サクラ大戦 剣聖の新たな道 作: ノーリ
前回の続き、今回は帝劇に加入した先生のその後的なお話です。実際に帝劇の一員として活動するのは次のお話からになります。
では、今回はというと、それは読んでいただければと思います。
では、どうぞ。
(しかし…見れば見るほど私の理解を超えた世界だな…)
とある目的地へ向かって歩きながら、ソーンバルケは時々左右に首を振って周囲を見渡していた。自身は知る由もないが、テリウスの地から太正の帝都へと時間と空間を飛び越えてやってきたのだ。それを考えれば、理解の範疇が及ぶわけもない。歩きながら自分の状況や今後のことについて考えたいが、実はそうもいかなかった。
「ねえ、ソーンさん」
先を進む女性がくるりと振り返った。そして、他愛もない話をしてくるのだ。
(またか…)
目の前の彼女には申し訳ないと思いつつ内心では辟易し、適当に返答しながらソーンバルケはこうなった経緯を思い出していたのだった。
『で、だ』
ソーンバルケが米田からの申し出を受諾した直後、話はまだ終わりじゃないとばかりに米田が口を開く。
『何かな?』
『うちの団員はこの劇場内で寝食を共にする形になってるんだが…』
『ふむ。それで?』
『ああ、実に言い難いんだけどよ。お前さんには申し訳ないが、お前さんはここ住みじゃなくって通いで頼む』
『えっ!? 支配人!?』
米田の発言に驚いたさくらが米田に視線を向ける。が、米田はそれをわかっていながらも敢えて黙殺していた。
『構わない』
それに対し、ソーンバルケの返答もまた実に簡素なものだった。
『悪いな。実はもう、空きの部屋がなくってよ』
『そうか。私としては先ほども言ったように雨露さえ凌げれば何処でもいい』
『ああ、そいつは保証するぜ。保証どころか太鼓判を押してもいい』
そこで米田は机の引き出しを開けると、そこに入っていた一通の封書を取り出した。そして、それをソーンバルケに向けて差し出す。米田の意図を理解したソーンバルケがつかつかと近寄ると、その封書を受け取った。
『これは?』
ソーンバルケが米田に尋ねる。
『紹介状さ』
米田が簡潔に答えた。
『紹介状?』
『ああ。お前さんの住処になる場所の主人に宛ててしたためてある。もう話も通してあるぜ』
『随分手回しが良いな…』
驚きと呆れが入り混じったような口調でソーンバルケが絶句していた。結構食堂で待たされていたが、こうやって根回ししていたのならば成る程納得のいく話だった。
『まあ、この程度の段取りはシッカリ取らねえとな。仮にもこの劇場の責任者なんだからよ』
『成る程』
米田から受け取った紹介状を少しの間裏表反転させたり、ヒラヒラさせていたソーンバルケだが、あることに気付いた。
『では早速指定の場所へ向かおうと思うのだが、その前に一つ』
『? 何だ?』
『申し訳ないが私は何分この辺りの地理には不案内なものでな。一人では目的地へ着けるか非常に心許ないので、案内役をつけくれると助かる』
『そういうことかい、わかったよ』
得心したとばかりに米田が頷く。
『うちの奴を一人案内につけよう』
『すまない。何から何まで助かる』
『何、いいってことよ。ただ一つ』
『何だ?』
『さっき、話は通してあると言ったが、実際に尋ねるのは明日にしてくれねえか?』
『それはまた…何故だ?』
ここまで段取りしておいてと思ったソーンバルケがその理由を尋ねた。
『大したこっちゃねえんだけどよ、先方も中々に忙しい御仁でな。話はつけてはあるが今日はどうしても時間が取れねえんだとよ。そういうことだ』
『成る程』
米田の説明に得心いったようにソーンバルケが頷いた。
『そういうことであれば仕方ないな。わかった、日を改めよう』
『悪いな。だから今日はここに泊まってくれ。ただ、さっきも言ったように空いている部屋はないんで適当なところで休んでもらうことになるが…』
『構わない。私も先ほど言ったが、雨露を凌げるなら贅沢は言わん』
『そうかい。その代わりと言っちゃなんだが、メシはこっちで用意するからよ』
