――私は、生まれた意味を果たせなかった。
己が生を受けた意味を知る人間がどれ程いるのだろうか。
それを知らずに生を終える人間が大半の中、それを知れた者は稀であろう。
而して、それを理解して尚その意味を果たせない無能に価値はあるのだろうか。
況してや、多くの命が掛かった天命であれば猶更だ。
詰まる所私は、死の間際まで何一つ守れず、全てが掌から零れ落ちてしまっただけの空虚な男だったのだ。
私がしくじったせいで多くの命がこれからも奪い続けられる。
心苦しい。未来のことだけではない。
鬼舞辻無惨を倒す為に特別強く造られた私の所為で兄上を歪めてしまった事が、何よりも辛かった。
晩年、私には時間だけはあった。有り得ないと知りつつも無惨を探す空虚な旅路の中で、我が所業を振り返る時間だけは持て余す程に有していた。
無惨を倒せなかった責、兄上が鬼に成り果てた責、その業を背負い引き摺る時をただ生きていた。
思い返すは兄上のと日々。
その頃の私は我が天命を知らず、兄上と過ごせる日々に浮かれていたのだろう。
私は特別だった。特別だったが故に感じていた疎外感。
兄上と、うただけだった。
私が人で在れたのは、2人のお陰だった。
幼き砌、忌み子であった私と兄上が触れ合う機会など、無きに等しきものだった。
兄は優しい人だった。
子にとって父親とは絶対的な存在だ。忌み子と言われた私と比べるまでもない存在だ。
構うなと禁じられれば、それも暴力と共に命じられれば逆らうなどは有り得ない。
だというにも関わらず、その翌日に兄上は笛を作って持って来てくれた。
助けて欲しいと思ったら吹け、すぐに兄さんが助けにくる。
だから何も心配いらないと赤紫に腫れた顔で兄上は笑った。
月のように優しさを持った人だった。
兄上が部下を殺され鬼狩りに加わった時、嬉しかったのだ。
継国という家を背負わずに鬼狩りの仲間と兄上と過ごす時間が。
幼少の時に望んだ凧や双六ではなかったけれど、仲間達と――兄上と刃を交え研鑽し、共に過ごす日々。
他愛のない話をしながら共に歩く。
その時だけは、叶っていた。
家族と静かに暮らす。
形は些かばかり異なれど、私の夢は叶っていたのだ。
だからこそ私は、分からなかった――兄上の語る言葉の意味を、理解出来なかったのだろう。
私が他人と異なると理解していた兄上のように、私もまた兄上のことを理解しようとしなければならなかったのだろう。
そうすれば少なくとも、兄上が鬼になるということなど、なかった筈だ。
鬼狩りから追放されて六十余年、運命の悪戯か将又因果の巡り合わせか。
死の間際に私の眼前に現れたのは、鬼となった兄上だった。
その姿、その様、その業を目の当たりにして思い知らされた。
「お労しや――兄上」
我が瞳から、涙が零れ落ちていた。
兄上は、国一番の侍になれるお方なのだ。
兄上は、強いお方なのだ。
兄上は、優しいお方なのだ。
だというのに愚かな私の所為で、数多の業に翻弄されて鬼へと成り果ててしまったのだ。
兄上こそが私の犯した罪の証そのものだ。
私さえいなければ、人で在れた筈なのだ。
国一番の侍に成れた筈なのだ。
日ノ本を背負う兄上の姿を幻視して、有り得た筈の未来に思いを馳せる。
だが、所詮はそれも夢の如き話。
罪は清算しなければならない。
斬らねばならぬ。
鬼は斬らねばならぬ。
たとえそれが自らの所為で身を堕としたとしても。
たとえそれが――己の半身ともいえる大切な双子の兄だとしても。
「参る」
恨んで頂いて構いません。
詰って頂いて構いません。
我が命さえ、捧げても構いません。
地獄の底に落ちたとしても構いません。
斬らせて頂きます、兄上。
万感の想いを込め刀を振るう。
一太刀目は浅かった。
次こそは確実に頚を刎ねる。
次こそは……
あぁ、いつだって私は『次』を果たす事が出来ない宿命にあるのだな――
事切れる寸前に見えた兄上の憤懣の相。
私は何も果たせない。
継国縁壱
神の如き天稟を与えられた男の生は走馬灯さえ過ることもなく。
その人生を表すかのように空虚にあっけなくその幕を閉じた。
「兄上……」
刹那か久遠か、瞬きの間しか経っておらぬようで気の遠くなるような時が経ったかのような。
時間と言う概念を疑うような夢の果てに、兄上の姿を見た。
自らが死ぬ間際の老いた姿ではなく、全盛期とも言える若かりし頃の姿であることが確かめるまでもなく感じ取れた。
理解が追い付く前に捉えた兄上の姿に気付けば声が漏れていた。
兄上も呆然としていたが、私の声を聞いた途端。
最期に見た表情を見せた。
「何故私が! 私は何時迄お前に灼かれ続ければいいのだ!」
兄上の血を吐くかの如き怨嗟の声を聞いた時、やはり私は夢を見ているのだと知った。
