改稿前等   作:むかいまや

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改稿前のものです


10-2

 

 会場に入ったわたしは周囲を見渡します。たくさんの楽しげなフレンズさん達と、ざわついたような、歓声のような、おたけびのような、わいわいがやがやという地響きにも似た音とに、わたし達は迎えられます。最初の時と比べると、心に幾らか余裕が生まれたのでしょうか? だから周囲を見渡すことが出来たのかもしれません。空は変わらず高く青く透き通り、白くちぎれて漂う雲はゆったりと当て所無いように、けれどまっすぐと進んでいきます。けれど、そんな穏やかな空とは裏腹に、早鐘を打つように鳴り響くのは、わたしの鼓動。わたしを取り囲む光景を眼に入れてしまい、一層の緊張をしてしまいましたが……

「がんばってねぇーともえちゃあーん!」

 不意に聞こえる、聞き覚えのある声。ドードーさんでした。彼女の隣には、ロバさんも……。彼女たちに手を振り返すと、それに気づいたのでしょう、彼女たちもわたし達に両手を大きく降ってぶんぶんと返してくれました。応援してくれる方が居る。それのどれほど心強いことか。わたしは、きっと今ここに立たねば気づかなかったでしょう。

 わたしは前に向き直り、歩みを進め……と、不意に遠くにゴリラさんの姿が、それもドードーさんとロバさんの背後に……って、チーターさんとプロングホーンさんじゃないですか。そのおふたりにゴリラさんはそっと耳打ちをします。気にはなりますけれど、何をしているのかを確認しようとするよりも早く、わたし達は会場の真ん中へ。

「それじゃ、挨拶!」

 ハクトウワシさんの指示に従い、わたし達はお互いにぺこりとお辞儀をし、握手を交わします。自己紹介はお互い済んでいましたから、簡潔に……。

「じゃあ……お互いに離れてちょうだい」

 試合の開始が、ほんの目の前にある。そう感じた瞬間、自分でも奇妙なくらい意識は集中していきました。頭が真っ白になってしまうのでは無く、『何』を『どうする』のかを冷静に、客観的に考える、そんな意識が再び生まれていきます。

「イエイヌ、ともえのペアから『攻め』よ。それでは、開始!」

 甲高い笛の音がひとつ、鳴りました。

 

 打ち合わせの通り、開始の合図が鳴ると、まっすぐにイエイヌちゃんが駆け出します。わたしは早足で前へ進みながらイエネコさん・リオさんの様子を伺います。彼女たちは二方向に別れて会場の外側方向へ駆け出していました。イエネコさんが左側、リオさんが右側……さて、どちらから……イエイヌちゃんの方をちらりと見ると、彼女は中腰で駆け出しやすい姿勢をしたまま立ち止まり、イエネコさんの方へと視線が向いています。

 ふむ……それが良いでしょう。わたしの考えですが、サバンナの景色に溶け込み、姿を見失いやすそうなのはイエネコさんの方に思われます。であれば先にイエネコさんから捕まえるのが適切でしょう。『左』とわたしは指示を出し、イエイヌちゃんに動いてもらいます。彼女がこくりと頷くのを確認し、わたしはイエイヌちゃんから少し離れた距離を取りながらイエネコさんの方向へ歩みを進めます。

 リオさんの方向を見ると、彼女はこちらを伺うように一定の距離を保ったまま、ゆっくりと動いています。方向としてはわたしの後の方へとゆっくり、ゆっくりと……。彼女の位置をしっかりと頭に入れておかないといけません。今後の行動のためにも、そして、『作戦』が見抜かれるかどうかを確認するためにも……。彼女たちはネコ系のフレンズ。つまり音が聞こえている筈なのです。でしたらなるべく合図を出さず、如何に上手に動くか……それが重要です。イエネコさんは笛の音にぴくりと反応を示していましたし……何か気づいているかもしれません。少なくとも今回の『攻め』の間だけでも看破されないよう願います。

