高垣楓「そして明日の物語」   作:くまたろうさん

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第9話

「お疲れさん」

 

 閉店作業を終えてロッカールームへと向かった僕を待っていたのは店長だった。

 

「お疲れ様です」

「いやぁ、流石に肩凝ったわ。今日はホールも忙しかっただろう?」

 

 いつもの仕草で椅子へと腰かけると彼は机の上に放り投げられていたタバコの箱へと手を伸ばした。

 

「まぁ、団体さんが三組いましたからね。しかもそのうち二組は十人越え。ドリンク捌くの大変でしたよ」

「予約貰った段階で人増やしといて正解だったな」

「ですね」

「そういや、この前のあれ、どうだったんだ?」

「あれ?」

 

 店長と同じシフトになるのは実は大島から帰って以来初めてだった。そうなると自然と話題はそのことになる訳で……。まぁ、仮にも発売前の写真集の撮影。店長には簡単な概要しか話していないため楓さんのことを根掘り葉掘り聞かれることはない。

 

「いやぁ大変でしたよ、重い荷物持たされたりあちこち走らされたり」

「なんだ、うちと対して変わんねぇじゃねぇか」

「バイト代は向こうの方が圧倒的に上でしたけどね」

「それはうちじゃどうしようもねぇんだよ。チェーン舐めるな」

 

 そう言って大手を振る店長。まぁ、僕もこうやって不満は口にするものの良くしてもらっているここを今のところやめる気はない。

 

「で、今日はどうしたんだよ」

 

 仕切り直し、といわんばかりに二本目のタバコに火をつけると店長は明後日の方向を向いていた体をこちらへと向けた。

 

「どうしたって……」

「今日は様子が少しおかしかったぞ」

「……そんな日もあります」

「じゃあそんな日が来る度に聞いてやるよ。何があった?」

 

 大人はズルい。普段はそんな態度を見せることなんてないのに、こういう弱ってるときに限ってきっちりと手を差し伸べてくるのだ。

 まるでタイミングを見計らってるかのように、虎視眈々と手を差し伸べる相手と瞬間を狙ってるのだ。そんな風に手を差し伸べられてしまったら、見えてるそれを取るしかないじゃないか。だって、僕はこの世界じゃあまりにも無力すぎるのだから。

 

「……高垣楓」

 

 ぽつり、店長が呟く。視線の先には相変わらず笑顔の楓さんがビール片手に笑っていた。あのポスターも、彼女がアイドルを辞めてしまったら外されてしまうんだろうか。

 

「ご名答ってところか?」

「何というか、見透かされてる感じですかね」

「七瀬、お前思ったよりわかりやすいからな」

「マジですか……?」

「マジマジ」

 

 そんなことはじめて言われた。あれ、もしかしてあの時の態度も全部楓さんに見透かされてたり。それはちょっと恐ろしくて考えたくない。

 

「引退報道で一ファンとしてただ悲しみに暮れてる。って訳でもなさそうだな」

「……まぁ、色々とありまして」

「そっか……。で、どうするんだ?」

「えっ」

「どうするんだって聞いてんだよ。お前、どうせその様子だと高垣楓と顔見知りにでもなったんだろう?羨ましい限りだぜ」

「いや、まぁ、そうなんですけど……。どうするって言ったって僕には何も……」

 

 こんな状況で僕に出来ることなんてあるはずがないじゃないか。トップアイドル高垣楓、片や僕は駆け出しのちっぽけな物書きに過ぎない。アマチュアに毛が生えた程度の僕が、楓さんにいったい何が出来るというのだろうか。

 

「出来る出来ないってのは確かに問題だ」

 

 両瞼を片手で摘まむように擦りながら店長は呟く。

 

「問題だけど、それ以前にもっと大事な問題があるだろう?」

「もっと大事なって……」

「やるかやらないかだよ、単純だろ?」

 

 そう言って店長はニヒルに笑って見せた。そう言えば、島でのエリさんも同じことを口にしていた。

 

「そうは言われましても……」

「いいか七瀬。やらないで後悔するよりもやって後悔しろ。よく聞く台詞だろ?」

「そうですけど」

「言うだけなら簡単だよな。でも実際問題何かをやるってのはすげぇ大変なことだ。能力もいるし時間もいる。場合によっちゃ金もかかるかもしれねぇ。人生を賭ける覚悟も必要かもな」

「随分と壮大ですね」

「甘ぇよ。何かをやるってのはそういうことだ。だがな、そこまでして変えたい何かが、手に入れたい何かがあるのならば躊躇うな。勇気も無くて布団の中で縮こまって震えてるお前と、その覚悟があってボロボロになった先で笑ってるお前。七瀬はどうなりたい?お前が高垣楓にどういう思いを抱いているのかは知らねぇ。だがな、その先で、その世界で、お前は高垣楓にどうあって欲しいんだ?」

 

 僕が楓さんにどうあって欲しいか――

 

