春
淡い桃色の桜の花弁が舞い散り、正月とはまた違った新たな一年の門出として相応しいこの季節。
とある小学校の門を潜る、3人の少年少女。
背には真新しいランドセル。
まだまだ幼い顔つきだが、少女2人のその顔には喜色もあり、そして緊張もある。
これから始まる新たな生活に、双方入り交じった感情が湧くのは致し方ないものだろう。
そんな2人に挟まれた少年。彼の表情には、その2つに混ざって淋しさを感じさせるものが浮かんでいた。
そう、
ここには本来いたはずの、2人の幼馴染みの少女が居ないのだから。
「ひっこ…し?」
「そうだ。紺野さんのご家族は…三月いっぱいで遠方に引っ越すことになった。」
遡り一ヶ月
織斑家のリビングで…
一夏の消え入りそうな声に、冬吾が噛み締めるように…一夏にしっかりとわかるように説明する。
元旦、木綿季達の父から聞かされたのは、仕事の都合上で紺野家が遠方に引っ越すことになってしまったことだった。
引っ越すこと、その意味を幼いながらも朧気に理解していた一夏は、仲の良い幼馴染みがいなくなってしまうと言う事実に、その眼を呆然とさせていた。
「うそ…だよね。パパ…じょうだんだって…いってよ!」
「こんなこと、冗談でも言えないさ。」
冬吾とて、紺野家が引っ越すことに何も感じていない訳では無い。折角家族ぐるみで仲良くなれた紺野家と離れ離れになる、と言うのは、大人になった冬吾は勿論、妻である真夏にとっても寂しいものだ。千冬も、木綿季と藍子はもはや妹に近しい存在となっており、臆面には出さないが、何処か寂しげてもある。
「ゆうきとあいことは…もうあえないのか?」
「…出会えないわけじゃない。けど、今までのように会えないのは確かだろうな。」
円夏も2人に会えないことが辛いのか、何処か声のトーンが低い。
数年という間柄ながら、子供達は互いにかけがえのない存在になっていたのだと改めて気付かされた。
「…っ!」
「一夏!!」
木綿季と藍子、2人がいなくなるという事実と現実を想像し、耐えきれなかった一夏は、リビングを飛び出し、そのままの勢いで家からも飛び出してしまう。
真夏はそれを呼び止め、追い掛けんとするが、冬吾はそれを手で静止する。
「放っておいてあげなさい。」
冬吾としても一夏の気持ちがわからなくも無い。幼いながらも、仲の良い友達が居なくなる。その空虚になる気分というのは、とても耐え難いものだろう。
だからこそ冬吾は一夏を止めない。
その気持ちを自分で整理することも、また彼が目指す強さに繋がるものだと理解しているからだ。
「一夏は、きっとこの事実を受け入れて成長する。私達は、あの子を信じてやれば良い。」
「………。」
それでも心配であるというのは親として当然のことだろう。冬吾とて、何も思わないわけではない。ただ一夏の強くなりたいという気持ちを汲み取り、敢えて突き放しているのだから。
既に日はその姿をビル影に隠し、街の蛍光灯が灯り始めた時間。
近くの公園で、一夏はブランコに座り項垂れていた。
木綿季と藍子が遠くへ引っ越す。
その事実が彼の頭を掴んで離さない。
「おれ、やだよ…ゆうきとあいこと…はなれちゃうの…ぜったいやだ…!」
初めて出来た友達。その分2人への思い入れは大きなものだ。箒も勿論大切な友達には変わりないが、それでも一夏にとっては2人は大きな存在だったのだ。
2人がいない日常から想像しうる生活に淋しさがこみ上げ、ポタリ、ポタリとズボンに黒いシミを広げていく。
気付けば、泣き出していた。
仕方ない、どうしようも無い、嫌だと駄々をこねるのは我が儘なのだとは理解している。だが理解していても、5歳の幼い少年には受け入れたくない辛い真実なのだった。
「…どうした?一夏。こんなとこで。」
聞き慣れた声に反応して見上げれば、もはや見慣れた藍越学園の制服に身を包んだ千冬が、驚いた表情で立っていた。
「そうか…木綿季と藍子が引っ越すか。」
「ちふゆねぇは…しってたの?」
「…まぁ、少し前に、だがな。」
一夏から事情を聞いた千冬は、隣のブランコに座って話し合っていた。
恐らくは一夏は木綿季達が引っ越すことに少なからずショックを受けるだろうと予想していた。まぁ家を飛び出すとまでは思わなかったのだが。
「ちふゆねぇは…さみしくない?」
「…寂しくない、と言えば嘘になるな。お前や円夏よりは付き合いが浅いが、それでも寂しいものは寂しいさ。」
