ゲゲゲの鬼太郎 クロスオーバー集   作:SAMUSAMU

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fgoグランドオーダー『不可逆廃棄孔 イド』クリアした……クリアしてしまった。
旅の終わりが近いことを感じさせるストーリー……アヴェンジャーたちが、エドモンやオルタたちが離れていってしまうと、喪失感に項垂れて……いたのですが!!

ついに!! 『魔法使いの夜』とのコラボが開催されるとのこと!!
落ち込んでいる暇はない!! 青子や有珠のためにも、石を貯め直さねば!!


さて、ようやく新しいお話として『ヴァイオレット・エヴァガーデン』とのクロスをお届けできることになりました。
本来なら、ここでクロス先の紹介などするところなのですが……それは次回の前書きに取っておきます。

何故なら、今回の其の①ではクロス先であるヴァイオレット・エヴァ―ガーデンたちのキャラが最後の最後まで出て来ないからです!!

今回の話では舞台設定など、そこら辺の話を詳しく書いています。
ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンとの本格的なクロスは次話までお預けです。

その代わりと言っては何ですが、今回のお話には『ゲゲゲの謎』の要素がふんだんに盛り込んであります。
というか、実質的にゲゲゲの謎の続きを意識したストーリー展開になっています。

最初こそ、現代パートから話が始まりますが。
今作は主にゲゲゲの謎から八年後……1964年が舞台となっております。

鬼太郎の過去や、あの人の境遇など。
本作の独自設定もありますが……どうか楽しんで行ってください。




ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン 其の①

 その日、特に事件や用事があるわけでもなかったが、猫娘はゲゲゲハウスを訪れていた。

 

 彼——ゲゲゲの鬼太郎に好意を持っている彼女としては、少しでも彼と一緒の時間を過ごしたいと思うのが乙女心というもの。その場に彼の父親である目玉おやじや、他の仲間たちがいても構わない。

 彼と触れ合える時間が一分でも、一秒でも長ければそれでいい。それだけでいいと思っていたのだが——。

 

「なんで、アンタがいんのよ……」

「なんだよ、俺がいちゃ悪いってのかよ……ああん!?」

 

 その日、何故か知らないがねずみ男の方が先に鬼太郎の家へ上がり込んでいた。ただでさえ狭いゲゲゲハウス内、ねずみ男は無遠慮に寝っ転がりながら、適当にスマホなど弄っている。

 

「父さん、湯加減はどうですか?」

「ああ……少し温いかもしれん、もう少し熱くしてくれても構わんぞ?」

 

 鬼太郎も鬼太郎で、自分の家に居座っているねずみ男のことなど気にも留めず。いつものように目玉おやじの茶碗風呂の面倒を見ていた。

 彼にとってねずみ男や他の仲間たち、それに猫娘が家にいようと特に気に掛けることでもない、自然なことというわけだ。

 

「…………」

 

 猫娘は自分がねずみ男と同列に扱われ、なんとも面白くない気持ちになる。とはいえ、これといって問題を起こしているわけでもない今のねずみ男に無為に突っかかる訳にもいかず。

 とりあえずその存在を無視しつつ、猫娘は自然な調子で鬼太郎の隣に腰掛け、適当にスマホなどで時間を潰していく。

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 それから暫く、猫娘もねずみ男も互いに口を開くことなく、静かに時間だけが過ぎていく。

 

「父さん。やはり、妖怪絡みの事件がだいぶ増えて……人間たちに認知されるようになってきましたね……」

「うむ……なんとか人間たちの目の止まらないうちに解決したいところじゃが……難しい問題じゃな……」

 

 その間、鬼太郎と目玉おやじは昨今の社会情勢について話しをしていた。

 

 近年、例の戦争の後も妖怪が表立って暴れるような事件が多発し、それが人間たちにも広く知れ渡るようになってしまったと。そういった情報を鬼太郎は紙面に書かれている記事から得ている。

 彼が手にしているそれは新聞紙だ。鬼太郎も新聞くらいは読む。勿論、妖怪ポストに新聞配達が来るわけではない。号外で配布されているものや、その辺に捨てられている新聞を拾っては、こうして情報収集に勤しんでいるのだ。

 

「……なあ、鬼太郎よ……」

 

 すると、そんな鬼太郎にねずみ男が声を掛けた。

 

「お前、そろそろスマホくらい持ったらどうだ? 今時新聞で情報収集なんざ、時代遅れもいいとこだぜ?」

「どうした、いきなり……?」

 

 突然の物言いに鬼太郎は面を食らったが、彼の戸惑いなど気にせずねずみ男は呆れ気味に言葉を続ける。

 

「だいたいその新聞、二日前のやつじゃねぇかよ!! 情報ってのは、新鮮さがウリなんだ!! 古臭い情報なんざ、いくら漁ったところで手遅れなんだよ!!」

 

 ねずみ男は鬼太郎の呼んでいる新聞の日付が二日前——もはや過去のものであることを指摘した。

 情報とは常にアップデートされるもの。数日前の情報など、最新のものに比べれば鮮度の落ちた魚も同然、わざわざ得る価値もないと言う。

 

「今はネットでニュースを漁る時代なんだよ!! スマホ一つでいつでも、どこでも新しい情報が入って来る……全く、便利な世の中になったもんだぜ!!」

 

 その点、ネットニュースであれば毎日どころか、毎時間、新しいニュースが常に更新され続けており、スマホさえあればそれをいつでも好きなときに閲覧できるのだと。

 ここぞとばかりに、鬼太郎にスマホを持たせようとねずみ男がその利便性を説く。

 

「なあ、おめぇだってそう思うだろ……猫娘!!」

「えっ……そ、それは……ひ、否定できないけど……」

 

 しかも、彼はここで猫娘に同意を求めた。普段であれば、ねずみ男の意見になど頷きたくない猫娘であったが、そのときばかりは首を横に振ることが出来なかった。

 実際、猫娘もスマホの便利さに恩恵を受けている身だ。一昔前であればいざ知らず、今の世の中、スマホがなければ人間社会に紛れるのも一苦労。

 他の仲間たち、砂かけババアや子泣き爺といった年寄り妖怪たちでさえ、スマホで連絡を取り合っているような状況なのだ。

 

 正直、鬼太郎だってスマホくらい持ってもいいだろうと、猫娘も思っていたことである。

 

「うむ……確かに前々から便利そうじゃとは思っておったが……」

 

 そういったねずみ男の話に、目玉おやじが興味を見せる。

 意外にも、こういった話題には目玉おやじの方が関心を示すことが多い。反対に、ねずみ男の力説に鬼太郎はあまりピンと来ていないのか。

 

「う~ん……やめとくよ。みんなみたいに、上手く使いこなせる自信もないし……」

 

 少しばかり考える仕草こそ見せるが、全く心に響いた様子もなく首を横に振る。

 

「かはっ~!! ほんと……お前さんは!! そんなんじゃ、時代に取り残される一方だぜ!!」

 

 その返答に、さらにねずみ男は呆れたように頭を抱えた。

 

「こいつの扱いなら俺がタダで教えてやるからよ! いい加減、お前も時代に順応しようぜ……なっ?」

「そ、そう言われてもな……」

 

 諦めの悪いねずみ男がそれでも、鬼太郎にスマホを持たせようと食い気味に顔を寄せる。使い方をタダで教えると、彼にしては気前の良い言葉に思わず鬼太郎も怯んでしまっている。

 

「ちょっと、ねずみ男!!」

 

 先ほどは同意しかけた猫娘だったが、無理矢理にでもスマホを持たせようとするねずみ男の迫りようには流石に口を挟む。

 確かに鬼太郎にスマホを持って欲しいとは思うが、それだって個人の自由だろうと。猫娘はあくまで鬼太郎の意思を尊重しようとする。

 

「カアッ!!」

「あら……?」

 

 と、そんなときであった。ゲゲゲハウスの窓に一羽のカラスが舞い降り、自分たちを呼ぶ鳴き声に猫娘が振り返る。

 カラスの足元には、一通の手紙が置かれていた。

 

「鬼太郎、手紙よ。また何か事件かしら……」

「あ、ああ……ありがとう、猫娘」

 

 どうやら、妖怪ポストからの手紙をカラスが直接持って来てくれたようだ。猫娘がその手紙を鬼太郎に渡すと、彼はちょっと安堵したようにホッと息を吐く。

 ねずみ男に絡まれて困っていたためか、すぐに開封して手紙に目を通していく。

 

「なあ、鬼太郎よ……そういった依頼も、ネットの掲示板で受けられるようになるんだぜ? 今時、手紙なんざアナログにもほどが……」

「しつこいわよ、アンタ……」

 

 だが話はまだ終わっていないとばかりに、手紙を読む鬼太郎に尚もねずみ男は声を掛けていく。スマホにすればわざわざ手紙などという、古臭い伝達手段に頼る必要もないのだと説得を続ける。

 あまりにもしつこいねずみ男に猫娘がうんざりと吐き捨て、実力行使で黙らせようかと爪を伸ばし掛ける。

 

 

「——いや、手紙でいい。手紙でなきゃ駄目なんだ」

「——!!」

 

 

 ところが、今度は鬼太郎がはっきりとねずみ男の言い分を否定した。先ほどまでの曖昧な返事とは違い、確かな『信念』のようなものが、その言葉には込められている。

 

「手紙だからこそ、手紙でなくては伝わらない思いがある……それを、ボクは『あの人』たちから教わったんだ」

 

 鬼太郎はあくまで『手紙』というものに特別な思いを持っているらしく、それだけは変えるつもりはないという。

 

「!! そうじゃ……そうじゃったな……」

 

 息子の言葉に目玉おやじも何かを思い出し、しみじみと過去を懐かしむ。

 

「……?」

「……?」

 

 そんな二人の様子に猫娘も、ねずみ男も首を傾げる。どうやら二人も知らないところで何かがあったらしい。きっと当事者にしか預かり知らぬことだろう。

 

 

「あの女性、外人じゃったが……名はなんと言ったか。覚えておるか、鬼太郎?」

「名前ですか? ええっと、確か……」

 

 

 鬼太郎と目玉おやじは過去を——『その人』のことを思い出そうとする。

 

 

 

×

 

 

 

 1964年。その年、日本は転期を迎えようとしていた。

 

 世界中を巻き込んだ第二次世界大戦が終結し、もう19年が経つ。戦争の爪痕は色濃いながらも人々の弛む努力の甲斐もあってか、日本は復興の道を歩み、それを成し遂げようとしていた。

 一度は焼け野原となった国土も今や多くの人々で賑わい、活気に満ちている。戦争の苦い記憶も薄れて来た昨今、人々の気持ちはとある祭典に向けられていた。

 

 

 それこそ——『東京オリンピック』である。

 

 

