サクラ大戦 剣聖の新たな道 作: ノーリ
では、どうぞ。
黒之巣会壊滅後に現れた新たな敵である降魔。その降魔の第一陣である三騎士の一角、猪を撃退してから数日経ったある日のこと。帝劇の中庭に主だったメンバーの顔があった。十分な距離をとっている彼ら彼女らの視線の先には、二つの人影がある。
「それじゃ行くぜ?」
一人はカンナ。軽く、しかし入念な準備運動をしてから自分の目の前の人物に語り掛けた。そして、
「いつでも」
もう一人はソーンバルケ。その腰にはいつも佩いているヴァーグ・カティはなく、その代わりにその手には竹刀が握られていた。
話は数日前に遡る。
猪を退け、花組は次の公演の稽古や準備をしていた。降魔の脅威は去ってはいないものの、さりとて公演の予定がないわけではない。劇団として舞台に穴を空けるわけにはいかず、花組は普段通りの日常を過ごしていた。その合間の休憩中、楽屋で皆で軽くワイワイとおしゃべりをしていたが、会話の切れ目にソーンバルケがカンナに話しかけたことが事の発端だった。
『カンナ』
『ん?』
いつものようにカンナが顔を向けた。
『お前、この後空いてるか?』
『この後?』
疑問符を頭に浮かべたカンナ。それとは対照的に、紅蘭のメガネが光る。
『何やの、ソーンはん。カンナはんとデートでも行くつもりなんか?』
『…趣味が悪いですこと』
『茶化すな』
紅蘭と、カンナが話題に上ったことで茶々を入れてきたすみれに対してソーンバルケが苦笑して制した。
『そんなことではないさ』
『ふーん。ま、ええやろ』
『全く…。で、どうなんだ?』
『ああ、空いてるぜ』
カンナがコクリと頷いた。
『そうか。では、やるか』
『? やるって?』
大神の疑問に、ソーンバルケは腰に佩いていいるヴァーグ・カティの柄をポンと叩く。…もちろんここは帝劇内であり、今は公演の準備中・稽古中ということもあって本当にヴァーグ・カティを腰に佩いているわけではなく、実際には柄を叩く真似事をしただけだが。
『私と立ち会いたいと何度か言っていたからな。これまで色々あって有耶無耶になっていたが、いい機会だ』
『本当か!?』
ソーンバルケからの思わぬ申し出に、カンナがパアッと顔を輝かせる。
『ああ』
『よっしゃあ!』
思わずガッツポーズするカンナ。よっぽど嬉しいのだろう。だが、
『ちょ、ちょっと待ってください!』
意外にもさくらが待ったをかけた。
『ん?』
『何だよ、さくら』
ソーンバルケどうしたという感じで、そして気分に水を差された形になったカンナが不満そうにさくらに顔を向けた。
『そんな、ダメですよ!』
『何でだよ』
カンナは不満げな表情を隠そうともせずさくらをジロリと睨む。それに一瞬だけ怯んださくらだったが、それでも意見を引っ込める気はなく言葉を続ける。
『だ、だって、カンナさんはともかくとして、ソーンさんは得物が剣ですよ? そんな、一歩間違ったら生命を落としかねないこと『安心しろ』』
さくらが何を危惧しているのか分かったソーンバルケが、皆まで言わせずにさくらを遮る。
『え?』
『本身は使わん。当たり前だろう?』
『そうなんですか?』
『ああ』
『そういうことなら…』
危惧していた点がクリアされたさくらは、納得して意見を引っ込めた。
『全く、さくらさんったら…』
すかさずすみれが呆れ声をあげた。
『真剣を使うわけないじゃありませんか。それぐらいわからなくて?』
『私もそう思いましたけど、万が一ってことがあるじゃないですか』
『そうね。気になった点を確認しておくのは悪いことじゃないわ』
『ふん!』
マリアに窘められたことで分が悪いと思ったのか、すみれが面白くなさそうにプイッとそっぽを向いた。その姿にさくらが苦笑し、続けてマリアに軽く頭を下げる。マリアも気にしないでとヒラヒラと手を振りながら、癇癪を起してしまったすみれに対して苦笑していた。
『それじゃあ、早速やろうぜ!』
懸念がクリアされたことで早速カンナが腰を浮かせかけた。が、
『慌てるな』
そのカンナをソーンバルケが止める。
『何でだよ?』
『今の状況を忘れたか』
『え?』
止められて不服そうな表情をしたカンナが続けて首を捻った。
『まだ今日の稽古も準備も終わってないだろう。それを片付けてからだ』
『あっ、いっけね…』
すっかりそのことを忘れてたカンナが申し訳なさそうに浮かせかけた腰を沈めた。その様子に周囲から笑いが起こる。
『まったく~、カンナはいつもこうなんだから』
『悪ぃ、悪ぃ』
アイリスに窘められたカンナがパンと柏手を打ってアイリスに許しを乞うた。
『それじゃあ、さっさと今日の分を終わらせようぜ!』
そして今度はそう宣言するとそのまま楽屋を出ていったのであった。心なしか、その足取りもいつもより軽く見える。
『全く…』
その様に、すみれが疲れたように溜め息を一つついた。
『本当に単純なんですから』
『ええやんか。動機が何であれ、やる気があるのはええことやで』
『そうですよ』
カンナの姿を肯定したさくらと紅蘭に、すみれはやれやれといった感じで溜め息をついて同じように楽屋を後にした。
