能力を悪用するヴィランが町を荒らす中で、能力を正しく行使するヒーローは必ずやってくる! ヴィランに栄えたためしなし!
能力を駆使したバトルが今日もどこかで繰り広げられる中、あるひとりの能力者専用カウンセラーは、本日もとある美女ヴィランに思いを馳せていた!
これは、僕が過ちに気づくまでの恋物語。
敵女
意味:主人公と敵対する女性キャラクターのこと。
ポイント:魅惑的な衣装、あくどい言動、散る前、散り様、悲鳴
―――
「――いつもありがとうございます、先生。先生のお陰で、いまの学校がすごく楽しいんです」
診断室の中で、発火能力者の
先生――
「君のダンスムービーは、本当に美しかった。炎が使えないと、あの表現は絶対にできない」
「僕もそう思います。ほんとう、先生に相談して良かった……」
「こちらこそ、芸術を見せてくれて本当に感謝しているよ。踊ることが出来る炎児君、それを彩る炎の帯……いやあ羨ましいね、運動オンチの僕からすれば」
「そんな。先生と比べたら、僕なんて」
正義は、いやいやと首を振って、
「君はヴィランに染まらず、立派な能力者として己を体現してみせた。これは素晴らしいことだ、能力者として誇ってほしい」
「……はい!」
今の炎児は、まるで夢見る青年のように輝かしく、そして朗らかだった。
――思い起こす。
発火能力とは、文字通り自由自在に炎を焚き付けてみせる能力だ。炎児はいわゆる「体から着火」するタイプで、常に武器を持っているのと変わらない。
それ故に炎児は、皆から避けられ恐れられた。それもこれも、「不意に燃やされるかも」という恐怖の割合が大きいためだ。
「君はまだ十七だ、まだ人生のやり直しが利く。これからも能力を活かして、いつか世界に羽ばたいて欲しい」
「もちろんです。僕は、トップダンサーになります!」
「いいね。ファン一号として、期待しているよ」
荒れに荒れていた炎児は、もうどこにもいない。目の前に居るのは、将来のファイアーダンサーだ。
「じゃあ私も、ファン二号として応援しますね」
「
振り返る。
パソコンで記録を刻んでいた
「それじゃあ、また何かあったらここに来なさい。いつでも待っているからね」
「はい!」
それでは――炎児は、楽しそうな顔で診療所から立ち去っていった。
炎児を見送ったあとで、窓から近所にある小学校のチャイムが鳴り響く。それにつられるように、外に目をやった。
雑居ビル三階の前からは、先ずは一度も行ったことのないスポーツショップが目に入る。次に歩道へ視線を向けてみれば、ビジネススーツを着た青年から腰の曲がった老人まで、色々な人が診療所を横切っていった。
それを見た正義は、なんとなく、こう思う。
――何人ほどが、能力者なのかな。
ここ最古市は、多数の無能力者から少数の能力者まで集う、ごくありふれた町だ。
では能力者が無能力者に受け入れられているかといえば、まずまず。やはり「いきなり何をしでかされるか」とは、心底恐ろしいものがあるのだ。
もちろん、悪事を働く能力者は少ない。無能力者の方が、割合としては多いという統計もある。
しかして能力付きの犯罪とは、よくも悪くもスケールが大きいのように見えてしまうのだ。出来もしないことができるというのは、とにかく目立ってしまう。
おなじ無能力者だから、この流れに納得はする。でも、やっぱりな。
小さく、鼻息をつく。
「先生」
そのとき、助手の撃美が隣にまで歩んできた。腰にまで伸びる金髪が、ゆらりと揺れている。
「幸せそうで、本当によかったな」
撃美の安堵に対して、正義はこくりと頷いた。
――そんな歴史もあって、日々を悩む能力者は少なくない。
そうした問題を何とか解決しようとするのが、まだありふれていない「能力者専用診療クリニック」の役目だ。
「……少し、休むか」
壁にかけた時計を見てみれば、時刻は既に昼頃をさしていた。
カウンター上に立て掛けてあるテレビを点けて、応接間の椅子にどっちゃり腰掛けて、間もなくお昼のニュースが始まって、
『次のニュースです。A級ヴィラン、
「おー、よーやった」
隣に座り込んだ撃美が、腕を頭に回しながらでニュースにコメントする。
『リーダーの姫奈容疑者は既に逃亡を図っており、今も最古市にて潜伏を図っている模様です。……もし姫奈容疑者を見かけましたら、決して近寄らぬよう、特に言葉に耳を貸さないように注意してください』
姫奈が持つ話術能力に関する解説と、亜久之姫奈その人の参考写真が画面いっぱいに映し出される。
姫奈は、言葉を用いることによって人を意のままに操ることができる。こうすることで
そんな姫奈の厄介なところは、皆無に近い義侠心そのものだ。利用するだけ利用しておいて、危なくなったらさっさと次の組織へトンズラしてしまえるその立ち回りは、逮捕に燃えるヒーロー達の手をほとほと焼かせてしまっている。
『姫奈容疑者は、今も違法ステルス装備で身を固め、ヒーロー達の目を欺いています。身の回りに注意して、くれぐれも耳を貸さないようにしてください』
「だとさ。気をつけような、先生」
うなずく。
次の組織とはいうが、そんな軽薄な女を受け入れてくれるヴィラン組織は存在するのか。手元に置いておいたら、絞るだけ搾り取ってまた逃げ出してしまうんじゃないのか。
もちろん、そんなことは百も承知であるはずだ。
けれどヴィランとて人間であって、人間は美しいものに惹かれるのであって、惹かれたら危なくとも手を伸ばしてしまうのであって、伸ばした手にトゲが刺さろうとも「それはそれで」で済ませてしまえるのである。
――姫奈の写真をガン見する。
流れるような黒いボブカット、獲物を射抜く鋭い目、全身を薄く覆う違法サーチキャンセラーベール、胸元に垂れる銀色の違法クロスネックレス型スタングレネード、白い手を黒く飾る違法パワーアシストオペラグローブ、肩をなだらかに露出する違法ステルスブラックドレス、足を黒くくまなく彩った違法レッグアシストタイツ、つま先まで妥協しない違法仕込みブレード付きブラックハイヒール、そして違法透視機能付き眼鏡。
何度見ても、心が躍る。
これだから生き残れるんだよなと、常々思う。
肉声は残念ながら残されていないが、逮捕されたヴィラン曰く「分かってはいるが、聞きたくなる美声」とのことだ。容姿端麗であることも手伝って、「分かってはいるけれど」姫奈のことをヴィラン組織に迎え入れてしまう。
軽薄だな、と思う。
でも綺麗だな、と思う。
会いたいな、と常々思う。
「あーあ、いつ捕まるのかなー。早く反省した方が、人生やり直せるってのによー」
この数年間、ずっと姫奈ことばかり想っている。
ロクに恋も知らなかった高校三年の頃、自分はテレビに映し出された亜久之姫奈十八歳(!)の姿を見て、目の色も心の内もまたたく間に動揺した。食欲なんて消え失せて、朝飯の味すらしない。
そして授業中も、友人と喋っている時も、寝る前も、正義の頭の中は姫奈のことでいっぱいだった。ニュース番組で表示された、明らかに高みぶった笑顔がどうしても忘れられない。
最古市のいち住民として、ヴィランの危険性はもちろん理解してはいる。
けれど、そんな危なげな姫奈だからこそ、自分はひと目惚れしてしまったのだと思う。だめなのは分かってはいるが、もう止められない。
うん。
