茜浜海水浴場に足を踏み入れると鬱陶しい夏の日差しに乗じて、何やら熱い視線が集中した。一目少女達を見た男性客は立ち止まり、通行人とぶつかり、サーファーは波に飲まれて海に落ちる。家族連れの父親は妻に肥えた腹を抓られ、恋人とデートに来ていた年若いカップルは相方に制裁を受ける。とんでもない人災が連鎖する。
「おい見ろよあれ、可愛くね?」
「アイドルかモデルかな?」
「ばっかそんなのがここにいるわけないだろ」
「それより声かけてみるか?」
「ひっ!今、無茶苦茶寒気がしたんだけど」
「お、俺も……」
客観的な感想を言えば、瑞樹達はそれくらい綺麗なのだ。元々、身内贔屓もあって目が曇っている俺からすれば納得の評価だがそれはそれで面白くもない。評価が高ければ高いほど悪い虫は寄ってくるのだ。
「兄さん抑えてくださいね?」
「善処する」
用意したビーチパラソルを砂浜に突き刺し、ビーチチェアを設置して有事に備えて体を解す。他所様の女の子を預かっている責任上、悪い虫を近づけてはいけない。
「さぁ、早く行きましょう兄さん」
「行くわよ、青葉さん」
軽く準備運動していた奈緒と瑞樹が急かす。
「青葉兄に人を殺せそうな視線が集まってるなぁ。本当、両手に花で幸福者っすよね」
「あの…楓さん?気にしないようにしてたこと言わないでくれませんかねぇ」
「そこは見せつければ良いのですね?」
「さすがアズ、どんどんくっついてやってください。女子中学生に鼻の下伸ばしてる青葉兄を激写しますんで」
「お前変な写真だけは絶対やめろよ?梓の両親にも渡すんだからな?」
俺の私物の一眼レフを構えた楓と梓が楽しそうにはしゃいでいた。撮った梓の写真は後日、梓のご両親にも渡す話が通されている。
ビーチチェアに風除けとして着ていたパーカーを脱ぎ捨て、少女達が姦しく騒ぐ。そしてそのまま白い砂浜を駆け出し奈緒と瑞樹は渚に足を踏み出しパシャパシャと水を跳ねさせ走り回る。
「楓、お前は行かないのか?」
「最初は写真でも撮ってますよ。だから期待しておいていいっすよ」
「……壊すなよ?」
「壊したら体で払いますよ?体で」
「どういう意味だよそれ」
「それはもう口に出すのも憚られるっすねぇ」
「……取り敢えず、あとで交代な」
カメラを任せるのも悪いのでそう伝えると、楓は自らの体を掻き抱く。
「え、そんなにあたしの水着姿の写真が欲しいんっすか?」
「違うそういう意味じゃない」
「兄貴に報告していいっすか?」
「やめろこれ以上被害を拡大させるな。会うのが怖くなる」
人を食ったような笑みで「冗談ですよー」と言う。ただまぁもう既に言及されるのは確定事項である。楓の兄はいいのだが他の面子が少々厄介だ。
背後からちょろちょろついてくる楓を引き連れ、右腕に変わらず腕を抱いた梓を連れ波打ち際を目指す。湿った砂浜に足を踏み入れた時、びくりと震えてこう言った。
「絶対に離さないでくださいね!」
よりがっしりと腕を抱かれれば密着度が増す。中学三年生にしては大きい胸がより柔らかみと大きさを伝え、俺が得る幸福感とは逆に梓は心底怯えた表情だった。
–––可愛い。
不謹慎ながらそう思う。
「ひゃっ!?」
ついに足に波が到達した時、彼女は素っ頓狂な悲鳴を上げた。飛び上がって首に抱きついてくると胸の感触が腕を組まれた時とは比べ物にならないくらい存在感を放つ。
「梓は海に来たことは……?」
「初めてですっ」
–––箱入り娘。
