比那名居天子(♂)の幻想郷生活   作:てへぺろん

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ヤマメは何故か関西弁に似合う気がする。


それでは……


本編どうぞ!




33話 乙女の鬼

 ドックンドックン!

 

 

 心臓の音がここまで鮮明に聞こえてきたことがあっただろうか?今までの中で心臓の鼓動を感じることは何度もあったが、それらに比べて今の感じている振動、音は今までと比べて差が大きすぎた。周りの音が心臓の音でかき消され、体が振動にとって震える……一人の鬼が、鬼の中でも山の四天王と恐れられた鬼が今まさに敗北感を味わおうとしていた。

 

 

 落ち着け!落ち着けよ私の心臓!!私は鬼だぞ……ただのそこら辺のへなちょこ共じゃない山の四天王と恐れられたんだ。これぐらいで自分の鼓動に負けを認めるかよ!

 

 

 伊吹萃香は一人で戦っていた。自分自身の心臓と……何のことを言っているのかと思うだろうがそう表現するしかない。萃香は今にも張り裂けそうな心臓を鎮めるのに必死だ。ここまで心臓が高鳴るのは理由がある。それは萃香の右隣にいる存在の一人の男が原因であった。

 

 

 比那名居天子……萃香と戦い勝利した男であり、萃香の親友(とも)である。だが、そんな天子は今日は親友(とも)として傍にいるわけではない。今の天子は親友(とも)ではなく、デート相手として萃香の隣にいるのだ。

 

 

 おちおちおちおちおちつつつつけよ!て、てんしが隣にいるだけだろう!そうだ、いつもならこんなに緊張することなんてないじゃないか。息を吐いて吸ってを繰り返していれば元の私に戻れるさ……ゆっくりゆっくり……!

 

 

 息を大きく吸い込もうとしていた時に天子が萃香に声をかけた。

 

 

 「萃香、どこから見に行こうか?」

 

 「ゴホッゴホッ!えふぅ!!」

 

 「だ、だいじょうぶか萃香!?」

 

 「い、いきなり……ゴホッ!声かけるな!むせたじゃないか!」

 

 「す、すまない……」

 

 

 ああ……恥ずかしい……何やっているんだ私は!?いつもの調子に戻ればなんてことないのによ……で、でーとって言ったってただ、一緒に歩いたり、色んな所を見て回るだけじゃないか……それぐらいで私の心が乱れるなんて……

 

 

 チラッ!

 

 

 横目で天子を窺うと心配そうに萃香を見つめていた。天子と目が合うとすぐに視線を晒して体温が上がっていくのを感じた。

 

 

 で、でーとぐらいでこの私の心が乱れるわけないし!私が天子に……こ、こいなんて……抱くわけが……抱く……わけが……

 

 

 そんなことをずっと思っていた。そんな時に右手を握られた。それも温かい手に……

 

 

 「緊張しているのか?これで少しはマシになるか?」

 

 

 ちょちょちょちょちょちょちょちょちょ!?なななななななななななにしてるのぉおおお!!?

 

 

 萃香の頭はオーバーヒートしそうだった。心の準備も何もしていない状態でいきなり右手を握られた。天子の左手に包まれ握りしめられた手は喜んでいるように熱が上がっていた。その熱が手から腕に行き、萃香の体全体に周って行く。嫌ならば振りほどくが、全く嫌な感じがしない。寧ろもっとこうしていたいと思ってしまい、自然と落ち着きを取り戻し始めていた。

 

 

 「どうだ?少しはマシになったか?」

 

 「う、うん……だ、だいぶ……落ち着いたよ……」

 

 「それはよかった。でも中々見れないレアな萃香を見れて私は幸せ者だ」

 

 「ふぁい!?」

 

 

 またまた萃香の体温が上がっていく。天子はまずかったかな?って顔をしていた。萃香は何度も呼吸を改めて自分自身を落ち着かせる。

 

 

