「ついたぞ」
海から引き上げ、帰る途中で入浴施設に寄り、やっと家に帰って来た。車を出て部屋を目指す四人は随分と海を堪能したらしく、眠そうに階段を上がって行った。
本来、マンションの住人が使用できる事になっている駐車場に正規の利用法で車を止め(来客用にしか使ったことがない)、俺も自分の家へと入る。すると眠たげな少女達がリビングに集まっていた。
「俺はもう寝るからな」
そう告げて冷蔵庫を漁る。程良い疲労にアルコールを加えれば、即効で良い眠りにつけるだろうと普段は飲まない酒を取り出そうとしたがそこでピタリと手が止まった。
美少女が四人、その状態で正常な思考を放棄するのはいかがなものか。
酒が入れば気が緩み、何か取り返しのつかないことをしてしまうかもしれない。そう思い取り出した酒を冷蔵庫に戻し、緑茶をコップに一杯注いで飲み干すとリビングを後にした。洗面所で歯を磨き、自室の布団へ入る。
電気を消して、程良い疲れに意識はすぐに薄れ眠りにつくことができた。
しかし、夜中にふと目が覚めてしまう。
冷房はタイマーをセットして既に消えた時間帯、壁にある時計を見れば午前二時。物音一つしないことから瑞樹達もすぐに布団に入ってしまったのだろうか。
俺は寝返りを打ち、少し痺れた腕の方へ体を傾けた。
右腕の上、そこには頭を乗せた人影があった。
「……梓?」
月明かりに照らされた部屋で僅かに見えた顔から梓だと断定するが、どうしてここにいるのか。
もしかして、部屋を間違えたのだろうか。それならば納得がいく。
あどけない寝顔を見せる梓の顔を見ていると、寝息と共に小さく胸が上下しているのがわかった。どうやらぐっすり眠っているらしい。
もういい俺も寝よう。面倒だったので見なかったことにした。
「おや、先を越されてしまったっすか」
そこに現れる二人目の訪問者。
親友の妹、青山楓。
「じゃあ、おじゃましまーす」
そしてあろうことかベッドに入ってくる。梓に右腕を貸したまま、左腕を目隠し代わりにしていたのだが、その腕は引っ張られ枕代わりにされて楓が頭を乗せる。
その数分後、規則正しい寝息が訊こえてきた。
「眠れねぇ……」
二人目の襲撃者のせいで完全に目が冴えた。美少女二人に囲まれる状況、女の子特有の甘い香りが鼻腔を擽り、柔らかい感触に脳がエラーを起こしそうになる。
「あの様子では瑞樹ちゃんは何もしないと思っていましたが、これは予想外でした……」
第三者の声が闇夜に響く。
「じゃあ、私はここで」
そして、あろうことか愚妹は体の上に乗った。意外に軽い。柔らかいし寝苦しいというわけではない。だが眠れない。奈緒の柔く大きな乳房が胸板の上で形を変え、卑猥に歪む。
「ふふ、義妹相手に心臓の音が大きくなってますよ」
密着した胸の鼓動を感じたのか奈緒が耳元で艶やかに囁く。そのあとで左頰に生温かく柔らかい感触が小さな音を鳴らし、やがてそれが終わると今度は首元にぐりぐりと頭を擦り付けてきた。さらに鎖骨まで甘噛み程度の強さで齧られ、一頻り甘えて満足したのか寝息が訊こえてきた。
普通、兄妹はこんな感じなのだろうか。
今度、誰かに訊いてみよう。
三人分の寝息が聞こえる中、体が動かないので全てを諦めて俺も寝ることにした。
だが、一度覚めた目は再び眠ることを許さない。目蓋を閉じるとあら不思議、女子中学生の寝息と体温と柔らかさが視覚を閉じた分倍増しで襲ってくる。
シングルベッドに二人ですらキツいのに、四人も寝ると落ちないか不安で仕方ない。痺れた腕を動かしてなんとか落ちないように少女達を引き寄せるものの状況は改善されない。むしろ背徳感が増した。
「みんないないと思ったら……!」
そこに四人目の訪問。小声でぼそりと呟く声には僅かばかりの嫉妬が混ぜられていた。
「あれほど青葉さんの邪魔だけはしないようにって言ったのに」
誰も訊いていないと思ってか、瑞樹はそう呟いたあと、逡巡する。
「……私も寝る」
数分悩んだ結果、瑞樹までもがベッドに乗ってきた。五人乗ったベッドはギシギシと悲鳴を上げる。楓と俺の間に体を割り込ませると俺の二の腕に頭を乗せて、可能な限り身を寄せてきた。
四人分の寝息の中で切実に願う。
寝たい。
◇
「くっぷふ、贅沢な悩みだねぇ」
