2019/12/01 4:16加筆修正
「うう、痛たた……」
英雄譚に憧れて、冒険者となってより早一週間。
朝の早い時間に、庭先で転がされた俺は痛みに呻いていた。
「どうした、立て。立たないならば、これで終わりにするが」
しかし、それを許してくれないのが、目の前での存在であった。
平服を来た黒髪黒瞳の木刀を持った男――――『鬼斬り』である。在野最上級の銀等級であり、吟遊詩人にも歌われる彼はまさしく英雄であり、俺が目標としていたものだ。
「い、いえ、まだやれます!」
痛みを我慢して、慌てて立ち上がる。
冒険者として登録したあの日、俺は自分がどれだけ未熟で愚かだったか、工房で思い知らされた。
その後は、散々ダメ出しされて、どうにか買い物を終えたわけだが、流石に俺より分かっている同期の奴より、ちょっと扱いが酷いんじゃないかと思ったが、当初より遙かに有意義な買い物が出来たのも事実なので、文句が言いにくい。
――――それに今なら、工房の爺さんがぶち切れたのも分かるんだよな。これ程の剣の達人に捧げる剣に、俺みたいなド素人が触ろうとすれば、そりゃあな……。
最終的に
だから、剣の修練を出来る場所はないかと聞いた時、『鬼斬り』が剣の手ほどきをしてくれると申し出てくれたことは望外の幸運だった。
とはいえ、見るに見かねてと言った面が多々あることは否定出来ない。今でこそ自覚出来るが、俺はそれくらい酷かったのだ。運はいい方なので、それでも生き延びられたかもしれないが、必ずどこかで躓くことになっていただろう。
――――いや、理由はどうでもいい!今は兎に角、この幸運を活かさなきゃ男じゃねえ!
眼前を見れば、前に立つのは木刀を利き腕ですらない左手で持った『鬼斬り』の姿。その足下には円が描かれており、彼がそこから動かないという制限であった。
だが、それだけの制限が合って尚、『鬼斬り』は強大すぎる壁だった。
――――こっちは真剣でやってるのに、なんで斬れないんだよ!?
斬りかかった俺の剣を、いとも容易く受け流す『鬼斬り』の姿に、何度目かの戦慄を抱く。
買ってそれなりに手に馴染んできた長剣は、別に切れないわけではない。切れ味は確かめたし、鈍でないことは間違いない。
だというのに、『鬼斬り』の木刀を斬ることができない。魔法がかかって居るわけでもない。目の前で適当に作られた木刀だというのに。
「ふむ、素振りは欠かさなかったようだな。最低限の動きは身についているか。正直、荒削りどころの話ではないが、一週間ではこの程度が関の山か」
返す刀で、あっさりと俺を吹き飛ばした『鬼斬り』はそんな風に論評する。
――――当然だろ!一週間しかねえんだからさ。
地面に叩きつけられて呻く事になったが、直ぐさま立ち上がる。
この手解きは、完全に『鬼斬り』の厚意で行われている。別に銀貨1枚とて俺は支払っていないのだから。
剣の持ち方から始まり、基本となる構えなど、基礎中の基礎であろうが、『鬼斬り』は俺に剣を仕込んでくれたのだから、感謝しかない。
――――うん、本当に俺無謀だったわ。そら見るに見かねるか……。
知れば知るほど、学べば学ぶほど、自分がどれだけ足りなかったかが理解出来てしまう。
『鬼斬り』や工房のオヤジが、どんな思いで俺を見ていたのかは、正直考えたくない。間違いなく完膚なきまでにへこむ。
「刃筋を立てろなんて、素人に毛が生えた程度のお前には言わん。
故に一太刀で決める覚悟で剣を振れ。さもなくば、避けられることを前提に体勢を崩さない程度の力で振れ」
――――言われて出来るなら、苦労しねえよ!というか、あんた強すぎじゃね?
俺は、全力で剣を振っているのに、まるで当たる気がしない。『鬼斬り』は涼しい顔で、いとも容易く俺の剣を避けるし、受ける。
「剣の腹では切れるものも切れん。斬りたいのならば、当てるべきは剣先だ。
そうでないなら、重量で強引に押し切るしかない。剣に体重をのせろ。それが破壊力となる。
たとえ斬れなくても、鋼鉄の塊でぶん殴られて平気な奴はいない」
喋りながら、容赦なく俺の全身を叩く木刀。『鬼斬り』の攻撃は速すぎて、防御するなんて考えはまるで浮かばない。
――――これで手加減してるというんだから、ふざけてるよな!
