高垣楓「そして明日の物語」   作:くまたろうさん

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第3話

 父であった七瀬貴臣は知る人ぞ知る演劇界の奇才だった。テレビや映画などで滅多に名前を見ることはないが、舞台においては業界人ならば名前を知らない人間の方が少ない、と言われるほどの名脚本家だった。

 「誰かの明日になれる物語を」それが彼の口癖だった。自分の舞台を見た人が、その物語から感じたことを自らの人生に活かして欲しい。いつだったか雑誌のインタビューでそんなことを語っていたのを覚えている。

 そんな父に憧れて、僕もいつの間にか脚本家を目指すようになっていた。

 

 そんな父が亡くなったのは、僕が中学に入学して直ぐのころだった。売れっ子脚本家だった父はその頃は特に忙しそうに働いていた。そして元々体の強くなかったことも相まってある日体調を崩したかと思えばそのまますぐに息を引き取った。

 

 僕と母、そして幻の遺作を残して。

 

 そしてそんな僕らに良くしてくれたのが、父の友人だった今西部長だ。仕事の付き合いで仲良くなった今西部長は、父の考えに感銘を受けたらしくその後もプライベートでも随分親しくしていたようだ。そのことも相まって今もこうして今西部長は稀代の名脚本家と言われた父の忘れ形見であった僕に良くしてくれるのだ。

 

「ああ、遅くなって申し訳なかった」

「いえ、お忙しいのは重々承知してますので」

 

 なぜそんな昔のことを思い出しているのかというと、僕は今日346プロダクション本社内にある社員食堂へと今西部長に呼び出されていたからだ。

 高垣楓と偶然のエンカウントを果たしてから、一月が経とうとしていた頃のことだった。

 

「それで、今日はどういった用件で僕は呼び出されたんでしょうか……?」

「ああ、そんなかしこまった話じゃないから楽にして」

 

 そう言われても普段のカフェとは違っておもいっきり社内だしなぁ……。モデルさんっぽい人もちらほらうろついてるし……。うわ、今話題の月9のあの主演女優さんだ。近くで見ると顔ちっちゃっ!

 

「あの……七瀬君?」

「は、はいぃ!べ、別に女優さんに見惚れてたとかそんなことはあったりなかったり……」

「ま、とりあえず落ち着きなよ」

「は、はぁ……」

 

 何はともあれ話を聞かないことにはこの場は動かない訳で……。テンパってもしょうがないので僕は目の前のコーヒーに一口口を付けると改めて今西部長の元へと向き直った。

 

「それで、お話というのは……」

「ああ、実は君に一つ提案というかお願いがあって……」

 

 そう言って本題へと入ろうとする彼の言葉は、思わぬ人物によって遮られることになった。

 

「あら、今西部長?」

 

 そこにいたのはアッシュグリーンがよく映える、ボブカットの美人だった。

 というより、僕にとってはよく知っているその人であり――。

 

「ああ、高垣君か」

 

 高垣楓その人なのだった。

 

「この前はありがとうございました!」

「ああ、あれくらいのことならいつでも頼んでくれて構わないよ」

「そう言われましても部長はお忙しいのですから……」

 

 突如目の前で始まる知り合いと芸能人との日常会話。こうしてみることで改めて今西部長が業界人であるということを思い知らされるのだった。

 

「それで」

 

 ふと、青と緑の印象的な二つの瞳がこちらを捉える。

 

「こちらの方は?」

「ああ、紹介してなかったね、彼こそがあの台本の持ち主だよ」

「まぁ、そうだったんですね。あの時は顔をよく確認できなかったものですから」

 

 ほんのちょっとの驚きと、心からの喜びの表情を浮かべた高垣さんは嬉しそうにこちらへと手を差し伸べてきた。

 

「え、えっと……」

「自己紹介」

 

 相変わらずテンパってしまった僕に今西部長が釘を刺すように助け舟を出してくれる。

 

「な、七瀬幸市です。は、初めましてその……」

「はじめまして、高垣楓です」

 

 握手を求められた手が柔らかかったなとか、仄かにいい香りがするなとか、そんなことがどうでもよくなるくらいに、僕はその二つの瞳に魅かれていった。

 雑誌やポスターなんかじゃ分かりにくいけれど、この人の目はこんなに鮮やかに色が違うものなんだ。

 

「どうかされましたか?」

 

 思わず魅入ってしまった僕に異変を感じたのか、ふと高垣さんはその綺麗な顔を少し困惑した表情へと変えた。

 

