『呪われた王女と森の賢者』【完結】   作:OKAMEPON

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第七話『真実の泉』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

『ミラの大樹』の樹上で『神竜の巫女』の御所を守っていた武人達の一人が、その剣を抜き放ちルフレの首へと突き付けた事で高まっていた場の緊張は、不意に彼等の背後からその場へと現れた女性の一言で鎮まった。

 女性は、武人達がルフレへと武器を向けている事に構う様子も無く、極自然な足取りでルキナ達へと歩み寄ってくる。

 

「巫女様……! 危険です、お下がりください!!」

 

「サイリ……良いのよ。この人達に害意が無い事は確かだし、私の力が必要なのもきっと本当の事だから。

 だから、武器を下ろして頂戴」

 

 ルフレに剣を突き付けていた武人……サイリと呼ばれた彼女は、巫女……間違いなく『神竜の巫女』その人であろう女性の言葉に、渋々と言った様子でその剣を納刀する。

 それに倣う様に他の武人達も武器を下した。

 

「さあ、聞かせて頂戴。

 貴方たちは何の為に此処に来たのかしら。

 どうして、私の力が必要だと思ったの?」

 

 静かにそう訊ねてくる『神竜の巫女』に、ルフレは緊張して生唾を呑み込むかの様にごくりとその喉を動かす。

 そして、ゆっくりとルキナの事情を話し始めた。

 

「信じて貰えないかもしれませんが、彼女……この『竜』は、本来の姿は『人間』であるのです……。何が原因でこの様な姿になってしまったのかは僕にも分からないのですが……。

 何とか、元の姿に戻す方法は無いのかと、色々と手を尽くしてはみたのですが……僕にはどうする事も出来ず……。

 そんな時、『真実の泉』についての伝説を耳にしたのです」

 

「……『真実の泉』……。

 成る程、だから私を頼って来たのね? 

 私ならば、『真実の泉』について、何か知っているかもしれないと……そう思ったから」

 

 ルフレの意図を理解した『神竜の巫女』は小さな溜息を吐いてルキナへと歩み寄り、その首筋に優しく触れる。

 そして、その憂いを帯びた静かな眼差しで、ルキナの目を覗き込む様に見詰める。

 

「……強い……とても強く古い『力』が働いているわ……。

 貴女の姿が歪められてしまったのは、この『力』が原因ね。

 ……私の力ではどうしてあげる事も出来ないけれど……。

 確かに、『真実の泉』に秘められた力ならば、【呪い】の様に貴女に絡み付いたこの『力』を解く事も出来るかもしれない。

 あの泉の力も、とても古くて強いものだから……」

 

『それは本当ですか!?』

 

『神竜の巫女』の言葉に、ルキナは思わず声を上げる。

 人間の耳には咆哮にしか聞こえぬ筈のその『言葉』に、『神竜の巫女』は慈しむ様な微笑みを浮かべた。

 

「ええ、そうよ……。そこに希望は必ずある。

 辛い事も沢山あったでしょうけど……よく頑張ったわね」

『巫女様には私の言葉が分かるのですか……?』

 

「ええ、分かるわよ。私が、【竜】だからかしら。

 ……それと、巫女様なんて畏まって呼ばなくても良いのよ。

『チキ』、と。そう呼ばれる方が私は嬉しいの」

 

『竜』に姿を変えられて以来初めて……本当の意味で自身の『言葉』が通じた事に、ルキナの目は思わず潤んでしまった。

『神竜の巫女』……チキは、ポロポロと零れ落ちたその涙を、労わる様に優しく手で拭ってくれる。

 そんなルキナ達の様子を、傍らに立つルフレは優しい眼差しで見守っていた。

 

『有難うございます……チキ様……。

 ごめんなさい、こんな所で泣いてしまって……』

 

「良いのよ。

 貴女の心が、それだけ傷付き苦しんできたと言う証だもの。

 我慢なんてせずに、泣いても良いのよ。

 涙を流せると言う事は、心がその傷を塞いでいける証よ」

 

 チキは、まるで旧来の友であったかの様な、そんな親しみのある眼差しをルキナへと向ける。

 

 傷付いた、苦しんだ……確かにそれはそうだ。

 突然に自分の意志とは無関係に姿が変わり、言葉も奪われて。

 父には剣を向けられ、生死の境を彷徨う程の傷を負い。

 ルフレに救われてからも、言葉を交わせぬ苦しみと、思う様に触れ合う事も叶わぬこの身に傷付いてきた。

 ルフレに理解して貰えたあの日以来ルキナが涙を零した事は無かったが……それでも、この心の奥底には流せなかった涙が海の様に静かに波打っていたのだろう。だけれども……。

 

『いいえ、その……。

 突然にこの様な姿に変わって、……苦しい事は沢山あって、それ以上に傷付き絶望してきたのは確かですけれど……。

 それでも……それだけじゃ、無かったんです。

 苦しいだけでも、辛いだけでも無くて……。

 いえ、元の姿に戻りたいのは間違いないのですけれど。

 それは、……現状に絶望し苦しんでいるからでは無いんです。

 その、……上手くは言えないのですが……』

 

 どう言葉にすれば伝えられるのかは分からないけれど。

 ……ルキナは、チキにただ憐れんで欲しい訳では無かった。

 

 自分の意思とは無関係に『竜』になってしまった事は辛い事で、その所為で喪った物は数えきれないけれども。

 それでも、そうだからこそ得る事が出来た物も沢山ある。

 ルフレから貰った『幸せ』は、そしてこの胸に灯る『想い』は……ルキナが『竜』になってしまったからこそ得られた物だ。

 その全てを纏めて憐れまれては、ルキナにとっては大切な物まで否定されてしまったかの様な……そんな気がするのだ。

 そんな事を考えていると、チキは苦笑する様に頷いた。

 

「ふふふ……そうね、素敵な出逢いがあったのね。

 貴女にとって、とても大切で特別な出逢いが……。

 貴女の顔を見ていたら分かるわ」

 

 そう言って、チキはルフレへと優しい眼差しを向ける。

 それは……悠久の時の中で人々を見詰め続けてきた者だからこそ持ち得る……ある種の超然とした慈愛の様なものだった。

 そして、同時に何かを懐かしむ様にその目を細める。

 

「……私がかつて、マルスお兄ちゃん……英雄王マルスに出逢えた時の様に……。

 一つの不幸が、苦しみが……大切な出逢いに繋がる事もある。

 運命とも偶然の奇跡とも、どちらとも言える大切な出逢いが。

 ……貴方が、この子の心を支えてあげていたのね」

 

 チキは柔らかな声でルフレにそう言った。

 ルフレは、どう返そうか迷う様に少しその視線を彷徨わせて。

 ゆっくりと、頷く。

 

「僕がルキナの心を支える手伝いが出来ていたのかは分からないですが……。そうであれば、と。そう心から思っています」

 

 ルフレらしい答えだと、ルキナは思った。

 チキは、ルフレのその答えに満足した様に微笑む。そして。

 

「さて、と……『真実の泉』の場所を教えてあげなくちゃね」

 

 待ち望んでいたその言葉に、ルフレもルキナも少し緊張しながら居住まいを正した。

 

「『真実の泉』は、ヴァルム帝国領の北西部にあるの。

 ヴァルム城を越え、王墓を越えて、更にその奥の……。

 人が踏み入る事は難しい峻険な山々の連なりを四つ程越えた先……霧煙る山の頂上に、古い遺跡があるわ。

 そこの最奥に、『真実の泉』はある……」

 

 ヴァルム帝国の北西……。

 ここから真っ直ぐにそこに向かったとすれば、一週間かその辺りで辿り着けるだろうか……。

 