工房で見せられた電光石火の早業は、記憶に新しい。憧れの背中は、どこまでも遠かった。
「当たらぬなら、当てられるように努力しろ。目潰しでもいい、不意を打ってもいい。不格好でもなんでもいい。とにかく、当てろ。当てて、敵を押し留めろ。
敵を後方に通すなど、前衛の名折れだ。両手でしか剣を使うことが出来ない以上、お前に出来るのは剣を持って止めることだけなのだからな」
木刀だけに注目していたせいか、突然の蹴りに反応できず、しこたまくらう。
手加減は多分にされているのだろうが、その場にうずくまる程度には痛い。
「相手が剣を持っているから、剣しか使わないとでも?想定が甘い。あるものは何でも使え。地形や天気に肉体の疲労状態、その全てがお前の敵であり、同時に武器となる。
……そこでうずくまっていていいのか?そこは俺の剣の間合いだぞ」
ゾクッとしたものを感じ取った俺は無様に転がって、その場を離れる。
次の瞬間、俺の頭があった場所に振り下ろされる木刀に、冷や汗が流れる。
――――クソ、本気で容赦がねえ!
内心で毒づく俺だったが、それは甘い認識だったと知るのは、その直後だった。
立ち上がろうとした俺を、投げられた木刀が打ちのめしたからだ。
「俺がこの場所を動かないから、攻撃出来ないとでも思ったか?木刀を投げなくても、投石だってできる。実戦では投擲も侮れない武器となる。
折角、投擲に適した肉体をしている
――――確かにそこから出てないが、そこまでやるのか……。
「常に最悪を想定しろ。現実は精々その二つ上か一つ上であることが殆どだ。悲観しろとは言わん。ただ、あらゆる可能性を想定しろ。
現実に絶対はないのだから。最後まで生き延びることを諦めるな」
――――あんた、本当に容赦ねえよ。
薄れゆく意識の中でそんなことを思いながら、俺は最後の教えを聞いたのだった。
「いい加減に起きなさい」
俺が起こされたのは、咎めるような声が原因だった。
目の前には、烏を肩にのせた不機嫌そうな銀髪紅瞳の角が特徴的な美少女と、こちらを心配そうに見つめる長い金髪を後ろで結った美女がいた。
前者は、『鬼斬り』の
――――こんな美人を囲えるんだから、やっぱり英雄って凄いよな。この家も持ち家らしいし、どんだけだよ。
自分との落差に思わず溜め息をついてしまう。俺が同じ事をできるようになるまで、どれだけの時間と努力が必要になるか、考えるのも億劫だ。
「本当に大丈夫?打ち所が悪かったかしら?」
「主様の命とは言え、《
まあ、最後ということで、主様も厳しくやられたようですが、それでも感謝して欲しいくらいです」
言われてみれば、あれだけボコボコにされたのにも関わらず、身体に痛みはない。
確かにこの手解きは、『鬼斬り』の厚意で行われているものであり、そこで受けた傷は俺の自己責任だ。
呪文まで使って癒やして貰えたことには感謝すべきだろう。
「ああ、ありがとう。お陰様で痛みはない。ところで、『鬼斬り』さんは?」
「私などではなく、主様に感謝するべきですね。主様は、あそこです」
女魔術師が指し示すところには、確かに『鬼斬り』がいた。それも何者かと対峙している。
「ええ、お察しの通り、私の末の妹です」
思いがけず、目が合った金髪の美女がそう言って微笑む。
――――なるほど、妹か。確かに、どことなく面影がある気がする。
「うん?なんでその妹さんが『鬼斬り』さんに槍を向けているんです?」
「あの娘は、貴方やあの人と同じ冒険者なのですよ」
そう言っている間にも、事態は動いていた。
『鬼斬り』めがけて鋭い突きが繰り出されるが、彼はあっさりとそれを受け流した。
しかし、それで終わる妹さんではなかった。突きに払い、時に足払いなども交えて、果敢に攻めかかる。
――――うへ、今の俺だとボロ負けするな。
そんな俺の内心を察したのか、女魔術師が口を開く。
「あの娘は戦女神の神官でもある戦士です。四年以上、修練を積んでいます。貴方とは年季が違います。
