『呪われた王女と森の賢者』【完結】   作:OKAMEPON

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終話『王女と賢者』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何故だ、ルキナ……! どうして僕を……!!」

 

 ルキナに右肩から左の脇腹までを袈裟斬りに一刀両断された『影』は、骨と皮だけでどうにか繋がっている状態になりながら、信じられないと言わんばかりの顔をしてルキナを見た。

 だが、今更ルフレの振りをした所でルキナには逆効果だ。

 

「そうやってルフレさんのフリをするの、止めて貰えますか? 

 あなたが『影』である事はもう分かってますから」

 

『影』に追い打ちを掛けるべく続け様にファルシオンを振るうが、横薙ぎの一撃を『影』は軽やかに後ろに跳んで避ける。

 先程与えた傷は、もう半ば回復している様だ。

 こうも回復力が高いと、『影』を殺すのには骨が折れるだろう。

 

 小さく舌打ちしながらも、ルキナは素早く『異形』の姿に変えられてしまったルフレの元へと駆け寄った。

 ルフレは表情の読み辛い顔をしていながらも困惑している様で、その尾は小さく揺れていた。

 

「ルフレさん、良かった……。

 無事、……と言って良いのかは分かりませんが。

 こうしてまた逢えて……本当に……」

 

 抱き着いてしまいたい衝動を何とか堪えて、ルキナはルフレのその手を握った。

 ……忘れる筈の無い、あの温かなルフレの手だ。

 その相貌を【竜】のモノに変えられてしまっても、その身体に【竜】の尾が生えているのだとしても。

 その手は何も変わらない……ルキナの最も愛しい手だった。

 

 再び巡り逢えたその喜びで、泣き出しそうになってしまう。

 まだ『影』との戦いの最中であると言うのに……。

 そんな浮足立つ様な自分の心を少し諫め、ルキナはルフレに向き合った。

 ルフレは……あまり状況が呑み込めていないのか、三対の紅い眼をパチパチと瞬かせ、困惑した様に頻りに喉を鳴らす様な音を立てているが……。それは、『どうして? 何で?』と言っている様にしかルキナには聞こえなかった。

 ルキナも、『竜』の身だった時にその様に鳴いた覚えがある。

 

「どうしてって……私がルフレさんの事を間違える訳なんてないでしょう? 

 例え姿が私の知っているルフレさんのモノでは無かったとしても……そこにルフレさんの心があるなら、間違えません。

 ルフレさんが『人間』ではなくても良い、どんな姿でも良い、例え言葉を交わせないのだとしても……それでも良い。

 だって私が『愛』しているのは、ルフレさんの姿では無くて。

 その優しくて温かな『心』だから……。

 誰かを『愛』する事には、相手がどんな姿であるかなんて関係無いんですよ?  少なくとも、私にとってはそうです。

 どんな事があっても、私にとってルフレさんがこの世界で一番大切で愛おしい人である事は、何があっても変わりません」

 

 そして、それを証明するかの様に、その【竜】のものになった顔の、その口先に優しく口付けた。

 こうして口と口を触れ合わせるのは、ルフレがクロムに斬られた時に口移しで水を与えた時以来だろうか。

 奇しくも『人間』と【竜】と言う……あの時とはまた正反対の状態だけれども、今度はあの時とは違い愛情を伝える為のモノである。だからか、少し気恥ずかしい。

 

 

『────!?』

 

 

 慌てて口元を手で押さえたルフレは何かを慌てる様に唸り、その尾は忙しなく揺れる。表情こそほぼ変わらないけれども、激しく動揺して混乱しているのが分かった。

 ……最初こそルフレの姿が変わってしまっている事には驚いたが、恐ろし気にも見えた【竜】の顔もルフレの顔だと思って見ていると、愛しく何処か可愛げすら感じる様に思える。

 やはり、ルフレを愛しいと感じるこの『想い』は、この程度では小揺るぎもしなかった様だ。

 この異形の姿のルフレに対しても、ルキナは何一つとして変わらずに『恋』をしていた。

 

 ルキナの行動に戸惑い慌てていたルフレではあるが、そんなルキナの態度が本心からのモノであると理解したからなのか。

 その紅い眼を細めて、静かに喉を鳴らして。

 ルキナの頬にそっとその手を当てて。

 そしてルキナの頬にその【竜】の口先を優しく触れさせた。

 そこに言葉は無いが、ルキナにはそれだけで十分以上にルフレの気持ちが伝わったので、言葉は元より不要だったのだろう。

 だが、互いにそうやって『想い』をゆっくりと確かめ合っている暇は、残念ながら無い様であった。

 

 ファルシオンに斬られた傷が完全に塞がった『影』が、憤怒にその顔を歪めてルキナ達を睨み付けているからだ。

 ルフレと顔は同じである筈なのに、その中身が違うだけでこうも醜悪に感じるのかと、ルキナはその事実に驚いていた。

 

「クソッ! クソックソッッ!! 

 どうしてだ!? 『僕』の策は完璧だった筈なのに!? 

 この『化け物』と『僕』なら、誰がどう見ても『僕』の方をルフレだと思うだろうがッッ!! それがどうしてこんな!!」

 

『影』は理解出来ないものを見る様な目でルキナ達を見てくるが……寧ろそんな目をしたいのはルキナの方であった。

 

「完璧な策、ですか。……あれが? 

 残念ながら、あなたの演技は下手くそ過ぎたんですよ。

 それに、『化け物』だなんて言うの止めて貰えますか? 

 ルフレさんの何処が『化け物』なんですか」

 

「気でも狂っているんじゃないのか!? 