「出来る出来ないじゃねぇ。お前自身がやりたいことを探せ。結果は最後にゃどうせ出るんだから。それを確認してからでも後悔するのは遅くねぇぞ」

「店長……。どうしてそこまで」

「飲食チェーンの雇われ店長の座に収まって十年が経つ」

 

 僕は忘れないだろう。

 

「それまで色々あったぜ。俺だってボロボロになりながら夢追っかけてやってきた時期もあった」

 

 こんなちっぽけな背中を、精一杯に押してくれた彼のその言葉を。そして――

 

「そして俺は今精一杯やって、後悔してる」

 

 余りにも満足そうに笑う、その笑顔を。

 

 

 

 

 

「か、楓さん!?」

 

 彼女と出会うときは、たいてい僕の想定外の場所だ。

 初めてはカフェで。二回目は伊豆大島。そして三回目は――

 

「あら、七瀬君?」

「七瀬?じゃあこの子が例の?」

 

 注文のドリンクを両手いっぱいに持ち、慣れた手つきで引き戸を開けた僕の目の前に広がっていたのは、何とも言葉にしがたい光景だった。

 机の上に突っ伏してピクリともしない美人。部屋の隅で壁に向かってひたすらに頭を下げまくっている美人、机に潜り込むようにうつ伏せで寝転がっている美人。そこは、美人の地獄絵図だった。

 そんな地獄絵図の真ん中で、ビールジョッキを片手に幸せそうな表情を浮かべている見慣れた美人と、お猪口を摘まんでアンニュイな表情を浮かべる何処か見覚えのある美人。

 ドキリとした。楓さんとはまた違う色気が机越しにも伝わってくる。

 

「はじめまして、柊志乃です」

 

 そういって笑う彼女からは、どこかこちらへと親しみを込めたような雰囲気が伺えた。

 

「は、はじめまして……。七瀬幸市、です」

 

 柊さんは僕の自己紹介に「ふふっ」と小さく口元を緩めるとそのまま手に持っていたお猪口にゆっくりと口を付けた。

 そりゃ何処か見覚えが有る訳だ。彼女も立派な346プロダクションのアイドル。それに恐らく二人に潰されたのであろう美人たちもしっかりと顔を見ればみんなアイドルじゃないか。

 

「ど、どうしたんですこんなところで」

 

 そりゃ僕の口からもこんなありきたりな言葉が出るってもんだ。状況がさっぱりわからない。というかなんでこの人たちがこんなチェーンの居酒屋なんかでバカバカとジョッキを空けてるのかが謎だ。芸能人ってもっとこ洒落たところでゆったりとグラスを傾けてるものだと思っていたのだが。

 

「いやぁ、今日は私の送別会みたいで……」

 

 そう言って楓さんはころころと音が鳴るかのような可愛らしい表情で笑った。それだけでもうこの空間が彼女にとって居心地の良い場所なんだということが伝わってくる。

 送別会。

 そうか、これは楓さんを送る会だったのか。

 

「それにしたってこんなところで、驚きましたよ」

「あれ、聞いてなかったんですか?ここの店長さんの気遣いだそうで……」

「て、店長?」

 

 なんだってこんなところで店長の名前が出てくるんだ。

 

「あれ、プロデューサーさんと古くからの友人だって聞いてましたけど」

 

 僕にとっては前代未聞の新事実。それを楓さんはあっけらかんと言い放った。

 

「お、やってるか?って……こりゃまたひでぇな」

 

 そしてそこにまた新しい人影が一つ増える。

 こういう時の現実というのも奇妙なことにうまくできていて、そこにいたのはまさに直前に名前が出た人物だった。

 

「あら、大崎さんじゃない」

「プロデューサーさん」

「相変わらず起きてるのは志乃と楓だけか……どーすんだよこれ」

「お、大崎さん!?いったいどういうことですっ!」

 

 見慣れた顔を見慣れない場所で見続けているせいか先ほどから物凄い違和感に包まれまくっている僕。そんな僕の心情を大崎さんは一瞬で把握したのかその顔に同情の色を浮かべると同時に僕の手から流れるように注文のドリンクを攫っていくのだった。

 

「黙ってたって訳じゃねぇんだが……話すようなことでもなかったしな。それとハイボール。出来るだけ濃く、作ってくれよ」

 

 そう言って大崎さんはバツが悪そうに頭をポリポリと数度掻くのだった。

 

「店長、どういうことです!?」

 

 厨房へとオーダーを拾いに行った僕はというと開口一番キッチンスペースの一角で呑気に休憩をかましている店長へと噛みついた。

 

「お、その様子だとあれか、大崎も来たのか?」

「そうです。……じゃないですよ!知り合いだったんですか?全くそんなこと口には」

「待て待て」

 

 ふと目の前に現れた手のひらに口をつぐんでしまう僕。そこには店長が呆れたような表情で手をこちらに差し向けているのが目に入った。

 