「貴女の翼なら、ここからなら十日も掛からないでしょう。

 でも、今日はもうそろそろ日が暮れてしまうから……。

 向かうのなら、明日陽が昇ってからにすると良いわ。

 今日はここに泊まっていきなさい。

 大したおもてなしは出来ないけれど……ゆっくり寝る場所ならちゃんとあるから」

 

 そういって優しく微笑んでくれたチキに、ルフレと顔を見合わせてから、ルキナはゆっくりと頷くのであった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 チキの厚意に甘えて、ルキナ達は一晩泊めて貰う事になった。

 チキの警護を行っていた者達……その中でも最も立場が上であるサイリと言う名の武人は中々渋ってはいたけれど、チキの『お願い』を前にして溜息を吐きながらも了承した。

 自分が護衛している相手……と言うのもあるだろうけれど、チキとサイリの間にあるものはそれだけではなくて……ルキナの見立てが間違っていなければ、「友達」と言うモノに少し似ている気がする。

 何にせよ、サイリはチキの『お願い』には逆らえないらしい。

 

 そんな訳で、一晩の宿を得る事が出来たのである。

『ミラの大樹』の上には『神竜の巫女』の為の神殿の他にも、警護の者達の為の宿舎の様なものもあって、ルフレはそちらで一晩を過ごし。ルキナは、神殿の大広間に泊まる事になった。

 久々に屋根がある場所で眠る事が出来るのはやはり喜ばしい。

 野宿が過酷であった訳では無いけれど……屋根の有る無しでやはり安心感とでも言うべきものが違うのだ。

 静まり返った大広間で、ルキナは一人小さな溜息を吐いた。

 ルフレが傍に居ない夜は、何故だか少し不思議な心地がする。

 寂しい……とは少し違うけれども、何だか落ち着かない。

 毎晩ルフレと寄り添い眠る様になったのは旅立ってからの事で……そもそも誰かに寄り添って貰いながら眠る事なんて、『竜』の姿になる前は本当に幼い頃にしかしなかったけれど。

 ルフレが傍に居る事が、ルキナにとって何時の間にか「当たり前」になっていたのだろうか……。

 そんな事を考えていると不意に誰かが近付いてくる音がした。

 ルフレの足音ではないそれに、反射的に身を浮かすと。

 

「あら、ごめんなさい。起こしてしまったかしら?」

 

 奥からやって来たのは、この神殿の主であるチキだった。

 チキであった事に安堵したルキナは身に入っていた力を抜く。

 

『いいえ、考え事をしていただけです。

 それより、どうかなさいましたか?』

 

 夜更けと言うには早いが、眠っていてもおかしくない時間だ。

 普通の人間よりも多く眠ると言うチキが、態々こんな時間にルキナに何の用なのだろうか……。

 

「少しお話をしようかと思って……。迷惑だったかしら?」

 

『いいえ。私が話せる事ならば、何でも』

 

「そう? だったら嬉しいわ」

 

 そう言いながら、チキはルキナの横に座った。

 そして、真剣な眼差しでルキナを見る。

 軽い世間話の様な物を想像していたルキナは、その様子に少々面食らった。

 

「貴女は、聖王の末裔の一人……よね?」

 

『えっと、はい……。

 私は当代聖王クロムの娘です。

 チキ様には、分かるのですか……?』

 

「ええ……私は【神竜族】だから。

 貴女に流れている、初代聖王から受け継がれてきた神竜の力の欠片を感じとる事が出来るの。

 かつて……千年前に邪竜ギムレーを封じた時、私も初代聖王と共に戦ったわ……。……あれから、丁度千年……。

 恐らくは、再び邪竜ギムレーが目覚めようとしている……」

 

 突然のその言葉にルキナは驚き、戸惑った。

『邪竜ギムレー』と言われて思い浮かぶのは、聖王家の伝承に伝わるそれと、そしてぺレジアの砂漠で見たあの巨大な骨だ。

 邪竜ギムレーは、初代聖王と彼が振るった神剣ファルシオンの前に斃れ死んだ筈だ。だからこそ、ぺレジアに骨があるのだ。

 それが……目覚める? あの骨が動き出すとでも……? 

 

 ルキナの困惑を察したのか、チキは説明する様に言う。

 

「千年前、初代聖王はギムレーに勝った、それは間違いないわ。

 だけれども、彼の邪竜を滅ぼす事は出来なかった。

 だから、初代聖王はギムレーを千年の眠りの中に封じたの」

 

 チキの言葉にルキナが今まで信じていたモノが覆されてゆく。

 千年の眠り……それは竜に比べれば短き命の人間にとっては永遠にも等しい時間ではあるが、決してそれは死ではない。

 かつて世界を滅ぼしかけた大災厄は、生きているのだ。

 あの砂の海の中に沈んでいた骨は、今この瞬間も目覚めるその日を待ち侘びて、封印の眠りの中で生きているのであろうか。

 何とも想像し難く、俄には信じ難い事であった。

 

『あの……ぺレジアの砂漠に埋もれているギムレーの骨は、生きているのですか……? 

 ならば、ギムレーが目覚めれば、あの骨が動き出すのですか?』

 

「いいえ、あの骨はもう死んでいるわ。

 ギムレーが封印から目覚めても、あの骨が動く事は無いわよ。

 そうね……正しくは、肉体を殺す事は千年前も出来たの。

 でも、力ある【竜】の中には、肉体が滅びてもその魂だけが存在し続けて……そして然るべき手順を踏めば何度でも肉体を持って蘇る事が出来る者も居るの。ギムレーがそう。

 そして、ギムレーの魂を殺しきる事は例え神竜ナーガの力を以てしても不可能だった、だから封印するしかなかったの」

 

 魂だけで存在し続けて何度でも蘇ると言うのは、どうにもギムレーはルキナの理解を越えた存在である様だ。

 封印が解けたら、初代聖王の伝承通りに、千年前と同じ様にギムレーは再び世界を滅ぼそうとするのだろうか……。

 そして、蘇ったギムレーを討つ役目を負うのは……。

 間違いなく、当代聖王であり、神剣に選ばれた父だ。

 ギムレーが蘇らんとしているこの時に、神剣に選ばれた聖王が居るとは、僥倖と言うべきか、或いは神竜の思し召しか。

 

『千年が経った今、ギムレーは直ぐ様蘇るのでしょうか……。

 もしそうならば、どうすれば……。

 お父様がギムレーと戦う事になるのでしょうけれど……』

 

 現時点では『竜』であるルキナに、ギムレーとの戦いに際して父の為に出来る事など殆ど無い。

 それでも……伝承の中の大災厄へ、父が不可避の戦いを挑まねばならないのであれば……何もしない訳にはいかなかった。

 ……例え、娘であると理解されずにその剣を向けられ……殺されかけたのだとしても、ルキナにとってクロムが敬愛する父親である事は今でも変わらないのだから。

 

「……それが、分からないの……」

 

 チキは悩まし気に眉根を寄せて溜息を吐いた。

 

「今からもう十数年は前になるのだけれど、……一度ギムレーの力を感じたわ。でも、それは直ぐ様消えた……。

 そして、丁度千年目の節目だったこの春に、また一瞬だけギムレーの力を感じたのだけれど……それもほんの一瞬。

 ギムレーが蘇ろうとしているのかどうか……私にも今一つ判断が着かなかったわ……。でも……」

 

 チキはルキナの身体に触れて、目を伏せる。

 

「貴女の姿を歪めている『力』は、ギムレーのもの……。

 でもこの『力』は、つい最近貴女に絡み付いたのではないと思うの……それこそ、もっともっと古い……。

 私にも詳しくは分からないけれど……初代聖王がギムレーを封印した時に、何かをされたのかもしれない。

 それが、この時代にまで受け継がれてしまって……不運な事に、貴女に現れてしまったのかも……」

 

