『呪われた王女と森の賢者』【完結】   作:OKAMEPON

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第九話『心の在処』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 遺跡を後にして霧煙る山を下りたルキナは、程無くして『竜』を探し続けていたクロム達を見付けた。

 死んだものだとばかり思っていたルキナが、何一つ変わらない姿で現れた事に一同は騒然となっていたが。

 幻術でも偽物でも無い事をその場で証明してみせた途端。

 クロムは憑き物が落ちたかの様に、涙を滂沱と流しながら、ルキナを力強く抱き締めて。娘が確かに生きている事を実感して、誰に憚る事も無く号泣した。

 

 そんなクロムに、ルキナがこれまでの経緯を手短に掻い摘んで説明していくと。自分が斬り殺そうとした『竜』が他ならぬ娘自身であった事を漸く悟ったクロムは、後悔の余りに自らの腕を斬り落とそうとまでしたので一時大騒ぎになった。

 が、ルキナ自身、父からの贖罪など欠片も求めていない事もあってその場は何とか収まって。

 クロム自身はまだ混乱と後悔と過去の自分への怒りの渦中の中にあった様ではあるが、何とか和解する事が出来た。

 ルキナにとっては、殺されかけた事すら今は些事だったのだ。

 蘇ろうとしている邪竜ギムレーの事、そしてギムレーでありながらも『人間』として生き『人間』としての心を持つルフレの事。そんな彼を攫い、邪竜ギムレーとして復活を果たそうとしている『影』の事……。

 それらを説明していくと、流石に情報量が多過ぎたのかクロムは困惑していたが。チキから……そしてルフレから託された『蒼炎』を示すとその眼に真剣さが宿る。

 かつてイーリスに在った頃の『炎の台座』と『白炎』を見た事があるクロムは、ルキナの持つ『蒼炎』が間違いなく『白炎』と同質のものである事が分かったのだろう。

 

 とにかく今は、邪竜ギムレーの復活を……ルフレが『影』に喰われて邪竜に成り果てる事を防がなくてはならない。

 その為には、『神竜の巫女』であるチキの協力も仰がねばならないし、聖王であるクロムの力も必要だ。

 クロムは、自分も出逢った事のあるあの歳若い男が、彼の伝説の邪竜ギムレーの現身であった事に驚きを隠せず、また半信半疑であるようだったけれども。だがルキナが説明と説得を繰り返す事でそれを理解し、更には娘の恩人であるルフレを助ける事に全面的に賛成してくれた。

 本人の意識や願いはどうであれ、ギムレーである事には変わりがないルフレを、殺すのではなく「助ける」、と考えて貰える様にクロムを説得するのが一番大変だろうとルキナは内心思っていたので、クロムがあまりにもあっさりとそれを了承した事に正直拍子抜けする程に驚いた。

 ……しかし、クロムとしては、ギムレーである事など関係無くなる程に、それだけルフレへの感謝の念が深いという事なのだろう。危うく自分が斬り殺してしまう所だった娘を二度にも渡って救ってくれた恩は、彼のその本性が『人間』ではなく……邪竜と恐れられ語り継がれるギムレーであるのだとしても、僅か程もクロムにとっては揺るがぬものであったのだ。

 

 クロムの理解と協力の確約を得られたルキナは、直ぐ様『神竜の巫女』であるチキの元へと向かった。

 突然の再訪ではあったが、チキは快くルキナ達を迎え入れてくれて、ルキナの話を真摯に聞いてくれた。

『影』の出現とほぼ時を同じくして高まったギムレーの力を、『真実の泉』から離れた『ミラの大樹』の上でも感じたらしい。

 そして今、そのギムレーの力は、海を越えた先……恐らくはぺレジアのある方向から感じているとも、チキは言う。

 ルフレの正体を知ったチキは、彼への哀れみの様な感情と共にそれに納得と理解を示した。

 ……ルフレを『影』の手から救い出した後でどうすればいいのか、その答えはまだ分からない。

 チキ曰く、神竜の力を以てしても、ルフレがギムレーである事自体は変える事もどうする事も出来ぬものであるらしい。

 ただ……かつての伝説の様な世界を滅ぼす邪竜に変わってしまう事は防げるかもしれないと、チキは言った。

 ルキナにとってはそれだけで十分であったし、今は一刻も早くルフレを救出する事の方が大切であった。

 

『影』の言った『竜の祭壇』とは、ぺレジアの砂漠の只中にある神殿で……それは、かつての邪竜ギムレーの、その亡骸の心臓があった場所に建てられたものであるらしい。

 その詳しい場所はチキにも分からないらしいが……まああのギムレーの骨を追っていけば、凡その位置の見当は付く。

 この世で最も邪竜ギムレーの影響が強い場所であると言う其処に、恐らく今、ルフレは囚われているのだろう。

 