 四年に一度催されるこの祭典に、日本どころかアジアとしても初めての開催地として東京が選ばれたのである。

 一時は敗戦国としてどん底まで落ちぶれた日本が、オリンピックという祭典を通して世界中から注目される立場となった。まさに大躍進というやつであろう。

 

 この記念すべき祭典を無事成功させようと、ときの総理大臣・池田(いけだ)勇人(はやと)は自らの政治生命を賭けて尽力した。

 来たるべきオリンピックに向け、首都の大改造、東海道新幹線の建設など。様々な政策に踏み切り、全力でそれを指揮したのである。

 

 元々、池田勇人は自身が進める経済政策を公約として掲げていた政治家である。このオリンピックこそ、経済復興を遂げた日本を世界中にお披露目する、またとない機会であると確信したのか。

 オリンピックまでに全ての改革を間に合わせようと、自身も方々を死に物狂いで奔走したのである。

 結果として、東京オリンピックは見事に大成功。日本は戦後からの奇跡の大復興を成し遂げたと、世界中に知らしめることになった。

 

 だがそれまでの激務が祟ったのか、オリンピックの閉会式の翌日。池田勇人は自身が病魔に侵されていることを理由に退陣を表明。翌年、癌によってこの世を去る。

 政治生命どころか、まさに身命を賭してオリンピックを成功へと導き——そして力尽きたのである。

 

 オリンピック成功のため、日本復興のため。

 疾風のように駆け抜け、その命を燃やし尽くした池田総理。

 

 だが、オリンピックの影響でその命を縮めた人間は——彼一人ではない。

 

 

 

 

 

「——急げ!! なんとしても期日までに工事を終わらせるんだ!!」

 

 東京オリンピックが迫る中、とある工事現場にて現場監督の荒々しい声が響き渡る。

 

 そこはオリンピック開催に際し増えるであろう、外国人観光客に対応するため建設されることになった大型ホテルの工事現場である。

 この時期、建築基準法の改正で高さ規定が撤廃されたこともあり、これまでにない高さのホテルやビルがいくつも建てられる、建設ラッシュが相次いだ。

 全てはオリンピックに間に合わせるためと、工事は昼夜兼行で続けられた。それらの建物は日本の高度経済成長を象徴するかの如く、見事に聳え立つこととなるわけだが。

 

 それらを建設する現場の労働環境は——はっきり言ってお粗末なものであった。

 

「ほら持ってけ、落とすんじゃないぞ!!」

「は、はい……!!」

 

 一人の作業員が、もう一人の作業員から資材を受け取る。作業員はその資材を作業場まで持っていこうと、足場となっている鉄骨の上を渡って行く。

 だが、作業員が鉄骨を渡ろうとしたそのとき、突風が吹き荒れた。そこは地上から50メートル以上も離れていたのだ。強風に煽られてバランスを崩すなど、当然のように予想できるハプニングだろう。

 

「うわわわわっ!?」

 

 ところが、その作業員は命綱など付けていなかった。体勢を崩してバランスが取れなくなり、そのまま高さ50メートルの高所から真っ逆さまに落ちていく。

 

「さ、佐藤っ!? 大丈夫か、おいっ!?」

 

 地面へと落下したその作業員に、同僚たちが慌てた様子で駆け寄っていく。作業員が工事中に転落するなど、現場の管理責任が問われる、大問題として夕方のニュースに流される一件だろう。

 ところが、作業員を監督する立場である現場監督は——。

 

 

「はぁ……また、落っこちたか……」

 

 

 ほとんど慌てた様子もなく、ただ呆れたようにため息を吐くだけであった。

 

 

 

 そう、今でこそ工事は安全第一、従業員の安全を確保するのが企業の義務とされているが、この頃の工事現場に『安全管理』などという概念、ほぼ皆無だった。とにかく工事を納期までに終わらせることを最優先に、作業員を忙しなく働かせるというのが当たり前だった。

 作業効率を重視し、安全管理が軽視される。当然、事故だって毎日のように起きていた。特にオリンピックが開かれるこの年は、一日に十人ほどの作業員が事故に遭い、その命を落としたという。

 よしんば、命が助かったとしても重傷を負い、中には後遺症が残って寝たきり生活を送ることになるものもいた。そうなった場合、一応の補償金は出るとのことだが、それも雀の涙ほど。

 

 労働者のほとんどが、まるで使い捨ての道具かのように酷使され続けていたのだ。

 

 それでも、人々は働き続けるしかなかった。

 過酷な現場で働くものたちのほとんどが、地方からの出稼ぎ労働者だ。彼らは自分たちの生活が少しでも楽になることを信じ、田舎に残してきた家族のためにと一生懸命働き続けた。

 きっと自分が頑張れば皆が豊かになれる。家族のためならと、どんなに過酷な環境でも我慢し、毎日汗を流し続けたのだ。

 

 

 

「ご苦労さん……ほれ、今週分の給料だ」

「はい! ありがとうございます!!」

 

 そうした日々の苦労が実ってか。その日の夕方、現場の作業員に給料が手渡しで支給された。果たして命懸けで働いた分に見合う給金なのかと、疑問に思うものも少なくはなかったが、彼らの顔には一様に笑顔があった。

 これで自分たちの生活がちょっとは楽になるだろうと、人々はほくほく顔で自宅への帰路についていく。

 

「ほれ、水木くんも……またよろしく頼むよ?」

「ああ、どうも……」

 

 そんな労働者の中に、一人『異質な男』が混じっていた。

 待ちに待った給料を受け取りながらも、その顔には大した喜びもなく。淡々と給料を受け取り、そそくさと帰り支度を始めていく。

 

「よお、水木さん! どうだい、一杯!?」

「たまには一緒に飲みに行きませんか?」

 

 その男性——水木という男に、同じ現場で働いていた男たちが陽気に声を掛ける。せっかくの給料日、懐が暖かくなったのだから、一杯ひっかけたくなるのが人情というものだろう。

 

「すみません……次の現場に行かないといけないもんで……」

 

 しかし、水木はその誘いをやんわりと断る。

 どうやらこの後も別の仕事が控えているらしい。このご時世、別段珍しいことではないが、水木を見送る人々の視線には不安と心配が滲み出ていた。

 

「あの人……あんなに働き詰めで大丈夫なんでしょうか?」

「まだ若いってのに、髪を真っ白に……どんだけ苦労してるんだか……」

 

 

 

 その水木という男、一瞥するだけだとどこか老人のように見えたかもしれないが、実際はまだ三十代から四十代と働き盛りの年齢であった。実年齢より老けて見えた理由は——その真っ白な頭髪のせいだろう。

 

 心労によるものか、彼の髪は色が白く抜け落ちてしまっていた。左目の辺りにも大きな傷痕があり、さらには左耳も僅かに欠けていたりと。ところどころに、その苦労のほどが垣間見える。

 聞いた話によると彼は軍隊経験者とのこと。そのため、厳しい現場環境にも泣き言一つ上げることなく、黙々と仕事に打ち込んでいた。

 

 その仕事ぶりは上司にも、同僚たちにも高く評価されていたが、前職は何をしていたのか。彼がどのような人生を送ってきたのか。その生活習慣は謎に包まれている。

 

 

 

「さて、夕飯……何を買って帰るか……」

 

 と、人々から色々と心配されていることをよそに、水木当人は帰宅途中の買い物で呑気に今晩の夕食の献立など考えていた。

 別の現場に行くまで時間があるのか、一旦は家に帰るようだ。適当に惣菜を買うや、寄り道することなく真っ直ぐ自宅への帰路についていく。

 

 彼の住まいは、都心から外れた一軒のアパートである。以前は違う場所に住んでいたのだが、少しでも家賃を抑えようとした結果、こんな狭いボロアパートに住むこととなった。それだけ生活が苦しいということだろう。

 

「ふぅ……」

 

 水木はそのアパート、自身の部屋の前で一呼吸入れた。自宅に帰るというのに、僅かにだが緊張感を滲ませている。

 

「ただいま……」

 

 やがて、意を決した水木は玄関の扉を開け、部屋で待っているであろうものへ自身の帰宅を告げる。

 

 

「——お帰りなさい、水木さん」

 

 

 水木の帰宅に対し、玄関先では一人の少年が彼を出迎えてくれた。

 

 小学生ほどの少年。前髪に目元は隠れているが、その左目は常に閉じられている。

 水木の年齢を考えれば、それくらいの子供がいたとしても何もおかしくはないだろう。だが実の父親が帰ってきたにしては少年の反応は淡白であり、礼儀正しいながらもどこか他人行儀に水木の名を呼ぶ。

 

「……ああ、今帰ったぞ……鬼太郎」

 

 そんな少年の態度に少しばかり戸惑い、寂しさのようなものを滲ませながらも、水木は彼——鬼太郎と名付けられた少年に向かって笑みを浮かべていく。

 

「腹減っただろ、飯にしよう!!」

 

 買ってきた惣菜片手に、鬼太郎と卓を囲うべく急ぎ夕食の準備を整えていく。

 

 

 

×

 

 

 

「どうだ、鬼太郎……美味いか?」

「…………ちょっとだけ、お米が硬いかもしれません」

 

 二人が夕食を共にする中、水木はおっかなびっくりと自分の料理がどんなものかと鬼太郎に感想を尋ねる。それに対し、鬼太郎は少し迷いながらも正直な意見を口にしていく。

 

「そ、そうか!! いや~、やっぱ難しいもんだな!! 飯炊き一つとっても奥が深いもんだよ!!」

 

 鬼太郎の指摘に水木は嬉しそうに声を上げた。遠慮のない感想を口にしてくれたことが嬉しかったのか。

 まだ自身でも慣れない手料理を口にしつつ、チラリとその視線を部屋の奥——仏壇の方へと向ける。

 

「ほんと……おふくろみたいに上手くはいかないもんだ……」

 

 その仏壇には、一人の女性の写真が飾られていた。もうこの世にはいない、水木の実の母親である。

 

 

 今現在、水木と鬼太郎は二人だけでこのアパートで暮らしている。少し前まではおふくろ——水木の母親が一緒だったのだが、一年ほど前に亡くなってしまった。

 元々、それなりに歳をくっており、色々と心労が募って体が弱っていたのもあった。その上で運悪くタチの悪い病気を患ってしまい、そのままポックリと逝ってしまったのだ。

 

 実の母親が亡くなったことには、それなりの年齢である水木とて初めはかなり堪えた。暫くは仕事が全く手につかず、それを契機に前の仕事を辞めたほどである。

 

「ほら、鬼太郎……味噌汁も飲んでみてくれ! 上手く出汁が取れてると思うんだが……」

 

 だが母親が亡くなった後も水木は立ち直り、それまで母親に頼りきりだった家事も率先して覚えるようになった。再び仕事にも就くようになり、とりあえずの生活基盤は確保出来るようになったのだ。

