夜になった。奈緒と瑞樹は二人で奈緒の部屋に行ったきり出てこないし、用はないのに奈緒の部屋に行くのも変なので懐かしい漫画やゲームを漁っていれば時は早いもので日が沈み始めていた。
完全に夜の闇が落ちる頃には夕食を食べて、普段よりも瑞樹との会話が少ないまま自室へと戻り、早く風呂に入っちゃいなさいという指令を受けて俺は隣の部屋の扉を叩いた。
「先に入れよおまえら」
「いえ、兄さんがお先に入ってください。私達は後から一緒に入るので」
「そうか?じゃあ、そうするわ」
奈緒がそう言うので風呂場に向かった。着替えとタオルを用意して脱衣所で服を脱ぎ、浴室に入るとお湯を一度被ってから椅子に座りシャンプーで髪を洗う。手早く泡を流すと目の前にある鏡に肌色が写る。随分と男らしくない体躯で胸が膨らみ、下半身にはあるべき何かがない。湯気で見えないのだろうか。
「……なぁ、奈緒。おまえなんで入って来てんの?」
「後で一緒に入るって言ったじゃないですか」
「いや普通、瑞樹と一緒に入るのかと思うだろ!」
振り返ると義妹の奈緒が裸体を晒して立っていた。隠す気もないのかタオルの一つも纏っていない。一糸纏わぬ姿の妹は子供の頃に見た時より扇情的で女性らしい躰つきになっていた。
「はい、瑞樹ちゃんも一緒ですよ」
当然のように言われても反応に困る。
そんな状況で浴室の扉が開いた。
瑞樹が一糸纏わぬ姿で入ってくると顔を赤らめて逸らす。
そして、一言。
「い、嫌なら出て行くけど……」
そんな言い方されて「出て行け」と言えるはずもなく、俺は前を向き直した。思考を放棄する。
「別に嫌とかじゃ……」
「ふふっ、素直に嬉しいって言えばいいのに」
「妹よ、それはそれで問題だろう」
「素直に認めたら背中を流してあげますよ」
魅力的な提案だが却下させてもらう。
「ダメですよ兄さん」
「青葉さんは座ってて」
「お、おい…?」
右腕を奈緒が、左腕を瑞樹が捉える。柔らかな双丘を恥ずかしげに押し付けてくる姿がとても愛おしく、その感触に脳は沸騰しそうになる。
「お、おまえら一体どうしたんだよ?」
「なんだっていいじゃないですか」
「青葉さんは身を任せていればいいのよ」
有無を言わさず背中にスポンジを押し当てられる。スポンジに混じりスポンジよりも柔らかで肌触りの良い感触がしたり、瑞樹と奈緒の無言のご奉仕によって身体が綺麗にされていく。
「ちょっと待て何処まで洗う気だ」
胸板に手を伸ばし始めた二人の腕を掴む。すると二人は不満げに眉根を寄せた。
◇
妹達はどうも様子がおかしい。見合いの話があってからずっと傍を離れようとしない。風呂上りも真っ先に俺の部屋にやって来て、ベッドで漫画を読んでいたら二人は両隣を陣取り可能な限り密着して来た。風呂上りの女性の良い匂いが鼻腔を擽り、肌が少し触れる度に体温が伝わる感覚は心地良いものだった。
「おまえらそろそろ寝ろよ」
「折角、兄さんが帰って来たんですから一緒にいたいじゃないですか」
「青葉さんと寝るもの。問題ないわ」
意地でも部屋に帰るつもりはないらしい。
「じゃあ、一緒に寝るか」
さっき風呂上りに親父殿に一杯付き合わされ酔いが廻っているからか、あっさりと受け入れて布団に入る。電気を消すと二人が俺の両脇を固めた。
手を伸ばせば触れられる距離に美少女が二人。無防備にも上は下着をつけていないみたいで風呂場の時とはまた違った感触が脳髄に電気信号を送る。触れたい、触れ、と妙な電波を流した。一杯の酒にはどんな強い酒を選んだのか、酔いが迷いを生み理性を溢す。ガラガラと崩れ去りそうな理性をすんでのところで繋ぎ止める。
「……今更なんだが、中学三年生女子が大人の男と同衾って」
「女子中学生と同衾している兄さんに言われたくありません」
そう言い返されてしまえば返す言葉もない。