 ……今のルフレがどの様な状況に置かれているのか、どの様な状態であるのかは、ルキナには分からない。

 ……巨大な竜の姿が現れたと言う話は聞かないから、まだ『影』にその心を喰われた訳では無いと思うけれども。

 ……しかし、それが何時まで持つのかは誰にも分からない。

 明日かもしれない、明後日かもしれない、一か月後・一年後かもしれない。ひっくり返された砂時計に後何れ程の時の砂が残されているのか誰にも分からないのは、酷く恐ろしい事だ。

 首尾よく『竜の祭壇』に辿り着いて……しかしそこに居る彼が最早ルキナの愛したルフレではなくなってしまっていたら。

 自分は、どうするのだろう。彼に何をしてやれるのだろう。

 分からない。考えたくない。それが現実になるのが恐ろしい。

 ……それでも、「その時」が来る可能性にも、覚悟を決めておかなければならないのだろう。

 

 だからこそ、ルキナはその時が訪れるまでは、そしてそれをこの目で確かめるまでは、絶対にルフレを諦めない。

 その本性が『人間』でなくても良い、どんな姿でも良い。

 それこそ、辿り着いたその時に『人間』の姿ではなくなってしまっていたって良い。

 どんな姿であろうとも、そこにある心があの愛しい彼のモノであるのならば……優しく温かな『人間』の彼のモノならば。

 ルキナには、最後まで愛し通せる『覚悟』がある。

 ……ルフレは『竜』の姿でもルキナを愛してくれていた。

 言葉が交わせなくても、自分と掛け離れた姿であろうとも。

 相手を『愛』する事に、そんな事など何も関係無いのだ。

 

『愛する覚悟』を決める事が出来ると言う事は、ある意味では「救い」に近しいものであった。

 諦めも、絶望も、その全てを置き去りにしてただそれだけを目指して走り続けられるのだから。

 傷付く痛みよりも、もっと激しく熱い『想い』が、この足を、この心を突き動かす。

 揺らめく様に微かに残る『希望』へと、躊躇わずに全力で走り出していける、その『希望』を最後まで信じられる。

 ルフレの不安と恐怖を拭い去る為に、あの手を掴む為に。

 愛しい人の為に、己が出来る全てを賭けられる。

 

 遠く海の彼方の、そこに在る筈の『竜の祭壇』の方向を向いて、ルキナは決意と共に囁いた。

 

 

「待っていて下さい、ルフレさん。必ず、迎えに行きます」

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 意識が戻った時、ルフレは光の射さぬ薄暗い部屋に、手を縛られて転がされていた。

 頼りなく揺れる小さな灯火だけが唯一の光源で。

 大きな獣の胎の中に居るかの様な気味の悪い居心地の悪さを感じるのに、何故か酷く懐かしくも感じる。

 だが、その懐かしさに反して全く見覚えの無い場所だった。

 

 ── ここは一体何処だ……。自分は一体、直前まで何を……。

 

 何故か腹の辺りが痛むが、手を縛られている為手で押さえる事も出来ず。困惑しながら周囲を見回そうとしたその時。

 

「……漸く目覚めたか」

 

 薄暗い部屋の中。その薄暗がりに溶け込むかの様に、そこに何者かが佇んでいた。

 その姿を認識した瞬間、ルフレの頭は割れる様に痛む。

 

「お前は……! ルキナは何処だ……! まさか……」

 

『真実の泉』で現れた、ルフレの『真なる影』を名乗る存在。

 ルフレの本性……邪竜ギムレーと呼ばれる怪物の心を持った、ルフレ自身だと、この者は自分をそう称した。

『人間』である筈の自分が、伝説に謳われる邪竜そのものであるだなんて到底信じられないけれども……。

 だが、『影』に無理矢理に見せられた『真実の泉』に映った自分の顔は……『化け物』としか呼べぬ『何か』であった。

 三対の紅い眼、前方に長く伸びた一対の角、暗紫色の鱗に覆われた異形の相貌……。

 自分の姿とは似ても似つかぬ……醜く悍ましい『化け物』のそれを、『真実の泉』はルフレの『真実』であると示した。

 到底受け入れ難い筈のそれを……心の何処かでは、静かに受け止めてしまっていて。だが、それを認められずに拒絶した。

 すると『影』は、ルフレの心を折る為にルキナを甚振ろうとして、その首を絞めて……。

 そこから先の記憶は酷く曖昧だ。

 この場にルキナが見当たらない事が良い事なのか悪い事なのかすらも分からない。

 ……もし、ルキナが殺されていたり、酷く傷付けられていたりしていたその時は……。

 最悪の事態を考えた瞬間、酷く凶暴で破壊的な衝動が激しい嵐の様にルフレの心を支配する。

 ルフレの様子を黙って観察していた『影』は、ルフレの言葉に僅かに肩を竦めた。

 

