1
人の生死について、真剣に考えてみたことがある。
この体は不老不死で、地球、いや宇宙、いや、この世界がまるごと消滅しない限りは、広義において死ぬことはないし、年を取ることもないだろう。
心臓が止まれば人は死ぬが、自分に限っては勝手に動き出す。
そのせいか、既に100回以上の死を体験しているにも拘らず、今だに思考は続いているし、意思があるし、体温があって感情がある。
死ぬというのは奇妙な現象だ。一秒の密度が常軌を逸脱する。所謂走馬灯だのと呼ばれるあの現象は、一説では極限状態に陥った脳のリミッターが取り払われ、危機情報を高密度で習得するために引き起こると、何かで読んだ気がする。
そうして、延長された時間の中で、ゆっくりと意識が薄れて行くのだ。
死因が何であれ、痛みはない。視覚情報以外の感覚は大きく鈍る。音も反響しているようで聞き取れないし、嗅覚についても同じだ。
しかし、視覚情報に特化するというわけではない。これは臨死体験等を元に検証された話だが、色の情報が抜け落ちる。光の周波数を読み取る脳の機能が崩壊するからではないか、と勝手に考えている。
臨死体験ではなく、本物の死を体験してきた訳だが、概ね臨死体験者と同じような感覚だ。言語化できる範疇ではない。さらに、失ったと思った意識は気が付けば蘇り、五感からの情報も復帰しているのだ。
果たしてそんな自分は、本当に生きていると表現してもいいものか。
人の命というのは安く脆い。彼が力を込めて人を殴れば、簡単に壊れる。
今までも、死んだ以上に殺してきた。中には気紛れでそいつの人生を終わらせてしまったものもある。手を挙げた相手は総じてクズだが、ヤツらにだって、もしかしたら助けたい人、幸せにしたい人、大事な人がいたかもしれない。
血に汚れたこの手が、助けたかった少女を傷つけてしまった。
直接手を下したわけではないけれど、その首筋に刃を突き付けるような真似をしてしまった。
そもそも、自分はどうして彼女を助けたかったのか。
今まで、何かを壊したことはたくさんあった。
けれど、何かを守ろうと思った時はなかったはずだ。
惚れた腫れたの話ではない。
心を燻られ、同情した訳でもない。
あの日あの時。
独りでに彼女の手を取り救ったのは、一体誰だ?
2
雷光が迸る。
一応、初期段階では、第三位御坂美琴と同一性能のクローンを生み出すという計画で作られた彼女だ。詳しく覚えていないが、並んだ性能は数億ボルトは出せるはず。
そしてその初速は、やはり回避が困難だろう。
(……どうする)
ならば、先に自分が死を受け入れるのか?
思考をソプラノ音が遮る。
「ねえ、来ないの?」
「それとも、ミサカが助かるために命を差し出すの?この場合は、命っていうより心か。あなた死ねないし」
はっきり言って、と彼女は前置きした上で。
「迷惑だよ」
ピキリ、と。
第六位の中で、何かにヒビが入った気がした。
少女は言う。
のっぺらとした仮面は語る。
「どうせミサカが勝ったって未来は残されていない。なら、あなたの手でミサカを殺してよ」
もう盤詰まり。
これ以上事態が好転することはない。
「……、」
「殺してよ!!」
彼女を救う方法は、ない。
バチバチィ!! と、致命的な閃光が走る。
高圧電流が第六位の体をかき乱し、心臓を停止させ、出力の増大した筋肉を麻痺させる。
筋肉に電極を刺されたカエルとはこんな感じかと思えば、視界が明滅し、体に力が入らなくなった。
「が、ふ……」
気が付けば、第六位は雪原の上に倒れていた。
体の動きが酷く鈍い。筋肉痛のような痛みが全身を襲っていた。
思考すら寝起きのように鈍くなっている中で、上から声を投げかけられる。
「現状維持なんて考えないでね」
「……、」
「ミサカだって、所詮はあなたの心を破壊するために送り込まれた一人に過ぎない。作戦が有効ではないと判断されると、容赦無く処分されるかもしれない」
「なら早く終わらせて欲しいな、あなたの手で」
(なん、だ……?)
絶望に彩られていたはずだ。
喚き散らし、力の限りを尽くしているはずだ。
(なのに何故、
何とかなると、楽観的に考えている訳ではない。
現状では、彼女の死のパラドックスを回避することはできない。
しかし。
彼は体を起こしながら考える。
(……この違和感は、なんだ?)