で、どうすればヴィランと合法的にお付き合いできるんだろう。
難航するかに思えたが、少し考えただけでプランが続々閃いていった。恋は強し。
ヴィランは能力者が多い。だからまずは能力者を知ること。知るにはちゃんと能力者と向き合え。能力者に信用されればおのずと能力者が集まってくる。そうなるには能力者の手助けをすればいい。危ないからと孤立に陥る能力者が多いらしいな。その人達と向き合えばいいんじゃないか。
検索――能力者専用診療クリニックは、まだ少ない。
いつか姫奈が捕まって、罪を償う機会に恵まれたら、自分はその手助けをする。
万が一罪の意識に悩まされ、自分のもとへやってきたのなら、自分は喜んで姫奈の更生を手伝う。
遠回りにも程があるが、時間なんて長くかかってもいい。姫奈の無い人生なんて、もう考えられなくなったのだから。
そうして医療大学に通い、卒業と同時にクリニックを設立して、気づけばもう二十八歳。
背もヒゲも伸びた、助手もできた、沢山の能力者と向き合えた、命がけの診療も経験した、姫奈はまだ捕まっていない。
ため息をつく。
「先生」
物思いが消えて、半ば本能的に首を向ける。
撃美の伊達眼鏡と、真正面から向きあった。
「ハラ減ったし、そろそろ昼飯買いにいかね?」
撃美がにこりと笑いながら、親指で出入り口の方を差した。
そうだなと、正義も首を縦に振るう。
『次のニュースです。いま大ヒット上映中の恋愛映画、『恋はいつもここにある』の売り上げが――』
正義が、よっこらせと立ち上がり、
「メシ、買いに行くよ」
「んなシケた言うなよ、一緒に行こう」
いつものやり取りを交わしあったあと、撃美も嬉しそうな調子で腰を上げた。
テレビを消す。腹減ったなーとぼやきながら、雑居ビルを下っていく。
□
行きつけのスーパーから出て、撃美はさきほどから嬉しそうにビニール袋を手にしていた。好物の団子が、割引で販売されていたからだ。
「ほんと好きだなあ、団子」
「好き好き、チョー大好き。そういう先生もイクラのオニギリばっかりじゃん」
「大好きだからな」
「なー? 好きなものは、いくら味わっても飽きないもんだよ」
「……たしかに」
撃美の言う通りだった。一日たりとも、姫奈を忘れたことはないし。
青い空を見て、ごまかすように苦笑いする。
「そういや先生はさ、ダンゴは食わないの?」
「んー……今度食べてみようかなあ」
「んじゃ一本あげようか?」
「いやいいよいいよ」
撃美が、なんだか不満そうに「えー?」と眉をへこませる。そうはいっても、おにぎりは分割できないし。
そうして他愛のない雑談を口にしていると、通りがかった小学校から高らかな金属音が反響した。思わず上を見てみれば、野球のボールがこっちに落ちてきて、
「うわっ」
「キャッチッ!」
情けない男の悲鳴が辺りに響き、勇ましい女性のかけ声が空を貫く。
それから間もなくして、フェンス越しから小学生が集まってきた。
「すみません! 大丈夫でしたか!?」
「あ、ああ、平気平気。あはは……」
「いいバッティングセンスだったぞ」
ボールを手の内で浮かせながら、撃美は顔全体で豪快に笑う。それを見て安心したのか、焦っていた小学生に朗らかさが戻ってきた。
「いやー、近ごろの子供は元気だなあ。混ぜてほしいよー」
「え? じゃあやってみます?」
「んやあ、私らは部外者だからね。遊びたいんだけどねー」
小学生が、そっかーと苦笑いする。
――いいもんだな、そう思う。
「じゃ、そろそろボール返すよ。んー……グローブ持った君、手を上げて」
「あ、はい」
キャッチャーを務めていた男の子が、言われた通りに手を上げる。
撃美は「少し下がってー」と指示をして、男の子も二歩三歩下がり、そして撃美は大して力も入れずにボールを上へ投げた。
小学生一同が、ボールを目で追う、正義は、相変わらずやるなあと思考する。
――いよいよ、ボールが下へ落ちていって、
「あっ!」
キャッチャーの手に、ボールがすっぽり収まった。
小学生達が、すげーやべーと吠える。撃美はピースサインして、正義は小さく拍手をした。
「姉さんすげえ! 野球やってたの!?」
「ああ、趣味でやってるんだ」
陽気に笑いながら、撃美が力こぶを見せつける。小学生たちが、一斉に驚嘆の声を漏らした。
いいものだなと、正義は思う。
「……じゃあ、僕たちはそろそろこれで。気をつけてホームランするんだよ?」
「はーい」
「んじゃ、またなー」
そして何事もなかったかのように、小学校を通り抜けていく。やがて小学生達の視線から遠ざかっていって、撃美が安心するようにため息をついた。
「悪い、先生。助かった」
「いや、いいよ。それよりさっきのコントロールは、実にお見事だった」
「いやいや」
撃美が、首を小さく振って、
「私の能力、『射線』を使っただけさ。なんもすごくない」
撃美の言う「射線」とは、ボールなどを手にした際に「投げる」と思考すれば、ボールがどのようにして飛ぶかの予測ライン線が視界に映り込んでくれる能力、らしい
ちなみに「撃つ」ことも効果の範疇内らしく、本人曰く「サバゲーで使ったらきたねーだろなあ」とのことだ。
だから撃美は、なんもすごくないと言った。
「いや、そんなことはない」
「……え?」
そして正義は、撃美の言い分に口を挟まずにはいられなかった。
「撃美さんは適切なタイミングで能力を使ってみせた。君は、立派な能力者だよ」
「いや、そんな、当然のことをしたまでで……」
「撃美さんの言う『当然』に、僕は何度も助けられたんだよ」
撃美が真顔で、「え、」と問う。
「撃美さんの能力がなかったら、今頃俺は死んでたかもしれない」
「え。そ、そう、だっけ?」
「これまで沢山の能力者と向き合ってきたつもりだけれど、中には能力発動のトリガーが不安定な人もいただろ?」
「……そうだな。感情が揺らぐと、カマイタチが出たり」
「そうなった時、撃美さんは甘いものを相談者の前に落下させただろう? あれは相談者の注目も引けたし、気分転換にも繋げられた」
「んまあー、甘いものはリラックスできるし?」
「そう。緊急時には、いつだって能力者である撃美さんに助けられた。だからすごくないなんてことはない、すごい」
撃美がいなかったら、たぶんクリニックは続けられなかっただろう。下手すれば命だって落としていた。
だから正義は、すごいと言い切った。
「……そ、そか」
伊達眼鏡のブリッジを、指先で整える。
「……先生」
「うん?」
診療所に通じる横断歩道を渡ろうとして、運悪く赤信号に捕まった。
二人の足が、ぴたりと止まる。
当の撃美は地面にうつむいていて、正義はそんな撃美の様子に内心焦り始める。何かまずいことでも言ったのだろうか。
「……私も、さ」
「あ、ああ」
「私も、先生がいなかったら、きっとヴィランになっちまってたと思う。くだらない死に方をしてたと思う」
そんなことない、とは言い切れなかった。
数年前の撃美は、あまりにも荒れきっていたから。
「先生には、本当に感謝してもしきれない。この恩は、一生かけてでも返す」
「いや、そう言ってくれただけで満足だ。笑顔こそ、カウンセラーが求めるものだからな」
「そっか」
深刻そうだった撃美が、いつものように明るく元気よく笑ってくれた。
それを見て、体じゅうに回った緊張感がほとほと抜けていく。