 

 それも全て、鬼太郎がいたおかげかもしれない。

 この幼い命を自分が守らなければという使命感、親心が水木に生きる気力を与えてくれたのかもしれない。

 

 

「おっと! そろそろ時間だな……ちょっと出てくるよ。明日の朝には帰ってくるから……」

「また……お仕事ですか?」

 

 自分のために、鬼太郎のためにもと。水木は昼夜問わず仕事に打ち込むようになった。その働きぶりは、鬼太郎も思わず心配になるほど。

 

「気を付けてください……」

 

 だが夜になっても働きに出る水木を、鬼太郎は申し訳なさそうにしながらも見送るしかなかった。

 未だ子供に過ぎない自分では彼の力になれないと、子供なら当たり前のことにどこか罪悪感を抱いているよう、その表情を曇らせるのだった。

 

 

 

「ふぅ……鬼太郎のやつ、また一段と大人びてきた気がするぜ……」

 

 家を出て仕事現場に向かう最中、水木は鬼太郎のことを考える。

 

 物心つく前は、鬼太郎も年相応に無邪気な赤ん坊だった。しかしいつの頃からか、年齢に似合わぬ礼儀を身に付け、自分のことを『水木さん』などと他人行儀で呼ぶようになったのだ。

 鬼太郎は、水木のことを決して『お父さん』などと呼ばない。生まれたときから一緒にいる筈なのに、成長するにつれ態度もよそよそしくなっているような気がする。

 

 

 まるで自分たちが、本当の親子でないことを知っているかのように——。

 

 

 そう、水木と鬼太郎に血の繋がりはない。鬼太郎は水木が『墓場』から拾ってきた子供だ。

 しかもただの捨て子というわけでもない。そもそも、鬼太郎には『人間の血』が流れていないのだ。

 

 

「あいつ、気付いてるのか? 自分が……人間じゃないってことを……」

 

 

 八年前。水木は以前住んでいた家の隣の敷地——とある寺で恐ろしい『何か』と出会った。

 それは——全身を包帯でぐるぐる巻きにした大男に、血の気が引いた顔をした病人の妊婦。一組の夫婦であった。

 

 その佇まいや雰囲気は、あからさまに人間のそれではなく。その恐ろしい風貌を前に、水木は碌に話を聞く暇もなく逃げ出してしまった。

 彼らは——何故か自分の名前を知っていた。『水木!』『水木!』と追い回してくる包帯男に、水木は恐怖を抱きながらも、不思議と引っかかるものを感じた。

 

 そのときの感覚が尾を引いたのか、水木は恐れながらも再び夫婦の元を訪れたのだが——そのときには、既に二人とも事切れていた。

 包帯男は全身が腐り果て、女性も静かに息を引き取っていたのだ。

 

 名も知らぬ相手とはいえ、その死に様を不憫に思った水木。まだ遺体が残っている女性を土の中へ埋葬し、墓を作ってやった。

 せめて安らかに眠って欲しいと、手を合わせてそのまま帰ろうとした、そのときだ——。

 

 

『——オギャ!! オギャー!!』

 

 

 女性を埋葬した墓から——赤ん坊が這い上がってきたのである。

 遺体のお腹を突き破り、土の中から出てきた驚くべき生命力に水木は戦慄する。思わず抱き上げてしまったその赤ん坊を、一度は殺そうかと思い悩んだほどだ。

 

『この子は化け物の子だ……生かしておいたら、きっと災いの種になるに違いない……』

 

 人ではない化け物、きっと人間とは相容れない存在であると。

 赤ん坊を掴み上げたその腕が、その子を地面に向かって叩きつけようと振りかぶられる。

 

 

 だが——出来なかった。

 

 

 一瞬、脳裏に見覚えのない——『白髪に着物を纏った男』の後ろ姿が見えたのだ。どこか赤ん坊にも面影を感じるその姿に、その子を投げようとしていた腕が止まる。

 

『…………』

 

 気がつけば、水木はその子を抱きしめていた。

 降りしきる雨の中、その子が風邪をひかないようにと、そっと包み込むように。

 

 その後、赤ん坊を連れ帰った水木はその子を『鬼太郎』と名付け、育てることにした。まだ存命だった母親からは当然反対されたが、どうしても見捨てる気にもなれなかった。

 

 鬼太郎——『鬼の男の子』などと名付けたのは、その子が自分の子供ではない、化け物の子であると戒めるためか。

 それから八年間、水木はずっと鬼太郎の成長を見守ってきた。

 

 

「本当に……なんだったんだろうな……あのときの、あれは……」

 

 水木は鬼太郎を拾った直後のことを思い返し、やはり首を傾げる。

 

 あのとき垣間見えたあの光景——『着物を纏った白髪の男性』。少なくともあのような男、水木の知り合いにはいない筈だ。

 いったいあれが何者なのか、八年経った今でも分かってはいない。

 

 

「俺が失った記憶……あの数日間の出来事と、何か関係があるのか?」

 

 

 ただ思い当たる節がないわけではない。もしかしたら自分が覚えていないだけで、あの男性とどこかで会っていたのかもしれないと——水木は『自身の失われた記憶』について考える。

 

 そう、水木にはどうしても思い出すことの出来ない——空白の記憶があった。

 

 それは『哭倉村(なぐらむら)』という場所に出張に赴いたとされる、その前後の記憶だ。

 どうやら自分はその村で数日間を過ごしたらしいが、そこで何をして、どんな人と話をしたのか。その辺りの記憶が綺麗さっぱり抜け落ちているのである。

 

 水木が気が付いたとき、彼は村から離れた森の中で朦朧としており、駆け付けてきた救助隊に保護されていたという状況だった。

 そのときには、黒かった髪が全部真っ白になっていたとか。いったいどんな目に遭ったというのか、自分でも何も分からないのだ。

 

「社長もしつこく聞いてきたけど……覚えてないんだから答えようもないよな……」

 

 そのときの記憶については、当時勤めていた会社の社長からも色々と根掘り葉掘り聞かれたものだが、本当に何も覚えていないのだから答えようがない。

 寧ろ、こちらが知りたいくらいだ。なにせ八年経った今でも、時より覚えのない記憶に悩まされることがあるのだから。

 

「…………」

 

 ふと、街中を歩いていた水木の視線の先にとある建造物が映った。それは復興を遂げた東京に象徴のように聳え立つ——東京タワーである。

 

 1958年に完成した世界一の電波塔。

 東京で暮らしていれば見る機会も多いそのタワーを目にした瞬間、水木の脳裏にフラッシュバックする光景があった。

 

『——ホント、おじさん!?』

 

『——世界一の電波塔、見られるかな?』

 

 幼い少年が自分に向かって無邪気に話し掛けてくる。表情も見えない筈なのに、その子の言葉に何故か引っ掛かるものを感じる。

 

「…………」

 

 それだけではない。 

 

 信号を待つ間、すぐ近くの喫茶店の様子がたまたま目に止まった。窓から見える店内では、若い女性がクリームソーダを飲んでいた。

 喫茶店の王道メニュー。今の時代、東京であれば特に物珍しい飲み物でもないが。

 

『——ええ、クリームソーダを喫しました』

 

『——今度『  』くんと一緒に東京へいらっしゃい』

 

『——私、貴方と行きたいですわ……』

 

 そのクリームソーダのシュワシュワと輝く泡を目にするたびに、何故か若い女性とのやり取りが思い出されてしまう。やはり彼女の表情も見えないし、見覚えもない。

 だが彼女のことを思い出すたび、胸が締め付けられるようにいつも苦しくなるのだ。

 

「……っ! またかよ……いったい、なんだって……こんな記憶が……」

 

 戦場帰りの水木には、時々戦争での記憶がフラッシュバックするときがあった。だが今ではもっぱら、こちらの記憶を夢に見ることがほとんどだ。

 

 知らない男の子と、知らない女性。

 そして、白髪の男。

 

 この三人の人物が——失われた水木の記憶の大半を占めているのだろうか。

 

 

「誰なんだ……いったい、君たちは誰なんだよ……」

 

 

 思わず疑問が呟きとして水木の口から零れ落ちる。

 だが、その問い掛けに答えてくれるものがいるわけもなく。

 

 

 水木は常に悶々とした気持ちを抱えながら、日々を生きていくしかなかったのである。

 

 

 

×

 

 

 

「…………」

 

 水木が出掛けた後のアパート。鬼太郎は一人大人しく留守番をしていた。

 彼の年頃を考えれば、もう布団に入ってもいい頃合いだろう。だが鬼太郎に眠りにつく気配はなく、それどころかどこかそわそわした様子で、何かを待つよう先ほどから玄関の様子をチラチラと伺っている。

 

「——鬼太郎、鬼太郎よ……」

 

 すると、玄関から鬼太郎の名を呼ぶ声が聞こえて来る。

 その声に反応して顔を上げる鬼太郎。彼はすぐに玄関へと向かい扉を開け、その人物を部屋の中へと招き入れる。

 

「父さん! お待ちしてました……どうぞ、こちらに……」

「うむ……」

 

 それは、頭部が目玉になっている小人。普通の人間が目撃すれば、まず悲鳴を上げるであろう怪異の類だった。

 だが、そんな目玉の存在を鬼太郎は慕い——そして『父』と呼んだ。

 

 そう、何を隠そうと——この目玉の人物こそ、鬼太郎の実の父親なのである。

 

 その人物とて、本来ならちゃんとした肉体を持っていた。彼らは幽霊族と呼ばれる種族であり、その外見も人間とさして変わらないものだった。

 ところが、彼はとある事情により肉体を失った。全身を腐らせ、そのまま一度は妖怪としての生を終わらせたのである。

 

 そう、水木が目撃した全身に包帯を巻いた大男——それこそが彼本来の姿だったのである。

 

 彼も、その連れ合いである妻も。あのとき確かにその生を終え、彼にいたってはその肉体は原型を留めないほどにドロドロとなって朽ち果てた筈だ。

 

 しかし、墓場から這い出てきた鬼太郎の、息子の鳴き声が彼の魂を震わせた。

 息子を想う彼の願いが、その魂を自身の肉体の一部——目玉へと憑依させ、全く新しい形へと生まれ変わらせたのである。

 

 

 それこそが、この目玉の人物——後に目玉おやじと呼ばれるようになる彼であった。

 

 

「今日も色々と話を聞かせてください、父さん!」

 

 そんな本来の姿とはかけ離れた目玉おやじを、鬼太郎は父親と正しく理解していた。

 親子の絆がそうさせたのか、物心ついた頃から鬼太郎は目玉おやじは父さんと呼び、彼から様々なことを学ぶようになった。

 

「そうじゃな……では今日も、わしら幽霊族のこと、妖怪のこと……話していくとするかのう」

 