「早く、早く殺してよ」
目の前の
白い仮面で表情はわからない。
彼が次の行動をする前に。
場は動いた。
「いつまで茶番劇をしているのかしら」
暖かい生地で防寒した
彼女はいつの間にか車の影に隠れるのをやめて、臆することなく
「おい……!」
流石にまずい。
そう考えた第六位は下手に動かず声だけ投げかけるが、彼女は無視してそのまま
それを、一気に引き剥がす。
釣られて
それは。
涙と鼻水で、ぐしゃぐしゃになったような表情だった。
3
能力によって心の距離を最適化しているのか、目の前の
「心理学を一通り心得ているなら、私みたいな能力がなくてもわかることよ」
彼女は
「本心を無視して無理矢理行動させられているだけなんでしょう?」
違和感の正体はそれだった。
そもそも。
不老不死である彼を羨ましがった彼女は。
培養器から一文無しで放り出され、サバイバル生活をしていた彼女は。
「お前は、そんな死にたがりじゃなかったはずだ」
言葉を引き金に、彼女の右手のレールガンから、第六位目掛けて弾丸が射出された。
しかし彼は、
「……ッ」
「お前は俺の心とやらを破壊するために送られてきたそうだが、選んだ手段は下手くそな話術と戯れるような攻撃だけ」
「きっと、悪感情だけを出力するように再調整されたんでしょう。頻繁にあなたにそういう言葉をぶつけていたし」
「あなたって言うな!!」
「おっと、嫉妬も凄い。これは間違いないわね」
「み、ミサカは……! 〜〜っ!!」
だが、もう無意味だ。
その全身から、行為に対する抵抗感がひしひしと漏れ出ていた。
第六位は痺れた両手をだらりと垂らしたまま、彼女の前までゆっくりと歩き、言う。
「……置いて行ったことは、悪かった」
それは、彼が発したとは思えない言葉だった。
「……」
「単純に、何のごまかしようもなく、俺の失態だ」
「……、」
「だから、頼む」
頭を軽く下げて、無様に請う。
「もう一度俺にチャンスをくれ」
その直後だった。
涙を浮かべた彼女の首元が、何の前触れもなく爆発した。
4
「……は?」
どさり、と。
間抜けな声が出た時には、少女は既に倒れ、雪を血で赤く染めていた。
そして、思考は回る。
理解不能な現象を理解するために、考えついてしまう。
ああ。
人の心を砕くとは、こういうことだったのだ、と。
違和感のある、無理矢理行動させられた悪意とは違う。
今、目の前で、彼女はどうなった?
「……ッッッ!!」
頭の中で全ての感情が爆発した。
彼は膝を折り、蒼白な顔で雪の上に横たわる
精製したそばから乱暴に扱われる魔力は、その反動として無数の血管を破裂させた。口元からおびただしい量の鮮血が溢れ、真下の少女の頬を汚す。咳き込むことなく詠唱し、ひたすらに少女の命を繋ぎとめようとする。
だが、足りない。
時間が。知識が。
彼は独自に術式を作ったとは言え、ポピュラーな魔術一つ一つに深く精通しているわけではない。
そもそも、自身の体が勝手に治るのに、治癒魔術を鍛える必要なんてないのだから。
現状維持が手一杯で、それでもじりじりと体力の上限が削られて行くような感じだった。
少女の白く細い首からは鮮血が今もなお溢れていた。
エリザリーナのところへ戻るか。
しかし、アシがない。車は無残に破壊されたし、
いいや、彼女の能力は精神の一部を操る程度だ。何の気休めにもならない。
そもそも、どうしてあそこで爆発した?
そもそも、これは誰によって仕組まれたものなのだ?
いいや、犯人自体は決まっている。このクソったれの現状を作り出した本物のクソ野郎は学園都市、ひいては全てを統括する理事長に他ならない。
思考に飲まれるな。
思考を放棄しろ。
どんな選択をしても、
……そんなはずは、ない。
「『気付いているはずだ』」
「ッ!?」
声は、唐突に背後から聞こえてきた。
それは人間だった。
いいや、違う。
限りなく人間に近い、怪物だった。
「……アレイスター」
怪物は、透き通るようなクリアな声を出した。
「まだ気付いていないのか?それとも、気付いて怒っているのか?いけないな。『怒り』は七つの大罪のうちの一つだというのに」
「アレイスタァァァァッ‼︎‼︎」
これ以上喋らせないために、彼は全身に能力を適応して飛びかかった。
怪物は回避のそぶりも、防御行動も取らなかった。
ただ、異空間から滲み出るように現出した『
特に、その空間に魔術的な何かが発生した気配はなかった。
しかし、そんな子供でもできる動作によって、彼の身体が10メートル以上も飛んだ。
「まさか怒っているはずはないな。君がやったことは正しいのだから」
正しいだと?
