高垣楓「そして明日の物語」   作:くまたろうさん

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第5話

 JR山手線浜松町駅から徒歩八分。ゆりかもめ竹芝駅のすぐ目の前。海から吹き込む風が爽やかな夏の匂いを都内へと運び込もうとするまさにその入り口に、その場所はあった。

 竹芝客船ターミナル。

 レストラン船などの発着場としても利用されるこの場所だが、最も大きな目的は別にある。この場所は伊豆・小笠原諸島を往復する船の出発点であり、そして到達点なのだ。

 そんな東京の玄関口ともいえるこの場所で、僕が一体何をしているのかというと―。

 

「こちら、荷物運び終わりました!」

「ああ、助かる。そしたら出発まで四十分ほど時間があるから少し待っててもらってもいいか?」

「はい、大丈夫です」

 

 今日の責任者に簡単に声をかけた僕はその後、ターミナル内の椅子に腰を掛けると静かに辺りを見回した。

 八月真っただ中のこの場所も、朝一番早い便の為か心なしか人は少ない。346プロ玄関口に六時集合という連絡を貰った時は流石に目を疑ったものだ。今もまだ眠りの中から完全に抜けきっていない頭を働かせながら僕は改めてこれからの予定を脳内で反芻した。

 

 高垣楓の次回発売の写真集の為の撮影ロケ。これが今回のロケ内容だ。同行するのは高垣さんを含めて全部で7人。最近は346プロも大所帯になってきたためどうも人員を割くのが難しくなってきているらしい。

 メンバーは高垣楓を筆頭に彼女のプロデューサーさん、カメラマンさん、カメラアシスタントさん、ヘアメイクさん、スタイリストさん、そしてその他雑用の僕。男女比4:3のまさに少数精鋭となっている。

 その雑用枠に、この度僕は今西部長の伝手で同行させてもらうことになった次第だ。正直ロケの雑用なんて何すればいいのか全く見当もついていないのだけれど、これが自分のステップアップに繋がるのであればまたとない機会である。と、前向きに考えておこう。

 ちらと視線を動かした電光掲示板には、この後僕らが乗る予定の船の出発時刻と行き先が何度も流れていた。

 伊豆大島。

 そこが、今回の撮影の目的地である。

 

「七瀬君!」

 

 ふと、頭の中で今回の概要を確認していた僕の元へと声がかけられる。

 

「大崎さん、どうかしましたか?」

 

 その声の人物こそが高垣楓の担当プロデューサーであり、346プロきってのやり手と言われている大崎プロデューサーだった。

 短パンに白いTシャツ、いかにもラフですと言いたげな服装に身を包んだ彼は両手を合わせながらこちらに申し訳なさそうな表情を浮かべていた。

 

「すまん、先に荷物を動かしてもらってもいいか?」

 

 そう言ってちらと動いた彼の視線の先にはカメラなどの精密機械以外の今回使用する諸々の道具が詰め込まれた大型のカバンがいくつも並んでいる。

 

「重いと思うけどよろしく頼むわ」

 

 それだけ言い残すと雑談を交わしている二人組の男性の元へと向かっていく。彼らこそ今回のカメラマンと、そのアシスタントさんだ。

 きっと今日のスケジュールを改めて確認しているのだろう。仕事熱心な彼の背中を見送ると僕も僕に課せられた業務へと移る。

 いくつも並んだ鞄の中のから一番手近な鞄から伸びた肩紐に腕を通す。今日から二泊三日の撮影ロケ、一体その短い期間で僕は何かを掴むことが出来るのだろうか。

 僕は、ほんのちょっとの期待とそれを覆い隠すようにうごめく幾多もの不安を、肩にかけた鞄と共に持ち上げるのだった。

 

「…………おっもっ」

 

 生きていくうえで背負うべき荷物は、いつだって重たい。

 

 

 

 

 