このような罵詈雑言を浴びせるようなお方ではない。という意味ではない。
あまりにも、私に都合が良過ぎたからだ。
現実味を帯びる帯びないの話ではない。
価値なき私を断罪するかのような、私を許さないと叫ぶ兄上。
罪深き業が、このような分かりやすい罰で済む筈がない。
許されたいと思う私の浅ましさが見せた夢だろう。
そう確信するに足る程の都合の良さだった。
だが、たとえ夢だとしても私は答えなければならない。
どの口でと言われようとも、幻であろうとも兄上の言葉であるならば、あまりにも兄上が救われない。
思えば私達は言葉こそ交わしておきながら、心を通わしていた訳ではなかったのだ。
言葉も足らず、共にいるという事実にだけ甘えていたのだ。
兄上が私をどれ程嫌っていたとしても、私は兄上に救われていたと告げなければならないのだ。
もしあの時ああ言えていればなどと言う思いを二度とすることのないように。後悔に塗れ無為な時間で得た数少ない教訓だ。
言葉を重ねるに連れ歪む兄上の顔。
「お前はなんなのだ! 私にはお前のことが何もかもが分からぬ!」
額が触れ合う程に距離に詰める兄上。
「このような化け物が! にじり寄る死に耐え切れぬ臆病者が! 神の御業を持つお前を救ったなどと!」
兄上の姿は私が見た事もない、もはや鬼と言う言葉にすら収まらない姿へと変わり果てた。
我が業はこれ程までかと、その醜さとは私の醜さそのものなのです。
兄上の葛藤を、迷いを、心を想うとまたしても涙が溢れてきてしまった。
「何故泣く。それ程まで悍ましいか縁壱、それ程までに憐れか縁壱」
違うのです。
違うのです兄上。
「何が違う。私が人であった頃には終ぞお前の涙など見なかった」
私が兄上の優しさに甘えていたのです。
私の背を追いかけてきてくれる兄上を前に、どうして私が涙など見せれましょう。
「お前だけが特別だったのだ。だから私は――」
兄上は許せなかったのでしょう。
人に優しく自らに厳しいお方だ。強きを目指し弱さを嫌う兄上だからこそ。
特別な私を特別だからと言い訳に出来ぬからこそ、自らの弱さを律せなかったことが許せないのでしょう。
兄上のせいではないのです。
「私が、私のせいで兄上を鬼にしてしまったのです」
私には価値がない。
成すべきを成せぬどころか兄上程のお方を歪ませてしまった。
私など生まれてこない方が良かったのだ。
そうだ。幾度思った事か。
「私など、生まれて来なければ良かったの――」
「違う!」
懺悔にも似た私の言葉は兄上の叫びによって遮られた。
「兄、うえ?」
恨まれても当然だ。
憎まれても仕方ない。
斬り刻むことすら当たり前の権利を持っている。
兄上が望むのならば死すら受け入れます。
「違う! 違うのだ!」
死の間際には異形の姿で怒りを見せていた兄上が。
私は最も幸せを感じていた頃の人の姿になっていた。
「俺は、ただ───縁壱、お前になりたかったのだ」
あの兄上が俯きながら泣いていた。
私の涙など見た事もないと言っていたように、私もまた兄上の泣く姿をこの眼にした事はない。
私達兄弟は、互いに涙すら碌に見せた事もなかったのだ。
そのような間柄で、何を分かり合えたと言えたのか。死して尚、今の今まで理解していなかったのか。
「あにうえ……」
私は何一つ成せなかった男なのです。
誰の期待にも応えらなかった。
そんな私になりたかったなど、理解の範疇を越えていた。
「私こそ、私こそ兄上のような侍に、なりたかったのです」
肩を掴む兄上の腕に力が入るのが感じ取れたのと同時に、顔を上げた兄上が私を見つめていた。
そう、兄上だけが私を私のままに見てくれていたのです。
「私の一番は兄上なのです。今でも、何時迄も」
良いのです。
生まれた意味など知る必要はないのです。
────私は兄上が兄であった事を誇りに思います。
そして、先程の兄上の言葉で充分過ぎるモノを頂きました。
いや、言葉だけではありません。
片時も離さず身に着けていた笛を懐から取り出して口元へ運ぶ。
ぴゅー、と幾度も聞いた音の外れた笛の音が響き渡る。
今度は、兄上の優しさに甘える事なく向き合います。
何も成せなかった私に兄上が成し遂げる姿をお見せください。
「兄上ならば成し遂げられます。だって兄上は、国一番の侍なのですから」
兄上は少し呆けた後に微笑んでくれた。
「縁壱、お前はそうやって笑うのだな」
私も今まさに、同じ事を思いましたよ。兄上。
兄上の笑顔は月明りのような心地よさがありますね。
――兄上、手を繋いでも、よろしいですか?
――手を……? 構わないが……
――こうすることが、夢だったのです。
在りし日の私の夢と、これから歩む兄上の夢の道。
交わることがないと思えた道を、二人で歩んでいきましょう。