『そうか。すまない』
『気にすんな。こっちの話はもう済んだからよ、下がって休んでくれて構わねえぜ』
『では、お言葉に甘えさせていただこうか』
『おう、そうしてくれ』
『では』
そこで軽く頭を下げると、ソーンバルケは支配人室を後にした。その後、ちょっとしたアクシデントがあったものの一夜を大帝国劇場で明かしたソーンバルケは翌日、早速に案内人と共に米田がしたためた紹介状の主の許へと向かったのだった。
(そうだったな…)
回想から戻ってきたソーンバルケが案内人の先導に従って歩みを進めている。が、その顔は少々浮かなかった。その原因は、現在自身を先導してくれているこの目の前の案内人にあった。
「なぁ…ええと…」
「何ですか?」
楽しそうに微笑みながら彼女が振り返る。その笑顔だけ見れば実に華やかで屈託のないものである。ソーンバルケ自身もそう感じているが、問題はそこではなかった。
「榊原…だったか?」
「違います!」
そこで振り返ってピタッと足を止めると、少し不機嫌な表情になって左手を腰に置き、右手の人差し指を立ててソーンバルケの鼻先へと近づけた。
「由里です!」
「確かにそうとも言われたが、榊原でも間違いではなかったはずだが?」
「だって、苗字呼びだと距離があるじゃないですか」
「? そういうものか? 私としては、そう親しくもないのに名を呼ぶのは逆に馴れ馴れしいと思っているのだが」
「そこは人によるでしょうね。勿論、そういう考えの人だっていっぱいいますし、そこは否定しませんよ。でも、私は名前で呼ばれたいんです」
「そうか」
「ええ。だから、私のことは由里って呼んでください。じゃあ、さん、はい」
「ゆ、由里」
「宜しい♪」
妙な迫力に圧されて彼女…榊原由里の要望通り名前で呼ぶ。と、それに気をよくしたのか、妙な迫力は一変して消え失せ、すぐに上機嫌になった。
(……)
何とも言えない妙な気持ちになり、ソーンバルケがポリポリと頬を掻く。テリウスで味わった緊張感や圧迫感とはまた別物の、しかしそれに勝るとも劣らない変な圧があった。
(女はわからんな…)
呼び方一つにどうしてここまでこだわるのかと思いつつ、同時にまあこれで上機嫌になって納得してくれるなら安いものかとも思い、ソーンバルケは切り替えて本題に入ることにした。
「で、だ」
「はい?」
由里が小首を傾げる。
「いや、目的地はまだなのか聞きたかったのだが…」
「ああ、もうすぐですよ。そう心配しないでください」
「心配しているわけではないがな…」
まあ、違う意味で頭を悩ませてはいるがと内心で思いながら、ソーンバルケはそう答えた。
「あ、ひょっとして…」
と、由里が口元に手を当てて、楽しそうにニヤリと笑った。
(…本当に、こういう笑みを浮かべている連中は碌なことを考えていないな)
今回はそうじゃなければいいのだがと思いつつも、実際は今回もそうなんだろうなと半ば諦観してソーンバルケが口を開いた。
「何か?」
「いやー、私とお別れするのが寂しかったりするんですかぁ?」
(むしろその逆なのだが…)
目の前でニヤニヤ笑っている由里の姿に、ソーンバルケはそう思わざるを得なかった。性格なのだろうか、とにかく由里はお喋りが続くのだ。次から次へと口から話題が出てきて、呆れる他なかったのである。実際、この世界で普通に生活している人間なら共通認識で簡単に答えられるようなことでも、ソーンバルケにとっては返答に窮するものも多く、ほとほと対応に困っていたのだ。はぐらかそうにもどうも目の前のこの女性はそれに納得しないようで、しつこく食い下がってくることが多々あったため実に厄介だった。故に、なるべく早くこの状況下から解放されたかったのである。
そして、こんなことを馬鹿正直に口に出すほどソーンバルケも考えなしではなかった。もし口にしていたら、更に状況が悪化していただろう。その辺の分別はわきまえていたし、テリウスで多種多様な人物と薄い厚いの差はあれど交流していたことも役に立っていた。女性に対しては迂闊なことを言わない方が身のためなのである。そのため、
