サクラ大戦 剣聖の新たな道 作: ノーリ
では、どうぞ。
「赤い月…か」
大帝国劇場、深夜。見回り中の大神は中庭に面した窓から夜空を見上げた。そこには大神の呟き通り、真紅に染まった月が中空に浮かんでいる。心なしかいつもより大きく見え、まるでこの帝都を飲み込んでしまいそうな気がした。
「不気味な夜だな…」
そのため、自然とそんな言葉が大神の口から出てくる。非常事態ということもあってソーンバルケが暫く帝劇に駐留することになり、今まで大神が一手に引き受けていた夜の見回りを手分けすることになったため、そんな言葉を口にする余裕も出たのかもしれない。
「さて、後は地下を見まわって、と…」
ソーンバルケとの話し合いの結果、一階と地下部分の見回りが今日の担当である大神がそのまま階段を下って地下へ降りた。
「地下の方は大丈夫かな…」
いつも以上に注意を払って地下に降りる大神。先ほど明かされたことではあるが、魔神器がここにあると知った以上、地下はいつも以上に厳重に見張らなければならない。と、
「ん?」
そこには大神の予想しえない人物の姿があった。
「あ…あれ? あやめさん?」
そこには、あやめの姿があったからである。それだけならまだおかしなところはないのだが、その様子がおかしかった。まるで夢遊病者のようにフラフラとした足取りで歩いているからだ。
(???)
どうしたのだろうと気になった大神があやめに近づく。同じ頃、
「異常はなし…か」
大帝国劇場二階にて、ソーンバルケが見回りを終えていた。途中、花組の何人かと会って会話をかわしたが、その連中ももう自室に戻って休んでいるはずだ。
(しかし…)
見回りを終えたソーンバルケの表情が心なしか険しくなる。それは肌に纏わりつく空気だった。
(妙にヒリつくな。…どうにも嫌な感じだ)
野生の勘とでもいうのか、あるいはべオクとラグズの両方の血を引くが故の鋭敏な嗅覚とでもいうべきか、ソーンバルケは妙な胸騒ぎが抑えられなかった。とは言っても見回りでは異常はなく、敵が侵入していたらこんな静かであるわけはない。それを考えれば今、何も起こっていないという何よりの証左ではあるのだが、それでも感じるどうにも嫌な感じは収まらず、肌をヒリつかせていた。
(大神の様子を見てくるか…)
そんな考えが自然と浮かんだソーンバルケは一階へと向かう。そして一階の各所を軽く確認した。だが、大神の姿はない。
(であれば…)
ソーンバルケは地下へと足を向けた。その少し前に、大神は様子のおかしいあやめに声を掛けたのだった。
「あやめさん…どうしたんですか?」
すると、
「うっ…くっ…うっ…!」
急にあやめが表情を歪ませると苦しそうに悶え始めた。
「あっ! あやめさん! どうしたんですか! 大丈夫ですか!?」
慌てて大神があやめに近寄る。が、
「う…うう…」
あやめは意味のある言葉を発することなく、自らを抱きしめるようにしながら苦悶の表情で悶えていた。
「ど、どうしたんですか!?」
その尋常ならざる様子のあやめに大神がその顔を覗き込む。と、いきなりあやめが大神の胸ぐらを掴んで持ち上げたのだった。
「う、うわぁ! …ぐっ、うっ!」
ワイシャツによって咽喉が締め付けられ、苦しさに大神がもがく。
(な、何を…)
首が締まって呼吸が困難になっていく中、大神は必死にあやめの暴挙をやめさせようとその手を伸ばした。そのときにその目に映ったあやめの顔は、とてもあやめのものとは思えないほど凶悪なものになっていた。
「あ…あやめさん…」
必死に呼びかける大神。だが、あやめの表情もそして腕の力も弱まる気配はない。このままでは…薄れそうな意識の中で大神の頭に最悪の結末が浮かんだそのときだった。
「御免!」
誰かの声が聞こえ、その直後に大神が…正確に言えば大神を持ち上げたあやめが吹き飛ばされた。
「うっ!」
突然の横からの衝撃にあやめが短く呻きながら吹き飛んで、その拍子に大神にかけていた手を放す。
「ぐっ…がはっ…」
九死に一生を得た大神が酸素を求めて荒い呼吸を繰り返す。そうしながら自分を助けてくれたであろう人物を見上げると、そこにいたのはやはりソーンバルケの姿だった。ソーンバルケが地下に到着した直後、遠目にあやめが大神を持ち上げてその首を絞めているのに気が付いた。
(! 何を!?)
