東方雲蒸龍変 白金の灯火   作:鉄鉱石

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不穏な影

 天狗の里、人気の無い路地裏にて。

 夜が更け住民たちが眠りにつく中、闇夜に紛れる者がいた。

 漆黒の外套を身に纏い、腰には打刀と脇差を差している。左目には傷が一本線入っており、片方の目は鋭いものの生気を感じられない。左目は既に光を映し出していなかった。身長は六尺(約百八十センチメートル)と高く、暗闇で輪郭が不鮮明でもこの人物が男であるのは明白だった。そして、特徴的な狼の耳と尻尾。暗闇に目立つようにその人物の毛色は白かった。

 そう、この人物は白狼天狗だった。

 白狼天狗の男は、怪しい雰囲気を醸し出しながら手に持っている封筒を開ける。中には百五十円(当時では五十七万円相当)の大金と一枚の写真が入っていた。

 その写真は川辺で遊ぶ燈と椛が写されていた。

 男は写真を見、口角を釣り上げ不気味な笑みを浮かべる。深淵のように虚な目には明らかな殺意と憎しみが込められていた。

 

「キキ──キキキ、キキキィハハ──! 待っていろ獅村法正……! 貴様を絶望の淵に突き落としてやる──!」

 

 

 

 

 

 

 

 幻想郷に夏が訪れた。

 梅雨の蒸し暑い日を過ぎた本格的な夏。まばゆい真夏の陽光がカンカンと大地を照らしていた。空は冴え冴えと晴れ渡り、草木はさやさやと涼風に揺れて歌った。蝉たちはようやく地上へ這い上がれた喜びを叫ぶように、一つの狂想曲を奏でる。

 夏になれば、イベントも多くなる。代表的なものといえば、やはり夏祭りだろう。シーズンに入った幻想郷は、各地で祭りを開催し盛り上がっていた。人を打ちのめすような猛暑の中でも、人々は賑わいを忘れず、一夏の思い出を作る。

 そしてそれは、燈と椛も例外ではなかった。彼らもまた夏を楽しもうと、山を降りて人間の里に訪れていた。

 人間たちに怪しまれないようにと、燈は家にあったゴーグルのついたフライトキャップで髪を隠し、椛は妖術で耳と尻尾を隠して赤色の和服を着て人間を装った。

 昼間でも充分なほど熱気に包まれた人里は、人混みで溢れていた。道の傍らには様々な屋台が立ち並び、鉄板から発せられる匂いは食欲をそそる。

 燈たちは朝食から何も食べていなかった。午前九時に出発し、里に着いたのは正午を過ぎたあたりだった。

 体力がある白狼天狗でもさすがに長時間歩き続ければ腹は減るもので、椛は屋台とすれ違う度に目を輝かせて振り向いていた。

 

「燈燈! 見て見て! 焼きそばだよ!」

「ホントだ。美味しそうだ!」

「うん! 美味しそう。あ! あれも見て! 焼き鳥だって! いい匂いだね〜!」

 

 道を歩く度に美味しそうな食べ物と匂いに惹かれ、涎を垂らして一々燈に教えてくる姿がとても健気であった。普段ツンツンしている彼女とは思えないほどに、陽気に浮かれていて珍しいものだった。記念としてカメラに収めたいところだが、後でこっぴどく怒られそうだから渋々諦める。

 いい加減休めるところを決めなきゃな、と燈が考えていると椛はパタリと歩みを止める。椛の視線は『唐揚げ』とデカデカと書かれた屋台に向けられていた。屋台から離れていく人たちは大きめの唐揚げが四個刺さった串を手にしていて、遠目からでもボリュームがあるのがわかる。

 椛はクンクンと匂いを嗅ぎ、髪型に見せている耳が今にも動きそうになっていた。そして、屋台から視線を外すことなく、燈の袖を強く掴んだ。

 どうやら椛は唐揚げが食べたいらしい。確かに唐揚げの香ばしい匂いに思わずつられてしまう。

 あそこにしようと決めた燈は、椛が行きたいと言い出す前に彼女の手を取った。

 

「行ってみようか!」

「! うんっ!」

 

 人混みを掻き分け屋台の方に進んでいく。

 人気なのか、屋台には少し長めの行列ができていてしばらく待つことになった。

 

「いやぁ、やっぱ人たくさんいるなぁ。天狗の里よりずっと多いや、ははは。

 椛はここに来たことあるの?」

「無いよ! 私も初めて来たんだ〜。私のお父さん厳しいから遠出なんて中々させてくれないのよ。それに、人間の住処に行ったと知られたらなんて思われるか」

 

 少なくとも異端視されるだろう。

 確かに人間との共存を肯定する天狗もいて、薪を売っては人里に降りては菓子と酒を買ったり、人間の仕事を手伝う者もいる。だが近年の人間の山に対する悪行が、山の信頼を失わせつつある、否定派はその分増え、人間側も妖怪退治の専門や伐採業者といった人材を増やして対抗の姿勢をとっている。