「やれやれ……『人間ごっこ』で腑抜けているだけかと思ったら、本性の部分もしっかり残っているじゃないか。

 この分なら、お前を完全に喰らってもギムレーとして蘇るのに支障は無さそうだね。まあ安心したよ。

 さて、ルキナの事なら……『僕』としては残念な事に、彼女にはまだ「何も」していないさ。

 彼女はまだ『人間』だよ。ここには居ないけどね。

 全く……面倒な事をしてくれものだ。

 あの瞬間に『蒼炎』を彼女に託したんだろう? 

『蒼炎』さえ揃えば『覚醒の儀』を行えたと言うのに……。

 だがまあ……彼女はここに自らの意志で来るだろうけども。

 他ならぬお前を助ける為にね。

 ……全く、美しい『愛』じゃないか。反吐が出る」

 

 そう吐き捨てた『影』は、にまにまと嗤いながらルフレの髪を乱暴に鷲掴みにして、その耳元で囁く様に言う。

 

「この邪竜の領域とも呼べる場所にのこのことやって来て無事でいられる訳が無いのにねぇ……。

『愛』なんて無価値な衝動のままに生きる事は全く愚かだ。

 まあ、『僕』が生まれたこの場所で、彼女を歓待するのも悪くは無いさ。光一つ届かない闇の如き、とびきりの絶望を贈ろう。

 お前も愉しみだろう? 

 お前の望み通り、彼女の全てを……意志も魂も尊厳も何もかもをお前のモノに出来るんだから」

 

「僕は……そんな事は絶対に望んでいない……! 

 僕はただ……ルキナと共に生きたいだけだ」

 

『影』の悍ましい言葉を、身動きが取れないながらもルフレは心から否定する。

 ルキナを自分のモノにしたいと望んだ事など一度も無い。

 ルキナは……彼女の全ては、彼女自身のモノだ。

 それを、彼女以外が力尽くで踏み躙って良い訳は無い。

 だが、『影』はそんなルフレの言葉をせせら笑った。

 

「共に生きる? 彼女と? お前が?? 

 くっふふふっ、あぁ可笑しいねぇ、馬鹿も休み休み言いなよ。

 神竜の下僕のあの娘が、邪竜たるお前と共に生きるなんて! 

 お前が言う所の『化け物』を本性に持つ者と、『人間』の彼女が、共に生きられる訳は無いだろうに! 

 お前の本当の姿を知れば、彼女とてお前を拒絶するさ! 

 お前たちが言う『愛』なんて、所詮はその程度の薄っぺらいものでしかない。無意味で無価値なものだ。

 ギムレーであるお前が、共に生きたいとそう心から『願う』と言う事は、即ち彼女の全てを縛り付けて己が物として、彼女を邪竜の眷属とするしかないのさ! 

 そんな事も理解出来無いとは……全く以て愚かだね!」

 

 大笑いしながらルフレの身体を揺さぶってくる『影』のその言葉に……ルフレは何も言い返せなかった。

 

 ルフレ自身も……、共に生きると言う『願い』は到底叶わないと、そう思っていたから……。

 王女と平民と言う身分の差なんて処の問題では無くて。

 邪竜と、それを討つ使命を負う一族の姫君。

『人間』に非ざる悍ましい『化け物』と、『人間』。

 いっそ、ルキナが【呪い】によってその身を窶していた様な美しい『竜』ならまだマシだったかもしれないが。

 己の本性であると示されたそれは、まさに怪物と……『化け物』としか呼べない様な……見るからに邪悪なもので。

 こんな『化け物』が『人間』と共に生きる事なんて出来はしないと……あの瞬間にルフレは絶望と共に諦めを感じていた。

 ルキナだって……あの姿を見れば、きっとルフレを拒絶する。

 あの眼差しが、恐怖と嫌悪感と拒絶に染まる瞬間を想像するだけで……いっそ死にたくなってしまう。

 

 ……だけれども、やはり『影』の言葉に頷く訳にはいかない。

 例え、自分の細やかな……今となっては大き過ぎる『願い』が叶わなくても、それはもう良いのだ。

 共に生きられなくても、二度と逢えなくても。それで良い。

 ただ、同じ空の下の何処かにルキナが居てくれるのなら。

 遥か遠い場所でも、そこでルキナが『幸せ』になってくれるなら、愛しい人が心から笑っていてくれるなら。

 そしてそれを信じて、遠く離れた場所で、二度とは逢えぬ愛しい人の『幸せ』を祈り願えるなら、もうそれだけで良いのだ。

 ルキナの自由を奪ってまで、彼女が彼女として思うがまま望むがままに生きる権利を奪ってまで。自分の『願い』を押し付けたいとは思わないし……それを是とするのはルフレにとっては『愛』ではなく『悪』そのものであった。

