見えない鎖を断ち切るために
運命。それは誰もが縛られる因果。目には見えない因縁。
凄惨な悲劇も煌めく喜劇のどちらをも理由づけられる万能の概念。それは多くの者にあると信じられ、同じ数の人に縋るだけ無駄だと呆れられるものでしかない。
一度それを認めてしまうと鉄の鎖の如く縛り逃れることを許さない、そんな厄介事の種を俺が信じたのは一体いつからだろう。
運命を告げられたあの日か。それとも最初の予言が当たったその悲劇からか。或いは──。
答えは誰にもわからない。そんなことは才能溢れる天才にだって、それこそ全能たる神にだってわかるもんかと断言してやれる。
大事なのはそこではない。そんな些細事などではない。
運命を知ってどう思うかではない。──運命に対しどう動くか、それだけが大切なことであると俺は思って生きたのだから。
「そこの少年、ちょっといいかい?」
そう引き留めるのは一人の老婆。見慣れた街並みの中では見たことがない年寄りの女性だった。
黒いフードを被りとても近寄りがたい魔女のごとき女。それが幼馴染の待つ公園に走る俺に向かって声を掛けてきた。
普通は近づきがたいだろうそんな老婆。しかし子どもの好奇心とはなんたる強さなのか、その少年──俺は興味本位一つでついそばまで駆け寄ったのだ。
「どうしたの?」
「面白い運命が見えたのよぉ。よければ少し見ていかないかい?」
いかにもと言ったしゃがれた声で椅子に掛けるように勧めてくる老婆。それにほいほい従いその木の椅子に腰掛ける。
「占い? お金ないけどいいの?」
「ああいいとも。これは趣味の一貫だからねぇ」
そうして向かい合う形で座る俺と老婆。彼女は間に挟まれるようにある水晶玉に手をかざしながら力を込めながら俺の質問に答えてくれる。
この後に一緒に遊ぶ友達がいるのに少しだけ聞いていこう。その少し本格的な小道具ともしかしたらという幼少期の占いの信じやすさが勝りそう考えていた。
「むむむ。むむむむぅ──!!」
一分ぐらい待たされもう興味が薄れ始めた頃、老婆のその声に応えるように水晶玉に光が灯り始めた。
思えばそれが異能との、科学ならざるものとの初めての出会いだったのだろうが、このとき俺はその輝く占い道具にすっかり興奮しているだけだった。
「──出た」
「何が?」
「予言だよ。君にとってもとっても大きな運命の話」
少しくたびれたような声でそう話を切り出し始める老婆。
「今より約十年後、君にとって最も大事で身近な人物が呪われるだろう。そしてそれは避けようがない一つの死を生み出す」
「何それ? アニメの話?」
「いいや真実さ。曲げようがないくらいどうしようもない、ね」
老婆のまるで朝に見ているアニメの一セリフのような言葉は俺には理解ができなかった。
正しくは全くもって信じる気にはなれなかったというのが本音だったのかもしれない。当時は無駄に大人ぶりたかったのか魔法やお化けなんて非化学をまっさきに否定したかった年頃であったのだから。
とにかくその老婆への興味も薄れ席を立ち上がる。
「ふーん。じゃあねおばあさん」
「信じるも信じないも自由。それは君が決めること」
老婆はこちらを引き留めることなどしなかった。黒いフードの中から覗かせるその紅い瞳がただ俺を射貫くだけ。
「だから一つだけ。信じられる根拠を付けよう」
「え?」
「今年のクリスマスに、白き空の贈り物と共に天に還る祝福の風を君は見届けるだろう」
再び私に聞きたいことがあったのならまたおいで、その場から既に走り始めた俺の耳に不思議とはっきりと耳に入ったのをその時は全く気にせずにいつもの遊び場に向かった。
それは幼馴染──高町なのはと共に魔法と邂逅する少し前のこと。
その日遊び倒してすっかり記憶の底に埋もれてしまったその言葉を思い出すのは、あの闇の書を巡る事件の終幕──一つの別れの最中であった。
「────かん」
声がする。何処からか俺を呼ぶその声が眠りを妨げる。
眠い。このまま意識を沈め、夢の世界の扉を開きたい誘惑が何とも心地よい。
「──務官!」
ああ何。なんだよ。起こすなよ。今、何か懐かしい夢を見ていたのに。
俺は疲れているんだ。もう少し手心を加え優しくしてもらいたいもんだ──。
「起きて下さい執務官っ!!」
