それはとある雨の夜。
一匹の獣がおかしなものを見つけたのが始まりだった。
「──っ?」
その獣は目の前の奇妙な生き物に珍しく戸惑っていた。
最近、この森で狼藉を働いている二足歩行によく似ている。あれを小さくしたらこんな感じになるのだろうという外見だ。
「────!」
それは木の上の、自然が作ったとは思えないような葉の寝床ので泣いていた。
獣は迷った。この豪雨にも負けないぐらい大きく泣き叫んでいる不思議な生き物をどうしようかと。
食べるのも良い。そのまま放置するのも良い。どちらにせよ、自分には損はない。この森では、自分の身を守れない方が罪なのだから。
獣は少し悩み、放置することを決めこの場を去ろうとした。
しかし、去る間際にその生き物と目が合った。
意志の強い目だ。この目をしたやつを知っている。つい最近戦ったあの目だ。
やはり、あの侵略者どもの子か。何故棄てられたのかは定かではない。
我がここを去ればこの生き物は死ぬだろう。他の獣に喰われるのが先か。あるいはそのまま飢えて死ぬか。
「────」
その生き物はこちらをじっと見てくる。その目には恐怖が感じられない。これから自身が死ぬのだと分かっていないのか。
まあなんでもいい。少し、ほんの少し興味が湧いた。此奴を連れ帰ってみよう。気に入らなければ、どうしようもないほどに弱者ならその時の一食にでもすればいい。
獣はその生き物を咥えそのまま巣に戻る。
その日は決して雨が止むことはなかった。
「──うっひゃーい!」
少年は森を駆ける。地上の獣と同じくらい疾く巧みに。地を、そして木を上手く走る。
「──うきゃきゃ!」
声を荒げながら、隣を並走してくる自分と似たような獣。ここ最近はずっとそうだ。以前はこっちの方が遅く馬鹿にしたようにこちらを見てきたそいつだが、今はもう少年の方が速かった。
「よっと」
連続した木を上手く跳び、大きな木に空いている穴に飛び込む。
この森で一番大きな木。父が聖樹と呼んでいたその木の中は多くの生き物達の住む場であった。
空中の葉の階段を進んで目的の場所に進む。なんでこの葉が浮いているのかは知らない。父が聖樹の魔力だと言っていたがよくわからないのだ。
「ただいま! 父さん!」
『帰ったかルード。して、成果は?』
「もっちろん! 見てこれ!」
父に手に持っているものを見せる。その決して小さくはない生き物を見て父──ウルシスは少し唸り声を上げた。
『ラミットを仕留めたか。なかなかに速かっただろう?』
「うん! けど、僕ならへっちゃらさ!」
ウルシスの問いに笑って返すルード。嘘ではない。彼の身体能力は既にこの森でも優れたものだ。獣よりも速く動くなど、造作もない。
『ふむ。……そろそろ魔力の鍛錬をしても良い頃か』
「魔力? 父さんが使っているそれ?」
『うむ。この念話も魔力によるものである。お前も魔力を扱う術を学べば様々なことが可能になるであろう』
ウルシスのその言葉に思わず喜びに声が出てしまうルード。
彼にとって父は憧れ。その強さ、その叡智は自身の理想。父に近づくことが彼にとっての目標の一つなのだ。
「でもさー父さん。なんでそんな便利なものを教えてくれなかったのさ?」