だから正義は、視線を撃美から診療所へ向けた。
「先生」
まるで、耳元から聞こえてきたような。
「私はこれからもずっと、先生の隣にいるからな」
ようやく、信号が青に変わった。
ほんとうは撃美のことを見るべきなのに、それがどうしてもできない。たぶん、恥ずかしいからだ。
「ありがとう」
だからせめて、心の底からこう返そう。
交差点を渡る。午後になったら、能力者を笑顔にする仕事がはじまる。
―――
午後十二時、自宅のアパートにて、
いつものように、ネット上に転がっている姫奈関連の画像やイラストを保存し、関連情報も余すところなくチェックし終える。ここのところ、目立った動きを見せてはいないようだ。
あとはノーパソの電源を切って、軽く伸びをして盛大にあくびを漏らし、そのままベッドへ横になる。リモコン操作で、部屋を真っ暗闇にした。
そうして静かになったから、だろうか。ふと、清撃美のことについて考え始める。
いつまでも――その言葉が、とても印象的だったからかもしれない。
壁掛け時計の針の音が、はっきりと聞こえる。
撃美が助手になって、気づけば二年ほど経過していた。今となっては、撃美なしの経営なんて考えられない。
そんな撃美と出会ったのは、約六年前ほどか。
自分がまだ、青二才だった頃だ。
▽
クリニックを設立して、もう半年が過ぎていた。
覚悟はしていたが、能力者との向き合いは本当に困難を極めた。カウンセラーとして最低限の対話はこなせるのだが、無能力者であるが故に「あんたにはわからないだろうな」と口にされてしまうことが多い。
それならまだ良い方で、自分のミスで能力者の能力を暴発させてしまうこともあった。お陰で何度か怪我を負ったこともあるが、これも覚悟の内だし、外傷なんてものは自然治癒でどうにかなる。
それよりも向き合えなかった相談者のことが、気になって気になって仕方がなかった。心の傷を癒せない自分が、心底嫌になったこともある。
能力者の孤立、無能力者からの恐れ、陰口、嫉妬――これらを解決できないで、なにがカウンセラーだ。
それでも、クリニックを閉じよう、などと決意したことはない。
それもこれも、亜久之姫奈と結ばれたいからだ。
A級ヴィランと心を通わせるなんて、笑っちまえるほどの絵空事だろう。
けれど正義は、それを大真面目に現実のものとしようとしている。
姫奈がいたからこそ、医療大学にも合格した。姫奈がいたからこそ、カウンセラーにもなれた。姫奈がいたからこそ、能力者と向き合え続けている。
だから正義は、絶対に諦めない。カウンセラーとしての責任を全うし、いつしか姫奈の罪をも浄化してみせる。それが、ヴィランに惚れた男の義務だ。
そして、一年が過ぎた。
経験を重ねたからか、能力者の機微にも段々気づけるようになった。あらゆるケースにおける対処法も、相談者からよく学ばされたものだ。
それ故に、能力者から拒絶される場面も徐々に少なくなってきた。これは本当にありがたかったし、カウンセラーとしての自信も身に付いてくる。やはり人間とは、失敗を重ねてナンボなんだなあと、二十三歳にして改めて思い知った。
数人の相談者と心から向き合えた頃、また新たな相談者がクリニックにやってきた。
アンケート用紙によると、名前は清撃美、性別は女性。年齢は十八歳、高校三年生か。
趣味は野球で、睡眠時間は八時間、えらい。家族関係は良好で、能力は射線という。
そして、悩みは――
「高校に入学して以来、周りから能力を嫉妬されはじめて、そして次第に孤立してしまった。それが、君の悩みだね?」
「ああ」
学校帰りなのか、撃美は学生服姿で診察室の椅子に腰かける。金色のショートヘアが、ふわりと動いた。
散々ひどい目に遭ったのだろう。気に入らなさそうに瞳を細め、うんざりするように頬杖をついている。しかしその視線は、確実に正義のことを射抜いていた。
擦れてはいる、けれど独りにはなりたくないのだろう。そうでなければ、予約の電話なんてかけてくるものか。
撃美は、正義というカウンセラーを信じようとしている。
ならば正義は、それに何としてでも応じなければならない。
それが、能力者専用診療クリニック設立者の義務だ。
「よければ、すべての事情を話して欲しい。長くなってもかまわない」
「……ホントーに長くなってもいいんだな? 聞いた上でテキトー言ったら、怒るからな」
うなずく。
「アンケにも書いたけど、私は射線っていう能力を生まれつき持ってる。まあ、投げるもの撃つものがどうやって飛んでいくのか、それがライン線として見える感じだな」
「うん」
「で……まあ、私は野球が好きだった、お父さんの影響でな。で、せっかく能力もあるんだし野球を始めてみたんだ」
「なるほど」
「小学中学の頃は、けっこう持て囃されたよ。すげーなオマエって感じで」
「うん」
「でも、高校に入ってからは段々雲行きが怪しくなってきた。なんだろうな、なんでなんだろうな、とにかく嫉妬されたんだよ」
「うん」
わからないでもない。
その頃になると、自分のやりたいことやるべきことがよく確立されやすくなる。それは部活だったり、姫奈への求愛だったりと、とにかく色々だ。
そうした目標が揺らぎ始めると、若い高校生は真剣に焦りを覚える。そして、必死に原因を探ろうとする。若ければ若いほど、がむしゃらに。
そして不幸なことに、その原因は非常にわかりやすかった。それは清撃美という目に見える存在であり、しかも能力者という例外じみた要因も重なって、野球に命をかける者たちから苛烈に嫉妬の目を向けられたのだろう。
――競技性に、妬みはつきものだ。
「もちろん原因は聞いたさ、そったらオマエの能力はズルいだの、よこせだの、そんなことばっかり」
「うん」
「一緒に野球をやろうとしてもさ、誰も相手にしてくれないの。能力なんて使わないって自己申告しても、だーれも信じてくれやしない」
「うん」
「まあ、それだけならまだ……いや、よくないんだけどさ。なんかいつの間にかさ、教室でも無視されるようになっちまった。そのくせロクなイジメすらきやしねえ」
気に入らなさそうに、鼻息をつく。
「どっかからウワサでも聞きつけたのか、怪しいヤローどもから変なお誘いがかかってくるしよ。ったく、悪さなんてしたかないけど、いっそのことなびいちまおうかね、必要とされてるみたいだしさ」
大きく、心底うんざりしたようにため息をついた。
「つまんねえ、何もかもがつまんねえ。なあセンセー、どうすればいいんだよ、なあ?」
「そうだね」
どこまでも不機嫌そうに、どこまでも自分の目を睨みつけながら、撃美は正義に答えを求めようとする。
そんな撃美に対して、正義は一枚の紙を取り出し、そっとテーブルの上に置いた。
「あ? 何、こ、」
そしてはじめて、撃美の瞳が開いた。
奪い取るように紙をつかみ取り、両手で内容を静かに朗読し続けている。
「……これ」
「うん。君の能力をどう活かすか、それを自分なりにまとめてみたんだ」
・ジャグリングといった曲芸に挑戦してみる。とにかく正確さと派手さが求められるので、射線能力とは特に相性が良い。使えば使うだけ皆から喜ばれる。
・限定的になるが、演劇部に入ってアクションを担当するのも有り。何かを正確に投げつけるアクションは、見た目的にかなり派手で、素直に注目度を集められる。