「…それもあるが、いつまでも私の案内にお前を使うのも心苦しいのでな」
と、ソーンバルケは半分しか思ってない返答を伝えてお茶を濁すことにしたのだった。
「もう、やだぁ♪」
が、由里は言葉通りに受け取ったようで、一瞬固まった後、頬を赤らめながらバシバシとソーンバルケを叩いていた。
「止めてくれ。女の細腕とはいえ、鬱陶しい」
「あ、ごめんなさい」
指摘されてペロッと舌を出すと、由里が再び歩き出す。
「それより、目的地だが…」
「後もう少しですから」
「…そうか」
本当にそうなのかと聞きたかったソーンバルケだが、その言葉をグッと呑み込んだ。実はこのやり取り、これまでも何回かしているのだが、その度に由里の返答は同じものだったからだ。本当に大丈夫なのかと疑ってはいるソーンバルケだが、だと言ってこの世界のことが右も左もわからない自分では目的地の場所まで辿り着けるとは思えなく、仕方なしに従うしかなかった。実際、ここまで来るのに使った交通機関…蒸気列車や蒸気バスなどはテリウスではお目にかかったことのない代物ばかりである。利用方法のわからないものを駆使して移動などできるわけもないソーンバルケには、由里に案内してもらうしか目的地に辿り着く手段はなかったのだ。
(信用するしかないのは百も承知なのだが…)
何度聞いても返答が変わらない由里に対して、本当に大丈夫なのかという疑念が湧くのは仕方なかった。しかも、由里は相当なおしゃべり好きであり、基本物静かなソーンバルケにはかなり対応に困るタイプであっただけに、余計に心労が重なっていたのだ。
そんなソーンバルケを哀れに思ったのか、ようやく救いの神が手を差し伸べてくれた。
「はい」
とある場所で由里が足を止めると、くるりと振り返る。そして、
「着きましたよ」
と、腕を脇に延ばしてそこにある邸宅を指し示した。
(ようやくか…)
ここに来るまでに心労で随分とグッタリしていたソーンバルケだったが、それは表面に億尾も出さずに由里が指し示した方向に顔を向ける。
「随分と…」
その邸宅を見て、思わずソーンバルケが口を開いていた。
「立派な屋敷だな」
「ええ」
由里が頷いた。
「知っているのか? この屋敷の主人を」
その由里の様子に少し引っかかったソーンバルケが尋ねる。
「ええ。お仕事絡みで、よく存じてます」
「成る程」
由里の返答にソーンバルケが得心いったように頷いた。米田の紹介なのだ、その下で働く由里が知っていても何の不思議もない。
「それじゃあ、私はこれで帰りますね」
任務を終えた由里がソーンバルケにそう告げる。
「わかった。済まなかったな、案内してもらって」
「いえいえ、たまには遠出もいいものですから。それに、面白いお話もいっぱい聞けましたしね」
「そんなことはないと思うが…」
思い返してみても、ソーンバルケは自分が由里と和気藹々と会話していたとは到底思えなかった。最初こそ、失礼がないように無難に応対していたが、余りにも次から次へと話題が続くので途中から辟易しており、最後は結構雑に扱っていたはずだったからだ。
だが、目の前の由里からはそういた気配が見えない。先ほどまでと変わらずニコニコしているので、もしかしたらこの女は自分の好きなように好きなだけ喋れれば幸せなのかもしれないとソーンバルケは認識していた。
(私には到底理解不能な領域だが…)
しかしこれから同僚になる以上、多少なりとも接触・交流は不可欠になる。目の前のこの女性に対しては、必要以上に深入りするのは絶対に避けるべきだなとソーンバルケは改めて思ったのだった。
「じゃ、また明日♪」
「ああ」
「ちゃんと来てくださいね」
「わかっているさ」
「♪」
最後に軽くウインクすると投げキッスを飛ばし、由里はその場を後にしたのだった。
(どうも…掴みどころがないというか、ペースを乱されるな…)
新たな悩みの種になりそうな人物の登場に内心で溜め息をつき、ソーンバルケは邸宅の門へと向かったのだった。
「失礼します」