喉から出そうになった言葉をギリギリ飲み込む。生まれた時から目が見えず、光のない生活をしている彼女を思い大切に御両親は育ててきたのだろう。連絡先を強制的に転送され念を押された文には文字では表せないほどの感情が込められていた。
「家族で外出とか、友達と遊びに行ったりはしないのか?」
「はい。……今まで、外に出るのも送り迎えが必須で、友達の家くらいしか」
だからこうして友達と遊びに行くのは初めてらしい。
よく許可が出たな、と思う。
「そうか。じゃあ、楽しまないとな」
怖がりながらも腕にくっつき足を前に出す。遅いが前には進む。そのうち二人のところまで辿り着くだろうと見守ることにした俺だが、そうは問屋が卸さない。
ザバッと勢いよく海水が俺目掛けて飛んできた。
腕にくっついていた梓も巻き添えを喰らう。
「ひゃあぁぁぁ!?冷たっ!しょっぱ!なんですか!?」
慌てふためく梓がきょろきょろと周りを見渡す。俺の視線の先には海水よりも冷たい温度の視線を向けてくる瑞樹と奈緒がいた。
「兄さん、少し梓ちゃんといちゃいちゃしすぎじゃないですか?」
「……そんなに巨乳がいいの?」
真夏なのに真冬かと思う薄寒さ。ぞわりと背筋を何かが這い身の危険を感じた。
「違う。いちゃいちゃしてない。誤解だ」
「絶対うそ鼻の下伸ばしてやらしい」
そう吐いて捨てたあとで瑞樹は自らの胸に手を当てた。ずーんと暗い雰囲気が漂っている。
正直な話、瑞樹の胸は梓よりは小さいものの中学生にしては大きい部類だ。もう既に大人の男が鷲掴んでも僅かばかり溢れそうで並以上にはある。触れたら気持ちが良さそうだ。
だから悲観に暮れる必要はないのだが、本人は不満げである。特に梓のたわわに実ったおっぱいを見て恨みがましい視線を向けていた。
「……やりましたね?神崎さん、倉科さん」
不満げな視線をどう感じ取ったのかわからないが、水を掛けてきた犯人が誰か気づいた梓が好戦的な笑みを浮かべ、屈んで両手を水面につけると声を頼りに二人に向けて水を掬いあげる。両手一杯の水を水面から飛ばそうと身を乗り出したはいいが、
「あ、わっ!?」
当人は波に脚を拐われて前のめりにすっ転んだ。
上がる水飛沫に俺と奈緒、瑞樹は巻き込まれ浴びた。
「あはは、何やってんだか–––って梓さん!?」
「あ、梓ちゃん?」
「もう何するのよ–––って、え?」
俺達の視線の先にはじたばたと水中で捥がく盲目少女。膝丈ほどしかない浅瀬で座ればちょうど胸ほどしかないはずだが、パニックを起こした梓には関係ないのか溺れている。
慌てて引き上げようとすると顔面や鳩尾に肘が勢いよく当たった。だがそこは怯まず抱き竦めて助け起こしてやった。
「ケホッ、コホッ!…ぜぇ、はぁ…」
水を少し飲んでしまったのか息が荒い。痛いほどにしがみついてきて爪を立てた猫のようにフシュフシュと唸る。実際、爪が背中に食い込んでいて痛いが、それと同じくらい柔らかい胸が押し付けられている。
「……し、死ぬかと思いました。ふぇ…ぐす…」
「ちゃんと見てるから安心しろ」
幼子のように泣き噦る梓の頭を優しく撫でる。ぽんぽんと背中を摩ってあげる。
「……はぁ。仕方ないわね、少しくらいは」
「そうですね。ここは素直に兄さんに任せましょうか」
そんな姿を見て何を思ったのか二人は頷き合った。
その後も対抗心を燃やして梓とは反対側の腕に抱きついてきたり、水着により破壊力が増したアピールを何度もしてきた。ゴム製のボードの上で美少女四人と波に揺られていたのはとても良い記憶だ。
「そうだ。ビーチバレーとかどうっすか?」
そうして海を楽しんだ後、昼もまだ早いと楓が提案してきた。
「……お前ら、部活でもないのにバレーやるのか?」