その光景に驚いたソーンバルケだが、黙って見ているわけにはいかない。瞬時に走り出すと、
「御免!」
と、横からあやめに当て身を食らわせたのだった。
「無事か?」
あやめの暴挙から逃れることのできた大神に、まずは安否を尋ねるソーンバルケ。
「あ、ああ…」
そうは答えるもののまだ苦しいのだろう。何度か荒い呼吸を繰り返す。そして、ようやく落ち着いた。
「助かったよ、ソーン」
「何の」
相棒が大事なさそうなことに一安心といった様子でソーンバルケの表情がようやく少し崩れた。
「しかし…一体何が?」
「俺にもわからないんだ」
まだ違和感があるのだろう。しきりに咽喉を抑えて咳ばらいを繰り返しながらゆっくりと大神が立ち上がった。
「ただ、フラフラとここを歩いているあやめさんを見かけてね。どうしたんだろうと思って声を掛けたら…」
「あんなことになった…と?」
ソーンバルケのその問いに、大神が無言で頷く。
「俄かには信じがたいが…」
大神の言葉を疑うわけではないが、かと言ってあやめが大神の首を絞めたというのもまた事実。そしてそれは、当の大神本人も同じ思いだったようだった。
「俺もだよ。でも、実際に起こった以上は…」
「うむ。信じるしかないな…」
そうして二人はあやめを見下ろす。
「う…」
気が付いたのか、あやめが短く呻いて頭を上げた。
「わ、私…」
そうして、短く頭を左右に振りながら見上げる。そこには、自分を見下ろしている大神とソーンバルケの姿があった。
「大神くん…ソーン…」
「だ、大丈夫ですか、あやめさん?」
「…」
「…わからないの」
大神の問いに俯きながら力なくフルフルと首を振ると、あやめがゆっくりと立ち上がった。その姿に、ソーンバルケが厳しい視線を送ったが、同時にその表情は何ともやり切れないものになっていた。と、その直後、警報が帝劇に鳴り響く。
「警報!?」
「敵か…」
この大事なときにという思いを二人で抱きながら、大神とソーンバルケはあやめに目を向けた。本来ならばすぐに戦場へ出るべきだが、こんな状態のあやめを残しておくわけにはいかない。そのため、
「行け」
ソーンバルケがそう口を開いた。
「ソーン」
「大神、警報が鳴ったとあればいつまでもここでこうしているわけにもいかないだろう。幸い…と言うのは語弊があるが、恐らく私の出番はあるまい。だから、藤枝女史は私が面倒を見よう。お前は外の敵を」
「しかし…」
大神が口ごもった。ソーンバルケの言っていることはわかる。わかるのだが、だからと言ってあやめを残していくのはどうしても気が引けてしまう。大神にとっては正直な思いだった。が、
「いきなさい、大神少尉!」
他ならぬあやめ自身が大神を叱責する。
「あやめさん、しかし…」
「何をぼさっとしてるの! 出撃よ!」
大神が困った様子でソーンバルケに顔を向けた。判断を仰ぐように。そんな大神に、ソーンバルケは力強く頷くことで返したのだった。
「わかりました」
正直言えば後ろ髪は惹かれるのだが、こうなってしまった以上はどうしようもない。それに、敵を放っておけないのも事実。
「あやめさんを頼んだよ」
「承知」
そのソーンバルケの言葉を聞いて頷くと、大神はその場を後にした。
「行ったか…」
大神の後ろ姿を見送りながらソーンバルケが呟く。ここに残りたい気持ちはわからないでもないが、敵が出てきた以上はそうもいかない。それに、どういう事情があったかはわからないが先ほど大神があやめに襲われていたのは事実なのだ。それを考えると、大神をこの場に残しておくわけにはいかなかった。と、
「う…ううっ…」
あやめが再び苦しそうに己の身体を抱きしめながら悶え始めた。
「藤枝女史」
その声を聞いたソーンバルケがすぐにあやめを気遣う。と、
「ソーン…お願いがあるの」
荒い呼吸を繰り返しながらあやめがソーンバルケにそう告げた。
「何か? 私でできることならば」
切羽詰まっている状況が手に取るようにわかるだけに、可能ならば了承するのは問題なかった。そんなソーンバルケに対してのあやめからのお願いというのは、
「私を…強く抱きしめて…」
という、およそ普段のあやめからは考えられないような内容のものだった。
「何?」
そのお願いに、思わずソーンバルケの動きが止まってしまう。
「お願い…早く…」
一瞬聞き間違えたかと思ったソーンバルケだったが、あやめの発言内容に変わったところはない。それはつまり、聞き間違えではないということを意味していた。そして、
(そうは言われても…)
二の足を踏んでしまうのも仕方のないところであった。ハッキリ言ってしまえば個人的には花組の面々や三人娘以上にあやめとは色々あった。それだけに思うところがないわけではない。そのあやめの望みとあれば頷くべきなのだろうが、それでも内容が内容だけに簡単に頷くことはできない。そのため、ソーンバルケとしては珍しく二の足を踏んでいると、
「早く…お願い…」
変わらぬ様子でせっつかれ、進退窮まったソーンバルケは覚悟を決めた。
「では…」