 「だ、だいじょうぶ……だいじょうぶだから……変なこと言わないで……くれ……」

 

 「わ、わかった……」

 

 

 それから数分後、再び落ち着きを取り戻した萃香はシャキッとして天子に声をかける。

 

 

 「その……悪かったな。急にヤマメが変なこと言って……迷惑だったろ?」

 

 「その心配はないさ。私とデートしたかったのだろ?萃香は勇気を出して誘ってくれたんだ。それぐらい受け入れてあげなくては比那名居天子としての名が泣くよ」

 

 「天子……今日一日だけ私の我が儘に付き合ってくれるか?」

 

 「ああ、お安い御用さ」

 

 

 二人は旧都へと入って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「おお!これは……凄いな!」

 

 「だろ?地底も綺麗な所だろ」

 

 

 古い時代の建物が立ち並び、ぶら下がる無数の提灯。とても明るい景色が広がっていた。多くの妖怪達が行き交い、様々な店があり、お祭りのようだった。こんな光景地上でもあまり見かけないので釘付けになっていた。

 

 

 「本当に凄いな。ここが地底だってことを忘れてしまいそうだ」

 

 「そうだろそうだろ。私が良い所を案内してやるよ」

 

 

 萃香に手を引かれて天子は旧都の街並みを堪能していく。

 

 

 「おい、誰だあれ?」

 

 「あ、あれは萃香さん!?」

 

 「隣にいるいい男は誰だ!?紹介してくれ!」

 

 「萃香ちゃんと手を繋いでいるだと!?うらやま……けしからん!!」

 

 

 旧都を歩いていると周りからもの凄い視線を感じた。萃香が天子といることに驚く男や萃香と手を握る天子に嫉妬する男、男なのに天子の方ばかり見る変な男、萃香の胸ばかりに視線を向ける変態など様々な妖怪達がいる。男のほとんどが萃香と見つめ、中には天子を敵視する視線も感じられた。女の妖怪も存在しており、女妖怪達は天子の美貌にうっとりしている様子だった。正直なところ天子は居心地が悪かった。萃香は全く気にしている様子はなかったが……

 

 

 「どうしたんだ天子?周りが気になるのか?」

 

 「え?ま、まぁな……」

 

 「なら、私が黙らせようか?」

 

 「いや、そこまではいい……」

 

 

 やっぱり萃香だなぁっと天子は感心するのであった。今までに見たことない萃香を見てから大人しくなったのかと思ったが決してそんなことはない。いつもの鬼である萃香に変わらなかった。

 

 

 「そうだ萃香。食事しないか?朝から食べてなくて私もお腹が減ってきたところなんだ」

 

 「そう言えばそうだな。よし!食事にしよう!いい店知っているんだ。こっちだ」

 

 「おいおい、引っ張るな」

 

 「「「(萃香さん(ちゃん)と食事だと!?リア充爆発しろ!!!)」」」

 

 

 男達の嫉妬の炎など気にもしない無邪気な小鬼に連れられて一軒の店に入っていく天人。そこはよく勇儀と萃香が語り合う場所で使っている店だった。店に入るなり亭主が「ゲッ!?」って言う声が聞こえたが、一体萃香はここで何をやっていたんだと思ってしまった天子だ。

 

 

 「亭主、酒とつまみ大盛りでくれ」

 

 「へ、へい!」

 

 

 萃香と天子はテーブル席について普通なら向かい側に座るはずだが、萃香は天子の隣にやってきてちょこんと座った。萃香の飛び出た角は邪魔になるとか普段なら思うかもしれないが、うまい具合に天子に当たらないように距離を取っている。そこは配慮してくれている萃香の隠れた優しさに天子は小さな微笑みを見せる。

 

 

 「ん?どうした天子?何笑っているんだ?」

 

 「いや、なんでもない。ここのおすすめはなんなんだ?」

 

 「ここは酒が中々良くてつまみも沢山盛り盛りで値段も安いのがいいんだ。それにいくら暴れても怒らない亭主が気前が良くてね♪」

 