邸宅内。現れた家人に米田からの紹介状を見せると、米田の言った通り話は通っていたのだろう。すぐにソーンバルケを引き連れてある部屋の前までやってきていた。そして家人が、とある部屋のドアをコンコンとノックする。
『うむ』
中から男の声が聞こえた。声色からして随分壮年…米田と同年代っぽい感じを受ける声色であった。
部屋の主人の同意を得て家人がドアを開けると、その中に入っていく。その後について同じく中に入ったソーンバルケは、正面にいるこの部屋の主に目をやった。そこにはソーンバルケの予想通り、米田と同年代ぐらいの壮年の男が椅子に座ってジッとこちらを見ていた。
「お連れしました」
「うむ、ご苦労」
家人の言葉に男が頷いた。
「では、私はこれで」
「うむ」
家人はペコリと頭を下げると、早々に部屋を退出していった。そうなると当然、部屋の中には男とソーンバルケの二人が取り残されることになる。
「…君が、米田君の言っていた御仁か」
机の上で手を組むと、男がそう口を開いた。
「米田がどういうことを言っていたかは私にはわからないが、まあ、そうだ」
それに対し、ソーンバルケが無難に返答する。
「ふむ。とにかく米田君から話は聞いておる。まずは自己紹介といこうか。私は花小路頼恒。伯爵とも呼ばれている」
「私の名はソーンバルケ。米田と貴方の間でどのような話があったのかは私のわかるところではないが、まずは受け入れてくれたことに感謝する」
「何、他ならぬ米田君の紹介だからね」
そこでお互い、フッと表情を崩した。
「君のことは、何と呼べばいいかね?」
花小路がソーンに尋ねた。
「ソーンでいい。大体この略称を使われるからな」
「そうかね。では、私もそうさせてもらうよ」
「了解した。では、私は何と呼べばいいかな?」
「好きにしたまえ。大体は姓の花小路か、爵位の伯爵と呼ぶかな」
「では、伯爵で」
「わかった」
花小路が了承の意を示して頷いた。
「部屋は既に用意させてある。後は実際に見てもらって、何か不自由があれば後で伝えてくれ」
「わかった」
「それと、これも米田君から頼まれて、なのだが…」
「何か?」
「うむ。君の身元引受人に私がなろう」
「何?」
そんなことを言われるとは全く想像しておらず、ソーンバルケは固まってしまっていた。思いもかけずに雨露を凌げる場所を提供してもらっただけでも十分なのだが、その上にこの待遇。流石に話が上手すぎる。
(米田もこの話をもちかけてきたのは、間違いなく善意だけではないだろうが…)
どんな裏があるのかと流石に警戒したソーンバルケは、どういうことかを取りあえず正直に聞いてみることにした。
「それはありがたいが、いいのか?」
「何、構わんよ。その代わりだが、頼みごとがある」
「そうか」
内心でソーンバルケがホッとする。旨い話には裏があるというが、その裏を晒してくれるのならありがたい。
(もっとも、全部晒すかどうかはまた別の話ではあるがな)
そんなことを考えながら、ソーンバルケは花小路の頼みとやらに耳を傾けた。
「頼みごとというのは大したことではない。私が君の力を借りたいときに私に力を貸してくれればいい」
「…今一つ、ハッキリとわからんな」
「ふむ、では単刀直入に言おう。つまりは私の護衛をお願いしたい」
「護衛…ね」
その言葉を口に出したことで、ソーンバルケは何となく花小路の立場が分かったような気がした。護衛が必要ということはつまり、花小路はしかるべき立場の人間ということで、同時にそういうものが必要に立場でもあるということだ。
(街並みだけ見れば一見平和だったが…)
どうやらこの世界でもキナ臭いものはあるようだとソーンバルケは思った。もっとも、さくらとのファーストコンタクトであんな甲冑とやりあったぐらいなのだから、寧ろキナ臭くて当たり前なのかもしれないが。
そんなソーンバルケの内心に気付いているのかいないのかはわからないが、花小路が話を先に進める。
「米田君から聞いている。ソーン、君は中々の剣腕だそうではないか」
「さくらからの又聞きだろう。買い被りすぎかもしれないぞ」