 あまり詳しく分からないから推論になってしまうけど、とチキは申し訳なさそうにそう言う。だが、ルキナとしては何一つ原因が分からなかった所に、推測であったとしても原因らしきものが分かって少し安心出来た。

 

 初代聖王の時代から受け継がれてきた……ある種の【呪い】。

 それが原因であったのならば、ルキナが知らぬ内に何かをしてしまった訳ではなく、理不尽とも言える不運によるものだ。

 ……そう考えると少しばかり、気が楽にはなった。

 そして、伝承に語られる大災厄からの【呪い】を解く術が全く見付からなかった事も、然も有りなんと言う話だ。

 ルフレは自分の力不足を嘆いていたけれど、彼の力が不足していたのはどうしようも無い当然の事であったのだ。

 それがルフレにとって慰めになるのかは分からないけれど。

 

『ギムレーが蘇ろうとしているのかどうかは、チキ様でも分からない事なのですね……』

 

「あの強大な力は何処に居ても分かると思っていたけれど。

 ……もしかしたら、まだ封印が解けた直後で、ギムレーも寝惚けている状態なのかもしれないわね」

 

 まだ寝起きの状態で寝惚けている伝説の大災厄……と言うのは想像するだけで何だか妙な気持ちになるけれど。

 ならば、完全に目覚める前に何とか出来ないだろうか。

 

『ギムレーを再び封印するにはどうすれば良いのでしょう。

 伝承の通りにファルシオンで倒せばよいのでしょうか』

 

「ええ、かつての聖王の様に、ギムレーにファルシオンで止めを刺せば、再び封印出来るわ。

 ただ……今のファルシオンには本来の力は宿っていないの。

 神竜の牙の真の力は、人が持つには強過ぎるから……。

 だから、再びその力を蘇らせる為に特別な儀式が必要なの」

 

『儀式……それは、聖王家に代々伝わる「誓言」の儀ですか?』

 

「いいえ、それは聖王を継ぐ時の儀式でしょう? 

 そうでは無くて、神竜ナーガの力をその身に宿す為の……『覚醒の儀』の事よ。誓言自体は同じものだけれど、違う物だわ。

 ただ、『覚醒の儀』には『炎の紋章』が必要なのだけれど……」

 

『『炎の紋章』……ですか? 『炎の台座』ではなく……』

 

 ルキナは聞き慣れぬその首を傾げた。

 かつてイーリスに存在した神宝の一つ、『炎の台座』と神威の宝玉『白炎』……。

 それら二つは、ルキナが生まれる少し前に、王家の宝物庫から何者かによって奪い去られてしまったと、そう聞いている。

 

「聖王家でも伝承は途絶えてしまっていたのね……。

『炎の台座』は、未完成な『炎の紋章』なの。

『炎の台座』に、五つの宝玉……『白炎』・『緋炎』・『蒼炎』・『碧炎』・『黒炎』を揃える事で、『炎の紋章』が完成する……。

 それが無くては、『覚醒の儀』は行えないの。

 ……聖王は、ギムレーを討った後で『炎の紋章』を巡って無用な争いが起こる事を恐れて、『炎の台座』と宝玉に分けた。

『炎の台座』と『白炎』は自分の手に、そして残りの宝玉は信頼出来る者へと託したわ。……だけれども。

 私がソンシンへと預けた『碧炎』は先の戦争での混乱の中で何者かに奪われてしまっている……」

 

『あの……実は、イーリスからも『台座』と『白炎』が奪われたんです。……私が生まれるより少し前の事ですが』

 

「既に二つの『宝玉』と『台座』が奪われてしまったのね……。

 ……そうなると、行方が分からない『緋炎』や『黒炎』も何処かで奪われている可能性は高いわね。

 ……やはり、十数年前に感じたギムレーの力……。

 それが、何か繋がっているのかもしれない……。

 何者かが、『覚醒の儀』を邪魔しようとしている……?」

 

 最後の方は独り言の様にチキは呟く。

 ……しかし、少なくとも二つの宝玉と『炎の台座』が何者かに奪われ、しかもそれがどちらも十数年程前に起きていると言う事は、無関係の事では無いだろう。

 それが、ギムレーの復活に関わっているのかは分からないが。

 何事も想定しておくに越した事は無い。

 

 ルキナは、随分と大事になってきた事態に思わず身震いする。

 最初は、この身を襲った異変を解決して元の『人間』の姿に戻る為の旅であったのに。

 世界が滅びるかもしれない、『邪竜ギムレー』復活の可能性をこうして聞かされる事になろうとは……。

 もしルキナがこうしてチキの下を訪れていなかったら、ギムレーが完全に復活して取り返しの付かない事になってから漸く、『覚醒の儀』や『炎の紋章』の事が父に正しく伝わっていたのかもしれない。

 それを考えると、こうしてまだギムレーが復活していない状況で、それを聖王家の人間であるルキナが知る事が出来たのは、まさに僥倖、天の配剤としか言えない事なのだろう。

 今の聖王家にルキナの帰る場所があるかは分からないが……。

 ルキナも聖王家の一員として、イーリスの民として、そしてこの世に生きる一つの命として、ギムレーの復活やそれによって起こる大災厄を止めなくてはならないと言う想いがある。

 何としてでもこの事を父に伝え、ギムレーの復活に備えなくてはならない。奪われた『炎の台座』や宝玉の行方を探すにしろ、王家などの国家規模の力が必要となる。

 

 …………だが、そうなると。

『人間』の姿に戻ったルキナが、あの森に帰る事は難しくなるだろう。ルフレとのあの温かな日々は……きっともう……。

 だがそれでも、ルキナは成さねばならない。

 何故ならば、ギムレーが蘇ったその時に、そして伝承に語られるその大災厄の如き力が振るわれた時に、幾万幾億の犠牲となる人々の中に、ルフレの姿があるもしれないからだ。

 ルフレを守る為にも、ルキナは選ばねばならない。

 それこそがルキナがルフレの為に出来る事だと、そう思う。

 

「……貴女には重荷を背負わせる事になってしまったかしら。

 それでも……この世界を守る為に『炎の紋章』と『覚醒の儀』は必要なの……」

 

『いえ、良いんです……。伝承の様にギムレーがその力を振るったら、何万何億の人々が犠牲になってしまう……。

 その中には、私の大切な人も沢山含まれてしまう事でしょう。

 だから、それは私の為でもあるんです。

 元の姿に戻る事が出来たら、……お父様にチキ様からお聞きした事を全てお話しします』

 

 固く決意を抱いたルキナのその眼差しに、チキは子供を見守る様な……そんな優しい目をした。

 

「そう……、貴女にとって、彼はとても大切な人なのね」

 

『ルフレさんは……言葉も交わせない、『竜』にしか見えない筈の私の事を、何も言わずに助けてくれて……。

 ルフレさんに関係のある事じゃなかったのに、私が元に戻る為の方法を探し続けてくれて……こんな所まで一緒に来てくれた人なんです……。

 ルフレさんが居なければ、私はとっくに死んでいました。

 ルフレさんに出逢えなければ、私はこうしてここに辿り着く事も出来なかった……。

 とても……とても大切な人です。私にとっては、誰よりも』

 

 そう言うと、チキは優しく笑った。

 

「……とても素敵な『恋』をしているのね。

 何だか少し、羨ましいわ」

 

 それじゃあお休みなさい、と。手を振ってその場を立ち去ったチキを見送って。

 ルキナはルフレを想いながら目を閉じるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

『神竜の巫女』であるチキの厚意で、一晩の宿を得る事が出来たルフレ達であったが。野宿に慣れてしまったからなのか、どうにも与えられた部屋のベッドでは中々寝付けなくて。

 気分転換も兼ねて、ルキナの様子を見に行った。

 この様な時間であるのでルキナは既に寝ている可能性もあり、その場合は起こす気は無いので神殿の入り口の近くからそっと伺うだけのつもりだったのだけれども。

 

 

 

「貴女は、聖王の末裔の一人……よね?」

 

 分厚い扉の向こう。ルキナが寝泊まりしている筈のそこから聞こえてきたチキの言葉に。ルフレは咄嗟に息を殺して、物音を立てない様に注意しつつ、中の会話を伺ってしまった。

 混乱と動揺から、盗み聞きする事に対する罪悪感などは感じる暇も無くて、チキとルキナの会話に意識が向かってしまう。

『聖王の末裔』……誰が? ルキナが……? 