恐る恐るというわけでもないが、それでも勢いよくというわけにもいかず、ソーンバルケがあやめを抱きしめる。
「あ、ありがとう…」
「いや…」
抱きしめてありがとうというのもなかなかないシチュエーションだなと、半ば現実逃避気味にソーンバルケが考える。そうしていると、ようやく楽になってきたのか、あやめの顔色が僅かながらに良くなってきた。
「大丈夫か?」
「え、ええ…」
ソーンバルケの問いかけにそう答えるあやめ。そうは答えてはいるものの、実際大丈夫でないのはすぐにわかるのだが。顔色は幾らか良くなったとはいえまだ悪く、唇を震わせている。
「率直に聞くが、何があった?」
密着させていた身体を離すと、単刀直入にソーンバルケがそう切り出した。
「今のこんな状態もそうだが、大神にあんな真似をするなど…」
「ごめんなさい…」
「いや、謝罪を望んでいるのではないのだが」
「ごめんなさい…」
「……」
何を聞いても実のある話が得られそうにない状況に、ソーンバルケは嘆息するしかなかった。
「それよりソーン、あなたも作戦司令室へ…」
「何を言う。今のお前を一人にするわけにはいかないだろう」
呆れたようにそう呟くソーンバルケ。どこからどう見ても尋常ではない様子のあやめを置いて、作戦司令室に向かうなどソーンバルケにはできない。
「残念なことだが、どうせ私がいてもあまり意味はない。出撃となれば尚更だ」
「でも、司令の補佐が必要だわ」
「ならばなおのこと、このままにしてはおけん」
そう言うと、ソーンバルケは無理やりあやめを抱え上げた。俗に言う、お姫様抱っこの体勢だ。
「何を…!?」
「ジッとしていろ。部屋まで送り届けたら司令室に向かう」
「…わかったわ」
少し逡巡したあやめだったが、どうすることもできずに頷いた。元々腕力や体力でソーンバルケには敵わないのはわかっていることに加え、今は体調が最悪であるため抵抗しても何もできずに終わるだろう。だったら、さっさと運んでもらってソーンバルケに司令室に向かってもらった方がいい。それに、身体がどうしようもない状態であるのもまた事実である。
「ごめんなさい…」
「その言葉はもう聞き飽きたぞ」
苦笑すると、ソーンバルケはあやめを抱えたまま彼女の自室へと向かったのだった。
「少しは楽になったか?」
あやめの自室にて。すぐに布団を敷いてその上に彼女を寝かせたソーンバルケがそう尋ねる。
「ええ」
弱々しく微笑むあやめ。その表情から今言ったことが嘘だとはわかるが、それを咎める術もない。
(責任感が強いと言うべきか、人に弱みを見せられないのを哀れに思うべきか…)
どう判断して答えていいかわからず、ソーンバルケは
「そうか」
と、良いとも悪いとも言わない無難な返答で終わったのだった。
「まあ、少し休め。米田には私が伝えておく」
これ以上ここにいてもあやめの邪魔になるだけと判断し、ソーンバルケが腰を浮かせた。と、
「待って」
そのソーンバルケをあやめが止める。
「何だ?」
「あなたに、お願いがあるの。ソーン…」
「私に?」
あやめが静かに頷く。
「内容にもよるが…」
「そう…。そうよね…。でも、聞いてほしいの」
「…言ってみろ」
こんな状態の人間にそう言われてもあまりいい予感はしないため、少し渋面になりながらソーンバルケがぶっきらぼうにそう返す。その心情がわかったのか、あやめは少しだけ申し訳なさそうな顔をしたが、今となっては前言を翻すこともできずに自分の懐に手を入れると、あるものを差し出してそれをソーンバルケに渡した。
「…これは?」
それを目にしたソーンバルケが尋ねる。あやめの手に握られていたもの…それは彼女の愛用している銃だった。
「受け取って…」
「何故だ?」
「いいから」
「……」
ソーンバルケが黙ってそれを受け取る。断っても良かったのだが、おそらく了承するまであやめは自分の意見を引っ込めることはしないだろう。それが何となくわかってしまったために、ソーンバルケは渋々ながらそれを受け取ったのだった。
「ありがとう…」
ソーンバルケが自分の銃を受け取ったことにホッとしたあやめが礼を言う。
「…で、これは何のつもりだ?」
受け取ったはいいものの銃を持て余しながら、ソーンバルケがあやめに尋ねた。
「もしも…もしも私に何かあったら、そのときは迷わずその銃で私を撃って…」
「……」
あやめのその『お願い』に対してソーンバルケは何も答えなかった。ただ困惑する表情を見せるのみである。
「…もしも、とは?」
あまり考えたくないことではあるが尋ねないわけにもいかず、ソーンバルケがあやめに尋ねた。
「わかるでしょう?」
それに対し、あやめは寂しげに微笑みながらそう答えるだけである。
「…嫌だと言ったら?」
あやめから手渡された銃を相変わらず手の上で持て余しながらソーンバルケが尋ねる。
「そのときは…」
何かを続けようとしたあやめだったが、ハッとした表情になって首を左右に振ると黙り込んだ。
「藤枝女史?」
「何でもないわ…」
そしてまた弱々しい表情に戻る。
「御免なさい、少し休ませてもらえるかしら」
「わかった」
「御免なさい…」