「ご、ごめんなさいその、あまりにも……」

「あまりにも?」

「あまりにも、目が、綺麗だったものですから……」

 

 って何を口走ってんだ僕はっ!こんなのセクハラととられかねてもおかしくないぞ。

 

「そ、その、ごめんなさい、つい思ったことが口に出てしまってっ」

 

 それから慌てて謝罪と言い訳の言葉をいくつも並べて平謝りするしかない僕を見て、彼女は「ふふっ」と小さく笑みを零した。

 

「あ、あの……」

「いえ、そういう事を直接ちゃんと言われたのが久しぶりだったものですから……。なんだか照れくさくって」

「そ、そうですか……」

 

 なぜこんな状況になってしまったのか。更なる救いを求めて今西部長の方へと視線を動かすものの、彼はにこやかな表情でこちらの成り行きを見つめるのみだ。

 

「お、お会いできて光栄です」

 

 なんとか振り絞った言葉を最後に、僕はとうとう彼女の顔を真っすぐに見つめることが出来なくなってしまった。視線の先ではコーヒーに入れたシュガースティックの空が小さく身をよじらせているのが目に入る。

 物語の中でなら、こう言おうああ言おうってすんなり出てくるのに。

 

「それにしても、七瀬……そういう事だったんですね。私も会いたかったんです」

 

 今西部長の隣に腰を下ろすと、彼女はふとそんなことを口にした。

 聞き間違いじゃないだろうか。思わず顔を上げると先ほど見惚れた彼女の笑顔が真っすぐにこちらを見つめているのが目に入った。

 

「僕に……ですか?」

 

 心からの疑問が口を付く。

 

「ごめんなさい、メモ、勝手に読んじゃいました」

「あ……」

 

 彼女が言うメモとは、僕がこの前カフェに忘れて先ほど先日今西部長に手渡されたあれだろう。

 

「読んだんですか?」

「すみません、最後のページだけ少し目に入っちゃって……。それで内容が気になってしまいまして」

「いや、読まれたくなかったとかそういう事ではないんです!けどその……」

 

 あの物語の結末を、僕は今も納得できていない。

 

「あまりいい結末だったと思うんですけど……」

「それは、どうでしょうか……」

 

 ふと、高垣さんはそんな言葉を口にした。

 

「私はあの結末、好きですよ」

「……ハッピーエンドじゃないですよ?」

 

 その言葉をどう受け取ったのかは分からない。けれど、先ほどまで柔らかい表情を浮かべていた彼女の顔に一瞬緊張が走ったのが見て取れた。

 

「物語というのはあくまで指標を示すものであり、答えではありません。同じ物語に触れた人たちでも、その物語をどう感じて、そしてどう思ったのかというのはそれぞれ物語に触れた人たちの数だけあるものでしょう」

 

 細い糸をより合わせるかのように、彼女は丁寧に言葉を選びながら話を続けていく。

 

「もし私がシンシアだったら、きっと彼女と同じ道を私も選んだかもしれません。カインのことを、ずっと心に想いながら。それは人によってはハッピーエンドではないかもしれませんけど……」

 

 その後の言葉を、僕は今後の人生で決して忘れることはないだろう。それが彼女の、高垣楓という人物の、選んできた道なのだから。

 

「私は、そんな彼女たちの選んだ生き方に憧れていきたいと思います」

 

 そう言った彼女の眼は、どこか愛おしそうな慈愛の表情と、そしてどこか寂しそうな寂寥の表情が入り混じった複雑な目をしているようになぜか僕は感じてしまった。

 

「それでは私は、この後打ち合わせがありますので……」

「は、はい……」

「おー、お疲れ様、高垣君」

「はい。それではまたね、七瀬君」

 

 それだけ言い残すと、まるで淑女の教本にでも出てくるかのような仕草で彼女はその場を後にした。

 

 

 

 

 

「どーよ最近」

 

 ある日のバイト終わりの僕を待ち構えていたのは、本当に当たり障りのない会話の導入だった。

 

「店長、その会話の始め方でどうやったら女の子にモテるんですか……?」

 

 そんな誰だってできそうな日常会話を始められて女の子も戸惑うだろうに。

 

「知らんのか七瀬、これはモテる男の最強会話術の第一の型なんだぞ?」

「何ですかそれ。知りませんよ」

「勿体ねぇなぁ。じゃあ教えてやるよ」

 

 店長は先ほどまで咥えていたタバコをぎゅっと灰皿に押し付けるとそのまま前のめりで僕の方へと鋭い視線を飛ばしてきた。

 

