私はある夏の日、夢のような体験をした。
それは本当に夢か幻なのではないか。
狐に化かされたのではないかと疑うほどに。
でもその夏の出来事が私の世界を180度ひっくり返したのだ。
私に必要な出来事だったと今になって思う。
世界はこんなにも色鮮やかだったと教えてくれた。
終業式が終わり、夏真っただ中の今日は気温が高い。
屋根がついているバス停まではいささか距離がある。
走ればものの5分で着くが、暑さや汗で走る気も起きず、今にも干からびそうだと思いながら日向をトボトボと進む。
私、永嶺千尋は高校2年生。やりたいこともない。友達はいても薄っぺらい関係がほとんどで、お互いを知っているのは幼馴染の朱音くらいだ。
夏休みはみんな家族と出かけたり友達と出かける約束をしていて、少しうらやましく思いながらもスマホを見つめる。
朱音は夏休み中に短期留学で海外にいくので、こうやって一緒に帰るのもしばらくお預けだ。
「千尋、私は直接空港に行くから今日はここでお別れ。」
「そっか。いっぱい勉強していっぱい楽しんできてね。」
「了解。お土産楽しみにしててね。」
親友の旅立ちは寂しいがきっと調子に乗るから言わない。
ちょうど来たバスに乗った朱音に笑顔で手を振り、元気よく朱音も手を振り返した。
バスが見えなくなったころ私は家に向かってまた日向を歩きだした。
誰とも遊ばない夏休みとかつらい。あークラスの子のカラオケの誘いのっとけばよかった。
それから10分ほど歩いて家の戸を開けると、母親が焦って家の中をうろうろしていた。
珍しくおろおろしているようで私の帰宅にも気づいていない。
いつもと違う母親に対して、違和感と言いようのない不安が心に渦まく。
話しかけるか迷うが決意して「ただいま」と声をかけた。
「っ!!あ…気づかなくてごめんなさい。おかえり。あ、あのね千尋、よく聞いて。」
母親が急に神妙な顔になって私の両肩に手を置いたため、ついビクッと怯えてしまった。
それもお構いなしに話し始めた。
「今日から千尋は夏休みの間、お母さん方のおじいちゃんとおばあちゃんの家に行かなくてはならないの。そこではきっと驚くようなことも辛いこともあるかもしれない。それでもあなたが行かなくてはならないの。」
「おじいちゃんとおばあちゃんの家…?」
母親の方の祖父母の家には一回も行ったことがなかった。行きたい、会いたいとせがんだこともあったが、温厚な母があの時はひどく強い口調でダメだと叫んだ。
どうしてだめなのか未だにわからないが、ただただ怖くてそれ以来その話題には触れなかった。両親からもその話題は出なかった。
でもなぜ今になって行けるようになったのか。しかも行かなければならないという使命感にも似た言い回し。何が起きていてこの後どうなるのか母親は知っているとでもいうのか。
「どうして今になって私はいけるの?」
「っ…それは千尋の力を頼りたいからよ。終業式の間に電話がかかってきて貴女に助けてほしがってる。それに、今までは片時もあの場所に行かせることは絶対出来なかったけど、高校2年生になったからね。」
「ちょ、あのよくわからない。私頼りにされるような力なんか持ってないし。全然理解できない!」
「持っているわ。ほら千尋、一か月近くあっちで過ごすのだからもう準備しなさい。新幹線のチケットも用意しているわ。」
これ以上は何も教えてくれないようで二階の部屋で荷造りするように促される。
納得いかなかったが教えてくれるつもりはないようだ。渋々自室に入り、キャリーバッグやリュックなどに必要なものを詰めていく。
私に助けを求めている…あったこともない私に?
知っているのに言わないのは言えない何かがあるってことじゃ…
朱音に連絡を…いや、朱音には言えない。
湧き上がる質問と不安で埋め尽くされる心と頭。無理やりにでも払拭しようと頭を左右に振って準備を進める。
終わったころにはおやつの時間を過ぎたころで、シャワーで汗を流し家を出た。
新幹線の中で家を出るときに手の中のお守りを見つめる。母親から行き先の住所と電話番号が書かれた紙と、いつでも肌身離さず持つようにとお守りをもらった。
母親の言う言葉があまりにも重くて、そうしなければならない、そうでなければ何か起こると予兆している気がする。
どんな場所かも祖父母がどういう人なのかも教えてくれなかった。
期待よりも不安が心を埋め尽くしていた。