『…で、文句言うてるすみれはんがカンナはんの次にここを出る、と』
『ホント、素直じゃないんですから』
『あなたたち、本人の目の前では言わないでね。また臍を曲げられても面倒だし』
『は~い!』
そして残りのさくらたち四人が固まって楽屋を後にしたのだった。
『相変わらず元気なことだ』
『「女三人寄れば姦しい」って言うからね』
花組を見送って苦笑した男二人が最後に腰を上げる。
『あまり手荒な真似はしないでくれよ』
『わかっているさ』
そんな会話をかわしながら、大神とソーンバルケも楽屋を後にしたのだった。
そんなやり取りがあり、こうして今カンナとソーンバルケは対峙しているのであった。ギャラリーは花組の面々と三人娘、米田にあやめ。そして、気づかれぬところからの加山という面々である。
「揃いも揃って…」
集まっている面々にソーンバルケが少し呆れたようにボヤく。
「暇なものだな」
「いいじゃねえかよ」
カンナが制した。ようやく手合わせができるということもあり、いつも以上に上機嫌である。
「別に仕事ほっぽり出して来てるわけじゃねえんだから」
「それはまあ、そうだが…」
ソーンバルケが頷く。確かにカンナの言った通り、今は公演の準備中ということもあって公演開催中よりは仕事は多くない。とは言え、
(しかしこれは…)
と、率直な感想を持っているのも事実だった。
(まあ、仕方ないか)
今更追い散らすわけにもいかないしなと半ば諦め、ソーンバルケは竹刀を構えた。その姿に、カンナが実は内心で少し残念がっているのではあるが。
せっかくだから真剣勝負したかったという欲求があったのである。しかし、万一のことを考えればそういうわけにもいかず、ここはこれで我慢するしかなかった。
「それじゃ行くぜ?」
「いつでも」
ソーンバルケの返答を聞いた直後、カンナが動いた。小手調べ…というわけでもないのだろうが、まずは素直に突っ込む。
「うおおおおっ!」
裂帛の気合から正拳突きを顔面にお見舞いした。が、ソーンバルケは首を最小限に動かしてそれをかわす。
(素直すぎるな)
恐らく今のは挨拶代わり…そう考えた直後、すかさず右からの回し蹴りがソーンバルケを襲ってきた。脇に避けたら逆側からの攻撃が襲ってくると看破し、バックステップでかわす。横に動いてかわされようが、引いてかわされようがどちらも想定していたのだろう。そのままカンナが踏み込むと鳩尾めがけて肘をたたき込もうとした。それを竹刀で受け流すと、ガラ空きになったカンナの背中に逆に拳打を食らわせようとする。しかし、それを察知したカンナは飛び込んで前転すると、すぐさま向き直って体勢を立て直したのだった。残念そうな表情のソーンバルケに、カンナがヒュウっと口笛を吹く。
「やるね」
「お前こそ」
楽しそうに、実に楽しそうに少年のようにへへッと笑うカンナに、ソーンバルケも笑みを隠しきれない。しかし、それを取り囲んでいる面々は様々な感想を抱いていた。
「お、大神さん、見えました?」
「う、うん。だけど、全部は見えなかった…」
「はー、二人とも凄いな。ウチにはほとんど見えんかったわ」
「アイリスもー。ねえねえマリア、ソーンとカンナ、今何したの?」
「…簡単に言えば、カンナが攻撃、ソーンがかわす、それを二回繰り返して、その後にソーンが攻撃しようとしてカンナがかわした。といったところね」
「野蛮な特訓の成果が出てるじゃありませんの。あのお猿さんらしいですわ」
花組は戦闘部隊だけあって驚きつつも的確な分析をし、
「あの…かすみさん。今、何やったのか見えました?」
「…カンナさんの動きだけはかろうじて少しだけ。でも、ソーンさんの方は全く…」
「ふわぁ…」
直接戦闘には参加しない風組の三人には刺激が強すぎたのだろう。三人揃ってポカーンとしている。
「ほう、相変わらずいい腕してやがるぜ」
「本当に。でもカンナも、あのままやられなかったってことは腕を上げたみたいですね」
ツートップは感嘆しながらも冷静に実力を判断・評価し、そして、
(…大した技量だ。だがそれだけに惜しい。本当に惜しい)
加山は驚きつつも歯噛みをしていた。それはソーンバルケに対してである。と言っても、ソーンバルケ本人に何も責はないところの話なので仕方ないが。
あれだけの腕を持っていながら、霊子甲冑を扱えないことが返す返すも惜しかったのである。もし霊子甲冑に乗れれば、花組にとっては大きな戦力になることは間違いないからだ。
各人が各人の思惑をもって見つめる中、当事者の二人はそんなものを気にすることもなくお互いの正面の顔を見据えている。
「修行の成果はあったみたいだな」
「ああ」
「安心したぞ」
「あん?」
「お前に最初手合わせをせがまれたときは、ハッキリ言って力不足だと思っていたからな。私と渡り合えるだけの実力は身に着けたようだな」
「…へー」
ソーンバルケのその一言にカンナはカチンときた。別に驕ってるつもりはないが、以前の自分では歯牙にもかからないと言われたのだ。思うところがないわけはなかった。
「そんじゃあ、遠慮なく叩き潰していいよな?」