「女にモテる男ってのはな……聞き上手なんだよ」

 

 鋭く射抜くような視線と目が合い思わず目を逸らしてしまう。そんな僕の視線の先では相変わらず今日も変わらぬ笑顔で”歌姫”がビールジョッキを片手に笑っていた。

 

「意味が分かりませんよ」

「分かんねぇってのは甘えよ甘え」

 

 呆れたような表情で天を仰いだ店長はそのまま次のタバコへと手を伸ばす。

 

「まずは話してみねぇと相手のことなんて分からねぇだろ?テレパシーなんてもんはこの世にありゃしないんだから」

「話してみないと……ですか」

「ん?なんだ、なんかあんのか?」

 

 僕の言葉に何やら引っ掛かりを覚えたのか店長はそのまま「話してみな」とだけ呟くと手に取ったタバコを口へと運んだ。

 

「いや、大した話じゃないんですけど……」

「んなこたないだろ。悩みってのはな、大きい小さいはあるかもしれんがそれに貴賤ってのはねぇんだよ。小さかろうが悩みは悩みだ」

「店長……カッコいいっすね」

「男から言われても嬉しかねぇよ」

「男のプライベートには興味ないんじゃなかったんですか?」

 

 大人ってのはやっぱりズルい。こういうことをされると改めて自分のちっぽけさを痛感させられる。

 「いいから話せよ」なんて言いながら手持ちのタバコに火をつける店長も、そんなズルい大人の一人だ。

 

「もし、店長が最近見た映画の結末が自分の納得のいくものじゃなかったらどうしますか……?」

 

 一瞬、店長は怪訝そうな表情を僕へと向けたがその顔はすぐに何かを考え込むような表情へと移る。右手で三度程顎を撫でるとそのままその手は手持ち無沙汰そうに机の上でトントンと小気味のいいリズムを刻むと、数秒ほどしてピタリと動きを止めた。

 

「もし、自分の見た映画が納得のいく結末を迎えなかったら……ねぇ」

「すいません、突拍子もない話で」

「でも、それが七瀬にとっては大事なことなんだろ?」

「大事なこと……なのかもしれません」

「そか」

 

 何とも言えない空気がスタッフルームの中に漂う。が、自然とその空気が不快ではなかった。

 自分のよくわからない感情と向き合ってくれる誰かの言葉を聞き逃すまいと全身の神経が鋭くなった感覚を感じる。

 タバコとコーヒー、そしてその臭いをなんとか誤魔化そうと足掻く芳香剤の匂いが、少しだけ強くなった気がした。

 

「俺ならそうだな……それを作った奴を、ちょっとだけ羨ましく思うかもしれねぇな」

 

 ポツリ、とどこか零すように呟いた店長の顔は、どこか寂しげだった。

 

「羨ましく……ですか?」

「そーだな、お前には理解できないかもしれないけどな。作ったそいつの中には、その結末が納得いく理由ってのがあってそれを作ったんだろうよ。誰だって納得してないものを作ろうとは思わないだろ?」

「まぁ、そうだと思いますけど……」

「そんなそいつの納得できた理由ってのを、俺はその映画を見て感じられなかったってことじゃねぇか」

「それのどこが羨ましいんですか……?」

「考えてみろ。俺の人生の何倍も、そいつの人生は納得のいく理由に溢れてるってことじゃねぇか」

 

 その言葉に、僕は思わず「なるほど」と唸ってしまった。

 

「俺の知らねぇことをいっぱい知ってて、色んなものを感じて生きてんだろうさそいつは。どうだ、羨ましいだろそいつの人生」

 

 そう言って笑った店長の顔は、相変わらずどこか寂しそうだった。

 

「俺の人生はさ、納得のいく理由ってのに満ちてないからな……。まぁ、踏ん切りは付けたつもりだけどな。俺はもうおっさんだから手遅れかもしれねぇけどよ、七瀬、お前はまだ若ぇんだから」

 

 どこか満足そうに言い切った店長はそのまま事務所の方へと姿を消そうとする。

 去り際、ふと店長の手が僕の背中を勢いよく叩く。

 

「七瀬、お前の前にはまだ知らねぇ世界がたくさん広がってるぞ」

 

 それだけを言い残して、店長は事務所の扉の向こうへと姿を消した。

 『知らない世界』

 父と、そして高垣さんの見ている世界も店長が口にしたように僕の前には転がっているんだろうか。そしてもし、そこに足を踏み入れることのできるチャンスがあるのなら……僕は、前に足を踏み出すことが出来るのだろうか。

 

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