サクラ大戦 剣聖の新たな道   作: ノーリ

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おはようございます。年明けなので特別投稿です。

今回は幕間回みたいなもので、ちょっとした日常を書いてみました。先生と帝劇の面々とのやり取りです。

オリジナル展開なのでこういうのが一番苦労したりします。楽しんでいただけるといいのですが…。
何はともあれ、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

では、どうぞ。


NO.05 剣を照らす花たち

紆余曲折と起こり得るはずのない巡り合わせを経てソーンバルケが帝劇に勤め始めてから、早二週間が経っていた。この世界の常識など知ることもないソーンバルケにとっては、日々新たな発見と、そしてそれに付随するかのような苦労に揉まれながら、それでも一日一日少しずつこの世界に馴染んでいくようになっていた。そしてこの日もお昼を迎える。

 

「失礼」

 

手軽に昼食を済ませたソーンバルケが事務局にやってきた。

 

「あ、ソーン」

「お疲れ様です」

「ああ」

 

にこやかな表情で声をかけてきた由里とかすみに、ソーンバルケは軽く手を挙げて応えた。

 

「今日は…」

「あ、私です」

 

売り場ではなく事務局にいる椿がニッコリと微笑んで手を挙げる。職場を空にしているわけだが、今は昼休みということもあってお咎めを受けるようなことはなかった。

 

「そうか」

 

ソーンバルケが手を挙げて応えた椿に視線を向けた。

 

「では、頼む」

「はい♪」

「いってらっしゃ~い」

「程々にね」

「わかってますよ」

 

由里とかすみに別れを告げると、椿とソーンバルケは連れ立って事務局を出た。そして隣の食堂に入ると隅っこのテーブルに、それぞれ対面になって椅子に腰を掛けた。

 

「それじゃあ、今日はこれを」

 

椿がそう言って差し出したのは、一冊の本だった。

 

「そう難しい内容ではないと思いますから。いつもの通り、わからなかったらどしどし質問してくださいね」

「わかった。宜しく頼む、先生」

「はい♪」

 

ニコニコ顔の椿にソーンバルケまで嬉しくなると軽く微笑み、そしてその本を開いた。そしてその内容を読んでいく。二人が何をやっているかというとこれは実に簡単なことで、一言で言えばお勉強であった。ただ、今ソーンバルケが言った通り、生徒がソーンバルケで先生が椿なのだが。

どういうことかというと、ソーンバルケがこの世界で生活を営んでいくのにあたり、致命的に欠如していることが幾つかあった。その一つが今目の前で起こっていることである。つまり、この世界の…日本語の読み書きができないのだ。

言葉は通じているために会話自体は成立しているのだが、文字が読めないのである。そして読めないということは、当然書けもしなかった。まあ、日本の文字とテリウスの文字が同じなわけはないのだから、ある意味当たり前の話なのだが。テリウスには更に古代語なんていう代物もあるし。だが、この地ではそれは当然不要だった。

帝劇で働き始めてから数日経ったある日、事務局で書類や伝票の整理を依頼されたのだが、そこに書いてある文字が何と書いてあるのかサッパリわからないのである。そのためそれをかすみたち三人に伝えると、三人は一様に驚いた表情をしていた。しかし、付き合いは短いながらもソーンバルケがそういった悪質な冗談を言うような人物ではないのは三人とも理解していた。だが、このままでは事務的な仕事は任せられない。それでは困るし、何よりソーンバルケの今後にも関わる。ということで、三人が教師となって読み書きを教えることにしたのである。といっても、三人とも仕事があるのでこうして昼休みの間だけ、それも持ち回りということになっているが。そして今日の教師は椿ということなのだ。

 

「どうですか? わからないところ、あります?」

 

自分の持ってきた本をゆっくりとではあるが読んでいるソーンバルケに、椿がそう尋ねた。

 

「ある…と言えば数多く。というか、まだほとんど何が書いてあるのかわからないがな」

 

困った表情になってソーンバルケが頭を掻いた。

 

「お前たちの尽力のおかげで仮名? は何とか読めるようになったのだが、漢字はまだサッパリだ」

「そうですか」

 

頷きながらも椿は不思議でしょうがなかった。ただそれは、由里やかすみにとっても同じなのだが。つまり、碌に読み書きもできないということで、今までどんな生活を送ってきたのだろうかということだ。

無論、ソーンバルケは椿たちにテリウスのことなど話しているわけもないので、椿たちが不思議に思っているこの件の正解は絶対に辿り着くことはないが。今後も話すつもりは一切ないので尚更だった。大体、例え話したところで、素直に信じるかというとまた別の話である。

 

(立場が逆だったら、私は絶対に信じないだろうしな)

 

全く因果な身の上だと、ソーンバルケが内心で苦笑していた。

 

「椿」

「はい」

「ここなのだが…何と読んで、どういう意味なのだ?」

「ああ、これはですねぇ」

 

椿がソーンバルケの質問に丁寧に答えていく。ソーンバルケもせっかく彼女たちが厚意で時間を割いてくれている以上、真面目に努めないわけにはいかない。悪戦苦闘しながらも本日も読み書きの授業は続き、昼休みは終わりを告げたのだった。

 

 

 

 

 

「ふぅ…」

 

一日の勤務を終えたソーンバルケが着替えを置いて一息つく。まだ更衣室もロッカーも用意されていないため、着替えは初日に案内された部屋で行っていた。それについてはそろそろ用意ができると米田がソーンバルケに伝えていたので、それもあと僅かといったところだと思われるが。

 

「……」

 

無言のまま肩に手を置き、首を左右に曲げながら廊下を歩く。コキコキと肩や首から音がするのは、やはりまだ慣れていない証拠だろう。

 

(当然ながら勝手は違うし気苦労も絶えないが、それでも早く慣れないとな)

 

