「流石にハードだった……」
撮影が無事に終わり宿へと帰還した僕は、現在自分の与えられた部屋の床に完全に大の字で果てていた。
流石に個室を7人分取るなんて贅沢は天下の346プロでも許しては貰えないらしく、高垣さんだけが個室らしい。その為当然ながらこの部屋にも相方はいるのだが、その人物は現在今日撮影した写真の確認と明日の打ち合わせのために別の部屋で打ち合わせ中だ。
「七瀬君」
そんなことを考えているとその張本人が部屋の方へと戻ってきたようだ。
「おかえりなさい、大崎さん」
「おう。それにしても初日から中々ハードだったな。お疲れさん」
「そんな、カメラマンさんとの打ち合わせや次の撮影地の管轄に電話かけたりと大崎さんの方が僕なんかより大変そうだったじゃないですか」
「おまけに東京の方でスケジューリングでトラブったらしいっていうおまけつきだぞ」
彼は窓際の小さな椅子に腰を下ろしながら何とも言えない表情を浮かべていた。
電話越しになかなかヒートアップした論戦を繰り広げている様子を昼間目にしていた僕はその光景を思い返しながら彼の苦労を心の中で労った。
「そう言えばこれ」
ふと、大崎さんが一枚の四角い何かをこちらへと差し出してくる。
「あんま給料弾んでやれなかっただろ。バイトもこのために休んでるって今西部長から聞いた」
「そ、そうですけどそれがどうしたんです?」
「ま、追加報酬ってことで」
そこに映っていたのは海辺で水をかけあう僕と高垣さんだった。
「これって……」
「井田さんがな、あ、井田さんってのはカメラマンさんな。その人が撮った写真の中に混ざってたから貰ってきた」
「貰ってきたって……」
「ちょうどプリンターも持ってきてたからサクッとな」
「いや、そういう事じゃなくてですねっ!」
「要はこう言いたい訳だろ、”こんなものを貰ってしまってもいいのか”」
そういうと彼はポケットからタバコを取り出すとそれにそっと火をつける。
「タバコ吸うんですね」
「アイドルの前じゃ絶対吸えないけどな」
「そりゃそうですよ」
ぷぅと煙を宙へと吐き捨てる彼を見て僕はその姿にバイト先の店長の姿を重ねた。
なんというか、大人になるといろいろあるんだろうな、そう思うと年齢を重ねることをどこか寂しいことのように感じてしまう。
「まぁ、今西部長から話は聞いてるって言っただろ」
「そうですけど」
ふと、彼の口から今西部長の名前が出た。
「よろしく頼むって言われてんだよ」
「よろしくって……何をです?」
「そこまでは俺も聞いてねぇよ」
吸殻を部屋の備え付けの灰皿に押し付けながらけだるげに彼はそう言った。そんなことより、この部屋喫煙OKだったのか。
「……俺も読んだんだよ」
ふと、大崎さんは吐き捨てるようにつぶやく。
「何をですか……?」
「演劇界の奇才、七瀬貴臣の最期のメモ」
チクリ、と僕の左胸にありもしない痛みが走ったような気がした。想定もしていなかったところから父の名前が出てきたからだ。こんなところで聞くなんて思ってもいなかった。
「三年ぐらい前だったか、ちょっとうちの担当をそっち方面に売り出そうと考えていた時だったか。そんときお世話になった人に教えてもらってな。たまたまだ」
父の遺作は世に出ていない。となるとそのお世話になった人というのは346の人間か父に近しい人間だったのだろう。
「それで……?」
「すげぇ構想だと思ったよ。奇才だなんて持て囃されてた理由が分かった。でもな、あの物語には大切なものが足りなかった」
「まぁ、あくまでメモですからね。でも、それでも父の話に足りなかったものなんて」
物語としての素材は揃っていたはずだ。舞台設定、登場人物の背景、そして物語のプロット。シナリオとしてはもう十分形になっていたはずだ。そんな言い切られるほど欠如してるものなんて――。
