生まれて初めて殴り合いの喧嘩をした。
保育園の先生から入った一夏の喧嘩の報告に、真夏は急ぎ駆け付けた。
流石にすぐ駆け付けるわけにはいかなかった為に、到着は送りのバスが出て、西日が差し込む時間になってしまった。
「一夏!」
入り口の引き戸を開けて職員室の長椅子に座っていた一夏は、頬に冷湿布を貼り、少し瞼を腫らした彼の姿だった。
今までやんちゃをしていた一夏だが、流石にここまでの怪我をしたことがなかったため、真夏は少し血の気が引いた。
「一夏!なに!?どうして喧嘩したの!?」
「いたっ!いたいってママ!」
肩を掴んで問い詰める真夏だが、肩も少し痛めているのか一夏は涙目になる。
思わず興奮して詰め寄ってしまったことを自覚し、ごめんね、と謝りながら手を離す。
「でもどうしたの?喧嘩なんて…。」
「それはいきなり其方のお子さんが、ウチの坊ちゃんに殴りかかってきたからザマス!」
ヒステリックに叫ぶのは、
厚く口紅を塗り、
髪を派手に染め、
高価そうな宝石をあしらった指輪を複数の指にはめ、
物凄い匂いの香水をプンプンさせながら詰め寄ってきたオバサンだった。
「アテクシの可愛い坊ちゃんを傷物にして、どう責任取ってくれるザマスか!?」
似たような別のオバサンも自身の子供を大事そうに抱きかかえ、これまた甲高い声で叫ぶ。正直うるさい。頭が痛くなりそうだ。
「いきなり?本当なの?一夏。」
「ソイツらが、おんなのこを…」
「お黙り!アテクシの坊ちゃんに理由があるというの!?この子は!ふじこふじこ!」
「アテクシ達の坊ちゃん達がそんなことするわけ無いザマス!その子が何らかの理由を付けてこっちを悪者にしようとしてるに決まってるザマス!ふじこふじこ!」
「こんな小さい頃からそんな狡猾なことするなんて…いったいどんな教育をなさっているのかしら?ふじこふじこ!」
「これだから庶民は…ふじこふじこ!」
ただでさえキーキー言い合うオバサン共が、その小太りの身体を寄せ合い、ヒソヒソと聞こえるように囁いてるこの光景を見て、真夏は腹が立つよりも、滑稽にしか見えないし、見てるだけで暑苦しい。
そしていじめっ子達はニヤニヤと意地汚い笑みを浮かべて勝ち誇っている。
「…逆に、一夏が何の理由もなく貴方方のお子さんに手を出すわけないとも考えられますけど?私としても、貴方方が自身のお子さんを信じるように、私も一夏を信じてますので。」
「んまぁ!庶民がアテクシ達に刃向かうなんて!なんと身の程知らずなの!?ふじこふじこ!」
「こうなったら出るとこ出ても良いザマスのよ!?アテクシ達には強い弁護士の先生がいますもの!ふじこふじこ!」
「お互い証拠がないのに裁判も何もないでしょう?もう少し子供達の話を聞いてからでもいいんじゃないですか!?」
「お、落ち着いてくださいお母さん方。冷静に、冷静に…」
「あのっ…!」
ヒートアップしてきた母親達の話を遮ったのは、艶やかな黒髪をリボンでポニーテールにした件の園児だった。
「わたし、そのこたちやほかのこに…なまえを…からかわれてた…。かなしくて…ないてたら…そっちのおとこのこが…そのこたちにとびかかったの…。」
大人達の言い合いの間に入る、と言うのは、4歳児に取ってどれほど勇気の要ることだろうか。
震える声で、
べそをかきながら、
だけどありったけの勇気を振り絞って。
そんな彼女に誰しもがその口をつぐんでしまう。
「で、でも、貴女がその男の子を庇うためにでっち上げてる可能性もあるザマス!」
「そうザマス!しゃしゃり出てきて嘘をつくのはおこがましいザマス!証拠にならないザマス!」
必死の勇気も、ヒステリックを起こしたオバサン共には通用しないのか。
大きな怒鳴り声に、目元に溜めた涙がつうっと頬を流れる。
「じゃあ証拠があれば文句ないんだよね?」
そんな少女の助け船の如く、天上からニンジャのように現れたのは、千冬の友人である束だった。
「な、何ザマスか貴女!?」
「私?私はね、アンタラの躾の悪いガキンチョが泣かせてたこのかわゆいかわゆい箒ちゃんの姉!篠ノ乃束だよ!」
「たばねおねえちゃん…」
「ふっふっふ…箒ちゃん、この束お姉ちゃんが来たからには、もはや壱百万人力だと思ってどんと構えててよ!」
ギューッと愛しい妹にハグする束。端から見れば、抱き締めることで安心させているようにも見えるが…
(嗚呼…箒ちゃんのグッドスメル…プライスレス…これで束さんはあと十年は戦えるよ…)
恍惚とした顔で妹の匂いを堪能する、ただの変態だった。
「そ、それで…束さん…でいいのかな?」
「ノンノン!束ちゃんと、親しみを込めて呼んでよ!ちーちゃんのお母さん!」
「ちーちゃん…?あら、もしかして千冬の言ってる束って、貴女のことなの?」
「Yes!I am!」
「あらら、実際会うのは初めてだけど、こんな美人さんだとは思わなかったわ!」
「いやいや…褒めても証拠しか出ませんぜ!奥さん!うっへっへっへ!」
親父臭い笑い声を発しながら、束は箒のリボンをシュルリ解く。何をしているのか解らない面々は、一様に首を傾げるばかりだ。
「実はね、この子…箒ちゃんのリボンにはちょっとした仕掛けをしてたんだよね。」
「仕掛け?」