 イエイヌちゃんはイエネコさんの右側へと回り込むように走ります。背後の方向にゆっくりと摺り足をしながらこちらを伺っていたイエネコさんですが、イエイヌちゃんが彼女の方に走り出したのを受けて、イエネコさんはぴゅんと素早く駆け出します。イエイヌちゃんとすれ違うようにして、イエイヌちゃんから離れます。もう少し、彼女の動きを見たいところです。彼女の考えや目的がある筈ですから……。イエネコさんはゆっくりと後退しながら距離を調整し、姿勢を直します。そしてイエイヌちゃんとの距離を十分に確保すると、再びこちらの様子を伺うように立ち止まります。わたしは小走りで移動しながら、考えます。どうやら、イエネコさんはわたしとイエイヌちゃんに挟まれないようにしている様に思われます。と、来れば……。わたしは『右』と指示を出します。いささか大雑把な指示ですが、わたしとイエイヌちゃんの間で決められたルールの内のひとつ。『ひとりのフレンズに付いたら、方向の指示はそちらから攻める』というものの為に混乱はあまり無いはずです。

 わたしの指示を受けたイエイヌちゃんは再びイエネコさんの右側方向に駆け出します。さて、踏ん張りどころです……! わたしは、イエネコさんがイエイヌちゃんとすれ違うように逃げないようにするために、一方向に全力で走り出します。それはイエイヌちゃんの背後方向。逃げる方向を塞ぐことでイエネコさんの取ることの出来る選択肢を潰す。その目論見がわたしの体力にかかっていますから、頑張らないと……!

 わたしが走っている間も、イエイヌちゃんとイエネコさんの追いかけっこは小刻みに進んでいきます。会場の端の方へと進んでいくイエイヌちゃんとイエネコさん。偶然かどうかはわかりませんが、彼女達の動きはわたしの狙い通りのものでした。わたしの狙い。それは会場の角に彼女を追い詰め(わたしかイエイヌちゃんかはともかく)捕まえるというもの。イエネコさんはわたしの動きも視界に入れていたのでしょう。わたしとイエイヌちゃんの間に挟まらないように挟まらないようにと動いてくれました。そう、つまりは――

 

 イエネコさんを会場の端まで追い詰めることが出来た、ということです。

 

 わたしは『左』とイエイヌちゃんに指示を出し、それと同時にわたしは再び全力でまっすぐ走り出します。壁がある訳ではありませんが、会場の端っこに居る以上、イエネコさんの動く方向は必然的に定まります。わたしとイエイヌちゃんの間をすり抜けるしか無いのです。

 会場の端っこにイエネコさんが居て、その左右両側から彼女に向かって迫るわたしとイエイヌちゃん。逃げ道はひとつ。案の定、イエネコさんは全速力でわたしとイエイヌちゃんの間を通り抜けようとします。こうなったらもう指示どころではありません。わたしかイエイヌちゃんか、そのどちらかが彼女を捕まえようと、飛びかかります。イエイヌちゃんは即座に身体を翻し、大きく一歩を踏み出すように、かたやわたしはと言えば「間に合え!」と言わんばかりに彼女のすり抜けるであろう方向へ飛びかかり……。距離的にはイエイヌちゃんの方が近かったのでしょう。イエネコさんは身を撚るようにしながら飛び込んで回避を目論見ます。イエネコさんは、目測を誤ったのか、それともイエイヌちゃんを警戒しすぎたのか……それは定かではありませんが、わたしのすぐ真正面に……!

 無意識の内にわたしは手を伸ばして……彼女の服を掴むことが出来ました。当然、ほとんど反射的な動き。つまり、考えもなく飛びかかり、掴んだのですから、不格好にべちりと地面に転んでしまいましたけれど……そんな痛みなんかどこへやら、妙に沸き立つような心地がして、痛みどこか遠くにあるようでした。……顔を打ち付けなかったのは幸いです。

 イエネコさんが捕まったことを確認したハクトウワシさんが笛を鳴らします。イエネコさんは上手に着地をしたようで、しゃがみ込むような姿勢をしていましたが、笛の音を聞いて、そっと立ち上がります。立ち上がりながら聞こえるのは、歓声。その音は、沸き立つわたしの心をより一層昂ぶらせるようなものでした。嬉しくて、楽しくて、何かがこみ上げてきそうな……けれど、そんな興奮もつかの間。勝負はまだ続いているのです。そのことを殊更に意識した瞬間、「次はどうするのか」という問題について、わたしの思考がめぐり始めます。

「っちゃー……がんばってねー! リオー!」

 イエネコさんは残念そうにしながら、ゆっくりと競技エリア外へ。リオさんはこくりと無言で頷くような小さい動作を見せてから姿勢を低くし、生い茂る草むらの中に身を潜めます。わたしはじっとリオさんの動向を伺いながらも、お腹に付いた砂埃を払い落とします。

