高垣楓「そして明日の物語」   作:くまたろうさん

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第14話

「今日はよろしくお願いします」

「はい、お願いします!」

「こちらこそお願いしますー!」

「宜しくお願いします」

「お願いします」

 

 舞台初日を前日に控えた今日、会場となる赤坂ACTORホールの客席には数十人ほどの関係者が幕の閉じた舞台の上へと熱い視線を送っていた。座席数1324。ちょうど中央から少し右に外れたところに陣取った僕は、期待とも不安ともいえぬ何とも言えない心境でポツリと燈る天井の光を見つめていた。

 

「七瀬君、ここにいたの」

「お疲れ様です、リエさん」

「ええ、お疲れ」

 

 こちらに小さく手を合わせながら僕の隣へと腰を下ろしたのは、あの伊豆大島でのロケ以来時折顔を合わせることが増えたスタイリストのリエさんだった。

 

「いいんですか、こんなところにいて」

「いいのよ、今日はゲネだし、後輩たちに任せてきちゃった。ま、明日以降はワタシは舞台袖でてんやわんやしてると思うけど」

「そ、そうですか……」

 

 今回の舞台には、僕の想像以上に大勢のスタッフが関わっている。リエさんもその一員で、彼女は主に裏方として出演者の衣装関係を担当していた。

 

「というか、舞台関係の知識もあったんですね。最初にリエさんに会ったときは驚きました」

「あら、ワタシはスタイリストに関しては何でも屋よ?政治家のパーティーからAVまで何でもござれの凄腕スタイリストなのよ?」

「最後のは何も着てないですよね」

「あら、服を着たままっていうのも」

「それ以上はよしましょう」

 

 彼女の威勢のよさにすっかり押し負けてしまってタジタジになっていた僕を救ったのは、ホール中に響き渡った本ベルだった。舞台の開演を告げるベルだ。

 これから始まるのはゲネプロ。リハーサルよりも更に後段階で行われる、まさに本番前最後の通し稽古だ。会場中の暗闇の中、照らされるのはステージに差し込む一筋のスポットライトのみ。

 

 幕が上がり、光差し込むその場所で、高垣楓は静かに天を仰いだ。

 

「すごい……」

 

 ステージの上。

 なぜそこにこんなにもたくさんの人が情熱を注ぐのか。それは、その場所がこの代り映えしない日常から格別された世界だと、誰もが無意識に感じているからだ。

 あの場所は、誰かの夢が形になる場所であり、誰かの想いの発信源。

 届くだろうか。僕の想いも。客席に、世界に、そして、何よりもその場所で歌う貴女に。

 

『あらカイン、よくいらっしゃったわっ!』

『シンシアさんっ、今日はトマトがたくさん収穫できたんです。よかったら新鮮なうちにいかがですか?』

 

 気づけば舞台の上ではどんどんシナリオが進行しており、楓さん演じるシンシアと涼君演じるカインのコミカルなやり取りが続いていた。

 自分で書いてるときは寒いかな、なんて思われたやり取りも二人の絶妙な演技のおかげか随分とまともに見えるものだ。これに関しては後で二人にお礼を言っておこう。

 

『どうしても、王都に行くんですか?』

『叶えたい、夢があるの……』

 

 そこからのお芝居は脚本を手掛けた本人だというのに随分とのめり込んでしまった。何よりも劇中歌がすごい。歌が入るタイミングについては演出家の熊谷さんと随分と念入りな打ち合わせをしたものの作詞や作曲に関してはてんで知識がなかった僕は実績のある先生方にまるっきり任せきりになってしまっていた。そのため実際にその曲がシナリオの途中で流れる場面を目にしたのは初めてだった。

 ステージの上には、皆の情熱が踊っていた。

 

「凄い……」

 

 思わず零れてしまったその台詞を飲み込むことすら忘れ、僕の視線は舞台上へと釘付けになったままだった。

 楓さんや涼君だけじゃない。脇を固める役者さん達だって選りすぐりの演者たち。水曜九時の刑事ドラマでは名脇役と謳われている彼。主戦場はオペラ、ふくよかな体から魂を震わせるような美声を響かせる彼女。涼君とは同じ事務所、甘いマスクと切れのいいダンスでお茶の間のマダムたちを虜にしていく彼。

