えっ?錬金術って釜かき混ぜるだけじゃないんですか? 作:どか0623
夏の暑さが少しだけ和らいだある日の午後、工房の引き戸がガラリと開いた。
「よっ、カール。邪魔するぜ」
入ってきたのはサンライズ食堂のイクセルだった。
「いらっしゃい、イクセルくん。仕込みは終わったの?」
「おう、ランチのピークが引けたからな。ちょっと息抜きだよ。……なぁカール、お前の古式錬金術で、何か食堂で出せる新しいデザートのアイデアとかなかったりするか?」
「デザート?」
聞けば、食堂の定番デザートが少しマンネリ気味で、手軽に仕込めて日持ちもするような焼き菓子を探しているらしい。
ちなみに最近では、俺も街の人たちから「古式錬金術士」として認知され始めている。
それはそれで誇らしいことではあるのだが、如何せん実力が追いついていないだけに、大層な肩書が身の丈に合わない衣服のように感じられて少し落ち着かない。
デザート、焼き菓子……。
そういえば、と思い当たる。親父たちの仕送りの中に紛れ込んでいた、やけにファンシーな表紙の参考書――『楽しいお菓子作り』のページに、それらしいレシピがあったはずだ。
「ちょっと待っててね」
本棚から引っ張り出してめくると、すぐに目的の項目が見つかった。
「【スイートパイ】……小麦粉、ハチミツ、スイートエキス、中和剤(緑)。必要器具は片手鍋、と」
「へぇ、パイか。いいじゃねえか。どんな味なんだ?」
イクセルが身を乗り出してくる。
その瞬間、机の端からペペチが俺にスッと目配せをしてきた。
(おい店主殿、ピンと来たぜぃ)
(……奇遇だなペペチ。俺もだ)
俺たちは無言のアイコンタクトを交わす。
うちの工房は飲食店じゃないし、小さな焼き窯があるだけで、毎日パイを大量に焼いて店先で売る設備も人手もない。
ならば、この参考書の知恵を活かして試作品を作り、レシピをイクセルに有償で買い取ってもらうのはどうだろう。イクセルは新しい看板デザートが手に入り、うちは仕込みの手間なしでレシピ開発料が手に入る。まさにWin-Winの取引だ。
ペペチに叩き込まれてきた「商売の現実」と、元サラリーマンとしての損益計算が、綺麗に噛み合った瞬間だった。
もちろん、正規のレシピとして売るからには、単にこれを渡すだけじゃダメだ。味や品質が不安なまま渡す訳にはいかない。
「よしイクセルくん、試しにひとつ焼いてみるよ。気に入ったら、このレシピを有償で譲るってことでどう?」
「お、話が早くて助かるぜ。味次第じゃ即決で買い取ってやるよ」
「ただ、材料の抽出やら生地を寝かせるのやらで、丸一日はかかるから。明日の昼過ぎにもう一度来てくれないかな」
「りょうかいだ。楽しみにしてるぜ」
イクセルを見送り、俺はさっそく作業に入った。
参考書をよく見ると、肝心のスイートエキスは手元にない。まずはこの中間素材の仕込みからだ。
■用意する材料
・砂糖水:適量(糖分のベース)
・花から抽出したエキス:数滴(華やかな香気)
・中和剤(青):適量(結晶化を防ぎ、液性を安定させる)
■使用器具
・ビーカー
・アルコールランプ
・ガラス撹拌棒
ビーカーに濃いめの砂糖水を入れ、アルコールランプの火にかけてゆっくり温める。
そこへ、野花から抽出したエキスを数滴落とす。ふわりと甘くフローラルな香りが立ち上ってきた。
沸騰させないよう微火を保ち、自家製の『中和剤(青)』を滴下する。
青の中和剤が持つ冷却と安定の作用により、砂糖水は冷えてもジャリジャリに再結晶化することなく、とろりとした極濃度のシロップへと凝縮されていく。
温度計を見ながら、撹拌棒でひたすら混ぜ続けること半日。
日が傾き、工房が夕暮れに染まる頃、ようやく黄金色に輝く濃厚シロップ――『スイートエキス』が完成した。
スプーンの先につけて舐めてみると、あまりの甘さに「もう甘いのはごちそうさまです」と頭を抱えたくなるほど甘い。
これを冷暗所で一晩寝かせ、本日の作業は終了となった。
+
明けて翌日。
朝から今度はパイ本体の仕込みに取り掛かる。
■用意する材料
・小麦粉:適量(パイ生地のベース)
・ハチミツ:適量(甘味と保水性)