・狩猟者を目指してみる。正確な射撃をこなせるというのは、この界隈では限りなく強い。
・ヒーローを志す。とにかく成功を求められる仕事なので、必中に強い射線能力がとことん輝く。
・野球を目指すのであれば、私は全面的に支持します。もしものための安定剤も用意します。
「……先生」
「はい」
「私の能力こと、こんなにも、考えてくれたんですか?」
「はい」
撃美が、ゆっくりと、紙をテーブルの上に置いていく。
そして、撃美と目が合った。
撃美の大きな瞳に、僕の姿がはっきりと映り込んでいる。
「能力は、行使次第でいくらでも輝ける力です」
撃美が、うなずく。
「そして、あなたと生涯を共にする仲間でもあるのです」
撃美から、小さな声が漏れる。
「それを肯定したほうが、能力者として幸せに生きていけると、僕は思っています」
自分の口元を、すこし緩ませる。
「撃美さん」
「はい」
紙を、撃美に差し出す。
「――今まで、よく頑張りましたね。ヴィランの誘惑に勝ったあなたは、間違いなく正しいですよ」
撃美の呼吸が、少しだけ聞こえてくる。やがてうつむいていって、額に手を当てて、しばらくはそうしていて。
やがてゆっくりと、ゆっくりと、顔を起き上がらせていく。
「先生」
「はい」
「その……あの」
「はい」
そして撃美は、
「私、もう少しだけ頑張ってみます。野球、好きですから」
「そうですか」
「もし、へこたれそうになったら、また相談してもいいですか?」
「もちろんです」
「――ありがとうございます、先生!」
撃美が、その場で思い切り一礼した。あまりの勢いだったから、思わず正義は苦笑い。
――そうだ。
能力者だって同じ人間だ。この世界を必死に生き抜こうとしている、対等の存在だ。
能力者の能力とは、能力者にとっての心の支えであり、誇りであり、仲間でもある。それを肯定できて、はじめて能力者と向き合う資格を得ることができるのだ。
「また、また来ますね、先生」
そしていつしか、能力者の笑顔を見ることだってできる。
姫奈の笑顔も、きっと。
だから自分は、この仕事がやめられない。
――それから、三年ほどが経過した頃。
ここ最近は、能力者からの相談依頼が増えてきた。口コミなどで評判が広まってきているのだろう、実に良い傾向である。
ただその分だけ資料云々が増えてきたし、時おり近所の講演会などにも呼ばれるようになって、そろそろ一人で経営する事が難しくなってきた。
なので、助手を応募する旨をサイトに表記したのだが、
「先生!」
そのたった一日後、大学三年生となった清撃美が診療所に飛び込んできた。
あまりにあまりの勢いだったから、ケツからコケてしまった。
「先生! 助手を応募してるって本当ですか!?」
「え、あ、う、うん」
「じゃあ私が応募します!」
「……え?」
「応募します!」
頭を思い切り下げられる。さっきから地べたに居た正義は、緩慢に立ち上がり、
「き、君は、アクション女優を目指してたはずだよね? 君が所属する演劇サークルのページを見たけど、主人公のライバル役に選ばれたらしいじゃないか」
「見てくれたんですか!? ありがとうございます! チョー嬉しいです!」
「あ、あはは……」
はじめての診察以来、撃美は演劇部に所属して見事な疑似ナイフ投げを披露し、クラスメート全員を見事に沸かせた。
演劇とはとにかく魅せてナンボの世界であるから、能力があればその分だけ映えるし、客としても否応なく心が躍る。それに感情豊かで運動神経抜群の撃美からしても、演劇部との相性は抜群に良かったようだ。
そうして能力の有効性を証明し、野球に関しても「頼むよー」と明るく元気よく両手を合わせ続けた結果、能力未使用のエースキャッチャーとして草野球界隈を賑やかせているのだった。
――これらすべては、撃美の口から聞いたことだ。
診断ごとに笑顔を咲かせてくれる撃美を見るのが、本当にほんとうに楽しみだった。
姫奈に対する自信も、いよいよもって付いてきた。
「とりあえず、演劇のことはおいといて」
「あ、はい」
「助手の件、本当なんですね?」
「う、うん」
撃美は気をつけの姿勢をとって、真顔になって、
「やります、やらせてください」
言い切った、本気の意思を迸らせながら。
そうか、と思った。
だからこそ、聞かねばならないことがある。
「撃美さん」
「はい」
「助手になるための条件、読んでくれたかい?」
「はい。カウンセラーの資格を所持していること、怪我を覚悟すること、能力者を肯定すること、能力者としっかり向き合うこと、ですね?」
「そう。そのすべてを守れるのなら、僕は是非とも、君を助手として迎え入れる」
「わかりました」
即答だった。
「私は絶対に、先生の助手になります」
「……決意に水を差すようで申し訳ないけれど、女優の夢はどうするんだい」
「やめます」
迷いなんて、まるで見えなかった。
「私は先生に、すべてを救われました。だからこそ、能力者が抱える問題にも気づけました」
「うん」
「だからこの応募を見た時……その、」
見逃さない。ここではじめて、撃美の言葉に躊躇いが生じた。
「その、そう! 私も、先生の助手として能力者を笑顔にしていきたい、能力者と無能力者が手を取り合えるような世界を築きたい、そう決意したんですッ!」
そして、先ほどの違和感が一気に払拭された。
真正面からここまでの表明を受けてしまえば、言うべきことは一つ。
「撃美さん」
「はい」
「待ってるよ、君が助手になってくれる日を」
撃美の大きな目が、口が、ぱあっと見開かれた。
「――はいッ!」
それから、一年ぐらいが過ぎた頃。
「今日もありがとうございました、先生」
「こちらこそ、いい曲を聴かせてくれてありがとう。弾けるサウンドがたまらないよ」
電撃能力者の元ヴィラン、
「これも、先生の発想力のお陰です。まさか電撃を、音として使うとは……」
「それを曲としてまとめられた轟君は、本当にすごいよ」
「あはは……それで、その、とあるバンドからお誘いを受けたんです。是非とも、俺達の音を飾って欲しいって」
「おお、いいね、ロックだね。バンドを組んだら、ぜひとも曲を聞かせて欲しい」
「はい! その時が来ましたら、ぜひ!」
ありがとうございました――雷太は、笑顔と共にクリニックを後にした。
何もかもが満たされたまま、椅子の背もたれに身を預ける。
轟雷太は、産まれた時から電撃放射能力を身にしていた。発動トリガーは高ぶる感情そのものであり、周囲からはずっと避けられてきたらしい。
親から恐れられ、友達も出来ないままで高校を卒業してしまったら、心なんて擦り切れるに決まっている。
そしてヴィランは、そんな雷太のことを決して見逃しはしなかった。
あるヴィラン組織の勧誘を受けた雷太は、ヴィラン仲間と共に次々と「破壊」活動を行った。人には決して、電撃能力を発することはなかったのだ。
そしてある日のこと、雷太が属するヴィラン組織が崩壊直前にまで追い込まれた。
沢山の警察官から武器を向けられ、ヒーロー達から睨まれて、雷太はすぐにこう思ったそうだ。
――自分は、なんてバカなんだ。
こうして雷太は、仲間の反対を押し切って降参した。そして数年かけて罪を償い終えて、けれどこれからどうしていいかわからないまま、ふとクリニックのことを知ったという。