「お手柄です! ともえちゃん! 大丈夫ですか……?」

「ふう……ふぅ……まだ、全然。ですけど、始まったばかりですし、リオさんが……」

 わたしの下に小走りで近寄ってきたイエイヌちゃんに、わたしは首を振ります。まだ時間には余裕があるかもしれませんが、詳細な残り時間は判然としません。ここでおふたりを捕まえることのアドバンテージは無視できませんから、もうひと踏ん張り……何より、わたしが捕まってしまう可能性は極めて高いのですから……。

「はいっ! 指示、お願いしますね!」

 楽しげな笑顔でイエイヌちゃんは頷きます。ほとんどの労力を彼女に押し付けている作戦ですけれど、まだ彼女は息を乱すことも無く、普段よりも汗ばんだ位の事も無げな表情ですが……わたしはけっこー疲れてしまっているのです。

「ふーっ……ええ、任せてください! イエイヌちゃん!」

 大きく息を吐き出したわたしを見つめるイエイヌちゃんの表情は、少しばかり心配そうなものでしたけれど、それも一瞬でした。彼女が前に向き直ったのを確認したわたしは、囁くように彼女に伝えます。

「イエイヌちゃん。とりあえずまっすぐリオさんに走って……笛を鳴らすまでは任せますけど……動きは細かめにお願いします」

「はいっ! わかりました! ともえちゃん!」

 こくりと頷いて彼女は駆け出しました。わたしは小走りで彼女の後を追いかけ、イエイヌちゃんとリオさんの動きを見つめます。

 イエイヌちゃんとリオさん達の動きは、至ってシンプルなものでした。ただ、リオさんの動きは、内側方向へと大きめに移動しようというものでした。イエネコさんが捕まったまでのことを含めての逃げ方なのでしょうか? また、幸いだったのは、イエイヌちゃんが細かく追いかける方向を変えてくれていたお陰で、リオさんの位置を見失うことが避けられたという点でしょうか。彼女は小柄ですし、大きく跳ねて身を潜められたら、彼女の姿を見失ってしまっていたかもしれませんからね。とは言え……です。このままでは決め手に欠けます。であれば、機会を見て指示を出すことで、流れを変えなくてはなりません。

 

 わたしがイエイヌちゃんまで残り数メートルというところまで近づいた時です。わたしがすぐ後に居ることを察したのか、イエイヌちゃんがまっすぐリオさんに駆け寄ります。リオさんはイエイヌちゃんの動きから逃れるように会場の左方向へと動きます。

「今……っ!」

 わたしは内心で呟き、全速力で駆け出します。その瞬間、イエイヌちゃんに『左』と指示を出します。イエネコさんの時――つまり外側へ外側へと誘導する動き――とは異なり、イエイヌさんにはリオさんを会場の外側から追いかけてもらう動きです。わたしの考えがもしも上手く行けば……。

 リオさんはぴくりと反応し、彼女の視線はイエイヌちゃんに注がれました。当然、彼女はイエイヌちゃんに追われるがまま……つまり右側へと駆け出します。加えて、会場の外側へ追い込まれないために、後方に移動はしないはずですし、わたしの存在を確認している以上、わたしとイエイヌちゃんの間を通るような逃げ方はしないはずです。つまり、結果的にリオさんはまっすぐ横に移動することになりました。

 となれば……わたしは細かく方向を微調整しながらですが、まっすぐ走ります。リオさんはイエイヌちゃんから逃げることに集中した結果、わたしに気づくのが一瞬遅れました。彼女はわたしを数メートル先に認めた時、驚いた様な表情を浮かべ、急停止、そして進行方向とはまるで異なる方向へと飛び跳ねます。が、わたしに捕まらないような無理な動きをした所為か、その速度は決して早いとは言えませんし、姿勢を崩してさえいました。そして、そこをイエイヌちゃんが見逃す筈がありません。

 一瞬間にリオさんの逃げる方向、速度、姿勢……それらを確認したイエイヌちゃんは、全速力で駆け出しリオさんを冷静に追いかけます。風のようにびゅんと駆け出した彼女は、急な方向転換で姿勢を崩してしまったリオさんを捕まえることに成功します。さすがのイエイヌちゃんですけれど、飛びかかるように動いたために、リオさんに覆いかぶさるような形になっていましたが……。

 