『……ルード。お前は魔力が多い、多すぎるのだ。それ故、魔力に封印を施し年と共に少しずつ慣れさせたのだ』
「ふーん」
ウルシスの言葉にそうなのかと納得するルード。最近、どこか体の調子がいいと感じていたのはそういうことなのかなと思い当たる節があったのだ。
『良いかルード。魔力を学ぶということは力を手に入れるということだ。力はいつ使うか、誰に向けるかを考えて使わなくてはならない。心して学ぶのだ』
「? うん……」
ルードは父の言葉にとりあえずうなづく。その意味を理解できなかったというわけではない。ただ、それよりも父が使っている便利な力の危険さをあまり想像できなかったのだ。
『ふむ。では魔力の制御について──』
ウルシスが魔力について教え始める。
その獣は思いのほか楽しんでいた。十年。この少年を拾ってもう十年ほど経つ。
最初は本当に弱かった。泣き叫ぶだけの弱い生き物であったルードが森に馴染めるまでたくましくなることなど予想はしていなかった。
父の念話を聞き漏らさずに学ぼうとしているこのルード。
一体こやつがどのように成長するか。森を出るのも良い。この大樹で私を超えてくれるのも良い。
ウルシスは考える。気まぐれで育てたこの小さな生き物に随分と愛着も湧いたものだと。
まあこれも悪くない。この長い生の中で子を育てるという経験をしたことがなかった。
どうせ、自分はまだまだ死ぬことはない。なればこの生を楽しむためには違うことをするのも必要だろう。
獣は少しだけ表情を緩くする。その少年のこれからになのか。あるいは自身の感情故か。
時間は過ぎていく。偶然にも、その表情の変化にはウルシスもルードも気付かなかった。
それから時は過ぎ、ルードと呼ばれた少年が狼に拾われてから十五年が経過していた。
身長も伸び、顔つきも少し大人びたものになっていた。父の厳しい鍛錬のおかげで魔力の扱いに関しても既に一人前と認められていた。
ある日。ルードは狩りに出ていた。
今日は何を獲ろうか。そんなことを考えながら森を歩く。
少し歩いたところで、どこからか気配を感じた。獣だろうか。戦闘準備をし、すぐにそちらを伺う。
「──なんだあれ?」
ルードはつい声を出してしまう。少し開けたところ。いたのは大きい四足の獣。それは良い。疑問に思ったのはそいつが襲おうとしている見慣れない生物。怯えながらそこにへたり込んでいる少女。
この森では見たことがない容姿。熊でもなくラミットでもない。父のようなかっこよさもなく、似ているとすればいつも絡んでくるあのモヌキー、あるいは水面に写った自分にか。
自分以外の人間を見たことのないルードにはどんな生き物なのか、はっきりと理解はできなかった。
「──助けて!」
その生き物は、こちらに気づいたのか震える声で助けを求めてくる。
どうしようか。ルードは考える。
別に助ける理由はない。この森では強さが正義。喰われるのは己の力不足。かつて父もそのように育ててきた。
見たことない格好をしている。この森では見たことないものを着ている。なら、この森の住人ではないのか。
外。父からはあまり聞いたことのないその事柄に興味が湧いた。助けよう。今日のご飯はあのデカ熊で決まりだ。
魔力を固め鋭くする。気配を殺し、後ろからそれを熊の脳天目掛けて全力で放つ──!