 目玉おやじが人知れず鬼太郎の元を訪れて教えていたのは、妖怪としての知識や常識などである。

 

 今は水木のもとで人間のように振る舞っている鬼太郎だが、いずれは幽霊族の末裔として、妖怪として生きていかなくてはならないときが来るだろう。

 そのときのためにと、目玉おやじは彼に妖怪とはなんなのか。自分たち幽霊族の境遇など、基本的なことを教えていたのである。

 

 鬼太郎も父親と二人っきりで過ごせる、この時間を何より楽しみにしていた。

 

「ところで鬼太郎……水木は、今日も仕事か?」

 

 だが肝心の話に入る前に、目玉おやじは鬼太郎の今の保護者——水木の近況を尋ねる。目玉おやじの問い掛けに、鬼太郎は表情を曇らせながらも答えていく。

 

「ええ……ここ最近はほとんど毎日です。一日中……ずっと働いています……」

 

 水木に拾われた八年前から、彼と一緒に生活している鬼太郎。だがここ最近、もう一人の同居人であった水木の母親が亡くなってからというもの、彼の生活スタイルはだいぶ様変わりした。

 

 以前に勤めていた会社——血液銀行という場所を辞めた水木は、日雇い労働者として生計を立てるようになっていた。ちょうど建設ラッシュ期ということで働き口には困らないというが、忙しさは以前と比べて段違い。

 毎日毎日、へとへとになって家に帰って来る水木に、世話になっている身としては申し訳ない気持ちになってしまう。

 

「父さんは……水木さんとは知り合い、なんですよね?」

 

 ふと、水木の話になったところで鬼太郎はそれまで気になっていたことを尋ねた。

 それは目玉おやじが、水木と以前からの知り合いだったということ。目玉おやじがまだ肉体を持っていた頃に、彼と交流を持っていたという話だ。

 

 

「ああ……共に苦難を乗り越えた。相棒じゃよ……」

 

 

 息子の問いに目玉おやじは堂々と答えた。

 

『相棒』——きっと、それが水木と目玉おやじの関係を端的に表すのに一番しっくりくる言葉なのだろう。二人の乗り越えた苦難の大きさが感じられる、力強い響きだ。

 

「けど……水木さんは、父さんのことを覚えてないんですよね?」

 

 だがその一方で、水木は目玉おやじのことを何も覚えていないようで。水木の口から、目玉おやじや妖怪のことが語られることは一度としてなかった。

 

「もしかしたら……父さんが名乗り出れば、あの人も思い出してくれるんじゃないでしょうか?」

 

 ならばと、鬼太郎は目玉おやじが名乗り出れば、もしかしたら水木が全てを思い出すのではないかと考える。

 父親が相棒とまで言い切る人間だ。二人の絆が本物なら、姿形の違いなど関係なくきっと思い出してくれると信じていた。

 

「いや……無理に思い出させる必要はない。きっと、忘れていた方があやつのためじゃ……」

 

 しかし鬼太郎の意見に目玉おやじは首を横に振り、頑なに水木の前に姿を現そうとはしなかった。

 

 自分のことを思い出してもらえないのは寂しいかも知れない。だが、水木があの哭倉村で体験した数々の出来事は——正直忘れていた方がいい、辛い記憶ばかりだという。

 全てを思い出すことが幸福なわけではないと。目玉おやじは、彼の記憶にそっと蓋を閉じることにしたのだ。

 

「鬼太郎……わしら幽霊族はあやつに大きな恩がある。それを仇で返すような真似だけは、絶対にしてはいかんぞ……よいな?」

「……はい、分かっています……父さん」

 

 けれど、目玉おやじはその哭倉村で水木にしてもらったことを決して忘れはしない。

 

 あの村での出来事がきっかけで、目玉おやじはこんな姿になってしまったが、水木があの村から彼の妻——鬼太郎の母を連れ出してくれなければ、鬼太郎がこの世に生を受けることもなかったという。

 産まれたばかりの鬼太郎も、水木が保護してくれなければ野垂れ死んでいたかも知れないのだ。

 

 その恩から、目玉おやじは水木に迷惑を掛けることを良しとしなかった。その気持ちは鬼太郎も同じである。

 

「けどボクは妖怪で……あの人は人間。どうしても……こう、ズレを感じてしまうんです……」

 

 しかしそうした恩を感じる一方で、鬼太郎は今の自身の境遇に拭いきれない違和感を抱いていた。

 

 水木の元で人間の子供として生きる日々。そんな日々に、妖怪としての鬼太郎の心が常にズレを感じている。

 赤ん坊の頃はそんなこと何も考えずにいられたと思うが、そのズレは成長と共に徐々に大きくなっていくばかりだ。

 

 いつか、そのズレが致命的な何かを引き起こしてしまうのではないかと。鬼太郎はそのことを恐れ、水木とも段々と距離を置くようになった。

 

 

 人間と妖怪。いずれにせよ、別れの時は必ず来る。

 そのいずれが——すぐ近くまで迫っていたことを、このときの鬼太郎には知る由もなかった。

 

 

 

 

 

「こんばんは……今日もよろしくお願いします」

「おお、来たか。早く作業に入れ、モタモタするなよ!!」

 

 鬼太郎と目玉おやじが話し合っていた頃、水木は深夜の工事現場に到着していた。

 

 そこは都内にあるトンネルの開通現場。首都の高速道路を整備する上で必要となってくる工事であった。それこそ、オリピックまでに絶対に間に合わせなければならないものであり、現場も常にピリピリしていた。

 命懸けで働く作業員としては事故など絶対に起こしたくないが、上層部からは期限までに間に合わせろの一点張り。常に怒鳴り声が飛び交う、精神的にもキツい現場だ。

 

 だがその苦労も、もうすぐ報われる。

 工事そのものが既に佳境であり、作業にも終わりが見え始めていたことで人々の顔にも自然と笑顔が浮かんでいる。工事が辛かった分、給金は弾むだろう。このトンネルだって、きっと自分たちの生活を豊かにするための設備だと。

 誰もがこの国の将来、自分たちの未来が希望に満ちているものだと信じていた。

 

 

 だが、そんな油断している状況にこそ、起きてはならない事故というものが起きる。それも人々が予期せぬ形——外部からの妨害という『悪意』によって、それは起こった。

 

 

「オーライ!! オーライ!! よーし……いいぞ、止まれ!!」

 

 トンネルの外。一台のトラックが作業員の誘導の元、しっかりと定位置に停車した。あとはこの荷台に工事の際に出た瓦礫を積み、他所へと運んでいけばいい。

 ただそれだけの作業なのだが——そこで不可解な事象が起きる。

 

「……あん? なんだ……?」

 

 運転手が降りた直後、誰も乗っていない筈のトラックが——いきなりエンジンをふかし始めた。一人でに動き始めるトラックに周囲の人々が騒然となる。

 

「おいおい!! なんで動いて……はぁっ!? ひ、火っ……!?」

 

 勝手に動くトラックを止めようと、降りていた運転手が慌てて駆け寄ろうとするのだが——次の瞬間、そのトラックから火の手が上がった。

 まるで意志を持つかのよう『炎』が蠢き、運転手の乗車を拒んでいく。

 

「な、何が起きて……はっ!?」

 

 事態を飲み込めないでいる運転手が手をこまねいている間にも、炎上するトラックは勢いよく走り出す。

 

 未だ工事中のトンネル内へ——その壁面に向かって一直線に突っ込んでいったのだ。

 

 衝突の瞬間、凄まじい轟音を響かせてトラックは大破。強烈な破壊音にトンネルの奥で作業をしていた人々が何事かと振り返るが、そのときには既に二次災害が起きようとしていた。

 大破したトラックから、ガソリンが漏れ出していたのだ。地面を流れる引火性の液体に、トラックを包み込んでいた炎が——触れてしまう。

 

 

 結果、先ほどよりもさらに凄まじい爆発音が響き渡り、周囲一帯に恐るべき破壊を巻き起こしていく。

 

 

「うわあああああ!?」

「く、崩れる!? に、にげろぉおおおお!!」

 

 刹那、爆発の衝撃によってトンネルの出入り口が崩れる。外にいた作業員はすぐにその場を離れ、なんとか難を逃れた。

 

「な、何が起きて……?」

「て、天井が……ああああああああああ!?」

 

 だが、トンネル内で工事を続けていた何十人もの作業員は咄嗟に動くことが出来ず、逃げ遅れてしまった。

 瓦礫の中へと埋もれていく人々の、絶望と恐怖の悲鳴が木霊していく。

 

 

 

「……た、大変だ……!! 救急車……誰か救急車をっ!!」

「しょ、消防にも連絡を……急げ!!」

 

 いかに事故が日常茶飯事だった建設ラッシュ期といえど、ここまで大規模な事故そうそうない。人間たちが右往左往、すぐにでも事態を終息させなければと動き回る。

 

 

「——クックック……フハハハハ!! どうだ人間ども!! これが俺様の力よ、思い知ったか!!」

 

 

 そんな人々のパニックする様を、彼らの困惑ぶりを一望できる建物の上から——人ならざるものが嘲笑う。

 

 それは宙に浮く車輪、その中心部に鬼のような顔を携えた異形の怪物であった。

 しかし、ただの人間にその姿を目撃することは出来ない。目に見えないものを見ようとしない。文明の発展を謳歌し始めた現代人、闇に蠢く存在を忘れかけている今の人間たちでは彼ら——妖怪の存在を正しく認識できなかった。

 

 その妖怪——名を『片車輪(かたしゃりん)』と言う。

 

 車輪に人の顔が付いている。見た目の姿は輪入道(わにゅうどう)などと似通っているが、その能力はまるで違うものだ。

 

 片車輪の妖怪としての能力は『回転するものに憑依し、それを自在に操れる』というもの。回転するもの、つまりは車輪——車のタイヤなども、それに含まれている。

 自動車のタイヤに憑依すれば、その自動車そのものを動かすことが出来るのだ。先ほどもトラックのタイヤに乗り移ることで、トラックを暴走をさせて事故を引き起こした。

 しかも片車輪は回転すればするほど、その身に炎を纏い、燃え上がるという厄介な特性を秘めている。

 

 今この瞬間も、使われなくなった古い車輪に乗り移り、燃え上がりながら回り続けている。その地獄のような炎の前で、ただの人間など無力な存在に過ぎないだろう。

 

 

「——相変わらず素晴らしいお力ですよ、片車輪さん」

 

 

 そんな片車輪の横に、小柄な老人がそっと佇む。

 

 一見するとただの人間のようだが、その老人は後頭部が妙に長かった。怯え惑う人々を見下ろす表情は、片車輪以上に愉悦と侮蔑に満ちている。

 その老人に対し、片車輪が上機嫌に声を掛ける。

 