「………。」
「お前は、やはり離れるのは嫌か?」
「いやだ。」
即答だった。
なるほど確かに、年相応の返答だと千冬は納得する。
「…でも、それはおれのわがままだ。」
ほう…と、次に千冬は内心で感嘆する。
この齢の子供は少なからず、こう言った事象には癇癪を起こしかねないものだ。自身が辛い思いをしたくない。だからこそ我が儘を通したがる。
だが一夏はそれをしなかった。
大人びている…と言えばそうかも知れない。
だが自制心がこの歳で芽生えかけていると言うのは驚きだった。
「…お前がその年で自身を律する事が出来ているとは…驚きだな。」
「ちふゆねぇは…どうだったの?」
「…さぁな、どうだっただろうな。」
一夏の問いに、千冬は遠い目をして言葉を濁す。
忘れられようか。
ホームビデオとは名ばかりの、自身の赤裸々な幼少期を見せ付けられ、穴があったら入って蓋をしておきたいほどの羞恥を味わった。
せめてもの救いは、弟と妹に見られていないことだろうか。
「ただ、自制心を持つと言うことは、自身の中で『芯』が出来ている証左だ。…大人になってきているな、一夏。」
「そう、かな?」
「そうさ。内心で木綿季達のことを受け入れられているなら、一歩、お前は大人に近付いている。それは事実だ。」
「…じっかんわかない。」
「今はそれで良い。…だが、木綿季達が引っ越す日、父さん達は皆で見送りに行こうと言っている。その時にお前は…笑顔で送り出してやれ。」
「えがおで…?わかれるのに?」
「だからこそだ。一生会えないわけでは無い。ならば再会を期待して送り出すのも1つだと思わないか?」
千冬に言われて一夏はハッとする。
失念していた。引っ越す=後生の別れではないことに。
「会えると思っていれば、必ず再会できる。その時に会えば、きっとお前達は欠けていた分の時間を取り戻せるほどに仲良くなれる。私はそう思っているからな。」
そうだ。
きっといつかの再会を信じるて想うのも友達の有り様だ。
「さぁ、帰ろう一夏。皆が心配しているぞ。」
「うん……。」
千冬の促しにブランコから立ち上がるものの、一歩を踏み出そうとしない一夏。首を傾げる千冬に、一夏はさっぱりとした顔でこう言った。
「ちふゆねえ…ありがとう。」
少し驚く千冬だったが、すぐにいつものにニヒルな笑みを浮かべる。
「当然だ、私はお姉ちゃんだからな。」
都内某所 新幹線駅
一日で多くの新幹線が行き来するホーム
日曜日と言うこともあり、数多の人々が行き交い、出会いと別れが待つこの場で、また一組がその別れの時間を過ごしていた。
「………。」
キュッと唇を噛み締め、服の裾を握って俯き、幼いながらも泣くのを必死に堪えているのが見て取れる。
「織斑さん、今まで懇意にしていただいて、ありがとうございました。」
「いえ、こちらこそ。今までありがとうございました。」
父親同士、母親同士が別れの挨拶を済ませる中、子供達は子供達で別れの場を設けて貰っていた。
しかし、実際には無言の空間が支配し、少し重い空気が漂っている。
木綿季は先述のような状態だし、藍子は珍しく無言。円夏もいつもに比べて少し表情が暗く、少し眉をハの字にしており、やはり思うところがあるようだ。
そして我らがワンサマーは…
「………。」
千冬に言われた通り、今生の別れではないと言うことは理解できていた。
だがいざこの場の空気に当てられてしまったのと、やはり別れを実感して言葉が出なくなっていた。
(頑張れ一夏。ここが男の見せ所だぞ。)
4人から少し下がって見守る千冬は、弟の成り行きを見守る。
あの夜に見せた心の強さは伊達ではないと彼女は信じた。だからこそ見守りに徹しているのだ。
「あの、さ…。」
ようやく、口を開いた一夏。
いざ口を開いたは良いが、向けられる視線にどう話を持って行こうかしどろもどろになっている。
「こ、これ、ふたりにやる。」
一夏が持っていたポーチから取り出したのは、2つの紙袋。差し出されたそれは、木綿季と藍子の手のひら一杯ほどの大きさで、受け取った2人はキョトンとした目で一夏と紙袋を交互に見遣る。
「えと…あけてみても?」
「…そのつもりであげたんだ。いいよ。」
テープ止めされた袋口を開き、ガサリと内容物を取り出す。
その手に握られていたもの。
それは藍子が白いシンプルなシュシュ。木綿季が赤いリボン状のヘアバンドだった。
「これって…。」