そんなことを考えながら職員用の通用口に向かって歩く。と、

 

「いたいた♪」

 

後ろからそんな声と、足音が近づいてくることに気付いてソーンバルケは足を止めて振り返った。そこには、足早に近づいてくる由里の姿があった。

 

「ソーン!」

 

パタパタ走ってきた由里がソーンバルケのところまで辿り着くと、乱した呼吸を整えるために何度か大きく息を吸っては吐いてを繰り返す。

 

「由里か。どうした?」

 

そんな由里の様子を不思議に思ったソーンバルケが尋ねた。

 

「良かった、追い付いて。もう帰っちゃったかと思ったわよ」

「何かあったのか?」

「ううん、違う違う」

 

走ってきたからか咽喉の水分がなくなり、変な感じの声になった由里が自分の顔の目の前でブンブンと手を左右に振った。

 

「今日は特に何もなかったから、この後サロンでお茶会することになったの。で、よかったらソーンもどうかと思って…」

「ふむ?」

 

ソーンバルケが顎に手を当てて考える。自分の本日の予定としてはいつも通り、後は花小路邸に戻って剣の鍛錬や屋敷の仕事の手伝いなどをするぐらいしかない。裏を返せば、どうしても今日行わなければならない用事などはない。だから、ここで頷くのに差し支えはない状況である。が、

 

「…ちなみに聞くが」

 

あることが気にかかったソーンバルケが、それを尋ねるために口を開いた。

 

「何?」

「そのお茶会とやらの参加者は、お前たち三人だけか?」

「ううん」

 

由里が首を横に振る。

 

「私たちと、あと花組の皆さんも」

「む、そうか…」

 

その返答にソーンバルケの表情が僅かに曇る。そして、それに由里が目敏く気がついた。

 

「どうかしたの?」

「いや…ただ…な」

「ただ…何?」

「…隠してもしょうがないから言うが、二名ほど関係のあまり良くない連中がいるのでな。向こうがどう思ってるかは知らないが」

「そうなの?」

「ああ。だから、せっかくの良い空気を微妙なものにするのも躊躇われるのでな。どうしたものかと…」

「じゃあ尚更参加してよ」

 

ソーンバルケは変わらず顔を曇らせていたが、そんな躊躇いなどどこ吹く風とばかりに由里が一笑に付した。

 

「何故だ?」

 

渋っている理由を述べたのに、そんなの関係ないとばかりに参加を促す由里に、ソーンバルケが少々辟易しながら尋ねる。

 

「だって、関係性が良くないからってそのままほっといても良くはならないでしょ? かと言ってここにいる以上はいつまでも避け続けるわけにはいかないし。だったら、少しでも溝が浅くなるようにした方が良いとは思わない?」

「言ってることはわかるが…」

 

あの二人との関係性が改善されるものかなとも思ってしまうソーンバルケでもあった。と、由里の表情が少し暗さを帯びる。

 

「…それとも、もうここを出て行くの?」

「いや、そんなことはない」

「ホント!?」

 

探るように尋ねてきた由里にそう答えると、由里の表情が思わず明るくなる。その様は、思わずソーンバルケがたじろいでしまうほどだった。

 

「あ、ああ。何度か言っているが、他に行く宛てもないしな」

「そ。それじゃあ行きましょ♪」

 

即座に手を引かれ、ソーンバルケは有無を言わさず連行されることになった。

 

(仕方ない…)

 

未だに気乗りしないのは確かなのだが、由里の言ったことも確かにもっともである。ここに厄介になっている以上、人間関係が円滑であればそれに越したことはない。それが出来るか…といえばまたそれは別の話になるのだが、それでもやらないよりは現状が変化する以上はやった方が良い。

 

(どう転ぶかはまだわからないがな)

 

そんなことを考えていると、

 

「ちなみになんだけどさぁ」

 

由里が歩きながら振り返った。

 

「何だ?」

「その、あまり関係のよくない二人って誰?」

「すみれとマリアだ」

「ああ。やっぱりね…」

 

ソーンバルケの答えを聞いて納得したのだろうか、うんうんと頷きながら由里がサロンへ向かう。その彼女に連行される形で、未だにあまり気は進まないながらもソーンバルケもサロンへと足を運ぶことになったのだった。

 

 

 

 

 

「お待たせ~」

 

サロンに足を踏み入れた由里が声を上げる。他の面々はもう全員揃い踏みだった。

 

「あ、由里さん」

 

さくらが軽く微笑んだ。

 

「遅いですわよ」

 

対照的に、すみれはムッとしている。

 

「すみません、ゲストを呼んでたんで」

「ゲスト?」

「それ、だあれ?」

 

マリアとアイリスが少々怪訝な表情になった。その様子を目にしたかすみと椿が、彼女たちに悟られないようにクスクスと声を押し殺しながら笑う。

 

「そう。さ、入って入って」

 

由里が振り返ってサロンの入り口に声をかけたものの状況に変化はない。だが一拍置き、所在なさげな様子でソーンバルケがゆっくりとサロンに足を踏み入れたのだった。

 

「あ」

「わぁ♪」

「あら…」

「!」

 

ソーンバルケの姿を目にした四人は推察通り、さくらとアイリスは表情を綻ばせ、すみれとマリアは面白くないような歓迎していないような表情になったのだった。もっとも、すみれはそれがあからさまであり、マリアは最小限のものという違いはあったが。だがどちらにせよ、二人にとってはあまり歓迎できない客であるのは間違いないようだった。

 

(やれやれ…)

 

随分と警戒されているものだなと思ったが、それとは対照的なさくらとアイリスがすぐに駆け寄ってきた。

 

「こんにちは、ソーン!」

「ああ」

「まさか来てくれるとは思いませんでした」

「半分、拉致されたようなものだ」

 