「おお、ぬらりひょん……!! またしても人間どもに目にものを見せてやったぞ!!」

「やはり、片車輪さんにお願いして正解でした……貴方の能力は、今の人間たちにこそ脅威となるでしょう……」

 

 片車輪は老人をぬらりひょんと呼び、本人もその呼び掛けにニヤリと口元を歪めていく。

 

 

 妖怪・ぬらりひょん。

 一部では妖怪の総大将などと呼ばれる、狡賢い策略を得意とする老獪な妖怪である。彼はこの地上は妖怪のものであると主張し、妖怪の復権を掲げ、いつの時代も人間たちに戦いを挑んでいた。

 この時代、戦後からの復興を果たそうとしていた高度経済成長期にも、ぬらりひょんは人間社会に打撃を与えるべく影ながら活動していたのだ。

 寧ろ、この時期だからこそ積極的にテロ行為のような真似を頻繁に繰り返していた。

 

 

「このトンネルを潰せば……オリンピックの開催にも支障が出る。人間どもに痛手を与える、またとない好機なのです……」

 

 そう、オリンピック。日本の復興を全世界に知らしめる祭典など、ぬらりひょんにとっては成功しない方が好都合。

 これまでもオリンピックに関わるであろう重要な施設を、同志として勧誘した片車輪に襲わせて来た。

 

「フハハハハハ! まだまだ!! 俺の力はこんなもんじゃないぞ!!」

 

 一方で、片車輪は特にこれといった思想があるわけでもなく、妖怪としての能力を駆使して暴れられればそれで満足という手合いだった。

 

「ええ、この世界の闇が誰のものなのか……今一度、人間たちに分からせて上げなければなりませんからね、フッフッフ……」

 

 もっとも、そういった手合いの方が手綱を握りやすいとばかりに、ぬらりひょんは怪しげ笑みを浮かべていく。

 

 

 

×

 

 

 

「さてと……今日はこんなところかのう……」

 

 水木のアパート。目玉おやじは鬼太郎へ妖怪に関する講義を終え、とりあえずその日の話を終えようとしていた。

 

「なるほど……勉強になります、父さん!」

 

 父親から妖怪の話を教えてもらったと、鬼太郎は高揚感を隠す様子もなく嬉しそうに笑みを浮かべる。

 そんな息子を微笑ましい気持ちで見守りつつ、目玉おやじはふと、鬼太郎の今後を思って意見を口にしていく。

 

「鬼太郎よ……妖怪の話も悪くないが、お前もたまには人間社会の情勢に目を向けてみたらどうじゃ?」

「……えっ?」

 

 妖怪としての有り様を目玉おやじから学んではいるものの、今は鬼太郎も人間として水木のもとで世話になっている。

 人間の生活に対応するためにも、人としての一般常識くらいは蓄えておくべきだと、目玉おやじは考える。

 

「ほれ、これ……ラジオというのじゃろう? これでニュースでも聴くとよい、これも勉強じゃ」

「は、はぁ……まあ、たまに水木さんと一緒に聴いたりはしてますが……」

 

 そこで目玉おやじが目を付けたのが、ラジオであった。

 

 この頃、既に一般家庭でもテレビが普及しつつあったが、水木にそこまでの経済力はなく。情報収集手段といえば新聞やラジオがほとんどである。

 一応、鬼太郎もラジオの使い方くらいは心得ているつもりだ。電源を入れ、適当にダイヤルを回して様々なチャンネルと周波数を合わせていく。

 

『——打った!! 入るか? 入るか? 入った!! ホームラン!!』

 

『——今日紹介する曲は誰もが一度は耳にした、あの名曲……』

 

『——今日もたくさんのお便りをいただいています。さっそく読み上げて……』

 

 チャンネルごとにスポーツ実況や音楽番組、ラジオらしくリスナーからの手紙を読み上げたりと。テレビが主流になりつつある時代でも、様々な番組がラジオで放送されていた。

 

『——続報です、先ほどお伝えしたトンネルでの爆破事故ですが……』

「……なんじゃ? 爆破事故?」

 

 そんな中、適当にチャンネルを弄っていると、深刻な様子で原稿を読み上げるニュースキャスターの声が目玉おやじの耳に届く。

 内容を聴くに、どうやら工事中のトンネルで爆発事故が起きたようだ。原因はトラックの暴走らしいが、まだ詳しい情報は判明していないとのこと。 

 

「ふむ……やはり人間社会も色々と大変なようじゃな……」

 

 そうして、流れてくるニュースに目玉おやじが神妙な顔付きになる。

 今の時代、人間の社会が急速に成長を遂げようとしていることは、目玉おやじも知っている。こうした事故も、そういった急速な変化の反動なのかもしれないと、うんうんと頷く。

 

「と、父さん……」

「ん……どうした、鬼太郎?」

 

 すると、そのニュースを一緒に聴いていた鬼太郎の表情が青ざめていた。

 彼はもう一度、読み上げられるニュースの内容にしっかりと聴き耳を傾けながら——やはり間違いないと、その事実を目玉おやじにも告げていた。

 

 

「この事故があったというトンネル……水木さんの今日の仕事現場です……」

「なんじゃと……!?」

 

 

 

 

 

「…………痛っ……!! な、何が起きたってんだ……?」

 

 ふと、水木は頭に痛みを感じて目を覚ます。

 先ほどまで何事もなくトンネルでの工事を進めていた筈だったが、いきなり何かの爆発音が響いたかと思えば、意識が飛んで——気が付けば、視界に『惨状』が広がっていた。

 

「おいおい……こりゃひでぇな……天井が、落ちてきたのか?」

 

 水木が真っ先に目にしたのは、無惨にも崩れてしまったトンネルの天井だ。崩壊した瓦礫が資材や作業機械——そして、人々を呑み込んでいた。

 さらには、トンネルの中に突っ込んできたと思われるトラックらしきものの残骸。既に車体は木っ端微塵に吹き飛んでおり、爆発の際に発生したであろう炎が煌々と燃え上がり、トンネル内の惨状を克明に照らし出していた。

 

「…………くそっ!! おい、大丈夫か!? しっかりしろ!!」

 

 目の前の惨状に息を呑みつつ、水木は自分の近くで倒れていた作業員の一人に駆け寄っていた。水木自身も頭から血を流していたが、この程度なら問題ないと判断する。

 伊達に戦場を経験してはいないと、自分よりも重症の作業員の容体を確認していく。

 

「うぅうう……痛い、痛ぃいいいいいっ!?」

 

 その作業員の状態は、素人目に見ても酷いものだった。

 爆風をまともに受けてしまったのか、ところどころに火傷を負っている上、瓦礫に足を挟まれてしまったようだ。

 右足はともかく、左足の方は完全に潰れ——原型を留めてすらいなかった。

 

「……待ってろ!! 今止血を……!!」

 

 それでも、水木はその作業員の命だけでも繋ごうと。戦地で学んだ知識を総動員し、懸命に応急処置を施していく。

 

「どうして……なんでこんな……やっとまともな生活が送れると思ったのに……田舎の母ちゃんに……楽させられると思ったのに……なんで……!!」

 

 水木の手当てを受けている間、その作業員の口からは「どうして?」「なんで?」という悲壮感に満ちた呟きが零れ落ちていた。

 どうやら、彼は地方からの出稼ぎ労働者のようだ。少しでも自分たちの生活が豊かになることを信じ、労働に従事してきたのだろう。

 

 だがそうして頑張ってきた結果がこれでは、あまりにも報われない。そんな彼の絶望する姿に、水木の心から暗い記憶が浮き上がってくる。

 

 

「なんだよ……何も変わってねぇじゃねぇかよ……この国は……」

 

 

 軍隊にいた頃、水木は上官の命令で勝ち目のない戦い——『玉砕特攻』を命じられた。

 

 お国のため、上官の面子のため。部下という弱者の立場である自分たちに、強者である彼らは『死ね』と命じたのだ。

 それでも、なんとか生き残って帰還を果たした水木。しかし故郷で待っていたのは——母親という弱者が、親戚連中という強者に全財産を騙し取られていたという現実だった。

 そのときの体験が母親を心身ともに弱らせ、結果として彼女の寿命を縮めたのかもしれない。

 

 あれから年月が経ち、少しはまともになったかに思えたが——やはり本質的なところでは何も変わっていないと感じる。

 

 お国はオリンピックという他国への面子のため。企業は利益のため。弱者である労働者を命懸けで働かせ、したり顔で搾取を続けている。

 戦争であれ、労働であれ、結局のところ弱者は強者に食い物にされるのだと。そんな食われる立場が嫌で、水木は出世を望んでいた——望んでいた筈だった。

 

「今はもう……そんな気分にもなれねぇけどな!!」

 

 ところが、そんな燃えるような野心が、地位や権力といったものに固執していた筈の自分が——いつの間にか、どこかへ消え去っているのを水木は自覚していた。

 

 権力や金、そういったもので得られる高揚感、優越感。それらが心底くだらないと、何故かそう思うようになっていたのだ。

 前の仕事——血液銀行を辞めたのも、もしかしたらそういった心境の変化があったからかもしれない。

 

 

 いずれにせよ、今はそんなことどうでもいいとばかりに。

 今はただ、目の前の命を救うために必死になる。それが——水木という人間だった。

 

 

 

 

 

「待て、鬼太郎!! どこへ行こうと言うんじゃ!?」

「決まってます……水木さんのところですよ!!」

 

 一方その頃、ラジオ放送でトンネル事故のことを知った鬼太郎は慌てて外に飛び出していた。水木が事故に巻き込まれているのではないかと、彼の元へ急ぎ駆け付けようとする。

 だが、そうして逸る気持ちの鬼太郎を宥め、なんとか落ち着かせようと目玉おやじが息子の頭の上から厳しい言葉を投げ掛ける。

 

「鬼太郎、お前はまだ子供じゃ!! 妖怪としての能力すら碌に扱えないお前が行ったところで、何も出来ることなどない!!」

 

 鬼太郎は幽霊族として様々な能力を引き継いでいるが、まだそれを実践で使用したことがない。妖怪としての能力など、それこそ人間として生きている今は必要ないと、あえて何も教えなかったのだ。

 そんな鬼太郎が、危険な事故現場に行ったところで出来ることはないと、目玉おやじは息子を必死に制止する。

 

「……父さん、先ほど言いましたよね? 水木さんには恩があると……」

 

 しかし父親の冷静な指摘にも、鬼太郎は一向に折れる気配はなく。寧ろ、さらに気持ちを昂らせながら言葉を紡いでいく。

 

「ボクは、まだあの人に何も返せていません……たとえ、何も出来なくとも……ここで行かなければ、きっと後悔することになるんです……」

「鬼太郎……」

 

 若さ故か、鬼太郎はたとえ何も出来なくとも、水木のために何か出来ないかと行動を起こそうとしていた。息子のその思いは、目玉おやじとて理解は出来る。

 しかし、やはり大人として彼の無茶をやめさせなければと。目玉おやじは憎まれるのを覚悟で説得を続けようと試みる。

 

