えっ?錬金術って釜かき混ぜるだけじゃないんですか? 作:どか0623
工房先で開催したパイ対決の熱狂から数日が過ぎ、職人通りにはようやくいつもの落ち着きが戻っていた。
宣伝効果は抜群で、うちの工房の場所を知った近所の住人たちが、たまに店先を覗いていってくれるようになっている。
そんな昼下がり。
机の上で腕組みをしていたペペチが、ふんと鼻を鳴らして俺を見上げてきた。
「おい店主殿。秋風が吹いてきたってことは、もうすぐ本格的な冬が来るぜぃ」
「そうだね。朝晩はずいぶん冷え込むようになってきたよ」
「のんきに頷いてんじゃねえよ。冬は客足が鈍る魔の季節だ。寒波が来る前に、冬用の売れ筋新商品を考えろ!」
「えぇ……急に言われてもな」
冬の定番といえば何だろう。
「保存食とかどう? 燻製とか干し肉とか――」
「却下だぜぃ! 保存食なんざ、仕入れルートを牛耳ってるティファナの雑貨屋と、本職のイクセルの店に敵うわけねえだろ。餅は餅屋だ、そんなレッドオーシャンに突っ込んでどうする」
「れっど……まあいいや。じゃあ、身体が芯から温まるお酒とかは?」
「オメエ、脳みそまで冷え切ってんのか。ステルクの旦那に酒類の販売はキツく釘を刺されたじゃねえか」
「あ、そうだった……」
保存食もダメ、酒もダメ。
冬に向けて一体何を売ればいいのか。
ヒュルリと、開け放した工房の木戸から冷たい秋風が吹き込んできた。
「……ハックション!」
思わず盛大なくしゃみが出た。鼻をすすりながら首をすくめる。
「おいおい、風邪か? 軟弱な店主殿だぜぃ」
「風邪じゃないよ。ただ……急に冷えてきたからな。こういう季節の変わり目って、どっと夏の疲れが出たり、体調を崩しやすくなるんだよ」
そう呟いた瞬間、俺の頭の中にピンと閃くものがあった。
「……体調、か」
春先、ロロナちゃんへの差し入れに作った人間用の『栄養剤』だ。
オニワライタケの毒素を中和して作ったあの滋養強壮ドリンク。あれをベースにして、冬の寒さと疲労に耐えられるよう、さらに効果を底上げした上位薬が作れないだろうか。
書棚へ向かい、親父とお袋の仕送り参考書『ヘルメスの薬』を引っ張り出す。
薬学の後半のページをめくっていくと、まさにぴったりの処方が見つかった。
「……あった。【フィルフル】」
解説文には『これを飲めばどんな疲れも一発解消。お風呂あがりに1本飲めば、明日の朝はスッキリ爽快』とある。
てか、これ書いたの誰だよ。
解説じゃなくて販売用のうたい文句みたいになってるじゃねえか。
「なぁペペチ、これならいけるんじゃない?」
「ほう……フィルフル。栄養剤の上位互換か。材料と器具は何が必要なんだ?」
「材料はうちにあるものばかりだ。ただ……ちょっと工程が多くて手間がかかるな」
【調合アイテム名】フィルフル
古式錬金術における最高峰の滋養強壮薬。
栄養剤の覚醒・疲労回復成分をベースに、ミスティカの血行促進作用とハチミツの栄養を濃縮。粘度と油分が極めて高いため、遠心分離器で不純物を沈降させ、ろ過器で極限まで澄ませる必要がある。
■用意する材料
・栄養剤:1本(以前調合したストック)
・青のアロマ:1個(すり潰して有効成分を抽出)
・ハチミツ:適量(滋養強壮と飲みやすさの向上)
・中和剤(緑):1本(乳化と成分の安定調停)
■使用器具
・乳鉢、乳棒
・ビーカー、ガラス撹拌棒
・手回し式遠心分離器
・精密ガラスろ過器
「よし、仕込みに入るか」
まずは乳鉢に青のアロマを放り込み、粉々になるまで磨り潰す。ミスティカハーブ特有のスーッとする清涼な香りが立ち込める。
ビーカーに栄養剤を注ぎ、そこへアロマの粉末とたっぷりのハチミツを投入した。
とろりとしたハチミツと、アロマに含まれる油分が、水溶液の中でマーブル状に混ざり合っていく。
そこへ自家製の『中和剤(緑)』を数滴垂らし、撹拌棒で入念に練り合わせる。
「うっ……すげえ色になってきたぞ。濁りまくりじゃねえか」
ペペチが顔をしかめた。
中和剤の作用で油分と水分は乳化したものの、ハチミツの濃厚な糖分とアロマの微粒子が絡み合い、ビーカーの中はドロドロとした泥水のような緑褐色に濁り果てていた。