貴方は、むしろ、己の幸運に感謝することです。主様に剣の手解きを受けられるなど、望んでも早々叶うことではないのですから」
「分かってるよ。自分がいかに幸運かなんてさ」
女魔術師の言うとおり、在野最上級の銀等級であり、英雄にして剣の達人である『鬼斬り』から剣の手解きを受けるなど、本来は相当な大金を積まねば不可能なことだろう。
まして、直接の指導は早朝一時間のみとはいえ、修練の場所まで提供してもらっているのだ。自分がいかに幸運であるかなどは、改めて語られるまでもなかった。
「ならば良いのです。くれぐれも主様から剣を教えて貰ったなどと吹聴せぬことです。そんなことをすれば、どれだけの者が押しかけてくるか見当もつきません。
これはあくまでも主様の気まぐれからの御厚意だということをくれぐれも忘れないことです」
「ああ、分かっている。誰にも言う気はないさ」
俺が受けられたのなら、自分もと言い出す輩が出てくるのは容易に想像出来る。俺のように何も分かってない駆け出しには値千金の教えだとは思うが、流石に俺も恩を仇で返すような真似はしたくない。
――――仮にそんなことになったら、あんたにどんな目にあわされるか分かったものじゃないからな……。
目の前の女魔術師の目は、どこまでも冷たくこちらを油断なく観察している。彼女は、己の主に仇なす者に容赦しないだろう。
「そう脅かしてやるな。こいつも、そこまで愚かではあるまい」
女魔術師の肩にのっていた烏が喋ったことに驚愕する。そう言えば、『鬼斬り』が人語を喋る世にも珍しい烏を連れているのは有名な話だ。
魔術師が使役する使い魔という説が有力だが、実際に話しぶりをみると、どうも違っているような気がする。
「主様に仇なす者は排除する、それは当然のことでしょう?それが恩知らずなら尚のこと」
「やれやれ、その狂信者っぷりは、本当に変わらんな。
まあ、安心しろ。貴様が馬鹿をやらん限り、こいつは何もせんよ」
「は、はあ」
安心させるように言ってくる烏になんともいえない気分で頷く。まるで年長者と話しているようだ。
「あちらも、もう終わりですね。主様相手によくやったと思いますが」
そんなことを言ってる内に、『鬼斬り』と妹さんの方も終わりが近いらしい。
見れば、猛攻を繰り広げていた妹さんの方は疲弊し肩で息をする始末。
だというのに、『鬼斬り』は涼しげな表情で何ら変わりはない。相変わらず、円から出ておらず、傷一つない。
「こうなったら……!我らに、いずれ挑むべき頂点をお示し下さい――――《
妹さんは、焦れたのかなんと奇跡を使った。こんな街中、それも義理とは言え身内相手にやることでは断じてない。
「なっ!?」「あの娘ったら!」「青いな」
女魔術師が表情を変え、姉である女性が慌てた様子で席を立つ。唯一、烏がやれやれと言わんばかりに頭を振った。
「ふむ、奇跡か……温い!」
《雲の呼吸 肆ノ型 雲散霧消》
冨岡義勇の編み出した《水の呼吸 拾壱ノ型 凪》を参考にした雲の呼吸唯一の防御特化の技。
斬撃の結界による全周囲防御。日輪刀でどうにかなるものなら、一切合切を弾き掻き消す。
放たれた光の槍を、『鬼斬り』は動揺することなく迎撃した。
この日、初めて抜き放たれた刀は、狙い過たず光の槍を切り刻んだ。
「はあっ!?」
俺が驚愕の叫びを上げたのは当然だろう。術を剣で掻き消すとか、わけが分からなすぎる。というか、そもそもそんなことが可能なのかという話だ。
「流石は主様!」
「あのトンデモ剣士が、あの程度の術でどうにかできるものかよ」
女魔術師はキラキラと目を輝かせ、烏は呆れたように言う。姉である女性は、ほっとしたように胸を撫で下ろしたが座らず、俯いて表情を隠すと『鬼斬り』達の方へと歩き出した。
「何よ、それ!?インチキよ!」
まさか、奇跡を剣で防がれるなんて夢にも思っていなかったであろう妹さんは、当然ながら噛みついた。
――――いや、気持ちは分かる。分かるが、後ろ―――――!