「——っ!?」

 

 だがそのとき、目玉おやじが口を開きかけるよりも先に——高速で『何か』が鬼太郎の元まで飛んできた。

 猛スピードで突っ込んでくるそれに、咄嗟に目を閉じる鬼太郎。だが、それは鬼太郎の目の前まで止まり、その存在を主張するかのように大きく広がってみせる。

 

 飛んできたものの正体——それは黄色と黒の横縞模様で彩られた、一着のちゃんちゃんこであった。

 

 

「おおっ!? これは……ご先祖様の霊毛で編まれたちゃんちゃんこ!!」

 

 

 そのちゃんちゃんこを前に、目玉おやじが目を見開く。

 それは今は亡き幽霊族たちが子孫——鬼太郎のために残したともいうべき遺産。鬼太郎とその家族の危機に、彼らを守らんとする幽霊族たちの想いが、一つに結集して編まれたちゃんちゃんこなのだ。

 その霊毛ちゃんちゃんこが、今この瞬間、鬼太郎のためにと自らの意思で彼の元までやってきた。

 

「!? またっ……何か来ます!!」

 

 さらに、その霊毛ちゃんちゃんこの意思に呼応するかのよう、別の方角から飛んでくるものがあった。それは鬼太郎の足下でピタリと止まり、まるで自分を履けと言わんばかりにその存在感を主張する。

 

「り、リモコン下駄まで……お前も、鬼太郎を主と認めたのか!?」

 

 それは——リモコン下駄。

 目玉おやじが元の肉体であった頃に愛用していた、数多くの危機を乗り越えてきた相棒のような武装である。脳波で自由自在にコントロール出来るその下駄の一撃は、並の妖怪など容易に蹴散らしてしまう。

 

「……ボクに、力を貸してくれるのか? ありがとう……」

 

 飛来してきたそれらのアイテム。鬼太郎は戸惑いつつも、その両方を身に付けた。

 霊毛ちゃんちゃんこを羽織り、リモコン下駄を履く。それにより、鬼太郎の姿は随分と様になったように感じられる。

 

「むむむ……仕方ない。ご先祖様の守護たる霊毛ちゃんちゃんこがあれば……そう怪我などせんだろうしな……」

 

 その二つの装備——特に霊毛ちゃんちゃんこを身に付けた鬼太郎に、目玉おやじもようやく納得したようだ。

 

「だが油断するでないぞ、鬼太郎……何があるか分からんからな!」

「はい、父さん!!」

 

 勿論、目玉おやじも鬼太郎と一緒について行く。二人で水木の危機を救うべく、事故現場へと急行するのだった。

 

 

 

×

 

 

 

「おい、まだか……ぬらりひょん!! まだ暴れてはいかんのか!?」

 

 炎を纏いながらぐるぐると回っている、妖怪・片車輪。

 本人としてはもう一度、人間どもに自身の力を誇示したくてうずうずしているようだが、ぬらりひょんから暴れるのは少し待つように言われていた。

 

「そろそろですよ。先の事故から負傷者を助けようと……より多くの人間どもが集まってくる筈ですから……」

 

 ぬらりひょんが見計らっていたのは、タイミングである。

 片車輪が引き起こした最初の事故から時間が経てば、消防車や救急車がやって来る。負傷した人々を助けようと、使命感と善意を持って駆けつけてくるものたち。

 ぬらりひょんはそんな彼らすらも巻き込み、再び片車輪に力を振るわせるつもりだったのだ。

 

 さすればより多くの人間たちに被害を出し、本丸であるオリピック開催にも亀裂を入れられるかもしれない。

 無論、その程度の犠牲で中止になるような祭典だとは思っていないが、少なくとも事故を引き起こした無能な政府と、民衆を煽動することは出来るだろうと頭の中で計略を巡らせていく。

 

「さて……いいでしょう。片車輪さん、お願いしますよ」

 

 そうして、狙い通りに救急車などが集まり、事故現場ではより多くの人間たちが動き回っている。

 今こそ片車輪を暴れさせる絶好のタイミングと、ぬらりひょんは笑みを深めながら同志に声を掛けていく。

 

「よーし!! ではもう一度……今度はあの白い車にでも乗り移るかな!!」

 

 それに待ってましたとばかりに片車輪が動き出す。再び近くの車——今度は救急車にでも乗り移ろうと画策する。

 

 人の命を救うための車で、人を害そうとするその悪辣さ。

 まさに妖怪、悪鬼の所業というべきだろう。

 

 

「——お前たち……もしかして、妖怪? いったい……そこで何をしているんだ?」

「——!?」

 

 

 だがそのとき、彼らを咎めるように呼び止めるものがいた。

 これには片車輪も、ぬらりひょんでさえ少し驚いたように声のした方を振り返る。

 

「…………」

 

 そこに立つのは一人の少年。

 いずれは多くの妖怪、人間たちにその名を呼ばれることになるだろうが、このときの彼はまだ無名だ。

 

「貴方は……貴方も妖怪のようですが……いったい、何者ですかな?」

 

 ぬらりひょんは初対面のその少年を妖怪と見抜き、いったい何者なのかと問うた。その問いに、少年は少し戸惑いながらも答えていく。

 

「——ボクは鬼太郎……幽霊族の鬼太郎だ」

 

 

 

「なんだ小僧!? 邪魔をするなら……まずは貴様から片付けてやるぞ!!」

 

 無遠慮に自分の邪魔をするように現れた鬼太郎に、片車輪が怒りを隠そうともせずに奮い立つ。くるくると自身の体を回転させることで、その身に纏う炎がさらに激しく燃え上がっていく。

 

「……っ!!」

 

 そんな片車輪の妖怪としての能力、激しい敵意に鬼太郎の体が緊張から強張る。彼にとって、ここまで剥き出しの敵意を向けられるのは初めての体験だ。

 まだ相手が何者かも聞いていないのに、いったい何をどう対処すればいいか分からず、その場で立ち尽くす。

 

 

「——お待ちなさい、片車輪さん」

 

 

 だが、ここでぬらりひょんが待ったを掛けた。彼は片車輪を強引に下がらせ、鬼太郎に向かって一歩前へと歩み出る。

 

「……っ!!」

 

 ぬらりひょんが自然と放つ威圧感に、鬼太郎は怯むように後退していく。

 こういった状況にまだ場慣れしていない鬼太郎に、ぬらりひょんは一瞬、ニヤリと口元を歪めながらも真摯な言葉遣いで鬼太郎へと語りかけていく。

 

「初めまして、鬼太郎くん。私はぬらりひょん……妖怪の復権のため、微力ながらも尽力させていただいているものです……」

「ぬらりひょん……妖怪の、復権?」

 

 それが、鬼太郎とぬらりひょん。

 全く相反する二人が、初めて互いの存在を認識した瞬間だったかもしれない。

 

 

 

「私はただ妖怪のため、薄汚い人間の魔の手からこの地上を取り戻したいだけなのですよ」

「…………」

「鬼太郎くんと言いましたね? 貴方も妖怪であれば、我々に力を貸していただきたい。幽霊族の末裔である貴方の掛け声があれば、きっと多くの妖怪が賛同してくれるでしょう」

 

 ぬらりひょんは、妖怪である鬼太郎に自分は味方であると甘い言葉を囁く。妖怪のために日々力を尽くしている己の活動を正当化し、同じ妖怪である鬼太郎を仲間に引き込もうというのだ。

 鬼太郎は、妖怪の復権とやらにそこまで深い興味があるわけではない。しかし、ぬらりひょんの巧みな話術に足を止め、思わず聞き入ってしまっている。

 

「——鬼太郎!! 奴の言葉を真に受けてはいかん!!」

「——っ!!」

 

 だがここで、ぬらりひょんの言葉を遮るように、目玉おやじが鬼太郎の頭から顔を出して警告する。

 

「ぬらりひょん……ぬらりくらりと捉えどころのない妖怪じゃ!! 奴の戯言に惑わされぬよう、気をしっかり持て!!」

「は、はい……!!」

 

 ぬらりひょんという妖怪の特性は、目玉おやじも知っている。奴とまともに言葉を交わしても惑わされるだけだと。息子に注意を促し、鬼太郎もそれにしっかりと頷く。

 

「!! これはこれは……お会いできて光栄です。幽霊族の生き残り……奥方殿のことは、誠にお悔やみ申し上げます……」

「っ……!? お主、幽霊族の……わしらのことを知っておるのか!?」

 

 だが目玉おやじの登場にも、ぬらりひょんはすぐに対応してみせた。その匂わせるような言動には、聞く耳を持つなと言っていた目玉おやじでさえ、思わず質問を投げ掛けてしまう。

 

 これこそ、妖怪・ぬらりひょん。

 どれだけ注意していようと、生半可なことでは彼の話術、策略から逃れることは出来ないのだ。

 

「ええ、幽霊族を襲った惨劇……あの村での悍ましい所業は、私の耳にも届いておりますとも。本当に、人間とはどこまでも業の深い生き物です……全く、救いようがない!!」

「っ……!!」

 

 このぬらりひょんという男。実際に幽霊族の身に起こった出来事、目玉おやじとその妻が辿った結末をある程度は把握しているようだった。

 

 何故、どうして——などと聞き返すのは無粋だ。ぬらりひょん。その気になればどこへでも、ぬらりくらりと入り込み妖怪。

 彼の前で隠し事など無意味だと。対峙するものにそう思わせるほどに、底知れぬ恐ろしさを感じさせる。

 

「あんな連中……人間のために幽霊族が肩入れする理由など、これっぽっちもないのです!! ご先祖様たちの無念を晴らすためにも……私と共に人間を打ち倒しましょう、鬼太郎くん!!」

 

 ぬらりひょんは、幽霊族たちを絶滅に追いやった人間たちの所業を突きつけ、尚も鬼太郎に協力を取り付けようとする。

 徐々に熱を帯びてくるぬらりひょんの弁論に、鬼太郎も上手く反論を口に出来ないでいたが——。

 

 

「——ぼ、ボクは……人間に復讐なんて……するつもりはない……」

「ほう……?」

 

 

 動揺しながらも、なんとか鬼太郎はぬらりひょんの勧誘を真正面から断った。自身の意見をはっきりと口にしてみせた鬼太郎に、ぬらりひょんは感心するように息を吐く。

 

「——なんだとっ!? 人間に味方するなど……貴様、それでも妖怪か!?」

 

 すると、鬼太郎の言葉にそれまで黙っていた片車輪が声を荒げる。

 鬼太郎の人間の味方をするような言動に——文字通り、その体を炎上させるほどに怒り狂った。

 

