高垣楓「そして明日の物語」   作:くまたろうさん

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第7話

「お疲れ様」

 

 撮影開始から2時間ほど経った頃だろうか。

 お昼休憩となったタイミングで木陰に身を休める僕のもとへと冷たいペットボトルが差し出された。

 

「あ、リエさん、お疲れ様です」

 

 そこにいたのは二つ結びのおさげが印象的な眼鏡がよく似合う女性だった。

 彼女は今回の撮影に同行しているスタイリストのリエさんだ。年齢はヒミツ、ちなみに苗字もヒミツらしい。先日の自己紹介の際に「女性は秘密が多い方が魅力的なのよ」と言っていたが僕の見立てではきっと大崎さんと同じぐらいの年齢だろう。本人には思っても言わないけれども。

 

「うん、お疲れ様。撮影順調そうで何よりだよ」

「そうですね……」

「いや、七瀬君は大変そうだったけど」

「衣装関連のスタッフさんは木陰でずっと見てただけでしたもんね」

「ごめんねー、マチコちゃんと二人でずっと喋ってたわー!」

 

 そういってニカッと笑うエリさんを見て僕は先ほどまでの自分のハードワーク具合を改めて思い出すのだった。

 坂道、高温、重い荷物。

 夏場の地獄三点セットは想像通りの体験を僕に提供してくれた。挙句その後も白い板もって高垣さんの周りを行ったり来たり。展望台を囲うように設置されている安全柵は、本来乗り越えることは禁止されているのだがそれも問答無用で乗り越えあっち側へ。

 足場が崩れこぶし大の石が急斜面を転がり落ちていったときは流石に肝が冷えたものだ。

 

「撮影、楽しい?」

 

 エリさんは手元のミネラルウォーターをくぴりと煽りながらあっけらかんとした表情で僕へと尋ねる。先ほどの光景はばっちりご覧になってるはずなんですがね。

 

「楽しいか楽しくないかって言われると楽しいですけど、ことごとく大変ですよ」

「まま、この業界の若い者ってのは大抵そんな扱いなのよ」

「ブラックですね」

「……否定はしないわ。でも、AD君たちよりはましだと思うけどね」

 

 そういって苦笑いを浮かべるエリさん。あれがマシな方っていったいどんなことをさせられているのか……。僕はそっと顔も名前も知らないこの世の全てのアシスタントディレクター達の無事を祈る。

 

「そういやさ、七瀬君、どうしてこのロケに帯同したの?大崎さんから直前に一人人員が変わるって聞いたからびっくりしたよ」

「あー、それは……」

 

 これは今西部長から聞いた話だが、本来このロケには別の人間がついていく予定だった。346のスタッフだったらしいのだが僕が名乗りを上げたせいで今は別の現場に赴いてるようだ。

 今回のロケ隊に人員の変更が伝わったのはロケ直前のことだった。

 

「そこはいろいろとありまして……」

「色々、ねぇ。これ、聞いていいのかわかんないんだけどさ」

 

 ふとエリさんの顔に陰りが見える。こちらの顔色を窺うように、どことなく不安そうだ。

 

「いいですよ。むしろこちらはお世話になっている身なので、なんなりと聞いてください」

「それなら聞くけど、七瀬君、ぶっちゃけ七瀬貴臣の息子?」

 

 ドキリ、と心臓が高鳴るのが分かった。僕が七瀬貴臣の息子だということは業界で知っている人間なんてほとんどいない。ましてや父と僕の才能なんて天と地ほどの差があるのだ。そこに関係性を結びつける方が稀だろう。それなのにどうしてこの人は……?