ソーンバルケが悪戯っぽい笑みを浮かべるとそのまま由里を指さした。

 

「そこのお嬢さんにな」

「え~、そんなことないよ~」

 

悪びれる様子もなくそう答える由里に、ソーンバルケが肩を竦める。

 

「だ、そうだ」

「あはっ」

「ふふふ」

 

普段は見ることのないおどけた感じのソーンバルケにさくらとアイリスがくすくす笑う。と、

 

「立ち話はその辺で、そろそろ始めませんか?」

 

この場をまとめるようにかすみが促す。みると、椿が丁度用意を整え終えていたところだった。

 

「うん! 行こ、ソーン!」

「ああ」

 

アイリスに引っ張られてソーンバルケがテーブルへ向かう。その後をさくらが追った。

 

「さ、マリアさんとすみれさんも」

「ええ」

「…仕方ありませんわね」

 

ソーンバルケの登場をあまり快く思っていない二人だったが、流石にここで場の雰囲気を壊すような大人げない真似は躊躇われたのかテーブルに向かう。そして呉越同舟というわけでもないが、妙なお茶会が始まったのだった。

 

 

 

 

 

和やかなムードの中、それでも少しばかりの緊張感を孕みながらお茶会は始まった。コミュニケーションの一環なのだろうか、この催しは何回か開催されているようで、勝手知ったるといった感じに和気藹々とした雰囲気がサロンに満ちていた。

 

(しかし…)

 

振舞われた紅茶を口にしながら、女性陣に悟られないように彼女たちの様子を窺う。

 

(よくもまあ、次から次へと話題が出てくるものだ。女三人寄れば姦しいとは実に良く言ったものだな)

 

実際にこの場にはその倍以上である七人もいるのだから、その傾向に拍車がかかる。マリアのように相槌ぐらいでほぼ聞き役に徹している者もいるが、それはそれこそ彼女ぐらいで他の連中は皆多少の差はあれお喋りに夢中だった。

特に由里が凄まじく、話題も豊富なら話術も巧みで独壇場といってもいいぐらいである。立て板に水というか、水を得た魚というか、とにかくそんな感じに生き生きとしていた。

 

(成る程な…)

 

花小路邸に案内してもらうところから始まり、これまで何度か由里と交流する機会はあった。その度にその話術というか尽きぬ話題に呆れ半分、感心半分でいたが、どうやらそれは地のようであった。そうでなければ、こんなに生き生きとはしないだろう。

 

(これは…用心しないとな)

 

由里に何か知られたら、その日のうちに帝劇中に広まりかねない。自分のことなど話すつもりは毛頭ないが、些細なことでも他人に知られたくないことがもしできたら、絶対に由里には知られないようにしないとなと、ソーンバルケは改めて肝に銘じたのだった。と、

 

「ソーン?」

 

アイリスがキョトンとしながら尋ねてきた。

 

「ん?」

 

ソーンバルケがアイリスに返事を返す。見ると話の腰を折られた…と言うわけでもないのだろうが、アイリスだけでなく他の帝劇の面々もソーンバルケに視線を向けていた。マリアまでもである。

 

「どうかしたか?」

 

女性陣に一斉に顔を覗き込まれて内心ではやや気後れしながらも、それは噯気にも出さずにソーンバルケが尋ねた。

 

「アイリスたちとお話しするの、面白くない?」

「何?」

 

考えもしなかったことを聞かれ、ソーンバルケが怪訝な表情になる。

 

「そんなこと、考えもしなかったが…」

「ホントに?」

「ああ。…寧ろ、何故そんなふうに感じた?」

「だって、ソーンずっと黙ってるんだもん…」

「ああ…」

 

アイリスの言いたいことが何となくわかってソーンバルケが相槌を打った。

 

「それについては申し訳ない。ただ…な」

「ただ…何です?」

 

アイリスから引き継いだかのように、今度はさくらが口を開く。

 

「いや…年頃の女性が食いつきそうな話題など、私は何も知らないのでな。口を挟もうにも挟む余地がなかったのだ」

「そうなんですか?」

 

ソーンバルケの告白を聞き、椿が驚いた表情になる。

 

「ああ」

「そんなの、気にしなくてもいいんですよ」

 

かすみがフォローするようにそう言った。

 

「そうは言われてもな…」

 

ソーンバルケが腕を組んだ。実際、若い女性が喜びそうな話題などいくら頭を捻っても出てこない。百歩譲ってここがまだテリウスだったらどうにかなるかもしれないが、この帝都ではどうにもならなかった。ここで生活を重ねていけばまた話の種も思いつくとは思うが、何しろここで生活を始めてまだほんの少し、文化も風俗も何もわからないのに話題など出てくるわけもなかった。と、

 

「…まあ、仕方ありませんわよね」

 

すみれがさもありなんとばかりに頷く。

 

「こう言っては何ですが、貴方は洗練された殿方とは程遠いですもの」

「す、すみれさん!」

 

すみれの発言にさくらが顔色を変えて窘めるも、すみれはどこ吹く風と言うばかりに素知らぬ顔でカップに口を付けた。

 

「まあ、否定はしないさ」

 

くくくと含み笑いをしながら、ソーンバルケがまるで意に介した様子もなくすみれの言葉を肯定する。その、取りようによっては余裕綽々な態度がすみれの神経を逆撫でした。

 

「何ですの。含むような笑いをして、厭らしい。言いたいことがあるならハッキリと仰ったらどう?」

 

と、その一言にソーンバルケが含み笑いからハッキリと楽しそうな笑顔になった。

 

「ははは、物怖じしない奴だ。子供のわりにはいい性根をしている」

「! ちょっと、失礼じゃありませんこと!? レディに向かって子供扱いなんて!」

 