だから自分は、能力者である轟雷太と向き合った。どう能力を活かせばみんなを笑顔にできるのか、自分なりに必死に考えてみせた。本気で今を生き抜こうとしている雷太も、自分の提案に耳を貸してくれた。
その結果、雷太はネットで話題のエレキミュージシャンとして生まれ変わった。
いまの雷太に、ヴィランの面影はもう見えない。
ヴィランだって、人生をやり直すことができる。
そうして余韻に浸っていると、腹の空く音が診断室に鳴り響いた。
そろそろ昼か。
どっこいしょと、席から立ち上がる。緩慢な頭で、何を食べようかなと思考してみて、
「先生ッ!」
すごい音がした。
慌てて応接間まで駆けつけると、そこには撃美が、肩で息をする清撃美の姿があった。
「――やりましたッ! 助手にしてくださいッ!」
そして嵐のように、「カウンセラー認定証」と書かれたカードを前に突き出したのだった。
――唖然、
――すげえ、
――間、
「……撃美さん」
「はい」
撃美が、まるで軍人のように直立する。嘘もごまかしも通じない目に、正義は射抜かれた。
だから正義は、撃美と向き合って、こう告げた。
「是非とも、明日から助手として働いていただけませんか?」
そして撃美は、ほんの少しの沈黙を置いて、
「――はい! ありがとうございます、ありがとうございます! 先生ッ!」
顔いっぱいに、顔いっぱいに、高らかに笑ってくれた。
―――
ある日の早朝、正義は携帯から鳴り響くアラーム音に意識を叩き起こされた。
布団を緩慢に払いながら、またか、と思う。
今年に入って、何回目かのヴィラン注意報が発令されたのだ。
アラームが鳴ったということは、現在進行系でヴィランが市内を走り回っているのだろう。そして大抵は、ヒーローにどやされて平穏が戻る。
そんな繰り返しを毎年経験すれば、いやでも慣れてしまうものだ。外に出なければいいだけの話だし。
ベッドから這い上がり、机の上に置いてある携帯を手にする。今度はどんなヴィランが、やらかしてくれ、
目を張った。
眠気が覚めた。
思考が否応なく回り始める。
どうしよう、迷惑をかけてしまう、いいや会いたい――短絡的にそう考えたあと、正義は大急ぎで服を着替え、気付けに水を飲み、携帯を手にして、
そのとき、携帯が鳴った。
誰だこんな時に――名前を見て、すぐさま応答ボタンを押した。
「はい」
「おはよう先生! で、いまどこにいる?」
どこ。
その質問に、びくりとした。
「……アパートだ」
「そうか! じゃああれだ。いいか、絶対に外には出るんじゃないぞ? 姫奈の言葉に捕まったらおしまいだしな」
本当に心配してくれているのだろう。
「絶対に出るなよ。怪我でもしたら大変だからな」
本当に心配してくれているのだろう。
「ヴィランが捕まったあとで、またいつものように相談者を笑顔にしていこうな? な?」
本当に、心配してくれているのだろう。
「……撃美さん」
「うん?」
「ごめん。ちょっと、外に出る」
「は? いやちょっと待って! 駄目だ! 先生にもしものことがあったら!」
だから、この人だけには嘘をつきたくなかった。
「先生駄目だ! 姫奈は危険なんだ! 気持ちはわかるけど落ち着いて!」
「撃美さん。今までいろいろありがとう」
「え……いや、ちょっと」
「外へ出ないようにね。それじゃあ」
切る。
すぐさま着信が届いたが、切る。
そして正義は、姫奈が逃げまとっているであろう最古市へ飛び出した。
まだ六時だからか、空が薄暗い。
―――
緊急ヴィラン注意報
現在、A級ヴィランの亜久之姫奈(28)が市内を逃亡しております。
ヒーローが姫奈本人にダメージを与えたため、いくつかの違法装備の破壊に成功。移動速度も低下しています。
ただし能力は使えますので、くれぐれも一般市民の皆さんは外に出ないようにしてください。
<!>現在、最古市の交通機関はすべて停止しております。
<!>現在、最古市は封鎖されています。
ヴィランは滅びない、けれどいつかはヒーローに負ける。
それは姫奈とて例外ではない。遂に、年貢の納め時が殴り込んできたのだ。
だから正義は、建物の隙間をくぐり抜けながら「やっとか」と冷静に思っていた。
――ゴミ箱を物陰に、道路付近を眺める。
今回こそはと、姫奈めがけ本気の奇襲を仕掛けたのだろう、何台目かのパトカーが、サイレンを鳴らして市内を走り回っている。歩道には、重武装した警官が数人も徘徊中だ。
頭上を見てみれば、ハイジャンプで移動するヒーローの姿も見受けられた。サーチ能力があったら一発で強制保護されるところだが、それはないようでほっとため息。
さて。
早いところ姫奈を見つけないと。そうしなければ、姫奈が殺されてしまうかもしれない。
A級ヴィランなのだから、それぐらいの報いを受けても何ら不思議ではないのだ。正義もそう思う。
だからこそ正義は急ぐ。一番先に姫奈と出会って、姫奈を説得してみせる。
――言い訳するな、姫奈と会いたいのが本音だろ?
――ああ、そうだ。そうだよ。
舌打ちする。
さて、人目につかない場所といえば。
正義は、最古市生まれの最古市育ちだ。だから、最古市におけるやましいルートはどうしても目につく。
最古市産ヴィランである姫奈も、それぐらいは把握済みだろう。そうでなければ、数年間にも及ぶ逃亡なんてやってのけられるはずがない。
両肩で呼吸を整えながら、目につく路地裏に足を踏み入れる。違う、ここじゃない。
次は蕎麦屋の裏側を調べてみよう。暗くて狭くて行き止まりと、隠れるにはまさにうってつけの場所だ。
思い出す。鬼ごっこをする際は、ここに足を踏み入れたらアウトだったっけ。周りからは鬼門とか言われてたな。
そして正義は、その鬼門に足をつけた。
建物と建物に挟まれているせいで、あたり一面がずいぶんと暗い。幅なんてひと二人分ぐらいしか空いていなかった。地べたにはいくつかの石ころしかない。
そしてその先には、ただの行き止まりがあるだけ。
蕎麦屋の裏を確認し終え、次のうさんくさい場所へ足を運ぼうとして、
「あ、あの」
全身で驚いた。
女性の声はすれど、姿かたちが見られない。
「そ、その、あなたは一体誰ですか……?」
目の前の空間が、一瞬だけ歪んだ。
「は――」
その一瞬のあとで、女性の姿がぱっ、と現れた。
ずっと待ち望んでいた人が、いま、自分の目の前で、数メートルも離れていないところで、腰を下ろしている。
ろくな声なんて出ない。
それでも動き続ける脳ミソが、淡々と現状を報告する。
目の前にいるのは、A級ヴィラン亜久之姫奈だ。逃げ疲れたのか、驚いたのか、へたりと腰を下ろしている。足をハの字に曲げながら。
ヒーローからダメージを受けたのか、姫奈を纏う違法装備がボロボロに朽ちている。己が身を守るためか、胸元を覆うように両腕を交差させていた。
そしてその表情は、とても怯えきっていた。眼鏡越しから、目尻にたまる涙まで覗える。
「……あ、あなたは?」
声をかけられた瞬間、頭の中が弾けた。
――まるで、教師みたいな声。
「あ、あー……僕は道長正義、カウンセラーを務めているんだ」
「カウンセラー?」
「そうそう。主に能力者の悩みを聞いている」
「そう、なんですか」
きょとんとした顔をしながら、姫奈は相槌をうつ。