夏の夜は眠りが浅い。暑さに目を覚ました俺は両隣の二人を起こさないように起きた。時間は深夜二時ほど、まだ夜明けまで三時間以上もある。もう一度寝ようとしてもすぐには眠れないので一階で酒を一本、煙草とライターを手にベランダに出る。時間設定しておいた冷房は切れているので窓を少し開けておき、俺は部屋に煙が入らない位置で煙草に火をつけた。
「見合い、か……」
こんなチャンス二度とはないだろう。それ以前に上手くいくとは思えないが、そう呟いて少し残念なような気持ちになるあたり少し未練があるのか自分の浅ましさに嫌気が差してくる。もくもくと立ち昇る煙を眺めながら、一つ煙を吸って吐き出す。
「にしてもあっついなぁ」
煙草を咥えながらスマホを弄る。明日の天気。芸能人のゴシップ記事。交通事故。殺人事件。適当な記事を見つけては興味のある記事を読み暇を潰した。
紫煙が消えゆく夜空を見上げていると、不意に背後から人の気配がした。首を回して視線を向けるとベランダに出る場所から瑞樹がこちらを見ていて視線が合う。
「悪い、起こしたか?」
「ううん。そうじゃなくて……」
言い淀む瑞樹は安心したように表情を緩める。けれど、声は少し元気がないようだった。心なしか顔色も悪いように見える。
「……嫌な夢を見たの」
ぎゅっと胸元を握り締め不安そうに吐露した瑞樹は言葉を繋げた。
「青葉さんがいなくなっちゃう夢」
声には覇気がなく、何処か弱々しい姿に胸が騒つく。
泣きそうな顔で何かを訴えるように見つめてくる。
「……ねぇ、本当に何処にも行かないわよね?」
「まだ気にしてるのか?見合いの話」
「それだけじゃなくて、私の周りの人は急にいなくなっちゃうから」
嫌な夢。その内容の詳細はわからないまでも、瑞樹の今を考えればそのような悪夢を見るのは不思議ではない。時々俺も見る。瑞樹はそんな夢をもう何度も見ているのかもしれない。俺が知らない間に。
そんな不安そうで今にも儚く消えてしまいそうな彼女に俺は一つ聞いてみたくなってしまった。
「じゃあ、もし俺が見合いの話を受けるって言ったら……」
そこから先を言う前にベランダへと出て来た瑞樹が、泣きそうな顔を更に歪めて手を伸ばしかける。口を開こうとするも言葉が出てこないのか瑞樹は何も言わなかった。我儘を言う資格はないとか思っているのだろう。
「言いたいことがあるならはっきり言えよ。はっきり言わないとわからないぞ」
「……見合いの話、受けないでって言ったら訊いてくれるの?」
俺の寝巻き代わりのTシャツの裾を掴んで、俯き目を伏せる。そんな姿が愛おしくて思わず瑞樹の背中に腕を回して抱き締める。
「……煙草の匂いがする。青葉さんも煙草吸うのね。パパと同じ匂いがするわ」
同じように腰に腕を回して密着する瑞樹は懐かしむように言った。
「煙草の銘柄が一緒だからじゃないか?俺が吸ってるの瑞樹の父親が吸ってたのと同じやつだし、嫌ならやめるけど」
「煙草やお酒は体に悪いものね」
まぁ滅多に吸わないが、と付け足しておく。吸うというよりは、煙草の火と煙を見て感慨に耽る目的で火をつけているので本来のニコチンを摂取するという行為からは外れているのだが、それでも瑞樹はお気に召さないみたいだ。
「煙草の匂いは嫌い。青葉さんの匂いが消えちゃうから。ねぇ、青葉さん」
「ん?なに–––」
呼ばれて目の前の瑞樹に顔を向けた瞬間だった。咥えていた煙草をもぎ取られ、灰皿に捨てられると俺の首に腕を伸ばして絡みつくように抱きつき、体重を掛けた重さに前に傾くとそれが押し付けられた。
唇に仄かな温かさ、湿り気、柔らかな感触がする。そして目の前には瑞樹の顔があった。触れているのは瑞樹の唇だ。
軽く触れるような、押しつけるようなキスを数秒、それで満足したのか瑞樹はゆっくりと唇を離した。
「やめて、煙草。……私も青葉さんが禁煙できるように協力するから」
呼び止める暇もなく瑞樹はベランダから部屋に入り、振り返るとベランダの窓から顔を出して頰を赤くしながら「吸いたくなったらまたしてあげる」と告げてベッドに戻った。