 それの何処が『人間』に見えるんだ!」

 

「見た目がどうかなんて私にはどうでも良い事です。

 ルフレさんは、言葉も話せないしどう見ても『竜』でしかなかった筈の私の事も、この心を見て理解してくれました。

 どうしてそれが私には出来ないと思ったのでしょうか」

 

「それがそいつの、『ルフレ』の『本性』の姿なんだぞ!?」

 

「別に、ルフレさんの『本性』が何であっても私は構いません。

 その本性が初代聖王様の伝説に語られる邪竜ギムレーだろうと、ルフレさんの心はそんな事を望む筈は無いですし。

 本性の姿が何であろうと、それが愛さない理由になる事は有り得ません。だって、私が愛したのはルフレさんの心ですから」

 

 言葉の応酬は止まる所を知らない。

 そもそも論点がズレている気がするし、何を言った所で『影』はルキナの『愛』を理解出来ないだろう。

 理解出来ない得体の知れないモノを見る様な目がそこにある。

 

 何であれ『影』の思惑は既に破綻しているのだし、今更『影』が何をしようがルキナがルフレを傷付ける事など有り得ない。

 少なくとも、ルフレの心を壊す為……と言う『影』の目論見通りに事が運ぶ事は決してあるまい。

 真の力を喪ったままのファルシオンで『影』を倒し切る事は難しいかもしれないが……。

 ここでルキナ達を逃がしてくれるとは思えないし、『影』が存在する限り平穏は訪れないだろう。

 それに、『影』によってルフレの姿が変わってしまったのなら、『影』を倒せばルフレの姿も元に戻るのかもしれない。

 ならばやるしかないと、ルキナはファルシオンを再び構えた。

 

「私にルフレさんを斬らせようとしたつもりでしょうけれど、あなたは、私のルフレさんへの『想い』を軽く見過ぎです。

 ……それに、ずっと不思議だったんですけれど。

 どうしてルフレさんの心を折るなんて手間をかけるんです? 

 あなたが本当に『ギムレー』の力を持ってて……ルフレさんがあなたの言う様に『人間』としての意識が強いからその力を扱えないなら。あなたの方がずっと強い筈じゃないですか。

 あなたは、本当はルフレさんに勝てないんじゃないですか?」

 

 ただの挑発のつもりだったその言葉は。何か『影』にとっては不都合な事実を言い当てていた様で。

『影』は怒り以上に焦りが混じった感情にその表情を歪めた。

 

「『僕』がこの『半端もの』に敵わないだと? 

 そんな事は無い! あってたまるか! 

『僕』こそがギムレーだ! 『僕』こそが『本物』なんだ! 

 こんな、こんな『半端もの』なんて何時でも喰えたさ! 

 より絶望させようと戯れに弄んでみただけでしかない!」

 

「そうですか? でも、以前『真実の泉』で言ってましたよね。

『この身体は所詮は仮初のもの』だって。

 それに、あなたは自分で言ったじゃないですか。

 自分は、ルフレさんの『真実の影』だ、と。

『影』とは、そもそもそれを投影する本体があって初めてそこに在るモノ……。つまり、あなたは本体ではなくて、ルフレさんから写し出された、ただの『影』に過ぎないのでしょう?」

 

 それらはその場の勢いに任せた推測だったけれども、ルキナには『影』の本質を突いた予感があった。

 その証拠に、『影』は益々その表情を歪める。

 そして。

 

 

『────』

 

 

 ルキナを庇う様に一歩前に出たルフレが何事かを吼えると、途端に『影』のその表情から余裕が喪われた。

 

「ふざけるな!! 誰が、誰がお前なんかの……! 

『僕』が『本物』だ! 『僕』こそが『本物』の筈だった! 

『邪竜ギムレー』は、この『僕』なんだ!!」

 

 そう吼えた『影』は、魔導書も無しに魔法の炎を作り出し、それをルフレ達へと浴びせかける。

 だが。まるで生きている大蛇の様にルキナ達に襲い掛かった蒼白く燃え上がる炎は、ルフレの一息で掻き消された。

 それに益々激昂した『影』は次々に様々な魔法を繰り出してくるが、その尽くがルフレによって相殺されるか、ルキナのファルシオンによって斬り伏せられていく。

 だがそれに負けじと、『影』の攻撃は苛烈さを増すのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 ルキナが、この異形の『化け物』の姿となったルフレではなく、『影』の方を迷わずに叩き斬った事にも驚いたが。

 それ以上に、躊躇う事も無く駆け寄って来た事にも、そして今にも泣きそうな程に再会を喜んだ事には、理解すら越えてただただ困惑するしかなかった。

 一瞬、自分に都合の良い夢でも見ているのじゃないかとすら思ったのだけれども……。

 ルフレの手を握るその手の温もりは、決して夢幻ではなくて。

 そして、真っ直ぐにルキナの嘘偽りない『想い』が、その深い深い『愛情』の全てが直接心に伝わる程情熱的な、まさに一世一代の『愛』の告白と。そして……優しい口付けを。

 幻なんて言葉で片付ける事は到底出来なくて。

 

 こんな……『化け物』の姿でも、『人間』でなくても。

 それでもルフレを『愛している』のだと言う、その言葉を、その想いを……嘘だと跳ね退ける事など出来る筈は無かった。

 何故なら、ルフレはずっとそれを欲しがっていたのだから。

 ……例え、ルキナの気持ちがどうであっても、一国の王女がこんな『化け物』と共に生きられる筈は無いのだし、傍に居れば居ようとする程に互いに傷付いていく不幸な『愛』にしかならないのだとしても。この手を離してあげる事こそが、ルキナの本当の『幸せ』に繋がるのだとしても。

 

 それでも。こうしてこんな姿の自分でも、こんな『化け物』の自分でも、その本性が邪竜と呼ばれた恐ろしい【竜】でも。

 そんな自分であっても、変わらずに『愛』しているのだと。

『ルフレ』として生きてきた、その『人間』の心を、信じているのだと、その心こそ『愛』しているのだと。

 そう言って貰える事が、そう想って貰える事が、受け入れて貰える事が……。……何よりも、嬉しくて。

 生きていても良いのだと、そう言って貰えたかの様で。

 それは……この世の何にも代え難い、『幸せ』であった。

 

 ルキナへの愛しさが、今にも溢れ出しそうで。

 思わず、その頬に口付けてしまった。

 もし、『影』がその場に居なければ、その唇にも口付けていたかもしれない。

 互いの『想い』が通じ合った事が、嬉しくて仕方が無い。

 互いに『愛し』・『愛され』ていると言う、その素晴らしい事実が、ルフレの心に温かな灯を点した。

 

 この愛しい人を、守らなければならない。

 その為に必要なものを、恐れてはいけない。

 

 自分の『本性』が、邪竜ギムレーであると言うのなら。

 自分にも、『影』と同じ様にその【力】がある筈だ。

 今までは、【力】があると言う可能性を恐れて、そこから目を反らしていた。その【力】を使ってしまったら最後、自分は心身共に本当に『化け物』になってしまうのではないかと、そんなあるかもしれない可能性に怯えていたからだ。

 

 だけれども、もうそんな事は怖くは無い。

 例え世界を滅ぼしてしまえる程の【力】があったとしても、この身体が恐ろしい『化け物』になってしまっても。

 ルキナは、必ず信じていてくれるから。

 そこに在るルフレの心を、迷わずに見付けてくれるから。

 だからもう、自分自身を恐ろしいとは思わなかった。

 ルキナの言葉に冷静さを失くし、醜く吼える『影』を見て。

 やはりルキナの言葉は『影』にとっての急所に当たっているのだろう、とルフレは考える。

 思えば、何れ程苛烈な拷問をしても、『影』は決してルフレを殺さなかった。言葉で嬲り、こうしてルフレの姿を『化け物』に変えても……それでも力尽くでルフレの心を呑み込もうとはしてこなかった。

 そう、『影』は影でしかないのだ。

 ルフレの内に眠る本性の影が、仮初の実体を得て現実に干渉する力を持っただけに過ぎない。

『影』は、決して『本物』ではないのだ。

 

 

『お前は、僕を『人間モドキ』だの『半端もの』だのと散々罵ってきたけど。じゃあ、お前こそ何なんだ? 