正義は、そっと姿勢を屈め、
「君のことは知っている。亜久之姫奈、だね?」
「……はい」
目を、そっと逸らされる。
その、どこか自分のことを見てほしくないような動作に、正義はつばを飲んだ。
「大丈夫、危害は加えたりしない」
「ほんとう、ですか?」
「もちろん。能力者の話を聞くことが、僕の仕事だから」
「そう、ですか」
この言葉を口にできた時、凄まじい達成感が全身を駆け巡った。
カウンセラーの道を志したのも、相談者と向き合ってきたのも、すべては姫奈と結ばれたかったから。
「正義さん」
死ぬかと思った。姫奈が、自分の名前を呼んでくれたから。
「……なんだか、すごいですね」
そして姫奈は、にこりと笑った。
今度こそ死んだ。
「……あ、あの、あの」
「はい」
「え、えと……その、姫奈さんは」
「はい」
よく見なくとも、姫奈の違法装備はすっかりボロボロだ。ところどころから、姫奈の白い肌が露出してしまっている。
必死になって首を左右に振るう。オトコの煩悩に抗おうとする。
「どうしました? 何か、具合でも悪いんですか?」
「い、いやなんでも! そ、それより!」
「はい?」
言え、言うべきことを言え。
義務感を強く意識する。香水めいた匂いに感覚が痺れてくるが、「おれはカウンセラーだ」を心の中で連呼してどうにか持ちこたえる。
「姫奈さん」
「は、はい」
「あなたの能力は、とても素晴らしいものだ。使い方によっては、人を落ち着かせることもできる」
「そうなん、ですか?」
そうだったんだと言いたげに、姫奈の目が丸くなる。
「人を操るのではなく、人を元気にさせたり、励ましたり、笑顔にすることだってできる」
「はあ……」
「だから……そう、カウンセラーが向いているんじゃないかなと、僕は思っているよ」
言えた。
聞き慣れない言葉だったのだろうか、姫奈がうつむきながらで「カウンセラー……」とつぶやき始める。
返事はじっくりと待て、それがカウンセラーの基本だ。
「……正義さん」
「はい」
「……考えてみます」
そして姫奈は、そっと顔を上げた。
ヴィランに見えないような――いやヴィランだ――眩しいばかりの笑顔を見せてくれた。
「~! ……だから、その、あの」
「はい」
「僕は、君のことを待っているよ」
「はい」
「数年が、経った後でも」
「――え?」
そこで姫奈が、少し驚いたような顔をする。
その表情を見ても、目にしたからこそ、道長正義は、ただの一般人としてこう言った。
「あなたが罪を償うその日まで、僕はあなたを診療所で待ち続けます。世界から許されたあとで、僕の助手になってください」
姫奈はA級ヴィランだ、このことだけは絶対に覆らない。
ヴィランである亜久之姫奈に惚れたからこそ、強く強くそう実感している。
今すぐにでも結ばれたいが、それは全ての罪が赦された後でもできる。それが、合法的にヴィランとお付き合いするための最適解なのだ。
「……先生」
「はい」
何が起こったのか、最初はわからなかった。
姫奈の腕が、自分の首に巻き付いていた。
「怖いんです」
ろくな言葉なんて出せるはずもなかった。
怯えきった姫奈の顔が、こんなにも近くまで迫っていたから。
「裁きを受けることが、暗い監獄に閉じ込められることが、とても恐ろしいんです」
「ひ、姫奈さん」
「お願いします、正義さん」
姫奈は、泣いていた。
崩れ落ちそうな声が、透き通るように聞こえる。
「どうか私を、匿っていただけませんか……?」
「え」
「お願いします、正義さん」
十年の歳月を越えて、自分はようやく姫奈と出会えた。言葉だって、交わしあえた。
姫奈の一言を耳にするたびに、頭の中がふんわりと柔らかくなっていく。この人のことを聞いてもいいかなと、あっさり思う。
「正義……」
頬に涙を伝わらせながら、姫奈が体を預けてくる。吐息が、鼻をくすぐってくる。首に巻き付いたオペラグローブの感覚が、どこか温かい。
うなずこう。A級ヴィラン姫奈を愛する男として、いま、夢を叶えよう。
理性がささやく、本能も背中を押してくれる。
だから、
「先生ッ!」
路地裏の入り口から、ものすごい叫び声が聞こえてきた。
「お、おまっ……あ、あなたは姫奈さん? 姫奈さんなんですか?」
「? 正義さんのお知り合い、ですか?」
叫び声で、もやがかった頭が少し冴えてきた。
――まちがいない、清撃美だ。急いで駆けつけたのか、趣味の伊達眼鏡はかけていない。
「ま、まあ、先生の助手を……それより二人で何をしていたんですか、何を」
「いえ……ちょっと、色々と」
傍目からみれば、確かに抱きついているようにしか見えないだろう。
非難の目を向けてくる撃美に対し、姫奈は正義の後ろに隠れてしまった。
そんな姫奈に対し、撃美はどこか苛立ったような顔をして――ひとつ、ため息。
「姫奈さん。あなたのことは知っていますよ」
「まあ……そうですよね」
「そうです。ですから、これ以上逃げるのはやめにしましょう。これ以上罪を重ねても、何の得もしません」
「……先生と、同じことを言うんですね」
撃美が、「へえ」と頷く。
「そうです、先生の言う通りです。……もう終わりにしませんか、悪いことなんて」
「ですが、あなたの言う通りにしたら、私は裁かれてしまうのでしょう?」
「当然です。殺人、麻薬、人身売買……どれも、決して見逃してはならない重罪です」
「それは、それは……その、悔いています」
「そうですか」
撃美が、そっと近づいてくる。
「では、その意思を警察に伝えてください。私達も同行しますか、」
のどもとにナイフがあてられていた
「え――あ――何を!?」
「どいてください」
喉元に、ナイフが、当てられていた。
あまりにも一瞬で、認識するのに時間がかかった。
いったいどこから――すぐに思い出す、つま先まで妥協しない違法仕込みブレード付きブラックハイヒール。
姫奈に、強制的に直立させられる。
「すぐに手を離してください!」
「静かに。ヒーロー達に気づかれてしまいます」
撃美が、悔しそうに歯を食いしばる。
「ひ、姫奈、さん」
「あら?」
撃美の訴えと、死の恐怖によるものだろう。先ほどよりは、意識が明確になってきた。
「やめるんだ。君はまだやり直せる、その能力があれば立派なカウンセラーになれる」
「そ、そうだ。先生の言う通りだ」
撃美が、足元に転がっていた石を拾い上げる。
それを見て警戒したのか、姫奈がにこりと、ナイフを真横に動かした。
「あ!?」
「まだ何もしていませんよ。大声を出さないでください」
「ひ、姫奈さん」
姫奈が、心底呆れたようにため息をつく。
「……カウンセラー?」
刃が、ぎらりと光った。
「なんで他人の幸せのために、能力を?」
「え……は……?」
「そんなの、面倒です」
直感的に、分かってしまった。
このヴィランは、心の底からそう言っていることに。
「ひ、姫奈さん、だめだ。カウンセラーでなくてもいい、平穏に過ごすだけでもいい」
「いやです、せっかく能力者として産まれたのに」
姫奈のハイヒールに足を踏まれる。大声が溢れそうになったが、何とかして押し殺す。
「ばっ……だめです、先生の話を聞いてくださいっ」
「あとで聞きますよ、あとでね」
耳に、息が吹きかけられた。
ひどい、寒気。
「センセイ」
先ほどのような、救いを求めるような声でつぶやかれる。