「おれなりに…かんがえたんだ。ふたりへの…プレゼント。かあさんにもそうだんして、ちふゆねえにもそうだんして。ふたりとも、かみになにもつけてないから、かみにつけるものにしたらって、すすめてくれたんだ。」
思えばここ2週間は一夏にしてみればかなりの多忙だった。
夕方、家に帰ってくれば、洗濯物を取り入れて畳んでおく。
夕食前には風呂を掃除して湯張りしておく。
夕食が終われば、皿洗いをする。
休みの日にはトイレや廊下、部屋の掃除。
あらゆる家事(流石に料理は危ないのでオミットされたが)を率先して手伝い、その御駄賃を貯めて2人へのプレゼントを購入したのだ。
「いちか、その…つけてみても、いい?」
「あたりまえだろ?…ていうか、そうしてくれないとこまる。」
櫛とか鏡とか、そんなものは一切無い。だが今この場で付けてみることを一夏が望んでいるならばと、2人はそれぞれに贈られたプレゼントを着用する。
藍子は長い髪を腰当たりでシュシュで束ね、木綿季は前髪を残して少しかき上げるようにして後頭部で縛る。…説明が難しいので、読者諸氏は、いつものあのユウキ(現実世界の髪の長さver)を想像していただいたら問題ないだろう。
「どう、でしょうか?」
「…うん、えらんでよかった。すっごくにあっててかわいいぞ。」
相変わらず卑怯な言い回しだ。
この別れが迫りくる時に、プレゼントを付けさせて。挙げ句に褒め殺しだ。
「それに、…それをつけてたら、もしさいかいしたとき、ふたりだってわかりやすいからな。」
「あ……。」
「おれ、ふたりとまたあいたい。…そのプレゼントは、さいかいのやくそくとして…うけとってほしい。」
ずっともう会えないと悲観していた。
だが一夏は違った。
またきっと会えると信じている。
だからこそこうしてプレゼントをくれた。
餞別では無く、再会の証として。
「うん…、…うん…!ボク…ぜったい…ぜったいに、いちかにあう!あいにくる!…やくそく!」
「わたしも、このシュシュにちかって、いちかさんにあいにきます。…そのときは……わたしと…『間もなく、〇番線〇〇行き新幹線、発車します。』」
どうやら時間切れのようだ。
近くで舌打ちが聞こえたような気がしたが、気のせいだろう。
「じゃあ…織斑さん…ありがとうございました。…また、いずれ。」
「えぇ。お元気でお過ごしください。」
両親が挨拶を済ませてこちらにやって来る。
娘2人の髪を見て、少々驚いていたが、すぐに微笑ましげに見詰めて一夏と円夏に向き合ってしゃがみ込む。
「2人とも。木綿季と藍子と仲良くしてくれて、本当にありがとう。…元気でね。」
「おばさんたちも…ありがとう。」
「一夏君、きっとキミが2人にプレゼントしてくれたんだね。ありがとう。…これで2人とも、向こうでやっていけるよ。」
「おれは…」
「だが娘をやるにはまだ早い!欲しければこの俺を倒して…」
「はいはい、あなた、そろそろ乗り込みますよ。」
妻にズルズルと引き摺られて、紺野父は新幹線へと乗り込む。それを追うように藍子もペコリと一礼して乗り込んでいく。
「…木綿季?」
動こうとしない木綿季を不思議に思い、一夏は首を傾げる。
プルルルル…と、間もなく新幹線のドアが閉まるという合図の電子音が鳴る。
このままでは間に合わず、置いてけぼりになってしまうかもしれない。
一夏が、新幹線へと連れて行くために木綿季の手を引こうと取った瞬間。
チュッ
そんな音が、駅に木霊した気がした。
だが、電子音が駅内に響いているため、そんなはずは無い。
唖然とする一夏の視界には、木綿季の双眼がどアップで映し出されている。
数秒、数分とも感じられる時間。
真っ赤に染めた彼女の顔が離れる。
視線を合わせようとせず、ただ、「またね!」という言葉を残して新幹線へと乗り込む。
彼女を待っていたかのように閉まる扉。
その窓越しに見えていた赤面する木綿季は、一夏を捉えて離さない。
発車していく新幹線、それと共に木綿季は遠くへと過ぎ去っていく。
一夏は、ドラマのようにそれを追い掛けることも無く、唖然と見送るだけだった。
「…行ってしまったな。」
ややあって、千冬の呟きが一夏を現実へと戻す。
さっきの、唇に感じた感触は何だったのか?
一瞬だったが鮮明に残るあの柔らかな感触は…。
「にいさん。」
困惑する一夏の肩に、円夏は何とも言えない表情で手を乗せる。
「フラグらんりつはほどほどにな。」