「こうやって二人で話すのは久しぶりですね」
「そう、ですね……楓さん、忙しそうでしたもん」
舞台が無事千秋楽を迎えたのはもう二週間も前のことだった。
不安だった客足も、蓋を開けてみれば当日券待ちが出るほどの盛況で四日間、全六公演のそれは近年でも稀にみる集客を見せたらしい。
それもこれも、主演を演じた楓さんと涼君の持つネームバリューのおかげか。僕なんかが貢献できたものなんてたかが知れてるだろう。
「本番中は全くと言って良いほど顔を合わせませんでしたからね」
「すみません……舞台袖でてんやわんやしてたんです。恥ずかしい所をお見せしたでしょうか?大崎さんにも落ち着けって何度も頭を叩かれましたよ」
「ふふっ、バッチリ見てましたよ」
月明かりに照らされる楓さんは、今日も一段と綺麗だった。
「恥ずかしいから忘れてくださると……」
「ダメですっ」
「そうですか……」
今日は都内の某ホテルにて、先日行われた舞台の打ち上げが行われていたのだった。慣れないドレスコードでガチガチになった僕は出演者のベテラン俳優さんや裏方のおじさま方に囲まれて今の今まで酒臭い空間に身を置かれていたのだ。
抜け出すようにホールを出て閑散とした廊下へと出てみると、ふと窓際で黄昏ている楓さんの姿が目に入り今に至るという訳だ。
時計の短針も九時を回ろうというのに黄昏ている、という表現については目をつぶっていただけるとありがたい。
「あの……」
ここ二週間は僕も楓さんもお互い身の回りのことで手いっぱいだった。こうして二人きりで言葉を交わすのはいつ以来だろうか。そういえば本番前も大して話した記憶はなかったような気がする。
もしかしたら、あの夜以来かもしれない。
そして、これが最後になるかもしれない。
「楓さん、ありがとうございました」
思えば、きっかけはあの日偶然喫茶店にてぶつかったことだったかもしれない。あれが無ければ、きっと彼女はずっと憧れの先の存在。別の世界の人だったんだろう。
「お礼を言われるようなことは何も」
「それでも、です」
僕の力強い返答にしばし考え込むような仕草をすると楓さんは僕を隣に誘うかのような手振りを見せた。
「お礼を言うのは、こちらの方です」
ドキリとした。なにせその言葉は僕の耳元で囁かれたものだったからだ。
「い、いきなりなんですか!?」
「男の子は、こういう方が嬉しいかと思いまして」
まるで悪戯が成功した後の子どものような笑顔を浮かべる彼女を見て、突然高まった僕の緊張も一瞬で解けてしまう。
「悪い人ですね」
「よく言われます」
「でも、僕にお礼を言われるような心当たりは何もありませんよ?」
「同じ言葉を七瀬君にも返してあげます。私は、あなたに何もしてません」
このままじゃ議論は平行線だ。ここは甘んじて楓さんの言葉を受け入れることにしよう。
「まぁ、でも、それで楓さんが満足するのならば……」
「満足は……できないかもしれません」
「えっ」
「新しい世界を、知ってしまいました」
そう言って照れ臭そうに顔をはにかませる楓さんは、まるで少女漫画のヒロインのような顔を浮かべた。あれじゃあまるで恋する乙女じゃないか。
もしや自分に――。
なんて自惚れが許される訳もなく、その先に続く言葉は僕と楓さんのこれからを明確に指し示していくものだった。
「アメリカに、行きます」
「アメリカ……ですか?」
「はい、楽しかったんです。お芝居が」
「それで、アメリカですか?」
「はい!演じて歌って踊って……。歌を歌うという目的だけで舞台に立つ、ということ以外が私には新鮮でした。既にアメリカの有名な監督さんからオファーも頂いてるんです。だから改めてありがとう、七瀬君」
そのありがとうを、僕は一生心の中に抱えて生きていくのだろう。
そして、その後に続く言葉も。
「だから、待ってるわ」
ズシリと重く、その一言は僕の胸へと沈み込んでいった。
想いは呪い。僕は、きっとその呪いが解けるまでこの世界で足掻き続けるしかないのだろう。人と人とは繋がり。それは見えずとも確かに誰かの心に形となって残り続け、それは誰かの明日への道を作る。