・スイートエキス:少量(昨日仕込んだ超濃厚シロップ)
・中和剤(緑):数滴(生地のグルテン調整と膨らまし)
■使用器具
・片手鍋
・のし棒
・焼き窯(工房の調理用オーブン)
片手鍋にハチミツとスイートエキスを入れ、弱火で軽く温めて滑らかな蜜ソースを作る。
ボウルにあけた小麦粉に自家製の『中和剤(緑)』を数滴垂らし、水を加えてこねていく。緑の中和剤の成分が生地をサクサクに膨らませる役割を果たす。
生地を寝かせ、のし棒で何度も折りたたんでは薄く伸ばす。
蜜ソースをたっぷりと包み込み、表面に細かく砂糖をまぶしたら、工房の隅にあるレンガ造りの焼き窯へ放り込んだ。
火加減を見張りながら、じっくりと焼き上げることさらに一時間弱。
「……よし、焼けた」
昼過ぎ、窯から取り出したのは、黄金色に焼き上がった手のひらサイズのスイートパイだった。
幾重にも重なったパイ生地がサクサクと持ち上がり、表面の砂糖がキラキラと光っている。
香ばしいバターとハチミツの匂いが、工房の外まで漂っていきそうだ。
「おお、いい匂いが外までしてるな!」
ちょうどそこへ、引き戸を開けてイクセルがやってきた。
約束通りの時間だ。
「よっ、カール。約束通り焼き上がったみたいだな。どれ、さっそく味見を――」
イクセルが手を伸ばしかけた、そのときだった。
「――はっ!」
バタンッと、勢いよく扉が押し開けられた。
仁王立ちになっていたのは、買い物カゴを抱えたロロナちゃんだった。
「あ、ロロナちゃん。いらっしゃい」
「カッシュくん……この匂い、まさか……パイ!?」
ロロナちゃんの目が、かつて見たことがないほどカッと見開かれた。
獲物を見つけた獣のような気迫で、スタスタと作業机の前まで詰め寄ってくる。
「ロロナ……? どうしたんだよ急に」
イクセルはロロナちゃんの勢いに戸惑っている。
「……こ、これは……生地の層の立ち上がりがすごく均一だし、表面の砂糖の焦げ目が完璧……! それに、この独特の甘い香りは何!?」
「ええと、参考書に載ってたスイートエキスの香りかな……?」
同じく気圧された俺が答えると、ロロナちゃんはぎゅっと拳を握りしめ、青い瞳に対抗の炎を宿した。
「カッシュくん、ずるいよ。私に内緒でこんな美味しそうなパイを焼くなんて」
「いや、ずるいって言われても……」
「私、アトリエ存続の課題と同じくらい、毎日パイの研究をしてるんだから! パイ作りだけは……パイ作りだけは、絶対に負けられないよ!」
パイに対する執念が凄すぎる。
すると、いつの間にか復活したイクセルが横で腕組みをして、フッと挑発的に笑った。
「へぇ、言うじゃねえかロロナ。だがな、サンライズ食堂の看板を背負う料理人として、パイの味で錬金術士に負けるわけにはいかねえな」
「イクセくんまで……!? 望むところだよ! 最高のパイを焼き上げてみせるもん!」
「上等だ! プロの料理人の技を見せてやるぜ!」
バチバチと火花を散らすふたり。
俺はそっとペペチのほうを振り返った。
「……なぁ、ペペチ。俺は、ただレシピを売りたかっただけなんだけど」
「おいおい店主殿、何をぼさっとしてんだ」
ペペチはニヤリと笑みを浮かべ、机の上でパチパチと手を叩いた。
「おもしれえ。錬金術士、料理人、そしてうちの工房による『職人通り・秋のパイ頂上決戦』だぜぃ! 審査員を集めて、試食の入場料を一人10コール巻き上げてやるぜぃ!」
便乗して入場料だと!?
流石はペペチ、抜け目がない。
とはいえ、二人の了承すら得ていないのに勝手にそこまで決めて良いのだろうか?
確認しようと振り返るが、時すでに遅し。
イクセルは食堂へ厨房器具を取りに走り、ロロナちゃんはアトリエへ釜の素材を取りにダッシュしていった。
嵐のように去っていったふたりの背中を見送った後、ペペチは勢いよく俺へ指示を出す。
「おい店主殿、客集めと会場の設営はオイラが仕切るぜぃ! オメエは審査員用のパイをもうひとホール焼いときな!」
「イエス、ボス!」
俺はビシッと敬礼して焼き窯へ向き直った。
秋の日の午後。
こうして職人通りを巻き込んだ、意図せぬパイ対決の幕が上がろうとしていた。