 ただの、僕の『影』でしかないんだろう? 

 お前の方こそ、ただの『邪竜ギムレーモドキ』じゃないか!』

 

 

『影』の憤怒に満ちた視線からルキナを守るべく、一歩前に出たルフレがそう啖呵を切ると。

 

「ふざけるな!! 誰が、誰がお前なんかの……! 

『僕』が『本物』だ! 『僕』こそが『本物』の筈だった! 

『邪竜ギムレー』は、この『僕』なんだ!!」

 

 余裕も冷静さも全てかなぐり捨てた『影』は、激昂した様にそう吼えながら、次々に強力な魔法を放っていく。

 だが、普通の人間なら先ず命を落とすだろう威力のそれも、ルフレが吐息の様に吹きかけた僅かな【力】で霧散していく。

 そこにあるものだと自覚し、そしてそれを受け入れてしまえば、【力】はあっさりとルフレの意のままになる。

 荒々しい奔流の様なそれを、横に立つルキナに害が及ばぬ様に制御するのは少々骨が折れるが、だからどうと言う事も無い。

 そして、【力】が何であるのかを自覚したルフレの眼には、『影』の持つそれはルフレのそれに比べれば小さなものである事も分かってしまう。

 そして、この『影』を消す方法も、何となく分かった。

 

 だが、『影』はルフレがそれを理解してしまった事を察したのか、決してルフレに近寄ろうとはせず、そしてその攻撃は全て避けようとしてくるけれども。

 だが、ルフレがルキナに合図を送ると、ルキナはその意図を察して、『影』に斬り掛かる。

『影』は、力を喪ったファルシオンでは『影』を殺せないと言っていたしそれは確かにそうなのだけれども。

 だからと言って、ファルシオンによる攻撃が全く効果が無いのかとそんな事も無く。

 ファルシオンによって付けられた傷は明らかに治りが遅い。

 ルフレとルキナの連携を前に、『影』はその左腕を斬り落とされ、右足も半ば断たれ、右肩を大きく削られる。

 その何れもが治り始めてはいるものの瞬時に治るとまでは行かなくて、斬り落とされた左腕はまだ半ば取れかけの状態で辛うじてくっ付いている程度だ。

 

『影』の猛反撃もルフレの前には意味が無く、邪竜のブレスによって全て消し飛ばされていく。

 完全に形勢は逆転し、ルフレとルキナで『影』を嬲っているに等しい状態であった。

 だが、ここで手を緩めればどんな反撃が飛んで来るかも分からないので、ルフレもルキナも一切容赦はしない。

 

 そして、終に。

 四肢を斬り刻まれ、その身体も半ば吹き飛ばされた『影』は、逃げる事も出来ずその場に崩れ落ちる。

 そして、その『影』の頭を、ルフレは掴んだ。

 

 

『確かに、お前は僕の影であるんだろう。

 だけれども、僕はお前を認めない。お前は必要ない。

 僕はギムレーだけれど、お前は違う。

 お前は、かつての邪竜ギムレーの記憶の残滓、その欠片だ。

 ……もうお前が目覚める事は無い。僕の中で眠り続けるんだ』

 

 

 そして、ルフレが威力を抑えずに放った邪竜のブレスによって、『影』の姿は解け崩れる様に消えていく。

 仮初の身体は、その跡に骨の欠片一つ残す事無く、この世界から消失した。

 そして、『影』だった欠片は……ルフレの心の中に広がる無意識の海の中で、もう二度と浮かび上がる事も無い眠りに就く。

『影』との戦いは、もう終わった。

【邪竜ギムレー】が蘇る事は、もう無い。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 ……消滅してゆく『影』を見ながらルフレは自分の姿に目をやるけれども……、『影』が完全に消え去っても、ルフレの姿が元に戻る事は無かった。

 相も変わらず、首から上は邪竜ギムレーの頭部そのものであるし、その身体からは尾が生えている。

 

 ……『影』は。『炎の紋章』の力を借りて、ルフレの本性の姿を引き出しただけだと、そう言っていた。そして、『炎の紋章』が不完全であるからこそ、『人間』と【邪竜ギムレー】の姿が混ざった様な中途半端な姿になったのだとも。

 そうであるならば、ルフレの姿がこの様な『化け物』染みた姿になっているのは『影』の力だけによるものではなくて。

 切っ掛けこそ『影』なのだろうけれども、ルフレ自身がその本来在るべき姿に半ば戻ろうとしているだけとも言える。

 何にせよ、『影』を倒した所でこの姿が元に戻る訳ではない事は確かなのだろう……。

 

 ならば、どうにか自分の力で戻れないかと試してはみるが。

 それもやはり出来そうには無かった。

 中途半端だからこそ、却って出来ないのかもしれないが……。

 だからと言って、『影』が言っていた様に、『炎の紋章』を完成させて、それによって真の【邪竜ギムレー】としての姿と力を取り戻そうとは、とてもではないが思えなかった。

 

 ……ギムレーの力は、強過ぎる。

 まだ完全にその力を取り戻した訳ではない、中途半端な今のルフレの状態ですら、人の世には過ぎたる【力】なのだ。

 多分、今のルフレがその気になりさえすれば、国を一つや二つ滅ぼしてしまう事だって難しくはないのだろう。

 ……まあ、そんな事をしたいだなんて、ルフレが思う事は何があっても無いのではあるけれども。

 とにかく、もしルフレが完全なる力を取り戻した状態になれば、それこそこの世からありとあらゆる生き物を消し去る事だって不可能ではなくなってしまうのだろう。

 そんな【力】を抱えてこの世界で生きていく事は、難しい。

 今の時点のルフレですら、姿が異形のモノであると言う点を差し引いても、人の世で生きていく事は出来ないだろう。

 その気になれば何時でも自分を跡形も無く消し飛ばせてしまえる『化け物』の傍で生きられる人は、極めて稀だ。

 今のルフレは、人々からそして世界から、排斥される対象にしかならないだろう。

 