 

 そうなの?って視線を亭主に向けるが、首を思いっきり横に何度も振って全力で否定された。否定したのは「いくら暴れてもって怒らない」ってところだろう。鬼の萃香に文句を言える存在など滅多に地底にいるわけがない。天子は心の中で亭主に同情してしまったので、今後のためにも一言ぐらい言っておいた方がいいだろうと思うのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「へい、お待ちどう!」

 

 

 萃香に店で暴れてはいけませんと注意しておいた。萃香も「天子が言うなら仕方ないな」って了承した。亭主の目が光り輝いていた気がする……何故か酒とつまみ以外にも沢山サービスしてくれた。亭主が天子に対しての感謝の気持ちだったのだろう。出された酒とつまみなどを一緒に食べて食事を楽しんでいる時に、外から喧嘩する声が聞こえてきた。

 

 

 「なんだと!てめぇ、その減らず口を叩きなおしてやる!」

 

 「なんだとコノヤロー!!!」

 

 

 男達の声……怒りを孕んだ怒号が店の中まで届いていた。地底では喧嘩は珍しくないことだ。店の中の客も特に気にしている様子はない。しかし、天子はあまりこういう状況が慣れていないのか、それに喧嘩がすぐ傍で行われていると思うと少々気になって仕方ないのだ。

 

 

 「天子、渋い顔しているな。喧嘩が気になるか?」

 

 「ああ、天界ではこんなことないからな。地上に居てもこんな状況で飲めるほど気持ちは図太くないんだ」

 

 「まぁ、天子から見たらそうだろうな。でも、地底ではこれが普通なんだ。毎日喧嘩が起きて暴れて酒を飲み交わす。これが地底での日常ってやつさ」

 

 

 萃香は特に止めることはしないようだ。見慣れた光景のため放っておけばいいと言う。天子も渋々ながら了解しておいた。もし店や無関係な妖怪に被害が出そうなら割り込むことになるが……

 そんな時に再び聞こえてきたのは喧嘩する声に混じって違和感を覚える会話が耳に届いて来た。

 

 

 「てめぇ!もういっぺん言ってみろ!勇儀姐さんのたわわな胸が気に入らないだと!!?」

 

 「(……ん?)」

 

 

 天子は耳がおかしくなったのかと自分を疑った。

 

 

 「お前こそ!萃香ちゃんのちっぱいをなめんじゃねぇ!」

 

 「(……はっ?)」

 

 

 聞こえてきた会話は怒りの声だが、内容がおかしい……否、天子の中身は女の子であるために余計にこの状況に違和感を覚えたのだ。

 男と男の真剣な話(女性の胸について)は女性側からしたらただのスケベ話にしか聞こえないからだ。本人たちは真剣の大真面目なのだが……

 

 

 「勇儀姐さんのたわわな胸はそうそうお目にかかれるもんじゃねぇんだぞ!勇儀姐さんの筋肉質の体に力の勇儀と恐れられる姐さんの剛力、それらに負けず劣らずの美の象徴こそあのたわわな胸なんだぞ!それを理解できないとはてめぇ、それでも妖怪か!?」

 

 「お前こそ、萃香ちゃんのかわいらしい小さな体に全くないちっぱいの素晴らしさがわからんのか!?子供の姿ながら、酒を飲み、つまみを食う姿は実におっさんくさいがそれがいいんだろ!そして、山の四天王と呼ばれた萃香ちゃんの最近の新事実……ギャップ萌えの恐ろしさ教えてやる!!」

 

 

 勇儀派と萃香派の譲れない戦いが店の外で繰り広げられているようだった。そして萃香派の激動の攻撃が始まる。

 

 