 あの場所には、きっとそんな魅力的な彼らを、さらに惹きつける何かがあり続けているのだろう。そんな場所に、楓さんは憧れ、そしてそんな楓さんに僕は憧れた。

 すぅ、と一息、隣のリエさんが息を呑む音が聞こえてきた。

 舞台には小さな光だけが差し込み、その中心にはぼんやりと二人の姿が映し出されている。シンシアとカイン。楓さんと涼君だ。

 シンシアは、王都に向かう直前にカインの拙い演奏で歌を歌う。物語の舞台であるその国に、昔から伝わる古い恋の歌だ。まぁ、これは僕の後付けなんだけど。

 自分で書いといてなんだが、随分と酷なことをするんだと思う。今この場では決して叶わない想いを伝えることに果たして意味はあるのだろうか。

 二人の関係が、離れ離れになっても壊れてしまわない保証なんてどこにもない。まして、シンシアはトップスターを目指してカインの元を離れるのだ。そんな彼女に、カインの想いは重荷にしかならないのではないだろうか。

 

『シンシアさん、僕は必ず貴女の元に参ります。それまで、待っていてくれますか……?』

 

 物語はほぼ終幕。王都へと旅立つシンシアをカインが港町で見送るというシーンである。

 

『ええ、待っていますわ。煌めくステージの上で、いつかあなたがまた私の元へと来てくれることを』

 

 去り際、シンシアとカインの顔が重なる。口づけを交わした、ように見える絶妙なアングルである。だが、そう見えるだけで明確な表現を避けるあたり熊谷さんの演出のニクさを感じる。

 重なり合ったその顔が意味するのは、親愛なのか信頼なのか。それとも――。

 感謝、とかだったら……僕は嬉しいな。

 

『シンシアさん……』

 

 そして物語はラストシーンへと映る。シンシアの乗った船がどんどん離れていく。その姿を見送りながら、カインがポツリと言葉を口にする、というところでこの物語は終わりだ。

 そして、この物語の終わりはもうすべて涼君に任せっきりになってしまっている。恥ずかしい限りだけど、この物語の最後は、いまだにどう〆たものかてんで分からないのだ。

 

『もし、僕が貴女に出会わなければ、きっと僕の世界はこの目の前に広がる海と、それを囲うように広がるこの街だけだったでしょう。でも、今は違う。貴女に出会って世界を知った。貴女にあって夢を知った。貴女に出会って、愛を知った。……ありがとう。僕の世界は、貴女でこんなに染められている。行くよ、僕は。一か月後、一年後、一生。どれだけかかったっていい。僕の全てを持って、その隣にまた立てる日が来るまで』

 

 涼君が、舞台の上で小さくニヤリと笑ったのが見て取れた。

 幕が下がる。

 物語の終わりを告げる合図だった。ゲネプロは無事に終わり、関係者だけの客席からはポツリポツリとまばらな拍手が起きる。そんな中、僕の口元は小さく震えていた。

 

「……ふふっ、そうだよな」

「ん、どうかした?」

「い、いえっ、何でもないですっ」

 

 予想以上に僕の声はボリュームを伴っていたようで、隣のリエさんの耳にまで届いてしまったようだ。まぁ、今はそんなこと些細な問題だ。

 そうだ、些細な問題なんだ。

 僕らは表現者だ。自らの手で創り上げたもので誰かの心に楔を打ち込んでやりたいと心血を注いでやってきたんじゃないか。 拙い演奏?いいじゃないか、それが僕らの今の精いっぱいだ。だけど、例え技量が伴っていなくたって目を逸らしちゃだめだ。お前自身がその想いを届けたい誰かを、決して見失っちゃいけないんだ。それだけは、絶対に。

 

 この物語の終わりは”エンディング”じゃないんだ。

 カインにとっては新たな始まり。

 そして、それは僕にとっても同じだ。

 行くよ、父さん。僕も、僕の精いっぱいで、この世界で必死に足掻いてみせるよ。

 何よりも、僕と、そしてそんな僕に世界を見せてくれた人にだけは、何よりも誠実でありたいから。

 

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