 ルフレ独りが排斥され追いやられるだけならまだ良いのだけれど、そうなるとルキナまで傷付いてしまうかもしれない。

 優しくも勇ましいルキナは、人々の『恐怖』と言う形の悪意無き害意からルフレを守ろうとしてくれるかもしれないが。

 ……しかしそれは、終わり無き戦いになってしまうだろう。

 心無い人々に、ルキナが傷付いてしまう姿を想像するだけでそれは恐ろしい事だし、それ以上にそうなってしまえば自分が何をしてしまうか知れたものではない。

 ルフレは、その本性がギムレーであるからなのか、己の大切な存在への害意や悪意に対しては、極めて強烈な破壊衝動と報復の欲求を抱いてしまうのだ。

 どうかしたらそれが【邪竜ギムレー】復活の原因になってしまうのではないかと思ってしまう程に。

 

 だが、それはとても危険な衝動だ。

 そして、その心のままに暴れ狂ってルフレとルキナが共に生きられる場所を手に入れたのだとしても、それは『恐怖』で人々の心を抑圧した歪な『平穏』でしかないだろう……。

 そんな事は、決してルフレの望むものでは無い。

 ルフレが望むのは、あの『神竜の森』の奥で共に過ごしていた時の様な……そんな穏やかで『幸せ』な時間なのだから。

 ……だが、それは到底叶わないものである事も分かっている。

 

 ルフレは、心配そうな顔で自分の身体を抱き締めてくるルキナのその肩を、優しく抱いた。

 柔らかくて、温かくて。とても良い匂いがする。

 この腕の中に在る全てが、愛しかった。

 自分の全てよりも、何よりも、大切な存在だった。

 漸く見付けた……きっとかつて邪竜ギムレーとして生きていた時間の全てを合わせても出逢う事の叶わなかった、愛しい愛しい……『光』その物の様な、宝物。

 手離したくなんて無い。

 このまま、互いが望むがままに共に生きていきたい。

 

 ……だけれども、そうして望み共に生きた先で、この愛しい人の笑顔が喪われてしまうのならば。

 そして、自分が彼女にあげられる『幸せ』が、何処か薄暗いモノでしかないのならば。

 ルフレは、この愛しい手を、離さなくてはならないのだ。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 ルキナの肩を優しく抱き締めていた手が、不意に離れる。

 ルキナはその手を追い掛ける様に掴もうとしたけれど、それはやんわりと避けられてしまう。

 どうして、と。ルキナは思ったけれども。

 ルフレは、ゆっくりとその首を、横に振った。

 

 ……ルフレの姿は、『影』を倒しても、元には戻らなかった。

 変わらない、戻らない自分の姿を見て、ルフレが何を思ったのかは分からないけれど。

 何故か、このままではルフレが遠くに行ってしまう気がして。

 居ても立っても居られず、ルキナは衝動的にルフレの身体を思い切り抱き締めた。

 すると、ルフレもまた優しく抱き返してくれて。

 良かった、とそう安堵したのだけれども。

 ルフレは、静かにその手を離してしまった。

 その三対の紅い眼は、何処か穏やかに……だけれど哀しそうに揺らめいていて。

「ルフレさん」とそう呼び掛けても。

 静かにその首を振るだけであった。

 

「ルフレさん、何で手を離すんですか? 

 もう戦いは終わったんです。『影』はもう居ないんです。

 帰りましょう、イーリスに……」

 

 だが、ルフレはその呼びかけにも、静かに首を振るだけだ。

 

「お父様が、ルフレさんにお逢いしたいと言ってました。

 あの時、傷付けてしまった謝罪と……そして私を助けてくれたお礼が言いたいから、と。それにチキ様も……」

 

 ルフレは、『駄目だよ』とばかりに、首を振る。

 

「大丈夫ですよ……。その、お父様は少しルフレさんの見た目に驚かれてしまうかもしれませんが……。

 それでも、ルフレさんのお人柄が分かったら、直ぐに気にしなくなると思いますし……。だから……」

 

『──』

 

 ルキナ、と。そうルフレは呼び掛ける様に鳴く。

 そして、奥の祭壇に安置されていた、四つの宝玉が嵌め込まれた盾の様なモノを……ルキナへと差し出して。

 そして、ファルシオンとルキナを指さして、ルフレは最後に自身の胸を指さして、優しく喉を鳴らした。

 その意味を、意図を理解出来ないけれど。

 何かとても承服し難い事を言われている様な気がして。

 どうして? とそう訊き返す。

 するとルフレは、その服の内をゴソゴソと漁っていたかと思うと、あの……彼の母が書いたのだと言う手記を取り出して、そのページを静かに捲って。

 初代聖王の伝説についての項目を……かの英雄が、神竜ナーガより授かったと言う神剣で邪竜ギムレーを討ったと言う……ルキナも知るその伝承を示した。

 そして、ルキナを指さしてから初代聖王を、ルキナの持つファルシオンを指してから神剣ファルシオンを、そして自身を指してから邪竜ギムレーの名を、示す。

 それが意味するものは、ルフレが伝えようとしているものは。

 

「私に、初代聖王の伝承を。ルフレさんと私で再現しろと……そう言いたいのですか?」

 

 その言葉にゆっくりと頷いたルフレに、ルキナは思わず食って掛かる様な勢いで返した。

 

「どうしてそんな事を……! 

 そんな事をする必要なんて無いでしょう!? 