 東京から船で一時間と四五分。日本列島のはるか先の太平洋にあるその場所に向かって、高速船は水を切るように進んでいた。

 周りには陸地なんてまるで見えず、時折漁船やタンカーが遠巻きに見て取れるくらいだ。そんな大海原に浮かぶ小さな船の上で、僕は――。

 

「どうかされましたか?」

 

 柄にもなく緊張していた。

 

「い、いえ……」

「それにしても、七瀬君も来てくださったんですね」

「ええ、どうしてもと今西部長にお願いしました」

「ふふっ、そうですか」

 

 そういって隣で笑う高垣さんを見て、胸の奥がギュッと苦しくなるのが分かった。こんな美人が隣にいて、緊張しないほうがどうにかしていると思うが……。あの夜がおかしかっただけだ。

 

「そうですか、それにしてもよかったです。ジェット船は外に出られませんから。二時間近く暇をするところでした」

 

 高垣さんはもう一方の席で思いっきり寝息を立てている男性へと視線を動かす。

 

「ああ……」

 

 前言撤回。いましたね、高垣さんが隣でも思いっきりリラックスできるどうかしている人が。

 

「いつもそうなんです。プロデューサーったらすぐに寝ちゃうんですよ?担当アイドルをほっぽり出して酷いと思いませんか?」

「そ、そうですね……」

 

 仮にも今回のロケにおいては僕の上司となる人物である。あまり悪いことは言いたくないものだ。しかしながらなんと気持ちのよさそうな顔で寝ているのだろう。大崎プロデューサーの寝顔を見ていると先ほどまでの緊張が少しだけ和らいだ気がした。

 

「不安ですか?」

 

 ふと、隣の高垣さんがこちらへと何とも言えない笑顔を向けてくる。

 

「不安……と言われればそうかもしれません」

 

 その表情から逃れるように視線を逸らすと、相も変わらず窓の外からは何も変わらない海しか見えない。

 目印も何もないその風景に何となく不安感を覚えてしまいさらにそこから逃げるように視線を戻すと視界に入るのは前の座席のクッションとその座席ポケットに乱雑に突っ込まれたペットボトルのお茶だけ。広すぎる世界から目を逸らしたと思ったら辿り着いたのは随分と息苦しい場所だった。

 

「雑用とは言え撮影の手伝いなんて初めてですから……」

「それだけ、じゃ、ないみたいですけどね」

 

 誤魔化すように口を付いた言葉はどうにもあっさりと見抜かれてしまったようだ。蒼と翠、こちらを見つめる二つの瞳が僕の心の奥までを見透かしていくようで、その様が少しだけ怖かった。

 

「七瀬君にとって、それは大切なことですか……?」

 

 そんな僕の不安感に入り込むようにその言葉は僕の心へと深く沈んでくる。

 まるで深海に引きずり込むかのように、どこまでも、深く――

 

「ん、んあぁ……」

 

 そんな僕を海面へと引き上げたのは、隣で苦しそうに声を上げる大崎さんの声だった。

 

「ん、お前ら起きてたのか?」

「え、ええ」

「朝早かったのに元気だな。楓も昨日は遅くまで撮影だっただろ?」

「はい」

 

 眠気眼を擦りながら彼は一つ大きなあくびをつく。そんな気の抜けた表情を見ていると先ほどまでの緊張感も一瞬でどこかへと霧散してしまい、先ほどまで吸い込まれそうだった海も今は何処か長閑さを漂わせているように感じる。

 一瞬、ちらと隣で柔らかに微笑む高垣さんの視線と目が合う。その表情に一瞬陰りが見えたような気がしたのはきっと窓から差し込む光のせいだろう。

 

「ほら、そろそろ到着だぞ。降りる準備だけしとけよ」

 

 腕時計へと視線を寄せる大崎さんが僕らにだけ聞こえる程のボリュームで声を上げると、それと同時に船内に入港を告げるアナウンスが響いた。

 

「着きましたね」

「はい」

「さ、ちゃきちゃき働いてもらうぞ」

 

 ポンと僕の肩を力強く叩くとそのまま大崎さんは足元に乱雑に詰め込まれた荷物へと手を伸ばしだした。備え付けの窓から島の外観が目に入る。

 