 

 自分の本性とも呼べるそれが『悪』と示されるものであったとしても、どう生きるか何を成すかは自分の意志で決められる。

 だからこそ己が『人間』と共に生きる事は叶わない『化け物』であるのだとしても、愛した『人間』に殺される未来が待つとしても、ルフレは最後まで『人間』としての自分を貫き通す。

 そして、『化け物』としてルキナに討たれる未来が待ってるのだとしても、それを受け入れるつもりであった。

 例えルキナに『化け物』だと拒絶されたとしても、それを決して恨まない、怒りなど感じない、ただただ受け入れる。

 ルフレにとって、『愛』とはそう言うものだった。

 そして、それ程に『愛』する者がこの世に存在していると言う事は、限りない喜びであり幸福であった。

 

 ……『影』は、『愛』を無意味だ無価値だと嗤う。

 ……『影』の言う通り、『影』こそが邪竜ギムレーの本来在るべきであった心や人格……その在り方であると言うのならば。

 今のルフレは、ギムレー自身にも理解不可能な程に得体の知れない気味の悪い価値観と意志を獲得しているのだろう。

 だからこそ『影』はルフレを排除し、その心を屈服させて、ギムレーとして本来在るべき在り方に戻ろうとしている、

 ……その為に、ルフレの心を折る為ならば、『影』は何でもしようとするだろう。……それこそ、ルキナに手を出してでも。

 

 ……ルフレは、ルキナに逃げて欲しかった。

『蒼炎』を託したのは、『蒼炎』に執着している『影』に嫌な予感を覚えたのと、あれは本来ルキナに託された物だからで。

 決して、それを手に死地に飛び込んできて欲しいなんて、欠片も願ってはいなかったのだ。

『真実の泉』に独り置き去りにされたのだとしても、近くには彼女の父親である聖王が居るのだし、『人間』に戻れた状態ならば聖王も彼女の言葉に耳を貸すだろう。

 ギムレーの復活を阻止する為に戦う必要があるのだとしても、それは彼女の役目では無い筈だ。

『影』の手の届かない場所で、平和に生きて欲しかったのだ。

 

 ……だけれども。

 ルフレを救い出す為に、先陣を切ってでもこの闇の中にルキナは飛び込んで来てしまうと。そんな確信めいた予感がある。

 だが、それを待ち構える『影』が何の策も弄さぬ筈は無く。

 とても危険な目に遭うだろう、もしかしたら酷く傷付く事になるのかもしれない……。それを想像するのは酷く恐ろしい。

 

 そして。……「助けに来ないでくれ」とそう願う一方で。

 もし、この深い闇の底にまで、あの蒼い輝きが射し込んでくれるのならば……、と。そんな事も考えてしまう。

 そんな矛盾した思考を抱えつつも、ルフレは今唯一ルキナの為に出来る事を……最後まで足掻き続けようと決意する。

 

 何があっても、何をされても。

 決して『影』には屈しないと、この身を邪竜ギムレーとしての本性のそれに明け渡してはなるものかと。

 邪竜ギムレーの復活が、例え僅かな間でも遅れるように。

 ルフレは、ルキナの存在を心の支えにして。

『影』に抗うのであった……。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 行きは空を飛んで渡った海を、今度は船で渡っていく。

 目的の港も、海流の関係でぺレジアではなくフェリアの方だ。

 ぺレジアの『竜の祭壇』に向かうにしても、フェリアに辿り着いた後に一度イーリスにまで戻る必要がある為に、『竜の祭壇』に辿り着くまでにどれ程の時間が掛かるのか……。

 一刻の猶予も無いかもしれない中では、どうにもならないと言うのに気持ちばかりが焦って空回りし眠れない夜がある。

 そんな時は、気持ちを落ち着かせる為に、甲板に出て夜空を見上げる事にしている。遮るものが何もない満天の星空を見ていると、ルフレと共に旅をしていた時に見上げた夜空を思い出し、彼が直ぐ近くに居てくれているかの様にすら思えて。

 不安で仕方の無い夜も、少しすれば眠れる様になるのだ。

 

 ルフレが『影』に攫われてから、もう二週間が過ぎた。

 上手く海流に乗り風を掴まえられたらしい船は、予定よりも遥かに早く進んでいて、あと一週間もしない内にフェリアに辿り着けるらしい。

 だがその後の陸路にかかる時間を思うと、気はどうしても焦ってしまうし。この背にまだ翼があれば、真っ直ぐ彼の元へ向かえるのに……だなんて事も考えてしまう。

 

