離れ座敷から祝勝会の現場である二階の大部屋へは、厨房前の廊下を進んで奧の階段を上がるのが近道らしい。というのも、母屋へ戻ってすぐに顔を合わせた着物姿の女性が、
「ああ! 離れに入っていらしたお客様ですね! 今の時間帯、夕食時というのもあって人が増えてまして、こちらからの方がスムーズにお二階へ上がれますよ! え、関係者以外立ち入り禁止? ハハハ大丈夫ですよ、私関係者ですから!」
との事で案内を任せて後ろを歩いているのだが、
……うわあ、盛りあがってるね……!
階段を半ば上った辺りで聞こえ始めた騒がしさに、みほはそう思った。
一番よく通っているのは一年生達の声だろうか。元気がいい。ただ、走り回っているような騒がしさというよりも、
「単に笑い声が大きいというか、声のキーが高いのか……。ああいうのを賑やかって言うのかしらね、うちとは大違いだわ」
「黒森峰だと勝利して当然って空気だったから、祝勝会を開いてもあまり騒いだりしないもんね。……エリカさん、こういう騒がしいの苦手だっけ」
と己は少し後ろに位置する元同僚を見やる。だが、彼女は気にした様子もなく、
「別にそういうワケじゃない。ただ単に、理由もなく騒々しくする奴らが嫌いなだけ。あなた達にはあるでしょ? 騒ぐだけの理由が」
「でも、お店の人に迷惑じゃないかなあ。他のお客さんとか」
「それはまあ、……流石に限度はあるでしょ」
「そうだよねー……」
注意した方が、でもどうやって、お姉ちゃん風……? と何となく失敗するようなイメージを思い描いていると、前を行く着物姿が、あら、と声を漏らした。
「そのような事はお気になさらずとも大丈夫ですよ? ご予約の際に騒いでしまうかもと伺っておりますし、その辺りも考慮して、用意させて頂いた大部屋の下は従業員用のスペースとなっていますから」
それに何より、と彼女が言う。
「めでたき事柄への喜びを我慢する必要が、どこにありましょう。その程度で文句を言うような輩はこの店にはおりませんから、存分にお騒ぎになられるとよろしい。
あ、でも襖や障子などには気を付けて頂けると幸いです。アレ、破ったりするとお客様へ修繕費を回さないといけませんから」
「――もしそういう事になったら全部みつるに投げちゃいないさい。大丈夫、あいつなら笑って許してくれる」
「そ、そうかな……?」
などと話しているうちに祝勝会の開かれている大部屋の前にやってきた。
そして、ちょうど空いた皿を下げて出てきた仲居達がこちらを見て、
「あ、女将! 大好きな先輩の息子さんが挨拶に来るからって、気合入れた格好して出迎えに行った女将じゃないですか!」
「挨拶終えて仕事に戻るかと思ったら大好きな先輩に電話かけて、満面の笑みで長電話決め込んでたのにやっと終わって戻って来たんですね!」
「乙女ですか! 片思いですか! 憧れですか! 厨房連中が泣きますよ! というか女将の先輩って女性ですよね!? つまりそういう事なんですね……!!」
女将が袖を抑えて右手を挙げる間に、わあ、と仲居達が一階に降りていく。慌てたような動きでも重ねた食器類から音が立たないのは流石の身のこなし。
……一流の料亭って凄いんだね。
何だか感想としては間違っているような気もする。と、そんな事を思いつつ、役目は終えたと仕事に戻っていく女将に会釈を返していると室内から声が来た。
「やあやあ西住ちゃん、お帰りー。みんな待ってるよー?」
あ、と反応を口に出す前に奥から続けて声が来る。
「遅いぞ西住! 主役が不在でどうする……!」
「まあまあ桃ちゃん、そう言わないの。西住さんだって御家族との大切なお話があったんだから」
「だけど柚子、って、桃ちゃん言うな――ッ!!」
そして、
「みぽりん帰って来た!」
「え、西住先輩!?」
「我らが隊長!」
「お帰りなさい――」
と、顔を出してくるチームの面々に、己は今の感情を自覚する。
……あ、何だか解らないけどすごく嬉しい……!
得も言われぬ不思議な気持ちが溢れてくる。駄目だ、ゆっくりとだけど口元が緩んでいくのが止められない。
……うわあ、うわあ……!