 「最近萃香ちゃんファンクラブができて俺は嬉しいんだ。前々から萃香ちゃんのファンだった。だが、大抵の男どもはヤマメちゃんか勇儀姐さん派ばかりで、誰も萃香ちゃんの良さをわかってくれなかった。俺は悔しかった!勇儀姐さんと酒を飲み交わし、楽しそうにしている萃香ちゃんを見ると興奮して夜なんて寝付けねぇ!そして、最近仲間から萃香ちゃんファンクラブができたと聞いて俺は感激したんだ。だが、何故今頃になって仲間たちはファンクラブを作ろうと思ったのか……仲間の一人から聞いたんだけどよ……」

 

 

 萃香派のターンはまだまだ終わらない。

 

 

 「その日は萃香ちゃんはやけ酒しててよ、そんな時にヤマメちゃんが現れて萃香ちゃんを慰めていたんだ。何故やけ酒しているのかってヤマメちゃんが聞いたら萃香ちゃん、いつもは見せない顔を真っ赤にして狼狽え始めて噛みまくりだったんだ!あれは乙女の顔だったって仲間が言った。それを聞いた大勢の仲間が萃香ちゃんファンになったんだ!」

 

 「な、なんだってー!?」

 

 

 勇儀派も話に釘付けになっていた。

 

 

 「だがよ……俺は悲しいんだ……」

 

 「ど、どうしたんだよ?なんでそんなに落ち込んでいるんだよ?」

 

 

 先ほどまで威勢がよかった萃香派の男の声は弱々しくなっていた。その様子に勇儀派の男も一体どうしたのかと問いかける。

 

 

 「……仲間が言うには……萃香ちゃん……好きな奴が出来たんだって……それもベタ惚れらしい……きっと萃香ちゃんの初めては奪われてしまったんだと思う……」

 

 「な、なんだとー!!?」

 

 

 衝撃だった。山の四天王と恐れられて酒を飲みまくり喧嘩で街を壊して好き放題していた一人の小鬼である伊吹萃香に恋愛など想像できなかったからだ。男になんて見向きもしない萃香に好きな奴ができたこと自体衝撃だったのだ。しかも、あの伊吹萃香がだ。勇儀派の男でもこれほどの衝撃を受けたことはなかった。そして、萃香派の男はどんどんと声が弱々しくなっていく。

 

 

 「俺の夢は踏まれながら酒を飲み続ける萃香ちゃんの口からこぼれ落ちた唾液の混じった酒を飲むことだったんだ……そんなこと彼氏ぐらいしかできない……萃香ちゃんが独り身ならいつかそんなチャンスが巡って来るんじゃないかと夢見ていたんだ……

 

 「(彼氏でもそれはない……)」

 

 

 天子は心の中でツッコムが萃香派の男に届くわけもない。

 

 

 「俺の夢は……潰えた……」

 

 

 まるで全てを失ったかのように呟いた。しかし、そんな男に救いの手が届く。

 

 

 「諦めるな!てめぇの熱い思いは確かに届いたぜ!」

 

 「お前……勇儀姐さん派ではなかったのか!?」

 

 「確かに俺は勇儀姐さん派だ。俺だって夢がある。あのたわわな胸に挟まれて勇儀姐さんに滅茶苦茶にされることを夢見てきた……てめぇの萃香さんを想う気持ちは嘘なんかじゃない。それに、そんな壮大な夢を語られちまったら認めるしかないだろ?てめぇの想いが俺の変えたんだ。お互いにいい夢を持っているな」

 

 「お、お前……!!!」

 

 「(なんだこれ……)」

 

 

 店の外で繰り広げられている激戦はいつの間にか丸く収まっていた。店の中で聞いていた天子は呆れ返っていた。喧嘩の理由もしょうもない理由だったし、何より中身が女の子である天子にとって、ただ白い目で見つめることになる変態話でしかなかった。興味を無くし、再び酒でも飲もうかとした時に視界に入ってきた。

 萃香が顔を真っ赤にして立ち上がっていた。ドシンと音を立てて店の入り口に向かって行く。

 

 

 「ちょ……萃香?」

 

 

 天子が言う前に既に外に出ていた。すぐに男達の声が聞こえてくる。

 

 

 「あっ!萃香さんこんなところに!?」

 

 「ああ、萃香ちゃんが目の前に現れるなんて……なんて俺は幸せ者なんだ!」

 

 「お……お前ら……」

 

 「「ん?」」

 

 

 萃香の声は低く、天子はこの後の男達の結末を容易に想像できた。

 

 

 「天子の前で変なこと語ってんじゃねぇえええええええええええええええええ!!!