そうか、父が本当に遺したかったものは、こんな呪いのようなものだったのか。
「はい」
だったら僕は、僕の全てを持ってそんな世界に抗ってやろう。走って走って走り抜けたその先、そこにはきっと目の前の彼女が待っているのだから。
「おう、なんか久しぶりに会うような気がするな」
「そう、ですかね……」
あれからどれだけの時間が経っただろうか。
楓さんはアメリカへ旅立ち、僕もあれ以来業界でちょっとだけ名が知れ渡るようになったおかげで飛び込んでくる仕事も以前よりちょっとだけ増えた気がする。
そのため居酒屋バイトの方も自然とシフトが減り、店長とこうして顔を合わせることも少なくなっていた。
「最近は忙しそうじゃねぇか」
「ええ、お陰様で。まぁ、僕の名前は世間様には一切出ないんですけどね」
「それでも、お前のことを評価してくれる人間は確かにいるってことは忘れちゃいけねぇよ」
網膜の裏にでももう焼き付いてしまうんじゃないだろうか、というぐらいに見慣れた手つきで
タバコに火をともした店長を見ながら、僕も彼の対面に腰を下ろす。
この世界に変わらないものなんて言うのは何一つも無くて、既に生活の一部となっているこのスタッフルームにも世界の変化は訪れていた。
「楓さんのポスター、変わっちゃったんですね」
「あー、大崎の奴がな、今推してる子だから宜しく頼むって」
そう言えば打ち上げのあったあの日、大崎さんにもお礼を言われたのだった。曰く、ありがとな、また俺はあの頃と同じような気持ちでアイドルと向き合えるようになった、とのことだ。
そんな彼は先日から新人アイドルのプロデュースを始めたらしく、次代のトップアイドルの座を二人で虎視眈々と狙っているのだそうだ。
「綺麗な人ですね」
「だろう?まぁ、大崎の奴と女の好みが被るのだけはいただけねぇけどな」
「さいですか……」
仕事終わりの僕等を労ってくれるかのように微笑んでいた楓さんのポスターはもうそこにはなく、彼女の笑顔があった場所には今346プロダクションが売り出し中のアイドルが新しくそこではビールジョッキを片手に笑っていた。
あの人がきっと、今の大崎さんの担当なんだろうな。
「楓さんのポスター、捨てちゃったんですか?」
「うんにゃ。今はおはようからおやすみまで俺のことを見守っててくれてる」
「心からそう思ってるならもう限界ですね。病院紹介しますよ」
「冗談だよ。まぁ、うちにあるのは確かだけどな。なんだ、欲しかったか?」
「いえ、僕には必要ないですから……」
ピロン、と聞き慣れた効果音と共に僕のスマホが点滅し始めたのは僕の言葉とほぼ同時だった。
「なんだよ、女でも出来たか?」
「どうでしょうね。それじゃ、明日も朝早いんでこの辺で失礼します」
「あいよー」
スタッフルームの扉を後ろ手に締めながら僕は自宅へと足を向ける。去り際、握りしめたスマートフォンを開くとそこには彼女の名前が表示されていた。
『今日は東海岸でも有名なジャズバーで歌って来ました。ぶい』
そんな文面と共に送られてきたのは一枚の写真。
真っ赤なドレスに身を包んだ彼女は、嬉しそうにカメラにVサインを向けていた。
「全く……変わらないというかなんというか」
そんな言葉がついつい口をついてしまう。蒼と翠。澄んだ宝石のような二つの瞳は、例え画面の向こう側であっても変わらず輝き続けていた。
世界は変わっていく。沢山の夢と想いを一身に纏って。
そんな世界の中で、せめてちょっとぐらいは変わらないものを持ち続けていこう。
夢へと進み続ける意志、そして貴女への……憧れ。
もしも、世界の音に色がついているのならば、それはきっと貴女と同じ瞳の色をしているのだろう。
それは、貴女が追いかけてきた光。
そして、僕が憧れた光だ。
行こう、光の下へ。僕の全てを持って、その隣にまた立てる日が来るまで。
楓さん。
今日も貴女の世界は、貴女の音で溢れていますか?
ここまででこの物語を終わりとさせていただきます。
もし、読んでくださった皆様のお心に少しでも形に残る何かがございましたら、ご感想等頂けると幸いです。
※誤字報告、誤用共々待っております