「やだなー、別物っすよ」
そうは言うが楓が持っているのは普通のバレーボールである。
「いいですね」
「……そうね、やるわ」
奈緒、瑞樹、楓はバレー部に所属している。大会前もあってか妙に気合が入っている。何故だか俺を見て闘志をメラメラと燃やしているが俺は素人だ。
「じゃあ、チームを決めるっすよ。もちろん恨みっこなしで」
「誰が兄さんとチームになるか、ですね」
「ねぇ、青葉さんに誰とチームになるか決めてもらうのはどう?」
乙女の戦いに投じられる爆弾が一つ。水を向けられた俺はジャンケンでいいのでは?とも思うが、提案すればすぐに却下された。
無難に答えるなら身内である奈緒なのだが、それを言うと瑞樹も身内である。それも近過ぎる距離にいる大事な人だ。そう考えると二人を選ぶことはできないわけで、
「楓さんでお願いします」
恐る恐る、相方を指名した。ふふーん♪と上機嫌な楓と悔しそうな奈緒と瑞樹、その視線が追求しているようにも見えなくないので俺は無視するように試合の準備を始めた。
「一応言っておくが手加減しろよお前ら」
茜浜海水浴場にはビーチバレーコートが完備されており、申請さえすれば誰でも借りられる。そのコートで向かい合うペアが二つ。
青葉と楓ペア、瑞樹と奈緒ペアである。
コートの横にはビーチチェアが設置されており、不参加の梓がパーカーを着て応援をしていた。
「青葉様、頑張ってください!」
三箇所から殺気が濃度を増した。味方であるはずの楓は射殺さんばかりに俺の背中を見つめている。
「じゃあ、ハンデとしてこちらからのサーブで」
経験者もとい現役部員の楓が空にボールを投げる。そして、軽く追って跳ぶと綺麗なフォームでボールを打ち出した。
……しかし、そのボールは俺に目掛けて飛んできた。
「あっ」
「あっぶな!おい現役バレー部今狙ったろ?」
「手が滑りました。いやー、砂浜だと感覚が違って」
もっともらしい言い訳を並べ立てるので反論のしようがない。
改めて楓がサーブした。
「瑞樹ちゃん!」
「わかってるわよ」
飛んできたボールを瑞樹がレシーブして、奈緒がトスを上げる、そして流れるように瑞樹が今度はネット前に出てきて身長よりも遥か高い網の上からスパイクを決めようとする。
「悪いが俺も本気で–––」
遊ぶにしても全力で相手をしなければ失礼か、とブロックに跳ぼうとしてネット越しの光景に目を見張った。
改めてしつこいようだが瑞樹の胸は中学生にしては大きい。そんな彼女が水着という下着同然の格好で跳べばどうなるかは明白だろう。
ぷるん、と瑞樹の胸が揺れた。柔らかくて、瑞々しく形の整ったおっぱいが。薄い布一枚な所為かダイナミックに弾んでいる。
見入ってしまったのは男なら仕方ないと思う。
「あっ」
ただ、幾重にも重なった偶然が不幸を呼ぶ。砂浜に足を取られ跳ぶまでもなく足を滑らせ、後ろに倒れ込んだところに瑞樹がスパイクしたボールが顔面に飛んできた。避ける術はない。直撃した。
「だ、大丈夫、青葉さん!?」
衝撃によって一瞬だけ気が逸れ、気がつけば仰向けに倒れて空を仰ぎ見ていた。駆け寄ってきた瑞樹は砂浜と俺の頭の間に膝を割り込ませ、膝枕をして心配そうに顔を覗き込んでくる。他二名は少々呆れた顔で言う。
「兄さん瑞樹ちゃんの胸見てましたね」
「見るのはいいっすけどねー。バレないようにしないと」
見られた本人は気づいていないようだが、他二人にはしっかりとバレていたらしい。
「あ、負けたら罰ゲームですよ兄さん」
なにそれ訊いてない。
まだ続きます。