 

 信じ難いそれに、ルフレの鼓動は早鐘を打つ様に激しくなる。

 信じたくないのか、ルキナにそれを否定して欲しいのか。

 それは自分でも分からないけれども。

 ゴクリと、緊張から生唾を呑み込む音がやけに耳に響く。

 

 ルキナは……、チキの言葉に喉を鳴らす様にして答えた。

 ……具体的に何と言って答えたのかは、……彼女の『言葉』を解し切る事はまだ出来ていないから分からないけれど。

 ……その『音』が、否定の意味を含む物では無い事は分かる。

 

「ええ……私は【神竜族】だから。

 貴女に流れている、初代聖王から受け継がれてきた神竜の力の欠片を感じとる事が出来るの。

 かつて……千年前に邪竜ギムレーを封じた時、私も初代聖王と共に戦ったわ……。……あれから、丁度千年……。

 恐らくは、再び邪竜ギムレーが目覚めようとしている……」

 

 チキの静かな声が聞こえる。

 その言葉に、ルフレは思わず再び息を呑んだ。

 初代聖王の伝説は、ルフレも物語として知っている。

 その中には確かに、『神竜の巫女』である彼女であろう人物の存在はあった。

 チキが初代聖王と共に戦ったのは間違いないのであろう。

 ならば、ルキナが初代聖王の末裔……乃ち聖王家の人間である事は、もう否定する事の出来ない事実で。

 自分とルキナとの間には、決して埋める事など叶わないであろう大きな隔たりがあった事を、理解してしまう。

 貴族でも何でもない……森の奥で半ば世捨て人の様に生きてきたルフレが、王族であるルキナと出逢う事など……本当に奇跡の様な偶然の結果でしか無くて。

 こうしてルキナが『竜』になる事がなければ、一生出逢わなかったであろう……その存在すら知らなかったであろう程の……まさに住む世界の違う人間であったのだ。

 それが……どうしてなのか自分でも分からないけれど、息をする事すら覚束無くなる程に苦しかった。

 

 ルフレはそのままひっそりとその場を離れ、与えられた部屋へと戻った。……だが、気持ちは荒れ狂い眠れる筈も無い。

 ルキナが元の『人間』の姿に戻れたならばその時には、何れ別れが来る事は分かっていたし、納得していた……筈だった。

 だが、会いたいと思えば会いに行けると、そうも思っていた。

 しかし、ルキナが王族であるのなら、そしてそこに彼女の帰るべき『居場所』があるのなら。

 ルフレが、『人間』として生きているルキナに会いに訪ねに行く事すら……とても難しい事である。

 平民でしかないルフレと、王族であるルキナとの間には、それ程の『身分』と言うモノの差が歴然と存在する。

 特に、血筋を尊び王侯貴族と平民との間が隔絶した世界となっているイーリスでは、その差を覆す事は不可能に等しい。

 軍に入り目覚ましい武勲を挙げるなりして爵位などを与えられればまた話は少し違うけれど……それにしてもポッと出の成り上がり武人と王族とでは天と地の差があるだろう。

 触れ合える程傍に居る事が出来るのは、ルキナが『竜』である間だけであったのだ……。

 

 それを理解してしまったから、苦しくて。

 だけれども、この日々がどんなに……それこそ何をしてでも終わって欲しく無い程に、愛おしいのだとしても。

 それがルキナの苦しみの上にしか成り立たぬのであれば、願ってはいけない、願うべきではない。

 ルキナにとっての『幸せ』は、彼女自身が在るべき場所に、彼女が生きるべき世界にあるのだと、そう思うから。

 だからこそ……ルキナの『幸せ』を純粋に想う気持ちと、そこに一滴のインクの染みの様に滲む……この日々を終わらせたくない……ずっと『竜』のままでも良いから自分の傍に居て欲しいとそう願う醜い欲望が、相反する様に心を責め立てる。

 

 目を閉じて思い浮かぶのは、ルキナと出逢ってからの暖かで穏やかな日々の事、そして二人で過ごしてきた時間だった。

 その全てがキラキラと輝いていて……だからこそ辛い。

 

 母を喪ってからは、ルキナに出逢うまではずっと独りだった。

 これからは独りで生きていくのだろうと、そう思っていた。

 あの森の奥の屋敷で、変わる事の無い日々をずっと独りで。

 それで良いと思っていたし、そこに何の不満も無かった。

 でも違った、ルフレはずっと寂しかったのだ、……孤独である事に苦しんでいた。それを自覚していなかっただけだった。

 それなのに、ルフレはルキナに出逢ってしまったのだ。

 最初に出逢ったあの日、彼女は傷付き果て今にもその命の灯を消してしまいそうな……そんな儚い命だった。

 彼女を必死に助けようとしたそこには、傷付き果てた『竜』への憐みがあったのかもしれないし、或いはこの心を揺さぶり一目で魅了する程の『竜』の美しさへの崇敬があったのかもしれないし、或いは……母を救う事の出来なかった自身の無力への怒りがあったのかもしれない。

 何であれルフレはルキナを助けた。

 そこにルキナからの見返りを期待する様な心は欠片も無かったが、結局自分の心の為にルフレは彼女の命を助けたのだ。

 だが、見返りなんて何も求めてはいなかったのに、ルキナはルフレに余りにも多くのモノをくれた、沢山の感情を教えてくれた、この心に様々な色をくれた。彼女は『光』その物だった。

 ……そうしてルフレは、再び独りでは無くなってしまった。

 他者の温もりを、自分ではない誰かが傍に居る事の喜びを。

 ルフレは思い出してしまった、一度喪ったその尊さその大切さを……深く知ってしまったのだ。

 だからこそ辛い、耐え難い程に苦しい。

 この旅の終わりが、その光を再び喪う事に他ならぬからこそ。

 暖かな日々を終わらせる事が、成さねばならぬ事だからこそ。

 ルフレの喜びは、『幸せ』は……ルキナの『幸せ』が叶う場所には無いからこそ……。この心が張り裂けそうな程に辛いのだ。

 喪いたくない、もう絶対に手離したくない、ずっとずっと傍に居て欲しい、あの『神竜の森』の奥で誰にも邪魔をされず何に阻まれる事も無くずっと二人で暮らしていたい……。

 そんな事を、余りにも身勝手な事を考えてしまう。

 何時しかルフレにとって、自分の人生の中にルキナの姿が無い事は考えられない事、耐えられない事になっていたのだ。

 そして、それを自覚するに至って。

 

 ああ、そうか……、と。

 ここに来て、ルフレは漸く理解した。

 ルフレは、ルキナに『恋』をしているのだ。

 彼女を、……心から『愛』してしまっているのだ。

 