ソーンバルケのその一言にすみれが怒りを隠さない。元々ソーンバルケが自覚していた通り、マリアとすみれとは現段階ではあまりいい関係を築けていないこともあり、こうなるのは必然とも言えた。そんな二人を、マリアとアイリス以外の面々がハラハラしながら見守っている。マリアは我関せずといった様子ながら、油断なくソーンバルケを観察し、アイリスは『子供』というフレーズに敏感に反応してムッとした表情をしていた。

 

「レディ…か」

 

そんな中、ソーンバルケはいつもの態度を崩さない。そして言葉を続ける。

 

「確かにそうかもしれないな」

「かも、じゃありません! 私は立派なレディですわ!」

「そうか。…だが、私から見ればお前たちは全員子供に過ぎない」

 

ソーンバルケの偽らざる本音である。何せ彼ら『印付き』は、普通の人間よりも長い生を送ることになるのだ。そして、その天寿を全うしたはずが何故かこの世界で再びの生を歩んでいる。つまり、常人が生きるよりも遥かに長い年月を生きてきたのだ。そんなソーンバルケからしてみれば、目の前の女性陣は子供にしか見えなかった。少なくともソーンバルケはそういう認識だった。何せ、彼女たちをどういう目で見ているかというと、心情的には娘を見る父親のような心持ちだったのだ。孫を見るお爺ちゃんと言ってもいいかもしれない。だがどちらにせよ、現段階では花組の面々は恋や愛の対象としては見てはいなかった。

 

「子供ですってぇ!?」

「アイリス、子供じゃないもん!」

 

そんなソーンバルケの事情など知る由もないすみれが更に怒りのボルテージを上げる。子供扱いに腹を立てたアイリスも口を挟んできて、事態はますます複雑になっていた。

 

「ムキになるのは図星の証拠だぞ」

 

だがしかし、ソーンバルケは飄々とした態度を崩さない。これまで何度も死地や修羅場を潜り抜けてきたこともあり、この程度のことで動じるほど細い神経はしていなかった。そんな突然の一触即発の状況にさくらたちが相変わらずハラハラしていると、

 

「そこまでよ」

 

不意に、静かな声がサロンに響き渡る。今まで傍観に徹していたマリアの声だった。

 

「すみれ、せっかくのお茶会でしょう? その辺りにしておきなさい」

「ですけどマリアさん!」

「レディなら、慎みも備えていないとね?」

「ッ!」

 

忌々し気にキッとソーンバルケを睨んだすみれだったが、マリアに諭されて不承不承といった感じではあったものの矛を収めた。そのことに、さくらたちがホッと胸を撫で下ろす。そのままマリアは、今度はアイリスへと矛先を変える。

 

「アイリス」

「でも、マリア!」

「いいから」

「うーっ…」

 

マリアの迫力に圧され、アイリスが渋々矛を収める。しかし、不満は隠しきれない様子でソーンバルケを恨めしげに見ていた。

 

(大した統率力だ…)

 

この場を収めたマリアの手腕に、ソーンバルケは内心で賛辞を送っていた。女三人寄れば姦しいとはいうが、これだけ個性的な面子をよくもまあ統制できるものだと、舌を巻いていた。と、渋々とはいえ二人を納得させたマリアがソーンバルケに視線を移す。

 

「…貴方も、不用意な発言は避けてください」

「失敬」

 

実に短いやり取りではあったが、当事者の二人以外にはその間に火花が見えたような気がして、それ以上口を差し挟めなくなってしまった。

 

「しかし…」

 

マリアとは一旦これで終わりということだろうか、ソーンバルケがマリアから視線を外すと、今度はその視線をすみれに向ける。

 

「な、何ですの…」

 

先ほどまでのこともあり、どういった態度をとっていいかわからず、すみれは彼女にしては珍しく気後れした様子でソーンバルケからの視線を居心地悪そうにしていた。

 

「いや、おま…すみれにも素直なところがあるのだなと思ってな」

 

つい『お前』呼ばわりしそうになったが、それをすみれが許さないことを直前に思い出し、慌ててソーンバルケが言い直した。しかしその表情は、実に楽しそうなものである。

 

「はぁ?」

 

対してすみれは何のことかわからないといった表情で首を傾げた。と、ソーンバルケがそのまますみれの首元を指さす。

 

「その襟巻、私に指摘されたからだろう? 素直に年長者の意見に耳を傾けるあたり、すみれも可愛いところがあるじゃないか」

「なっ! ち、違いますわよ!」

 

真っ赤になって否定するすみれの首元に、他の面々の視線が集まる。そこには確かに、最近つけるようになった襟巻があった。

 

「そう言えば、すみれさん最近それをつけるようになりましたね…」

 

さくらが思い出すようにそう一人ごちると、すみれがキッとさくらを睨み付ける。

 

「ちょっとさくらさん! 何か勘違いしてるんじゃありませんこと!?」

「勘違いって…私は別にそう言われればそうだなって思ったことを言っただけですよ」

「でも、確かに最近毎日襟巻を巻いてますよね」

「ええ。すみれさんのことだから単におしゃれの一環だと思ったんですけど…」

「何々? 何かあったのすみれさん?」

「教えて教えて!」

「で、ですから!」

 

マリアを除く全員に詰め寄られ、らしくもなくしどろもどろになってすみれが慌てている。その様子に、ソーンバルケが意地悪くっくっくっと忍び笑いを漏らし、マリアは呆れながらも今の状況を招いた元凶であるソーンバルケにまた厳しい視線を送ったのであった。

こうして、ソーンバルケが初めて参加したサロンのお茶会は、騒々しい空気の中で終了したのであった。

 

 

 

 

 

「ふぅ…」

 

サロンでのお茶会終了後、自室に戻ったすみれが大きく溜め息をつく。彼女としては珍しく、椅子にその身を投げ出す格好で深々と腰掛けている。

 

「疲れましたわ…」

 

