タイガーマイヤー戦記・第一部 ――ネメシスの動輪―― 作:茅葺
彼等は諸君を欺き犠牲を強いて家畜の様に
追い回している!
彼等は人間ではない! 心も頭も機械に等しい!
諸君は機械ではない!
人間だ!
心に愛を抱いている
愛を知らぬ者だけが憎み合うのだ!
(映画「チャップリンの独裁者」より。独裁者ヒンケルに
取り違えられたユダヤ人の床屋がヒンケルとして行う演説の一部。)
薄茶色のゴワゴワした紙袋は手に持つと程よい重さで、それは買物と言う行為に特有の満足感をもたらしてくれるようだった。
重さにしてせいぜい一~二キログラムのデニム地――それはかつて人類が享受した、豊かな産業文明の賜物。もはやこの種の物が工場で生産されていない今、その値段は高騰する一方だった。このジーンズを身につけることは、アンディーにとって高尚な趣味に属する事なのだ。
「買って来たぜ」
頼まれたジーンズとその他のこまごました補給品を手に、グレッグは大型装甲バス「アルバトロス号」の巨体の前部に位置する、雑然とした乗員用キャビンに入った。
「……相変わらずだな、少しは片付けろよ」
自分が顔をしかめているのが分かった。運び屋としての評価とは裏腹に、アンディーは私生活となるとてんでだらしがない。
飲み捨てた酒ビンや着古した下着が無造作にそこいらに散らばって、二人掛けシートを並べた仮設寝台の周りには、物好きにも行きずりのトレーダーから言い値で買ったものらしい、大破壊前の古い雑誌がうずたかく積み上げられている。
「おーぅ……どうだった、いいの有ったか?」
物憂げにたずねながら、擦り切れたトランクスにTシャツをはおったままの姿でアンディーが袋をあけ始めた。折りたたまれたジーンズには、背面中央のベルト通しに、色あせた緑色の番号札がホッチキスで止められていた。
そう。このジーンズはかつてのクリーニング工場跡から、返送のためにビニールで梱包された状態で発掘されたものなのだった。
「うん、いい感じで色落ちしてるな。サイズもばっちりだ」
値段の割にはよい物にめぐり合ったと、アンディーはご満悦だった。
「すまんが、俺にはさっぱり解らん」
グレッグは溜息をついた。まあアンディーが気に入ってくれたなら、門外漢の買い物としては上出来なのだろう。
パインブリッジくらいの大都市ともなると、ハンターの使う武装した車輌は町の中への乗り入れを認めてもらえない。アルバトロスとファブニールがいま駐車しているのは、町の入り口に設けられた半地下式の巨大な駐車場の中だった。
この手の駐車場は大抵の場合、ハンターオフィスとレンタルタンク屋との共同管理になっている。
最初にゲートをくぐるときに、ハンター用のIDを記録したキーカードが発行され、後はそのカードを提示もしくはリーダーに通すことで、滞在中は自由に駐車場を出入りできる。
IDがあれば街中で買い物をするときのための各種カートの貸与や、隣接ドックでの整備点検等のサービスも受けられる。大都市だけの恩恵だ。
現在の駐車数は、ざっと十台ほど。その殆どはハンターの車だが、装輪式の装甲車やバギーなどの小型車輛の間で、彼らの大型車両二台は一際目立っていた。
「アルバトロスは修理に出さなきゃあなぁ」
おろしたてのジーンズにはき替えたアンディーが、グレッグの少し後を歩きながら言った。先だっての「地獄猫戦車」との戦闘で、アルバトロスの側面には七六.二ミリ徹甲弾の爪跡が黒々と残っている。シャシーやサスペンションにもかなりの損傷を負っている事は間違いなかった。
運び屋をもっぱらの生業にしている彼にとって、車に傷がついていることは輸送の安全についての信頼にも傷がつくという事だ。
ましてや、これまでトラブル知らずを看板にしてきたアンディーである。「地獄猫」の一件は彼にしてみれば全くの災難だった。
「あーあ。ついてないぜ、全く」
「そうぼやくなよ、アンディー。オフィスで調べたら、あの猫ちゃんには賞金がかかっていたんだ。」
総額一万二千ゴールド、半額で六千。さほどの金額ではないが、それだけ有ればアルバトロスの修理ぐらいはどうにでもなる筈だ。
「そいつを山分けにしようじゃないか」
お前にはその権利があるんだからな――
グレッグは胸の内でそう呟いた。権利うんぬんなどと口に出して言えば、アンディーはかえって頑なになるだろう。そういう男だ。
「すまん、助かるよ。だが、問題はもうひとつある。スチュアート母子だ。俺は途中で荷物を放り出すのが一番嫌いなんだが、相手が生きている人間となりゃ、旅程はあっちの都合が優先だからな」
アンディーは実のところひどく落ち込んでいるようだった。普段陽気な男だけにふさぎ込むと始末が悪い。
「二人の宿まで出向いてみよう、こっちだけで色々考えてても仕方ないさ」
グレッグはいつもアンディー自身が自分に対して取ってくれるような態度で話しかけていた。それがグレッグが知っている最良のやり方だからだ。
「そうだな、客抜きでこんな話をしても仕方ない。何にしても、宿に顔を出すように言われてるんだしな」
スチュアート母子は町に着いてすぐにアルバトロスを降り、この町で一番大きなホテルにチェックインした筈だった。二人は少し明るい表情になって駐車場のゲートへ向かった。
グレッグはふと、昼過ぎに別れたばかりのアリサ・スチュアートを思い出した。
信じ難いような操縦技術と、ヘヴィーな車載部品から繊細な電子機器まで巧みに取り扱うメカニック技能とを持つ、ほんの子供と言っていい年の少女――
(ふん……惚れたかな?)