 ルフレさんは、確かにギムレーなのかもしれませんが、聖王伝説のギムレーの様に世界を滅ぼそうだなんて全く考えもしないでしょうに!  それで、どうして!」

 

 確かに以前チキと、ギムレーの復活を阻止すると約束はしたけれども。しかしルフレ本人には【邪竜ギムレー】として蘇って世界を滅ぼそうなんて意図は、欠片も無いのだ。

 それでそうしてそんな事をしろと、ルフレは願うのだろう。

 ルキナには、全く以てその意味が理解出来なかった。

 

 だってそれでは、そんな事をすれば……ルフレは……。

 

「ルフレさんの姿がそんな風に変わってしまったからだと、そう言う事が言いたいのですか?」

 

 ルキナの言葉にルフレは僅かに頷くが、それだけでは無いのだと静かにその首を巡らせた。そして、突然そのブレスで巨大な祭壇を一撃で粉微塵に粉砕する。

 突然過ぎるその行動にルキナが唖然としていると。

 ルフレは、哀しそうに小さく唸った。

 

「……その力があるからだと?」

 

 ルフレが頷いたのを見て、ルキナは何と言って良いのか分からず黙るしかなかった。

 

 確かに、凄まじい力である。

 そもそも、『真実の泉』で対峙したあの時にはルフレとルキナをその強大な力で圧倒し蹂躙した『影』を、今のルフレはまるで無力な幼子を甚振る様に蹂躙出来てしまうのだ。

 その力を、『影』とは比べるべくも無い非力な『人間』達に向ければ……どうなるのかなど、火を見るより明らかであった。

 

 勿論、ルフレは絶対にそんな事をしないだろう。

 そんな風に誰かを傷付ける位なら、傷付けられそれを耐える方を選ぶ様な……そんな優しくお人好しな……強い人だから。

 ……だけれども、ルフレの為人を知らない人々には、ルフレはどう映るのだろう、どう感じるのだろう。

 

 それに思い至って……ルキナは、ルフレの気持ちを理解出来てしまった。かつて『竜』の姿に変えられてしまった時には、自分もそう結論付けていたではないか……。

『人間』は、自分を容易く殺せる力がある『化け物』と共に生きる事は……とても難しい、と。

 

 あの時のルキナにとってのルフレの様に、そして今のルフレにとってのルキナの様に。その内面を、その心を、それを見て愛して寄り添う事が出来る人は、稀に居るけれども。

 それを万人に要求する事など、到底出来ない事なのだと。

 それは、ルキナも分かっている事であった。

 

 ……あの森の奥でひっそりと生きる事を選ぶのだとしても。

 それで平穏が訪れるのかと言われると、そうでもなくて。

 絶対に人が立ち入らぬ様な場所でも無ければ、誰かがその姿を見付ける可能性はあるだろう。

 そして、『人間』とは不思議な事に、『化け物』がそこに居ると知れば、どれ程無害でもそれを退治しようとするものなのだ。

 ……この世界に、今のルフレが平穏に生きていける場所は、存在しないにも等しいモノであった。

 

 でも、だからと言って、それでルフレを【邪竜】として討つ事が良い事である訳なんかなくて。

 どうにか他の方法は無いのかと。

 ルキナはルフレに問うけれども。……ルフレにも分からない事であるらしく、静かに首を横に振るばかりであった。

 

 どうすればルフレを助けてあげられるのだろう。

 どうすれば、ルフレがこの世界で人々から隠れる事も無く普通の生き方をさせてあげられるのだろう……。

 せめて、その姿だけでも『人間』のそれに戻せるのならば……少しはどうにか出来るのかもしれないけれど。

 だが、その方法がルキナにもルフレにも分からない。

 

 まさに八方塞がりになっていたその時。

 祭壇の間へと、駆け付けてくる者達がいた。

 祭壇の間の手前の広間で戦っていたクロムとチキだ。

 ファウダーを倒してここに駆け付けてくれたのだろうか。

 

 クロムは、異形の姿をしたルフレを見てギョッとした様に剣を抜こうと柄に手を掛けたが。

 チキからの制止と、その異形を大切そうに抱き締めているルキナを見てそれを寸での処で止めた。

 

 

「ルキナ……? もしかして、そいつが……」

 

「はい、ルフレさんです……。

 私が辿り着いた時にはもう、『影』に姿を変えられていて。

 でも、その心は、ルフレさんのままなんです。

 だからお願いします、お父様。

 ルフレさんを傷付けないで下さい……」

 

「そうか……ルキナがそう言うのなら、信じよう。

 娘の恩人に二度も剣を向けたなど、あってはならんからな」

 

 ルキナの言葉に確かに頷いたクロムは、異形のルフレを恐れる事無く近付いて、その手を差し出した。

 

「こうして会うのは二度目になるのだろうか。

 ……こんな形で何だが名乗らせてくれ。

 俺は、クロム。イーリスの当代聖王を担っている。

 だが今は、聖王ではなくルキナの父親として話をさせてくれ。

 先ず、ルキナの命を助けてくれて、本当に有難う。

 俺がルキナを殺してしまう所だったのを、お前は二度も救ってくれた。……何と礼を言って良いのか分からない位だ。

 ……そして、あの時は、本当にすまなかった。

 お前の言葉に耳を傾けていれば、ルキナの心を傷付ける事も、お前を傷付ける事も無かっただろうに……。

 何をしても償える事では無いかもしれないが、……俺に出来る事があるなら何でも言ってくれ。

 お前には一生掛けても返しきれない程の恩と、罪がある」

 

 クロムのその言葉に、ルフレは戸惑った様に喉を鳴らし、困惑する様にルキナを見た。が、ルキナが諦めた様に首を振ると。

 ルフレは、恐る恐ると差し出されたその手を握る。

 恐らく、想像以上に力強く握り返されたのだろう。

 ルフレは驚いた様にその尾を跳ねさせた。

 そして、そんなルフレに今度はチキが声を掛ける。

 

「……ルフレ、ルキナから話は聞いたわ……。

 こうして見ると、あの時気付けなかった事が不思議な位だけど……それは、貴方の『人間』としての心がとても強固だったからなのでしょうね……。

 そうして【邪竜ギムレー】として目覚めかかっている状態でも、貴方の心は全く変わっていない……」

 

『──?』

 

「ええ、分かるわ……。

 貴方は、千年前に封印されたあの邪竜ギムレーと同じ【力】を持ってはいるけれど……そこに在る心は全く違う……。

 あの、とても恐ろしいのに……それ以上に孤独で寂しい心とは全く違う……。自分以外の誰かを何よりも大切に想う……とても温かな心をしているもの……。

 それはきっと、貴方が心から愛されて、愛を知ったから……」

 

『──……』

 

「ええ……そうね。

 ルキナと出逢えた事も間違いなくそうだけれど、それよりももっと根源のもの……母親からの無償の愛が、ギムレーとして生まれた貴方の心の在り方を変えた……。

 貴方の母が『愛』を与え空っぽだったギムレーの心を満たし、そして『愛』を享受するだけでなく与える事も知ったからこそ、貴方は【邪竜】ではなく、『人間』になれた……。

 ……貴方がギムレーである事は変えられなくても、その心はもうかつての【邪竜】のものとは違うわ……」

 