「望むところだ。ただし、できるならば…だが」
「言ったな?」
カンナが大きく息を吐いて呼吸を整えると構えた。それに対し、ソーンバルケも同じように再び竹刀を構える。
「それじゃあ、もう少し付き合ってもらおうじゃないのさ!」
「来い」
「うおおおおっ!」
カンナが再びソーンバルケに飛び掛かる。そして二人の手合わせはそれからまだ暫く続いたのだった。が、その激しい攻防もいずれ終焉を迎える。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
「……」
激しい攻防を暫く繰り返した双方がもう何度目になるかわからない対峙を果たす。が、双方にはハッキリとした違いが表れていた。
「マズいな…」
「ええ」
それに真っ先に気付いたのは大神とマリアである。
「何がや?」
紅蘭は二人が何を指してそういったのかわからずに首を傾げてそう尋ねた。
「ええ勝負してるやないの」
「表面上はね」
マリアが冷静な表情を崩さずにそう答える。
「お兄ちゃん、マリア、どーゆーこと?」
当然ながらアイリスも大神とマリアが何を言っているかわからずに首を傾げている。紅蘭がわからなかったのにアイリスがわかるわけもないのだが。
「体力の消耗の具合…ですね?」
一方でさくらは二人が何を言いたいのかわかっていたのだろう、ズバリ尋ねる。大神とマリアはそのさくらの問いに黙って頷いた。
「紅蘭、アイリス、よく見てごらん。カンナは呼吸が乱れてるけど、ソーンはそんなことないだろう?」
「ええ。それに、額に汗をかいているのと汗をかいていないのもわかるわよね?」
「あ」
「ホントだー…」
大神とマリアに指摘された紅蘭とアイリスがようやくその点に気付いた。確かにカンナは肩で息をしながら額に大粒の汗を滲ませているが、ソーンバルケはそこまでではない。多少、呼吸に乱れがあるぐらいである。
「全く…本当にお猿さんなんですから」
呆れたようにすみれが言うが、呆れているのは半分だけ。もう半分は見事にソーンバルケにハメられたカンナに対して怒っているのである。いいように手玉に取られて癪に障ったのだろう。それこそ我がことのように。
「カンナももうわかっているとは思うけど…」
「時すでに遅し…といったところでしょうか」
「でもわかりませんよ、カンナさんですもの」
「せやで。それに、ソーンはんほとんど攻めてないやないか」
「そこは判断が難しいところだね」
「ええ」
「防戦一方なのか…それとも誘っているのか…そういうことでしょう?」
すみれの指摘に大神、マリア、さくらが頷いた。紅蘭が言ったようにここまでソーンバルケはほとんど自分から攻めはせず、受けや守りに徹している。ほとんど攻めていないというのは裏を返せば防戦一方ということである。であるのだが、それにも二つの見方がある。一つは文字通りの防戦一方。もう一つはそう見せかけて誘っているという可能性。この二つが考えられた。そして、涼しい顔で(少なくとも花組の面々にはそう見えた)対峙しているソーンバルケの姿を見ると、どうしても防戦一方には考えられなかった。が、カンナの実力の高さも良く知っているため誘っている余裕があるとも思えないという考えも多少頭に浮かんでいたのである。
果たして当事者の二人にとってはどうなのか…それは傍観者にはわからなかった。そして、その当事者はというと…
(チッ…)
カンナ。油断はせぬように真正面のソーンバルケを見据えながら額に滲んだ汗を拭う。そして、呼吸を整えることにも努めていた。
(あたいとしたことが…)
そして表情には出さずにそう臍を噛む。挑発に乗ってしまった形の自分がもっとも悪いのは百も承知なのだが、それでもここまでほぼ完璧に決定打を打てない状況になるとは思わなかった。そのことにムキになってしまった面も否めない。
(まだまだ修行不足ってことかい…)
罠にはまってしまったカンナはそれに気付くも後の祭り。彼我の体力差はどう考えても大きく、そして不利なのは自分だった。しかし、
(だが、まだ勝負はついちゃいないぜ)
大勢的には不利なのは間違いないのだが、カンナの闘志はいささかも折れてはいなかった。一方、
(ほぉ…)
ソーンバルケ。こちらはカンナの攻撃を防ぐ防戦に徹していたため、体力の消費は格段に少ない。だが、真正面のカンナの目を見てその闘志が折れていないことを即座に理解した。
(あれだけ激しく動き回っておきながら、大した体力だ)
そして素直に感心する。技のキレや威力もさることながら、体力も鍛え上げられているようだった。
(努力は裏切らんというわけか)
感心しているソーンバルケだったが、だからこそ手を抜くつもりはない。ここまで来たら全力で相手を務めるのが礼儀というものである。カンナは自分の撒いたエサに食らいついてきてくれたが、それでもこのまま楽勝で終わるとはソーンバルケには思えなかった。それが証拠に、その目はまだ光を失わず、呼吸を整えて体力の回復に努めている。
(…本来ならここで攻め込むべきなのだろうが)
そうすれば十中八九勝てるだろう。しかし、それでは本当の意味でのカンナの成長がわからない。逆境にあってこそその人物の真価が問われるのである。