「この歳になるとな、話したくねぇ事も色々あんだよ。色々な。まあ、詳しいことは大崎から聞いてくれ」

「そ、そう言われましても……。とりあえずこれ、四番のお座敷な。それ届けたらこっちのハイボール、大崎に持ってってやってくれ」

「は、はぁ……」

 

 これ以上はきっと彼は何も口を開かないだろう。気になりつつも進展が望めないことを何となく察した僕は渋々店長から渡されたドリンク類を手に持つと再びフロアへと足を向ける。

 そしてそこで小さな違和感に気づくのだった。

 

「あれ、僕大崎さんのオーダー通しましたっけ?」

「どうせあいつはそれだろ?ちゃんと濃い目に作っておいたって伝えておいてくれ」

 

 そう言って笑う店長は、どこか昔を懐かしむかのような優しい目で笑っていた。

 

 

 

 

「悪いな、こんな時間まで」

「いえ、それにしても大変ですね……」

「ホントだよ。特別手当なんて出もしねぇってのに。それじゃあ志乃、領収書ちゃんと貰っといてな」

 

 タクシーの扉の向こうへと消えていく柊さんに声をかける大崎さんを見ながら、僕は彼と店長のことを考えていた。

 結局、あれから”高垣楓送別会”がお開きになることはなかった。浅い眠りからイマイチ現実に戻れないでいる佐藤さん、何とか冷静さを取り戻そうと取り繕う三船さん、思考がどこかに行ったっきりの安部さん。その他諸々。その層のファンが見たら卒倒しそうなレベルのアイドルオンパレードは閉店時間まで続くこととなったのだった。

 そして閉店作業後に店を出てみると酔っ払い美女に囲まれて疲労困憊の大崎さん達が未だに店の前にたむろしていたという訳だ。

 

「これもお仕事なんですか?」

「そこまでブラック企業に就職したつもりはないんだけどな」

「じゃあどうして……?」

「楓がな、どうしてもってうるさく言うもんだからさ」

 

 そういって大崎さんが視線を向ける先には、店先のベンチで気持ちよさそうに寝息を立てる楓さんの姿があった。

 トップアイドルがこんな繁華街の店先で寝てるなんて、考えただけでも危険極まりないのだが、それもこれも、きっと大崎さんが居てくれるからなんだろうか。

 

「ほら、起きろ楓」

「ん、んぅ~。睡魔に襲われすいません……?」

「しょーもないこと言ってんな。俺はこの後また会社に戻らなきゃいけなんだよ」

「そーれすかぁ……大変ですねぇ」

「なぁ、七瀬、俺はキレてもいいよな」

 

 なんてことを口にしながらプルプルと右手のこぶしを震わせる大崎さんを何とかなだめる。

 

「ってかこの後会社に戻るんですか!?」

「そーなんだよ。明後日のロケのスケジュールがまだうまく決まって無くてな……」

「大変ですね……」

「そういうことだから、頼むわ」

 

 ポンと僕の背中が子気味の良い音を立てた。

 

「いや、頼むって何を……」

「楓、家まで送ってくれ」

「……はい!?」

「これ、住所な」

 

 そういって手渡されたのは一枚の紙切れだった。聞き覚えのある地名といくつかの数字が羅列しており、それがとある場所の住所だということが一目でわかる。どうやら彼の名刺の裏面に走り書きされたものらしく表面には346プロダクションのロゴと彼の名前、そして肩書が黒の印字で印刷されていた。

 というか、この人ご丁寧にこれを準備していたってことは、最初っからそのつもりだったのか。

 

「いや、あのですね、仮にも僕は楓さんの関係者ではない訳で……。ほら、間違いがあったりだとかしたりですね!」

「間違いが、あるんですか?」

 

 思わず声を上げてしまった僕へと差し向けられた声は、楓さんの声だった。 

 

「いや、そりゃ、僕なんかある訳がないんですけど……」

「じゃあ、いいじゃないですか」

「ってことだ。まぁ、俺も七瀬君はそんな度胸ないと思ってるから安心してるんだけど」

 

 そういって大崎さんも楓さんへと助け船を出す。

 いや、それ僕褒められてないですよね。

 

「こういう時ってどういう顔をすればいいんですかね」

「笑えばいいと思いますよ?」

 

 そう言って楓さんは嬉しそうに笑った。

 

「じゃ、決まりだな。なんかあったら連絡してくれ。連絡先は、さっき渡しただろ?」

 

 僕の右手には、先ほど半ば押し付けるように手渡された大崎さんの名刺が握られている。

 

「そ、そこまで言うんだったら任されました」

「そか、お、ちょうどタクシー来たみたいだ」

 

 その声から何秒もたたないうちに一台のタクシーが道端へと滑り込んでくる。大崎さんは流れるようにそれへと乗り込むと、最後に窓の隙間から残された僕にこう声をかけるのだった。

 

「それじゃあ少年、いい夜を」

 

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