「おいっす、後輩くん」
「どうも、先輩」
仕事で学校を休んだり、友達と出掛けたり。用事があったりでここに来たり来なかったり。
日常は少しずつ変わっていくけれど、ここは、彼だけは変わることが無いように感じて。
だから自身もこの場所に変化を与えないようにと同じ場所に腰掛け。
カバンからいつものように課題を出しながら本を読み続ける後輩くんの横顔を盗み見る。
私に興味を示さず、気を使わない。
だから私も勝手に持つこだわり以外は気を使うことはない。
ぬるま湯に浸かっているようで、気付かないうちに溜まっていた疲れやストレスが抜けていくような。
そして何でも受け入れてくれるような温かさが、自分が本来あるべき場所はここなんだと錯覚してしまいそうで。
「先輩」
「ぅえっ!? な、何?!」
後輩くんから声をかけてくることなんてほぼなかった為、不意打ちだったこともあり変な声が出てしまった。
「いえ、ジッと見てくるので何か用があるのかと」
「あ、ご、ごめん。ちょっとボーッとしてただけ」
「そうですか」
どうでもいいと判断して淡白な返事だけ。
そうして再び本を読み始める後輩くんの姿にどこか寂しさを感じてしまう。
小さく息を吐いて気持ちを切り替え、ペンを手に持ち課題へと取り掛かるが。
今ひとつ、集中できていない自分がいる。
その原因も分かってはいるのだが、すぐに解決しそうでしないのがまたなんとも言えない。
『アイドルにならないか』
といった誘いをしばらく前にもらった。
なんでも今いる事務所が新たにアイドル部門を設立するらしい。
正直なところやってみたくはある。
誰もが一度は憧れるものなのだから。
だったらやればと思うだろうけれど、色々な問題だってあるのだ。
親には自分の好きにしなさいと言われている。
友達にはこの話を相談できていないが、何か悩んでることには薄々気が付いているだろう。
けれどアイドル部門ができるのはまだ社外秘のため、簡単に相談することもできない。
変に悩みすぎて色んなところに支障が出始めているけれど、それに押されて決めたら後悔する気がして踏み切れず、また支障が出るを繰り返している。
「何か悩み事ですか?」
「んぇっ?!」
突然のことで反射的に立ち上がってしまった。
声をかけてくれた後輩くんも驚いて……いや、引いて私から距離を取っているような。
コホンと咳払いをしてイスに姿勢を正して腰掛ける。
先ほどのことなどなかったように笑みを浮かべ。
「な、ナニカナ?」
変に声が上ずってしまい、取り繕うのに失敗した。
けれど苦笑いとはいえ後輩くんの気が緩んだところだけを見れば成功だろう。
「先輩、悩み事ですか?」
「……そんなに分かりやすかった?」
「とても」
表面を取り繕うのには自信があったんだけれど……。
先輩として少し情けないと思う反面、変化に気付いてくれた嬉しさがあることに少し戸惑う。
「話せないことなら無理には聞きませんけど」
「…………後輩くんは口堅い?」
こんなセリフ、いかにも何かありますよと言っているものだ。
仲のいい友達にも相談に乗ると言われた時は大丈夫と断ったのに、なんで後輩くんに話そうと思ったのだろう。
その理由に気付きかけている気がするけれど、何かもう一つキッカケが欲しい。
「誰にも話すなって言うなら話さないですよ」
「社外秘だから本当に誰にも話さないでね?」
「先輩の信頼を裏切るようなことはしないですよ」
何故だか今のセリフを聞いて、これまで溜めてきた色んなものがごちゃ混ぜとなり、我慢しきれず泣きそうになってしまった。
目が潤んでいる気がするけれど、泣くのはなんとか堪える。
「……うん。ありがとう」
彼……後輩くんになら話してもいいって思った理由が分かったような気がした。
一方的だと思っていた積み重ねが後輩くんにもあって。
それを同じように大事だと思ってくれている。
いつのまにか後輩くんは、私の中でかけがえのない大切な存在となっていたんだ。