 だが……その『恋』は叶わない、叶うとすればそれは。

 彼女の『幸せ』を……本来生きるべきだったその人生を捻じ曲げて無理矢理にルフレの望みに縛り付ける様な……そんな歪んだ叶い方をするしかない……。

 だが、それは最もしてはならない事だ。

 ルキナを元の姿に戻す為に何の手掛かりも解決の術も無く、『真実の泉』が何処にも存在しないかその伝説が全くの出鱈目であったのならば、仕方ないとそんな風に自分の良心を誤魔化す様にしながらその『想い』を叶えられたかもしれないが。

 だが、『真実の泉』は実在し、その力も恐らくは本物で。

 ならば、ルフレはそこを目指す他に道は無い。

 そこに辿り着いた時、この『恋』は叶わなくなるとしても。

 それが、ルキナの『幸せ』になるのなら。

 彼女を心から『愛』しているからこそ、

 ルキナの『幸せ』を、一番に叶えなくてはならない。

 

 いっそ、あの日手記を見付けなければ良かったのだろうか。

 そうすればこんなに辛く苦しい思いをする事も無く、ルキナが苦しんでいる事に罪悪感と遣る瀬無さを感じながらも、穏やかで暖かな愛しい日々が何時までも続いていたのだろうか。

 今更考えても仕方の無い『もしも』が頭から離れない。

 

 ルフレは頭を振って、無理矢理に雑念を追い出そうとする。

 だが、それも中々叶わなくて、思考は堂々巡りを繰り返すばかりで……その苦しみはただ増すばかりだ。

 チキの言葉が再び脳裏に響いた。

『聖王の末裔』、『神竜の力の欠片』……。

 彼女に流れる血筋がそれでないのなら、ルフレはこの旅が終わってもその傍に居られたのだろうか。

 考えても仕方の無い事を考えてしまう。

 

 初代聖王の伝説、神の剣ファルシオン、邪竜ギムレー……。

 遠い遠いお伽噺、ただの伝説でしかないと思っていたそれは、ルキナに直接繋がる物であった。

 伝説の英雄の直系の子孫、神竜の力の欠片を今に継ぐ者、イーリスを千年治め続けてきた血統の末裔……。

 ……森の奥深くに住むただの世捨て人とは到底釣り合わない、比べる事も並び立つ事も赦されない。それが、苦しい、哀しい。

 

 ルキナの事を考えていると心がざわつき、荒れる心の海の奥深くから何かがゆっくり目覚めてくる様な気すらする。

 それは、ギムレーの名を聞く度に感じていたそれに似ているが……いつものそれよりももっと激しいものであった。

 

 そう言えば、チキはギムレーが目覚めると言っていた。

 それがどういう事なのか何を意味しているのかは、その続きを聞く前にあの場を離れてしまったから分からないけれど。

 もしそんな事になるならば、ルキナもかつての聖王の伝説の様に、彼の伝説の邪竜であるギムレーと戦うのであろうか。

 その手に伝説の神剣を握り締め、あの砂漠に転がる巨大な骨の主と……神話の中の怪物と対峙するのだろうか。

 勇敢なる兵士たちを率いて、世界を救う為に戦うルキナは、きっとこの世の誰よりも美しいであろう……。

 ルフレはルキナの『人間』の姿を知らないが、そう確信する。

 何故ならば、あの美しい『竜』の本来の姿なのだから。

 ルキナに戦って欲しい訳では無いし、邪竜ギムレーが蘇る事なんて欠片も望んではいないけれど。

 この旅が終わればルキナの人生に関わる事など叶わないであろう自分の事を思うと、例え彼女に滅ぼされる怪物としてであるのだとしても……彼女の物語に永遠に刻まれ語り継がれるであろうギムレーの事が僅かばかり羨ましくもなる。

 ……無意味である上に余りにも馬鹿馬鹿しい考えに、ルフレは自分でも呆れ果てた。

 そして、これ以上余計な事を考えない様にと、夢すら見ない程の深い眠りの中へ無理矢理沈んでいくのであった。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 翌朝、まだ日が昇ってそう時間も経っていない早朝。

 ルキナとルフレは既に出立の準備を整えて、チキやサイリ達に見送られながら『ミラの大樹』を離れようとしていた。

 何故か、起きてきた時のルフレは、何処か難しい顔をしていたけれど……今は普段通りの表情に戻って。

 どう『真実の泉』を目指すのか、チキに再度確認していた。

 出立の間際、チキはルキナを呼び止めて、その懐から取り出した何かをルキナの方へと差し出した。

 ゆらゆらと揺らめく蒼い光を放つその玉は、見るからに何かの強い力を秘めているモノで。

 チキが取り出したそれを見た瞬間、サイリが焦る様に叫んだ。

 

「巫女様! それは『蒼炎』ではありませんか!! 

 それを何故この様な者達に……」

 

「良いのよ、サイリ。在るべき場所に帰す時が来ただけ。

 この子達ならこれを正しく使ってくれるわ……」

 

 チキはそう言って『蒼炎』をルキナに渡し、ルキナは受け取って良いのか迷ったが結局それをそのままルフレへと渡す。

 チキとサイリの、そしてルキナの様子から、それが非常に重要で貴重なものだと察したらしいルフレは、それを綺麗な布で包んでから慎重に懐へとしまった。

 

「ルキナ……これは必ず貴女に必要になる。

 ……勘の様なものだけど、私の勘は結構当たる方なの。

 だから、貴女に託すわ。ルフレ、どうか失くさないでね」

 

「はい、勿論です。……確かに、預かりました」

 

 ルフレは確りとチキに頷く。

 そして、そんなルフレを、チキはジッと見詰めた。

 そこまで見詰められる理由に何も心当たりが無いのか、ルフレは戸惑い助けを求める様にルキナの方へと目を向ける。

 だが、ルキナとしてもどうにもし難い事であった。

 

 

「あ、あの……。僕に何か……?」

「……不思議ね。貴方からは【私達】と同じ力を感じる……。

 凄く近いけれど同時にとても遠い様な、一見荒々しい様でいて……でもとても静謐に満ちている様な……そんな力……。

 ……貴方は、一体何者なのかしら……」

 

「あの……それは一体どう言う……。僕に何が……? 

 僕は……ただの……」

 

 ルフレが答えるべき言葉を迷っていると、突然にふわ……とチキは欠伸を零して眠そうに目を擦った。

 

「ごめんなさい、こんなに長く起きているのは久し振りだから……眠くなってきてしまったみたい。

 ……貴女達の旅路の無事をここで祈っているわ……」

 

 半ば夢心地の表情でそう言ったチキは、既にうつらうつらと舟を漕ぐ様にその身体を揺らし始めている。

 その身体を横に控えていたサイリが慣れた手付きで素早く支え、チキはその手を信頼しきっている様に身を預けた。

 うとうとと目を閉じかけているチキに代わりサイリは言う。

「すまないが巫女様は大分お疲れの御様子、暫しの眠りに就かれる故、見送りもここまでだ。

 巫女様から託された『蒼炎』をくれぐれも無碍に扱わぬよう。

 ……私からも旅路の息災を願おう。さらばだ、旅人よ」

 

 そう言って小さく手を振ったサイリに頭を下げ、ルフレとルキナは『真実の泉』を目指し、ヴァルム大陸の北西を目指し、『ミラの大樹』を飛び立つのであった。

 

 

 

 

 ……『ミラの大樹』を発ってから数日が過ぎた。

 チキの言う通りならば、恐らくあと二日もしない内に『真実の泉』があると言う山脈の連なりが見えてくるであろう。

 後少し、後一歩。

 そう考えるとやはり、何処か落ち着かない気持ちになる。

 早く辿り着きたいと逸る心と。

 そして、それに相反するかの様な……まだこの旅を終わらせたくないと言うそんな思いが、互いに混ざり合う。

 古の邪竜が蘇ろうとして……そしてそれまでにどれ程の時間が残されているのか分からない現状では、その復活に備えそれを防ぐ為の対応に使える時間は多ければ多い程良いだろう。