「気にするな」
「私はもういいから、司令の方をお願い」
「承知」
ソーンバルケがゆっくり立ち上がると踵を返して外へ出ていこうとする。と、
「ソーン」
その足をあやめが止めた。
「何か?」
「前にもこれは言ったけど…」
「うん?」
「あの子たちのこと…お願いね」
「…ああ」
いつものようにぶっきらぼうにそう返した姿が何だか妙におかしく、あやめは思わずクスッと微笑んでしまっていた。
「では」
「ええ…」
そこを最後に、ソーンバルケはあやめの自室を出ていく。そして誰もいなくなった自室で、
「ふぅ…」
横になりながらあやめは一息ついた。そして、先ほどのことを思い出す。
(何を考えていたの…私)
思い出したのは先ほどのこと。あやめがソーンバルケに対し、自分に何かあったら銃で撃てと言ってそれを拒否されたときのことだった。
(殺す…だなんて)
ソーンバルケに拒否されて最初に出てきた感情。それは残念とか怒りではなく、『殺意』だった。自分の言うことを聞かないのであれば殺してしまおうといった感情が自然に湧き出てきたのである。それに気づき、慌ててそれを押さえ込んだからよかったものの、もしあのままその感情に身を任せていたら本当にソーンバルケを襲っていたかもしれない。殺していた…ではなかったのは、返り討ちに遭う可能性もあったからだ。銃火器を渡している以上その可能性は限りなく高かったが、不思議とあやめは負ける気がしなかった。
その、暗い感情に身を任せ掛けたところで、慌てて理性を振り絞ったのがあのときのことだった。
(私は…一体…)
解けぬ感情、囚われぬ想いに頭を悩ませながら暫くあやめは悶えるのであった。一方、
(何とも…)
あやめの自室から出た直後、その扉に背を預けてソーンバルケが疲れたように溜め息をついた。そして、あやめから預かったもの…彼女の銃を再び手に取る。
(妙なことになったものだ)
それを三度持て余しながらそんなことを考えた。さっきのあやめの様子は間違いなくおかしかった。自分に及ばぬところではあるが、恐らく何かしらがあやめの身に起こっているのだろう。そして、そのあやめの様子がソーンバルケに嫌なことを思い出させる。
(『血の誓約』…)
かつてテリウスを滅茶苦茶にしたあの件を思い出してソーンバルケの表情が曇る。あれがまんまここにあるとは考えていないが、それと似たようなものがここにないとは限らない。そして、あやめの尋常でない今の状態がそれによるものだとしたら…
(辻褄は合う)
大神に対してあんな暴挙に出た理由と、そして最近のあやめのおかしな様子を考えれば確かに辻褄は合った。だが、仮にそうだとしてもどうすればそれを断ち切れるのかソーンバルケには皆目見当が着かない。となると自然、
(いっそ…)
先ほどあやめに手渡され、今までは持て余していた彼女の銃に目線を向けた。後の禍根になるならば、この場でその禍根を断つのも決して悪い手段だとは個人的には思ってはいない。が、
(他の連中は…納得しないだろうな…)
頭に浮かんできたのは勿論米田をはじめとする帝劇の面々である。彼ら彼女らの結びつきを考えれば、決してこんな手段は認めようとはしないだろう。例えそれが、甘いと言われるようなものであったとしても…だ。そんな彼ら彼女らを見ていると、テリウスでの懐かしい顔ぶれを思い出す。
(あの連中も…納得はしないか)
脳裏に浮かんだ面々がみんな怒っているような表情を浮かべているのに苦笑して、ソーンバルケは銃を懐にしまった。重ねてになるが、個人的にはのちに禍根になりそうな災いの目は積んでおくのは間違っているとは思ってはいない。後で苦労するぐらいなならそうした方が合理的だからだ。それでもそれをしなかったのは他の連中を慮ってのことともう一つ。
(…もしものときは、私がケリをつければいいだけだ)
何かが起こったときの落とし前は自分でつける覚悟をしたからである。そしてソーンバルケはゆっくりともたれかかっていたドアから身体を起こした。あやめに言われたように、米田のお目付け役…というわけでもないが、司令室に行かなければならない。
(しかし…)
懐にしまった銃をポンポンと叩きながら、ソーンバルケは苦笑していた。
(あいつも余程気が動転していたのか? こんなものを私に渡すとはな。剣一筋の私がこんなものをもらっても、使いこなせるわけがないのだが…)
そもそもが銃のメカニズムすら理解していない自分に対して、何かあったら自分をこれで殺せと言うなどそれだけ切羽詰まっているとも言えるが、それでも何もできない以上はこの銃は宝の持ち腐れになってしまう。
(まあ、その件については今はどうしようもない)
問題の先送りになってしまうが、現実問題今どうにもなっていない以上、何もできることはない。できるのは指令室へと向かうことだけだった。それに、大神たちの状況も気になるのは当然のことである。
「……」
ソーンバルケは表情を引き締めると、そのまま米田が待っているであろう地下の作戦司令室へと向かったのだった。
「失礼」
作戦司令室のドアを開け、ソーンバルケが中に足を踏み入れる。と、