 僕が追い求めている世界は、そこにあるんだろうか。

 

 燦燦とした太陽に照らされたその島は、静かに僕らの到着を待ち構えてた。

 

 

 

 

 

「到着です~!」

 

 どうしてこうも美人とワンピース、麦わら帽子というのは絵になるのだろうか。

 船着き場について早々大きく背伸びをする高垣さんを眺めながら僕はそんなことを思うのだった。

 

「ほら、楓に見惚れてないでさっさと行く」

 

 そんな僕へと発破をかけるように大崎さんがけだるげな声を上げながらその場を後にしようとする。

 

「べ、別にそんなこと思ったりなんて」

「してない、なんて言わせないぞ」

 

 ふと、彼が足を止めこちらへとくぎを刺すかのようにそう口にする。

 

「そ、それは……しましたけど……」

「素直でよろしい」

 

 うんうんと数度満足そうに頷くとポンと一つ僕の方へと手を伸ばしてくる。

 

「俺が育てた自慢のアイドルだからな」

「育てた、ですか?」

「そうだ。あいつは俺がモデル部門から引き抜いて、それでアイドルにした」

「そうだったんですか!?」

 

 敏腕とは聞いていたけど、僕は今改めてものすごい人と話してるのでは……?

 

「ま、その話はどうでもいいけどな」

「どうでもいいことはないと思うんですけど」

「そうだな、もうちょっとの間だけ、どうでもよくないかもな」

 

 今はスタイリストさんと楽しそうに談笑する高垣さんに、彼はどこか愛おしそうな視線を向けた。その視線にチクリと胸が痛んだのは、ここだけの話にとどめておこう。

 きっと、二人の間には僕が知らない、知ることのできない何かがあって、そしてその末にその何かが彼にその目をさせているのならば、僕の居場所はきっとその物語の中には含まれていない。

 

「そのうえであいつが選んだ道ならば、俺はそれを応援してやることしかできないさ」

 

 去り際、大崎さんが呟いた言葉の意味が、その時の僕には理解できなかった。

 

「ほら、雑用の仕事が待ってんだからあんまりぼーっとするなよ?」

「え、あ、はいっ!」

 

 触れていいものかどうかわからないものは、とりあえず置いておくことにする。

 悪い性分なのかもしれないけど、今の僕にはきっと知ってもどうしようもないことだからだ。

 

 

 

 

 

「そんじゃ次はくるぶしぐらいまで水につけてみようか」

「はいっ」

 

 撮影が始まったのはこちらに到着してから2時間ほど経ったころからだった。

 宿に荷物を置いて、撮影に必要なものだけを改めてレンタカーへと詰め込んで事前に決めていた現場へ。それからが大変だった。カメラマンさんのイメージとちょっと違うと別の場所へ。気に入るアングルを探してあちらこちらを行ったり来たり。

 なんというか、そういうのを見ていると”プロ”という言葉を改めて強く意識させられる。

 言葉と写真。扱うジャンルが違っても、こういう部分はちゃんと見習っていかないとと痛感させられる。

 

「雑用君」

「は、はいっ!」

 

 そんなことをぼんやりと考えているとふとカメラマンさんが僕のことを呼んだ。彼は今日の朝挨拶を交わしてから”雑用君”と僕のことを呼ぶ。

 別にその通りなのだからそう呼ばれることはおかしいことではないんだけど、ちゃんと名乗ったうえでそういう風に呼ばれるのは何というか、ちょっと癪だ。

 

「ちょっとアングルの外から水飛沫立てて貰えないかな。一回楓ちゃんフレームから外れて」

「わかりました」

 

 カメラマンさんの指示した場所は波打ち際から一メートルほど海へと入ったところ。僕は素早く素足へとなるととただでさえ短い短パンの裾をより一層捲り上げた。

 そんな姿を見ていたのか、ふと近くで高垣さんの笑い声が聞こえた。確かに、今の僕の姿はどこか滑稽に見えるだろう。そんな姿を見られてしまったことが、ちょっとだけ恥ずかしかった。