ゴツン、そんな音すら聞こえた気がした。妹さんの背後から近づいたお姉さんの拳骨が、脳天へと振り下ろされたのだ。
あれは痛い、そう確信できる一撃だった。それを証明するかのように、妹さんは頭を抱えて蹲った。
「い、痛い!?何すんのよって、お姉ちゃん!?」
「貴女は、どうしてそう短絡的なのかしら?こんな庭先で奇跡を使うなんて、何を考えているの!」
優しげな表情はどこへやら、お姉さんが怒気を露わにしていた。
「ううっ、だってだって……」
「言い訳しない!今日という今日は許しませんからね!」
そこからはお姉さんの独壇場だった。怒濤の勢いで説教が始まったのだ。奇跡を使ったことだけでなく、無関係の事柄までそれは及んでいたが、口を挟める者は『鬼斬り』も含めて誰もいなかった。
嵐が過ぎ去った後に残ったのは、泣きべそをかいた妹さんと、すっきりした表情で佇むお姉さんだけだった。
「まあまあ、確かに驚かされたが、この通り怪我はない。心配させたことは悪かったが、その辺で許してやれ」
「貴方がそういうなら……」
お姉さんも、当人である『鬼斬り』には弱いのか、それ以上追撃をかけることなく、こちらへと戻ってくる。
『鬼斬り』と泣き止んだ妹さんも後に続く。
「お疲れさん、貴様は相変わらず派手だな。どれだけの手管を隠しているやら」
「なに、何事も備えあれば憂いなしってな。偶々、対応出来る技があっただけだ」
茶化すように声をかける烏に、あれ程の絶技を見せておきながら、『鬼斬り』はなんでもないことのように答える。
「ううっインチキよー。とっておきだったのに!」
妹さんがブーたれる。
「まあ、奇跡も万能たりえないということだ。それに今回は運も良かったしな。
……それはそれとして、試験は合格だ。反則気味ではあったが、俺に抜かせたことは事実。君の研鑽を認めよう。よくぞ、そこまで積み上げた」
どうやら、あれは妹さんの試験であったらしい。合格条件は、『鬼斬り』に刀を抜かせることだったようだ。
「本当に?」
「ああ」
「やったー!これでようやくアイツらを、
喜ぶ妹さんだったが、その発言内容は物騒そのものだった。
そして、その声に含まれる重々しい感情を、俺は感じ取っていた。常の俺なら、気づかなかっただろう。
だが、俺はそれをつい最近、全く同じものを感じたことがあったのだ。
――――小鬼への計り知れぬ憎悪!そうか、あいつもそうだったのか……。
脳裏に浮かんだのは、自分よりは分かってはいたが、やはり完璧とはいかなかった自分と同期の冒険者の顔だった。
辺境において、小鬼禍は珍しいことではない。当然、その被害者も少なくはない。
妹さんも、あいつも、運悪くその一人になってしまっただけなのだ。
だが、実際の当事者であるあいつや妹さんが、不運だったで納得出来るわけがない。彼や彼女には、納得するための手段が必要だったのだ。
――――復讐か、『鬼斬り』があいつにあれだけ支援したのは……。
やけに手厚いと思った『鬼斬り』の支援にも納得がいってしまった。
彼は、自分と違ってあの時に気づいていたのだろう。
何よりも、小鬼退治であったから。
俺は、小鬼を最も弱い雑魚とみなし、小鬼退治も馬鹿にしていたが、実際にはここまでの害悪なのだと実感したのだった。
小鬼退治とは、そういう意味では、価値のある仕事なのかもしれないと思い直す。
――――今度、あいつと会ったら、一回くらいは小鬼退治に付き合ってやろう。
そんな風に、俺は思ったのだった。
鬼鬼コソコソ話
実は三女の戦槍の成功率は高くない。この時も一か八かで成功した。
雲柱さんは、奇跡の詠唱自体を中断させることもできたが、試したいことがあったのであえてやらせた。結果は見ての通り。
とはいえ、本人もいっているとおり、運がよかったに過ぎない。光の槍だったので、日輪刀の太陽属性で掻き消せただけ。基本的に魔法は、魔法の力を持ったものじゃないと消せない。