「遅かったな」
無人となっていた司令室にて米田がソーンバルケを迎えた
「すまん、大神たちは?」
「もうとっくの昔に出ちまったよ」
「そうか…」
自分は出撃しないとはいえ、間に合わなかったのは申し訳ないのもまた事実。ソーンバルケはふぅ…と溜め息をつくしかできなかった。
「話は大神から聞いてるぜ?」
そのタイミングを見計らって米田が再び口を開く。
「あやめくんが倒れたんだって?」
「ああ。自室に届けてきた」
「そうかい。で、容態は?」
「…あまり芳しくないな」
「そうか…」
ソーンバルケからの返答に米田が表情を曇らせて俯いた。
「藤枝女史の状態も気にかかるが、実際問題今はどうのしようもない」
「まあ…な」
「だから今は、対処せねばならぬ問題に対処した方がいいと思う」
そしてソーンバルケがモニターに目を向ける。
「戦況は?」
「おう」
米田も再度モニターに目を向け、二人でその先にいる花組の戦いを見据えたのだった。
同時刻、銀座。
「叉丹様はかく乱せよと申されたが…かまわぬ! この鹿の実力をお見せする為にも花組を全滅させてくれるわ!」
そう鼻息を荒くしているのは降魔、鹿。先ほど叉丹に花組のかく乱を命じられた三騎士の一人である。…が、この発言を鑑みるに本人にその気はさらさらないようだった。そこへ、
「そこまでよ!」
乙女の声が響き渡る。そして、
『帝国華撃団、参上!』
花組が戦場に姿を現したのだった。
「ふっ、来たか小娘ども!」
鹿が小バカにしたように花組を睥睨した。と、
『全員、そのままで聞いてくれ』
戦闘前に花組各員に米田からの通達が入る。
『降魔の狙いは、劇場内に隠された最重要機密だ』
「最重要機密?」
米田の通信の内容にマリアが顔色を変えた。
『ああ』
「何ですの、それは?」
すみれが当然のごとく尋ねた。が、
『戦いが終わったら教える!』
花組に対して返した米田の返答はその一言だけだった。
『とにかく、奴等を劇場内に入れてはならんのだ!』
「あたいらに黙ってるとは水臭いね…」
「よっしゃ! こいつら倒して、その訳とやら、早よ聞かしてもらおうやないか!」
ボヤくカンナと前向きな紅蘭。そんな中、
「…いいのか?」
通信を切った米田にソーンバルケが尋ねてきた。
「仕方あるめえよ」
疲れたような表情になり、米田が嘆息する。
「このままじゃいずれ、遅かれ早かれわかっちまうこった。だったら、さっさと教えておくのも一つの手だ」
米田はそうは言っているものの、その表情を見て苦渋の決断であることは容易に推察できた。できれば機密は機密のままにしておきたかったに違いない。知る者がいれば、それだけ外に漏れる可能性も大きいのである。それを考えれば、米田がこんな表情になるのも仕方のないことだと言えた。
(苦労が絶えないな…)
同情はしつつも、最高司令官の判断である以上は口を挟む気はない。今はただ、花組の無事の帰還を祈り、ソーンバルケは再びモニターに視線を移したのだった。と、
「くっくっく…華撃団」
鹿が不気味に笑い出す。
「お前らの本拠地ごと破壊してやる。おぬしらの人生の幕、この鹿が降ろしてやろう!」
直後、鹿の魔操機兵…その名も氷輪不動が不気味に明滅した。すると、それが合図になったかのように何と雪が降ってきたのだった。そしてその雪は、瞬く間に周囲を白一色で染め上げてしまう。
「うわっ! あたり一面雪景色だぜ!?」
「ものすごい冷気や!」
瞬時に戦場の様相が変化したことにカンナと紅蘭が驚きを隠せない。しかし、これだけでは終わらなかった。
「少尉、ごらんになって! 敵は、この吹雪にまぎれて何やら怪しいことをしてますわ!」
「何!?」
すみれに促されて指示された先を見てみると、そこには何に使うかわからないがそれでもよからぬことに使うであろうことが推測できる正体不明の装置が不気味に明滅していた。
「ケケケー! これで降魔を召喚し、貴様らの本拠地を破壊してくれる!」
鹿による、そのすみれの危惧を裏付けるかのような発言の直後、突如大帝国劇場の壁二箇所が爆発して崩壊した。それにより、内部が剥き出しになる。
「しまった! 劇場に侵入する気だ! みんな大帝国劇場を守るんだ! 四方にある怪しい物体は降魔を召喚するものらしい。すべて破壊するぞ!」
大神が指示を出す。そしてそれとほぼ同時に、
「我が部下たちよ! 劇場に侵入せよ!」
鹿も指示を出した。その状況は当然、作戦司令室にも伝わっている。
「ソーン!」
「承知!」
短い言葉のやり取りを終えると、ソーンバルケは即座に司令室を出ていった。直後、鹿と花組の戦闘が幕を開けたのだった。
「さっさとあれを潰したいところだけど…」
大神が神武の中から怪しい物体…『魔来器』と言う呼称なのだが、無論そんなことを大神たちが知る由もない…を睨みながら、しかし現実的にはそれがすぐには無理なことも理解していた。何しろ、周囲には降魔の影がいくつもある。それを無視していけば降魔に大帝国劇場に侵入されるのは火を見るより明らかだからだ。