苦笑しながらかぶりを振る。二十歳かそこらの頃なら夢中になっていたかも知れないが、今のグレッグにはむしろ行方不明の愛娘、リサと重ねて見てしまう部分が大きいのだ。アリサに対して感じる胸の疼きは、そういうことだ。
ゲートの所までやって来ると、ちょうど新たに一台の戦車がチェックを済ませて進入ゲートをくぐった所だった
真新しいダークグリーンの車体。背の高い四角な箱型の砲塔には、両側面に細身の機関砲らしき物をマウントしている。砲塔前面には丸みを帯びた形のレーダーが見てとれ、いかにも高性能な感じがする戦車だった。
「おっ、ゲパルトだぜ」
アンディーがそちらを示してささやいた。
「知ってるのか。俺はあんな戦車始めて見たぞ」
「オフィスの掲示板で広告を見たことがあるんだ。最近どっかのハンターが昔の軍事工場跡で設計データを手に入れて、それを元にフォンダ市のドックでレンタル用に何台か製造したって話だったが……」
アンディーは首をひねった。
「ありゃあどうも、個人所有みたいだな」
なるほど、どこにでも金持ちと言うやつは居るものらしい。
フォンダ市といえば、ここから二百キロほど東に有る、この地方随一の重工業都市だ。大破壊前の資材が残っていて、もっぱら戦車のエンジンや重火器類を年間に極少量生産しているとは聞いた事がある。
だが、戦車丸ごとの生産が始まっているとは初耳だった。
「ま、俺達には高嶺の花ってとこだな」
グレッグはにやりとしながらアンディーの脇腹を肘で軽くつついた。
ゲパルトとやらは、買えばさぞや目玉の飛び出るような値段に違いない。対して二人の車はどちらも、
駐車場を出るときにもう一度振りかえると、その戦車からはちょうど三人の乗員が降り立つ所だった。
ホテルといっても、建物自体は廃ビルを改装したものだった。何かの爆発で吹き飛んだらしい上層フロアは一部の壁だけが名残をとどめていて、街の灯に照らし出されると、その奇怪な姿が宵闇をバックに浮かび上がって見えた。
そんなホテルの三階にあるツインルームで、グレッグ達はスチュアート母子とテーブルを囲んでいた。
「……俺の傷が治るまで、この町に?」
サマンサの解答はアンディーをひどく混乱させた。無理もない、仕事を途中で放り出す事をおそれていたのに、スチュアート医師はアンディーが治癒するまでこの町にとどまると言っているのだ。
「そうよ、治療中の患者にバスの操縦を強いる事も、別れて自分の目的地に向かう事も、どちらも私にとってはナンセンスだわ」
サマンサはきっぱりとそう言い放った。
「私は医者ですからね」
「そりゃあ、まあ解りますが……」
「せいぜい一週間の辛抱だけど、その間は私の指示に従って治療に専念してもらいます。歩き回るのは最低限にして清潔と安静を保ち、ガーゼは毎日取り替える事」
そしてその次の台詞はアンディーをこの世で最も惨めな表情にさせた。
「当然お酒は一切禁止よ」
「だ、だが先生、あんたはこっからずっと北のロングフォードで開業するんだろ、早く行
かなきゃならないんじゃないのかい?」
アンディーはなおも聞き返していた。
「一週間くらい遅れてもどうということはないわ。ロングフォードには今、医者が一人もいないわけではないんだし」
「冷たいんだな。医者が多いほうが患者にとってはありがたいんじゃないのか」
グレッグはそう突っ込んでみた。サマンサの物言いにはどうも矛盾した所が有る、そんな気がしたのだ。
「……畑違いなのよ。私の専門は外科です。でもロングフォードの病人の多くは化学工場の仕事で内臓障害を起こした労働者たちだわ」
「なるほど。あそこには農薬や肥料を作ってる工場が多いからな」
荒れ果てた大地に作物を実らせられるようにするために、多くの男たちが身体を犠牲にして働いているのだという。作ってて体を壊すような物を撒いた土地から、安全に食える物が採れるのかとも思うが、取りあえずサマンサの話は、聞く限りでは筋が通っているようだった。
つまり、サマンサは医者の足りない土地に開業しに行くのではなく、ロングフォードの医療を充実したものに向上させるために行くのだ。いまこの時点ではアンディーの治療が最も優先順位が高いということなのだろう。
(まあ、ハンターなんぞやってると、何にでもトラブルの匂いを感じちまうのかもな)
胸の内でそう呟いて、くすぶりつづける疑念を押し込める。グレッグはサマンサの事情についてしばらく気にしない事にした。