「そうかね? 私はそうは思わん」
「何故だ?」
「君も気づいているだろうが、米田君とてそれなりの腕の持ち主。その米田君が、君の実力を評価しているのだ。十分な理由だよ」
「評価してもらえるのはありがたいがな…」
ここまで手放しの評価に、流石にソーンバルケも面映ゆくなった。
「過大評価かも知れんぞ?」
「そうかね? まあその辺りは、おいおいわかってもこよう」
「…まあ、それだけ期待されているのであれば、それに見合うだけの働きはするように努めよう。これでいいかな?」
「十分じゃよ」
ソーンバルケの返答を聞いた花小路が笑みを浮かべた。だがすぐに表情が戻る。
「基本は帝劇の仕事についてもらって構わない。ただ、私が君を借り受けたいときにはこちらを優先してもらう」
「それも、米田との話し合いで決まったことか?」
「いかにも」
「成る程、了解した」
「商談成立だな」
花小路は椅子から立ち上がると、スッと右手を差し出した。ソーンバルケはゆっくりとその手を握る。
「では、どれほどの付き合いになるかはわからんが、よろしく頼むよ」
「わかった。こちらこそ」
「うむ」
握手を解いて椅子に座ると、花小路はどこかへ連絡した。少しして、部屋のドアがノックされた。
『お呼びでしょうか』
「うむ、入りたまえ」
その呼びかけに従って、先ほどとはまた違う一人の家人が部屋に入ってきた。
「彼を部屋に案内してくれたまえ」
「かしこまりました。では、こちらへ」
家人に促され、ソーンバルケは頷いて歩き出す。そしてそのまま、二人は連れ立って部屋を出て行ったのだった。
「ふーっ…」
ソーンバルケを送り出した後、花小路が疲れたように大きく息を吐きだした。そして、ドッと椅子に深くもたれかかる。
「やれやれ…」
先ほどまでのことを思い出しながらボヤくように呟く。その脳裏に浮かんだのはソーンバルケではなく、米田の姿だった。
(確かに掘り出し物かもしれんが、中々の難物でもありそうだぞ。邪な気配は感じなかったが、上手く関係を築けるのかね、米田君)
花小路とて今までそれなりに修羅場を潜り抜けてきた人物。だからこそ、ソーンバルケが難物なのを肌で感じとり、手許に置くことに一抹の不安を感じているのだ。
(帝撃の構想に組み込むか否かはわからないが…)
期待よりも不安の方が大きいと感じさせる、花小路にとってはそんなソーンバルケとのファーストコンタクトになったのだった。
「では」
「ああ、ありがとう」
ソーンバルケにペコリと一礼すると、家人は部屋を出て行った。一人宛がわれた、自室となった部屋のベッドの上に腰を下ろすと、腰に佩いていたヴァーグ・カティを脇に置き、そのままベッドに身体を横たえる。
「ふーっ…」
全身が心地良い柔らかさに包まれ、ソーンバルケが大きく息を吐きだした。軽く目を閉じると、先ほどまでのことを思い出す。
(米田に花小路か…)
食えん連中だというのが正直な感想だった。表向きはさくらを救ったことと剣の腕を見込み、なにより行く宛てがないということでこんなことになったが、それを頭から信じるほどソーンバルケもお人よしではない。
(私をどうしようというのか…。あるいは、私に何をやらせようというのか…)
それとも何か別の目的があるのかもしれないが、何かしら腹に一物二物持っているのは察することができた。それでも米田や花小路にとりあえず厄介になるのを決めたのは、彼らからは悪意を感じられなかったからだ。
かつてのベグニオンの元老院連中のようなわかりやすい愚物だったら当然申し出を拒否したのだが、彼らにはそういった気配は感じられなかった。無論、二人がそんな気配を噯気にも出さなかったとも考えられるが、あの二人よりも実は遥かに長く生きているソーンバルケは、これまでの経験からその辺を見抜くのにはそれなりに自信があった。にもかかわらず、あの二人にはそういった邪な念が見受けられなかったのである。
(では何を…目的は一体…)
自然、考える先はそこに行きつく。そして、それはいくら考えても答えは出ない。そんな堂々巡りを続けているうちに、これまで蓄積した疲労もあってソーンバルケは意識を手放していたのであった。