 ハクトウワシさんは、イエイヌちゃんがリオさんを捕まえたのを確認すると、笛を鳴らします。

「しゅーりょー!」

 まだ二回ある『攻め』の一回目が終わったばかりですが、ふたりを捕まえられたということに安堵し、わたしは息をつきます。そのまま、放心状態のイエイヌちゃんとリオさんの下へ。

「立てます?」

 わたしは両手を差し出します。彼女たちは揃って手を取り、立ち上がりました。

「ありがとうございます、ともえちゃん」

「あ、ありがとうございます……」

 彼女達はめいめいに身体の砂埃を払い落とします。

「まだ始まったばかりですからね……!」

 感謝の言葉も程々に、リオさんは負けじとひとこと。そして彼女はそのままイエネコさんのところへと駆け寄ります。それを横目で見てから、わたしはイエイヌちゃんに言葉をかけます。

「お疲れさまです。……最後、大活躍でしたね! さすがイエイヌちゃんです!」

 わたしが褒めると、緊張が解けたのでしょう、イエイヌちゃんはにへらっと表情を崩します。満面の笑みを浮かべる彼女の頭をわっしわっしとすると、ますます彼女は楽しげな表情になって……と、それもつかの間。イエイヌちゃんは表情をはっとさせて、恥ずかしげに(あと、多分名残惜しげに)わたしの手から頭を離しました。

「も、もおぉ……ともえちゃん、他の方も居るんですから……」

 いつもと逆の構図。ふとそんなことを思ってしまいます。

「あはは……ごめんなさい……」

 わたしは頭を掻きながら彼女に謝ります。

「嬉しいですけど、恥ずかしいですよぉ……」

 一拍置いて、彼女は真面目な表情に戻りました。

「『逃げ』ですけれど……どうしましょう?」

 わたしはちらりとイエネコさん、リオさんの様子を伺います。彼女たちも作戦会議の様子。ひそひそと耳打ちをしあっています。

「……そうですね……多分前回と同じで、イエイヌちゃんに全力で逃げてもらうことになるかと……」

 ヤブノウサギさん・ユキウサギさんの時は、わたしがまっさきに狙われました。その結果、ふたりのフレンズさんを相手にとってイエイヌちゃんは会場中を駆け回ることに……。結果から言うなら、『あの子達よりも速い』と言っていた通り、イエイヌちゃんは平気な様子で逃げて切っていましたが……。イエネコさんとリオさんは、少し相手にしただけですが、おそらくあの子達よりも速いという点では間違いがなさそうです。

「わかりました! 任せてください!」

 イエイヌちゃんは事も無げに頷きます。

「体力とか……大丈夫ですか? 無理はしないでくださいね?」

 イエイヌちゃんは胸を張るようにしてふふんと鼻を鳴らします。

「へーきです! 自信ありますから!」

 そうは言いましても……。どういった作戦で彼女たちが来るのかはわかりませんが、イエイヌちゃんの負担はなるべく減らしたいところです。この後も『狩りごっこ』は続くワケですしね。

「もし、指示を出せそうだったら出します。その時は――」

「はいっ! 『逃げる方向』ですよね!」

 お互いに頷きあい……と、ちょうど折よく準備の笛が鳴ります。

「お互い、頑張りましょうね、イエイヌちゃん」

「はいっ!」

 まもなく全員が所定の位置に着き、開始の笛が鳴りました。

 

 さて、わたし達が今度は『逃げ』る番。イエネコさん・リオさんの作戦は、どうやらイエイヌちゃんをふたりで追い、捕まえるというもののようでした。イエイヌちゃんは余裕有りげな雰囲気で駆け出し、彼女たちから距離を取り続けます。わたしは放置されてしまっているので、安心するような情けないような……。と、それどころではありません。イエイヌちゃんのサポートをしなくては……!

 心構えを新たに、わたしはじっと彼女たちの動きを見つめます。どうやら、リオさんが小刻みに動いてイエイヌちゃんを動かしているようで、イエネコさんは姿勢を低くしてイエイヌちゃんの隙を伺っています。まだ勝負が始まって時間はあまり経っていませんが、既に一度、イエネコさんはしっぽと身体を揺らす動きをしてイエイヌちゃんに飛びかかろうとしていました。この時はイエイヌちゃんが動きを読んでいたと言わんばかりの綺麗な回避をしていましたが……それも時間いっぱいまで続くかはわかりません。