偽らざる本音だった。あの後、何とか事態に収拾をつけたもののその疲労は半端じゃなかった。同年代の女性と渡り合うことに何ら臆することはないすみれだったが、流石に五対一は分が悪すぎた。おまけに、その元凶であるソーンバルケは騒動の最中にとっくに帰ってしまったらしく、気がついたときにはその姿はなかった。好き勝手やってくれたことに不満爆発寸前だったが、かと言って周囲に当たり散らすわけにもいかないので鬱憤が溜まっているのである。そんな、現在の状況の元凶であるソーンバルケに対して思いを馳せていると、つい首元の襟巻に目が行ってしまった。

 

「全く、あの男は」

 

忌々しいと思いながら襟巻を外す。一瞬、床にでも叩きつけてやろうかと思ったが、襟巻自体には何の罪もないのでその怒りを収めてクローゼットにしまった。と、不意にコンコンと自室のドアを叩く音がする。

 

「はい?」

『私よ』

 

ドアの向こうから聞こえてきた珍しい声に、すみれが驚く。

 

「マリアさん?」

 

紛れもなく、ドアの向こうから聞こえてきたのはマリアの声だった。

 

『ええ、今、いいかしら?』

「どうぞ」

『ありがとう』

 

ドアが開き、マリアが入ってきた。後ろ手でゆっくりとドアを閉めるとすみれに近づく。

 

「珍しいですわね…」

 

思いがけない、まさしく珍客にすみれが椅子をすすめた。

 

「ありがとう」

「どういたしまして。他のおもてなしはありませんけどね」

「十分よ」

「そうですの。それで?」

 

すみれがマリアの突然の訪問の意図を尋ねた。

 

「その顔から察するに、今度の舞台について…というわけでもなさそうですし」

「ええ。単刀直入に言うわ、すみれ、貴方とあの男の間に何があったの?」

「またその話ですの?」

 

うんざりといった表情になってすみれが顔を顰めた。

 

「マリアさんは他の方たちとは違うと思っていたのですけれど?」

「ごめんなさい」

 

マリアもすみれの心情はわかるのだろう、本当に申し訳なさそうに頭を下げる。只でさえ疲れているであろう状況なのに、それに更に負担を強いるような形になっているのだから当然である。と、すみれがフッと表情を緩めた。

 

「いいですわよ」

 

そして、先ほどよりはいくらか和らいだ口調になる。

 

「他の方なら追い返すところですが、マリアさんは興味本位や下世話な野次馬根性って訳でもないでしょうし」

「そう言ってもらえると嬉しいわね」

 

そこで二人が目を合わせると、お互い軽くフッと微笑んだ。

 

「話はあの男と初めて会った日に遡りますわ…」

 

そしてすみれは事情の説明を始めた。

 

 

 

ソーンバルケがさくらを助けて帝劇に辿り着いたあの日、すみれはいつもと変わらぬ日常を過ごしていた。そんな時、

 

『あら』

 

不意に見知らぬ人影が廊下を歩いているのを見つけ、思わずそれが声に出てしまっていた。その声がその人物…ソーンバルケの耳に入り、ソーンバルケが足を止める。

 

『何かな?』

 

ソーンバルケ…この時点ではその名などもちろん知る由もなかったが…が振り返ってすみれに声をかける。

 

(誰ですの?)

 

やはり見たこともないその顔に、すみれの警戒心が強まる。その特性上、帝劇の主だった顔ぶれは女性陣ばかりであり、こんな顔は見たことがない。裏方や出入りの業者としても見覚えはなかった。そもそも、そういった人たちが足を踏み入れないような場所にいるのだからその可能性もほとんどない。この時点では部外者であるソーンバルケに、すみれの警戒心が強くなるのも当然のことだった。

 

『誰ですの、貴方?』

 

怪訝な表情を浮かべ、すみれがソーンバルケにそう尋ねた。が、

 

『人に名を尋ねるときは、自分から名乗るのが礼儀ではないか?』

『なッ!』

 

そうソーンバルケに切り返され、すみれが絶句してしまった。その理由は、その不躾な物言いともう一つ。

 

『あ、あ、貴方、この私を知りませんの!?』

 

自分の胸のあたりを手で叩きながら、ずいっと一歩すみれがソーンバルケに詰め寄る。が、

 

『すまない、知らん』

 

そう答えるしかなかった。何せ、テリウスからこの帝都(ソーンバルケはこの時点でここが帝都だということも知っているわけは当然なかったが)にいつの間にかいて、あれよあれよとこの状況になっているのだ。目の前の少女のことなど知っているわけはなかった。が、ソーンバルケがそう言う状況だということは、それこそすみれも知らないわけである。

すみれにしても、まさか自分の目の前にいる人物がこことは全然違う世界の存在などとは思うわけもないだろう。故に自分の物差しで考えた時、帝劇にいるのに自分を知らないことに愕然としているのである。この件に関してはすみれには何ら落ち度はないのだが、只々巡り合わせが悪かったとしか言えなかった。

 

『何て失礼な!』

 

しかし、ソーンバルケの背景など知る由もないすみれにとってはその一言は侮辱といってもよかった。突然のすみれの激昂にキョトンとしながらも、食堂を空にしていることを思い出したソーンバルケはこの場を切り上げようとする。

 

『すまない。急いでいるのでこれで』

 

足早にその場を去るソーンバルケ。今までトイレへと用を足しに行って行っており、当然その間は食堂を空けていることになっている。ないとは思うが、もしその間にさくらが食堂へ呼びに来たとしたら余計な心配をさせることになってしまうため、その懸念は早く払拭したかった。

 

『ちょっと! お待ちなさい!』

 

だが、それをすみれが許すわけもない。自分の横を足早に過ぎ去っていったソーンバルケの後を追い、食堂へと足を踏み入れたのだった。

 

『何だ?』

 