「腑抜けた小僧め……貴様にはこの片車輪様が、妖怪の何たるかを教えてやる……覚悟しろ!!」

「むっ……待ちなさい、片車輪さん」

 

 もはや、ぬらりひょんの静止すらも聞く耳を持とうとせず。問答無用とばかりに鬼太郎へと襲い掛かっていく。

 

 

 

「くっ……これが、妖怪との……戦いっ!!」

 

 それは、鬼太郎にとって初めての実戦だった。

 

「フハハハ!! どうした小僧、少しは反撃してみせるがいい!!」

 

 片車輪は古い車輪に憑依したまま、鬼太郎に向かって突っ込んでくるという戦法をただひたすらに繰り返す。それは単調な攻撃であったが、車輪として回れば回るほど加速し、速度が上がれば上がるほどにその身に纏う炎の勢いも強まっていく。

 このまま調子に乗らせれば、際限なく勢いを増して手が付けられなくなるだろう。

 

 さりとて、鬼太郎は片車輪の突進を回避するのが精一杯で、どうすればいいか思案を巡らせる暇もなかった。

 今の鬼太郎に、妖怪相手の実戦はまだ荷が重かったかも知れない。

 

「鬼太郎っ!! ご先祖様の霊毛ちゃんちゃんこじゃ!! そのちゃんちゃんこで……片車輪の動きを封じ込めるのだ!!」

 

 しかしそこは目玉おやじが、数多の戦いを潜り抜けてきた彼が息子にアドバイスを送る。

 

「わ、分かりました!! 霊毛ちゃんちゃんこ!!」

 

 目玉おやじの助言に素直に従う鬼太郎。父親の指示通り、片車輪が突っ込んでくる進路上にちゃんちゃんこを広げ、その突進を妨害する。

 

「むぐっ!? こ、こんなもので……止まると思って……!!」

 

 覆いかぶさるように自分を妨害するちゃんちゃんこに、片車輪は強引にでも直進しようと試みてくる。しかし、片車輪は先祖の霊毛で編まれたちゃんちゃんこの頑丈さを知らない。

 ちゃんちゃんこは決して破れず、燃えることもなく。確実に片車輪の動きを封じ込めた。

 

 片車輪の特性上、動きが止まれば炎の勢いも弱まってくる。その隙を——目玉おやじは見逃さない。

 

「今じゃ、鬼太郎!! リモコン下駄をお見舞いしてやれ!!」

「はい!! リモコン下駄!!」

 

 目玉おやじの号令と共に、鬼太郎はリモコン下駄を思いっきり蹴り放った。次の瞬間、高速で飛来する下駄が動きの止まった片車輪を横合いから貫いていく。

 

「——ぐおおおおおお!? お、おのれぇえええ!!」

 

 仮初の体である車輪が砕かれたことで、片車輪は自身の『回転するものに憑依する』という特性を維持することが出来ず——その気配が、急速にその場から遠退いていった。

 

 

 

×

 

 

 

「お見事です、鬼太郎くん!! 片車輪さんを退けるとは、やはり幽霊族の力はずば抜けて優秀のようですね……」

 

 鬼太郎と片車輪との戦いを、ぬらりひょんはその場からピクリとも動かず静観していた。片車輪が倒されても顔色一つ変えることなく、それどころか鬼太郎の幽霊族としての力をこれでもかと賞賛する。

 

「やはり勿体無い……貴方のその力は、妖怪のために振るわれるべきです。人間のために戦うなど、宝の持ち腐れにしかなりませんよ?」

 

 そして再度、鬼太郎に自分の仲間になるように声を掛けてくる。人間など見捨て、妖怪のために力を尽くせというのがぬらりひょんの主張だが。

 

「別に……ボクは人間のために戦ったわけじゃない……」

 

 ぬらりひょんの勧誘に、鬼太郎は自分がそもそも人間の味方などではないと首を振る。

 

 人間の愚かさ、それは鬼太郎も重々承知だ。実際にこの目で見たわけではないが。あの村——哭倉村という場所でどのようなことが行われていたのか、自分たち幽霊族がどのようにして滅ぼされたのか。

 目玉おやじから、ある程度のことは聞かされている。それを聞いて、人間全て救おうなどと鬼太郎だって思わない。

 

「あそこには水木さんが……ボクを助けてくれた人間がいるかもしれないんだ……」

 

 彼はただ、水木が——自分の恩人が事故現場にいるから、わざわざ駆けつけて来たに過ぎない。そうでなければ、わざわざ危険を冒してまでこんなところに来ようなどと思わなかっただろう。

 

「…………なるほど、人間に助けられたですか……」

 

 鬼太郎の一言に一瞬、ぬらりひょんの目の奥がギラリと光ったように感じられた。彼は僅かに思案するや——すぐにでも、鬼太郎への揺さぶりとして言葉を紡いでいく。

 

「その人間は……貴方のことを妖怪だと、分かった上で助けたんでしょうかね?」

「…………」

 

 ぬらりひょんの発言に対し、鬼太郎はそれ以上、何か言葉を返そうとはしなかった。父親の『相手の言葉を真に受けてはならない』という助言を思い出し、これ以上言葉を交わすのは不味いと感じたのだ。

 しかしわざわざ会話である必要はないと、ぬらりひょんは鬼太郎に向かって一方的に言葉を連ねていく。

 

「貴方方、幽霊族は……私と同じように、ほとんど人間と変わらない外見をしている。人間社会に混じること自体、さほど難しくはないでしょう」

 

 鬼太郎も、ぬらりひょんも。人間と身分を偽っても、バレないほどに人間に近しい姿をしている。それこそ目玉おやじや片車輪といった、見た目から明らかに妖怪だと分かるような異形とは違う。

 実際、鬼太郎の母は人間社会に混じりながら、普通に働いて暮らしていたという。もしかしたら鬼太郎にも、母親と同じように人間たちと肩を並べるような生き方があったのかもしれない。

 

「……ですが、所詮は妖怪と人間。姿形が似通っていても、根本的に我々は全く異なる種族なのです」

 

 もっとも、それも表面上な部分に過ぎないと。ぬらりひょんは人間と妖怪を明確に分けて考える。

 

「貴方の妖怪としての力……それは人間社会の中では決して受け入れられない、彼らが正しいとする秩序を破壊する力です」

 

 事実として、鬼太郎には人間たちが積み上げて来た社会、文明、秩序といったものを乱す力がある。たとえ鬼太郎にその気がなくとも、それが『出来る』という事実に、きっと人々は恐怖するだろう。

 

「その力は目の当たりにしたとき……貴方を助けたというその人間は、果たして貴方のことをどんな目で見るのでしょうねぇ……」

「そ、それは……」

 

 ぬらりひょんのその発言に、鬼太郎は思わず目を逸らしてしまう。彼の言葉は、まさに水木と自分との間に『ズレ』を感じていた、鬼太郎の心の不安を的確に射抜く言葉であった。

 自分と水木、妖怪と人間は違う生き物なのだと。今一度、ぬらりひょんによってはっきりと自覚させられていく。

 

「鬼太郎くん……もしも困ったことがあれば、いつでも私を頼るといい」

 

 その上で、ぬらりひょんは慈愛すら感じられるほど、優しげに鬼太郎へと語り掛けた。

 

 

「私はいつでも貴方を歓迎します。是非、お待ちしておりますよ……」

 

 

 自分は人間などと違う。たとえどのような力を持っていようと、鬼太郎自身を歓迎すると。

 刹那、鬼太郎が動揺する意識の隙間を突くかのように——ぬらりくらりと、その姿をくらませていく。

 

 

 

「父さん……」

「鬼太郎、ぬらりひょんの言葉など気にするな……奴はお前を惑わそうとしているんじゃ……」

 

 ぬらりひょんも立ち去り、その場に鬼太郎と目玉おやじだけが取り残される。目玉おやじはぬらりひょんの言葉など気にするなと、励ますように鬼太郎に声を掛ける。

 

「分かっています……きっと奴は、ボクを利用しようとしているだけなんでしょう……」

 

 鬼太郎自身も、ちゃんと分かっていた。

 調子のいいことを色々と言っていたが、結局のところ、ぬらりひょんは鬼太郎の力を利用したいだけ。奴の元に下ったところで、きっと体よく使われて終わるだろうと。ぬらりひょんの勧誘になどは決して乗らない。

 

「けど……奴の言っていたことは、あながち間違いでもないと思うんです……」

 

 だが、ぬらりひょんの主張そのものに間違いはなかったと思う。人間と妖怪は違う生き物であり、決して最後まで一緒にはいられない。

 きっと水木も鬼太郎が妖怪で、人間を簡単に害せる力があると分かれば、その瞳に恐怖の感情を浮かべるだろう。

 

「だから、ボクは……」

 

 だったら、いっそのことと——鬼太郎は覚悟を決める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……なんとか家には帰れるが、鬼太郎になんて言うか……」

 

 トンネルの事故から半日後。怪我で頭に包帯を巻きながらも、水木は自力で自宅への帰り道を歩いていた。

 水木自身は、比較的軽症であったこともあり、特に入院などの処置を取る必要もないと判断された。だが当然、事故で工事は一時中断だ。

 やることもなくなり帰宅することにした水木。家で自分の帰りを持っているであろう鬼太郎に、頭の怪我をなんと説明したものかと。

 

 未だに痛む頭さすりながら、悶々と考え込んでいた水木だったが——。

 

「……水木さん」

 

 その道中の帰り道に——鬼太郎がいた。彼は一人道端で、水木のことを待っていたかのように静かに佇んでいた。

 

「鬼太郎? どうしたんだ、こんなところで……」

 

 そんな鬼太郎の様子に、水木は違和感を覚えながらも声を掛ける。

 だがすぐに慌てたように、自身の怪我——頭の包帯のことをどう説明するかと、その表情を引きつらせる。

 

「いや、この傷はその……ちょっと色々あってな……は、ははは……」

 

 まだ考えを纏めている最中だったため、上手く言葉が出てこない。とりあえず、心配だけは掛けまいと、笑って誤魔化そうとするのだが——。

 

「知っています、見ていましたから」

「……なんだって?」

 

 鬼太郎は気遣いは無用だと。実際にその現場を見ていたことを口にする。

 あの後、鬼太郎は遠目から水木の無事を確認した上で、ここで彼が帰ってくるのを待つことしたのだから。

 

「水木さん……トンネルで事故を引き起こしたのは妖怪です。人ならざる怪物が、人間たちに危害を加えたんです」

 

 鬼太郎はあの事故の原因が、妖怪と呼ばれる存在にあると警告する。

 ここ最近の建設ラッシュで、大小様々な事故を自業自得で引き起こしている人間たちだが、少なくともあの事故は妖怪の仕業であり、人間側に非はないのだと。

 

「!! よ、妖怪って……そんなバカな……」

 