「どうか、私を匿ってください。お願いします、センセイ」
頭の中が、また柔らかくなっていく。己が合理性が、居眠りをし始める。視線までモヤがかかってきた。
「やめろ、やめろっ、先生に手を出さないでっ」
けれど、たしかに見える。必死の形相を浮かべる撃美のことが。
「……ひ、姫奈さん」
「あら?」
「だめだ、そういうのは。それ以上は、不幸になる」
「――あら」
声色が、すとんと変わった。
「好きでいてくれているのでしょう? こんな私のことを」
頭の中が、真っ白になった。
そうだ、その通りだ。この数年間、ずっと姫奈のことばかり考えてきた。
ヴィランである姫奈と分かりあって、今までの罪を清算させ、いつしかただの女性となった姫奈と結ばれる。それが、正義が閃いた人生のプランだった。
「匿っていただけるのでしたら、あなたのことを好きになるかもしれません」
「やめろ、やめろっ。先生を惑わさないで、先生の言葉に耳を貸してくださいっ」
「――ああ、そうそう」
姫奈が、にこりと笑って、
「助手さん、あなたにも協力していただきます。そこから動かないでくださいね」
プランなんてものは、大抵は上手くいかないものだ。
十年の恋が、いま冷めた。
「センセイ、」
「だめだ」
口を挟む。
「センセイ、聞いてください、」
「だめだだめだ」
口を挟む。
「センセイッ」
「だめだ、だめなんだ。君は、罪を償うべきなんだ!」
せめて、能力者専用カウンセラーとしてこの人を救ってみせよう。それが僕の義務だから。
そして姫奈は、ふふ、と笑い、
「お静かにお願いします。ね、センセイ」
ナイフが、少しだけ喉元に食い込む。じわりと痛みが駆けめぐり、一筋の血まで流れ出す。
「あっ、このっ」
石を構える撃美に対し、姫奈がナイフを上下に揺らす。
――撃美は、仕方がないとばかりに石を真上に投げた。
「いい子ですね」
ふたたび、正義の耳元にまで姫奈の顔が寄る。
「センセイ、お願いします。わたしを、守ってください」
「うあ……」
抗おうとするが、体じゅうが勝手に柔らかくなっていくのを感じる。守るという言葉に、従ってもいいとすら思い始めた。
A級ヴィランの能力を間近に食らい、ただの無能力者である正義はどうすることもできない。僕は馬鹿だった、何度も何度も痛感する。
「――あ、姫奈さん」
そのとき、撃美が上を見た。
撃美の不意な行動に、姫奈もつられて空を見上げ、
「あえっ」
にぶい音がした。
姫奈の顔と石が、正面衝突していた。
姫奈の眼鏡が粉々に砕け散ると同時に、撃美がナイフをはたき落として正義の腕をつかみ取り、姫奈から勢いよく引き離す。
抵抗なく、正義は尻もちをつく。撃美が、鼻血を出している姫奈の胸ぐらをふん捕まえる。
「おいヒメコー」
「ま、待って」
姫奈が、涙を流し始める。しかし撃美は、さらに姫奈を締め上げる。
「あ? ナニ? なんだって? 何か言ってみろよ、ホラ」
「ひぅ……ひ、」
「ひ?」
「ひどいこと、しないで……」
撃美が、心底呆れたようにため息をついた。
「――私の先生を傷つけやがってッ!」
姫奈を突き放したかと思えば、撃美が蹴りの一撃を姫奈に食らわせた。
悲鳴とともに、姫奈が行き止まりにまで吹っ飛ぶ。背中から壁に激突し、ほんの少しの間を置いたあと、姫奈は瞳をうつろにしながらで膝から崩れ落ちた。
宙を舞っていた撃美の髪が、刀のように腰に収まる。
うんざりするように、肩で息をした。
それを見届けた正義は、安心したのか、疲れたのか、意識が少しずつ薄らいでいく。
「――あっ、先生! 大丈夫か、先生っ」
ごめん。なんとかそう呟いて、正義は生まれてはじめて気絶を体験した。
□
意識が、少しずつ目覚めていく。
小さく唸りながら、ゆっくりと目を開けていって――
「あ、気づいたか、先生」
おったまげるところだった。
微笑している撃美が、自分のことを見下ろしていたから。
「――うえっ!?」
「お、どしたどした?」
おったまげた。
最初は枕か何かに頭を預けていると思っていたのだ。ところが首を左右に動かしてみれば、何者かの太ももがドアップに映し出されて、つまりは撃美に膝枕されていて、
「うわっご、ごめん、すぐに」
「いや、いいよ」
撃美の指先が、正義の額に添えられた。
そうもされては、従うほかない。
――改めて周囲を見渡す。ここは間違いなく、診療所の応接間だった。
そして自分の体には、撃美のものらしき上着がかけられていた。
「……運んでくれたのかい? 診療所まで」
「ああ」
「重かっただろう」
「へーちゃらへーちゃら」
「あと、上着……ありがとう、温かいよ」
「そっかそっか」
にひひと、撃美が微笑む。
そんな撃美の顔を見て、体の力が抜け落ちていくのを感じる。
そして今さらながら、首に包帯が巻き付けられていることに気づく。
「ああ、これ……ありがとう、助かった」
「怪我は、覚悟してたんだろ?」
「……そうだな」
能力者と相談をしていると、時おり怪我を負うこともある。今回ばかりは命の危機すら感じたけれど。
――あ、
「あ!」
「おっとと、どうした先生」
「姫奈は、姫奈はどうした?」
焦り始める正義とは裏腹に、撃美はずいぶんと落ち着いていた。
近くに置いていたらしいリモコンを手に取り、無言でテレビの電源を入れた。
『次のニュースです。今日の朝七時ごろ、遂に、A級ヴィランである亜久之姫奈が逮捕されました』
心なしか、男性キャスターの声がいつもより強張っているように聞こえる。無理もない話だが。
『警察によりますと、匿名の通報により姫奈容疑者の居場所を特定。まもなく警察が駆けつけたところ、歩道上にて姫奈容疑者が気絶していた、とのことです』
すごいなあ、という目を向ける。撃美がにひひと笑う。
『警察は姫奈容疑者を確保し、事情聴取を開始。姫奈容疑者の能力の都合上、防音マスクを着せての筆談形式になったとのことです』
画面が切り替わる。防毒マスクに似た拘束具を取り付けられ、あえなく警察署まで連行されていく姫奈の姿が映し出されていた。
姫奈の周囲には物々しい装備をした警察が数名、ヒーローもつきっきりと、実にA級らしい扱いを受けている。
『調べに対し、姫奈容疑者は、』
何て、答えたのだろう。
罪を認めたのか、ダンマリを決め込む気なのか。
『『私は何もしていない。能力に目をつけた悪人達に脅されて、仕方がなくやった』と、犯行を否認しているとのことです』
――ため息。
撃美が、肩の上に手を乗せてくれた。
『これまでに判明している姫奈容疑者の犯行は、殺人、誘拐、人身売買、麻薬と幅広く、今後の調査でさらに罪状が判明するだろうと、警察は発表しています』
姫奈に関するニュースが、ひとまずは終了する。しばらくもすれば、続報が放送されるだろう。
なんだか疲れたような気がして、視線をテレビから真上に向ける。ふたたび、撃美と目が合った。
「……撃美さん」
「うん?」
「その、今日はほんとうにすまなかった。君を、巻き込んでしまって」
「え? ヤだなあ、何言ってんだよ。先生はただ、ヒメコ……姫奈さんのことを、診察しようとしただけだろ?」
「撃美さん」
「それに、アレだ」
撃美が、鼻の下に人差し指を当てて、
「人間、好きな人に対しては必死になれちゃうもんな。わかるよ」
――!!