 

「つめたっ」

 

 八月と言え水温は思ったより僕の足へと思わぬ刺激をよこして見せる。海面は透き通って今僕が確かに踏みしめている海の底までばっちりと見ることができた。一歩足を前に出すたびに指の隙間から砂が飛び出てきてそれがなんか面白かった。

 

「この辺でいいですか?」

「ああ、いい感じ。この辺に向かって掌でちょっと水掬って飛ばしてみて」

 

 カメラマンさんへと声をかけると彼は指先で僕の前方の空間を指し示す。

 海面へと手を伸ばすと先ほどの足先と同じ感覚が伝わってくる。

 

「どうですか?」

 

 手始めに紙コップ一杯ほど。僕は水を掬って中空へとばらまく。

 

「ん~もうちょい多くてもいいかも」

「これくらいですか?」

「量はそれぐらいかなぁ。もうちょい多めでもいいよ。それよりもっとばーってまき散らす感じで一回できる?」

「はい!」

 

 三脚に固定されたカメラを覗き込んだままの彼とその後も数度同じようなやり取りを交わす。

 

「そんじゃ次、楓ちゃん入ってみて」

「はい~」

 

 カメラマンさんの声を合図に先ほどと同じような場所に高垣さんが移動する。

 

「いいね、そんじゃ雑用君、合図したら適当にさっきみたいな感じで楓ちゃんに向かって水飛沫上げてみ」

「わかりました!」

「そんじゃ軽く試しに撮ってみようか。雑用君、いいよ!」

 

 その声を合図に先ほどのように今度は高垣さんに向かって海面を勢いよく浚う。

 

「きゃっ!」

 

 その拍子に随分と可愛らしい声が高垣さんから上がる。思わずドキッとしてしまったのは内緒だ。

 

「我慢して楓ちゃん、あくまで表情は崩さないようにね!」

「ごめんなさい、思ったより冷たくて……」

「ぼ、僕もなんかごめんなさい!」

「良いのよ、七瀬君は自分の仕事をしてるだけなんだから」

 

 そういって笑う高垣さんはこの青空に負けないくらいに綺麗だった。どこまでも、青く、高く。それでいて……そのうちどこかに羽ばたいていってしまうんだろうか。

 

「七瀬君、どうしたの?」

「い、いえっ!」

 

 だめだ、いつの間にかぼーっとしてしまってたようだ。

 

「ほら、雑用君、撮影戻るよ!」

「すいません!」

「そうだ、七瀬君」

 

 ふと、改めて撮影に臨もうとしていた僕を高垣さんが呼び止める。

 

「えいっ!」

「つめたっ!」

 

 突然のことで思わず叫び声を上げてしまう。気づけば僕の顔は塩を含んだ水でびしょぬれになっており、高垣さんに仕掛けられたそれに脳が気づくまでに一瞬の間が空いてしまった。

 

「ちょ、何するんですっ!?」

「……お返しですっ!」

 

 悪戯っぽく笑う高垣さん。その笑顔に惹きこまれてしまいそうで慌てて僕は彼女から目を逸らす。

 なんというか彼女の狡さを改めて痛感する。彼女は分かってるのだ、こうすると自分が魅力的に見えることを。……それをどうして僕だけしか見えないところで仕掛けるんだろうか。

 

「そっちがそのつもりならっ」

「やりましたねっ!それなら私は足を使っちゃいます!」

「ちょ、そのワンピース思ったより裾が短いんですから!」

「お前ら遊ぶなよー撮影に戻るぞ」

 

 その後、お昼休憩をはさみながら何度もアングルを変え、時には腰まで水に浸かりつつ、その日の撮影は太陽が水平線へと顔を隠す直前になるまで続いた。

 カメラマンさんの撮影終了の掛け声とともにどっと疲れが押し寄せるが、この疲労感は決して撮影本編だけの疲れじゃないはずだ。

 

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