今日は言葉にならない出来事が多い。だが、今はそんな事を気にしている暇はなく、
「西住殿! お隣! お隣の人物はもしかしてというかもしかしなくても――ッ!!」
優花里さんが友人を見てテンション上がっているのでこれ以上の御預けは申し訳ないな、と思いました。
……話し合いが長引いて、合流が遅くなっちゃったもんね。
なのでまずは、言うべき言葉を口にする。
皆さん、と己は前に置いて、
「西住・みほ、ただいま戻りました! あ、こちら黒森峰の副隊長で、私の大切なお友達の逸見・エリカさんです。皆さん、仲良くしてあげてくださいね……!」
すると彼女から半目を向けられながら頬を左右に伸ばされたが、一体何が気に障ったのだろう。
いふぁいよえりはさん。
~~
「さて、じゃあ、西住ちゃんも戻って来た事だし、改めて乾杯いっとこう! あ、黒森峰の副隊長も歓迎ってことで、そっちにも。――かんぱーい!」
いえー、と大洗の生徒会長に続く周りに合わせて、エリカは柑橘炭酸の入ったグラスを上げた。
自分の座り位置としては窓側。みほの同車メンバーが確保していた中腹席で、彼女達と共に座っているのだが、
……あー、こういう雰囲気って、黒森峰にはないから新鮮ね――。
グラスに口を付ける。一気にではないが、それなりの量を喉奥へと流して炭酸の刺激を久々に感じつつ、
「――随分と愉快なメンバーだわ」
と、自分はみほに紹介された、彼女の同車メンバーを見た。
武部・沙織。
五十鈴・華。
秋山・優花里。
冷泉・麻子。
そして、人数も多いことから簡単な挨拶だけで済ませたものの、顔を合わせた他の大洗戦車道チームの面々に対して、己としては思うところがある。
……自由だわ。
誰とは言わない。まだ全員の顔と名前が一致している訳でもないし、そもそも他校の生徒が口を出すような事でもなく。
校風か、と納得はした。しかし理解は追いつかない。
……コスプレ会場か……!
初見で声に出しそうになった自分は間違っていないと思う。だが、そんな彼女達がサンダースを下して二回戦へ進んだのは事実で、
「今頃、各校の情報担当系は大騒ぎね」
大洗女子は今日の勝利まで無名だったのだ。番狂わせと、そう騒ぐのも無理はないが、
……グロリアーナやプラウダ辺りは、確実に予想していたはず。もしかしたらサンダースも同様で、事前にみほのことを掴んでいたのかもしれない。
であればこその、あの試合過程だったのだろうか。
否、試合後のみほやサンダース側の様子を思い返すにどうも一部、というより一人が独断で行っていたようだが、しかし観戦していた側としては、
「うちのみほがあの程度の灰色行為で負けるわけがない」
我らが隊長の言葉には全力で頷く所存だが、試合開始から早々〝仕込み〟に気付いた貴女が心配で落ち着きが無かったのを知っていて自分はどうしたものだろうか。
ともあれ、大洗女子にとってはこれからが本番だ。
一応、自分は黒森峰の副隊長でもあるし、彼女達の隊長とはそれなりの付き合いでもある。故に何かしら質問というか、アドバイスのようなものを求められるかもと、そう思っていたのだが、
「見てください五十鈴殿! こちら海老の天ぷらを小鍋に差し込むとまるで戦車のように……!」
「まあ! だったら山菜の天ぷらを挿したらお花風になりますね……!?」
ホントこの子達は一体何をしているのだろうか。
~~
「……本当に、素敵なメンバーね。みほ」
「えへへ、有り難う」
いや褒めた訳じゃないんだけど、とエリカは思っても口にしなかった。
……まあ、みほがそう思ってるならそれでいいか。
などと感想し始める辺りに彼女への甘さを自覚するが、そこは久々の再会からの延長ということで許容する。
とはいえ彼女には、聞いておきたい事もあり、
「次の二回戦、どうなのよ」
「うーん、まだ対戦相手も決まってないから、何とも言えないかなあ」
「マジノかアンツィオだったかしら」
うん、とみほが頷いた。
「どっちが相手でも負けたくないし、負けるつもりはないよ。……それにもし勝ち上がってきたのがマジノ女学院だったら、前に練習試合でハマっちゃったから対策も考えてある」
「ソレ、みつるから聞いた」
「あはは……、お恥ずかしながら油断して負けるところでした」
「黒森峰での経験を信じすぎたんでしょう。あのチーム、隊長が変わって戦車の動かし方も変化したらしいし」
確か、今の
……一回戦の相手がアンツィオって、何というか、運がいいのか悪いのか解らない連中ねえ。
アンツィオ高校の戦車道チームは、ある意味では強い。黒森峰としても状況如何によっては苦手とするタイプだろう。
ノリと勢いとパスタ。ただそれだけ。たったそれだけの事であのチームには手間がかかるのだ。
さらに言えばアンツィオの隊長は優秀の部類でもあるし、事前にみほの存在を把握して対策を練っている可能性だって大アリで、
