていた。
もちろん、そんな話など滅多に有るものではない。貪欲に戦車の情報を求めるグレッグから、何人かの情報屋がひどいガセネタで金をせしめたことすらあった。
それでも彼は、くる日もくる日も戦車を求めて足を引きずり、街角から荒野へとさまよった。
「マムルークを売るんじゃなかったな」
結婚以前に使っていた6輪装甲車が思い出された。まだ独立して間もないころ、モンスターと刺し違えて致命傷を負った別のハンターから、葬式代のかわりに譲り受けた物だ。
たまたま通りかかった自分の幸運に、あの時は死にゆく男を尻目に有頂天になったものだった。
あの車が今有ったら、と考えたところでそれはもう無理な話だ。現役を退くとき、ハンター仲間の一人に買い取ってもらったのだから。
その金は結婚してしばらくの間の生活や、リサが生まれたときのさまざまな費用などに当てられた。買った奴にはどのくらいの価値があったのか、それはグレッグにはわからなかった。
冷静に考えれば、装甲車程度では一個軍団に勝てないであろうことも明白だった。レンタル屋の車などでは、バランスが悪すぎてなおのこと話にならない。
そうして空しく日々が過ぎてしばらく経った頃、アンディーが現れたのだ。
* * * * * * * *
「戦車だ!戦車だぜ!!」
通りを歩いていた男が目をむいて叫んだ。今にもオーバーヒートして停まりそうなエンジンから悲鳴を上げながら、街路を進むハーフトラックとバス、その後ろに引かれた巨大な重戦車。
グレッグの持ち込んだ戦車は、ペトラの町にちょっとした騒動を引き起こしていた。その雰囲気を察してか、どこかで犬がけたたましく吠える。畏れと羨望の入り混じった視線がグレッグに絡み付いた。
町の男の子達はハーフトラックの排気ガスをものともせず、後ろについて走ってくる。三台の車は、そのまま町の一角にある修理ドックへと入った。
「たいしたもんだ。装備さえ整えてやればいい戦車になるぜ、あれは」
お気に入りの銘柄をいとおしそうにすすりながらアンディーが言った。グレッグは黒く濁った代用コーヒーをひとくち含むとそれに応えた。
「修理ドックのギルバート親方が言うには、大砲以外は全部交換するしかないらしいな。おまけにあの車体を動かせるエンジンはそうそう無いとさ。とりあえず手持ちの一番いいエンジンを積んでおくとは言ってくれてるが」
酒場のカウンター席に陣取った二人の会話は、数ヶ月振りに和やかな雰囲気だった。無論、グレッの心は依然として、コーヒー以上にどす黒いものを含んだままではあるのだが、この陽気な男、年来の友人であるアンディーにそれを見せる理由など無い。
それにしても、戦車を使用に耐える状態にするにはあまりにも莫大な金が要る。
(明日からまた、戦闘向きの車を借りて仕事に出よう)
そう心に決めていた。アンディーのアルバトロスを借りる手も有るが、あいにく彼はまた明後日から長期の輸送を請け負っているのだ。今度は北方の町まで荷受に行くらしい。
途中の道は危険なモンスターも多いが、アンディーなら多分うまくやるだろう。今夜だけはいやな事は全部忘れて楽しくやってもいい。
結局その夜は明け方近くに修理ドックに戻り、もう仕事を始めていたギルバートに仮眠用のベッドを借りて寝た。ジェインとリサが夢の中で微笑んでいた。
レンタル屋にはちょうど、以前使っていたバギーが修理を終えて戻ってきていた。いやな思い出と結びついた車だが、あの軍隊と、そしてデュラン大佐と呼ばれる男に復讐の戦いを挑む出発点としては、ある意味ふさわしかった。
「まずはキャノンホッパーを何匹か仕留めたいところだな」
待ってろよ、俺の戦車。すぐに連れてってやるからな。
交換したばかりのコンバットタイヤが砂塵を捲き上げる。バギーの操縦席でグレッグは砂丘の彼方に踊る陽光の中に、リサの走る姿を見たような気がしていた。