食堂の椅子に腰を下ろして一息ついたソーンバルケがそう尋ねた。先ほどまでとは違い、少しうんざりしながらのことだったが、それはすみれにとってはどうでもよいことだった。

 

『この私を知らないとは、どういうことですの!』

『そう言われてもな…』

 

すみれにいくら詰め寄られても、ソーンバルケにはそんな返答しかできない。自分の状況を素直に白状するつもりはないから誤魔化しようがないので、知らないものは知らないというしかできなかった。だが、『帝劇のトップスタァ』を自称しているすみれにとっては、帝劇に足を踏み入れていいる人間で自分を知らない者がいることに我慢がならなかった。

 

『この帝劇のトップスタァ、神崎すみれを知らないなんて!』

『そうか、神崎すみれというのがお前の名か。私の名はソーンバルケ』

『誰も貴方の名前なんて聞いてませんわよ!』

 

今一つ話がズレているというか、微妙にかみ合わない状況にすみれのイライラが募る。だがソーンバルケとしては何故すみれがこんなにイラついているのかわからずに首を傾げるしかない。と、すみれのあることに気付いたソーンバルケがゆっくりと椅子から立ち上がった。

 

『何ですの?』

 

すみれが怪訝な表情のままソーンバルケを睨み付ける。と、ソーンバルケはいきなりその手を伸ばし、すみれの服の襟に手を掛けた。

 

『着衣が乱れてるぞ』

 

そして、襟を正しい形に整える。が、

 

『ちょっと! 何をなさるの!』

 

すみれは慌ててソーンバルケの手を払い除けるとそれを戻した。先ほどまでの、襟が肩から滑り落ちている着崩れた格好に戻ったすみれが、ソーンバルケをキッと睨み付ける。

 

『何て失礼なことをするんですの!』

『いや…』

 

激昂するすみれだったが、対してソーンバルケも戸惑いを隠せなかった。確かにいきなり女性の着衣に手を出したのは決して褒められたものではないが、着衣の乱れを直してこんなに激昂されるとは思っていなかったからだ。不思議に思い、未だに怒り顔で睨んでいるすみれに話しかける。

 

『無闇に手を出したことについては確かに思慮が足りなかった。その点については謝ろう。だが、私としては着衣の乱れを直しただけなのだが…』

『余計なお世話ですわよ! それに、これは乱れているのではありません! こういう着方をしているのです!』

『何?』

 

すみれの返答にソーンバルケの表情が曇った。

 

『…どういう思惑があってのことかが知らないが、あまり感心はしない着方だな』

『放っておいてくださいな! 大体この私が、そこいらの方と同じような服の着方なんてするわけないでしょう!?』

(そう言われてもな…)

 

先ほどから何度も同じようなことを言われているが、すみれがどういった存在なのかこの時点では何も知らないソーンバルケにとっては返答のしようがなかった。だが、服の着こなしに信念らしきものがあり、これを止めるつもりはなさそうなことだけはわかった。

 

『ならばせめて、首元に襟巻でも巻いたらどうだ?』

 

おせっかいだとは思ったが、ここまできたら毒を食らわば皿までとばかりにソーンバルケがそう促す。

 

『着こなしに信念があるのは良くわかった。が、年頃の女性が余り肌を露出しているのも良くはないだろう。せっかくの美貌なのだから、過度な露出で損なわないようにした方が良いと思うが』

『何? 今更お世辞ですの?』

 

すみれがバカにするように鼻で笑った。幼いころから社交界で揉まれていただけのことはあり、こういったやり取りは何度も経験している。そして、この手のセリフに今更心が動かされることなどなかった。

 

『世辞…か』

 

だが、ソーンバルケはそんなすみれの態度に腹を立てることなどもなく、自嘲するように微笑んだ。それがまた、何もかも見透かしているようですみれを苛立たせる。

 

『何!? 言いたいことがあるならハッキリと仰いな!』

『別に、お前に言いたいことがあるわけではない。ただ、な』

『ただ、何ですの?』

『私が世辞を言えるようなら苦労もしないと思ってな。我ながら因果なものだと思っただけだ』

『はぁ?』

 

今一つソーンバルケが何を言いたいのかわからないすみれ。

 

(こだわりの方向はちがうが、この鼻っ柱の強さはレテやスクリミルを思い出すな)

 

ソーンバルケはそんなすみれに、かつての戦友を重ねていた。と、すみれの後ろにさくらが食堂に入ってきたことに気付く。

 

『ここまでのようだな』

『は?』

 

すみれが顔を上げると、ソーンバルケの視線が自分ではなく自分の後ろに行っているのがわかった。振り返ると、こちらに向かってくるさくらの姿があった。

 

『? 誰ですの?』

 

すみれが首を傾げる。この時点では正式に紹介もされていないから後の同僚だとはわかるはずもないのだが。

 

『ではな』

 

ポンポンと軽くすみれの頭を叩き、ソーンバルケはその場を後にした。そして、さくらと連れ立って食堂を出て行く。去り際にソーンバルケに馴れ馴れしく頭を触られたことに気付いて、そのことにすみれがまた気分を害するのはもう少し後のことだった。

 

 

 

「とまあ、こんなところですわ」

「成る程ね…」

 

すみれの話を興味深く聞いていたマリアがうんうんと頷く。

 

「でも、一つ納得いかないところがあるわ」

 

そして、すみれの独白を聞き終えたマリアが改めて口を開いた。

 

「何ですの?」

「襟巻のことよ」

 

マリアが簡潔に疑問点を述べる。

 

「貴方のことだから、普通はそんなふうに促されても意見を聞き入れるような気はないでしょう? なのに何故?」

「だってあの男、顔を合わせるたびにそのことを指摘してくるんですもの」

 

もううんざりといった表情になってすみれが溜め息をついた。

 