(見せてみろ、お前の底力を)
ある意味期待しながら、ソーンバルケはカンナが動くのを待っていた。花組以外の面々も、カンナの体力の消耗が激しいのは気付いており、それでもソーンバルケが攻め込まないことに何かしらの意図があることに気付く。と、
「ふー…」
ようやくカンナの準備も整ったようだった。
「用意はできたか?」
「ああ。…けど、気に入らないねぇ」
「ん?」
ソーンバルケが柳眉を歪める。
「あたいが罠に嵌ってヘロヘロなのはわかってただろう? なのに攻めてこなかったのが気に入らないのさ。余裕かい? それともバカにしてんのか?」
「さて…な。知りたければ私に勝つことだな」
「そうか…よっと!」
終わるか終わらないかのうちにカンナが足元の地面を蹴り上げて土塊をソーンバルケに蹴りつけた形になった。
「っ!」
決して油断していたわけではないソーンバルケだったが、これには不意を突かれた。まさかカンナがこんな搦手を弄してくるとは思わなかったからだ。竹刀で対処するのは簡単だが、土の塊だけに砕け散るだけで勢いが止まるわけではない。後ろに退いても状況は変わらないため横に避けるしかなかった。
「もらった!」
が、避けた先にはカンナの姿があった。左右のどちらに避けるかはソーンバルケの初動で瞬時に予測したのだろう。流石に格闘センスは折り紙付きである。そして、
「ぐはっ!」
ソーンバルケが吹き飛んだ。ここに来て初めての有効打と言っていい手ごたえだった。
「ほう、やりやがった!」
「作戦勝ち…といったところでしょうか」
カンナが決めたクリーンヒットに米田とあやめが驚きつつも顔をほころばせる。かすみたち三人は目を丸くして驚いていた。
「へへ…」
カンナは嬉しそうにはにかむと鼻の頭を擦る。が、
「立ちなよ」
そう告げて、ファイティングポーズを崩さなかった。
「吹き飛んだとはいえ、急所を捉えた感触がなかった。咄嗟にガードしたろ?」
「気づいたか、流石だな…」
ソーンバルケが土や草ににまみれながらその場から立ち上がる。そして、左手で右腕の上腕二頭筋の辺りを抑えていた。カンナの読み通り、ソーンバルケはカンナの攻撃を防いでいたのである。但し、クリーンヒットは防げたもののこの状況通り、ソーンバルケの右腕は使い物にならなくなっていた。少なくとも、この戦いの間は。
「大した剛力だ…」
己の右腕に断続的に走る痛みに顔を顰めながらソーンバルケが感嘆の声を上げる。
「悪ぃな。けど、真剣勝負に手抜きはナシだろ?」
「無論。これはお前を甘く見ていた私の責任だ。…言い訳になるが、決して油断していたわけはないのだがな」
「へえ…。それじゃあ、あんたがあたいの力量を見誤ったってことかい?」
「ああ。そう解釈してくれてかまわんさ」
「そっか、ありがとよ。その一言だけでも修行の甲斐はあったってもんさ」
「ならば、次は私だな」
「ん?」
その瞬間、ソーンバルケの雰囲気が変わった。それを敏感に感じ取ったカンナは表情を一変させると瞬時に距離をとる。そしてそれを感じ取ったのは何もカンナだけではなかった。花組、三人娘、司令と副司令に月組の隊長と、そこにいる全員が感じ取ったのである。アイリスなどは恐怖を感じて大神の後ろに隠れてしまったぐらいだった。
(おっかねぇ…)
目の前の、先ほどまでとは別人と思える佇まいのソーンバルケにカンナが正直にそう思っていた。とはいえ以前、深川の調査のときにすみれとの小競り合いで感じた、真からの恐怖とはまた違っていた。怖いは怖いのだが、それと同じぐらいワクワクするのだ。どんな真似をしてきてくれるのか…そう考えると恐怖と同時にワクワクが止まらない。
(あたいもちっとは成長したってことなのかね…)
そんなことを考えながらカンナがソーンバルケに対して構える。ソーンバルケは力の入らない右腕はだらんと垂らしたまま、左腕に竹刀を持って自分に突き付けてきた。そして、
「行くぞ」
抑揚も感情もない声でそれだけ告げると、ソーンバルケが信じられない速さで自分に突っ込んできた。カンナが覚えているのはそこまでである。何故ならその直後、カンナの意識は刈り取られ、闇の中へ落ちていったからだった。
「ん…」
ここは…どこだろう。柔らかく、暖かいものに全身が包まれているのを感じたカンナが吐息を吐いた。その直後、
「あ!」
誰かの声が遠くから聞こえた。そして、
「みんな、気がついたで!」
その独特のイントネーションに、それが紅蘭だとすぐにわかる。そして、自分たちの周りに集まってくる幾つかの気配。
(何だよ…)
何があったのか知らないけど、大げさだなぁと呆れながらカンナがゆっくりと目を開けた。そして次の瞬間自分の目に入ってきたのは、自分を心配そうにのぞき込んでいる花組の皆の姿だった。
「あれ…?」
状況がわからずにマヌケな声をカンナがあげる。と、
「大丈夫ですか?」
真っ先にそう聞いてきたのはさくらだった。
「? 何がだよ?」
「え? 何って…」
どう言ったらいいものかわからないのだろうか、さくらがちょっと困った顔になった。と、