「この周りの連中をどうにかしないと近づけそうにもないな。まずは迎撃! 敵影が少なくなってきたらあれを潰しに行くぞ!」
『了解!』
大神の指示に従い、花組は大帝国劇場の崩壊した壁面を固めた。そうしながら、近づいてくる降魔たちを一体一体迎撃する。その要になっているのはマリアと紅蘭だった。理由は簡単、彼女たちの兵装が遠距離用のものだったからだ。遠距離攻撃ということは体勢を変えるようなことはあっても基本その場から動くことはない。そのため、二人が仁王立ちして降魔を迎撃し、それによって弱った敵を他の面子で討っていくという、ある意味いつも通りの戦法をとっていた。
(遅れを取ったか…)
そんなマリアと紅蘭の背中を、大帝国劇場内部からソーンバルケが見つめていた。ソーンバルケが現場に辿り着いたときにはもう、瓦解箇所はマリアと紅蘭によって塞がれていたのだ。これでは何もやることはない。
(このまま戻ってもいいのだが…)
しかし万一ということがあるかもしれない。そう考え、ソーンバルケは暫くここに留まることにした。そして後々、その判断は間違っていないことを実感することになる。
「くそっ!」
対して花組。迎撃しているもののきりはない。それは当然のことで、魔来器を放置しているため倒しても倒しても新しく降魔が召喚されているからだ。が、全く進展がないかといわれると実はそんなこともなかった。降魔の召喚速度より花組の撃滅速度の方が高いので、余裕が出てきているのもまた事実だった。
「しかし隊長、奴等からのプレッシャーも軽減してきてはいます!」
それに気づいていたマリアがそう口に出す。それは事実でもあったが、他の皆にそのことを知らせて希望を持たせるためでもあるのだろう。実にマリアらしい計算といえた。
「ああ」
「大神さん、そろそろ反転に出ないと!」
「このままじゃジリ貧やで!」
「わかってる!」
さくらと紅蘭の指摘に大神が即座に返した。
「アイリス、回復を!」
「は~い」
大神の指示により神武が全機が回復する。
「よし、まずは手近の二箇所を破壊するぞ! 北側にはさくらくんとカンナ! 西側は俺とすみれくんが回る! マリアと紅蘭は引き続き大帝国劇場の防衛を! アイリスは何かあったときのためにマリアたちと一緒に待機していてくれ!」
『了解!』
「よし、いくぞすみれくん!」
「ええ!」
「あたいたちもいくぜ、さくら!」
「はい!」
そこで花組は大きく二手に…魔来器の破壊と大帝国劇場防衛の二つに分かれた。
「ふぅ…」
即席の二小隊を見送り、マリアが息を吐く。
「とりあえずどうにか…なりそうやね?」
「そーだね!」
哨戒として周囲を確認していた紅蘭がそう伝えた。周囲には新たな降魔の反応はなく、その姿も見えないからだ。アイリスもそれに追随するように笑顔で同意する。彼女としても、それらしい気配を感じることがないのでそう言っているのだ。
「ええ。ただ、もう二箇所は少し離れているわ。それについてどうするか…」
「どうって、どういうことやの?」
「私たちも合流すべきか、そこを心配しているのよ」
「何で? お兄ちゃんたちと一緒に行けばいいじゃない?」
アイリスが首を傾げた。
「そうだけど、その隙にここを攻められないとも限らないわ。敵の姿は今は見えないとはいえ、これからも見えないとは言えないはずよ。それに」
「何やの?」
「あいつが気にかかるのよ…」
マリアが視線を向けた先に紅蘭とアイリスも視線を向ける。そこには、未だ鎮座して動こうとしない鹿の姿があった。
「今は手の届かない場所にいるけど、私たちがここを離れた瞬間にここを襲われたら…」
「成る程、一たまりもないね」
「アイリスなら、あそこまで行けるんだけどな」
「あかんで、アイリス。一人で突っ込んだら」
「そうよ。それに、そんなことは隊長が許さないわ」
「わかってるよー」
もう、マリアと紅蘭はうるさいなといった口調でアイリスが頬を膨らませた。それに気づいたマリアと紅蘭がそれぞれ神武の中で苦笑を浮かべる。が、すぐに紅蘭が真面目な顔になった。
「せやけどどうする、マリアはん。残りのちょっと離れた二箇所も大神はんたちにお任せするか?」
「けど、向こうの敵はまだそれなりに残っているわ。隊長たちが負けるとは思ってないけど、戦力が多いに越したことはないはず。それを考えれば、私たちも合流したいところね」
「せやね」
「ええ。ただそうすると、さっきの懸念が出てくるし…」
「あちらを立てればこちらが立たず…か。困ったこっちゃ」
「……」
本当に悩ましい…と、マリアが表情を曇らせて頭を悩ませる。と、
「あれえ?」
一人話に参加していなかったアイリスが突然素っ頓狂な声を上げた。
「アイリス?」
「どないしたん?」
紅蘭も驚いて声をかける。が、
「ちょっと待ってて」
それだけ伝えると、アイリスの神武が反応を返さなくなった。
『?』
敵影も反応もないので危険はないだろうとは思っていたが、突然のアイリスの反応の消失にどうしたのかわからずにマリアと紅蘭が首を捻る。とは言え、このままにしておくわけにもいかない。