コンコンと室内にノックの音が響き渡る。
『失礼します』
「おう、入んな」
部屋の主、米田がノックをした人物の声色で誰が訪ねてきたのかわかり、室外に声をかけた。支配人室のドアが開くと、果たしてそこには予想通りの人物が立っていた。
「司令、ただいま戻りました」
そしてその人物はそのまま支配人室に入ると、米田『司令』に敬礼をする。そこにいたのは、榊原由里だった。
「御苦労さん」
報告した由里に対し、米田がまずは労いの言葉を掛ける。
「悪かったな、こんなこと頼んでよ」
「いえいえ、たまには外出もいい気分転換になりますから」
敬礼を解いた由里がそう言うと、茶目っ気タップリにペロッと舌を出した。
「…ったく、しょうがねえ奴だな」
その由里の様子に、米田が思わず苦笑を浮かべる。だがすぐに表情を引き締めた。
「さて、んじゃ報告を聞こうか」
「はい」
由里も一変して真面目な表情になる。だが同時に、その表情は曇ってもいた。
「と、言いたいところなんですけど…」
「ん?」
由里には珍しい歯切れの悪い返答に、米田の眉がピクリと動く。
「どうしたよ?」
「いえ、お恥ずかしい話なんですけど、実はほとんど情報らしい情報を引き出せなかったんです」
「ほーぉ」
苦悩している様子の由里だったが、米田は驚くでもなくがっかりするでもなく冷静な反応を返してきた。
「? 司令?」
その米田の反応に由里が首を傾げる。自分の任を全うできなかったこともあり、あまりいい顔をされないのは覚悟していたのだが、由里の思惑に反して米田は渋い表情をしているものの由里を咎めようというような雰囲気は出していなかったからである。
「やっぱり、難しかったか」
「申し訳ありません。でも、司令?」
「ん?」
「その口ぶりだと、最初からあまり期待していなかったんじゃありませんか?」
「ま、お前には悪いけどな」
米田がいつものように楽しそうにニヤリと笑った。
「雰囲気や立ち居振る舞いから、簡単に隙を見せてくれそうな奴じゃねえのはわかってたさ。それでも、お前の話術ならもしかしたらって思ったんだが…。やっぱり無理だったか」
「そうですか。…でも」
「ん?」
「…何か、当て馬に使われたようであんまりいい気はしませんね」
「その点は悪かったよ」
苦笑しながら米田が謝罪する。
「けど、お前の話術を見込んでってのは嘘じゃないぜ」
「後でなら何とでも言えますよね」
「おいおい、臍曲げんなよ」
「曲げてません!」
ムッとした表情でそう言われても説得力は皆無なのだが、これ以上下手なことを言うと余計に話が拗れるのはわかっているので、米田はこの話題はここで打ち切ることにした。
「聞き出せた情報については皆無か?」
米田が再び司令の顔に戻ったのを察知した由里が、こちらも表情を改めて頷く。
「はい。おぼろげなことならいくつかは聞けたんですけど」
「ほぉ? 言ってみろ」
「出身地は遠いところだと言ってました。ただ、ハッキリと国名は言わなかったです。年齢もお前たちが考えるよりは上なのは間違いないと。剣の腕については必要に迫られて強くなるしかなかったと、これぐらいです」
「成る程」
由里の成果を聞いた米田が椅子に深く座り直す。
「見事にはぐらかされたわけか」
「申し訳ありません」
「いいさ。最初から難題だったのはわかってたんだ。何か少しでも情報が拾えたらって思っただけだしな。…おっと、こんなこと言っちゃお前に失礼か?」
「…まあ、いい気はしませんけど。事実だから仕方ないです」
「そっか。ただ、お前でさえその程度しか拾えなかったんなら、他の連中じゃもっと無理だったろうよ。それを考えれば、他愛ない情報でも拾えただけ十分さ」
「ありがとうございます」
「…もっとも、それもあいつが嘘ついてなければ、の話なんだけどよ」
「そうですね」
米田の一言に由里が頷いた。由里が聞き出した情報が本当である保証はどこにもないのだ。それを考えると当然のことといえた。