 そんな状況の中天狗の子供が人里に降りたと知れば、否定派は蔑み、人間側はきっと石を投げつけてくるだろう。燈のような受け入れる心がある人間も存在しているが、実を言うと少ない。これは博麗大結界が張られて間もなく、人妖共に共存の認識があまり普及されていないのも原因の一つだろう。

 

「それじゃ、僕無理させちゃったのかな」

「お父さんを言いくるめるのには結構大変だったよ。でもね、私も興味あったんだ。人間の暮らしってどんな感じなのかなって。あんたも人間だけど、天狗みたいなもんじゃない。やっぱり、気になるのよ」

 

 だが、子供の好奇心を抑えるには不充分だった。リスクが高いことを承知しても、椛は山以外の景色を見たかったのだ。

 結果、人間の暮らしは自分たちと変わらなかった。むしろ、天狗の里よりずっと活気があって楽しそうだった。

 椛は人里を少し見回した後、柔らかな笑みを燈に見せた。

 

「だから感謝してる。私を誘ってくれてありがとね、燈」

「喜んでくれてるなら何よりだよ。今日だけじゃない、また二人でどこか遊びに行ってみよう」

「うんっ! また楽しみにしてるね。

 あっ、次私たちの番みたいだよ! やっと食べれる〜!」

 

 ようやく自分たちの番になり、燈は二人分の唐揚げ串を購入する。

 この時になってようやく、屋台の調理風景を見ることができた。油の海にシュワシュワと泡を立てて浮かぶ薄茶色の唐揚げたち。箸に積まれてカリッと衣の音を立てて次々と揚げられていく。

 きっと彼女は食べ物に目が無いのだろう。間近で作られていく様を、椛は表情をぱあっと輝かせ、瞳に星を散りばめた。時折、その感動を共有しようと、燈の袖をぐいぐいと引っ張って感嘆の声をあげた。

 そうこうしているうちに二人分の串は出来上がり、屋台のオヤジは「毎度あり!」と笑顔で渡す。燈たちはそれを受け取り、屋台から離れて近くの木陰に入った。

 

「先にお金出してもらってごめんね。これどれくらいしたの?」

「大丈夫、お金はいいよ。気にせず食べて」

「でも……いいの?」

「うん。それよりさ! せっかく来たし、食べたら遊ぼうよ!」

「ありがとう、燈。いただきます」

 

 椛は燈の方を向いて、手を合わせ軽くお辞儀をする。

 唐揚げを口に運んでみると、衣はカリカリと食感が良く、中の鳥モモ肉には柔らかくて醤油と生姜の味がしっかりと染み込んでいて美味さ満点だ。

 

「おいし〜!」

「椛って食べること好き?」

「大好き! 美味しいもの食べると幸せな気持ちになるんだ〜」

 

 椛は頰を膨らませてもぐもぐと食べる。本当に食べることが大好きなんだろう。眉と目は下がり、美味しさに顔がとろけていた。

 隣で幸せに浸る彼女を見て、自然と燈も嬉しい気持ちになって口元が綻ぶ。

 

「はは、こりゃ美味しい物たくさん覚えないといけないな」

「ふふ、楽しみにしてる」

「期待に応えられるようにするよ。よし! 椛、遊びに行こうか!」

 

 食べ終えた燈と椛は、今度は遊べそうなところを探し始める。

 輪投げ屋や金魚掬い屋と色々とあり、どれも二人にとって物珍しくて目を惹かれた。その中でも射的に興味を示した燈は、「あれやってみようよ!」と椛を誘う。正直、銃に興味はなかったが景品である熊のぬいぐるみを見て椛はやる気に満ちた。

 

「一回お願いします」

「はいよー。弾は三発だから、うまく狙って落としてな」

 

 白い鉢巻を巻いた店主らしき若い男が、燈にライフル一丁とコルクを三つ手渡す。

 燈はライフルにコルクを込め、景品を眺めた。約三メートル先にある赤い毛氈(もうせん)が敷かれたひな壇上には、箱菓子や小さなぬいぐるみ、カブトムシなどの昆虫を模した玩具が整頓されて並べられていた。

 

「椛は何欲しい?」

「私? 熊のぬいぐるみとか? あの手のひらに入りそうなやつ」

「あれ、てっきりお菓子かなって思ってた」

「私は食いしん坊じゃない! 変なこと言わないでよね」

「ははは、ごめんって。よーし、当てるぞー!」

 