彼は言葉を叩きつけたかったが、不可視の烈風と激突した衝撃で肺が潰れたのか、何かを話すどころか、息を吸って吐くことさえ出来なかった。
いいや、肺どころではない。五臓六腑が全て潰されてしまっていた。
アレイスターは雪原の上で転がる彼を見下ろしながら続ける。
「気付かない振りをしているなら教えてあげよう。わかるだろう?
「……ッ」
「君はあの夏に、正義感からそこの少女を助けたのか?いいや、それは違う。私の『プラン』に必要だから、君はその思考を忠実に実行した。それだけの話なのだよ」
アレイスターが直接何かを指示する必要はない。
コーヒーを飲むためにティーカップが必要。だから使用人が用意する。
アレイスターが『これが必要』だと考えれば、彼は同じ思考に辿り着いて実行する。
「
肺が潰れて修繕中で、言葉を発せられないはずの彼の口が、何かを喋った。
彼の意思とは無関係に、口は語る。
「お前は
彼はただ愕然とした。
喪失した記憶の事実に、ではない。
もはや彼の意思を離れた口が喋ったことでもない。
『何者か』がすらすらと語ることで、自らの記憶が少しずつ取り戻されていく現状に。
「思い出したか?君がよかれと思って行動した全ては、私の思考を実行しただけなのだよ」
『
二発目が飛んでくると本能的に理解した彼は、
「わかっていたよ」
ゴッッッ!!!! と。
不可視の衝撃波が、彼の軌道先へ正確に飛んできた。
事前に察知して避けたはずなのに、中空を浮かぶ彼の体は、先刻の反作用だけでは得られない飛距離でもって吹き飛んでしまう。
「君の思考は私の思考だと言っただろう。
バガン!! と、人間が雪原とぶつかるだけでは起き得ないような異音とともに、彼は派手に不時着した。
またどこかの内臓が破裂したかもしれない。或いは骨が折れたかもしれない。
「君は私の思考を逆算できるか?いいや出来ない。君には私の情報がないからな」
「……ぁ、かふ」
肺が修繕されたが、うまく言葉が出ない。不老不死だから死なないとは言えど、その体に溜まる疲労と痛覚、精神的苦痛は本物なのだ。
口角から発生源がどこかもわからない血液が垂れ、吐き出す。
そして。
三度目の『
突如彼の右側から、こんな声が飛び込んできた。
『
彼が右側へ目をやっても、言葉を発したらしき声の主は居ない。
『どこを見ている、俺は
それもそのはず。
その『声』は、己の体の内側から生じていたものなのだから。
厳密には──彼の右手から。
(……
声は思考を読み取り、言う。
『こっちの台詞だ。
思考が、おかしかった。
アレイスター=クロウリーの思考の中から、アレイスター=クロウリーへの対抗意識が芽生えるのだろうか?ここまで攻撃的に?
彼の混乱をよそに、呆れたような声が彼の内側から出力される。
『声』は語る。
『まだ迷ってんのか』
『お前はアレイスターじゃない。思考がどうとかは関係がない。お前は今まで通り、気に入らないものは壊して、欲しいものは奪えばいい』
何者かは、言う。
ごく当たり前のように。
『この俺から、
(お前は……、)
『そうだな、交渉だ。テメェがお得意の交渉ってヤツだよ』
彼の思考を押しのけて、何者かは突きつけるように言った。
『右手だ。テメェの
──だから俺にアレイスターを殴らせろ。
彼の思考が崩れた。
(そう、だな)
アレイスター=クロウリーの思考では、アレイスター=クロウリーを退けることができない。
彼女を守ることができない。
そもそも、救った時点からここまでが手のひらの上。
では、その計算外ならどうだろうか。
恐らく、今こうして自分に語りかけている何者かは、完全にアレイスターの思考の外にあるはずだ。
少しでも可能性があるのならば。
彼はプライドを捨てた。
いつの間にか、真っ黒に染まって行く視界の奥に、それとは対照的に眩く発光する真っ白なカブトムシのようなものが出現していた。
本当に彼の目の前にそれが存在しているのか。それとも脳が単に幻覚を見せているだけなのか。落ち行く思考の中で彼はそんなことすら認識出来ずにいた。
ただ、意識が完全に途切れる前に、彼は誰にも聞こえない声で皮肉げにこう呟いた。
「助けて、カブトムシさん」
この絶望から。
せめて、あの少女だけは。
直後。
右手全体が鉛を抱えたかのように重くなって。
その真っ白な右手から、独りでに同色の何かが噴出した。
そうして。
広大なロシアの一角に、学園都市第二位が降臨する。