「身体のことよ」
さくらを捕捉するようにマリアが後を捕捉する。
「身体ぁ?」
マリアの補足を聞いたカンナが怪訝な表情になる。
「ええ。身体は何ともない?」
「何ともっ…てぇ!」
まるでマリアのその言葉が引き金になったかのように、カンナの身体を突然痛みが襲った。
「い、痛ぇ!」
全身を苛む痛みにカンナが悲鳴を上げる。
「あー、こらあかんな」
他人事のような紅蘭のその一言が妙にカンナの気に障った。…まあ実際に、他人事なのだから仕方ないのだから。
「カンナ、だいじょうぶ?」
「だ、大丈夫じゃねえ!」
心配してくれたアイリスに対して思わず語気を強めてしまったカンナ。それにビックリしたのか、アイリスはさくらの後ろに引っ込んでしまった。
「あ、わ、悪ぃ、アイリス」
「全く…」
すみれがいつものように呆れている。
「目を覚ましたとたんにこれですの? 本当にやかましい人ですわ」
「うるせえぞサボテン! テメエは外で日光浴でもしてろ!」
「何ですってぇ!?」
「はいはい」
いつものようになりそうだったカンナとすみれをマリアが呆れ顔で制した。
「すみれはん、ちっとは抑ええや。カンナはんはこれでも一応怪我人やで?」
「ふん!」
面白くもないといった表情ですみれがプイッとそっぽを向いた。
「でも、本当に大丈夫ですか? ソーンさんはそれなりに手加減したって言ってましたけど…」
「ソーン!」
その一言で、自分が今なぜこんな状態でここにいるのかをカンナは瞬時に思い出したのだった。思わず起き上がろうとするが、
「っ! 痛ってー!」
全身を激痛が走り、それを断念する。
「ああ、もう…」
さくらが少し呆れながら溜め息をついた。
「大人しくしててください。ようやく今意識が戻ったんですから」
「わかったよ」
カンナが不満そうにしているが、さりとて無理から身体を動かしたらまた先ほどの激痛が身体を襲うのだ。さくらに勧められた通り大人しくしているしかなかった。
「なぁ…」
その代わり、気になって仕方なかったことを聞くために口を開く。
「どうしたの?」
「あたい…どうなったんだ?」
返事を返してくれたマリアの顔を覗き込むようにしながらカンナが尋ねた。
「何で今、ここにこんな状態になってるんだ?」
「それは…」
困ったような表情になって他の花組の隊員たちに視線を向けるマリア。しかし、視線を向けられたその面々も多かれ少なかれマリアと気持ちは同じなのだろう。皆困った顔をしていた。それを悟ったマリアはふっと息を吐くと、
「実は…わからないのよ」
と、素直に答えるしかなかったのであった。
「わからない?」
「はい」
さくらもマリアに同調して頷く。
「逆にカンナさんに聞きたいんですけど、どこまで覚えてます?」
「え…そうだな…」
さくらに聞かれ、カンナが思い出し始めた。
「あたいが覚えているのは、ソーンがあたいに向かって竹刀を突き付けて…その後にものすごいスピードで突進してきて…そこまでだ」
「それなら、ちょっとだけその後のことは教えられますね」
「本当か!?」
カンナが勢い込んでさくらに尋ねてくる。
「はい。ただ、本当にほんの少しだけですけど」
「それでもいいさ。あの後、何があったんだ」
「えっとですね「あなた、何回かあの男の攻撃を食らったんですのよ」」
さくらが説明しようとしたが、それを遮るかのようにすみれがその詳細を明かした。
「え…?」
すみれの顔をジッと見た後、カンナは他の花組の面々に視線を移したが、マリアとさくらがそれに同意するかのように頷いていた。
「…情けないけど、ウチにはほとんどわからへんかったんやけどな」
「アイリスなんて全然わからなかったよ」
紅蘭とアイリスはというと、正直にそう白状した。見栄を張っていても仕方ないのだから素直に言うしかないのではあるが。
「私たちはと言えば、確かに何回かソーンさんがカンナさんに攻撃したのは見えました」
「けど、それも全部というわけじゃないわ。速すぎて、全部見えなかったの」
「気が付いたときにはあの男が背を向ける形でカンナさんの背後に移動していましたわ。そしてその直後にカンナさん、あなたは意識を失って倒れたんですわ」
「ええ。ただ、ソーンさんも膝を着いてましたけどね」
「そっ…か」
あの時に何があったのか教えられ、カンナはすっきりとした表情になっていた。
「見えなかったな、あたいには。ソーンが突っ込んできて、その直後に意識を失ったからな」
「私たちは離れていたところから客観的に見ていたからね。いざ自分があの立場だったら、同じだったでしょうけど」
「だがまあ、これで何されたのかはわかった」
そしてカンナが自分の身体に目を移した。少しは和らいだとはいえ、今も激痛が走っている。
「簡単に言えば、目で確認することさえ困難な速度の連続攻撃ってことか」
「ええ。本当に、見えませんでしたから…」
「確かに何回カンナに打ち込んだのか、わからなかったわ」
「はは…すげえなぁ…」
自分の身に起こった詳細を聞いたカンナが突然ニヤリと微笑む。
「カンナさん?」