 チキは、喉を震わせて鳴くルフレと、そう言葉を交わす。

 その表情は、慈愛に満ちた優しいモノであった。

 

「あの……チキ様。

 ルフレさんの姿を、元に戻す方法に心当たりはありますか?」

 

 ふと、数千年分もの知啓を持つチキならば何か思い付くものがあるのではないかと、そう期待を込めてルキナは訊ねる。

 すると、チキは少し考えて、難しい顔をした。

 

「……元に……と言うのも難しいわね……。

 ある意味で、ルフレのこの姿は、魂の姿に身体が合わせようとしているものだから……。

『炎の紋章』がまだ完全な状態じゃなかったから、こうなっているのだろうけれど……。

【竜石】を作って制御するにしても、ギムレーの【力】は大き過ぎて【竜石】に封じきる事は難しいし……。

 もっと強く【力】を制御したり封印出来る様な方法があれば、何とか出来るかもしれないけど……」

 

 でもその方法は思い浮かばないのだと、そうチキが申し訳なさそうに言うと。

 ふと、ルフレが何かを思い付いた様にその尾を揺らした。

 

『──────……?』

 

 ルフレが何かを伝える様に鳴くと、途端にチキは驚いた様にその目を丸くする。

「確かに、その方法なら……もしかするといけるかも……。

 久しくそんな使われ方をしてなかったから盲点だったわ……」

 

「あの、ルフレさん、何をしようと?」

 

 チキの様子を見る限り、ルフレを斬ったりする様な方法を提案した訳では無いと思うのだけれど。

 どうしても気になったルキナがそう訊ねると。

 ルフレは小さく喉を鳴らしながら再び手記を取り出して、今度は先程とは異なるページを示した。

 そこに書かれている『炎の紋章』の伝説に、ルキナが目を走らせていると。チキがポツポツと語り始めた。

 

「『炎の紋章』……かつて【竜族】からは『封印の盾』と呼ばれていたこれには、とても大きな力が秘められているわ……。

『覚醒の儀』の様に……眠っている【竜の力】を目覚めさせる力もあるし、かつての私が獣の衝動からこれに守られていた様に【竜】を守る力もある。……そして。

【竜の力】を封じ眠らせる事も出来るの。……尤もそれは、弱らせるなりして抵抗する力を削ぐ必要はあるけれど……」

 

 でも、ルフレならそもそも抵抗などする事も無い。

 だからこそ、『炎の紋章』の力で、ルフレの【力】だけを封じる事は出来るかもしれない。

 そうすれば、ルフレの姿を『人間』のものに戻せるだろう、とチキは静かに言った。

 

「最後の宝玉、『蒼炎』はルキナが持っていたよな?」

 

「はい、失くしてはいけませんから……こうして肌身離さず」

 

 ルキナは首から提げて服の中に隠していた袋の中から『蒼炎』を取り出し、そしてそれを『炎の紋章』に嵌め込む。

 完成した『炎の紋章』を見て、チキは頷く。

 

「ええ、これで大丈夫よ。

 ……ルフレ、心の準備は良いかしら?」

 

 コクリと、ルフレが頷いたのを確認したチキの手の中で、『炎の紋章』は、目を開けていられない程の眩い光を放つ。

 その輝きの中で、ルフレの姿はゆっくりと変わっていった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「ただいま……」

 

 旅立ったその時から、もう三か月以上経っているのだけれど。

 屋敷は、旅立ったあの日と殆ど変わらない状態であった。

 強いて言えば、屋敷の周りの雑草が生い茂っている事位だ。

 

 あの日二人で旅立った森に、一人で帰る。

 それは分かってはいたが、少しばかり寂しい事であった。

 また独りきりになってしまった屋敷は思った以上に静かで、広さ自体は変わらない筈なのに、その寂しさが募ってしまう。

 そんな寂しさを無理矢理振り払う様に、ルフレは三か月の間に積もっていた埃を軽く箒と叩きで払って掃除した。

 そして、母の墓の周りの雑草を綺麗に毟り、そこに屋敷の裏手の森で摘んできた花を手向ける。

 ……旅をした先で、自分の出生を知ったけれど、それで母を恨んだりする気持ちなど欠片も無くて。

 

 ただただ愛してくれた事に、深い感謝と喜びを懐いた。

 母が、ルフレが【ギムレー】であると……『人間』に非ざる『化け物』であると知りながらも、『ルフレ』と名付けて……そして惜しみない無償の愛を注いでくれたから……その最後まで「我が子」として愛し抜いてくれたから……。

 ルフレは、【ギムレー】ではなく、『ルフレ』になれた。

『愛』を知り、『愛し方』を知り、……そして誰かを心から『愛』せる……そんな『人間』に成れたのだ。

 だからこそ、ルフレはルキナを『愛』する事が出来た、『恋』をする事が出来た……。

 それは、この世の何よりも素晴らしい奇跡だったのだ。

 ……その事を、『愛された』事のその幸せを、再確認して。

 ルフレは、墓前に花の雨を降らせた。

 

 ……母は最期まで、この【神竜の力】に抱かれた揺り籠の中で、ルフレが『人間』として生きて死ぬ事を願っていた。

 ……残念ながら約束は守れず、ギムレー教団の者達とも関わってしまい自分が何者であるのかを知ってしまったけれど。

 それでも、旅に出た事を何一つとして後悔はしていなかった。

 それに、何だかんだと母も笑って赦してくれる気がするのだ。

 

 ルフレは母の手記を取り出して、その表紙を優しく撫でた。

 ……母が何を想ってこの手記を遺したのかは分からない。

 ……ただ……この手記があったお陰で、ルフレはルキナを助ける事が出来たし、こうして今も姿だけは『人間』で居られる。

 だからきっと、何時かルフレが自分の『本性』の所為で何か困った時の為に遺してあったのではないかと思うのだ。

 それが事実かどうかはもう確かめようが無いけれど……ルフレはそう思う事にしておいた。

 

 

 屋敷中を掃除して回る中で、馬小屋の前を通りかかった。

 旅立ったあの日と何も変わらぬそこは、今もそこに『竜』の姿のルキナが居る様な錯覚がして……それを振り払う様に、ルフレは馬小屋の掃除はまた別の日にしようと決める。

 まだ、その残滓に触れるには、寂しさと痛みが強過ぎた。

 