 イエネコさん、リオさんとはある程度の距離を保ったままですけれど、イエイヌちゃんの方向へと数歩近づきます。イエネコさんがちらりとわたしの様子を伺いましたが、すぐにイエイヌちゃんの方向へと顔を向け直します。

「ふんむ……」

 こうして見てみるとイエイヌちゃんは会場のやや外側に居るようで、リオさんも意識的にイエイヌちゃんを外側方向へと動かしている印象があります。つまりわたし達がやっていた作戦と似通ったもの。意図的かどうかはわかりませんけれど、この場合、わたし達が行っていた作戦が参考になる……ような気がします。

「わたしがやられて嫌なこと……」

 それを行うことがこの場を切り抜ける正解だと、ぼんやりと思います。いえ、わたしの性格が悪いとかそういう……じゃなくて……そんなことを考えている間にもイエイヌちゃんは端へ端へと……。

 わたしが出すべき指示に悩んでいると、事態が急変します。イエネコさんがやや小走り気味にイエイヌちゃんの方向へ近づき、それを確認したリオさんがだぁっと駆け出しました。これは、まずい。そんなぼやきが胸に浮かぶのとほとんど同時にイエネコさんがしっぽと身体を揺らし始めます。彼女なりの(……もしかするとネコ系の子たちの皆さんが、かもしれませんが)狙いの付け方でしょう。

 わたしはイエイヌちゃんに『後』ととっさに指示を出します。立ち止まることだけは避けなくてはならず、そして、イエネコさん、リオさんの動きが決まる前に全てをひっくり返さなくてはなりません。そして、イエイヌちゃんが逃げられる方向がこのままではある程度誘導されてしまうことを防ぐ……。イエネコさん、リオさんの考える方向とはまるで逆の方向へと指示を出すことが、正解。『後』と一瞬で判断できたのは幸いでしょう。

 イエイヌちゃんはわたしの指示を聞き取った瞬間に、少し減速し、方向転換。先程まで走っていた方向とは真反対の方向へと駆け出します。それを見たイエネコさん・リオさんはやや慌てたようで、イエネコさんはぽかんとしたように立ちすくみ、リオさんはイエイヌちゃんの急な方向転換に判断が追いつかず、そのまま走り抜けてしまいます。指示は正解でした。

 イエネコさん・リオさんは、急な事態に混乱しながらも、それを解消する為でしょうか? お互いに近づいてこっそりとお話を始めます。彼女たちの様子は、しきりにわたしとイエイヌちゃんを交互に見比べるなど、遠目に見ても焦りのようなものが見受けられました。対策が寝られてしまうかも……という内心のはらはらとは裏腹に、イエイヌちゃんは楽しそうな表情でわたしの近くへと駆け寄ります。

「ともえちゃん! ありがとうございます!」

「いえいえ、とっさでしたけど……上手くいってよかったです!」

 イエイヌちゃんはイエネコさん・リオさんに注意を払いながらも立ち止まり、ほぅとひと息つきます。

「これからもしかしたら彼女たちの作戦が変わるかもですから、また同じようには出来ないかもです」

 イエイヌちゃんにわたしは危惧していることを伝えます。

「それに合図を出してるということでわたしが狙われるかも……」

 わたしの言葉にイエイヌちゃんは苦笑いを浮かべました。

「うーん……でしたら――」

 と、イエイヌちゃんの言葉が繰り出されるよりも先にイエネコさん・リオさんのふたりが動き出します。

「あー……後で大丈夫です!」

 わたしは無言で頷き、イエイヌちゃんから離れます。イエイヌちゃんは待ち受けるように中腰の姿勢になり、じっとふたりを見据えます。

 イエネコさん・リオさんのおふたりの動きは少し変わりました。リオさんが息もつかせぬ走りで追いかけ、隙を見つけてイエネコさんが飛びかかるという形には変わりのないものでしたけれど、イエネコさんが先程よりも大き目にイエイヌちゃんと距離を取り、且つ、わたしのことも狙うようにしきりに警戒するような仕草を取っているのです。おそらく……時間を意識した動き。読みが合っていればですけれど……。リオさんの速度に負けず劣らずのイエイヌちゃんは上手に逃げ回っています。多分、彼女を混乱させないためにも、わたしの『指示』はイエネコさんの動きにのみ注視して、必要に応じて出すべきでしょう。体感ですので、はっきりとはわかりませんけれど、恐らく『逃げ』の時間はまだ半分程度が経過した程度の筈。まだまだ気を引き締めて行かないと……!


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