 甲板に固定されていた樽に腰掛けて夜空を見上げて重く溜息を吐いていると、横の樽に誰かが静かに座った。

 誰だろうと、横を向くと。そこに居たのは父であった。

 

「こんな夜中に甲板に出ていると風邪を引くぞ。

 夜空を見上げるにしても、もう少し暖かい格好をしてくれ」

 

 そう言いながら、父は温かな毛布をルキナに手渡した。

 それに礼を言って、ルキナはそれを羽織る様に被った。

 冷えた夜の海風で少し冷たくなっていた身体が、じんわりと温もりを取り戻し始めた。

 

「すみません、お父様……気を遣わせてしまって……」

 

「いや良い、気にするな。俺が勝手にした事だ。

 ……せめてこういう事だけでも、させてくれ」

 

 父はルキナを見て慚愧の念に絶えないと、苦い顔をする。

 ……父の中では、未だに自分が娘を斬り殺しかけた事実は消化しきれてないのだ。ルキナがそれを最初から赦していても。

 それは仕方の無い事であるのかもしれないが……。その心に刺さった棘を、どうしてやれば良いのかルキナには分からない。

 ルキナとしては、ルフレを救い出す事に協力してくれるだけで十分以上にその贖罪に当たると思うのだけれども……。

 

「お父様……その、本当にもう良いのですよ。

 あれは、不幸な行き違いで……お父様に非がある事では……」

 

 確かにこの心は深く傷付いたし、一度は死線を彷徨いもしたが……その結果としてルキナはルフレに出逢えた。

 それが、『影』が言った様に、無意識の内に自らの身体に絡み付いたギムレーの【力】に引き寄せられた結果だとしても。

 どんな因果があったにせよルキナがルフレに出逢えたと言う事実だけがそこに在り、そしてルキナにはそれで十分なのだ。

 それに、ルキナが言葉を話せなかった状態で、あの状況下にあってそれを誤解するなと言うのは暴論である。

 あれは、誰にとっても仕方が無かった事なのだ。

 

「いや、最初は……仕方が無い事だったのかもしれない。

 だが、二度目の……『真実の泉』に向かう途中であったお前たちを襲ったのは、何の言い訳も出来ない事だ……。

 あの男……ルフレ、だったか。彼の言葉に、俺は耳を貸さなかった。あの『竜』はお前なのだと、そう自分の命乞いをするでも無く、必死に言ってくれた彼の言葉を……。

 俺は、戯言だと……一蹴して。そして、お前を斬った。

 ……彼がその身を挺してまでお前を庇わなければ、俺が振るったファルシオンは、お前の命を絶っていた……。

 俺は、……憎しみと怒りに囚われる余りに、お前を切り捨ててしまっていたんだ……。

 ……お前の事を一番に思うのなら、彼の言葉の真意をまず確かめるべきだった。殺してしまっては、何も確かめようがない。

 それなのに、俺は……」

 

 父は、深い後悔に沈み、その心を自ら苛む様であった。

 ……その後悔を、自らを責め苛むその心の束縛を、ルキナはどうする事も出来ない。

 ……だが、そんな後悔も懺悔も、ルキナは欠片も望んでいないのだ。そしてそれは、ルフレもそうであろう。

 

「私は……お父様を責めません。でも、お父様がそれを望まないと言うのであれば……お父様の行いを赦さない事にします。

 ……『赦される』事が、決して幸いな事とは限らない事を、私も知っていますから……。

 ……ルフレさんは……、お父様に斬られても、お父様を決して恨んでも責めてもいませんでした……。

 あの場で動けなかった私の事も、何一つ責めず。ただ……。

 親が子を殺す様な悲劇にならなくて良かった、と。

 ただそれだけを喜んでいたんです……。

 ……責められないと言う事は、決して楽な事では無い……。

 ……大切なモノを傷付けてしまった時、その原因になった時。

 自分を責めるその苦しみの出口を、哀しみの行き先を、『償い』の形で昇華する手段すら喪ってしまうのだから……。

 ……だから、お父様。

 私に、ルフレさんに、償いたいと言うのであれば。

 どうか……ルフレさんを助け出す為に力になって下さい。

 それこそが、『償い』になるのではないでしょうか」

 