 

「アタリ、って顔してる」

「……誰から聞いたんですか?」

「マチコちゃんがね」

 

 そう言ってエリさんが視線を向ける先には大崎さんと楽しく談笑しているヘアメイクのマチコさんの姿があった。頭の上にポコリと乗っかったお団子ヘアがよく似合う、こちらはエリさんとは対極に少し物静かな印象の女性だ。

 

「マチコさんがどうしたんです?」

「あ、噂好きなのよ彼女」

「へぇ~」

 

 少し意外だった。人付き合いとか苦手そうな印象を受けたのだが。案外そういうことでもないのかな。このロケ中エリさんとは何度か言葉を交わしているがマチコさんとは朝の挨拶と後はちょっとした業務連絡ぐらいの会話しかしていないことを思い出す。

 もっと彼女とも交流を深めていくべきなんだろうか。 

 

「で、マチコちゃんからちらっとね。あ、気にしてたらごめんねっ!」

 

 こちらに両手を合わせながらペコリと頭を下げるエリさん。別に謝られるほどのことをされた覚えはないのだが、素直に貰えるものは貰っておくことにする。

 

「気にしてるか気にしてないかって言われたら気にはしていますけど……。でも、僕は父とは違いますから」

「なんかドライだね~、イマドキの子って感じ」

「いや、そういうのとは違うっていうか……違うと、思います」

 

 余計なことを言わないようにと、言葉と一緒に飲み込んだペットボトルの水は既にこの暑さですっかりぬるくなってしまっていた。

 喉を通るちょっとした嫌な感じの正体は、きっとこの飲料水のせいだ。

 

「……エリさんは、どうして今のお仕事に?」

 

 不快感を何とか押し込めようと絞り出した僕の質問に、エリさんは一瞬困惑した表情を浮かべた。その後顎に静かに手を添えると彼女は何やら考え込むような仕草を取った。

 

「何というか、一言で言うとここだって思ったんだと思う」

「ここだって思った……ですか?」

 

 彼女が口にした答えの意味を僕はイマイチ理解できなかった。

 

「ワタシ、ちっちゃい時から服とかが好きでね。高校卒業してすぐに服飾の専門学校に進んだんだよね」

「へぇ、いいですね、なんか女の子の憧れって感じします」

「でしょ!それで卒業を機にアパレル関係のメーカーに就職したの」

「あれ、346じゃないんですね」

「そーなの。まぁ、その後ちょっとした仕事で346のスタイリストさんと知り合いになってねぇ。ああ、こういう仕事もあるんだーってなったの。それで転職して346に来たって訳」

 

 人生の数だけ物語がある、とはよく言ったものだ。きっと転職するときにも一波乱あったんだろうなぁ。

 

「で、急にどうしたのよ。おばさんの人生なんて聞いてもしょうがないでしょ?」

「おばさんだなんて」

「いいのよ、どうせ大崎君より四つも上なんだから」

「えっ」

「あ、心からの声が聞けたわね」

「す、すいません、失礼しました」

 

 同じぐらいだとは思ってたけどまさか四歳も年上だったとは。大崎さんは35。ってことはエリさんは今……だめだ、これ以上はいけない。簡単な足し算を僕の脳はそっと拒否したのだった。

 

「急にどうしたってことの程ではないんですけど」

「七瀬君も一応同僚なんだから、話ぐらいは聞くわよ?今は346で放送作家もどきなんでしょう?」

「まぁ、そんな感じです。新人アイドルのラジオ番組の構成やってたりしてます」

「十九でそれはすごいわよ!もっと誇りなさいな」

「あくまでサブなんですけどね。僕が考えてるのは番組内のミニコーナーの企画とかですよ。全体の流れはメインの作家さんがいるので」

「それでも十分よ、自信もって」

「”自信”ですか……」

 

 今の仕事に不満は正直ない。自分の実力も分かっているし、それを見越したうえでこうして使ってもらっているのはすごくありがたい。僕の年齢でこれだけのことをやっているのは業界広しといえども決して多いわけではないだろう。

 本来は自信を持ってもいいのだろうけど、だけど、どうしても心の奥底のもやもやがそれを許してくれそうにはなかった。

 

「今の仕事は不満?」

「不満って訳じゃないんですけど……ちらつくんです」

「ちらつく?」

「はい、父の影が、ちらつくんです」

 

 ”演劇界の奇才”七瀬貴臣の息子。というのは案外簡単には消えてくれない。キーボードに向かう度に僕の脳裏には常に昔見た父の背中がちらつくのだ。

 