いきなり微笑んだカンナに、すみれが怪訝な表情を向けた。
「頭でも打ちましたの? ただでさえあなたはお猿さんなんですから…」
「やかましい!」
すみれの暴言にビシッと突っ込むカンナ。その様子は変わったところはなく、花組の面々はホッとしていた。
「安心しな。別におかしくなったわけじゃねえよ。ただ…」
「? ただ?」
「…世の中上には上がいるって、改めて思っただけだよ」
そのカンナの答えに、花組の面々はみんな納得といった表情で頷いていた。カンナだけではない。他の皆も結局ソーンバルケがどれだけの攻撃をカンナに中てたのかわからなかったのだ。傍で見ててそれなのだから、対峙していたら推して知るべし…である。と、
「へへっ、いい目標ができたぜ」
カンナが微笑む。その姿に呆れつつも、実にらしいとも思い、呆れながらも困った様子で花組の面々はカンナを見ていたのだった。一方、その頃
「これで良し…っと」
事務局にて。カンナの攻撃によって腫れあがった腕をかすみによって手当てされたソーンバルケがその手を何度か握って開いてを繰り返した。
「すまんな」
「いえいえ」
ニッコリと笑うとかすみが救急箱を片付ける。その後ろ姿を見ながら、ソーンバルケは身だしなみを整えた。蛇足ではあるが手当てを受けている間ソーンバルケは当然患部を晒すことになるわけであり、そのために上半身がはだけていた。そしてその身体をかすみをはじめ由里、椿の三人が三人ともぽーっと頬を赤らめながら見ていたのは余談である。
「大丈夫かい?」
隣に腰掛けていた大神がソーンバルケを気遣った。
「ああ」
繰り返していた手の握って開いてを止めたソーンバルケが答える。
「痛みはある。だが動く。であれば、骨まではいってはいまい」
「そうか…」
ソーンバルケの返答に、ホッとしたような表情を大神が見せる。
「全くよぉ、油断しすぎたんじゃねえのか?」
「そんなことはないさ」
揶揄するような米田の指摘に、ソーンバルケは首を左右に振って否定した。
「ただ、私が思っていた以上にあいつが成長していたまでのこと。言うなれば見誤っただけのことだ。若者の成長速度は素晴らしいな…」
「いやだ、そんなこと言うほどの年でもないでしょう?」
「ム、そうだな」
そこで一頻り笑いが起こった。そしてその笑いが収まると、
「ところでよ、ソーン」
米田がコホンと一つ咳ばらいをすると、不意に口を開く。
「ん?」
「単刀直入に聞くぜ」
米田の雰囲気がいつもと少し違うことにソーンバルケの表情が柔らかいものから引き締まった。そして、米田の雰囲気に気付いた他の面々も、どうしたのだろうと少し不安になりながら表情を引き締めた。
「何だ?」
「…お前さん、カンナに何をした?」
その米田の質問に、衆目の注意がソーンバルケに集まった。
「…そうだね。それは俺も聞きたいかな」
大神が米田に追随し、あやめもそれに頷く。三人娘たちは皆もう、興味津々といった表情で身を乗り出しかけてきていた。
「ふむ…。まあ、大したことではない。話をするのはいいが、その前に一つ聞きたい」
「あん?」
「お前たち、私が何をやったのかどこまで認識できていた?」
「どこって…連続で打ち込んだのは見えたぜ?」
「何だ…。なら、それですべてだ。それ以上でも以下でもない」
「それはわかるんだけどね…」
そうじゃないのよ、とあやめが続ける。
「私たちが見えたのは連続で打ち込んだという事実だけ。あの刹那に、何撃打ち込んだかがわからないの」
「5」
「え? 5」
「ああ」
驚きながら確認する大神に、ソーンバルケが頷いた。
「神速の5連撃。私の奥の手だ」
「5撃か…」
米田が唸る。自分に見えたのはせいぜい3撃目までだった。それよりもう2撃も多かったとは…。
改めて見せつけられたソーンバルケの実力に、米田だけではなくあやめも大神も息を呑んだ。三人娘は驚くというより感心したり尊敬の目で見ていたりする。
「さて、余興も終わったことだし、仕事に取り掛かりたいところではあるが…」
この腕ではな…と、ソーンバルケが呟いた。先ほど言ったように動かせはするが、その度に鈍い痛みが走りとてもではないが普段通りに仕事ができないのが現状である。
「と、いうわけで、今日はお役御免にしていただきたいのだが?」
「しゃーねーな…」
米田がガシガシと頭を掻きながらはあっと息を吐く。
「どっちみち確かにその腕じゃあろくに仕事できねえだろ。いいぜ、今日はお役御免にしてやらあ」
「すまん。その代わりと言ってはなんだが、本日分の給金はなしでいいぞ」
「そりゃありがてえ…って言いたいところだが、そうもいかねえだろ? ま、半分出してやるよ」
「律儀なことだな」
「ダハハハハ…ってことで大神! おまえの仕事が増えるぜ!」
「いっ!?」
顔を顰めた大神に対して一頻り笑いが起こり、解散となった。
「はぁ…」
早速新たな仕事を申し付かった大神が肩を落としながら事務局を出ていく。今日はもう就業時間があまり残ってはいないとはいえ、それでもこき使われるのだから肩を落とすのも仕方ない。と、
「大神」
その後ろ姿を不意にソーンバルケが呼び止めた。