「アイリス、どうしたの! 返事をなさい!」
マリアがいつものような詰問口調に戻ってアイリスに通信を入れる。と、
「ごめーん!」
アイリスからの返答と、神武に反応が戻ってきたことにマリアと紅蘭がホッと一息ついたのだった。
「どうしたんや?」
紅蘭が今のアイリスの行動に説明を求める。と、
「あのね、ソーンが見えたの」
「え?」
「ソーンはんが?」
そう答えたのだった。そのアイリスの返答に、マリアと紅蘭も驚きを隠せない。
「どこにいたの?」
「大帝国劇場の中。だから、ちょっとお話ししてきたの」
「お話って…」
この状況下で何を考えとるんやと紅蘭が苦笑を禁じ得なかった。が、過ぎてしまったことを今更とやかく言っても仕方ない。
「…んで、何やて?」
「うん。ソーン、ここにできた穴を守りにきたんだって。でも、着いたときにはマリアと紅蘭が守っていたからとりあえず様子を見てるって言ってたよ」
「そう」
ここにソーンバルケが出張ってきた理由を聞いたマリアが頷いて返した。しかし直後、とある考えが浮かんでくる。
「マリアはん」
それは紅蘭も一緒だったようだった。
「ええ」
マリアは多くを語らずそれだけ答えると、再びアイリスへと通信を入れる。
「アイリス」
「何?」
「ちょっと頼まれてくれないかしら」
「何を?」
「ソーンに伝えてほしいことがあるの」
「はーい」
そこでマリアは手短にアイリスに用件を伝える。アイリスはすぐに先ほどと同じくテレポートでソーンバルケのところまで赴くと、マリアからの用件を告げた。そして、それに対する返答を持ち帰り、その直後に魔来器を破壊した大神たちが帰投したのだった。
「ん?」
帝劇から少し離れた場所。戦況を見つめていた鹿があることに気付いた。帝劇の崩壊した穴を護っていた神武が二機ほど動き出したのだ。そして、魔来器を破壊した四機の神武と合流して歩を進める。その行く先にあるのは、残りの二機の魔来器だった。今帝劇を守っているのは黄色の神武一機だけということになる。
「ふふ、痺れを切らせたか」
バカな連中めと嘲りながら暫く待った後、鹿が降魔たちに命令を下した。狙うは勿論、大帝国劇場である。
「行け! 叉丹様の所望したあれを奪うのだ!」
鹿の命令を受けた降魔たちが大帝国劇場へと向かう。とはいえ、魔来器の付近にまで迫っていた大神たちの相手をしている者や、それに加勢している者などは引き続き大神たちへと襲い掛かり、実際に大帝国劇場へ向かうのはそれ以外の降魔だった。しかし、守備に残しているのが一機だけであり、尚且つ攻撃命令を出すのを待った…つまり、大神たちを魔来器の近くまで引き付けた。それは同時に、大神たちと大帝国劇場の距離をその分離したともいえるわけで。鹿はそれを狙って大神たちを十分引き付けた後に攻撃命令を下したのだった。
普通に考えれば心もとない数しか大帝国劇場には向かえなかったが、それでも守りが手薄になった大帝国劇場を襲うには十分な数だった。
「ふふふ…」
作戦の成功を確信した鹿がニヤリと笑う。降魔のうち何体かは神武へと向かったが、残りの大多数はガラ空きの横穴へと向かった。そして、そこから大帝国劇場への侵入を試みた直後、その降魔はバラバラになったのだった。
「何!?」
予想外の状況に驚いた鹿。だが、それは一度だけでは終わらなかった。その後も侵入を試みようとする降魔たちはすべてバラバラにされ、躯を晒す結果となったのである。
「一体何が…?」
驚きを隠せない鹿がその横穴に焦点を当てて映像を拡大する。拡大したその映像には、通常では見えなかった人影の姿をとらえることができた。そしてその人物が剣を抜き、その剣が血で染まっていることも鹿には確認できたのだった。
同時刻、大帝国劇場にて。
「ふぅ…」
降魔を何回か膾切りにし、その襲撃が一度止んだところでソーンバルケが一息ついた。だが、それも一瞬。再び降魔が襲い掛かってくる。しかし、
(単調な攻撃だ…)
ソーンバルケは慌てることもなくその攻撃をいなすと、襲い掛かってきた降魔を次々と斬り捨てていった。とはいえ、これには種があるのもまた事実だった。それは、
「えーい!」
そう、すぐ側で無邪気に戦っているアイリスの存在である。そもそも降魔は光武では相手にならず、神武へと乗り換えた上で各々の修行の成果で渡り合えるようになった存在だ。それを考えれば、いかにソーンバルケといえど簡単に渡り合えるわけはない。元々ソーンバルケが降魔とやりあったのは一度だけ、明治神宮のときだけである。それも、そのときは翔鯨丸の艦砲射撃によって弱っていたということを割り引けば、魔操機兵を相手にするのとは一味も二味も違うのは明白と言ってもいい。それではなぜ渡り合えているかというと、アイリスの援護で降魔がダメージを食らっているからである。力の差があるのは双方万全な時であって、手負いの状態ならば降魔相手でもソーンバルケならば十分に渡り合えることができたのだった。
(今度、何か礼をせんとな)