「うおっ!?」
その声の大きさで眠りかけであった意識が急に覚醒し、飛び上がるように上半身を起こした。
「ああっ……。今何時?」
「十三時二十五分です。当初の予定起床時間より五分超えています」
鋭い目を向けながら淡々と現在時刻を述べる前方の女性の名はセリン・ルーデル。百五十センチぐらいの、地球でなら中学に通っているだろう少女。赤みがかった茶髪を短く揃える俗に言う美少女。
そんな娘が俺に向ける視線は冷たい。俺に娘はいないが、反抗期の父親の気持ちが少しは理解できそうなそんな感じ。……一応俺は上司的な存在なのになぁ。
「一度顔を洗ってきたらどうですか? 見てるだけで陰気な気持ちになりそうですので」
「……そこまで言うことなくない?」
中々にきついなこの子。これでも推薦を蹴って自分から補佐についてくれた心優しい娘のはずなのだが。
やっぱあれか。ただのキャリア的な踏み台にしか思われていないのか。そうだったら若干どころではなく寂しい気持ちになってしまうのだが。
……いや違うか。今後を考えるならあっちに行った方が間違いなく得だ。人脈を作るにしても実力を高めるにしても、成りたいと言っていた執務官への道的にも。
まあ考えても仕方が無いことだ。きっと彼女にも思惑というものがあるのだろう。多分。
「言います。自分の事に酷く無頓着な空野執務官には、きっと言わなきゃわからないと思いますので」
「……そんなに酷かったっけ?」
「それはもう。おかげで部屋の片付けが特技の欄に書けそうなぐらいです」
備え付いている洗面台で顔を洗いながら、つい部屋を見回してしまう。
仕事用のデスクが二つと部屋の至る所に山積みになっている資料の数々。何処に何があるのかはわかっているから片付ける気にならないので、確かに彼女がいなければ目も当てられない事になっていたかもしれない。
今度一段落したら片付けようと心に決めながら椅子に座り必要な資料の入っているファイルと端末を開く。
紙とデータの両方を交互に見るのは実に面倒くさく、寝起きの頭では処理しきれないがやっていれば少しは目も覚めてくるだろうと集中しながら読みふける。
「コーヒーです」
「ああ、ありがと」
机に置かれたマグカップを手に取り、中の液体をぐいっと喉に流し込む。
独特の苦さと引き立った香ばしさが脳を覚醒させていく。相変わらずの丁度良さ。彼女の入れるコーヒーは絶妙で美味しいからすごい。これが俺だと苦いか薄いかの二極でしかなく、飲んだことのある友人からも苦笑いを頂いたほどだ。
「……それで、進展はある?」
「グルザードに関しては残念ながら。……
基本言いたいことは進言してくる彼女には珍しく躊躇いのある言葉。
グルザード。今俺が追っている犯罪組織についてはしょうがないにしても、ロストロギアについて言い渋る理由なんてそうはないと思うのだが。
「
今扱っているロストロギアについての詳細を確認し合う。
曰く、神すら滅ぼすその呪具は確かに恐ろしい。カタログスペックだけなら間違いなく第一級にも名を連ねるだろう一品。
「けど女性にしか効かない、と」
「断言できませんが。文献通りであるならば女神に対してのみ効果を発動するためにそう設定されたと解釈できますが、その辺りの伝承はすでに消失してしまっています」
残念ながら、と悩ましげにこちらに報告してくるセリン。如何に天才と言われようとも既に無い記録を調べろというのはどうしようもないらしい。
考察については、まあ女神を滅ぼすために作った物なんだから女性にしか使えないというのは間違いでは無いと思うし、ある程度まとめてから報告するセリン的に少し納得いかなかったのだろう。
「……それにしても神様かぁ。セリンはいたと思う?」
「さあ? 自分たちにできないことをできるならそう定義する事もあるでしょう」
手を動かしながら淡々と質問に答えてくれるセリン。
これで表情も動くなら会話も盛り上がるというものだが、残念ながら彼女はそう簡単に崩さないだろう。
「逆に聞きますけど空野執務官はいるとお思いで?」
「どうだろ? 案外近くにいるかもね?」
自分でもよくもまあ思ってもいないことを言っていると思う。