「何だい?」
恨めしいとも安静にしてほしいとも、複雑な気持ちで大神が振り返る。
「少し、時間があるか?」
「え?」
「ちょっと、お前の耳に入れておきたい話があってな」
そう言ってきたソーンバルケの表情は、いつもの顔に戻っていた。その様子に、真面目な話なのだなと大神も悟る。
「これからは仕事があるから無理だけど、終業後なら」
「構わないさ」
「わかった。じゃあ、終業後に」
「ああ」
そう約束を交わすと、とりあえずは自分に振り分けられた仕事を終わらせるべく大神は事務局を後にしたのだった。
「お待たせ」
「いや」
終業後、サロンにて待ち合わせをしていたソーンバルケと大神が挨拶をかわす。
「お疲れ。まあ座れ」
「ありがとう」
仕事で疲れている大神にソーンバルケが椅子をすすめ、それに腰を下ろした。
「で? 話って?」
一息ついたところで、早速大神が口を開く。
「うむ、すみれのことだ」
「すみれくんの?」
意外な名前がその口から出てきたことに、大神が驚きながらも首を傾げた。ひょっとしたら、聞き間違えかもしれないなと一瞬思ったぐらいだ。
「うむ」
しかし、ソーンバルケの表情は変わらない。その様子に、自分の空耳じゃないことを大神は理解した。
「すみれくんが、どうしたんだい?」
「うむ。お前が勘違いをしたままだと困るからな」
「え?」
どういうことだろうと大神が頭に?を浮かべる。と、
「特訓期間のことだ。お前、すみれが何をしていたか知っているな?」
「…本人は、お茶だのパーティーだの言ってたけど」
「ふ、あいつらしいことだ」
いかにもなすみれの言い分にソーンバルケが苦笑した。
「それで、お前はそれを信じているのか?」
「信じたくはない。…けど、普段のすみれくんを知っているだけに、まるっきり嘘だとも思えない」
「そうだな。それは確かに当たっている。あいつはお前たちが訓練に入っている三週間、色々なところに出かけていた」
「……」
大神の拳がぎゅっと握られてその色が白く変わる。わかってはいたが、それでも第三者から客観的な事実を告げられると、こうもなるのは仕方なかった。が、
「落ち着け」
そんな大神を制するようにそう言ったのもまた、ソーンバルケだった。
「確かにすみれが遊び歩いていたのは事実だ。それは認める。だが、何もただ遊び歩いていたわけではない」
「? どういうことだ?」
「あいつは、あいつにできることをしていただけだ」
「すみれくんに…できること?」
そこでソーンバルケが一度頷いた。そして、
「後方支援だ」
一言、そう告げたのであった。
「後方支援?」
「ああ。単刀直入に言ってしまえば、資金集めだな」
「えっ!?」
それは予想していなかったのか、大神の表情が驚いたものになり固まってしまった。そんな大神を余所に、ソーンバルケは話を続ける。
「私が花小路の屋敷に世話になっているのは知っているな?」
「ああ、勿論」
「時折、花小路の供をすることもある。それは、お前たちが帝劇を留守にしている間にもあってな。そのときに連れていかれた社交の場で、すみれを見たのだよ」
「ソーンが…社交?」
その光景があまり想像ができなかったのだろう、大神の表情が訝しげになる。
「…何を考えているがわかるが、勘違いはするな」
「え?」
「私が着飾ってあのような場に出席するはずはあるまい。言っただろう? 供としてだと。花小路が社交の場にいる間、私は外で待機だ。そんな折、同じ社交の場にすみれがいるのを見つけてな…」
そこで、ソーンバルケがそのときのことを語りだした。
『ふぅ…』
気分転換のために場を中座し、手入れの行き届いた庭園で一人佇むすみれの姿があった。よく見ればその顔には疲労の色が浮かび上がっている。
『……』
近くにあったベンチに自然と腰を下ろし、不意に自分の肩をトントン、トントンと叩く。そうしてから、すみれは思わず自分の行動に驚いていた。
(わ、わたくしったら、何て真似を…)
思わず辺りを見渡す。見た感じ誰の姿もなさそうなことを確認すると、安堵したようにほっと溜め息をついた。
(情けない…)
そして、自然とそんなことを考えていた。紅蘭とアイリスを除く他の花組の皆は今、自己強化に励んでいる。仔細はわからないが、紅蘭も何やらやっているようだ。そして、それはこれからの戦いに繋がるものであることは想像に難くない。
一人、アイリスだけはお気楽なものだが、彼女は子供である。それに、霊力でいえば花組一なのだ。何もしなくていい…ということもないだろうが、自分とはまた違う領域の住人であることは間違いない。
だからこそ自分は自分のできること…自分でなければできないことをするために残ったのだ。多少の疲労にへこたれているわけにはいかなかった。
(そうですとも…)
そのために折り合いの悪い実家にも頭を下げ、こうして面白くもない社交の場に出ているのだ。他の面々とは違う形ではあるが、自分もまた来たるべき日のために動いているのである。と、
『これは驚いたな…』
どこからかいきなり声を掛けられ、すみれがビクッと身を震わせた。
『だ、誰!? 誰ですの!?』
