ジムを出た後、ハルは頑張ってくれたポケモンたちの回復とサヤナへの勝利報告のため、ポケモンセンターに戻ろうとしていた。
と、そこで、
「無いものは無いの! まったく、いい加減にしてくれないもんかね!」
苛立つような男性の高い声が聞こえた。どうやら何か揉め事が起こっているらしい。
気になったハルが声の元へ向かってみると、どうやら、サーカスのテントの前で一組の親子とサーカス団の者と思われる男性がトラブルを起こしているようだった。
「この子もとても楽しみにしていたんです。立ったままで見ることになっても構いませんから、どうかチケットを用意していただけませんか……?」
「だから! そういうのはトラブルの元になるから困るの! 一組を許すと、他の人たちも許さないといけなくなるでしょう! 私たちも忙しいのでね! もう帰っていただけませんか!」
「……分かりました。ユータ、仕方ないわね。帰りましょう」
燕尾服とシルクハットを身に纏った長髪パーマのその男に怒鳴られて押し切られてしまい、結局その母親と息子はしょんぼりした様子でその場から去っていった。
「……だいたい! チケットがもう完売してしまっていたことは君が一番把握していたはず! どうして受け付けたりしたのかね、グレーテル君!」
それでもまだ機嫌が治らないのか、その男は横に控えていた女性団員にまで八つ当たりを始める。みっともない。
「申し訳ございません。しかし……」
「言い訳無用! このメルヘルはハーメルン・サーカスの団長であるぞ!? ったく……もういい! さっさと作業に戻りなさい! まだ仕事は山ほど残っているのだよ!」
「……失礼します」
グレーテルと呼ばれた女性団員はそれ以上言い返すことはせず、そそくさとテントの中へ走り去っていった。
まだぶつぶつ言っていたメルヘル団長もやがてテントの中へ戻り、それを確認したハルは先ほどの親子の元へと駆け寄る。
「あの……すいません」
「あら、何かしら?」
「よかったら、これ。貰ってください」
振り返った母親にハルはそう言って、一週間前にピエロのヘンゼルから貰ったサーカスのチケットを差し出す。
チケットに書かれている説明によれば、十歳未満の子どもは親同伴でチケット一枚で入れるとのこと。つまりハルの一枚を渡せば、この親子は二人でサーカスを見に行けるのだ。
「あら……いいの? せっかく買ったものでしょ?」
「あ、いいえ。これは貰い物なんです。だから、僕よりも行きたがっている人がいるんならその人に使ってもらった方がいいかなって……」
「まぁ、ありがとうね。ユータ、よかったね! ほら、お兄ちゃんにお礼を言いなさい」
「うん! お兄ちゃん、ありがとう!」
男の子は途端に笑顔になり、元気な声でハルに礼を言った。
「本当にありがとうね。君のような優しい子にも会えて……わざわざカタカゲシティまでチケットを買いに来た甲斐があったわ」
母親も笑顔でもう一度ハルに礼を告げると、息子の手を引いて、その場を去っていった。
少し寄り道したが、ハルもポケモンセンターへと戻る。
「ええっ!? ハル、サーカスのチケットあげちゃったの!?」
そしてその話をサヤナにしたところ、たいそう大袈裟に驚かれた。
どうやら、ハルからサーカスの話を聞き、サヤナもチケットを買っていたらしい。ハルは聞かされていなかったのだが。
「うん。僕は買ったわけじゃなかったからね……その親子がとってもサーカスを楽しみにしていたみたいだったから、見過ごせなくて。ごめんね、サヤナも買ってたって知らなかったからさ」
「うーん、そんなことがあったんじゃ仕方ないけど……ハルと見にいけないなんて残念だなぁ……一人かぁ……」
すっかりしょげてしまうサヤナ。なんだか一週間前と立場が逆な気がするが、
「あら。それなら、私が一緒に行ってあげてもよろしくてよ」
二人が座るソファの後ろから、聞き覚えのある声。
振り返ると、
「あっ、エリーゼさん!」
ちょうどポケモンセンターにエリーゼがやって来ていた。相変わらず傍らにはハッサムを連れており、ハッサムは二人を見て礼儀正しく会釈する。
「もしかして、エリーゼさんもサーカスに行くの!?」
つい今までしょんぼりしていたサヤナの目が途端に輝き出す。分かりやすい。
「ええ。ハーメルン・サーカスはマデルではあまり知られていないようだけれど、有名なサーカス団なのよ」
サヤナの様子を見て微笑み、エリーゼはサーカスのチケットを取り出す。
「“ハーメルンの笛吹き男”って童話は知ってるかしら? 細かいところは割愛するけど、笛吹きの男が笛を吹きながら通りを歩いて行くと、街の子供達が男の後に着いて行った。そのままどこかに行ってしまい、それ以降子供達は二度と帰ってこなかったというおとぎ話があるの」
さらにエリーゼは話を続け、
「ハーメルン・サーカスは、まさにその童話から名前をつけられた。一度サーカス公演を見た人が、次からどこで公演をやってもまた見に来てくれるようなサーカス団を目指す、って意味を込めて。そして実際、根強いファンはどんなに遠いところでの開催でもサーカスを見に来るみたいですわよ」
エリーゼの言葉を聞く限り、どうやらかなり由緒正しきサーカス団のようだ。
しかし、それにしては先ほどのメルヘル団長の態度はどこか引っかかるものがある。
「そうなんですか。でも、さっきの団長さんの態度が、結構酷かったんですよね……」
