その日、私の身体は軽かった。三者面談に青葉が来る。それだけが楽しみで私の心は浮き足立っていた。
「あはは、本当になんというか好きですね……」
どうせなら二人とも青葉に三者面談してもらいなさい、とのことで奈緒の保護者代わりに青葉が出る予定で、奈緒も何処か嬉しそうにしている。
部活から教室へと向かう道すがら、先を歩いていた奈緒の足が止まる。
「早く行かないと遅れるわよ」
立ち止まった奈緒を追い越し、飛び込んで来た光景。
階段の前に見知った背中。対面している女子生徒。
顔を寄せる二人はまるで、キスをしているようで……。
私の頰を熱い何かが流れ落ちた。
「青葉さん……?」
◇
幾つもの試練を乗り越えた。だが、学生の本分は忘れがちだが勉強である。日常生活も大事だが、それはそれとしてそこにある責任とは何かと言われればこう答えるしかない。
学生ではない俺がどうしてこんなことを言い出したのか。
それは簡単な話だ。あーあったなぁそんなこと。と、言われてみれば思い出せる。
三者面談の日がやってきたのである!
ひた隠していた瑞樹ではなく奈緒からそれを訊くまでそんなことは忘れており、有給休暇を利用しなんなら丸一日休暇にしてしまおうと思い至ったわけだ。
「ほぉー、懐かしいなぁ」
母校を見上げ感慨に耽る。用が無い限り立ち寄ることもない母校にもう少し何かあるかと思ったが、ろくな思い出がないことに思い至りさっさと校門を通り抜けた。
「さて、三年生の教室はと……三階だっけ」
母校故に勝手知ったるなんとやら、とはよく言ったもので教室棟がどちらにあるかはわかる。迷うことなく階段に辿り着き、その階段の前には杖を突く少女がいた。
階段を見上げる茶髪の少女、その身に纏っているのは中学の制服、物憂げな表情で階段を見上げるその姿は何処か近寄り難さを演出していて立ち止まらずにはいられなかった。
急に話し掛けるのもどうかと思い、態とらしく来客用のスリッパの裏を鳴らす。すると少女が音に反応して振り返った。
「誰、ですか?」
閉じられた目蓋、そして見当違いに向けられた首の向きに俺は察する。
「あー、俺は三者面談に来た……一応、保護者なんだけど。三年の神崎奈緒の兄って言ったらわかるか?」
「……あ、なるほど、あなたが噂の神崎さんのお兄さん、ですか」
「噂?」
「ええ、噂になっていますよ」
詳細は語らない。と、そんなことより先を急がなければ。
「上に行くんだったら手を貸そうか?」
「あぁ、それは嬉しいのですが……」
少女は警戒したような表情で杖を握る。
「視力が悪いんだろ。手を貸すが、無粋だったか」
「……ふふ、面白い表現ですね」
コツコツと杖で床を確かめながら、此方へと歩み寄って来る。
「ん」
「ん、あぁ…」
至近距離まで来ると杖を差し出し、俺がそれを受け取ると少女は手を伸ばして来た。俺の顔をふにふにと柔らかな手で弄ぶ。じぃっと顔を近づけて真剣な顔。
「怒らないんですね」
「何をやっているかは大体想像できる」
少女は顔に触れたことを咎められると思ったのか、そう問うも頰を挟むように手が触れたままだ。
「に・い・さ・ん?」
それから数十秒、たっぷり弄ばれていた俺の背後から絶対零度の声。一瞬の悪寒を感じ、振り向くとそこにはジャージ姿の奈緒と瑞樹の姿が。
奈緒の表情は笑っているが、目が笑っていない。
瑞樹は何故だかポロポロと泣いている。
「ど、どうした?」
「ふふ。それはこっちの台詞ですよ。いたいけな少女と何をやっているんですか?」
「何って……」
主観的には盲目な少女にデータを取られていた。が、客観的に見れば角度的に恋人同士でイチャイチャしていたように見えなくもないという結論に至る。瑞樹が泣いている理由にも勘違いでなければ察せる。
「何もしてない。誤解だ」
「そんなに顔を近づけている時点で同罪です。浮気ですよ」
罪が重い。
「あら、神崎さん?」
「……あ、梓ちゃん?」
俺の身体の陰からひょいと顔を出した少女を見て、奈緒がその名前を呼んだ時、何故か微妙な空気が流れた。
◇
『すみません。誤解ですね』と奈緒が速攻で謝罪を述べ事なきを得た後、階段を登って三年生の教室へ。一体なんだったんだと問い詰める間も無く三者面談の時間がやって来た。
前の組–––高岡梓と呼ばれた盲目の少女、彼女が母親と共に出て来る。
「先程はどうもありがとうございました。この子、方向音痴で」
「あ、いえ……」
「それに目も……」
「困った時はお互い様ですよ」
「それにしてもお若いんですね。代理ですか?」
「まぁ、そんな感じです」
と、軽く雑談をして高岡母娘は去って行く。俺の隣には顔を真っ赤にした瑞樹が黙座していた。誤解は解けたと思いたいが、この分だと小さな蟠りにはなりそうである。
「倉科さーん」
倉科瑞樹。瑞樹の番になり、俺が立ち上がると彼女も服の袖を掴んで立ち上がる。教室に入る時も瑞樹は絶対に離れずぴったりとくっつくとドアも並んで抜ける。窓の近くに設けられた机四つの席へ促され、俺と瑞樹は並んで座った。
「……随分とお若いんですね」
よく言われる。主に義母が。
驚いたような女教師に俺は強張った笑顔。