 そんなこんなで一通りの掃除をし終えた頃には、もう随分と日が沈むのが早くなったからか、とうに日は暮れていた。

 明日からは、また何時もと変わりのない日々が始まるのだ。

 ルキナと出逢う前の、変わらない日々が……。

 ルキナの事を考えると、どうしても苦しくなる。

 森に帰る事を選んだのは、ルフレ自身だと言うのに。

 ……我が事ながら未練がましいと、ルフレは心から思った。

 

 ……真なる『炎の紋章』の力でルフレの中の【ギムレーの力】は眠る様に封じられ、ルフレは『人間』の姿に戻る事が出来た。

 流石にもう一国を滅ぼしてしまえる様な力は振るえない。

 だけれども、例え【力】を封じようと、『人間』の姿をしていようとも……ルフレはやはり、『人間』ではない。

 チキから貰った【竜石】にその本性を封じているとは言え、ルフレの本性がギムレーである事には変わらないのだ。

 

 ……ルフレ本人がどうであれ、この世界では【邪竜ギムレー】は悪しき存在であると……そう言う事になっている。

 万が一にもルフレの正体が誰かに知られでもしたら……それはもう大変な大騒ぎになるだろう。

 況してや、その悪しき邪竜が、それを封じた英雄の末裔である王女と共に生きているなんて事になれば……。

 どうなるのかなど、火を見るよりも明らかな事であった。

 だからルフレは、ルキナの傍を離れたのだ。

 

『竜の祭壇』での戦いを終え、その後始末も何とか済んで。

 そして、後はイーリスに帰るだけとなったその夜。

 眠っているルキナを、一人残して。

 起きていた聖王に事情を話し、馬を一頭譲って貰って。

 そうして、ルフレは独りこの森に帰って来た。

 馬は近くの村に預けてあるので、少しして馬小屋を掃除したら引き取りに行ってやらねばならないだろう。

 

 ……きっと今頃、ルキナ達は王都に戻っているのだろう。

 そして、奇跡の生還を果たした王女として、人々に迎え入れられているに違いない。

 ……ルキナはルフレを追い掛けようとするかもしれないが、それはきっと聖王が止めてくれる。ルフレがそう頼んだ。

 ルフレはここで、ルキナの幸せを願っている位で良いのだ。

 それで満足するべきだし、『化け物』なのにそうして心から『幸せ』を願える人と巡り逢えた奇跡を噛み締めて生きるべきだ。

 

 きっと、ルキナは良い女王になるだろう。

 そして、良き夫と……ルフレではない、ルキナを支えてくれる誰かと結ばれ、そして次代へその命を繋げていく。

 それを想像するのは、『幸せ』な想像である筈なのに、何故か張り裂けてしまいそうな程に胸が痛かった。

 ……でもきっと、何時かこの痛みも消えてなくなるだろう。

 遠くから愛する人を見守る事が出来るなら、そしてそこで『幸せ』になってくれるなら、それが何よりもの幸福なのだから。

 だけれども、どうしてだか涙が零れ落ちていく。

 それを乱暴に拭ったルフレは、こんな風に何時までも未練がましく思う位なら寝てしまおうと、寝室へ向かおうとした。

 

 だが、ふと窓の外に見えた月灯りが、まるであの日の様に美しく輝いていて……。

 それに誘われる様にして、ルフレは屋敷の外に出た。

 

 月明かりに照らされた森は、あの日を再現しているかの様で……そんな感傷に自嘲しながらも、ルフレは夜空を見上げる。

 ルキナも、同じ夜空を王都で見上げているのだろうかと、そう考えていたその時だった。

 かつてよりも鋭敏になったルフレの耳に、何者かが屋敷の裏手の森で動く音が聞こえた。

 最初は大型の獣かと思ったのだけれども、音からすると二足歩行をしている様なので『人間』だろう。

 

 こんな夜に、こんな森の奥深くに人が……? 

 

 そう考えた瞬間、「まさか」と。

 有り得ない、有って良い筈の無い、そんな妄想が湧き起こる。

 だがそれを否定出来ずに、ルフレは灯りも持たずに裏手の森へと駆け出した。

 

 あの日とは違い、月灯りと星灯りが照らす森の道なき道を、急かす心のままにルフレは走る。

 そんな筈は無いと言う思いと、でももしそうならばと言う淡い期待の様な何かと。そんな相反する想いを抱えたまま、ルフレが藪を突っ切って抜けると。

 

 かつて、あの美しい『竜』が、傷付き果て今にも命尽きそうな状態だった彼女が倒れていた丁度そこに。

 

 ルフレにとってこの世で最も愛しいその人が。

 ルキナが、そこに居た。

 

 ルキナの美しい蒼の瞳が、ルフレを見詰める。

 あの日の『竜』と同じ、美しい蒼が、ルフレだけを見詰める。

 それは、この世の何よりも、素晴らしい奇跡であった。

 

 

「ルキナ……どうして」

 

 

 此処に、と。そう続けようとした言葉は、ルキナがまるで飛ぶ様にルフレの胸に飛び込んできた勢いで途切れる。

 咄嗟に優しく抱き留めるけれど、頭の中は酷く混乱していた。

 

 何故此処に? まさか、追い掛けて来たのか? 

 聖王は止めなかったのか? 

 

 色々と浮かんでは消え浮かんでは消えていくけれども。

 それらは、ルキナが静かに零した涙の雫の前に鎮まる。

 

「ルフレさん……ルフレさん……」

 

 何度も何度も名前を呼んで、そしてもう絶対に離さないとばかりに強く強く抱き締めて。ルキナは泣いていた。

 この涙が自分の所為で流されたものだと言う事位は、幾らルフレでも分かる。でもそれが分かった所でどうすればその涙を止めてあげられるのかはルフレにも分からなかった。

 かつて母がそうしてくれた様に優しくその背を擦る。

 

「ルキナ……どうか、泣かないでくれ……。

 君が泣いていると、僕は辛いんだ……」

 

 するとルキナは抱き締める力を更に強める。

 

「泣かないでと、そう言うのなら……! 

 そうして黙って行ってしまったんですか……! 