 銃を肩の高さに構え、脇を締める。燈は実際に撃ったことないが、脇を締めることで撃った時にブレなくなるということを法正から聞いたことがあった。

 ひな壇は四段あって、熊のぬいぐるみは下から三段目の左側に置かれていた。椛の言う通り手のひらほどの大きさで、見た感じ簡単に落とせそうだ。

 左目を閉じ、集中して狙いを定める。銃身が景品に伸びていくのを意識しながら、ゆっくりと撃鉄を起こす。ポンっとコルクが勢いよく銃口から撃ち出され、的に目掛けて飛んでいく。しかし、コルクは景品の左斜め下に落ち掠りもしなかった。続いて二発、三発と撃つが現実は甘くなく全て外して終わってしまった。

 

「坊や残念だったなぁ……いい線いったんだけどなぁ」

「ごめん、外しちゃった」

「次、私やってみる。おじさんお願いします」

「あいよー。一回一銭(当時の二百円)ね」

 

 椛は屋台のおじさんにお金を渡し、銃と弾を受け取る。器用に手早く弾込めを済ませ、景品に照準を合わせる。姿勢は燈の時と比べて、肩や腕に力が入っておらず程よくリラックスしていた。慣れているのは一目瞭然だ。

 少しだけ息を吸い込み、五秒くらい息を吐き呼吸を止めると同時に引き金を引く。発射されたコルクは、発射後もブレること無く真っ直ぐぬいぐるみへと飛んでいった。一発目は、ぬいぐるみの足に当たり、以降安定して二発三発は頭に命中した。そして、三発目でぬいぐるみはぐらつき後ろへと倒れ落ちた。

 彼女の銃の腕前に、一同は唖然とする。我に返った店主は、椛にぬいぐるみを渡す。

 

「お嬢ちゃん、いい腕前だね。三発で取ったのはお嬢ちゃんが初めてだよ」

「ありがとうございます。お父さんのお手伝いで、少し触らせてもらったことがあって」

「ありゃお父さん猟師さんなのかな? お嬢ちゃんも良い射手になりそうだね」

「そんな、ちょっと照れちゃいます」

 

 腕前を褒められ、椛は恥ずかしくなって吃ってしまう。

 彼女は父親の手伝いをやっていたというおかげもあるが、元から目が良く三メートルくらい狙いを定めるのが容易であった。

 椛はぬいぐるみを受け取り、一礼して燈と共にこの場を後にした。

 

「凄いね椛。僕は全然ダメだったよ」

「偶々よ。私の得意なやつだっただけ。よし! こうなったら──」

 

 活発な少女は太陽のような笑みを浮かべて、燈の手をとった。

 

「あんたが得意なやつ、一緒に見つけよっか!」

「そうだね! せっかくだ、楽しまなきゃ損だ!」

 

 椛は燈の手を引き、前を指差してはしゃぎながら走っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「またね、燈!」

「うん! また遊ぼう! 気をつけてねー!」

 

 山の中腹に着く頃には夕刻を過ぎ、辺りにはとっくに夜の帳が下りていた。

 二人は手を振り合って別れ、椛は自宅がある里へと駆けていく。

 天狗の足は、どんなものよりも速い。それが子供でも例外ではない。まるで突風のように、森林を駆け抜けた。

 

(大変大変! 門限まであと少し! お父さんに怒られちゃうわ!)

 

 脳裏に浮かぶのは冷たい目で覇気を放つ父親の怒り。考えるだけで身震いしてしまう。

 背中に冷や汗をかき、一刻も早く帰れるようにとスピードを上げた。

 だが、椛は急停止せざるを得なかった。

 

「お嬢ちゃん、随分と羽目を外していたようだね。キキ……」

 

 下卑た笑みを浮かべた白狼天狗の男が立っていた。白い歯を見せて、空虚な目には確かな殺意が込められていた。左目の切り傷は痛々しいもので、見るものを戦慄させた。

 特徴的な漆黒の外套に、椛は見覚えがあった。

 

「『天導会』……!」

「悪いが、……少しだけ面借りるぜ?」

「っ!」

 

 発せられる殺気にいち早く気づき、椛は足元に落ちていた枝を拾い臨戦態勢に入る。

 蜻蛉の構えを取り相手を睨みつけようと正面を向くが、男の姿はとっくに消えていた。

 

「どこだ!? いったいどこに──」

「──こっちだ、娘」

「しま──」

 

 声が聞こえた時には遅かった。男は既に椛との間合いを詰めていたのだ。

 放つ攻撃は縦拳による中段突き。軽く一撃腹部を殴るが、充分すぎるダメージを与えた。鳩尾に直撃する拳は、椛の意識を一瞬にして刈り取る。

 

「さて……こっからだな。楽しみだ……この傷の復讐ができる時が来るなんて……ククク、クハハハハハハ──!」

 

 男は倒れた椛を肩に担ぎ、狂ったように笑いをあげながら山を降りていった。

 

 この時、男は知らないだろう。

 自らの行いが、少年の眠っていた怒り()を爆発させてしまったことを──




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