「──っ!」
一撃。獲物を食らう直前で慢心していたのか。背後の存在に気付くことのなかったのか。
どちらかははっきりしないが、脳天を貫かれたその獣は吠える事すら叶わずにその命を散らした。
「──大丈夫?」
「……へっ?」
ルードがへたり込んであるその少女に声を掛けると、何が起きたか分からないといった表情をされる。
「あ、あの! ありがとうございます!」
少し経ってようやく話せるようになったそいつは涙を溢れさせながら、ルードにお礼を言う。
「別に。それよりも、何者だお前?」
「は、はい! わ、私はカルーナ第三王女グレーナ。グレーナ・ドスティーラと申します」
グレーナと名乗ったその少女は、僅かに目に涙を残しながら笑顔で名前を言う。
「王女? なんだそれ?」
「……えっ?」
ルードのその言葉にグレーナは思わず顔に出てしまうぐらいには驚いた。グレーナにとって人に覚えられていないなど考えられなかった。自身は王女。顔を知らなくてもその名前ぐらいは知っているはずだと。
別にルードが悪いわけではない。こんな森にまで人の王族の名が轟いているわけはない。
ウルシスは知っているのだろうが、ルードはそもそも他に自分と似たような種族がいることすら知らなかった。ウルシスが教えなかったのだ。この森から出ようとも思ったこともないルードが知っているはずもない。そもそも王女という言葉すら知らない。
「ご存じではない!? ……そうですか。なら、教えてあげます! この私が!」
本当によくわかっていないルードになぜだかやる気をだしたグレーナ。すぐそこのちょうど良い木に座り、様々なことを教え始める。
殺した獣に魔力を流してから話しに耳を傾ける。最初はほんの少しの興味だったが、その話が進む内にすっかりグレーナの話を集中して聞いていた。
「国? この森を出るとそんなにたくさん僕みたいのがいるのか」
「ええっ! それはもう、たっくさん!」
人という生き物について。この森の外について。城を抜け出し全力で遊んでいたらここまで迷い込んでしまったことなど。
饒舌に話すグレーナの言葉。その聞けることすべてがルードにとって未知であった。
会話はまったく止まることはなかった。グレーナにとっても、ルードの話は新鮮で興味深い事が多かったのだ。それに、なぜだかグレーナはこのルードという少年を気に入っていた。さっき会ったばかりのはずなのに。
「──それでねそれでね! ってあらっ?」
ふとグレーナが空を見る。話し始めたときには明るかったその空も、太陽が沈みかけすっかりと茜色に変色していた。
「もう夜になるのね! そろそろ帰らないと……」
「……そうか。なら森の入り口近くまで案内しよう」
「本当に! ありがとうルード! とっても嬉しいわ!」
ばっと立ち上がり礼を言うグレーナ。
ルードが先に森を歩きグレーナを誘導する。決して警戒を怠ることはなかったが、道中も話は止まることはなかった。
次第に木も少なくなり、気づけば森の入り口まで到着していた。
「ここをまっすぐ行けば森を出られる。そこからは自分で行ってくれ」
「ええっ! ここまでありがとうございます! それではまた!」
指した方向にまっすぐ向かっていくグレーナ。見えなくなるまで手を振って歩くその少女に軽く手を振り返す。ルードにはこの行動の意味はあまりわからない。けどなんとなくそうしたかったのだ。
やがて、グレーナが見えなくなる。大分遅くなってしまった。父も気になるだろうしそろそろ帰ろう。
今日の晩ご飯を取りに先程の場所に戻り始めるルード。大樹に戻る道の間ルードは外についてのことで頭がいっぱいだった。
夜。住処に戻り、父と取ってきた獣──ベーアという生き物らしい──を食べながら外について聞いてみることにした。
「父さん。僕みたいな人間がいっぱいいるって本当?」
『──何処で知った?』
「今日。森に迷い込んできたグレーナに。いろんなことを聞いたよ」
グレーナに聞いたことを楽しそうに話すルード。遮る事無くそれを聞き終えた後、少し、ほんの少し間を開けて漆ズは語る。
『……そうか。……なあルード。お前は外に行きたいのか?』
「……うん。行ってみたい」
ウルシスのその問い。それにゆっくりと、けれどもはっきりと意志を示すルード。
ルードはこの森を出たことはない。ルードにとっての世界は今日までこの森のみであった。今日一日でその価値観を壊された。それ故始めて湧いた好奇心はもはや抑えることなく表情に出ていた。
