いや、背は足りているはずだ。
その証拠に、限界まで伸ばした指がカリカリと背表紙を引っ掻く感覚が伝わってくる。
……え、これって触れてる感覚に入らないかな。取り敢えず、微笑ましいものを見てくる様な目が背中に痛い。
見るなら手伝えよ!と思わなくもない。なんだかな、魔法界の人達は非情なんだろうか。
一旦諦め、取る方法を考える。
このまま無駄な努力をしても、徒らに本の背表紙を削るだけだ。
とは言え、まだ使い慣れていない取り寄せ呪文を使ったら、頭の上にドスンして、最悪本と共にお亡くなりだ。というか商品に魔法かけちゃだめだろう。
もっと良い手段は無いものだろうか。数秒考えて、やっと気がついた。
そうだ、脚立だ。
脚立を使えば普通に取れるじゃないか。
逆に何で気づかなかったんだろう。そう思いながら店内を見回すが、生憎と全て誰かが使っている様だ。
しかも、待っている子供の列が出来ている。アレを待っていたら、きっと帰る時間に間に合わない。
さりとて、今店にいる店員らしき人達は全員お客さんにつきっきりで、声をかけるのは躊躇われる。
さあ、どうしようか。
……よし、もう一度試してみよう。もしかしたらこの数秒のうちに背が伸びているかもしれない。そんな馬鹿げた事を考えてしまうほど、私は追い詰められていた。
限界まで高くするために片足だけで爪先立ちして、ぷるぷると指先から足の先まで震えさせながら目標に向かって手を伸ばしても、やっぱり結果は変わらない。まあ、当たり前といえば当たり前なのだが。
そうして頑張っていたら、突然肩を突かれた。唯一床についている足が滑り、驚いて足をつけるとそっちも滑る。スケート初心者のごとく倒れ込みそうになった私を救ったのは、背中を支える手だった。
「あ、ありがとうございま……す……」
目を瞬かせる。そこには絶世の美少年が立っていた。
きらきらと日の光に反射して煌めく黒髪に、病的なまでに白い肌。美少女と見まごう程、整った顔立ち。
長い睫毛に縁取られた黒曜石の瞳が、所在なさげにふらふらと揺れながら私の事を見下ろし、小さくかすれた囁き声が私に向かって発された。
「あれ……を取りたいの?」
あああああ、何で声がオレンジの香りなんだろう!妖精かな!?妖精なのかなぁ!?というか何だろう、あれって!聖なる薬とか?いや、封じられた書かもしれない。でもそれを何で私に言うんだろう!?
あわあわと数秒混乱してからやっと少年の指が本を指している事に気づいた。恥ずかしさに頬を赤らめながら慌てて頷くと、腕を伸ばして取ってくれる。
「……はい……」
分厚い本を手渡される。お礼を言って受け取ると、手にかかるずしりとした重み。
やっと手に入れられた喜びでにへにへと間抜けな笑いが漏れた時、妖精少年と目が合ってぴしりと固まる。
「……………」
「……………」
ああ、何だろうこの沈黙。非常に気まずい。スクールカーストぶっちぎってた奴らならここで話を盛り上げて個人情報を色々と聞き出して挙げ句の果てにお茶にでも誘うのだろうが、万年最下層陰キャだった私には到底無理な話である。
ああ、もし許されるのならコミュニケーション能力値マックスな陽キャになりたかった……!
というか取り敢えず目を逸らしたい。どこかに視線を移動させようにもずらしたらずらしたで変な空気になりそうで怖い!