「あるよ。あったよ。あれはな、お芝居の台本だ」
そう強く言い放つ大崎さんを見て僕の脳裏にはある言葉が閃いた。
「……役者」
「流石だな」
台詞やト書きはキャストの息が吹き込まれて、初めてそれが舞台の上で形になる。脚本とはあくまでお芝居の設計図でしかないのだ。
演じられることのなかった父の物語は、本当にまだただのメモでしかなかった。
「読んだ瞬間俺は楓のことを考えたよ」
「シンシア……ですか?」
確かに高垣さんにはぴったりの役だろう。街評判の歌姫。そして彼女は新たな世界を求めて王都へと赴く。美貌だって高垣さんが演じるのであればハードルなんて軽く乗り越えてしまえるだろう。
もし彼女が演じたいというのであればこれ以上の適任はいないだろう。
「大崎さんは、あの物語の結末はお好きですか?」
あの本を読んだ。そう耳にした瞬間からどうしても聞きたかったことを尋ねた。
高垣さんはあの結末が好きだと口にしていた。担当の大崎さんは、エンディングをどう思ったのだろう。
「俺は……、いや」
そこまで口にして彼は小さく顔を横に数度振った。
「それは言わないでおく」
「なんでです?」
「もしかしたら七瀬君は、近いうちに俺の口からその答えを聞くかもしれないな」
「だったら!」
「でも、今は知らない方がいい。そのほうが明日明後日変なことを考えなくて済む」
「どういうことですっ!?」
「風呂、入ってくる。この宿露天風呂があるらしいからな」
「だからどういうっ」
答えを聞くまでもなく彼は入浴用の荷物を手に部屋から出てしまった。あんな意味深なことだけ言われてどうしろっていうんだよ。
どうしても僕は大崎さんの後を追うつもりになれず、一人部屋に取り残される。その後の入浴もせっかくの旅館の売りである露天風呂のことなんて忘れて部屋で済ませてしまうのだった。
伊豆大島で迎える二日目の朝も、それはどこまでも綺麗な青空だった。
寝ぼけ眼もすっきりと目覚める程の青さが部屋の窓から見て取れる。蒸し暑さも本格的になる前のこの時間はどこか自分が世界中で独りぼっちかのような錯覚を覚えてしまう。
そんなはずある訳ないのにどうしてこうも息苦しいのか。心の一番奥がぽっかりと空き続けている感覚が、いつまでたってもこの時間だけは拭えなかった。
「ん、起きてたのか」
「はい。おはようございます」
しばらくすると同部屋の住人が大きなあくびを伴って僕へと声をかけてくる。
「今日の撮影は山の方だからな。ま、頑張ってくれ」
「……つかぬことを聞きますけど、その山は車で登れます?」
そんな僕の素朴な疑問に彼はニヤリとどこか悪巧みを浮かべた時の悪役を彷彿とさせる笑みを浮かべた。
「途中まで、な」
なるほど、やっぱりそうか。
無意識のうちに僕の肩が下がるのが分かる。今日も暑くなるらしい。そんな気温の中おまけに重い荷物を持っての山登りときたもんだ。
この後襲い来る苦難を想像して今から気が重くなる。荷物も重けりゃ気分も重いってか。
「写真、持ってるか?」
「え、あ、はい」
突然のことだったが彼の言う”写真”の意味はすぐに分かった。いまだにそれがあんなにあっさり渡された理由の方は分からないままだけど。
「とりあえず企業秘密だから貰ったことは内緒な」
「それは分かってますけど……」
仮にも出版前の撮影物。その撮影時に撮られた写真の一枚だ。おいそれと公にしていい代物でもない。それによりによってばっちりと僕の顔が映っている。そんな写真をカメラマンさんがとった意味も、そして大崎プロデューサーが僕に手渡した意味も僕の想像の範囲にはありそうになかった。
「ま、それが手元にある理由は自分で考えてみろ。仮にも物書きなんだから」