『……そう、か。……ルードよ。外についてお前は何も知らない。決して、決して良いことばかりではない。悪いことの方が多いだろう。それでも。それでも森を出て世界を見たいか?』
「うん! だって、だってわっくわくが止まらないんだもん!」
ウルシスの言葉。いつもより心なしか弱い言葉に返事するルード。もう気持ちは決まっていた。この溢れる気持ちはもう自分でもどうにもならないほどには大きくなっていた。
しばらくお互いに無言になる。その沈黙が続き、そして少し経ってウルシスが少し唸り声を上げた。
『……いずれこうなるとは思っていた。お前にとってこの森は狭い。成長を見てそう思うようになっていた。なあルード。お前はこの森で生まれたのではないのだ』
ウルシスは伝える。お前は森に捨てられているのを拾ったのだと。お前は拾い子なのだと。
さっきよりもゆっくりと話すウルシス。まるで悪行を自白するようにゆっくりと。随分と情が移ってしまっていたのだと自覚するように。
いつか、こんな日が来るとは思っていた。振り返ってみれば、森では必要の無い人間の言葉を教えたりこの森で生きるなら必要出ないだろう衣類を着させたのもこういう未来を想像していたからなのかもしれない。
ルードはそれを一言も話さずに聞いていた。
ルードにとってそれは何故か納得できる部分があった。ルードがよく遊んでいたモヌキーやこの木に住んでいる他の獣達は親と子が似ていた。けど、ルードとウルシスは全く似ていない。
「──ねぇ父さん。僕はさ、血がどうだとか気にしたことはないよ。そりゃ父さんはとてつもない程厳しく僕を鍛えたけどさ。けど、僕にとって父さんは父さんだよ。だからさ、──拾ってくれてありがと!」
『──そうか。そう言ってくれるのか』
ルードの純粋な感謝に表情が崩れるウルシス。ウルシスにとってその言葉は今まで生きてきた中で最も強く心に響いた一言であった。
『……この森を出るのなら二つ。約束をするのだ。例えどんなに辛いことがあろうともこの森に逃げてこないと。そして、どんなことがあったとしても自分の信じる道を進むのだと』
「うん! わかったよ父さん!」
ルードは笑顔で答える。それが最後の確認だった。
それから、彼らは寝るまでたくさん会話をした。結局寝たのは、月が落ちかけた頃だった。
次の日。日が昇り始め明るくなりだした時間。大樹の根元にルードとウルシスはいた。
ルードは旅が出来るような格好になっていた。ウルシスが魔力で編んだ服である。物質を想像するだけの制御はルードには不可能だ。これほどに動きやすく頑丈な服がそうはない。
「じゃあ父さん。……そろそろ行くよ」
『──うむ。行ってこい。そして自身のやるべきことを見つけるのだ』
ルードはそう語りかけてくる父を見上げる。
自分よりもは遙かに大きい父。物心ついたときからずっと自分を見てくれた優しい父。恐ろしいほどに厳しい訓練をさせてきた父。思い出すと目から涙がこぼれてしまいそうになる。
「──きっきー!」
森を抜けようと父に背を向けようとした時、近くの木から鳴き声と共にモヌキーが降ってきた。どうやらいつものように喧嘩を売りに来たようであった。
「……悪いな。もう遊んでやれないよ」
「きっきー?」
モヌキーは不思議そうに首を傾げ、それからこっちに何かを投げてきた。
それを受け取る。赤い果実だ。いつもこいつと取り合ったこの果実。こいつはこれが大好物で他に譲るなど今までなかった。
「お前も楽しくやれよ。……またな」
「──ウキャ!」
ルードの言葉にモヌキーは一言。たった一言だけ返す。それだけで十分だった。
ゆっくりと、しっかりとした足取りで進み出す。少し歩き、昨日グレーナと別れたその場所まで辿り着いた。
そこで一旦足を止める。ここからは知らない場所。ここを出れば、──自分にとって未知の世界。
ルードは少し怖くなった。楽しみと恐怖に足がなかなか踏み出せない。
その時、森に咆哮が響き渡る。何よりも強く、何よりも頼もしいその雄叫び。父が、父さんが背中を押してくれている様に感じた。──大丈夫。もう怖くない。
「──よしっ!」
頬を軽く叩き、歩き出す。知らない場所を歩くというほとんど経験したことのないその体験にわくわくを抑えきれないのか次第に速度も上がってきていた。しばらく進むまで、その父の声は聞こえたままだった。
ここで没。理由はオリ英雄とか作者には書き切れなかったため。