信仰厚い方々には怒られるだろうが、俺からすれば神なんて都合の良い感情の捌け口程度にしか思えないものだ。少なくとも俺が小学生の時は、魔法すら存在し得ない絵空事であったのだし。
別にそれが悪いというわけではない。最近は行っていないが、正月には神社で祈り、何かの試験の前には願掛けに行く。
俺だって神を信じてはいないけど、その商業染みたサイクルの中にいたのだから完全に否定することなんて出来っこない。
「……空野執務官は第九十七管理外世界出身でしたね。初めて魔法を見たときと似たような感じなのでは?」
「……そうだなぁ。確かにそれに近いのかもな」
魔法。今でこそ日常と溶け込んでいるその超常の力を初めて見たときの無数の感情の錯綜具合といったら今でも笑えるぐらいだ。
例えるならほどけなくなった糸の絡まりのようなそんなごちゃごちゃ。興味、関心、好奇心、興奮──そして、何よりも強かったのは恐怖。
なのははそんなことはなかったと言っていたが、俺の場合は出会いが悪かったのもまあ影響しているのだろう。
そもそもフィクションは好きだがオカルトは嫌いという訳わからない性格をしていたのだ。そこで、魔法という非化学に命を落とされかかったのだから初印象は良いわけがない。
……まあそんなことがあったから、あのいけ好かない予言も信じる気になれたのだからどう作用するかはわからないものだ。
会話もそこそこに再び資料漁りに戻る俺達。
部屋に鳴るのは手を動かす音と本のページをめくる際に生じる紙の音。突き止めたいのはたった一つだけなのだが、それが何よりも難しい。
恐らくだが、あの闇の書とは違い持ち主を選ぶのではなく設置されていると考えられる。そうでなきゃどこぞの痴情のもつれで使われていそうな呪い品だし。
やっぱり独自で調べるには無理があったか。
頼りたくはないとはいえ、さすがに
しかしなぁ。あいつに言うと回り回ってあのおせっかい共にも伝わりかねないのが大変痛い。
別にユーノが秘密を守らないという心配は無い。あのフェレット野郎はそういう所は妙に律儀で甘いからだ。
じゃあいいのではないかとも思えるが、言わない代わりに相談している所でばったり遭遇したりする運命をあいつは持っている。
あの占い師は言っていた。呪いが降りかかるであろう人物にそれを知られてしまうと、未来は思わぬ方向に捻れる曲がってしまうと。そうして狂った因果はいずれ恐ろしく歪な事態を引き起こすと。
まともな精神状態の人間が聞いたなら馬鹿らしいと嗤うだろう。
ミットチルダを含めたこの魔法社会ならありうるかもしれないが、例外が僅かの管理外世界の街中での占いを信じるなど。それも子どもを対象とした安っぽい水晶玉占いをだ。
けど、それでも俺には疑えない。そうできるだけの根拠を持ち合わせていない。
あの老婆は確かに当てた。友達の一人が、別れゆく最初の
俺には到底振り払えるものではなかった。容認できないものでしかなかった。
別れなんて味わいたくない。その可能性すら考えたくない。そう強く実感させられた。
「執務官? 大丈夫ですか?」
「……大丈夫。ちょっと頭の整理してただけだから」
「……そうですか。全然そうは見えないので、今日は定時には上がって下さいね」
しまった。随分と意識が逸れていたらしい。
まったく嫌になる。予言について考えているといつもこれだ。手も頭もろくに動かせていない。
気がつけば時計は就業終了の直前を指していた。
今日も進展は少ない。もう予言は近いというのに一向に進展の兆しを見せてはくれない。
やはり、一人では無理なのか。俺一人では運命一つ変えられないのか。
セリンという優秀な補佐がいて、それでも影も掴めない自分の無力さに嫌気が差す。
「お疲れ様です」
「……ああ。お疲れ」
セリンが少し不満げな顔をしながら先に部屋を出る。
彼女の心配はありがたいが、それでも手を休めるわけにはいかない。
出来る限りのことはしたい。……うん。やっぱり明日、ユーノに頼むのが良いのだろう。
そう決め、まだ残っていた黒色の液体をぐいっと飲みきる。
「……冷たい」
すっかり冷めていたためか、えらく体をしゃきっとさせてくる。
……もう少しだけ続けよう。その方が、余計なことを考えずに済む。
いつものように時間は過ぎていく。それが早いか遅いかなんて少なくとも自分では気にしなかった。