「そういえば確か団長が代替わりしていたはず。先代の団長はグリムさんという方なのだけれど、数ヶ月前に病気で亡くなったという話を聞きましたわよ」
エリーゼの言う通りならば、グリム団長亡き後、あのメルヘルが団長を引き継いでいることになる。見るからに短気で自分勝手そうな男だったが、団を上手く纏められているのだろうか。
と、その時。
「ハルはいるか」
またも聞き覚えのある声に呼ばれる。しかも今度の声は先ほど聞いたばかりの声だ。
「えっ、ワダンさん? ここにいますけど、どうしたんですか?」
声の主はまさかのジムリーダー・ワダン。何かジムに忘れ物でもしただろうかと考えるハルだが、
「トウナが先ほどテントの近くでお前を見かけたらしくてな。サーカスのチケットを別の人に渡すのを見たと言っていた」
「はい、そうですけど……」
「つまり、サーカス当日、お前は今のところ予定がないということだな」
「ええ、そういうことになりますね」
突然のワダンの登場に少し驚きながらもハルは返事を返すと、
「元々その日はジムトレーナーの特訓の日だったんだが、サーカスのせいでジムトレーナーがそっちに流れてしまってな。特訓の相手がいないんだ」
「えーっと……つまり?」
「話は簡単だ。お前、予定はないんだろう? ちょうどいい、俺の特訓に付き合え」
半ば命令してるようにも聞こえる口調のワダンだが、
「ワダンさんと特訓ですか? いいんですか!? むしろ、是非僕からもお願いしたいですよ!」
ハルとしても嬉しい話だ。ジムリーダーに直々に鍛えてもらえる機会など、そうそうあるものではない。
「よし、決まりだな。一応俺の連絡先も教えておこう」
そう言ってワダンはアルス・フォンを取り出してハルと連絡先を交換し、それが終わるとすぐにポケモンセンターを出て行ってしまう。
「にひひー、よかったねハル。私たちがいなくてもひとりぼっちじゃなくなったよ」
「そうだね。サーカスがどんなだったか、話を聞くの楽しみにしてるよ」
どのみち元々はサーカスに行くつもりではあったため、カタカゲシティにしばらく滞在するという予定に変更はない。
「ところでハルとサヤナは、サーカスの日まで何か予定はありますの?」
「ううん、特に何も考えてないよ」
「僕も今のところは、まだ何も……」
エリーゼの問いに二人がそう返すと、
「だったら、明日以降は街の中を見て回りませんこと? カタカゲシティといえば歴史ある赤レンガの倉庫、街の歴史を語る博物館、マデル地方で一番大規模な商店街に、港の魚市場。観光名所がたくさんありますのよ」
「わあ、すごい! じゃあハル、明日からは三人で色々街を観光ね!」
「うん。僕も特にやることは考えてなかったし、それがいいね」
その時。
『ハルさん。お預かりしたポケモンは、皆元気になりましたよ』
ハルの名前が呼び出される。どうやら、ポケモンの回復が終わったらしい。
ジム戦を終えた仲間たちを受け取る。今日はゆっくり休んで明日からは観光、さらにジムリーダーのワダンとの特訓も控えることになった。
夜。
ハルはポケモンセンターの宿舎を借り、今はベッドに腰掛けている。
「みんな、今日はジム戦お疲れ様。みんなのおかげで、ワダンさんに勝つことができたよ」
ハルの隣にはルカリオが座っており、膝の上にはエーフィ。正面にはハルと向かい合ってワルビルとファイアローが座る。こうしてポケモンたち全員と触れ合うのも、なんだか久しぶりな気がする。
「あと、ファイアロー! めでたく最終進化だね。フライゴンに決めたブレイブバード、かっこよかったよ」
ジム戦で進化を遂げたファイアローは翼を広げ、嬉しそうに鳴く。ヤヤコマの頃と比べて、随分とたくましくなった。
そんなファイアローを見て微笑むハルと他のポケモンたちだが、一匹だけ少し悔しそうに唸る者が。
「あぁっ、ワルビル、気にしないでよ。あのサンドパンのスピードには僕も対応できてなかったから、君が悪いわけじゃない。君のバトルのおかげで、エーフィがサンドパンを倒すきっかけを作ってくれたんだから」
ワダン戦で、ワルビルだけ勝ち星がつかなかったのだ。ワルビルはバトルが好きで負けず嫌いだし、ファイアローに進化を先越されたこともあるかもしれない。
ハルに賛同してエーフィも頷き、ワルビルを宥める。実際、ワルビルのバトルで相手の癖を掴んだおかげで、エーフィはサンドパンに勝つことができたのだ。
「次のジム戦でまた頑張ろうね。僕も君の力を引き出せるようにもっと頑張るからね」
そう言ってワルビルの好物であるオボンの実を渡す。五個もあったのだがワルビルは一口で飲み込み、少しだけ上機嫌な声を上げる。
他のポケモンたちにもそれぞれ好きな味の木の実を渡す。エーフィの好みは甘い味、ファイアローとルカリオは辛めの味が好みなのだ。ただルカリオと違い、ファイアローはマトマの実レベルの辛いものでも涼しい顔で食べてしまう。
「ルカリオも、ありがとう。君のおかげで、僕はここまで来れた。まだ旅は続くし、この先の道のりも大変だろうけど、また一緒に頑張ろうね」
隣のルカリオもにこりと笑い、ハルと軽く拳を突き合わせる。
「よし、今日はもう遅いし、そろそろ寝ようか。また明日からも、頑張っていくよ」
四匹をボールに戻し、ベッドに横たわる。
照明を消した数秒後には、ハルの意識は眠りの中に落ちてしまった。