翌日、小鳥遊先輩にお昼を誘われた俺は目の下のクマの理由を一から十まで全て語った。それを訊いていた小鳥遊先輩の反応はこの通り、笑いを堪えて目の端を拭う様まで見せてくれた。
寝不足の俺を心配して声を掛けてくれたのだが、内容が内容なだけに上品に声を抑えて笑っている。全く意味を成していないが。
瑞樹達の作ってくれた弁当を広げ、その味を堪能していた。
「まぁ、でも、安心したよ。そっか、いいなー、海かー」
ほっと息を吐いて一人呟く。
海の件も多少省いて話したらそんな言葉が返ってきた。
「行ってみればいいんじゃないですか?」
「一人では行かないかなー」
一人で行ったことがあると喉まで出掛かったが、何故か哀れまれる気がしたので口を噤む。
「友達とか誘えばいいんじゃないですか?」
「うーん。難しいかなぁ。それに女の子って大変なんだよ?」
「そうみたいですね」
とある時期からカロリーや脂質少なめの食事になったり、肉料理が鳥だけになったのを思い出して苦笑する。
『そのままでもいいと思うけどな』と正面切って言うのが恥ずかしくて、ぼそりと呟くと真っ赤な顔で狼狽えていた瑞樹の顔は今でもよく思い出せる。
もっとも本人は忘れて欲しそうだったが。
「まぁ、海の話は置いておこうよ。それより神崎君はお盆休みは何するか決まってる?」
「帰省ですかね。駅二つ三つぐらいの距離の」
「だよねー。はぁ……」
話題を自分で変えておきながら、小鳥遊先輩は大仰にため息を吐く。訊いて欲しそうな雰囲気、俺も先輩の元気がない原因が気になるので放置する気もないのだが、訊き返すより早く先輩が口を開いた。
「私も帰らなきゃいけないんだけど。その、ね……いい人がいないのか結婚はまだかとかそういう話題ばっかりなんだよね。帰ったら絶対に一回は訊かれるからもう今から帰るのが嫌」
どうやら先輩の御両親は早く先輩に結婚して欲しいらしい。怨嗟の篭った声で呪詛のように吐き出す様は見ていて、社内人気の女性社員とは思えない様相だ。
「小鳥遊先輩なら相手の一人くらいいるでしょう」
「私が恋できるような人がいないの。恋はしてみたいんだけどね」
適当な相手を見繕うつもりはないらしい。
当然の話だが。
「神崎君に予定がないんだったら、ダミーでもやってもらおうと思ったのに」
「それすぐバレますよ。バレなくても面倒じゃないですか」
「神崎君なら、演技とか上手いと思うけど」
「俺、漫画で上手くいった話を見たことないんですけど」
結局、無理があるのではないのだろうか。やるにしてもやらないにしても、本当にやって欲しいんだったらやったかもしれないが、小鳥遊先輩はそれほど本気で話してるわけではないと思う。冗談というやつだ。
「結婚かー、神崎君ってそういう願望はある?」
悩みの話から、話題の矛先が俺に向く。
「……先輩、恋愛、交際経験のない人間にそれ訊きます?」
先の話過ぎて返答に困る。願望以前の問題である。
「そうじゃなくて。気持ち的な話」
「そう言われても、現実味がないというか」
結婚したい。なんて思ったことはないわけで。
「……多分、ないんじゃないですか?」
曖昧な答えになってしまう。
「一人暮らしって学生の頃は憧れだったんだよね。でも、現実的には家に帰っても誰もいないし。ご飯だって一人じゃ作る気にならなくてコンビニ弁当とか味気ないものだし。つまらないし、寂しいし、待ってるのは溜まった家事だし。一人暮らしは寂しいってそう思わない?」
「……先輩、疲れてます?」
「ふふっ、神崎君も今は女の子と二人暮らしだけどいつかまた一人暮らしなんだよ」
心の臓に突き刺さる鋭いナイフのような言葉に俺は胸が痛くなる。
「もし瑞樹ちゃんが結婚して家を出たら、どうするの?」
きっとそれは一番突きつけられたくない現実だったのだろう。考えないようにしていたのに、一瞬離れていってしまう瑞樹の姿が浮かんでしまい、唇を噛む。
……また、一人暮らしか。
それは嫌だな、とはっきりわかった。
頭より先に体が拒否反応を起こすほど、瑞樹のことを大切に思っているらしい。
胃が煮えそうで、腹痛がする。頭痛がする気もする。
だからどうしろって話なのだが。
「お父さん許しません」
「……まぁ、そういうことにしておいてあげるよ」
瑞樹が誰かと結婚する。そう考えただけで張り裂けそうな胸。俺はその理由を考えることを放棄した。