「とにかく、ご苦労だったな。今日はこのままあがっていいぜ」
「え!? いいんですか!?」
一瞬で由里の顔がぱあっと明るくなる。その変わり身に苦笑しながら米田が頷いた。
「ああ。かすみや椿に聞いたら、急ぎの仕事もないみたいだしな」
「ありがとうございます♪ では」
米田の許しを得た由里はすぐに敬礼をし、小躍りしながらそそくさと支配人室を後にしたのだった。
「さて…」
由里がいなくなった支配人室で、米田が一人思案顔になっていた。思いを巡らせるのは勿論、ソーンバルケについてである。
(あわよくばと思っていたが、やっぱりダメだったか)
先ほどの由里からの報告を米田が今一度思い出していた。ソーンバルケに案内を頼まれたときに真っ先にその人員として頭に浮かんだのが由里であった。何せ由里は帝撃一の情報網の持ち主である。それが目に余ることもあるが、こういう時はその好奇心が大きな武器になる。何とか個人的な情報を、何でもいいから聞きだせないものかという思いがあって、その密命を由里に伝えた上で米田は由里にソーンバルケの案内を任せたのだった。しかし、結果はと言えば今の報告通り。決して芳しいものとは言えなかった。無論、米田がそこまでしたのには理由がある。簡単に言えば身辺調査だ。
さくらを助けて甲冑…ソーンバルケは知る由もないが、『脇侍』という名称のそれを斬り捨てたという実力。そして、実施に相対して感じ取った隙のなさに全身から醸し出される只者ではない風格。決して捨ておくのは得策ではないと一瞬で理解した米田が、是非手許に置いておきたいと判断したのだった。とは言え、そこは素性のしれない人物。偶然を装いつつ、何かしらの思惑を持って接触してきたというのも十分に考えられた。そのため、何でもいいからソーンバルケのパーソナルな情報が知りたかったのである。そして、その役目を与えられたのが他ならぬ由里だったというわけだ。ただ残念ながら、その成果は得られなかったが。
(連中を動かすか…)
望むものが手に入らなかったため、自然と次善の策を考えることになる。
(どちらにしても、以降はあやめくんと相談することになるだろうな。それと、伯爵にももう一度連絡を取らねえと)
今回のことで半ば強引に花小路に頼み込んだこともあり、その時のやり取りを思い出して米田は苦笑していた。独断で、しかも素性の知れない人物を帝撃に所属させることに花小路は大分難色を示していたのだが、米田が強引に押し切ったのである。さくらからの聞きかじりでしかないが、その実力を評価したのが理由の一つ。そしてもう一つは、ソーンバルケからは全く邪悪な気配が感じられなかったことだ。
霊力が重要な要素の部隊を構成する機関の長として、隊員たちほどではないが米田にもそれなりにそれを感じ取る能力がある。加えて隊員たちにはない、豊富な人生経験による人物鑑識眼にも多少なりと自負があった。そしてそのセンサーが、ソーンバルケを敵ではないと判断したのだ。
(後は、俺たちの真の姿をいつどのように明かすかだが…)
そこいらもあやめくんと相談だなと米田は考えていた。霊力という点でソーンバルケにその資質があるかと言われればそれはわからない。光武…霊子甲冑に搭乗できればまさしく言うまでもないのだが、さすがにそれは高望みしすぎだと米田は思っていた。それに、それにふさわしい候補はもう目星がついていることもある。霊子甲冑には乗れずとも、さくらが絶賛するだけの実力があるのならば違う運用も十分可能だった。
(勿論、あいつが頷いてくれれば…だが)
骨が折れそうな難物ではある。だが、戦力として迎え入れれば非常に心強い存在であるのも間違いなさそうだった。
(鬼が出るか蛇が出るか…)
あるいはそれ以上の玉手箱かもしれねえなと米田は思った。そして、不謹慎なのは重々自覚しているが楽しみで久しぶりにワクワクもしていたのだった。
流浪の剣聖と使命を背負った少女たち。そして、それを束ねる触媒との物語はここより始まる。その出逢いが何をもたらすのかは、今は誰にもわからなかった。