元の世界へ帰りたい男 作:バルバルバル
異世界転移…よくそういった言葉が、俺がいた世界には流行っていた。それを取り扱う小説や漫画も若者には人気だった。俺も当時はその一人だった。つまらない学校生活、汚い現代社会。その現実から目を背け、浪漫溢れる異世界へと飛び立ちたいと夢を見ていた。
だが、俺は考えを改める。どんなに汚れた世界でも、そこは俺の生まれた所だ。そこが故郷なのだ。本来俺のいるべき拠り所なんだ。
だから、この閉じ込められた森の中で願い続けていた。
元の世界へ帰りたいと。
ーーー
「おはようございます、あなた。今日は起きるのが早いわね」
「あぁ、何となく目が覚めた」
暖炉からパチパチと、薪の燃える音が小気味に鳴り響く。そして放出される熱は寝室から出た俺の身体を芯から暖めてくれる。
テーブルには、パンと薄切りにスライスされた肉。そして湯気を放つスープが置かれていた。全て妻が作ったものであり、彼女の作る朝食は俺のすこし眠気で曇っている脳を活性化させるには十分な程に美味である。
「最近は陽が落ちるのも早いですし、もうすぐ冬越しに備えるべきですね」
「そうだな…」
俺が席に座って朝食を摂り始めると、彼女は何時も俺の対面の席に座ってこちらを見つめる。
「…食べないのか?」
「私のことなら大丈夫ですよ。既に食事は終えてますから」
俺の問いかけに、朗らかに笑う妻。
彼女は、10人中10人は振り向くほどに絶世の美女だと豪語できる。柔和な雰囲気で、夫である俺に対して献身的に支えてくれている彼女はまさに良妻の鑑である。そんな事を思うと同時に、何故凡才である俺と夫婦になってくれたのか、疑問を抱く。
朝食を食べ終えた俺は、狩りの準備を行う。雪は降っていないものの、空気は乾燥し肌を突き刺すように凍えている。森に住む動物達も冬眠の準備へと入ってくる為、この時期の狩りも間近に終わりを迎える。
それ故に少しでも獲物を手に入れなければならない。
気合を入れていこうと弓を携えながら呟いていると、妻がくすくすと微笑んでいた。
「頑張るあなたもとても素敵ですが、ご無理はなさらないで下さいね」
「あぁ。俺もなるべく早く帰るよう用心するよ」
俺は玄関まで歩むと、後ろから花の匂いが霞む。そして不意に背中から柔らかい感触を感じた。妻が抱きついているのだろう、これは何時もの流れである。出かける際に彼女は俺を後ろから抱きついてくる。側から見れば仲睦じい光景のように見えるが、抱きしめられている俺にとっては少し恐ろしく感じてしまい、動悸が起きる。
「…絶対に帰って来てくださいね」
「あ、あぁ…」
狩りに危険はつきものである。追い詰められた獣が命を賭けた抵抗を行い、それに重傷を負ってしまう狩人は後を絶えない。更にはこの森では狩人すらも、獲物としてなり得る程に獰猛な獣すらも存在する。
妻の懇願するその言葉は、普通の人ならば…いやこの現地の人であれば、そういった森の危険性に対して、身を案じる様に聞こえる。
だが…俺にとって、そうは到底聞こえないのだ。彼女の異様な程に強い抱擁。そして、何より何時もとは低く、僅かに震えている声。
何処にも帰さないという、狂気染みた執着が妻から感じ取れる。
結婚をしても、彼女と愛を紡いでも、生涯をこの地で終えると伝えても。
妻は勘付いているのだ。
俺が元の世界に未練を抱いている事に。
ヤンデレはいいですね。現実にいてくれたらいいんですけど。