 誰も決して過去には戻れない。起きてしまった事、成してしまった事を変える事は誰にも出来ない。

 だからこそ、後悔を抱えてでも前へ前へと歩き続けなければならないのだし、己の罪はこれからの未来でその帳尻を合わせなければならないのだ。

 そうしてその先で漸く、己の罪を自分自身が赦せるのだろう。

 だからこそ、最初から咎めてもいないし責めても居ないのだけれども。ルキナは父を『赦さない』事に決めた。

 父が赦されるのは、彼自身が自分を『赦した』その時だろう。

 それが何時の事になるのかは、ルキナには分からない。

 今の父自身にも分からない事であろう。

 己を責め苛む者が己を『赦す』と言う事は、それ程に難しい。

 だからこそ、父の心を縛る枷が少しでも緩む様に、ルキナは本心では求めていない『償い』を求めた。

 

 ルキナの言葉に驚いた様に目を僅かに見開いた父は、少ししてから何処か感慨深げな……そんな苦笑を浮かべる。

 そして、ルキナの頭を優しくも力強い手で撫でた。

 

「……何時の間にか、強くなったな、ルキナは。

 …………ほんの少し前までは、片手で抱き上げてやれる位に小さかった気もするのに……。時が経つのは早いものだな」

 

 感慨深気にそう言う父に、ルキナは少し気恥ずかしくなる。

 

「も、もう、お父様……。片手でなんて……そんなに小さい頃なんて、もう十年近くも昔の話ですよ?」

 

「そうだったか? だが……本当に大きくなったな。

 俺が見守ってやらねばと……ずっとそう思っていた。

 産まれたばかりのお前を抱き上げたのが、ほんの少し前の事だった様な気すらしているのに。何時の間にか、お前はこんなにも確りと、自らの意志で決め、そして進む強さを持っている。

 ……子供の成長とは、斯くも目覚ましいものだな。

 ……やはり、『恋』をしているのか? あの男に」

 

『恋』と、父に言われたルキナは頬を赤らめる。

 それを父に指摘されるのは、何とも面映ゆいものであった。

 だが、それを否定する事は当然出来なくて。

 コクリと、そう無言ながらに小さく頷くと。

 

「はあ……」と、父はそう大きく溜息を吐き、ぐしゃぐしゃと自身の髪を右手で掻き乱した。

 

「そうか……『恋』か……。

 ルキナにはまだ早いと……そう思っていたのだがな……。

 いや、誰かに『恋』をする事に早いも遅いも無いか……。

 しかしそうなると、ルキナに相応しいか見定める必要が……。

 だが、そもそも彼がルキナの命を救ってくれたのだし……」

 

 ブツブツと、ルキナには聞き取れない声で何かを呟く父の顔はひどく真剣なモノで。一体どうしたのかと戸惑ってしまう。

 

「あ、あの……? お父様……?」

 

「いや、大丈夫だルキナ。少し、これからの事を考えていてな。

 しかしルキナが『恋』をするとは……本当に大きくなったな。

 ……大切な誰かを、心から『愛』する誰かを見付けられた事は、……間違いなく、とても素晴らしい事だ。

『愛』する事で傷付く事はあるだろう。

『恋』が必ず叶うとも限らない。

 ……それでも、共に生きたいと思える誰かに巡り逢えた事は、何よりもの『幸い』になる。……俺がそうだった様に、な。

 だから、その『想い』を大切にするんだ。そこに希望は在る」

 

 優しい顔でそう言った父に、ルキナは確りと頷いた。

 

「はい、お父様……! 

 私、絶対にルフレさんを諦めません……! 必ず、助けます!」

 

「そうだ、その意気だ。

 ……安心しろ、ルキナ。

『神竜の巫女』殿曰く、昔から、『恋をする女の子は最強』であるらしいからな。お前の『想い』は、きっと届くさ」

 

 そう苦笑する様に言った父に、ルキナもつられて微笑む。

 ギムレー復活の一大事を前にして、『ミラの大樹』を離れてルキナ達と共にやって来てくれたチキは、何かとルキナに優しくしてくれて、悩み事や不安を和らげる手助けをしてくれていた。

 そんな彼女が、度々そう言って励ましてくれていたのを、父も聞いていたのだろう。

 そんな心遣いが、今はとても嬉しかった。

 

 目指す先はまだ遠いが。そこに囚われている彼を思って。

 ルキナは、祈る様にもう一度夜空を見上げるのであった。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 邪竜ギムレー……否、その『影』は、苛立ち続けていた。

 これが有象無象の『人間』ども……地を這う虫ケラどもに対する苛立ちであるならば、その場で存分にその者達を殺戮してその鬱憤を晴らせるのではあるけれども。

 その苛立ちの原因がよりにもよって『自分自身』……、『影』としての在り方を考えると、その主たる人格に対してなのだからそうそう簡単にこの苛立ちをぶつける訳にはいかない。