 だが、鬼太郎の口から語られる妖怪なるものの存在に、水木は苦笑いを浮かべる。

 少なくとも『今』の水木は、妖怪というものを明確に信じているわけではない。鬼太郎が化け物の子供であることは理解しているつもりだったが、それが妖怪と呼ばれるものだということまで考えが及んでいない。

 

 

「水木さん……ボクも、その妖怪なんです」

「!!」

 

 

 しかし今この瞬間、他の誰でもない鬼太郎自身の口から、自分が妖怪であることが告げられた。突然の告白に水木が思わず息を呑むが、鬼太郎は構わずに話しを続ける。

 

「このまま……貴方の元で世話になっていても、ボクは人間として生きることは出来ません。それどころか、いつかボク自身が……妖怪として、貴方を傷つけてしまうかもしれない……」

 

 鬼太郎は人間にはなれない。いずれは人間である水木とも離別しなくてはならないのだ。それが早いか遅いかの違いでしかない。

 それにいつまでも一緒に居続けては、いずれ妖怪としての力を秘めている鬼太郎が、水木を傷つけることになるかもしれないと。

 

 

「——だから、ここでお別れです」

 

 

 その不安から、鬼太郎は決心した。

 妖怪である自分が水木に取り返しの付かないことをしてしまう前に、彼の元を離れようと。

 

 それがここまで育ててくれた水木に、自分が出来るせめてもの恩返しだと。これが最後のつもりで、鬼太郎は最大限の礼を込めて水木へと頭を下げる。

 

 

「今までお世話になりました……どうかお元気で、水木さん……!」

「ま、待てっ!? 鬼太郎!!」

 

 

 そのまま、相手の返事を待つこともなく踵を返す鬼太郎。咄嗟に鬼太郎へと手を伸ばす水木だったが——次の瞬間、彼の視界から鬼太郎の姿が消えた。

 

「……!?」

 

 鬼太郎は、凄まじい跳躍力でその場から跳び上がっていた。

 妖怪としての身体能力を存分に発揮し、あっという間に水木の視界から遠ざかってしまったのだ。

 

「鬼太郎……」

 

 あまりの速さに、水木は追いかけることも出来なかった。

 やはり鬼太郎は妖怪で、水木は人間。その能力の違いを思い知らされてしまったかのよう、水木は呆然と立ち尽くすほかになかったのであった。

 

 

 

 

 

 それから数ヶ月後。事故が起こったトンネルも工事が再開され、なんとか期限までに全ての工程が完了した。その他の工事も、オリンピックまでには間に合い——スポーツの祭典は無事開催された。

 

 その祭典を通して、世界中に日本の復興は成し遂げられたとのだと伝えられる。その事実に日本中が歓喜に包まれたことだろう。

 

 だが、忘れてはならない。

 

 そのオリンピックを開催するにあたって、多くの労働者がその命を失ったことを。

 この記念すべき祭典が、多くの犠牲の上に成り立っていることを。

 

 そして、たった一つの事故をきっかけに、血の繋がらない親子の離別があったことを。

 それを、決して忘れてはならないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて。オリンピックが無事開催し、そして閉幕したわけだが。オリンピックの後に続く祭典があったことを、ここに補足しなければならない。

 

 それこそ——『パラリンピック』と呼ばれるもう一つの祭典である。

 

 オリンピックのすぐ後に開かれるこの祭典は、障害者を対象としたスポーツ競技大会だ。オリンピックが開かれた開催国、つまりは同じ東京で行われる。

 オリンピックほどの規模ではないものの、世界中から多くの選手たちが日本国内へと集結してくる。

 

「う、ウェルカム!! ようこそ日本へ……アメリカ選手団の皆さん!!」

「オオっ!! アリガトウゴザイマス~、ニッポンノミナチン!!」

 

 日本の空の玄関口とも呼ばれる、東京国際空港——通称・羽田空港にて。外国から訪れた選手団を、日本の大会スタッフが丁重に出迎えていた。

 

 飛行機から降りてきたのは——アメリカ合衆国の代表選手たちだ。

 

 戦後、長い間日本を占領し続けた大国を前に、日本人スタッフがやや及び腰になっている。既に日本は占領国ではないのだが、どうしても気を遣ってしまうのが日本人の性質なのか。

 反対に、アメリカ側の選手たちは特に気にした様子もなく。単純に選手としてパラリンピックを楽しみにしており、それと同じくらい日本という国にワクワク感を抱いている様子だった。

 

「ええっと……ではさっそくご案内します。どうぞこちらです……」

 

 そんな外国人選手たちを、恐縮しながらも通訳を通して滞在場所まで案内しようとするスタッフ。

 

「ヨロシクオネガイシマス……oops(おっと!?)!?」

 

 だが、一人のアメリカ人選手がその後に続こうと、車椅子で移動しようとした際——アクシデントは起きた。

 足元が悪かったのか、車椅子の操作を誤ってしまったのか。大きくバランスを崩し、前のめりに倒れそうになってしまったのだ。

 

「あ、危なっ……!?」

 

 転倒に気付く日本側のスタッフだが、反応が間に合わずに駆け寄ることが出来なかった。

 あわや、大会が始まる前に怪我を負ってしまうのかと、誰もが背筋をヒヤリとさせる。

 

「——っ!!」

 

 しかし転倒し掛けたその瞬間、目にも止まらぬ速さで何者かが手を伸ばし、ギリギリのところで選手の体を支えた。

 

「よ、よかった……ありがとうございます……」

 

 これに日本側のスタッフがホッと胸を撫で下ろす。とりあえず大事にはいたらず、国際的な問題にならなくて良かったなどと、選手を助けた人物へと目を向ける。

 

「…………!」

 

 瞬間、スタッフは息を呑む。

 

「——Are you all right(大丈夫ですか?)?」

「——Oh, thank you(ああ、ありがとう!!)!!」

 

 選手の体を後ろから支えた『彼女』は、そのまま丁寧に選手を車椅子へと座らせる。助けられた選手は英語で彼女に礼を言い、彼女もまた英語でそれに答える。

 

 

 彼女——金髪碧眼のその女性は、さながら西洋人形のように美しい麗人だった。

 

 

 大人の女性としての品位を持ちながらも、どことなく幼さを残した顔。

 リボン付きのワンピースドレスに身を包んだ立ち姿は、貴族令嬢のような気品を感じさせる。

 その一方で、黒い手袋をした手にはトロリーバッグが握られており、使い込まれた革のロングブーツが彼女に旅人という印象を与える。 

 胸元には、彼女の美しさに負けず劣らずな輝きを放つ、エメラルドのブローチが煌めいていた。

 

 

「き、キミは……?」

 

 様々な人種が入り乱れるアメリカ選手団の中においても、彼女という存在は際立った雰囲気を醸し出していた。

 そんな彼女に対し、日本側のスタッフが呆気に取られながら日本語で語り掛けてしまう。

 

 

「お初にお目に掛かります……」

 

 

 すると、女性はとても流暢な日本語で返してくれた。

 日本人顔負けの美しい日本語の発音に、その場に集った全ての人間が彼女の言葉に耳を傾けていく。

 

 

「お客様がお望みなら、どこへでも駆けつけます」

 

 

 人々の視線を一心に浴びながらも、彼女は全く臆することなく。

 淑女として教育されたのだろう、優雅な礼をしながら自らの職業と名前を口にしていった。

 

 

 

自動手記人形(じどうしゅきにんぎょう)サービス……ヴァイオレット・エヴァーガーデンです」

 

 

 




人物紹介

 鬼太郎くん
  皆さんご存じ、ゲゲゲの鬼太郎の主人公。
  ですが今回の主な舞台、1964年時点ではただの鬼太郎と名乗っています。
  誕生からまだ八年……正真正銘八歳の子供です。
  今後の展開でも精神的、能力的に未熟な部分を出していきたいと思います。

 目玉おやじ
  こちらもお馴染み、鬼太郎の父親。既に肉体を失ったいつもの姿での登場。
  まだ子供の鬼太郎に、こっそりと妖怪について色々とお勉強させています。

 鬼太郎の母親
  ゲゲゲの謎本編で登場した、鬼太郎の母。今作では既に故人。
  声優が6期鬼太郎と同じ沢城さん。どことなく猫娘に似ている。
  写真では美人さんでしたが、亡くなる前は衰弱し切っていたため、変わり果てた姿に。
  映画では名前が特に呼ばれませんでしたので、本作でも明確に名前呼びはしません。

 水木
  ゲゲゲの謎のもう一人の主人公、本作でもようやく登場!!
  映画での彼と目玉おやじとのバディ関係に脳を焼かれた人も多い筈。
  あのエンディングのあとについて、色々な考察がなされていますが。
  本作において、水木はまだ『あの村での出来事を忘れている』とさせていただきました。
  いつかは記憶が戻るかもしれませんが、今回の話ではそこまで描きません。
  水木といえば『水神に襲われる』話もありますが、それも今回はまだ出てきませんので、ご注意ください。
 
 水木の母親
  水木の実の母親。映画でも一瞬だけ、姿が出てきたくらい。
  息子がいきなり赤ん坊を拾ってきた……そのときの彼女の感情はどうだったのか?
  本作においては、都合上、少し前に病気で亡くなっていることとなっています。
  
 水木の記憶の奥にいる人たち
  幼い少年、年頃の女性。そして着物を羽織った白髪の男性。
  ときおり、幻影として水木を悩ませる方たち。
  彼らが何者なのか知らない方は……今月配信される『ゲゲゲの謎』でチェックしていただきたい!!

 ぬらりひょん
  ここで登場、鬼太郎の宿敵。  
  6期のアニメにおいて、二人は既に顔見知りだったようなので。
  きっと初対面の出会いもあったんだろうなと、こういった感じで書かせていただきました。

 片車輪
  別名、片輪車(かたわぐるま)とも呼ばれる、今回のゲスト妖怪。
  見た目のビジュアルや能力は、鬼太郎5期に登場した片車輪そのもの。
  車輪などの回るものに憑依し、回れば回るほど燃え上がるという特性を秘めています。
  登場早々、早くもやられてような感じですが……まだ魂は出てきてませんので、油断なさらずに……。
  
 池田勇人
  ときの内閣総理大臣。
  もしも作者が『尊敬できる人は?』と聞かれたら、真っ先に名前が出る人物。
  昭和の政治家で、戦後の日本復興に多大な貢献をなされました。
  彼の生涯に関しては『疾風の勇人』という漫画にて描かれています。

 ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン
  最後の最後に登場、クロス作品の主人公。
  今作において、彼女はアメリカ合衆国の人物とさせていただきました。
  彼女がどのような経緯で日本に来ることになったのかは、次話で詳しくやっていくつもりです。
  

次回から、ヴァイオレット以外のクロス先の人物たちも登場しますので、お楽しみに!!
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