 ……『人間』に戻った後再び王城に戻った時に、父をどう説得するのかと言う問題はあるけれども。

 もしもの時も、『神竜の巫女』であるチキに何か一筆認めて貰えれば、託された『蒼炎』と合わせて皆を説得出来る。

 少なくとも父は、ルキナの説得を無碍にはしない筈だ。

 元より今も尚イーリスから奪われた『炎の台座』と『白炎』の捜索は密かに続いているのだから、それらをより大々的に探す事に否は無いだろう。

 ……だがそうやってギムレー復活の阻止を考える一方で。

 ルフレとの日々が終わってしまう事に未練を抱えていた。

 

 ルキナが王城に戻ったとしても、既に一度死んだ事になっているであろう自身の処遇がどうなるのかは分からないが。

 ……聖王家の血統を管理すると言う意味でも、その管理下から離れる事は出来なくなるだろう。

 ……あの森で、ルフレと二人静かに過ごすと言う細やかな『夢』は……どう転んでも恐らくは叶わない。

 ……ルフレを王城へ、ルキナが「在るべき」と定められた其処へ、連れ出す事ならば出来るのだろう。

 だがそれは、ルフレから森での暮らしを奪う事に他ならない。

 ある意味では酷く不自由でもあるその生き方を、そんな生活を望んでいるとは思えないルフレに強要して良い筈は無い。

 無理に連れ去ったとしても、そこにルフレにとっての『幸せ』があるとは、ルキナには到底思えなかった。

 

 ならば。……ルフレにとっての『幸せ』を思うならば。

 ルフレにとっての生きる場所……あの森での生活を乱さぬよう、『人間』のルキナはもう彼に関わるべきでは無いのだろう。

 ……だが、そう考える事、それを思う事は、酷く苦しくて。

 ……だからこそせめてこの時が、ルフレと二人で過ごせる時間が終わって欲しくないと、そう思うのだ。

 

『真実の泉』に辿り着いて『人間』に戻ったからと言ってそこで旅が終わる訳でも無く、少なくともイーリスに向かって帰る旅が再び始まるだけなのだが……しかし、そこでルフレに何を伝えれば良いのか何を言えば良いのかが分からない。

 何れ別れねばならぬのであれば、共に生きる事は難しいのであれば……『想い』を打ち明けた所で互いに傷付くだけなのではないかとも思ってしまう。

『真実の泉』に辿り着いてから、そして『人間』に戻れてから考えるべき事であるのかもしれないけれど。

 その時は刻一刻と迫っているのだ。

 それもあって、逸る気持ちとは逆に、まだ辿り着きたくはないとも思ってしまっている。そして……。

 

 ルキナは、チラリとルフレの方を見た。

 ルフレは相変わらず何も言わずに……深く何かを考えこんでいる様な、……何かを迷っている様な、そんな顔をしている。

『ミラの大樹』を発ってから、ルフレはずっとこうだった。

 地上に降りて休んでいる時も、こうして空を飛んでいる時も。

 ずっと何かを考え続けている。

 

 ……やはり、『ミラの大樹』を発つ間際、チキに掛けられた言葉が何か引っ掛かっているのだろうか。

【神竜族】であるチキと同じ力……それをルフレから感じると言っていたが、それが意味するモノが分からない。

【竜】の力、と言う事なのだろうか……。だがそれだとしても何故その様なものがルフレに……? 

 聖王の血を継ぐルキナから感じると言うならまだ分かるが。

 だが、チキのあの言い方だと、聖王家の血筋に受け継がれている神竜ナーガの力の欠片の様なそれでは無いのだろう。

 とは言え、ルフレは【竜】ではない。

 そんな素振りは全く見せなかったし、ルフレ自身でも何も思い当たる所は無さそうであった。

 

 しかしそもそもルキナはルフレについて知っている事は余りにも少なかった。

 森の奥深くに棲んでいる賢者、医術や薬師の知識と技術に明るいだけでなく、恐らくは呪術にもその才を発揮している者。

『竜』を助けようだなんて少し変わっている所もあるけれど、優しくて温かで誠実な人。

 ルキナにとってはそれだけで十分以上なのだけれども。

 彼の出自の部分……何処で生まれたのか、何故彼の母親は幼い彼を連れてあの森に流れてきたのかなど、それは分からない。

 恐らくはその全てを知っていた彼の母親は既に墓の下で……語る口など持ち合わせている筈も無い。彼の母親が遺した手記などに彼の出自を辿れそうなものなどは無いらしく……ルフレ自身が気にしなかった事もあって詳しく聞いた事すらもなかったらしい。偶然語る機会が無かったのか、或いは彼の母が意図的に彼の前から遠ざけ隠していたのかは分からない。

 ルフレ自身が知らない『彼自身』が、そこにあるのだろうか。

 ……それは分からないけれども。そこに何があっても、ルキナにとってルフレが大切な存在である事には変わらない。

 ただルフレ本人としては、突然に降って湧いた様なその疑問、『自分は何者であるのか』と言うある種哲学的なそれを、有耶無耶にしておく訳にはいかなかったのだろう。

 

 だからなのか、ここ数日の物思いに沈むルフレは、何処か昏く思い詰めた様な目をしている時がある。

 ……ルキナが何を言っても、そう言う悩みは本人がある程度自分で納得するまではどうしようもなくて、そもそも今のルキナはルフレに『言葉』を届ける事は難しいのだけど。

 それでも、抱え込み過ぎて悩んで苦しむ位ならば、少しでもいいから自分に話して欲しかった。

『言葉』を返せなくてもルキナはその言葉に耳を傾けるし、例えそれが叶うのは今だけだとしても、その傍に居るのだから。

 だが、そう伝える事すらこの身では叶わない。

『言葉』ではなく仕草で伝えようとしても、やはりそれだけでは伝えきれず……却ってルフレに気を遣わせるだけで。

 どうにもならぬ儘ならなさばかりが降り積もるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 ルキナが吐いた小さな溜息の音に、物思いに沈んでいたルフレの意識はふと現実に呼び戻された。

 そして、またやってしまっていたのかと心の中で溜息を吐く。

 

 ……ルキナが聖王家の人間であると知ってから……そして、ルフレが自分の『想い』を自覚してからずっと。

 ルフレは……想い悩み続けていた。

 相反する『想い』に、『願い』に、心を千々に引き裂かれそうになりながら……。

 ずっと……ずっとこうして傍に居たい、それがもう叶わないのであればいっそ、この旅が永遠に終わらなければ良いのにと。

 ふとした瞬間にはそんな事を考えてしまう。

 だが、『真実の泉』はそれまでの道程を考えればもう目と鼻の先と言っていい程に近く、旅の終わりはもう間近であった。

 近付きつつある『終わり』から、ルキナの手を掴んで逃げてしまいたい位なのに……しかし、ルキナの望みを叶えてあげたい、彼女を『幸せ』にしたいと言う『想い』がそれを許さない。

 ……もし、こんな身勝手で醜い『願い』を抱えているとルキナに知られたら、間違いなく軽蔑されるであろう。

 弱っている所に付け込んで、相手を束縛しようとしている事と何ら変わらないだろうから。

 それが恐ろしくて、こんな浅ましく澱んだ心をルキナには知られたくなくて……それなのにそれを殺しきれずにいる。

 そんな今の自分を、ルフレは心から嫌悪していた。

 

 しかし、そんなどうしようもない矛盾する欲望から思考を離れさせようとしても中々上手くはいかない。

 別れ際にチキに言われた言葉は確かに引っ掛かっているが。

 しかし、彼女の言う『力』とやらに何も心当たりはないし、万が一自分の出生に関する部分に何かあるのだとしても今の自分にそれを確かめる術はないのだ。

 それに、躍起になってまで確かめたい事でもない。

 だから、ルフレはそれ以上は考えない様にしていた。

 

 ……それに、チキに関して気になるのは別れ際の言葉よりも、託された蒼い宝玉の事であった。『蒼炎』と呼ばれたこの宝玉を……ルフレは何処かで見た事がある様な気がするのだ。

 だが、ルフレが生きてきた中でこの様な宝玉に触れる機会などある訳も無くて、記憶にない生まれたばかりの頃に見た可能性に関しては、この宝玉はずっとチキの元にあったと思われるのでそれもまた考え辛い。

 だが、何とも言えないが……宝玉を見ていると胸の奥がざわつく様な……そんな錯覚を覚えるのだ。

 ……チキがこれをルキナに託した事を考えると、これは聖王家に何か所縁があるものなのだろうか……? 