 

 「「ぎゃあああああああ!!!」」

 

 「(前じゃなくて店の外だけどね)」

 

 

 天子のツッコミは萃香にも届かなかった。きっと外の二人は遠いお星さまになったのだろうと酒を片手に飲みながら思いにふけるのであった。

 

 

 ------------------

 

 

 「大丈夫か萃香?」

 

 「あ、ああ……大丈夫……いや、やっぱりダメだ……」

 

 

 失態だ……天子に嫌われたに違いない……

 

 

 萃香は落ち込んでいた。店の前で熱く語り合った妖怪共をぶっ飛ばした後はよかったものの、街の中で天子と歩いていると所々から良からぬ会話が聞こえてきた。

 萃香が今まで地底で仕出かしたことが天子の耳に届いていた。酒に酔ってすっぽんぽんで盆踊りをしていたり、飲み過ぎて盛大に光輝く液体を口から噴射したりとお下品な内容だった。自分でやってしまったことだ。今までならばそれがどうした?と聞き流すぐらいで済む話だったが、今の萃香はそんな度胸はない。天子が傍に居て、今デートしているのに、周りから聞こえてくるのは自分の恥ずかしいエピソードばかりだ。それも赤裸々に詳細まで語られてしまった。そんな話から逃れるように店の中にも数件入ったが、男どものいやらしい視線と萃香ちゃんエピソードで盛り上がる酔っ払い共で溢れかえっていた。それを聞いていた天子の反応もアレだったし、仕出かした本人が後悔しているぐらいだ。

 萃香は徐々に耐えきれなくなってきて、その様子を見て天子が萃香を連れてある場所にやってきた。

 

 

 もう……ダメだ……私の恥ずかしい話が全部天子に届いてしまった……恥ずかしすぎる……!

 

 

 萃香は天子を見れなくなっていた。二人がいるのは地底に川が流れている橋の上で他には誰もいなかった。天子は萃香をここまで連れてきた。鬼である萃香も逃げたくなったのだ。あのままだとまた余計なことが天子の耳に届くかもしれない……だが、もう遅いと思っていた。

 山の四天王と恐れられ、天狗や河童を従えて人間達にとって鬼とは恐怖の象徴である。その鬼の中でも鬼からも恐れられるのが山の四天王だ。恐れられているはずの萃香は地底では友である勇儀がいた。たまに地底に来て地上での鬱憤を晴らすために少々羽目を外すことが多かった。周りも鬼二人を止めることなんてできないため野放しになっていた。地底ではこういったことは平然と起きていたので、特に変わったものではなかったのだが、萃香の心は平静を保てなかった。天子に全てを聞かれてしまい、自分のイメージが総崩れになる姿が思い起こされる。

 

 

 地底でやらかしたことが今になって振りかかるなんて……小さな百鬼夜行なんて二つ名をつけられていたけどなんだよそれ……今の私ただの酔っ払いじゃん……酔っ払いなのは事実なんだけれどさ……こればかりは天子には聞かれたくなかった!天子が私に抱くイメージが音を立てて全部崩壊したに決まっている……!

