あの夜以降僕の日常は劇的な変化を遂げた。
なんてことはなくシンプルに忙しくなった。バイトして346プロへと打ち合わせに行って空いた時間にはノートパソコン片手にうんうんと頭を捻らせる日々。
時折楓さんとキャラクターのすり合わせのために顔を合わせる。その度打ち合わせなんて名目でいろんなところを連れまわされて挙句居酒屋に拉致られる日々。
それはそれで楽しかったけど残念なことに参考には全くならなかった。
一番ひどかったのはあれだ、346プロのお姉さま方の飲み会に拉致られた挙句方々の介抱に東奔西走させられたことだ。
まぁ、普段テレビで見ることのできない三船さんの色っぽい姿が見れたのでそこについては楓さんに感謝している。あの後すごくネチネチとそのことについて弄られたのだけれど。
そんなこんなで父の背中を本格的に追いかける日々が始まって三週間が経った頃だろうか。僕の元へと大崎さんから一本の電話が寄こされた。
「楓から話は聞いてる。調子はどうだ?」
電話越しの大崎さんはそう言って笑っていた。
「ってかいつの間に口説いたんだよ」
「あはは……あの時は返事すぐには、貰えなかったんですけどね」
「まぁでも、半分ぐらいかな」
「何がですか?」
「俺が予想していたものとの差、かな」
「どういうことです?」
「ん、いやぁ。あいつ、アイドルはやっぱり辞めるんだとよ」
「そうですか」
寂しそうな声がやけに印象的だった。楓さんの言葉が意味することは大崎さんの物語が一つ、終わりを告げる言葉と同じだからだ。
「悲しんでるって感じじゃなさそうだな」
「そうですね、僕にとっては楓さんがアイドルかどうかなんて関係ないんです」
「随分と強い言葉を吐くな」
「そんなつもりはなかったんですけど、そう……なんでしょうか」
「理由、聞いてもいいか?」
受話器越しにライターの音が小さく聞こえる。短い付き合いだけど大崎さんについて一つ気づいたことがある。タバコに火をつけた時だけ、彼はプロデューサーという肩書を捨てる。
タバコの先端に火が燈るということは、これから電話越しの彼は一人の人間に戻るという合図だった。
「確かにアイドル高垣楓、”歌姫”高垣楓というのは耳障りの良い偶像です。僕も最初はそんな彼女に憧れてました。でも、この数か月楓さんと過ごして思ったんです。僕が憧れた世界というのは高垣楓という一人の女性が作り上げた夢の結果なんです。だから、楓さんが楓さんらしく前を向いてくれるのならば、僕は彼女が何を背負っていようと関係ないんです。彼女が何者でも、その背中を僕は追いかけていくだけなので」
「なんていうかさ、眩しいよ」
「そうですかね……」
「大丈夫だ、熱いのは嫌いじゃないぞ。俺もそんな時期があった。心配すんな。大人には大人のやるべきことがあるってもんだ」
「ありがとうございます」
「それよりも……」
「なんです?」
「締め切りは守ってくれよ。俺、七瀬君を買ってるんだ。方々にもう頭下げてあんだよ。いい話が上がってくるからって。……大丈夫か?」
「大丈夫……だと思います」
「自身なさげだな」
「最後の台詞だけ無いんですよ」
「無い?」
「ええ」
穴が開くんじゃないかというほど見返したメモ。シンシアを追いかけるカインが最後に彼女のことを想う場面。故郷を旅立つ彼の心境。誰かに話すのか、それとも彼の独白なのか。
父のメモにはそれが無かった。
父は、この最後の場面をどう表現するつもりだったのか。
「最後のシーンのメモが無いんです。父のメモを見て精一杯繋ぎ合わせたつもりです。でも、そこだけどんだけ探しても見つからなくて……。昔の父の脚本も見返しました。最後の場面ってどんなやり方してるんだっけっなんて。でも、なんか……違うんです」
「分かった……」
「分かったって何がですか?」
「適当に誤魔化しとけ」
「とんでもないこと言いますね!?」
「そう言う大事な言葉ってな」
受話器の向こうからはまたライターの音。大崎さんは二本目のタバコに火をつけた。