 

 聖王と宝玉……。

 ……確か母の手記の中に、それに近いものの記述があった様な気がするな、と。ルフレは手記を取り出してパラパラと捲る。

 その中にあった、『炎の紋章』と『封印の盾』の伝説……。

【竜族】の強大な力を秘め、時に【竜】を封じ、時に【竜】に力を与え、時に【竜】を守るなどと、【竜】の力をある種制御する力を持つ、【竜族】の秘宝……。

 かつて【竜族】の手から喪われ、それを構成する五つのオーブが散逸し、散ったオーブの一つ一つが強大な力を秘めていた為、時に悪しき者の手に渡り悲劇を作り上げてしまった神宝。

 かの古の英雄マルス王が再び蘇らせたと言うそれ。

 

 伝承の中では、五つのオーブが揃ったそれを『封印の盾』とする説と『炎の紋章』とする説があるらしいが……何分もう二千年は昔の事だ、それを確かめる術はない。

 そして、マルス王が蘇らせたそれと同じであるかは分からないが、『炎の紋章』は初代聖王の伝承の中にも現れる。

 神竜ナーガから託された神宝の一つとして……。

 しかし、イーリスに伝わっていたのは確か『炎の台座』と言う名の神宝である筈だ。途中で名前が変わったのか……或いはかつての様にそれを構成するオーブ……宝玉が再び散逸した為にその名なのかは分からないが……。

 後者であるならば、チキから託されたこの宝玉は『炎の紋章』を構成する為のそれあるのだろうか……。

 そしてそれは、今この世に目覚めようとしていると言う邪竜ギムレーと対峙する為に必要なものであるのだろうか? 

 かつての戦いの中で『炎の紋章』がどの様にしてその力を現したのかは伝承が途絶えているらしく分からないけれど。

 ……何にせよ、これを託されたと言う事は、ルキナは王族としても極めて重要な位置に居る者だったのだろう。

 そして、だからこそ一つの可能性が脳裏にちらつく。

 ……以前、近くの村で聞いた若くして亡くなった王女の訃報。

 初めて出会った時の、『竜』の堅牢な鱗すら易々と切り裂かれていた何らかの刃物による鋭利な傷……。

 イーリスに伝わる神宝の一つ、【竜】殺しの力を持つ神竜の牙……神剣ファルシオン。

 ……それらはまだ点と点でしか無いけれども。ルフレの想像はそれらを推測にも満たぬ妄想の糸で結ぼうとしてしまう。

 だが、その想像は全く以て気分が良いモノでは無い。

 もしその想像が当たっているならば……。

 ルキナは、王女の身の上でありながら、王家に伝わる神剣でその身を切り裂かれた事になる。

 そして伝説が正しいのであれば、神剣は誰にでも使える物では無く選ばれなければ振るう事すら叶わない代物で。

 イーリスの当代聖王は、数少ない神剣に選ばれた王としてその名をイーリス中に轟かせていた。

 ならば……ならばルキナは、実の父親に殺されかけたと……そう言う事になるのではないかと……そう考えついてしまう。

 だが、その想像をルキナ本人に確かめてみようとは……ルフレには全く思えなかった。

 それが事実だとしても、ルキナの心の傷を抉るだけであるし。

 何よりも、ルキナが王族である事をルフレが知っていると……そう悟られたくなかったからだ。

 もしそれが明らかになってしまうと、その瞬間にでもこの時間が終わってしまう様な気がして……。

 ルフレはまた一つ、心の中で溜息を吐いた。

 

 目の前に、雄大な山脈のその山裾が見えてくる。

 この山脈を幾つか越えれば、『真実の泉』に辿り着く。

 念の為何処かで一度降りて一晩を明かした方が良いだろうが。

 もう目的の場所は目の前だ。旅の終わりは、直ぐそこに在る。

 ルキナの傍に居る事が叶わなくなる時が、刻一刻と近付く。

 過ぎ行く時を惜しみ縋り付こうとする心を律しようとした。

 丁度、その時だった。

 

 ルキナの翼を掠める様にして、矢が高い音を立てて下から風を鋭く切り裂きながら飛んで来くる。

 何事か、と。下を見たそこには。

 幾十人もの兵士たちが矢の切っ先をルフレ達に向けていて。

 そして蒼髪の壮年の男が、憎悪に歪んだ眼差しで、ルフレを……否ルキナを怨敵を見るかの様に睨み付けていた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 山裾にその人物の姿を見付けた瞬間。

 ルキナは見た物を信じられず、思わず吼える様に叫んだ。

 

『お父様……!? そんな、どうしてここにお父様が……』

 

 イーリスに居る筈の……こんなイーリスから遠く離れたヴァルムの地に在る筈も無いその姿に、動揺を隠せない。

 いっそ偽物か幻かとも思うのだけれども。

 その昏く深い憎悪の炎とそれにより燃え滾る憤怒は、あの日ルキナをファルシオンで斬り付けてきた時のそれそのまま……いやあの時よりも更に深みを増したそれで。

 ルキナを射竦める様に睨むその眼差しには、怒りや憎悪とはまた別の……昏い歓喜の様な感情が混ざっている。

 まさに凶相と言っても良いその表情は、厳しくも優しかった……ルキナの敬愛する父の姿とはまるで重ならない程の、復讐心の炎にその身も心も焦がす獣の様ですらあった。

 それでも紛れも無く本物の父──当代聖王クロムであった。

 余りの事態に動揺したルキナは、次の瞬間にまるで地上から天に向かって降り注ぐ雨の様に放たれた矢の嵐を避け切れず、矢に翼を射抜かれてしまう。

 

『────ッッ!!』

 

「ルキナ! 大丈夫かい!?」

 

 翼を穿った矢の多くは羽を幾つか折るだけに留まったが、その内の数本が翼の付け根近くを傷付けて。背中を切り裂かれたかの様なその痛みに苦痛の悲鳴を上げたルキナは、飛び続ける事が出来ず地上に墜ちる様に不時着した。

 矢の雨の中でも、堅牢な鱗に覆われているルキナの身体が盾となっていた為に何とかルフレは無事だったが、墜落の衝撃でルキナの背から投げ出され地に身体を強く打ち付けてしまう。

 全身を打ち付けた痛みを抑えて立ち上がったルフレはルキナに駆け寄ろうとするが、ルキナの周囲を武装した兵士たちに素早く囲まれてしまい阻まれて。更にはそれに混乱し動揺した隙を突かれて兵士たちに乱暴に取り押さえられ、力尽くで地面に押し倒され身動きを取れなくさせられてしまった。

 

「……お前が、この『竜』の主か?」

 

 押し倒された状態のルフレの前へと近寄ったクロムは、ファルシオンを抜き放ち、ルフレの首筋へとその切っ先を突き付けながらゾッとする程の感情が窺えない声で尋ねる。

 

「……違う! 『主』なんかじゃない! 