「このままだと、普通のろ過器に通した瞬間にフィルターが目詰まりして何日経っても落ちてこないんだ。……だから、あいつを使う」
俺が工房の奥から引っ張り出してきたのは、金属の頑丈なスタンドに据え付けられた、奇妙な器具だった。
円形ドラムの中に4本の真鍮製スリーブが放射状にぶら下がり、上部には大きな手回しクランクがついている。
「なんだこの機械は?」
「『遠心分離器』だよ。見たことなかったっけ? いつも蜂の巣からハチミツ絞るときにも使ってたやつ。液体を猛スピードで回転させて、重い不純物だけを底に叩き落とす道具だよ」
「ハチミツ? そんなもんサンライズ食堂やティファナの店に行けば普通に売ってるじゃねえか」
「え? マジで?」
……まあいいか。
衝撃の事実だけど、今は忘れよう。あとで一人で落ち込もう。
気を取り直し、白濁した液体を専用のガラス試験管4本に等量ずつ注ぎ分け、対角線上にセットする。
ドラムのフタをしっかり閉め、クランクの木製グリップを握りしめた。
「いくぞ……!」
ガガガッ、とギアを噛み合わせ、手首のスナップを利かせてクランクを一気に回し始める。
最初は重かったハンドルが、回転数が上がるにつれてキュイイイインと甲高い風切り音を上げ始めた。
回転の力――遠心力。
重力のおよそ数百倍の負荷が、試験管の中の液体にかかり続ける。
ただ腕を回すだけの地味な作業だが、これがとにかく重労働だった。
「クソッ……これ、何時間も回し続けなきゃいけないのか……!」
「おい店主殿、回転数が落ちてるぜぃ! もっと腰入れて回せ!」
「言うのは簡単だけどな……腕の筋肉が千切れそうだ!」
途中でペペチと交代(といっても妖精の体重ではクランクが重すぎてすぐ音を上げたが)しながら、腕をパンパンにしてクランクを回し続けること数時間。
ドラムの回転を止め、あとは一晩じっくり静置して完全に分離するのを待った。
完成したのは翌日の夕方。
ようやく落ち着いたドラムから、慎重に試験管を引き抜いた。
「……おお!」
思わず声が漏れた。
試験管の底には、茶色い泥のような不純物と余分な沈殿物がカチカチに固まって沈んでいた。
そしてその上には――濁りひとつない、鮮やかなエメラルドグリーンの澄んだ液体が、綺麗に分離していたのだ。
「すげえな……あんな泥水が、綺麗に分かれちまうのか」
「最後はこの上澄み液だけを吸い出して、精密ろ過器に通すんだ」
スポイトで澄んだ層だけを丁寧に吸い上げ、多段ろ過器に注ぎ込む。
ポタ……ポタ……と、ガラス管を通ってフラスコへ落ちていく。
作業開始から約1日半。
小瓶に詰め替えられたのは、夕暮れの光を浴びて深緑色に輝く滋養薬――『フィルフル』だった。
「よし……完成だ!」
コルク栓を抜き、まずはスプーンに一滴垂らして舌に乗せてみる。
――ッ!
口いっぱいに広がったのは、ハチミツの濃厚で優しい甘み。
続いてミスティカの爽やかな清涼感がすっと鼻を抜け、独特の薬草臭さは見事に打ち消されていた。
「いけるな……」
確信を得た俺は、小瓶を手に取り、そのままクイッと一本飲み干してみた。
飲んでから30分くらい経った頃だろうか。
胃の腑からじんわりと温かい熱が広がり、カーッと血流が全身を巡っていった。
「……効くな。栄養剤の比じゃないぞこれ。身体の芯から温まる」
「ハチミツのおかげで飲みやすいな。これなら誰でも続けられる味だ。まぁ45点ってとこだ」
ペペチはニヤリと口の端を吊り上げ、出来上がった数本の小瓶を満足そうに眺めた。
「『お風呂あがりに1本飲めば、明日の朝はスッキリ爽快』……いいキャッチコピーじゃねえか! パイ対決で客足も増えてる今なら、飛ぶように売れるはずだぜぃ!」
「よし、さっそく棚に並べよう」
俺たちは自信満々で、手書きの看板とともにフィルフルを店先の特等席に並べた。
秋の冷え込みが厳しくなる職人通りで、この冬の主力商品として大ヒットしてくれることを信じて。
――この時の俺たちは、商売の厳しさをまだ本当には理解していなかったのだ。