立ち上がるとその声の主を探すようにキョロキョロと辺りを見渡した。と、
『こんなところでお前と会うとはな…』
また声が聞こえる。今度はその発生源の方向が特定できたためにすみれが振り返ると、そこにはある意味一番すみれが会いたくない人物の姿があった。
『あ、あなた…』
『奇遇だな』
苦虫を噛み潰したような表情のすみれにその人物…ソーンバルケが軽く手を挙げて応えたのだった。
『どうしてここに…』
憮然とした表情ですみれが呟く。
『花小路のお供だ』
『あっ!』
ソーンバルケの答えを聞いて、すみれがしまったという表情をした。ソーンバルケが普段は花小路邸で世話になっており、その絡みで時々花小路の供をやっているというのは聞いたことがあった。しかし、何もこのタイミングで出くわすことになるとは…。
(本当に間の悪い人ですこと…)
よりによって一番見られたくないと言ってもいい人物に見られ、すみれはソーンバルケを睨むことしかできなかった。
『そう怖い顔をするな』
そんなすみれの心中を知ってか知らずか、ソーンバルケはストレートにそのことに言及する。が、その程度で怯むすみれであるわけはない。
『誰が怖い顔ですの!?』
『お前だよ、すみれ』
『本当に失礼ですわね!』
そこで、プイッとすみれがそっぽを向いて、どかっとベンチに腰を下ろした。変わらぬ鼻っ柱の強さに苦笑したソーンバルケがその隣に腰を下ろす。
『資金集めに奔走しているそうだな』
着座直後にそう言われ、すみれはビクッと身体を震わせた。だが、それもほんの一瞬のこと。
『何のことですの?』
いつものようにすっとぼける。
『わたくし、今宵はここでのパーティーを楽しみに来ましたのよ』
『そうか』
『そうですわ。何も知らないくせに、勝手なことを言わないでくださいます』
『確かに、私は何も知らないな。お前が連日いろんなところに顔を出して、休む間もなく動いていること以外はな』
そこで、ソーンバルケはニッと軽く微笑んだ。
『ただ単に遊び惚けているだけなら体調とも相談して考えながら遊ぶだろうに。馬車馬のように出かけている理由はどうしてかな?』
『! よ、余計なお世話ですわ!』
すみれがキッとソーンバルケを睨む。だが、その程度でソーンバルケが怯むはずはなく、涼しい顔は崩れない。それがまた、すみれの神経を逆撫でするのだが。
『面倒な性分だ…』
『ほっといてくださいな!』
『やれやれ…』
完全に臍を曲げてしまったお姫様の姿にソーンバルケは肩を竦める。そして、これ以上はここにいても意味がないと悟ったのだろうか、来て早々だが腰を上げた。と、
『…ちょっと』
不意にすみれが口を開く。
『ん?』
振り返ったソーンバルケを睨みつけながら、しかし心なしか顔は赤くしてすみれがコホンと一つ咳払いをした。
『重々お分かりかとは思いますが、わたくしが何をしていたかは他言無用ですわよ』
『わかったわかった』
相変わらずの面倒くさい性格のすみれに苦笑するソーンバルケ。だが、ここまでくると意地悪の一つぐらい言ってみたくなるのも人情だった。
『が、せめて大神には明かしてもいいんじゃないか?』
『! ちょっと!』
またもキッとソーンバルケを睨みつけるすみれ。そんなすみれに対し、ソーンバルケは意地悪くクククと含み笑いを漏らすと、
『ではな。ここは冷える、お前も早く戻れよ』
とだけ告げ、そのまま去ったのだった。
『少尉に余計なこと言うんじゃありませんことよ!』
慌てて釘を刺すも、ソーンバルケは振り返りもせずにヒラヒラと手を振って返事とした。その態度にまた腹立たしくなったすみれは、結局この後涼を取ることも、ゆっくりと一息つくこともできずに終わったのであった。
「…と、いうことだ」
「そんなことが…」
ソーンバルケから明かされた事実に大神は少なからず驚きを隠せなかった。そして、すみれに対する複雑な思いも浮かび上がる。
(すみれくん…)
それは、やはりすみれはこんな状況下で遊び惚けるような人物ではないということと、そしてそんなすみれを信じ切れなかった自分への自己嫌悪だった。険しい表情になって大神が俯く。が、
「まあ、そういうことだ」
そう言ってソーンバルケが席を立ったのがわかった大神が、うなだれた頭を上げた。
「すみれに対して未だに特訓期間の件で蟠りがあったなら、それはこういう事情だったというわけだ。そこのところの事情を斟酌してやってくれ」
「ああ、わかったよ。ありがとう」
「何の」
そこで話は終わったとばかりにソーンバルケが歩を進めようとしたが、あることを思い出して不意にその足を止めた。
「そうそう、一つ釘を刺しておこう」
「え?」
「この件、私がお前に漏らしたことは他言無用だぞ? あいつが知れば、またキーキーうるさいからな」
「ああ…」
容易にその場面が想像できた大神が苦笑した。
「わかったよ。確かにそうした方がいいみたいだ」
「結構。ではな」
「ああ」
用件を済ませたソーンバルケはサロンを後にした。そして大神も、相変わらず不器用というか損な役回りのすみれの姿を思い浮かべると、クスッと微笑みながらサロンを後にしたのだった。