「えぇ、まぁ……」
「失礼ですがおいくつですか?」
「二十一です」
「わ、私より歳下!?」
因みに奈緒と瑞樹の担任である女教師、自称永遠の二十歳らしいが此処に虚言が完全証明されてしまった。
「えーと、どういったご関係で?」
恐る恐る女教師は訊ねる。実に答え難い質問だ。
「難しいですね。一応、保護者というか……同居人というか」
「なるほど……」
立ち位置が曖昧過ぎて説明が難しい。説明のしようがないというよりは……はっきりとしていないのだ。
「……恋人」
そんな時、瑞樹が服の裾を引っ張ってぼそりと呟く。一字一句訊こえていたが俺は訊き返す。
「え?」
「恋人、です……」
「……なるほど」
女教師は訳が分からないと問題を放棄した後、納得した様子でうんうんと頷いた。
「えっと、神崎さんのお兄さんであってますよね?」
「え、はい」
どうやら女教師はそういう認識でいくらしい。奈緒が先手を打っておいてくれたようで、ようやく話は進みそうだった。
「そうですね。取り敢えず、倉科さんの成績の話でもしましょうか。此処にあるテストの結果や成績表の通り、非常に優秀でテストでは毎回十位に入るくらい優秀で遅刻もなければ忘れ物もないし優等生って感じで〜。それと誰にでも優しく性別問わず人気なくらいで〜」
「ふむ。まぁ、取り敢えず学力とかそういうのはわかりました。学校での様子は?」
「一時期、大変そうでしたけど、ふふっ」
突然、女教師は微笑みを溢す。
「いえ、倉科さんが元気になったのはなるほどあなたの存在があったからなんですね。納得しました」
「はぁ、それで他には?」
「学校生活の方も問題はありません。あとは……」
必要な連絡事項。そして、三年生ともなれば絶対に考えなければいけない問題を女教師は口にする。
「進路ですかね。ところでお兄さんは倉科さんの進路はご存知で?」
「あー、いえ」
「これは倉科さんのお母様が生きていた頃の話でもあるんですけど、もう進路は決まっていたらしくて」
「へー、それは初めて訊きました」
瑞樹の母親も納得していたのならば、俺もそれを推すべきだろう。
女教師は進学先を告げる。
「–––高校です」
その名前は、奇しくも我が母校の名である。
隣の瑞樹を見やるとまだ服の袖を握っていた。
「えーと、なんで?」
「……青葉さんの母校だから」
俺がそう訊いたのにも理由がある。瑞樹の成績ならもっといい高校に進学できるからだ。願わくば女子校で男子とは無縁の生活を送ってほしいと思う。それをまさかそんな理由で返されるとは思わなかった。だが、それは俺のわがまま口にはしない。
「えっと一応言うが共学な上に偏差値はそんな高くないぞ」
「いいの。それに失敗したって青葉さんが責任を取ってくれるでしょ?」
第二志望に『お嫁さん』とか書いてないよな?と思ったが、女教師が出した進路希望調査票には第一志望一つだけだった。
「まぁまだ時間はありますからそこはお二人でご相談なさってください。まだ大変なことも多いでしょうし」
「そうですね。そうします」
まだ妹の分が残っているから、この女教師とはもう一度顔を合わせることになるだろう。一組挟んで奈緒と三者面談しなければならないのだ。
「では、丁度いい時間ですね。第二回は二学期に改めてということで」
「ありがとうございました」
教室を出ると奈緒が出迎える。
「お帰りなさい兄さん、久しぶりの三者面談はどうでした?」
「慣れないが新鮮で中々興味深いな」
学生の頃は授業が楽くらいにしか思っていなかったが、なるほど親の立場がわかるというものだ。
「瑞樹はこの後どうする?」
大抵、こういう日に部活がある場合が多く、そう訊ねると目を伏せて瑞樹はきゅっと手を握ってくる。
「奈緒の三者面談まで一緒にいる」
本来椅子は四つ。三者面談は親子で一組、二組が待機できるように椅子を四つ出しているのだろう。そうなると誰か一人が立っていないといけないわけで、そこはもちろん俺が立つ。
「いえいえ、兄さんこそ座ってください」
「私が立ってるわ」
そして、始まるのは椅子の押し付け合い。不毛なそれは次に待機する親子には奇妙に映ったのだろう。親子の視線が奇異に満ちており少々居た堪れない。
「此処は年長者を敬うべきです」
「俺はそんなに歳食ってねぇ。レディーファーストって言葉を知ってるか」
「青葉さんと奈緒が座って」
「手を繋いだまま座るのは無理があるのでは?」
と、お互いに喧嘩になるばかり。そこでふと閃いたかのように奈緒が提案する。
「仕方ありません。此処は兄さんの上にどちらかが座るしかありません」
隣の父親と男子生徒君、目をまん丸に見開いた。
「私が兄さんの上に座るので瑞樹ちゃんは一人で座ってください」
「なっ、それはずるいわ!」
「じゃあどうぞ」
「え?」
こうしてまんまと奈緒に嵌められた瑞樹は俺の膝の上に乗った。
隣の男子生徒君がまるで親の仇を見るような形相で此方を見ていたことを追記しておく。
最近、書きながら主人公の名前とか瑞樹ちゃんのフルネームとか設定を諸々忘れて見返したりするので中々進みません。ボロが出ても気にしないでくれると助かります。