「仮にって……これでも一応この仕事でお金は頂いてるんです」
「それは悪かったな。っつかちゃんとそれで食ってんのか」
「流石にこの仕事だけじゃ一週間分の食費にもなりませんけどね」
「まぁ、まだ19だろ。その辺はしょうがねぇよ。ってキャッツまた負けてんじゃねぇか」
吐き捨てるようにそういうと大崎さんはつまらなそうな顔をしながら部屋のテレビのリモコンをいじりだした。
「同い年の新田美波はひと月で僕が三か月暮らせる額を稼ぐらしいじゃないですか。年齢は言い訳になりませんよ」
「俺もそれぐらい稼いでるぞ」
「マジですか!?」
あっけらかんと言い放った大崎さんに思わず声を驚きの声を張り上げてしまう。
「346の給料ってそんな良いんですか!?って大崎さんはそれこそ僕らより大人じゃないですか」
「バレたか」
「っていうか大崎さんって実際おいくつなんです?」
「俺か、三十五?」
「なんで疑問形なんです……」
「俺ぐらいになると自分の年に無頓着になっていくんだよ。1年前も1年後もやってることはたいして変わんねぇよ」
「そんなもんなんですかねぇ」
「ま、その写真が手元にある理由はそのうち分かってくるかもな……分かんねぇかも」
「どっちなんですか」
そんなこんなのやり取りののち、今僕はがたがたと山道を走るレンタカーの中からぼんやりと眼下に広がる海を眺めていた。
「いい天気ですね」
隣に座る高垣さんがまぶしそうに目を細めながら同じように海へと視線を傾けている。
今日も高垣さんは綺麗だ。細めた目元から僅かに見え隠れする二つのオッドアイはこの伊豆大島の雄大な自然とそしてそれを包み込むように広がる広大な海を連想させる。
ブラウスから伸びたすらりとした白い腕が日光に照らされてほんのりと赤く上気しているのもポイントが高い。
「本当に、綺麗ですね」
ふと心の声が口からこぼれてしまう。
視線がばちりと彼女と交差しする。しまった、海なんて見てなかったことがばれてしまっただろうか。
「ふふっ」
「ど、どうかしましたか?」
「いえ、なんでもっ」
そういって僕には理由もわからない笑顔を浮かべて彼女は再び視線を海の方へと戻した。
そんな彼女につられるように僕の視線もついつい海の方へと動いてしまう。陸地なんて一つも見えないその場所は、今日も青々とその水面を輝かせておりどこか自分のちっぽけさを痛感させられる。
高垣さんは、この景色に何を思うのだろうか。
ちらと覗き込んだ彼女の表情は僕には到底読み取ることが出来るような代物ではなく、ほのかに緩んだ目元にただただ僕の思考は吸い込まれるだけだった。
「っと、そろそろだな」
そんな僕の意識をこちら側へと引き戻したのは、呑気に声を上げる大崎さんの言葉だった。
「もう着いたんですか?」
「着いたというか……七瀬君にとっては苦労の始まりかもしれん」
そういって苦笑いを浮かべる彼を見て僕は早朝のやり取りを思い出すのだった。
「登るんですね……」
「ああ、あそこをな」
大崎さんが指さした先には小高い丘がそびえていた。頂上には小さな展望台が備え付けてあり、そこに向かって目の前から展望台に続く道のりが丘に這うように伸びている。
距離にして二百メートルほど。高さにしてざっと五十メートル以上だろうか。
いや、あれをこの荷物を背負って……?
後部座席には衣装やメイク道具を詰め込んだ大きめのボストンバッグが4つほど鎮座している。これからこの坂道を共に歩く憎き相棒たちである。その隣ではメイクさんがニコニコと微笑みながらこちらに小さなガッツポーズを送ってきていた。
「いや……。はい、頑張ります」
そんなこんなで始まった高垣楓伊豆大島写真集ロケの二日目はコンディションに恵まれ順調に撮影を進めていくのだった。