 ルフレさんが居なくなったと知った時、何れだけ私が……!」

 

「……すまない、ルキナ。

 でも、何れだけ考えても、僕が君と共に生きる事は出来ないのだと……そう考えが至ってしまって……。だから……。

 ……聖王様に、後の事は頼んだから、大丈夫だろうと……」

 

「お父様が? ……確かに少しは引き止められましたが……。

 最後にはルフレさんを追いかける事を許してくれましたし、『早く追い掛けろ』と馬も用意してくれました」

 

 止めきれなかったのか、最初から本気で止めるつもりは無かったのか……何にせよ聖王は当てに出来なかった様だ。

 

「……こうして追い掛けてくれたのは嬉しいよ。

 でも……やっぱり僕は君の傍に居るべきじゃない。

 こうして今は『人間』の姿をしているけれど、僕は人間じゃない……なろうと思えば、【竜】の姿にもなれる。

 ……そんな『化け物』が……【ギムレー】が、聖王の血を継ぐ王女の傍に居る事は、きっとこの国にとっては良くない。

 それに、誰かが僕の事に気付いて、【力】を利用する為に酷い事をするかもしれない。……ギムレー教団の様に、ね。

 ……僕だけが傷付くなら良いけど、もし君までそれに巻き込まれてしまったらと思うと……」

 

 何も気にせず縛られず互いを愛し合えるならそれが一番良いのだけれども。ルフレも、そしてルキナも。

 そう生きるには柵が多過ぎる。

 だが、そんなルフレの言葉に、ルキナは否を突き付けた。

 

「そんなの……! そんな事、どうだって良いんです! 

 私がルフレさんを守ります! 

 誰にも、あなたを『化け物』だなんて言わせません! 

 絶対にあなたの【力】を利用なんてさせません!」

 

 ルフレの首元を絞める勢いで、ルキナは胸元を掴み叫ぶ。

 

「私には、ルフレさんが居ない未来なんて意味が無いんです! 

 あなたが居ないそこに、『幸せ』なんてありません! 

 私が王女だから共に生きられないと……そう本気で言うのなら、王女の地位は返上します! 

 元々あの日に死んだと言う扱いでしたし誰も困りません! 

 それなら、ルフレさんもこれ以上言い訳に逃げませんよね?」

 

 王女の地位を返上すると言うが、そんな風に決めて良いモノではないだろう。それでは、あの聖王からルキナを奪う事になるのだ。それ故に、簡単に頷ける筈は無かった。

 

「ルキナ、そんな事をしてはいけない。

 君は君の生きる場所がある。

 ……僕は、それを遠くから見守るだけで良いんだ」

 

 そう言った瞬間、ルキナは俯いて震えた。

 

「ルフレさんの……」

 

「……?」

 

「ルフレさんのっ! このっ、分からず屋ーっ!! 

 何をどう言えば、分かって貰えるんです!? 

 私は、ルフレさんの事が世界で一番大切で大好きだと! 

 そう言ったじゃないですか! 

 その意味が本当に分かってるんですか!? 

 後にも先にも、ルフレさんよりも愛しいと想える相手は居ないって事ですよ!? 

 それをまあ、『遠くから幸せを見守っている』だの何だのと! 

 馬鹿にしているんですか!?」

 

 そうまるで心から憤慨しているかの様に言うルキナに、ルフレも思わず言い返した。

 

「僕だって……! 

 君の事が世界で一番好きだ、愛しているさ! 

 だから、『影』に何をされても絶対に折れずに耐えてきた! 

 僕だって、君の居ない世界なんて考えられないし、そこに幸せは無い! でも、君が傷付く事を考えると、僕は……」

 

「まだ起きてもいない事をあれやこれやと考えて臆病になっているだけじゃないですか、この意気地なし!! 

 本気で私を愛していると言うのなら、絶対に私を幸せにする位言って下さいよ!! 

 幸せにする覚悟も、愛する覚悟も無いんですか!?」

 

 ルキナにそう言い募られて、ルフレの中で自分をどうにか抑えていた最後の『何か』が切れる音がした。

 そして、湧き上がった衝動の侭に。声を上げ続けた為荒く息をするルキナのその口を、ルフレは唇で少し強引に塞いだ。

 そして、突然の口付けに驚いて目を丸くするルキナに言う。

 

 

「あるに決まっているだろう。

 愛し抜く覚悟も、最後まで君を守る覚悟も! 

 覚悟しているからこそ、その幸せを一番に考え続けるからこそ、どんなに苦しくてもこの手を離そうと思った。

 だけど、君がそんな風に思うのなら、僕はもう諦めない。

 元より僕は、邪竜ギムレーだ。

 王女様一人を攫ってしまう位、訳も無いさ。

 何なら、王城に居座って我が物顔で王女様と生きても良い」

 

 

「なら私は。そんな優しくて愛しい邪竜の為に、大人しく攫われて、ずっとずっと傍に居てあげます。

 愛しています、何があってもずっと、絶対にもう離しません」

 

 

 ルフレの言葉に微笑んだルキナは、ルフレに口付けを返す。 

 その熱に浮かされる様に、互いに幾度となく口付けを交わし、そしてその手をそっと重ね合わせる。

 それはまるで秘密の契約の様ですらあった。

 

 

 果たしてどちらが相手を掴まえたのだろうか。

『邪竜』が聖なる『王女』を攫ったのか。

 聖なる『王女』が『邪竜』を捕らえて飼い馴らしたのか。

 

 

 まあどちらにせよ、『邪竜』と『王女』が、互いにこの上無く満ち足りて幸せである事には間違いないのであろう。

 愛し合う二人が共に生きる事に、そこにある形式は当事者にとっては割とどうでも良いものなのだ。

 

『竜』と『賢者』として出逢った二人は、『王女』と『邪竜』として相手に向き合った。

 

 

「僕と、共に生きてくれますか?」

 

 

『邪竜』は、人に非ざる『賢者』は問う。

 

 

「ええ、勿論。この命ある限り、ずっと」

 

 

『王女』は微笑み、そして誓う様に『邪竜』に口付けた。

 

 

「私と共に、生きてくれますか?」

 

 

『王女』は、かつて『竜』として出逢った女は問う。

 

 

「勿論、何時か共に永遠に眠る日まで、ずっと」

 

 

『邪竜』は、優しく微笑んで『王女』のその頬に口付ける。

 こうして、二人の間に誓いは結ばれた。

 ……その未来に何が起きようと、決してもう離れる事は無いと言う、そんなこの世の何よりも重い契約は、確かに成った。

 

 

『人間』である『王女』と、【竜】である『賢者』の未来に、何が待ち受けているのかは、誰にも分からないけれども。

 

 それでも二人は、決してその手を離さない。

『愛』する相手と生きる明日を、何があっても諦めない。

 何時か共に永久の眠りに導かれる日まで、ずっと。

 

 

 ……それだけは、一つ確かな事であった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

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