「きっと出てくるタイミングってのがあんだよ。それが今じゃないだけだ」
「だから誤魔化しとけと?」
「ああ、ま、そこは彼と相談だな」
「か、彼?」
「内緒だけどな、何となく配役は決まってる」
「え、配役決まってって、大崎さんそこまでできるんですかっ!?」
「俺を誰だと思ってるんだ。高垣楓をトップアイドルまで引き上げた男だぞ」
「その言葉の説得力凄すぎるので大崎さんを妄信します」
「よろしい。人狼ゲームだと七瀬君は最後まで残されるタイプだな」
「嫌な例えだけどわかりやすいっ!」
「七瀬君、聞いたよ」
あれから数週間後、僕は346プロのとあるオフィスで今西部長と対面していた。
「出来たらしいじゃないか」
「まぁ、一応は……」
「そうか、よかったよ」
窓から見える景色は既にすっかり秋づいており、街並みを彩る街路樹もその姿を茶色に染め上げていた。カレンダーの日付も十月の終わりを告げており、その数字は僕に時の進むスピードをまじまじと感じさせてきていた。
「色々と……ありがとうございました」
「色々?」
「ええ、父のメモの件もそうですし……。八月の伊豆大島へのロケの件も便宜を図ってくれたのは今西部長ですし」
「気にしないでくれ。ヒロには恩義があるんだ」
「ヒロ?」
「ああ、君のお父さんのことだよ。僕はそう呼んでいたんだ」
「仲、よかったんですね」
「そうだなぁ……。懐かしいよ。でも、君もこう見てみるとだいぶ似てきたなぁ」
「えっ?」
「お父さんに、だよ。夢や野望にギラギラとしていたあの頃のヒロに、今の君はちょっと似ている」
その言葉が妙にくすぐったく感じてしまい、僕の右手は無意識に鼻の先っぽへと向かってしまう。
父に似てきた……かぁ。あの偉大な父に近づけている。そう言われると素直に嬉しかった。
「だけど、まだ終わりじゃないよ」
「分かっています。物語は、誰かに読まれて初めて物語になる。心の中に閉じ込めておくだけじゃただの妄想になってしまいます」
「覚悟はもうとっくに決まっているようだね」
「はい、僕は父を理解しに行きます。父に追い付いて、そして、父を超えるために」
「そうかぁ……大きくなったなぁ」
「まだまだ大きくなる予定です」
「はははっ!これは失礼したね。期待して待っているよ」
「期待だなんて……。いや、こういうのは応援してる方に向かっては失礼ですね。精一杯頑張ります」
「良い心意気だ。楽しみにしてるよ」
「はい、それでは失礼します」
オフィスを後にして外に出ると偶然志乃さんがロケバスに乗り込むところが目に入った。向こうもこちらに気づいたらしく、一つ頭を下げると志乃さんも小さく手を振り返してくれた。
いろんな人が期待して、応援してくれている。そのことに改めて気づかされたのだと分かると心の奥がギュッとなるのを感じた。期待されるって、なんというかこんなに誇らしいことなんだな。
それからの日々はこれまで以上に怒涛の連続だった。これは文字通りの意味でいろんな人に挨拶して、何度も大崎さんをはじめとした偉い人たちと打ち合わせを交わした。
今まで”バイト”の文字が埋め尽くしていたスケジュール帳も次第にその文字が別のものに変わっていき、それを目にする度に自分の日常が改めて変化していくことを痛感する。
そんなこんなで僕は今日、今後のアルバイトをしばらく休むという旨を伝えに店長に伝えるべくバイト後のスタッフルームで一人彼の到着を待っていたのだった。
「お疲れ様です」
「おう七瀬、お疲れ。ってかお前帰ってなかったのか」
難しそうな顔で何やら大量の紙束を抱えた彼が現れたのは、僕がスタッフルームに入ってから三十分が経とうとしていた頃だった。
「何持ってるんです?」
「あー、納品書だよ。明後日までに纏めなくちゃなんなくてな。めんどくせぇ。なんで未だに紙なんだよって話だよな。遅れてんだようちの会社は」
そんな愚痴に思わず僕は苦笑いを浮かべる。何というか、誰もが誰もどこかで苦労をしているんだな。