リボンのピン留めを外しカバーを開けば、中から、それこそ超小型の機械と思しきものが出てきた。
「これ、超小型カメラなんだよね。箒ちゃんの保育園生活が心配でこっそり仕掛けてたんだけど…」
束曰く、超小型カメラを持ってきた機械にはめ込み、そしてそれを更に持ってきたノートPCに繋いで、内容を再生する。
『やーい!モップ!モップ!』
『ともだちのちりとりはどこだよ~?』
『へんななまえだよね。』
『ほんとにね。』
付け加えて箒のすすり泣く声と一夏の叫び声が、オーバーキルと言わんばかりの揺るがぬ証拠となっており、いじめっ子達は元より、その母親達の顔までもが真っ青になっていく。
そして、一発良いのを主犯に入れたのを最後に、複数人であることを良いことに一夏は羽交い締めにされ、殴る蹴るのリンチが始まっていた。
「まっさか、愛しの箒ちゃんが虐められてる場面が撮れるなんて、想像を超えてたとしか言い様がないね。」
にっこりと微笑む束だが、その口調や目元は全く笑っておらず、寧ろ殺意すら放っていた。
「で?証拠がどうとか言ってたけど、何か弁明はある?」
「と、盗撮なんて非常識ザマス!ふじこふじこ!」
「この犯罪者!ふじこふじこ!」
「犯罪者?上等だよ!」
ヒステリックを起こす母親達をものともせず、束は大声で啖呵を切る。
「大切な箒ちゃんを傷付けたガキを裁いて、アンタラみたいなモンスターペアレントを曝し上げる事が出来るなら、犯罪者だろうとなんだろうとやってあげるよ!加えて、箒ちゃんを庇ってくれたいっ君に全ての非を擦り付けようとしたこともな!」
その目には怒気と、そして揺るがぬ意思がありありと込められていた。
「で?どうする?出るとこ出る?裁判にするんなら、この証拠も提出するよ?そうなったら2年後の〇〇小学校のお受験だっけ?それにも響いてくるんじゃない?あからさまなモンスターペアレントの親が居るいじめっ子を受け入れてくれる物好きな小学校だといいけどね!」
よもや、子供達の受ける小学校までも把握されているとは思いもせず、件の母親達は冷や汗…否、脂汗を吹き出し始める。
そして…
「お、覚えているザマス!」
三流の捨て台詞を吐きながら我が子の手をひっつかみ、我よ我よと職員室のドアをぶち破るようにして退散していった。
残ったのは静寂だけ。
腰に手を当てて、むふーっと鼻息を勢いよく出す束は、じっと母親達の去った職員室出口を睨み付けていた。
「な、何というか…束ちゃん。ありがとう、でいいのかな?」
「へ?あぁ、束さんも言いたいこと言ったし、何より箒ちゃんをいっ君が庇ってくれたからお互い様、かな。」
苦笑いする束。
そんな彼女のスカートの裾を掴み、箒は見上げる。
つぶらな瞳で、ジッと。
目が合う。
鼻から命の水が噴出しそうになる。
だがここは鋼の精神でグッと堪える。
よし、首の皮一枚で繋がった。
「たばねおねえちゃん。ありがとう…かっこよかった。」
たばねおねえちゃんは げんかいをむかえた。
「いやー、面目ない。束さんとしたことが、気を失うなんて。」
「いきなり鼻血出すんだもの。驚いたわ。…気持ちはわからなくもないけどね。」
真夏の運転する帰りの車の中で。
鼻にティッシュを詰めた束が大笑いしながら真夏と談笑している。
お互いにお世話になった。
でも一夏の事もあり、お礼がしたい真夏。
頑なにそれを受け取ろうとしない束。
所謂、いやいや…いやいやいやいや…と言った日本人特有の謙遜のやり取りがしばらく繰り広げられ。
ならばせめて家まで車で送らせて欲しい、という真夏の案で採用となり、今に至る。
運転席と助手席で話し合う2人を後ろのチャイルドシートからジッと見詰めるのは順に、円夏、一夏、箒だった。
「おまえのねえさん、かっこよかったな。」
「うん、わたしのじまんのおねえちゃんだ。」
「わたしはそとでまっていたけど、すごいおおごえでどなってたな。」
「うん、いじめっこのおかあさんたちがビックリしてた。」
束はどうやら、一夏にとってヒーローの様に見えたらしく、彼女を見る目が以降キラキラと輝いていた。
「その…ごめん。わたしのせいで、けがをさせてしまって…。」
「ん?あぁ、きにするなよ。これくらい、めいよのふしょうだ!」
それに、ちょっとかっこいいだろ?と頬の冷湿布を自慢げに話す一夏は、どこか愉快なものに見える。
「けんかはいやだけど、だれかがいやなおもいをしてるのになにもしないのは、もっといやだからな。だからなぐった!なぐったことは、はんせいはしてるけど、こうかいはしてないぞ。」
「ふふっ…ほんとに、ふしぎなやつだな。」
「ふしぎなやつじゃない。いちかだ。」
「え?」
「おれのなまえ!ほうき…だったっけ?もしよかったら、ともだちになろうぜ!」
「わたしが…ともだちに?」
「おう!」
「いいのか?」
「もちろん!」
「そうか。…ならいちか。これからはともだちとして、よろしくたのむぞ。」
「おう、よろしくな、ほうき!」
「あぅ、にいさん、わたしもほうきとよろしくしたいぞ。」
雨降って地固まる。
こうしてまた1人、一夏に大切な友人が出来たのだった。
そして、帰って冬吾の折檻のようなフォローのような、締まらないやり取りがあったとか何とか。
(憧れといっても、恋愛的なものは)ないです。