「偉大な御父上を持つってのは大変ね」

「そう、ですかね……。父っていうよりも尊敬する同業者に近いですけど」

「亡くなったのは7年前?」

「ですね、僕が中学に入ってすぐのころでした」

 

 あの日のことはよく覚えている。

 学校から帰宅した僕の家の前に救急車が止まっており、慌てた様子の母が救急隊員に縋っているあの光景を。

 あの時の僕は父が倒れたなんて実感が無く、病院のベッドの上で白い布を被された父の姿を見てようやくそのときになって初めて父の存在がこの世から無くなったことに気づいたのだった。

 あの時の僕は、寂しかったのか、それとも悔しかったのか。

 今思えば、僕がこうして物書きを志したのも、あの背中が居なくなったからなのかもしれない。

 

「ごめんね、しんみりとした話になっちゃったね。お父さんに憧れてるの?」

「過ぎたことですので……。でも、同じ仕事をしてるっていう実感は無くて、父に近づきたいのかそれとも彼と同じ道を歩きたくないのか、よくわからないんです」

「お父さんを超えたいの?」

 

 ふと、リエさんが呟いた言葉に時が止まったかのような錯覚を覚えた。

 記憶の奥から僅かに父の書斎の香りがフラッシュバックする。日焼けした本の臭い。わずかに埃臭いその空間は僕が小さいころから見てきた父の背中を思い起こさせる。

 

「超えたい……というよりは」

 

 それはきっと僕がずっと思い続けていた願い。その為に僕はこうして物書きを名乗っているのかもしれない。

 

「きっと、父を”理解”したいのかもしれません」

「理解?」

「ええ、どうして彼が脚本家なんて仕事を始めたのか。どうして演劇界の奇才なんて大層な名前で呼ばれるようになったのか。彼が、自らの世界で何を伝えたいのか」

「なんか小難しい話ね」

「そうですかね……。僕だってよくわかってないです。でも、父は小さいころからこう言ってました。”誰かの明日になれる物語を”って」

「……素敵な言葉ね」

「僕もそう思います。でも、きっと僕はその真意を理解できてはいないんです」

 

 我ながら訳の分からないことを宣っているのだということは分かる。でも、そんな僕の拙い言葉にエリさんは笑顔を崩さないままそっと見守ってくれていた。

 なんというか、こんな人間なのに僕の周りには本当に素敵な大人が多いと思う。

 

「じゃ、理解しに行かなきゃね」

「出来るでしょうか……?」

「出来る出来ないじゃなくて、やらなきゃいけないことなんでしょ?」

「厳しいことを言いますね」

「ワタシ、七瀬君のこと結構評価してるのよ?キミは若いのによくやってる。ワタシがあと十年若かったら手を付けちゃうかも」

「今だっていいんですよ?」

「ナマイキなところはマイナスポイントかな。それにアタシ」

 

 そういうとエリさんは左手の甲をこちらへと晒してくる。その薬指には、きらりと光る親愛の証が輝いていた。

 

「ケッコンしてるの。んじゃ、楓ちゃんのメイク直しがあるから」

 

 「ガハハー」なんて打てば響くような笑い声を発しながらエリさんはそのままレンタカーの方へと姿を消した。

 残された僕はエリさんから差し出されたミネラルウォーターへと口を付ける。今日も気温は猛暑日を優に超える暑さだ。案の定先ほどよりもさらにぬるくなったそれは僅かばかりの潤いを喉へともたらすとそのまま胃の中へと姿を消した。

 

「おーい七瀬君、続きやるぞ」

 

 遠くで大崎さんが僕の名前を呼ぶ声がする。カメラマンさんたちも幾らするのかわからない高そうなカメラを弄繰り回しながらこの後の撮影の準備に取り掛かっていた。

 

「やらなきゃいけないこと、ねぇ」

 

 口をついたのは先ほどのエリさんの言葉。先の見えない未来に近づくために、僕はそんな言葉と共に重い腰を上げたのだった。

 

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