「あ、速報だよみぽりん! 次の対戦相手について公式発表あった!」
と、端末を手に声を上げたのはみほのところの通信手だった。
そして彼女の言葉に周りが静まり、注目するような形になって、
「え、なに? 何なの!? 私、何か変な事言った!?」
「いいから次の対戦相手がどこか言え。沙織」
「うわあ、麻子が酷いよみぽりん……!」
あー、大丈夫ですよー、とみほが宥めに入る。
「それで沙織さん? 次の相手って……」
「えっと、ちょっと待ってね? あ、あん、あんつ、あんち、あん、あん」
「アンコウ」
「――そうアンコウ高校! じゃないんだけど! もう発音難しいんだから邪魔しないでよ……! 麻子はアイスでも食べてなさい!」
ハイハイ、と眠そうな操縦手が別の席に料理を運んできた仲居に注文を付けに行った。
だがみほは先ほどのやり取りから二回戦の相手を察したようで、
「次、アンツィオになりました」
「アー、調子に乗られると面倒ね――」
彼女の通信手が「みぽりん発音上手だね!」とか言っているが任された役割的にそれでいいのだろうか。
まあ何であれ、
「アンツィオが勝ったって事は、今頃お祭り騒ぎでしょうね……」
「何で?」
「……そういえばあなたが副隊長だった頃って、アンツィオとの練習試合はなかったかしら」
「うん。継続高校とかは覚えてるけどアンツィオは今度の試合が初見。あ、でも先輩達が練習試合をしてるのは見た事あるような……?」
どうだったかなあ、とみほの思い出そうとする姿を見て、エリカは思った。
……そうよね、私は〝西住・みほのいない黒森峰〟を知っているのよね。
今更何を、と自身に呆れを感じるが、現状を事実として受け入れたのは今この時かもしれない。それまではきっと、どこか心の片隅でこう考えていたのだ。
……私が副隊長をやっているのは、いつかみほが帰って来るまでの代理よ、って。
改めて、思った。
……うあー、救いようがない……!
この場で、この考えに至ってしまったのにはかなり来るものがある。
私は馬鹿だ。みほの後任として副隊長をやっているのは、他ならぬ彼女からの指名であり、加えてチームメイトからの推薦もあった結果だというのに。
隊長だって私の実力を認めてくれている。だからこそ、と素直に受け入れられてなかった自分がほとほと馬鹿らしい。
……今日はよく気分が落ちる日ね……。
始まりとしては離れ座敷でのみつるからか。そうか……、アイツか……、と妙な感情が芽生えてきたのでちょっと柑橘炭酸に口を付けてクールダウン。
炭酸抜けてきたな、と飲み干したグラスに新しくドリンクを注ごうとした時だった。
「ハイ、エリカさん」
と、みほがこちらのグラスに合わせるように、柑橘炭酸の入った瓶を傾けた。
「……ありがと」
「どういたしまして――」
そう言った彼女は、どこか嬉しそうだ。
何よ、と口を尖らせて問えば、
「こうしてエリカさんと一緒にご飯食べるの、久しぶりだなあ、って思って」
それに、
「……黒森峰では当たり前だった事が、またこうやって出来たんだもん。嬉しくて、こう、その、あれ、……嬉しいもん!」
瞬間的に端末へ伸びた右手を左手で掴んだ自分をよくやったと褒めてやりたい。
……空気を壊すな私の右手――ッ!!
この場にみつるが居ない事が悔やまれる。アイツなら撮っていた。絶対に。後から共有できたのに……!
だが、今の状況でこの思考はマズい。切り替えねば、とみほに気取られない程度で頭を振って、
「みほ」
呼ぶと、何? と変わらぬ笑顔を向けてくれる彼女に、己は言ってやる。
色々あったが、以前と同じように接してくれる友人へ。本心からの言葉として、
「――あなたが戦車道を続けてくれて、本当に良かったわ」
あ、と聞こえた声は、果たしてみほのものだろうか。
解らない。だけど、
……もう、そんな顔するんじゃないわよ。
祝いの場であなたにその表情は似合わない。みほには笑顔が一番なんだから。
「まったく」
己は苦笑して、彼女の頬を拭う。
くすぐったそうにする仕草は、あの頃と変わらない。
だがみほは拒む事をせず、
「くすぐったいよう……」
「泣くよりはマシでしょう」
「泣いてないもん」
「そうかしら」
もう、とみほがちょっと不機嫌な顔になる。しかしそれも一瞬の事で、
「有り難う。エリカさん!」
……うあああああ――。
その一言にやられた。
だから自分は、誤魔化すために話題の入れ替えとして、
「そういえば話が逸れたけど、アンツィオがお祭り騒ぎの理由ね」
我ながら苦しいな、と思いながらも言う。
しかし全ては伝えず、もったいぶるように、
「それはあなた達が試合に勝って、実際にその目で確かめなさい。――絶対にその方が驚くから」
だから、
「負けたら承知しないわよ。みほ」
それと周りの大洗女子戦車道チーム。静かだと思ったら、何なのよそのにやついた顔は! 見てんじゃないわよ……!