 僕は……僕は! ……ルキナの友人だ!」

 

 ルフレは臆する事無く真っ直ぐにクロムを見上げ声を上げた。

 だがクロムは、感情を無理矢理剥ぎ取ったかの様な……激し過ぎる余りに却って凪いですら聞こえる声で問う。

 

「『ルキナ』……だと? お前はその名の意味を分かった上で……この『竜』が誰の命を奪ったか知った上で、そう呼ぶのか?」

 

「……命を奪った? そんな筈は無い。

 ルキナが誰かの命を奪うなんて、考えられない。

 貴方が何処の誰だかは知りませんが、きっと勘違いしているんです! だって、彼女は──」

 

 

「勘違いだと……!? 

 お前の方こそ、その『竜』の何を知っている!!」

 

 

 ルフレの言葉は、咆哮の様な……激昂したクロムの叫びによって遮られて。何かを続けようとしたルフレは、クロムの剣幕に圧されて何も言えないまま、困惑した様な目をする。

 そんなルフレの様子に構う事も無く、クロムは吼える。

 

「この『竜』が!! 娘を……ルキナを……!! 喰い殺した!! 

 その事実は、何がどうあろうと変わらん……!! 

 ルキナの墓に、骨の欠片一つ入れる事は叶わなかった……!! 

 ルキナは……骨すら遺せず『竜』に喰い殺されたんだ……!! 

 お前にその絶望が分かるか!? その怒りが分かるのか!? 

 俺は、娘を助ける事が出来なかった……!! 

 助けを求めただろう娘の悲鳴に気付く事すら出来ずに! 

 その仇すらとってやれずに『竜』を逃がしてしまった、この絶望が、この憎しみが、この怒りが!! 分かると言うのか!? 

 生きながら貪り食われたルキナの苦痛が理解出来るのか!? 

 何の事情も知らない様なら見逃してやるつもりだったが、『竜』を庇い立てすると言うなら、お前から殺してやる……!!」

 

 最早絶叫と言っても良い様な……苛烈な言葉と同時に、深い絶望と哀しみと怒りと憎しみが混ざり合って泥の様になった感情を吐き出しながら。クロムはファルシオンを握り締める手に力を籠める。その切っ先が触れた首筋の皮が薄く斬れて、紅い雫が線の様に滲み出した。

 

『止めて下さい、お父様!! ルフレさんは、何も悪くない、何も関係無いんです! ただ、私を助けてくれただけで……!!』

 

 それは余りにも悪夢の様な光景だった。

 父が、ルフレに剣を向けて……殺そうとしているなど……! 

 一体何故こんな事になってしまったのか、全く分からない。

 だが今はとにかく、『竜』への憎悪に囚われて怒り狂っている父から、何一つこんな場所で殺されたり傷付けられて良い理由など無いルフレを守らなければならない。

 父が愛する人を殺す様な事だけは絶対に阻止せねば、と。

 這ってでもルフレを守りに行きたいのに。

 灼ける様に痛む翼と、そしてルキナを油断なく取り囲む様に矢を向ける兵達の所為でそれも叶わない。

 故に、伝わらないと分かっていながらも、ルキナは吼えた。

 全身全霊の咆哮は、クロムの意識をルフレからルキナへと向けさせるに十分で。憎悪に染まり切った眼が、ルキナを射抜く。

 心に深く深く刻まれた癒えぬ傷痕が……ルフレとの日々の中で薄れつつあったそれが、その眼差しによって一気に蘇った。

 全てが変わってしまったあの日の、あの恐ろしい『死』と『孤独』と『拒絶』の絶望が、心を食い潰さんばかりに甦る。

 何とかしなくてはルフレを助けなくてはと、そう思う一方で。

 身体はまるで芯まで凍り付いてしまったかの様に動けない。

 

 ユラリと、まるで幽鬼の様な足取りで、クロムはルフレの前から離れてルキナへと近寄ってくる。

 その手の中で西日によって紅く輝く様なファルシオンが、まるで血に塗れた処刑用の斬首刀の様にすら見えた。

 それを、凍り付いた様に見詰める事しか出来ない。

 

「止めて下さい!! ルキナは……! 目の前のその『竜』は!! 

 貴方の! 聖王様の娘の! ルキナ王女その人です!! 

 貴方は今、ご自身の娘を殺そうとしている所なんですよ!?」

 

 ルフレの必死の叫びが、その場に響いた。

 どうして、何故、何時……と。ルフレが自分の素性を知っていた事にルキナは驚いたが、今はそれどころでは無くて。

 ルフレの必死の言葉にも、クロムは何も躊躇わない。

 

 

「この『竜』が俺の娘のルキナだと……? 笑えない冗談だな。

 その程度の見え透いた嘘で時間稼ぎをするつもりか? 

 ルキナは死んだ、この『竜』に喰われてな……。

 その事実は、何をしても覆りはしない……。

 ……ルキナへのせめてもの手向けだ。

 このファルシオンで、貴様がルキナへと与えた苦しみ以上の苦痛を与えて、地獄に送ってやる」

 

 憎しみのままに、クロムはその足取りを緩める事は無く。

 身動きの出来ぬルキナを前にして、復讐を果たせる昏い歓喜のままに、その口の端を歪める。

 そして、ファルシオンを振り上げた。今度こそ逃がさぬ様、一刀の下に首を落とすつもりなのだと、ルキナは悟る。

 

 ──ルキナの命運が尽きようとしたまさにその時。

 

 

「──ルキナっ!!」

 

 

 自身を取り押さえていた兵士たちを力任せに弾き飛ばす様にして振り払いルキナの元へと駆け出したルフレが。

 ルキナを守るかの様に、クロムとルキナとの間に飛び込んで。

 そして、振り下ろされたファルシオンをその身で受け止めた。

 振り下ろされたファルシオンの勢いのままに地に叩き付けられ、切り裂かれたその傷口から、血が溢れる様に零れだして。

 飛び散った血がルキナの鱗を赤く染める。

 辺りには、濃い鉄臭さが漂い出した。

 

『ルフレさん…………?』

 

 目の前の光景が、信じられなくて。ルキナは呆然と呟く。

 すると、地に伏したルフレが、僅かに身を起こして。

 自身の血で汚れたその手を、ルキナへと差し出して。

 まるで労わる様に……ルキナの顎の下を優しく撫でた。

 

「良かった……。ルキナが、お父さんに斬り殺される様な……そんな、哀しい事にならなくて。本当に、良かっ……──」

 

 血に汚れたその手が、再び力無く地に落ちる。

 支える力を喪ったその身体は再び地に倒れ伏して。

 ルキナが呼び掛けても、もう応える事は無い。

 死んでは、いない。今は、まだ。だがしかし、このままでは。

 

 突然の乱入に気が逸れたクロムであったが、その目に宿る憎悪は些かも変わらず、ルフレを斬った事に何の動揺も無くて。

 今度こそルキナを屠るべく、再びファルシオンを構え直した。

 

『──────ッッッ!!』

 

 その光景を前に、ルキナは『言葉』も失くした獣の様に吼え。

 鉤爪がルフレの身を傷付ける事すら最早構わずに、力一杯ルフレを抱き寄せて。怒りとも哀しみとも取れぬ感情のままに、蒼い炎の様な『竜』の息吹を地に吹きかけてクロムを遠ざけた。

 突然の目の前に燃え盛った炎にクロムや兵士たちが動き止めたその瞬間を見逃さずに、ルキナはルフレを離さぬよう抱き締め、力強く羽ばたく。翼を切り裂いた矢傷の痛みなど、感じる余裕などもう何処にも無くて。ルフレを抱き抱えたまま、ルキナは空高くへと逃げ去るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

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