動揺が顔に表れていたのだろう、撃美は優しく微笑みながら、
「前々から分かってたよ」
撃美が、テレビに目を向ける。
「ヒメ……姫奈さんがニュースに出るたびに、先生、熱のこもった目を向けてたもん」
「……そうか、そうだったのか」
「まあね。でもまあ仕方がないよな、あいつカオはいいし」
そんな私情を知ってなお――知っていたからこそ、路地裏ではあんなに奮闘してくれていたのか。
ほんとう、感謝してもしきれない。どうやって、この恩義を返せば良いのだろう。
「……撃美さん」
「ん?」
「とりあえず、無理にさん付けはしなくていい。A級ヴィランだしな、姫奈のやつは」
撃美が、いいのかと目で聞いてくる。正義は、それに頷いた。
「――ったくヒメコーよぉ、こんなかっこいい先生に好かれていたってのに、バカなことしやがって」
明るそうな声で、けれども苦苦しそうな顔で、姫奈に言葉を吐き捨てた。
かっこいい。その言い回しに心がくすぐったくなる、頬まで緩んでしまった。
「撃美さん、そんな……かっこよくなんて、ないよ」
「え、そうかな? そんなことないよ」
「えー? どうして」
「だって先生、いつも真剣に能力者のことを考えてるジャン」
反論はできない。
けれどそれは、姫奈にいいカッコをするための布石みたいなもので。
「ヒメコーみたいなヴィラン相手でも、先生は決して見捨てなかった。あんなことをされてもだぞ? かっこいいよ」
言葉が出ない。
あれに関しては、己が義務が勝手に動いたようなものだった。
「……それに」
「それに?」
撃美の頬が、わずかに赤く染まった。
「――先生は、私のことを救ってくれただろ? 先生はまちがいなく、ヒーローだよ」
どうして自分は、姫奈と分かりあえなかったのか。いま、分かった気がした。
亜久之姫奈は、どこまでも邪悪なA級ヴィランだ。他人に力を分け与えることを拒絶し、裁きを恐れながらも悪事に手を染め、他人を利用することに何ら躊躇がなく、最後まで罪を認めようとしない、まさに悪魔だった。
そんな悪魔を、たかが一般人がどうこうすることなど出来やしなかったのだ。ましてやヒーローとなれば、絶対に相容れるはずがない。
じゃあ、どうすればよかったんだ。
決まってる。自分も、ヴィランに染まれば良かった。
そうもなれば、数年をかけなくとも姫奈と接触できたはずだ。
共に悪を喜び合い、正義を蔑むことだって出来たはずなのだ。
そんなこと最初から分かっていたはずなのに、自分はどうして合法的という言葉に逃げた。なんで、医療クリニックという善の遠回りをした。
――結局自分は、悪を恐れる一般人に過ぎなかった。
――悪に逆戻りできないほど、ヒーローらしいことを続けていた。
深く、ふかくため息をつく。
撃美の目を、じっと見つめる。
「撃美」
「うん?」
「……少し、僕の話を聞いて欲しい。どう反応するかは、君の自由でいい」
「……わかった」
この人には、すべて話そう。それが、自分のやるべきことだ。
「僕は高校の頃から、姫奈さんに惚れていたんだ」
「うん」
「ヴィランである彼女の罪を、どうにかして償わせたいと思った」
「うん」
「けれど当時の僕は、能力者に対しての知識がまるでなかった。だから、能力者と向き合おうと決めたんだ」
「うんうん」
「能力者に信用されれば、いつかは彼女も来てくれる。そう信じていたんだ」
「うん」
「じゃあ、どうすれば信用されるのか……そこで僕は思いついた、能力者の手助けをすればいい」
「うん」
「君はよく知っているだろう。能力者は、様々な理由で孤立してしまう事実に」
「……うん」
「だから僕は、決めたんだ。能力者専用診断クリニックを設立すればいいって」
「なるほど」
「……どれもこれも、すべては姫奈の為だったんだ。本当に本当に、彼女に惚れていたんだ、昨日まではね」
「――え」
撃美の目を、まちがいなく見据える。
「姫奈のやつが撃美さんを洗脳しようとした時、恋なんてもういいやって思った」
撃美が、無言で驚いている。口に、手のひらを当てていた。
「ここまで着いてきてくれた助手を、何のためらいもなく巻き添えにしようとしたんだ。カウンセラーだから説得はするけれど、恋人云々はもういいやって決めたよ」
笑えたと思う。
撃美は、うん、うんと、何度も頷いていた。
「改めて、ありがとう。僕を助けてくれて、愚かさに気づかせてくれて」
「……先生」
「このあとどうするかは、自由に決めてもいい。退職届も受け入れる」
「先生っ」
額を、ぺしっと叩かれた。
「なに言ってんだよ、やっぱり先生はヒーローじゃないか」
「……そうかな?」
「姫奈を救いたいという理由もそうだし、それに至るまでたくさんの能力者と向き合ってきたんだろ? いいじゃないか、ゼンゼンいいじゃないか、終わりよければ全てよしってやつだよ!」
撃美が、いつもの笑顔を露わにする。
「――先生。私はずっとずっと、先生の助手だから」
そして撃美は、はっきりと、静かに、自分に向けてそう告げてくれた。
頭を撫でられて、安堵のため息がこぼれ落ちる。
「撃美さん」
「うん」
「ありがとう」
「……うん」
――。
そのとき、テレビから『恋はいつもここにある』のCMが流れ出した。
それを撃美は、横目でちらりと眺める。興味があるんだろうか、と思う。
「あ、あー、先生」
「うん?」
「この映画、面白そうだな」
CMを見る。
冒頭から失恋してしまった男の子が、幼馴染の女の子に励まされ、次第に両思いになっていく――そんな内容らしい。
いいもんだね、と思う。幼馴染なんていないけど。
「な、なあ先生。土曜は、午前でおしまいだったよな?」
「ああ、そうだな」
「じゃあさ、その……先生が良かったらでいいんだけれど、私と一緒に見に行かないか? この映画」
――デートになるのか。
そう考えてみると、胸が熱を持ち始めた。撃美とは、先生助手の関係でしかないのに。
『現在、カップル割引キャンペーン中! 映画館で思い出を作りましょう』
むせた、あまりに都合が良いというか悪いというか。
一体どうしたものかと、そっと、撃美に視線を向けてみて、
「……カップルだってよ、先生」
撃美の顔は、完全に赤かった。
これはいけないと、正義はすべてを察して、
「ま、また今度にしようか? 誤解されたらアレだし」
「……いや」
撃美は、はっきりと首を横に振った。
正義の言い繕いなんぞは、ぴたりと止まってしまった。
「誤解なんか、されたくない」
「――え?」
「……あのな、えっとな」
撃美がゆっくり、ゆっくりと言葉を紡いでいく。テレビの電源がついているはずなのに、時計の針の音がはっきりと聞こえてくる。
「なあ、先生」
「うん?」
「私、ヒメコーに対して蹴り入れてただろ? あれ、すっごくキレてたからなんだ」
一生、忘れられない出来事だと思う。
もともと運動神経が抜群だったし、アクション女優志願としてブイブイ言わせていた時期があったからこそ、あそこまで動き回れたのだろう。
「……どうして、そこまで?」
「先生が、いなくなるかもしれなかったから」
あまりの誠実な言葉に、息が止まりそうになる。
「だからこそ、ヒメコーのことをフッてくれた時……すごく嬉しかった。新しいスタートをきれたんだなあって」
じんわりと、撃美が笑う。
まるで夕日のようだと、そんなことを思った。
「なあ、先生」
「うん?」
「今はかけていないけどさ」
撃美が、中指で鼻頭に触れる。
「わたしさ、いつの間にか、伊達眼鏡をつけるようになっただろ?」
「……そういえば、そうだったな」
気づく。
出会ったばかりの撃美は、そもそも眼鏡なんてかけていなかった。伊達眼鏡をつけ始めたのは、助手になって半年後ぐらいのはず。
「それはな……その、えと」
「うん」
撃美が、深呼吸する。
そして、覚悟を決めるように「よし」と小さく呟いた。
「伊達眼鏡をつけたのは、少しでも私を見て欲しいっていう、ささやかなアピールのつもりだったんだよ」
「え」
「ん? メガネっ子、好きじゃなかったの?」
無言で肯定する。
撃美は、安心したのかおかしかったのか、にこりと笑った。
「……な、なあ」
「う、うん?」
「どうして撃美は、そこまでしてくれるんだ? どうして、」
そこまで口にして、正義はとある予感にたどり着く。
それに気づけたのも、たぶん、新たなスタートを切ることが出来たからなのかもしれない。
「先生」
「は、はい」
撃美が、ほんとうに真剣な顔つきになる。
正義は、撃美の言葉を一言たりとも聞き逃さないように、撃美とずっと向き合う。
「私が先生の助手になったのも、私が先生専属のメガネっ子になったのも、ヒメコーが大嫌いだったのも。ぜんぶ、ぜんぶ、」
撃美が、僕の腕をぎゅうっと掴む。
「私、わたし、先生のことが、正義先生のことが――」
□
お昼休みに、正義と撃美は二人きりで団子を食べた。
涙がこぼれ落ちるほど、とてもおいしかった。