 不愉快甚だしく、全く以て不本意ではあるのだけれども、今の自分……こうして思考し仮初ながらも実体を持つ己は、あの腑抜けた『人間モドキ』になってしまった『自分』の、その『影』でしか無いのだ。あの『人間モドキ』を殺す事は、即ち自分自身の消滅を意味するのだし、そもそも『影』にしか過ぎぬ自分の力では、曲がりなりにも『邪竜ギムレー』であるあの『人間モドキ』の肉体を殺す事は出来ない。

『影』である自分に出来るのは、『人間モドキ』に成り下がったあの人格を精神的に圧し折って、自らが主になる事なのだが。

 それがどうして中々上手くいかないのである。

 

 肉体的な苦痛は可能な限り与えてみたし、精神的な苦痛も勿論与えてきた。『人間』ならとうに廃人になっている。

 だが、あらゆる面で揺さぶりをかけていると言うのに、あの『人間モドキ』は多少揺らぎこそはしても常に耐え続け、ありとあらゆる拷問に屈さずにいる。

 この『竜の祭壇』に連れ去って来てから、そろそろ一カ月半が経とうとしているのに……未だその心は折れない。

『人間モドキ』の心が折れない限り、『影』が主たる人格に戻る事は叶わず、そして『邪竜ギムレー』としての復活も無い。

『人間モドキ』が、『邪竜ギムレー』として蘇る事を頑なに拒否している以上は、不完全な『炎の紋章』で疑似的な『覚醒の儀』を行い力を取り戻す事も難しい。

 

 宝玉が五つ揃った完全なる『炎の紋章』があれば、『人間モドキ』の意志など無関係に『覚醒の儀』を行えただろうが……。

 その最後の一つ……外界から殆ど隔絶された環境かつその警備も最も厳しかったが故に、ギムレー教団の力を以てしても手に入れる事が叶わなかった、『神竜の巫女』が所持していた『蒼炎』は。一度はこの手の内に在ったと言うのに、『人間モドキ』の小癪な浅知恵であの神竜の下僕の末の手に渡っていて。

 この身が『真実の泉』の力を借りて造った仮初のものであり、自身が『影』であるが故に、『影』はあの『人間モドキ』の傍をそう離れる事は出来ず、『蒼炎』を回収しに行く事も難しい。

 精々がこの『竜の祭壇』内を動き回れる位の自由しかない。

 全く以て、全てが不愉快であり、苛立ちばかりが募る。

 

『影』……否、『ルフレ』は、この『竜の祭壇』で生まれた。

 ギムレーの血をその身に取り込んだ者達が、その身に流れるギムレーの血と因子をより濃くより濃くする為に、『人間』の身には気の遠くなる程の時間と執念と悍ましい手技と呪術のその試行錯誤の果てに産み出した存在。

 千年の封印が緩み始めた隙間から抜け出してきたギムレーの魂が、それを収めるに相応しい肉の器に宿った存在。

『人間』の肉体の殻を被りつつも、その中身は全く『人間』とは異なる人に非ざる者、神の現身。

 それが、『ルフレ』と言う存在であった。

 千年の封印が完全に解けた時には、『邪竜ギムレー』として覚醒を果たす事を定められし者。……そうである筈だったのに。

 

『ルフレ』を身籠りそして産んだ女が、まだ乳飲み子であった『ルフレ』を連れて出奔した所から全てが狂い始めた。

 女が放浪の末に辿り着いたのは、あろう事か神竜の力が濃く残る森で……その森に残る力が、『ルフレ』からギムレーとしての記憶も力への自覚も奪い、本来の人格を深く眠らせた。

 ギムレーとしての記憶も無く、ギムレーとしての人格も眠り続けていたが故に真っ新になっていた『ルフレ』は、『人間』としての人格と記憶を積み重ね始め……そうやってギムレーとしての本来の在り方からはどんどんと乖離していった。

 そうして、あの『人間ごっこ』ですっかり頭の中を壊されてしまっている『人間モドキ』が出来上がったと言う訳だ。

 

 女が出奔した理由は『影』には分からない。

 世界を滅ぼす邪竜を自らが産み落としたのだと言う事実に耐えられなかったのか、或いはギムレー教団が中枢に居る信徒に施す洗脳が何らかの要因で解けてしまったのか……。

 何にせよ、そのまま教団に留まり続けていれば、神の現身を産んだ女として何不自由ない生活が約束されていたと思うのだが、女はそれを全て投げ捨てて教団から生涯追われる事を承知の上で出奔したのだ。全く、理解に苦しむ。

 ……まあ、女の出奔を許した教団員たちは、既に処理されているので今更『影』が新たに制裁を加える必要は無い。

 寧ろ、未だ完全には【力】の戻り切らぬ『影』には、幾ら虫ケラ同然の『人間』であろうと、邪竜ギムレーに絶対の忠誠を捧げている教団員達は有用な手駒である為、何の意味も無く徒に消費するのは『影』とて惜しむ。