 

 

 橋の下に流れる川に視線を落とす。失望されたと気が滅入っていた。いつも通りの萃香ならどうってことなかったが、今の萃香は四天王の一人の鬼ではなく乙女だ。地底でやらかした話……しかも女としての威厳を損なうお下品な話ばかりだった。男が聞いたら引いてしまう話を天子に聞かれてしまって自分は終わったと思っていた。そんな時に天子が萃香の肩に手を置いた。

 

 

 「私は気にしていないさ。萃香だって羽目を外したい時があるだろうし、そんなことで私は幻滅したりしない。寧ろ萃香の意外な部分を知れてよかったと思っている。そういうところも萃香の魅力だと私は知っているからね」

 

 「天子……!」

 

 

 お前は……本当にカッコイイよ。今まで色々な男達が居たけど、その中でもお前が一番輝いている。酒の味も宝の山も天子の前ではただの石ころと同じ価値まで下がってしまう。傍にいると喧嘩をしている時よりも楽しく感じる。天子と話をしているだけでなんだが心が温かく感じる気がするよ……お前は優しい奴だ。優しすぎて他の奴にも手を差し出してしまう……甘ちゃんって昔の私なら笑っただろうけど、そこがいいと今では思う。

 ヤマメに言われたけど、私が天子のこと……す、すき……とか……どうなんだろう?わからない……今までそう言ったこと一度も感じたことがなかったから答えがわからないよ。でも、これが好きって感情ならば……ちょっといいかもしれない♪

 

 

 「……なぁ天子……お前はその……わ……わ、わたしのこと……すき……か?」

 

 「え?萃香のことを……か?」

 

 「私は……天子のこと……す……すき……だ……!」

 

 

 ちょっと心に余裕ができ、嬉しさが込み上がってきた。気分が高揚しそのままの勢いで口に出してしまっていた。

 

 

 おいおいおいおいおいおいおい!!?私は何言っているんだ!?なんてこと口走っているんだ私は!!?バカバカバカ!!ぐぬぬ……こ、こうなったら後戻りはできない。過ぎてしまったことは仕方ない。どんな答えでも受けてやる……だけど、もし私のこと嫌いとか言われたら……いいや!天子に限ってそんなことはない!天子なら私の望む答えを……私の望む答えってなんだ?好きって言ってほしいのか?親友(とも)として好きと言ってほしいのか?私が望む答え……私は天子になんて言ってほしいんだろう……?

 

 

 萃香は複雑な気分だった。恋もしたことがなかった鬼は自分の気持ちがわからなかった。自分が求める答えが見つからないでいた。まだ彼女には早かったのか、彼女の心は整理されていなかった。

 

 

 橋の上でしばしの沈黙が流れる。天子を見つめる萃香は答えを待つ……そして天子は答えた。

 

 

 「私も萃香のことは好きだ。だが、それは親友(とも)としてだな。私にはまだ恋愛は早すぎるし、萃香もまだ私に出会ったばかりだろう?お互いのこともまだ知り得ていないし、感情が先走っている気がする。気持ちはとても嬉しいし、そう思ってくれていると知れて良かったと思っている。だから、まだ今は萃香の想いを受け取ることはできないさ」

 

 「……そっか……」

 

 

 再び二人の間には沈黙が流れる……

 

 

 ははっ……まぁ、そうだろうな……天子は良い奴過ぎるし私の気持ちを理解した上で断ってくれたのだろう。きっとこれが私が望んでいた答えなんだ。これでいいさ……天子に出会ってそれほど経っていないし、気が早すぎたのもあったよね。今まで通りの関係でいいさ。天子は好かれている……天子の傍にいるあの竜宮の使いも白玉楼の庭師も耳毛仙人も天子のことを……

 

 

 天子の傍にはいつも誰かがいた。その中でも強く印象に残る者達の姿を思い出す。その者達が初めて対面したのは神霊廟での異変の時だった。つい最近のことだが、とても懐かしく感じてしまう。あの時の天子はカッコよかった。今もカッコイイが誰かを助けるために必死に戦う姿はとても美しく可憐であった。萃香は信じていた……天子ならばやってのけると……