「顔を合わせるたびに、その格好はどうにかしろと言われればいやにもなりますわ。最初は無視してたんですけど、余りにもしつこかったから…」

「成る程。要するに根負けしたってところかしら?」

「…気に入りませんけどね」

 

今度は本当に気に入らないといった表情になってすみれが頷いた。

 

「良くわかったわ」

 

すみれからソーンバルケとの一件を聞いたマリアが得心したように頷く。と、

 

「マリアさん」

 

今度はすみれからマリアに声をかけた。

 

「何?」

「今度は私が質問してもよろしいかしら?」

「ええ、どうぞ」

「では…貴方もあの男と何かあったんですの?」

 

すみれの質問にマリアが薄く微笑んだ。

 

「やっぱり、わかるかしら」

「それはまあ。マリアさんのことですから、下世話な興味本位でこんなこと聞いてくるとは思いませんからね。となると、私と同じようにあの男と何かあったと考えるのが普通かと」

「ええ。御推察の通りよ」

 

マリアが頷いた。

 

「…話してくださいますわよね?」

「勿論。一方的に聞くだけっていうのはフェアじゃないからね」

「流石、よくわかっておいでですわ」

 

すみれの賛辞にフッとマリアが微笑む。

 

「私の場合は…」

 

そして、今度はマリアがソーンバルケとの因縁を話し始めた。

 

 

 

時は同じくソーンバルケがさくらと共に帝劇に辿り着いたその日。時系列で言えば米田と対面して帝劇の世話になることをソーンバルケが決めた後。地下施設での訓練を終えたマリアが階段を上がり食堂を横切ったところでそれを見つけた。

 

(…誰?)

 

見覚えのない後ろ姿にマリアが表情を厳しくする。その先にあったのは本日の寝床を確保して一段落ついているソーンバルケの背中だった。勿論、まだ顔合わせもしていないし、紹介もされてないのでそのことを知っているわけはない。そして見知らぬ人物が公演のない日にこの場にいることにマリアは大きな不信感を持った。と、

 

『何か用か?』

 

背を向けたままソーンバルケが口を開いた。そして、その口ぶりは何気ないものだったが、間違いなくその矛先はこちらに向けられているのを感じ、マリアは驚きを隠せなかった。これでも幾多の戦場を渡り歩き、そして生命を落とすことなくこの場にいる。故に、気配を消すのも決して下手なわけでもない。現に今も観察対象に気取られないように完璧に気配を消した。なのに、それを嘲笑うかのように察知されたマリアは複雑な感情を抱いていた。

 

『…どなた?』

 

努めて冷静になるよう心掛けながら、マリアはゆっくりとソーンバルケに歩み寄る。と、ソーンバルケがゆっくりと振り返った。

 

『人に名を尋ねるときは、まず自分から名乗るのが筋だろう?』

『…失礼」

 

表情を固くし、同時に油断を戒めながらマリアが軽く頭を下げた。

 

『マリア=タチバナと申します』

『そうか』

 

椅子に座っていたソーンバルケがゆっくりと立ち上がる。

 

『私の名はソーンバルケ』

『ソーンバルケ? 珍しい名前ですね』

『よく言われる』

 

苦笑しながらソーンバルケがそう答える。

 

『呼びにくかったらソーンと呼べ。通称で呼ぶ連中は、皆その名前を使うからな』

『その必要はないでしょう』

 

苦笑を浮かべ、少し砕けたような口調になったソーンバルケとは対照的に、マリアは態度を崩さない。最初から変わらず、警戒心というか用心深さを秘めたままソーンバルケに近づいていた。

 

『ん?』

 

マリアの言ったことの意味が今一つわからないソーンバルケが首を捻る。そんなソーンバルケを見据えるマリアの視線はどこまでも冷徹で怜悧だった。

 

『見たところ、お客様というわけではないようですが』

『客…か。確かに客ではないな』

 

ソーンバルケが頷く。もっとも、ここでいう『客』という言葉の意味は、双方に認識のズレがあった。マリアは公演を見に来た対象としての『客』であり、ソーンバルケは只の来訪者としての『客』であった。そのため、少し話が噛み合わなくなる。

 

『ならば、早々にお引き取り下さい』

 

ソーンバルケを見据えながら、どこまでも冷たくマリアはそう言った。

 

『公演がある日ならともかく、公演がない日はここはやっていません。誰にどんな御用件かは知りませんが、御用件が済んだのでしたらお引き取りを』

『…随分な言い草だな』

 

やれやれとばかりにソーンバルケが首を振った。そうやっておどけている間も、マリアは緊張感を解くことなく、ソーンバルケの一挙手一投足に神経を張り巡らせている。が、ソーンバルケの発した次の言葉に流石のマリアも驚きを禁じ得なかった。

 

『これからここに世話になる』

『は!?』

 

ソーンバルケの発した言葉の内容に、思わずマリアがらしくない声を上げてしまった。対して、ソーンバルケは飄々とした雰囲気を壊すことなく続ける。

 

『同僚になるわけだ。だから、その剥き出しの警戒心は止めてもらえるとありがたいのだが』

『しれ…支配人がそう仰ったのですか?』

 

予想だにしなかったソーンバルケの一言に驚いて、思わず『司令』といいかけたマリアが慌てて言い直してソーンバルケに尋ねた。

 

『ああ。…もっとも、あの米田といいお前といい、ここがただの劇場でお前たちが同じくただの役者とは思えないがな』

 

そしてそのままソーンバルケがマリアの耳元に口を寄せると、

 

『お前たち、何者だ?』

 

と囁いた。

 

『!』

 

自分たちを探るような物言いにマリアの警戒心は一瞬でMAXになり、条件反射的に懐に手を入れる。が、

 

『ッ!』

 

そのままその体勢で固まって動けなくなってしまう。何故なら鞘から抜き放たれたヴァーグ・カティがその咽喉仏に当てられていたからだ。

 