そんな事を全力で考えながら美しい容姿を凝視していると、元々白い肌がどんどん青くなっていくのに気がついた。
「…………あー、あの」
「オリオン!」
段々顔色が悪くなっていく少年の事が流石に心配になり話を切り出そうとした時、少女の声に男の子が振り向いた。
その視線の先には、妹だろうか、よく似た綺麗な黒髪の美少女が立っている。彼女は、オリオンという名前らしい少年の青白い顔を見てほっと息を吐き、次に私の存在に気付いてから顔を真っ青にした。……ん?あれ、普通顔見た時点で心配にならないか。いや普通の環境で生まれ育った経験があるかと言われると無いのだけど。
「大丈夫、オリオン!?」
「………リアぁ」
「……え」
顔を引きつらせた「リア」という少女に腕を掴まれたオリオンさんは、小刻みに震えながら彼女を見ている。
何だろう、この何とも言えない悲しさは。側から見ると私が彼を虐めているように見えるのだろうか。まあ確かに儚げな美少年が凝視されて顔を青くしていたらそう見えるのも無理は無い……のか?結構身長差あるんだけど。私は、そんなに怖いんだろうか……そういえば、よく母さんに似てるとセシルに言われていた事を思い出す。
強いショックで目元をひくひくと痙攣させる私を無視して、兄妹は……というか主に妹の方が話し始めた。残念ながらオリオンさんの声は掠れている上に小さくて、よく聞こえない。
「どうしてこんな事に……あああ、こんな事なら飲み過ぎると効果が薄くなるとか気にせずに今日も飲ませておけば良かったかも……それにしても、何で歴史の棚の所なんか……」
「……本が………っていう……」
「……何で、そこまでして……そんなに大事な事なの……?………もう良い、必要な物は全部揃ったし、帰ろう」
一瞬切なげに目元と口元を歪めた少女は、今度は私のほうに向き直る。
何かと思って少し身構えると、何と驚いた事に頭を下げた。
「兄が、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「あ、いやいやご迷惑なんて」
むしろ助けてもらったのだから、謝られる筋合いは無い。そう思いながら顔の前で手を振ると、リアさんはほっと息を吐いてからオリオンさんの手を引いて立ち去っていった。
綺麗で不思議な兄妹だったなあ。そんな事を思いながら立ち尽くしていると、セシルに声をかけられた。
はやく会計して来いという言葉に、慌ててレジに走る。それ以外にもごちゃごちゃと何か言っているが、聞き流す。友達がとか何とか言っているから、大して大事なことでも無いのだろう。
まさか後で、その事で死ぬほど後悔する事になろうとはその時の私は露ほども知らなかった。
◇
真夜中、私はベッドで本と共に絶望していた。
ジュースやお菓子、ランプをこっそり用意して、徹夜で読書する準備がすっかり整ってから本が入った紙袋の封を開け、表紙の文字を見た瞬間私は泣きたくなった。
そこに踊っていた赤い文字……『ユーラシア大陸における魔術の軌跡』は、どう見ても私が欲しかったロシア文学ではなかったからだ。
カバーの色や厚さが似ていたから気がつかなかったのだろうか。多分、あの綺麗な顔に釘付けにされてしまったのも理由の大部分だろう。
そういえば、昼間セシルが本を見て何か言ってたような気がする。知ってたならもっとちゃんと言ってくれれば良かったのに。いくらでもチャンスはあったのに。ああああ、やつ当たりだとは分かっていてもセシルへの悪口が止まらない。
その夜は朝まで眠そうなシオン相手に愚痴って終わった。
結局、本は持っていても仕方が無いのでセシルにあげた。お金が足りなくて買えなかった新刊らしく、満面の笑みで感謝された。
お礼がしたいというので、新品の魔法史の教科書を渡して少しでも良いから分かりやすくして、と頼んでおいた。ホグワーツに行っても相変わらず魔法史が得意なようなので、きっと入学する頃には百倍くらい分かりやすく覚えやすくなっているだろう。
本のお金はイタいが、魔法史の成績と引き換えだと思えば安い物だ、と必死に自分に言い聞かせる。
そして私はすっかり忘れていた。人というものは、興味がある事に関してはどうも理性が働かなくなるという事を。セシルもそのうちの一人だという事実を。
今、頑張って書いています。