 初めて天子と出会った時は単なる暇つぶし程度の喧嘩を求めていた。だが、想像以上の楽しさに本気まで出してしまった。見事に条件付きとはいえ萃香の攻撃に耐えてしまった天子のことを気に入り、それからはほぼ毎日天子のことを思っていた。今覚えばあの時から天子に夢中になっていたのかもしれない。知らず知らずのうちにのめり込んでいき、気がつけば傍に居たいと思うようになっていた。これからも傍に居たい……共に笑い合いたいし、一緒に酒を飲み合いたい。だが、天子には帰る場所がある。天界に帰れば竜宮の使いと毎日一緒にいるだろう。地上に帰れば弟子になった庭師と耳毛仙人が天子の元に訪れるだろう。

 

 

 それに比べて私はどうだ?私は天子といる時間が少ない気がする……飲み合う以外には喧嘩をするしか私にはない。そんな付き合い方しか私は知らない……いつも私は酒を片手に生きてきたから……恋なんて一度も感じたことなかったもん……

 

 

 羨ましい……そんな思いが生まれていた。萃香は天子と接するには何か理由が必要だと思うようになっていた。実際なそんなことないのだが、恋心に気がつかずにいた萃香は天子に何も用事もなく会うことが恥ずかしいと無意識に意識するようになっていた。それ故に宴会を会うためのきっかけにしたり、神子への祝いだとか丁度いい都合を見つけて天子の元へやってきていたのだ。宴会を楽しみにしていたのは本音だし、神子への祝いも嘘ではない。しかし、無意識というものは自分が意図せずにそうなっているものであるため、萃香は他の者達に比べると自分は天子とそこまで関わっていないのではないかという勘違いが生まれてしまっていたのだ。

 自分は天子と関りがそんなにない……ただ喧嘩しただけ……小さな不安が次第に萃香を飲み込んでいく。

 

 

 いいなぁ……他の奴らは天子と一緒にいる時間が多くて……私なんて宴会や特別な席でしか会えないのに……どうして私にはチャンスが無いのだろうか……ずるい……!

 

 

 他者を羨む気持ちは時として変化する……言い方を変えるならば……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嫉妬だ。

 

 

 【嫉妬

 一つの感情であり、主として何かを失うこと、または個人がとても価値をおくもの(人間関係の領域)を失うことを予期することからくる懸念、怖れ、不安というネガティブな思考や感情に関連した言葉である。嫉妬は、怒り、恨み、自分とは釣り合わないという感覚、どうにもできないという無力感、嫌悪感といったさまざまな感情との複合から成る場合が多い。自分がほしいものを他人が持っていることに対する葛藤と、そこから生じるストレスによって自他に対して攻撃的になる様、または独占欲から、独占できない現実に対しての葛藤とストレスから攻撃的になる様でもある。

 

 

 萃香の心に嫉妬が生まれていた。本人は全く気がついていないが、橋の隅っこでその正体に気がついている者がいた。

 

 

 「私のテリトリーでイチャイチャして……パルパルパルパル!」

 

 

 その者は天子と萃香を見ていた。そしてその者は萃香のある部分に興味を示した。

 

 

 「女の方……何かに嫉妬しているわね。ふん、丁度いいわ。こんなところでイチャイチャしているあなた達が悪いのよ。嫉妬の炎で焼かれて破局しなさい!!」

 

 

 能力が発動して萃香の心に芽生える何かが徐々に膨れ上がっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………………

 

 

 ……………………

 

 

 …………

 

 

 ……ずるい!

 

 

 ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい!!!

 

 

 私だけ天子と一緒にいる時間が少なすぎる!どうして私だけ他の奴らよりもチャンスがないんだ!私が酒飲みだから?酔っ払いだから?天子には相応しくないとか?そんな理由なんてクソくらいだ!私は鬼だ!鬼は己の道を行く!伊吹萃香は我が儘だ!誰にも私の想いは邪魔させない!天子は……天子は……!!!

 

 

 「……天子は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「――ワタシノモノダ!

 

 

 萃香の中で嫉妬が爆発した。

 

 


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