「で、お前はどうしたんだよ。もう着替えて帰ったもんだとばかり」
「あー、店長にお願いというかお伝えしなきゃいけないことが……」
「なんだ、物書きの夢が潰えて実家にでも帰んのか?」
「冗談。逆ですよ逆」
ケラケラと笑う彼の顔が僕の言葉で一瞬素に戻る。驚いたような顔を浮かべたかと思えばすぐにそれは笑顔に変わり、というか……。これあれだ、子どもを見つめる親の顔だ。
「辞めんのか?」
「辞めはしないんですけど……、来月のシフト、ちょっと二週間ほど全く入れない期間が欲しいなと思いまして」
「それはちょっと極端……。まぁしゃあねぇわ。ほんとに人が居ねぇ時だけ聞くかもしんねぇけど適当に断ってくれ」
「え、あ、はぁ」
「それにしても、なんかデカい仕事か?」
「僕の本が、舞台になることになりまして」
「やったなっ!346の仕事か?」
「はい」
「なんだ、大崎と寝たりでもしたのか?」
「辞めてくださいよっ。でも、大崎さんには良くしてもらいました」
「そうか」なんて小さく満足そうに呟くと店長は先ほどまで手にしていた紙束を机の上に放り投げた。大崎さんと店長は友人だったな。過去に何があったのかは知らないけれど、そんな表情をするだけの何かが二人の間にはあったんだろう。
「あいつの名前が出てくるってことは結構大きな舞台なんだな」
「店長、詳しいですね」
「まぁ、俺も色々あったからな」
「詳しくは聞かないでおきます」
「ありがてぇ。で、主演は?」
カチリ、とライターの音が響き渡ったかと思うと店長は口元から紫煙を一息天井に向かって吐き出した。
「それは流石にまだ言えません」
「だよなぁー。でも気になるなぁ。ヒントだけでもないか?」
「ヒント……そうですねぇ、じゃあ一つだけ」
「おっ!」
子どもみたいに目をキラキラさせる店長の背中越しに、彼女の姿が目に入った。ポスターの中、ビールジョッキを片手に朗らかな笑顔を浮かべる彼女。
そういえばうちの店で打ち上げをしてた時も随分と楽しそうに飲んでたな。それ以降に連れまわされた居酒屋でも、アルコールを口にしていた彼女はいつも嬉しそうだった。
「そうですね、お酒が大好きな人、とだけ」
酒好きを公言している楓さんだけど、流石にいちファンの立場だけじゃあそこまで彼女がうわばみだとは知らないだろう。
これは、なんというか僕だけの特権だ。
「え、誰だよ!?ってか酒ってなると成人してるのか……?酒が好き……。柊志乃、はありそうだけど七瀬が書きそうな話かってぇと……。佐藤心……も違うか?」
店長、さっきから惜しい線言ってますけど違いますね。ってか僕が書きそうな話って店長の中の僕はいったいどんなイメージなんですかね。
「まぁ、素敵な人ですよ、とだけ」
「畜生、余計に気になるじゃねぇか!」
ぼさぼさの髪を掻きむしりながら一生懸命に悩む姿が妙に面白くて口元が引きつってしまう。高垣楓だって口にしたら、彼はいったいどんな表情をするのだろうか。まぁ、正式な告知が出来るまでは死んでも口にはできないんだけどな。
「まぁでもよかったよ。七瀬、変に悩んでる風だったからさ」
「そ、そう見えるでしょうか?」
「バレバレだよ。でも、込み入った事情があるんならおいそれとは聞けないだろう?こちとら只の雇われ店長なんだから」
「なんか、ご心配おかけしてすみません」
「良いってことよ。納得の行く理由、見つかったか?」
「はい!」
「……そか。なら良かったよ。じゃ、俺はまだ残業があるから、お前はさっさと帰れよ」
それだけ言い残し、店長はスタッフルームから姿を消す。「おつかれさまです」とだけ去り行く背中に声をかけると、僕はそのまま店を後にした。
もし、僕の今の決断に自分自身が背中を押すことが出来ていたのだとしたら、それはきっとあの日僕の納得の行く理由を見つけに行く決意をくれた店長のおかげなんだと思う。
帰り際、僕はそんな彼の姿に心の中で小さく感謝の言葉を呟く。家路に向かう足が、なんとなく軽くなった気がしたのはきっと気のせいなんかじゃないんだろう。