無邪気ではあるが、それでも攻防に降魔を圧倒するアイリスの姿にソーンバルケは苦笑を禁じ得なかった。流石、年齢は一番若いがそれに反して霊力は一番強いと評価されているだけのことはある。こと霊力という面だけで言えば、花組で最低(だからこそ、霊子甲冑にも乗れないのだが)であるソーンバルケには羨ましい限りだった。と、
「GUARUUUUU!」
視界の端に襲い掛かってくる降魔を見つけ、その攻撃をかわすとソーンバルケはまたその降魔を斬り捨てた。
「ソーン、すっご~い!」
アイリスが驚きながらパチパチと拍手する。この戦果は実はアイリス自身のものでもあるのだがなとまた苦笑するソーンバルケの視線の先に、こちらに向かってくる花組の姿が見えた。
「終わったようだな」
その姿にホッと一息ついたがその直後、予想もしないことが起こった。
「小娘どもが! この最強の降魔、鹿の実力を思い知るが良い」
魔来器をすべて破壊されたからか、はたまた自身の思惑通りに事が運ばなかったからかはわからないが、鹿が戦場に現れたのだ。それも、劇場のすぐ側…そう、ソーンバルケとアイリスの近くに。
「おっと」
その姿に、ソーンバルケはすぐに大帝国劇場内に引っ込んだ。
「神武が揃ったのならもう私の手助けは必要あるまい。後は頼んだぞ、アイリス」
「は~い!」
取りようによっては何とも気の抜けるような返事を返してアイリスが鹿の魔操機…氷刃不動に相対する。直後、大神たちもアイリスに合流したのだった。
「無事か、アイリス!?」
戻ってきた大神がいの一番にアイリスの安否を確かめた。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん」
「そうか。ソーンは?」
「ソーンも無事」
「そうか…」
良かったとばかりにホッと一息つく。
「なら、後はお前だけだ!」
花組は鹿の周囲をぐるりと取り囲み、大神が刀の切っ先を鹿の氷刃不動へと向ける。
「直接大帝国劇場を狙うなんて、随分と大それた真似をしてくれたな!」
「ふふふ、当然のことだ。魔来器を全部潰されたのは誤算だったが…まあいい。貴様らを皆殺しにしてから目的を達成するまでよ」
「そうはいくか! みんな、行くぞ!」
『了解!』
そして、花組と鹿の戦闘の火ぶたが切って落とされた。だが、意外と言うべきかその決着はあっさりと着くことになってしまう。それは…
「こいつはまた、前回の猪野郎とは真反対っぽいね」
鹿の氷刃不動を見据えながらカンナが呟いた。
「そうだな」
「でも大神はん、それならある意味好都合ちゃう?」
「何で?」
紅蘭の言っていることの意味が分からず、アイリスが首を傾げる。
「考えてもみいや、カンナはんの思った通り力押しの反対…つまりスピードでかく乱してくる相手やったら、その特性を潰せばいいんや。幸いにして、うちらはあいつをぐるりと囲んでる。包囲網を突破されることはない前提で考えると、あいつの動ける範囲はうちらの作ったこの包囲網の中や。この狭い中でどれだけ動き回ったところで、大したことはできんやろ?」
「ああ、そうね」
紅蘭に説明されてさくらが頷いた。確かにスピードを特性としている相手であるのなら、その特性を潰してしまえばいいだけのことだ。そういう意味では意図したわけではないが、この状況はお誂え向きと言えた。
「確かに。だがそれも、あいつがカンナの予想通りの特性の持ち主だったら、の話だ」
「仕掛けますか? 隊長」
「ああ。マリア、やつの足元を狙え! その対処で奴のタイプを推し量る!」
「了解!」
大神の命令直後、マリアは鹿の足元を狙って狙撃した。
「遅いわ!」
鹿はその攻撃を難なくかわす。が、勢い余って鹿はそのまますみれの神武に衝突した。
「きゃあっ!」
「ぬおっ!」
回避のスピードと勢いが強かったため、両者ともその場から吹き飛ぶ。
「すみれさん!」
慌ててさくらがすみれの救助に向かった。
「っ! おのれ!」
一足早く立て直した鹿がすみれを憎々しげに見つめた。
「小娘が!」
「おっと!」
すみれに向かおうとした鹿の真正面にカンナが立ちはだかった。
「やらせるかよ、この鹿野郎!」
「ほざけ!」
鹿とカンナが正面からぶつかり合う。その一連の状況を見ていたマリアは、
「隊長!」
確信をもって大神に通信を入れた。
「ああ!」
大神も同じ思いだったのか、力強く返答を返す。
「カンナの見立ての通りのようだな。こうなれば、ある程度の損傷は覚悟の上だ。みんな、包囲網を狭めろ! 奴の利点を潰すんだ!」
「はい!」
「よくもやってくれましたわね!」
「へへっ、あたいの好きな殴り合いだな」
「えー、アイリスもぉ?」
「確かに、ウチとアイリス、マリアはんは遠慮したいな」
「わかった。だったら、俺を含めたほかの四人で四方を囲む。マリアたちは隙間から援護を!」
「はい!」
方針は決まり、鹿は四方を包囲された。元々、花組の包囲網の内部に現れたということもあり、そうなるのは容易であった。これについては完全に鹿の失態である。そして、
「俺は、俺は、最強の降魔だあぁぁ!」
自分のストロングポイントを潰された鹿は程なく、断末魔の悲鳴を上げて光の中へと消えたのだった。