(! いつの間に…)

 

気付かぬ…いや、その動作が見えなかったことに内心で驚きを隠せないマリア。と、

 

『そう警戒するな』

 

ソーンバルケが窘めるようにそう言った。もっとも、この状態ではマリアの生殺与奪を握っているのはソーンバルケのため、マリアにとっては窘めるというよりは半ば強制する形になっているが。

事実、妙な真似をしたら何をするかわからない得体の知れない不気味さをソーンバルケからマリアは感じ取っていた。

 

『……』

 

今の状況では何もできないマリアがそのまま動きを止めて固まってしまう。とは言え、ソーンバルケに対する警戒心というか敵愾心は一向に収める気はなかったが。そのマリアの様子に、

 

(大したものだ)

 

と、ソーンバルケは呆れ半分、感心半分だった。

 

『貴方、一体何者?』

 

そんな状況ながら、マリアは臆することなく質問を浴びせる。

 

『それはこちらが聞いたのだがな』

 

自分が先ほど尋ねたことと全く同じことを聞かれ、ソーンバルケは苦笑した。

 

『さっきも言ったが、これから同僚になる予定の者だ』

『……』

 

明かにはぐらかす感じのソーンバルケの返答に、マリアの視線が厳しさを増した。だが、ソーンバルケはそれを些かも気にした様子はなく、更に続ける。

 

『それより、重ねての質問になるがお前たちこそ何者かな? 他の連中はいざ知らず、お前は只の役者ではあるまい。その身のこなし、気配の消し方。一介の役者風情が持つようなものではないだろう。そんなお前が、何故劇場で役者などやっている』

『答える必要はないわ』

 

咽喉仏に剣が当てられたままではあるが、マリアは躊躇することなくそう言った。と、

 

『まあ、確かにな』

 

意外なことに、ソーンバルケがその意見に同意した。が、

 

『ならば、そちらとて余計な詮索は止めていただこう』

 

瞬時にソーンバルケの眼光が鋭くなる。それは、幾多の戦場を渡り歩いたマリアでさえ、背筋がゾクッと来るものであった。

 

(なんて視線…!)

 

内心で冷や汗を掻きつつも、マリアはその視線を真正面から受け止めた。

 

『一応弁明はしておくが、私はお前たちの敵ではない』

『それを信用しろ…と?』

『疑うなら気がすむまで調べでもすればいいだろう。それか、米田に問い質しでもするのだな』

 

そして、ソーンバルケはそのままヴァーグ・カティを鞘に収めた。

 

『……』

『行け』

 

無言のまま睨むマリアに、ソーンバルケはクイッと首を動かして食堂を出るように促した。マリアは少しの間、相変わらず厳しい視線をソーンバルケに向けていたが、注意深く見なければわからないほど本当に極僅かながら頷くと、食堂を後にしたのだった。

 

 

 

「…とまあ、こういうことがあったのよ」

「そうだったんですの…」

 

マリアの独白に、すみれも驚きを禁じ得なかった。

 

「マリアさんが手玉に取られるなんて…」

「本当、完璧にしてやられたわ」

 

自嘲するような笑みを浮かべるマリア。しかし、すぐにその笑みは姿を消す。

 

「すみれ、貴方はあの男のことをどう思う?」

「気に入りませんわ」

 

ふんっとばかりにすみれが鼻を鳴らした。

 

「いや、そういう意味ではなく」

「わかってますわよ」

 

そこで、すみれが一息吐いた。

 

「お子様のアイリスや、危ないところを救われた脳天気なさくらさんは懐いているようですけれど、私はそんな気にはなれませんわ。少なくとも、今は」

「それは私情で?」

「違いますわよ。勿論、その要素もないわけではありませんけれど、私たちがどういう存在か考えれば、自ずとわかりますわ」

「そうね」

 

すみれの意見にマリアが同意した。

 

「単なる雑用や下働きとして雇ったというならともかく、花組に所属させようというのであれば私たちの任務にも関わることになりますわ。率直に聞きますけどマリアさん、あの男に光武を扱えるだけの霊力を感じまして?」

「いいえ」

 

マリアが首を左右に振って否定した。

 

「そうでしょう? 私もですわ。であれば、光武に乗ることはできない。でもでしたら、尚のこと花組に所属させる意味がわからないんですの。その辺、司令たちに聞いたんじゃありませんこと?」

「ええ。でも、納得できる答えはもらえなかったわ。ただ、『手放すのは惜しいから』って返事を返されただけだった」

「何ですの、それ?」

 

柳眉を顰めるすみれに、マリアも半ば呆れたような様子で首を左右に振った。

 

「それ以上は何も」

「全く、あのクソジジイ…」

 

忌々しげな表情で米田を毒づくすみれにマリアがクスッと笑った。しかし、それも一瞬。

 

「どちらにせよ、司令たちにその気がないのなら追い出すわけにもいかないわね。本人も今のところやる気はあるようだし、真面目に勤めているみたいだし」

「さくらさんたちといい、かすみさんたちといい、全く単純なんですから」

「わからないわよ。私たちが捻くれているだけかもしれないんだから」

「あら、随分な言いぐさじゃありませんこと?」

 

マリアの指摘にすみれがムッとした表情を向ける。

 

「気に障ったならごめんなさい。でも、さくらたちが懐いているなら、私たちはその逆でないといけないわね。もし万一のことがあって、ここが内部から壊滅なんてことになるわけにはいかないもの」

「ええ」

「あの男の正体を見極めるまでは、私たちは決してあの男に油断をしてはいけない。それを肝に銘じておきましょう」

「了解ですわ」

 

すみれとマリアが改めて己の立場を肝に銘じる。こうして、波乱含みのお茶会はこの時をもって本当に終了したのだった。

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