【力】を取り戻し【竜】として完全に蘇ったその暁には、教団の信徒たちは全員を贄として喰い殺すつもりであるので、今から餌を自ら減らす様な愚かな事をするつもりは無かった。

 

『影』がこうして『竜の祭壇』に帰還するまでに『蒼炎』を手に入れられなかった事に関しては、不問にする事とした。

 どうせ、『蒼炎』はあの聖王の末が持って来るのだ。

『蒼炎』と神竜の力の欠片の気配が、『竜の祭壇』の目と鼻の先にまで近付いてきているのを『影』は既に感知している。

『真実の泉』から『人間』の足でここまでやって来たのだとしたら中々に早い到着だろう。

 それ程までに、聖王の末は『人間モドキ』に執着している。

 だが、この邪竜の領域に飛び込んでくるには、準備も覚悟も足りていなさ過ぎるのではないだろうか。

 聖王の末の気配の他にも、あの鈍に成り下がったファルシオンとその主の気配と、神竜族の娘の気配も感じはするが……。

 その程度の軍勢なら、『影』が出るまでも無く潰してしまえる。

 丁度、こちらにもそれなりに優秀な手駒……確かファウダーとか言ったか……が居るのだ。それに任せてみるのも良い。

 この肉体の「父親」にあたる駒だが、自らが崇める神その物である『ルフレ』……そしてその『影』に絶対服従の意を示し、既に自らの意志で半ば屍兵となる事で死を半ば超越している。

 中々に役立つ手駒として、この一カ月半程の間に『影』はファウダーを使い続けていた。

 ……『竜の祭壇』に訪れる神竜の手の者達の相手はそれで良いとして、やはり問題はあの『人間モドキ』の事であった。

 

 このままでは、『蒼炎』を手に入れて『覚醒の儀』を行ったとしてもどんな支障が出るか分かったものではない。

 どうにかしてその心を折りたいものなのだが……。

 しかし、あの聖王の末をその目の前で徒に甚振るのも危険な行為であった。

『人間モドキ』は聖王の末に強く執着しているが故に、それを傷付ける事は決して赦そうとはしないし、ギムレーとしての本性以上の凶暴性を発揮してあの娘を傷付けた者へ報復するだろう。……例え『影』であっても、その【力】には抗えない。

『本体』と呼ぶべきモノは、あの『人間モドキ』の方なのだ。

 故に、『人間モドキ』にその【力】を行使させない様に、【力】を自覚させない様にした上で、その心を折らねばならない。

 それは中々の難題であった。

『人間モドキ』はあの娘への強い執着……『人間』が『愛』だのと呼ぶそれを心の支えにして、『影』に抗っている。

 そして、その支えを折る事は並大抵の事では叶わない。

 

 いっそ、あの娘が、『人間モドキ』の心を殺してくれれば話は早いのだが……。

 

 そう考えた時、一つの妙案が『影』の脳裏に閃いた。

 そしてそれは検討すればする程、これ以上に無く素晴らしい方法だと思えてくる。

 上手くいけば、『人間モドキ』の心を壊すだけではなく、あの娘にも最高の絶望を与えてやれるだろう……。

 全てのタネを明かし、あの娘の前で真にギムレーとして蘇る瞬間を想像するだけで、これまでの積み重なった苛立ちが全て吹き飛ばされていくかの様だった。

『影』は上機嫌に、『人間モドキ』を閉じ込めてある部屋の扉を開け、中に拘束されたそれを有無を言わさず引き摺り出す。

 手足を拘束され身動きの取れない中でも必死に抵抗する『人間モドキ』を、『影』は『竜の祭壇』の最奥……ギムレーの力が最も強く、『覚醒の儀』を執り行う為の祭壇が設けられているそこまで引き摺って行く。

 そして、祭壇に安置された不完全な『炎の紋章』に手を翳してから、もう片方の手で『人間モドキ』の顔を掴んだ。

 

 

 

「喜びなよ? もう直ぐ彼女がお前を助けに此処に来る。

 全く呆れるよねぇ……こんな場所にのこのこ飛び込んで来るなんて。愚かだ。だが素晴らしい『愛』じゃないか。

 その『愛』に免じて、『僕』はお前を自由にしてやるよ。

 尤も……その姿で、彼女の元に帰れるかは別だけどねぇ……」

 

 

 

『影』の手の下で、不完全な『炎の紋章』の力によって『人間モドキ』の姿は歪んでいく。

 その有様を見て、『影』は愉悦の嘲笑を零すのであった……。

 

 

 

 

 

 

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